◆文学批評/研究◆
◆外国文学◆
川崎寿彦『マーヴェルの庭』(研究社、1974年)
高橋康也『エクスタシーの系譜』(あぽろん社、1966年。筑摩書房、1986年)
石田憲次『英文学のよろこび』(研究社、1965年。少し古いが、イギリスの文化と文学へのすぐれた手引書。該博な知識に基づくも、表題にたがわず楽しい本である。冒頭で、文学鑑賞には事実の知識が大切であるという、エリオットの「批評の機能」における見解を紹介している。この本はエリオットに従って、著名な詩文を英語と日本語訳で引用しながら、英国についての「事実」を数多く教えてくれる)
石田憲次『英文学風土記』(研究社、1972年)
由良君美『みみずく英学塾』(青土社[せいどしゃ]、1987年)。他に『みみずく偏書記』、『みみずく古本市』など。 著者は高山宏、四方田犬彦などを教えた。
四方田犬彦『先生とわたし』(2007年、新潮社。東大駒場時代の師、由良君美の評伝。80年代の師弟の不幸な関係を含めて、圧倒的なリサーチと筆力で稀代の文学者を論じる。『ハイスクール1968』同様、大岡昇平の自伝『少年』に倣って、知人、関係者の証言等を援用している。同じ由良門下の高山宏の自伝(↓)と合わせて読まれたい。)
高山宏『超人高山宏のつくりかた』(2007年、NTT出版。高山宏の桁外れの自伝。学者の自伝としては絶対に空前絶後。高山学の展開史であり、高山版『先生とわたし』であり、赤裸々な個人史であり、そして首都大学東京への訣別宣言でもある。第13章「梁山泊讃」と第14章「愛憎文庫」は目黒都立の英文科に学んだ者には懐かしい。書かれている内容に疑いを持つ読者もあるいはいるかもしれないが、これは何の誇張もない「等身大の」自画像である)
高山宏『アリス狩り』(青土社、1981年。百年にひとりの超人文学者[自称]、高山宏による「アリス狩り三部作」の第一弾。)
高山宏『目の中の劇場:アリス狩りII』(青土社、1885年)(「星のない劇場」は、フランセス・イエイツに依拠して、ルネッサンスの生宇宙的な[バイオコズミック]シンボリズムを透視するミクロコスモスとしての魔術的錬金術的な劇場が、いかに、「星を欠いた」18,19世紀の病的なまでに視覚偏重の額縁的舞台の劇場に変質していったかを、超緻密かつスリリングに跡づける。「王権神授のドラマトゥルギー」は、スティーヴン・オーゲルとロイ・ストロングに依拠しながら、イタリア帰りのイニゴ・ジョーンズが宮廷劇場に導入した遠近法が、いかに支配の具と化していったかを見る。「目の中の劇場」は、この本の目玉。....。「庭の畸型学」は、ポウの「アルンハイムの地所 The Domain of Arnheim」と絶筆「ランダーの別荘 Landor's Cottage」を枕に、クロード・ロランに代表されるイタリア風景画の三次元化としての18世紀イギリスの風景庭園[Landscape Garden]について語り尽くす。「に淫す」は、ヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」論。主人公の女家庭教師がその向こうに亡霊を見るブライ家のピクチャー・ウィンドウを、外界を絵のように見ることを教えたピクチャレスク美学の装置としての「額縁」と見なし、その視覚への耽溺ぶりを、幻灯機、写真、映画を生み出した当時のロンドンの視覚文化隆盛の文脈において論じる。「死の資本主義」は、ピクチャレスク美学が、産業革命以降都市に蔓延した死の現実をいかに隠蔽し、また、その過程からファッション文化、葬儀産業、公園墓地、火葬制がいかに生み出されたかを論じる。「悪魔のルナパーク」は、ヴィクトリア朝の「大いなる倦怠」に冒された人々が、いかにパノラマ、ジオラマといった視覚遊戯装置にとち狂い、の快楽に耽ったかを豊富な実例で論じ尽くす。)
高山宏『ふたつの世紀末』(青土社、1986年。18世紀末を20世紀末の寓話として語る。18世紀英国のピクチャレスク美学に関しては、一部を除いて、『目の中の劇場』と同内容であるが、一般読者向けにやや平易に語り直している。1章:18世紀イギリスの倦怠と憂愁[気鬱]から、驚愕と崇高美のピクチャレスク芸術が生まれた。2章:エドマンド・バークの崇高美論とその究極の体現としてのカタストロフィー絵画。3章:グランド・ツアーとラギッドな美の発見。クロードとサルヴァト−ルへの狂熱と風景庭園。世界をとして見る。4章:クロード・グラス狂い。反ピクチャレスク詩人ジョン・クレア。19世紀の額縁記号の大氾濫。5章:ウィリアム・チェインバーズのシノワズリー風ピクチャレスク・ガーデン[風景庭園]としてのキュー・ガーデン。6章:ジョン・ヴァンブルーのアシンメトリカルな動く建築と、18世紀末のアラベスク曲線、蛇状曲線、S字曲線の大流行を論じる。7章:ロイヤル・アカデミーの普遍言語プロジェクトの後産から分類学的エピステーメが生まれたことを論じる。1980年代のニューアカとフランス現代思想狂いに当てこすりながら。8章:バーバラ・スタッフォードの『サブスタンスへの旅』への反論。キャプテン・クック他の探検家たちが太平洋に見たものはピクチャレスク・崇高美に他ならなかった。9章:ナチュラル・ヒストリーとナチュラル・ヒストリー・ブックの隆盛。美学と博物学の共犯関係。〈見ること=集めること〉は、。10章:18世紀末の文芸における廃墟カルトを論じる。ピクチャレスク絵画の一部門たる廃墟画もまた、博物学や百科事典同様に、断片化し集める。これは個を分断し、支配する的権力支配のカリカチュアである。断片の現象学とは人間-意識の現象学。11章:との崇高美体験のサイコロジーを世俗化したパノラマ、ディオラマ、エイドフュージコンの隆盛と衰亡[18世紀末から19世紀半ば]。しかし、そのパノラマ的は、映画、鉄道、デパート、スペクタキュラー・シアターに引き継がれた。12章:「コントラ・ポー」。「19世紀前半において「効果」は「絶対的に新奇」たらんとするアヴァンギャルディズムの標識であった」。ド・ラウサーバーグ、ジョン・マーチン、そしてポー。)
高山宏『メデューサの知: アリス狩りIII』(1987年、青土社。「の惨劇」は、17世紀のスコットランドの没落貴族サー・トマス・アーカートによるラブレーの英訳と著書『普遍言語案内』に、はるか後のルイス・キャロルなどのノンセンス文学と言語遊戯の先駆を見る。「ユートピアのことば、ことばのユートピア」は、17世紀の異世界旅行トポスの開発と、普遍言語の構想とが表裏一体であり、その普遍言語から哲学言語が生まれる過程に、近代分類学[フーコーのエピステーメ・タクソノミーク]もまた胚胎したことを論じ尽くす。「のフェイクロア」は、フェイカー/詐欺師、ジョージ・サルマナザールによる台湾表象の捏造とキュー・ガーデンの設計者ウィリアム・チェインバーズによる中国イメージの捏造等々について、シノワズリー風を擬態しながら綴る高山版『オリエンタリズム』。「としての顔」は、神の書跡としての人間の容貌に性格を読み取るヨーハン・カスパール・ラファーターの観想学の隆盛と、その推理小説、犯罪類型学への俗流化・凋落をたどる。「Science medusante」は、英国のナチュラル・ヒストリーの起源[1750年代]と展開を高山学の観点から語る。ことは殺すこと。「エンキュクリオス・パイデイア」は、近代文学における百科事典的書法の系譜――『トリストラム・シャンディ』、『桶物語』、『白鯨』、『ブヴァールとペキュシェ』、『ユリシーズ』、ポストモダン小説――を概観する。「閉じたシステムのエンド・ゲーム」はサミュエル・ベケット論。ロレンス・スターン=ベケットの系譜。それぞれ百科事典と言語という閉じたシステムを徹底して批判的に擬態し、わらった。「《Wittgenspiel》」は、1950,60年代というエポックをルネサンス・パラドキシカリティ[ロザリー・コーリー等]との正統な系譜において浮かび上がらせ、それらの中でヴィトゲンシュタインをとらえる。高山によれば、『トラクタトゥス』と『哲学探究』の間に転向はない。『トラクタトゥス』におけるあるいはの探求は、つまりは最後にわらわるべく成された完璧な「身振り」にしかすぎない。最後の有名な一節(6.54)で西洋形而上学というミノタウロスは刺殺されるのだ。「パラドクシア・アナモルフォティカ」の第1章「のパラドックスの現在」は、1960年代後半[ロザリー・コリーの『パラドクシア・エピデミカ』]に始まるパラドックス/自己言及文芸研究の展開を1982年まで文献注的に跡付ける。その超多読ぶりに驚愕。第2章「見よ、私は嘘をついている」は、18, 19世紀を跳び越えて20世紀に蘇らされた17世紀パラドクシーの諸相を、ジョン・ダンの詩「パラドックス」を手始めに、眺望する。あるシステムが無効となったとき、そのテクスチュアを一旦へと、開く、ディコンストラクトするための否定のポテンシャル、パラドクシーの方法の持つ存在意味はそれである。「混沌のムーサイよ、アンチ・システマティックスを歌え」は、シクスティーズ・フィクションの極致、ジョン・バースの『やぎ少年ジャイルズ』[1966]論。すなわち、この小説[反小説]は、とが一対一で対応し外界を透明に映し出すとする表象言語観を、フーコー的に批判/ディコンストラクトする[つくりもの]としてのメタフィクションである。最終章「カルヴィーノのアルス・コンビナトーリア」は、イタロ・カルヴィーノのポストモダン小説『宿命の交わる城』[1973]を論じる。超越的シニフィエの不在のまわりで78枚のタロット・カードの組み合わせが作り出すメタフィクション。末尾の「文献注」のありがたい超充実ぶりにも驚愕する)
高山宏『パラダイム・ヒストリー:表象の博物誌』(河出書房新社、1987年。高山学のきわめて平易な入門書として読める。「アリス狩り」3部作で万一挫折したら、ここからやり直すのがよい)
高山宏『世紀末異貌』(三省堂、1990年。) (とかく頽廃、デカダンスの時代として語られがちなヨーロッパ十九世紀末を、視覚と表象の異常に隆昌した時代として捉え直す。第II部第2章「ロスト・ワールド幻想」、第3章「テクストの勝利」、第IV部第1章「商人アリスティッド・ブーシコーの世紀末」、第V部第2章「アンドロメダ・チェイン」などがお勧め)。
高山宏の「読んで生き、書いて死ぬ」(紀ノ国屋書店ブログ「書評空間」、2007年5月〜2008年5月連載)
ロザリー・コリー『パラドクシア・エピデミカ』、高山宏訳、白水社、2011年。(1983年刊のウィリアム・ウィルフォード著、高山宏訳『道化と笏杖』[晶文社]に近刊と予告されていた[357頁]。満を持した、高山渾身の訳。ロザリー・コリーが高山の声音で語っていると錯覚するような文体。)
ウィリアム・ウィルフォード『道化と笏丈』、高山宏訳、晶文社、1983年(道化を、アニマや老賢者と同じように、ひとつの元型と見なし、道化という現象を共時的に考究し尽す。原文は訳者が言うように「名うての悪文」。その悪文を、分りやすい日本語にするのに訳者が払っている努力は驚異的。それにもかかわらず極めて難解。この本の売りは、3段組み76頁に及ぶ巻末の「訳注をかねたフール小事典」。博覧強記限りなく、フールに関する文献を網羅する。ルネサンス研究者以外にも、文学に関心ある者の必読。)
M・H・ニコルソン『美と科学のインターフェイス』、高山宏訳、平凡社、1986年。(「宇宙旅行」、「山に対する文学的態度」、「崇高美学」他を収める)
フランセス・イエイツ『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統』(工作舎、2010年。邦訳未見。イエイツの出版された最初の本。原書は論旨明快、英語も平明。第1章:コジモ・デ・メディチの要請でフィチーノがラテン語に訳したヘルメス文書(最初の書の名前を取ってPimanderと呼ばれる)のルネサンスに与えた衝撃。実際には紀元後2〜3世紀の作だが、ルネサンスの人々はプラトンのはるか以前、モーゼと同時代か少し前と考えた。すなわちギリシア哲学や旧約聖書の源流ではないかと誤って考えた。その錯覚が彼らに与えた衝撃とルネサンスに与えた影響を強調する。 第2章:フィチーノが訳したヘルメス文書14書(Pimander)のうち4書と、それ以前からラテン語で伝わるAsclepiusを取り上げ簡潔に要約、読者にルネサンス人の錯覚を再体験させる。ヘルメス文書の入門書としても最適。 第3章: 。 第4章:医者でもあったフィチーノの著Libri de Vitaにおける彼の"natural magic"について論じる。ヘルメス・トリスメギストスの哲学を利用するに当たって、フィチーノは異端の嫌疑をぎりぎりで回避するために、異教性を隠せない"decan images"(十分角形象)を用いるのを避け、好んで"planetary
images"(惑星形象)を用いた。また、それらの惑星形象を刻んだあるいは描いた護符を、"demon magic"的にではなく、"spiritual magic"的に用いるように心がけた(この二種のmagicの区別についてイエイツは、D. P. Walker[Spiritual and
Demonic Magic from Ficino to Campanella]に依拠している)。こうして、例えば、melancholyに陥りやすい患者には、土星の影響を避け、太陽、木星、金星のimageを刻んだ護符を身近に置き観想するか、それらの惑星と関係する植物、鉱物、香草等を用いることを勧めた。後半ではボッティチェッリの「プリマヴェーラ」(「春」、ウフィツィ美術館)を取り上げ、ゴンブリッジの「ボッティチェッリの神話画」(『シンボリック・イメージ』)の解釈に沿いつつ、フィチーノの"natural and
spiritual magic"の観点を導入して、この絵がmelancholyを脱するために観想すべき一種のplanetary talismanであるとしている。刺激的な論考。 第5章:フィチーノの自然魔術を補完するものとしてのピコ・デッラ・ミランドーラのカバラ魔術(ヘルメス主義とカバラの融合)について概説を交えて論じる。多くの引用がラテン語だけで、英訳が付せられていないのには困る。この章は前半のピコ思想の解説・検討より、後半部[pp.120-29]の方が断然面白い。ピコの思想は時の教皇インノケンティウス三世による審問を受けた。ピコ側の屈服により放免されたが、その後フランスに逃げ、そこで一時拘束された。ピコに同情的なフランスの後ろ盾でフィレンツェに戻った後、1492年に新しく教皇となったボルジア家出身のアレクサンドロ六世は、一転してピコの思想を全面的に支持し、前教皇下での異端の嫌疑から自由にしたのみか、お墨付きの書簡まで与えた。イエイツは、ピントリッチョがこの教皇のために、ヴァチカンのAppartamento Borgiaの壁に描いたフレスコ画には、フィチーノ=ピコによるヘルメス・カバラ主義の寓意が大胆にも取り入れられ、中心人物としてヘルメス・トリスメギストスが描かれているという驚嘆すべき説を提唱している。所々で表明される個人的見解から、イエイツは思想家よりも、その思想を現実の作品として実現し得る芸術家の方を高く買っていることがうかがえる。 第6章:フィチーノとピコの偽ディオニュソス理解を鍵にして、彼らのヘルメス=カバラ主義の宗教的宇宙論的枠組[宇宙構造、天使の位階]を再構築する試み。フィチーノの天上界の構造に、ダンテが影響を与えているというのが興味深い。第7章: 第8章: 第9章: 第10章:)
フランセス・イエイツ『薔薇十字の覚醒』(山下知夫訳、工作舎、1986年。すばらしく読みやすい訳です。)()
フランセス・イエイツ『記憶術』(水声社、1993年)()
フランセス・イエイツ『世界劇場』(藤田実訳、晶文社、1978年)(第1章「ジョン・ディーとエリザベス朝時代」は、簡潔にして啓発的なジョン・ディー(John Dee)論。イエイツによれば、ユークリッドの『原論』に付した「序文」に見られるディーの偉大さは、同じ著者の精霊日記の悪評によって覆い隠されてきた。イエイツは、ジョン・ディーが蒐集した版本・写本合わせて4千冊の蔵書の目録を精査することによって、ディーが、イギリス・ルネサンスに果たした重要な役割を解き明かしている。第2章「ジョン・ディーとヴィトルーヴィウス」は、ディーが帝政初期のローマの建築理論家ヴィトルーヴィウス(Vitruvius)に十分通じており、『原論』の「序文」がヴィトルーヴィウスによって息吹を吹き込まれたものであることを明らかにし、ディーの「序文」が当時のイギリスの中産階級から職人階級までの人々に与えた刺激から、後のグローブ座につながる最初の公衆劇場が生まれたというこの本の結論を先取り的に暗示する。第3章「ロバート・フラッドとヴィトルーヴィウス」は、ロバート・フラッド(Robert Fludd)の『両宇宙誌』(Utriusque Cosmi Historia)の第1巻第2部「大宇宙技術誌」を概観することによって、ディーを通じてフラッドにヴィトルーヴィウス的伝統が流れ込んでいることを証明する。また、フラッドは大宇宙技術誌において建築を取り上げていないが、イエイツは、代わりに技術誌第2章の「音楽の殿堂」が建築をあらわし、建築としての音楽をあらわしていると論じる。第4章「ロバート・フラッドとジェームズ朝時代」では、『両宇宙誌』出版の背景と経緯が考察される。イエイツは、図版の下絵をフラッド自身が描いた可能性があるとしている。第5章「新しい見方におけるイニゴー・ジョーンズ」。かつてイギリスにおけるヴィトルーヴィウス復活はイニゴー・ジョーンズ(Inigo Jones)に始まるとされたが、イエイツは、すでにジョーンズがディー、フラッドの延長線上で仕事をしたと論じる。前半の議論は珍しくやや荒っぽいが、後半のジョーンズを揶揄したベン・ジョンソンの劇テクストの分析は卓抜。イエイツは、ジョンソンのテクストの解明によって、ジョーンズが、ディーの「序文」とフラッドの『両宇宙誌』が作り出したイギリスのヴィトルーヴィウス的伝統の中に正確に位置づけられるとする。第6章「ロンドンの劇場」では、1576年にジェームズ・バーベッジによって建設されたシアター座に始まり、1599年完成のグローブ座において頂点を極める一連の劇場建設史を概観し、それらの劇場が、宿屋の中庭から発展した中世以来の様式を踏襲していたという説に抗して、ヴィトルーヴィウス的な古代ローマの劇場を改作したものであることを主張している。第7章「古代劇場を改作したものとしてのイギリス公衆劇場」では、まず、ヴィトルーヴィウスの劇場構造が簡単に紹介された後、アルベルティからバルバロ、セルリオに至るルネサンス期におけるヴィトルーヴィウス理解が概観される。つづいて、イエイツは、バーベッジのシアター座において、古代劇場がエリザベス朝公衆劇場に改作された概略をいささか大胆に推測し、さらには18世紀半ばにグローブ座の土台を目撃したというスレイル夫人の証言に基づいて、正六角形の内部に円を描いた形の平面図を、これまた大胆に提案している。[1989年の部分的な発掘によって、劇場の外壁が二十角形であったことが判明している。グローブ座の跡地には19世紀にAnchor Terraceと呼ばれる建物が建てられ、現在この建物が文化財に指定されているために、これ以上の発掘は許可されない状態である]。第8章「イギリス公衆劇場の舞台」で、イエイツは、フラッドの「小宇宙技術誌」の記憶術の章に出てくる劇場舞台の図版こそは、当時のイギリス公衆劇場の舞台を写し取ったものではないかと論じている。その根拠には、鳥肌が立つほどの説得力があるように思える。根拠その1:この図版は非常にリアルに見える。フラッドは記憶術において架空の場所を用いることに強く反対していた。また、この図版には、図版に付したラテン語本文では言及されない、記憶術には不必要な細部まで描き込まれている。架空の劇場舞台正面壁なら、そのような細部を描く必要はなかっただろう。その2:フラッドは喜劇と悲劇が上演されたある公衆劇場を念頭に置いていると明言している。その3:この図版に見られる舞台正面壁は、「われわれがエリザベス朝やジェームズ朝の劇場の舞台正面壁はかくもあらんと思っているものと合致する」。その4:この図版の正面壁に書き込まれたラテン語"THEATRUM
ORBI"は、他ならぬ「グローブ座」を意味する。イエイツは、フラッドの舞台図に基づいて独自のグローブ座スケッチ試案を提案しさえしている[1997年にグローブ座跡地のすぐ近くに建てられた再建グローブ座の舞台には、イエイツの試案は取り入れられていないようである。むしろ、ディ・ウィットが遺したスワン座の有名なスケッチに基づいているように見える。イエイツはいまだシェイクスピア研究では異端的傍流らしい]。第9章「道徳的表徴としての劇場」。第10章「公衆劇場と仮面劇――イニゴー・ジョーンズの劇場神殿論」。)
フランセス・イエイツ『魔術的ルネサンス』(晶文社、1984年。訳がひどい。誰かが改訳すべし。英語で読んだ方がよい)()
フランセス・イエイツ『シェイクスピア最後の劇』(晶文社、1980年)()
スティーヴン・グリーンブラット『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』、河野純治訳、柏書房2012年。(原題はThe
Swerve: How the World Became Modern。永遠に失われたと思われていたルクレティウスの『物の本質について』の古写本発見にまつわる物語。中世、ルネサンスの文化に通暁した著者の語りが、遠い過去を読者の眼に見えるように描き出す。その筆力やおそるべし。また、著者のルクレティウスの哲学に対する関心が、著者の母のヒポコンデリーに遡ることを率直に語っているその部分が非常に興味深い。)
E・H・ゴンブリッジ『シンボリック・イメージ』(平凡社、1990年。ガチガチのアカデミックな論文集。読むには多少骨が折れる。最初の2章はボッティチェッリを通俗的だと思っている読者の間違った思い込みを見事に打ち砕いてくれる。「ボッティチェッリの神話画」:と並んで有名なボッティチェッリの[]を、神話を近代的官能性の表現としてではなく、古代の知恵の表現と考える当時隆盛の新プラトン主義に照らして再解釈する。マルシリオ・フィチーノがロレンツォ・デ・メディチの甥ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコの家庭教師に宛てた書簡を手掛かりに、描かれた目的を、このイル・マニーフィコの当時15歳の甥に徳を教えるためとし、画題の典拠をアプレイウスの『黄金の驢馬』に出てくるパリスの審判の場面に求める。従来の、ジュリアーノ・デ・メディチの騎馬試合を歌ったアンジェロ・ポリツィアーノの恋愛詩と結びつけ、ウェヌスのモデルをジュリアーノの愛人シモネッタ・ヴェスプッチとするロマン主義的な解釈を退け、論議を呼んだ問題の論文。「プラトン・アカデミーとボッティチェッリの芸術」:フィレンツェのプラトン・アカデミーが実はロレンツォ・デイ・メディチ[イル・マニーフィコ]・グループと、甥のロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・グループの二派に分かれており、ボッティチェッリは間違いなく、そしてフィチーノはどちらかと言えば、後者のグループに属していたことを、後続の節で提出されるさまざまな証拠により主張する。第2節ではボッティチェッリに、この二柱の神に関するフィチーノの占星術的解釈を読み取り、また、画面右上の蜜蜂を根拠にこの神話画がヴェスプッチ家の祝婚のために制作されたことを立証することにより、モデルをジュリアーノとシモネッタとする旧説に反駁している。第3節では、神話画を取り上げ、ロレンツォ・デ・メディチの敵対勢力への勝利を記念するとした旧来の政治的解釈を覆し、より自然に、理性を表わすミネルウァが動物的本能を表わすケンタウロスを馴致する道徳的寓意画と解釈する。第4節:旧説の文献上の典拠は、ポリツィアーノの『騎馬試合』中のエクプラシスとされたが、著者は、同じくアプレイウスの『黄金の驢馬』中のイシスの誕生の描写も典拠となった可能性を示唆する。異なる典拠からモチーフを集めた、モザイク的な複合的作品[織物]であるとする。傍証として、かつて典拠とされたポリツィアーノの作品自体が、古典の記述を集めたモザイクであることを述べる。第5節:19世紀半ば[1863年]にフィレンツェ郊外のレンミ荘で白く塗られた壁の下から発見されたボッティチェッリの2点のフレスコ画に描かれた若い夫婦についての旧説[かつての所有者と推定されるロレンツォ・トルナブオーニとその妻ジョヴァンナとする。現行の説でもある]を否定し、ボッティチェッリのパトロンであるロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコとその妻であることを示唆。)
エルヴィン・パノフスキー『イコノロジー研究(上下)』(美術出版社、1987年;ちくま学芸文庫、2002年)(絵画を読むとはいかなることか。図像学の古典的理論書でありながら、初心者にも易しく読める。ドイツ・ワイマール期の記念碑的偉業。類書としては、ベンヤミンの複製芸術論に基づくジョン・バージャーの『イメージ:視覚とメディア』伊藤俊治訳(PARCO出版、1986年)などもお薦め。資本主義の発達と西洋絵画の展開の密接な関係を、マルクス主義の立場から論じる名著)
フリッツ・K・リンガー『読書人の没落―世紀末から第三帝国までのドイツ知識人』(Fritz K. Ringer, The Decline of German Mandarins [1969])、西村稔訳、名古屋大学出版会、1991年)(第3章「政治論と社会理論、1890-1918年」: 産業化と大衆化にドイツ知識人[大学人、German Mandarins]が如何に反応したかを、主として正統派と近代派を対照させながら論じる。同時期の反近代思想[反主知主義、反ユダヤ主義を含む]についてこれほど詳しい本も珍しいのではないか。英米のモダニズム[ヘンリー・アダムズ、パウンド、エリオット、イェイツ]の反近代性を論じる時にも参考になる)。
田中純『アビ・ヴァールブルク――記憶の迷宮』(青土社、2001年。)
田中純『歴史の地震計――アビ・ヴァールブルク『ムネモシュネ・アトラス』論』(東京大学出版会、2017年。)
澁澤龍彦『夢の宇宙誌』(1964年。)
澁澤龍彦『胡桃の中の世界』(1974年、青土社。第1章「石の夢」:マクロコスモスを内蔵したミクロコスモスとしての、空洞のある石の神秘についてのバシュラール的な瞑想的考察。第2章「プラトン立体」:5種の正多面体について語り尽くす。ケプラーが水星から土星までの6つの惑星の軌道を、5種のプラトン立体とそれに内接あるいは外接する球の組み合わせによって説明しようとしたという部分が興味深い。第3章「螺旋について」:冒頭では、ダンテの地獄の逆円錐構造が、バベルの塔の形の反転像であることに注意が引かれる。次にはピラネージ的空間という一つの迷宮が、ダンテの地獄に形象化された単なる崩壊や没落よりもっと怖ろしい、囚人に無限の歩行を強いる幾何学的迷宮であることが述べられる。第4章「ポリュフィルス狂恋夢」:15世紀イタリアの修道僧によって書かれ、ラブレー、ノディエ、ネルヴァルやイギリスのビアズレー、分析心理学のユングなど多数の文人、画家、学者たちに多大の影響を与えた、異教的イメージとシンボルに満ちた「アニマの小説」を紹介する。第7章「動物誌への愛」:古代の動物誌『フィシオログス』から、中世の動物誌を経て、現代ボルヘスの『幻想動物学提要』まで、動物誌への偏愛を語り尽くす。第9章「ギリシアの独楽」:前半では、フレーザーの説をひっくり返して、アドニスは「死んで再生する」穀物の神ではなく、没薬の樹から生まれた香料の神、誘惑者としての神であるとする新説を紹介する。後半では、古代ギリシアのエロティックな呪具イユンクスとロンボスについて考察する。第10章「怪物について」:パラケススと並ぶ16世紀の有名な外科医アンブロワズ・パレの著した『怪物および異象について』を紹介する。海の動物界は陸の動物界を正確に反映しているという神秘主義的信念から産み出された異形の怪物たちの数々。第11章「ユートピアとしての時計」:機械時計はユートピアのイメージそのものであり、あらゆるユートピア的構造の特徴を再現している。時計好きか時計嫌いかで、ユートピストかそうでないかが分かる。サドはユートピスト、ラブレーは反ユートピスト。第12章「東西庭園譚」:前半ではイギリスの風景式庭園が屋外の広い空間に実現された一種のマニエリスム的驚異博物館[ヴンダーカマー]であったと看破する。後半では、乾隆帝の命を受けて、イエズス会士ジェゼッペ・カスティリオーネが設計・建設した空前絶後の庭園「円明園」について語る。第13章表題作「胡桃の中の世界」:。)
澁澤龍彦『私のプリニウス』(とても楽しいプリニウス入門)、『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』(澁澤最後のエッセイ集。表題のエッセイは、咽頭癌で入院中、痛み止めの麻薬によって見た幻覚について語る。「『エトルリアの壷』その他」、「江戸の動物画」、「南方学の秘密」)、『夢のある部屋』(「貞操帯あれこれ」、「塩ラッキョーで飲む寝酒」、「建長寺・円覚寺」)、『世紀末画廊』(河出文庫。表題章である第1章よりも、第2章の「イマジナリア」の方が面白い。第3章「空想絵画館」中の力強いゴヤ論とギュスターヴ・モロー論も必読)、『快楽主義の哲学』(光文社カッパブックス、1965年。文春文庫、1996年。澁澤作品中では異色の一冊。大衆読者向けの偶像破壊的な快楽主義のすすめ。岸田秀が澁澤に乗り移ったみたいだ。今読んでも結構面白いが、 高度成長期という時代背景に注意するともっと面白いかも)、『太陽王、月の王』(時事、旅行、身辺雑記、個人の信条など自伝的要素も含む澁澤としては異色の本。「機関車と青空」では、珍しく戦時中の思い出を語っている。浦和の旧制高校の生徒だった澁澤は、敗戦までの1月間を大宮の工機部で機関車の整備を手伝っていた。汗と煤まみれになって機関車内部にこびりついた煤をタガネとハンマーで削り落とした。「架空対談サド」では、サドにむかって本当はマゾでもあったのではないかと質問したりしていて愉快である。)。『滞欧日記』(1970年、74年、77年、1981年の4回のヨーロッパ旅行の記録。無数の美術館、博物館、城、記念碑などを、龍子夫人を伴って見て回っている。絵の好みがよく分かる。またよく喰い、よく飲んでいる。1回目の旅行時はまだ円が安かったから、かなりハードなスケジュールをこなし、2か月間でヨーロッパの主要都市をあらかた制覇している。)。澁澤龍子『澁澤龍彦との日々』(2005年、白水社。結婚から澁澤の死までの18年間の回想。稀代の文学者の素顔について率直に語っていて、感動する)。
山口昌男『本の神話学』(中公文庫、1977年)(ヨーロッパ文化の地下水脈としてのユダヤ的伝統に光を当て、ルネッサンスと20世紀におけるその意義を強調する名著。特に、E・カッシーラーの象徴形式の哲学やE・パノフスキーの図像学等の起源が、ワイマール文化、とりわけアビ・ワールブルクの蒐集したワールブルク文庫に発することを論じた第1章「二十世紀後半の知的起源」)
山口昌男『道化の宇宙』(白水社、1980年, 講談社文庫、1985年)(堅苦しく窮屈な日常世界の論理を撹乱し、生の全体性を回復させるものとしてのカーニバル、道化の宇宙)
山口昌男『内田魯庵山脈』(晶文社、2001年。岩波現代文庫、2010年)(高浜虚子の小説「杏の落ちる音」と、それをめぐる魯庵の随筆「「杏の落ちる音」の主人公」を切り口に、雑誌『集古』に集った、旧幕臣系の市井の好事家、趣味人たち[西沢仙湖、林若樹、坪井正五郎、清水晴風、竹内久一、三村竹清]が作っていた、忘れられた知の水脈を掘り出す)。
山口昌男『敗者の精神史』()()。
吉本隆明『書物の解体学』(初版中央公論社、1981年。講談社学芸文庫、2010年。吉本が、近代日本最大の思想家であるだけでなく、近代ヨーロッパ思想をも凌ぐ、途方もない巨人であることが知れる。第1章「ジョルジュ・バタイユ」――近親相姦の禁止について、バタイユに寄り添い同時に批判しながら、独自の理論を打ち立てている――「[〈遠隔対象性〉とは]人間は、観念の過程にあるかぎり、つぎつぎに、より〈遠隔〉にあるものを、対象として志向するものだといった程度のことである」(8頁)。 「なぜ、近親姦の〈禁止〉は、未開の社会のある段階で普遍的に行なわれるようになったのか? それは〈家族〉の共同体が、〈氏族〉の連合体の内部で内閉的になり、凝縮して、独自な位相を占めるようになり、もはや、観念の自然過程としての〈遠隔対象性〉を〈家族〉の〈壁〉のところで阻止しうるまでに強固になっ[てしまっ]たので、近親姦の〈禁止〉は発生したのだ、と」(27頁)。 「〈近親相姦〉の〈禁止〉が、人類に普遍的に行われるようになったのは、いかに〈家族〉の共同体を維持することが、異常な価値をもったかの証左である」(32頁)。 「わたしならば〈近親相姦〉の〈禁止〉は、ただ、〈家族〉の共同性が、〈氏族〉の共同性とも、その連合である〈部族〉共同体ともちがった独自の位置を占めるようになった、ある未開の段階で、〈家族〉の共同性(それが共同性であるかぎりにおいて)がもつ規範的な性格からやってくる、というだろう」(50頁)。 「しかし近親相姦が禁止となっており、それが違犯としてしか考えられなくなったのは、けっしてバタイユのいうように、共同体や家族にとって暴威と見做されたからではなく、人類のエロティシズムにたいする内的な体験のつみかさねに依存している。つまり、あまりに過剰な観念としてのエロティシズムを踏みこえて、あまりに過少な肉体のエロティシズムの観念に到達する近親相姦が、徒労であることに眼覚めたにすぎない。これは、まったく人類の観念的な体験の世代的な累積の結果であって、暴力として共同体と個人とを破壊に導くから禁止されたわけではない。また、レヴィ=ストロースの考え方のように、近親相姦ほどエロティシズムの結果に氏族共同体的な利益が伴わず、氏族外婚ほど代償が共同体の利益としてもたらされるから、近親相姦が禁止されたわけでもない」(62頁)。 「〈母〉の存在が完全にひとりの〈母〉という意味を獲得したのは。もちろん近代以後であったろうが、存在とは関係なく〈母〉という名称は、種族の〈母〉という位相しかあたえられない前氏族的な段階では、まったく家族以前の共同性をおびた名称であるとともに、たぶん、エロティシズムのある中心の象徴性を占めていた。しかし〈母〉にとってのエロティシズムの牧歌は、その時期までしか唱われていなかったらしい。家族の共同性が、共同体の位相から脱落し、〈母〉の存在は個々の家族に密封された。この時期以前には、近親相姦のタブーは、おそらく禁制ではなく〈自然〉な慣わしに属しており、心的にはもっとも近いようにおもわれながら、エロティシズムの関係の総体からはもっとも遠い相互存在だったのである」(80頁)。 第8章「フリードリッヒ・ヘルダーリン」(親友のヘーゲルとともに、フランス革命に共感しそして失望しながらも、ギリシア的なるものへの信頼を失わなかったヘルダーリンの〈頌歌〉を、〈ドイツ国民詩人〉というハイデッガー的、さらには日本浪漫派的理解から救い出す試み――「この「声」は、ライン川の彼岸[革命に沸くフランス]から、きこえてきた「民衆」のものであるとともに、眠れるドイツの村落や街々で、潜んでいる無声の民の声でもある。この音に聴き入っているヘルダーリンは、孤独ではあるが、ハイデッガーのいうような、倦んで疲れ、喪失し、また「より経験を重ね」て、故郷へと帰ってゆく「さすらい人」でもないし、〈ドイツ的なもの〉に讃歌をささげる民族的詩人、かれのいう高貴な国民の詩人でもない。むしろ村落や街々を遊行し、ほがい歌を唄いながら喜捨を乞い、またも、つぎの村々や街々へと急いでゆく古代の伶人の姿に似ていると思わないか?・・・・・・私には、この詩人を崇高な詩人とみるよりも、遍歴する乞食詩人とみるほうがよいように思われる」(347頁)。 第9章「C・G・ユング」(ユングの集合的無意識と自らの共同性[共同幻想]の類縁性を認めつつも、ユングの予知夢の変遷を丹念に辿ることによって、その鋭さと危うさ[特に晩年のペテン性]を指摘する。ユングの思想の要点を以下のように簡潔にまとめている――「C・G・ユングの重要な心理学的な発想のひとつは、あるひとつの心的な反応が、それを惹きおこした原因にくらべて、不釣合なほど大きいか、あるいは小さいか、または歪んでいるときには、個体の心的内部の〈神語類型〉によって生じたものだ、という考え方である。この考え方の背後に、「女性原理」(アニマ)とか「男性原理」(アニスム)とかいう概念が登場してくるのは愉快ではないが、C・G・ユングの資質が、自身で証明していることは、個人の心的な世界が、ある共同性の象徴的な根源から、不釣合なほどの大きな圧迫を蒙るときには、心的な崩壊の過程に入り込むということである。この過程は、強迫症的な迷蒙→心的な異常→心的な病気といった道標をたどるだろうが、すくなくとも強迫症的な迷蒙のところでとどまるかぎりは、迷蒙と叡智とは同居できることを、C・G・ユングの場合が証明している。そして、ユングの〈神話〉理解は、こういう危い釣合の上で、鋭さを発揮しているようにみえる」(404頁)。また、ファシズム下での転向という現象を、ユングを使って説明している箇所が興味深い(402-403頁)。)
添田馨『吉本隆明、論争のクロニクル』(2010年、響文社。吉本と花田清輝、武井昭夫、埴谷雄高、鮎川信夫らとの論争の綿密な検討によって、吉本の思想の展開を跡づける。吉本隆明入門に格好の研究書)
四方田犬彦『ハイスクール・ブッキシュライフ』(2001年、講談社)(博覧強記の著者が高校時代に読んだ世界文学の名作15篇を50代になって再読。これはその記録であり、読書案内であると同時に、四方田氏であるから当然すぐれた文学論でもある。こんなに知的に貪欲な高校生がいたのだ!高校生、大学生にぜひ読んで欲しい。15歳までの読書遍歴をまとめた『読むことのアニマ』(筑摩書房、1993年)もお薦め。四方田氏は子供の頃オスカー・ワイルドの「幸福の王子」を読んで、ツバメをうっとうしく思ったらしいが、反対に筆者はこのツバメを限りなくいとおしく感じた記憶がある。同じ本を読んでもこうも違うものか。) 『日本の書物への感謝』(岩波書店、2008年)(著者の読み直しシリーズの一冊。幼年期から十代にかけて読んだ『古事記』から鶴屋南北まで日本の古典文学を再読する。興味深い知見、意外な洞察、ありがたい情報にあふれる。すぐれた読書案内。『源氏』の「宇治十帖」を「衰亡の相から眺められた世界のあり方」であり「テクストに総体として凋落の生を生かしめる」効果を持つとする見解が面白い。「十帖」はけっして未完の続編ではない。)
田中優子『江戸の想像力』(筑摩書房、1986年。ちくま学芸文庫、1992年。とりわけ、第2章「「連」がつくる江戸十八世紀」――薬品会、俳諧連、狂歌連、落語、東錦絵、絵暦、解体新書、銅版画。)
浅羽通明『アナーキズム――名著でたどる日本思想入門』(2004年、ちくま新書。日本のアナーキズム入門としてお薦め。著者はアナーキズムに関する日本語文献をほぼ網羅しているようだ。右でも左でもない立場からの議論が、スリリング。文体も軽快で、サービス精神にあふれ、楽しく読める。あっと驚く洞察だらけ――「強大な敵へ少人数で決死の殴り込みをかける仁侠映画のノリは、むしろアナーキストの領分だったと読める」(64頁)。松本零士の「『宇宙海賊キャプテンハーロック』は、どこまでもアナーキズムの精神にあふれる物語だった」(218頁)」。各章末尾の「読書ノート」は貴重)
若島正『乱視読者の新冒険』(研究社、2004年。1993年刊『乱視読者の冒険』の改訂新版。ナボコフ、グリーン、カルヴィーノ、ボルヘス論、書評、エッセイなどを集める。とくに1985年に野崎昭弘、はやしはじめ、柳瀬尚紀共訳によって邦訳出版された有名な某大著についての書評「カメのための音楽」は必読。こんなにアクロバティックで、抱腹絶倒させられる書評は読んだことがない)
村山淳彦(きよひこ)『エドガー・アラン・ポーの復讐』、未来社、2014年。(日本人によって書かれた最高水準のポー批評! 「黒猫」、「盗まれた手紙」、「メロンタ・タウタ」論がすばらしい。「黒猫」が、妻の黒く濃い陰毛を恐怖し嫌悪する話であったとは!)
北村崇郎『アメリカ』、筑摩書房、1990年。(黒人文学・文化研究者必読の書。著名な黒人文学・文化研究者による自伝的エッセイ集。日本人によるアメリカ黒人論として、右に出るものはないだろう。著者は1954年から3年間テキサス州オースティン・カレッジに、1962年から4年間、有名な黒人大学ハワード大学大学院に学んでいる。最初の留学において、テキサス州エルパソで人種差別の事実に出会って以来、ずっとアメリカの黒人問題を見つめてきた。2回目の留学ではワシントンDCの黒人街に居住し、多くの黒人と接し、親交を結んだ。自らクリスチャンでありながら、人種差別問題に目をつぶる中流白人キリスト教徒の偽善を告発する。その一方で、白人の後ろめたさにつけ入ろうとする一部の黒人たちにも厳しい。広く南部を旅行した際の記録も貴重である。晩年のLangston Hughesとの親交なども興味深い。南部が大きく変わった1970年代にアラバマの黒人大学と、テキサスの母校オースティン・カレッジで教えたときの話も面白い。同じ著者の『ブルースの彼方へ:黒人文学とその背景』[コリア評論、1969年]は、今から見れば「新批評」的なバイアスがやや気になるが、一方で80年代以降の文学研究を先取りしている部分もあり、日本人の手になる黒人文学史としては屈指の一冊であろう。長く絶版であるのが惜しまれる。『僕の見た中流のアメリカ人』[草思社、1985年]は、人種を問わずアメリカに多くの友人を持つ著者が見聞したミドル・クラスの生活を紹介してくれる。あるようで、なかなかない種類の本であろう)
亀山郁夫『甦えるフレーブニコフ』(晶文社、1989年)(忘れられたロシアの詩人フレーブニコフの研究書。膨大な資料と冴えまくる洞察と名文で未知の詩人のほぼ全貌を明らかにする。)
福田和也『奇妙な廃墟:フランスにおける反近代主義の系譜とコラボトゥール』(ちくま学芸文庫、2002年。「アクション・フランセーズ」紙の作家たち[シャルル・モーラス]など、第二次世界大戦中にナチス・ドイツに協力した文学者たちの系譜に関する浩瀚な学術的研究。過去に類書はなく、これからも日本でこれを越える研究は出ないだろう。T・S・エリオット、エズラ・パウンドの研究者の必読書。若手右翼論客の最初の文芸評論にして最後の研究論文。)
平川祐弘『中世の四季』(1981年。不世出の比較文学者によるダンテ論を15本集めた論集。第1部「『神曲の世界』」は、日本語で書かれた最上のダンテ入門。その他「ダンテにおける師弟関係」、「ダンテとジョット」など)。『ダンテ『神曲』講義』(河出書房新社、2010年。読売文化センターでの大部の講義録。これ以上の『神曲』論はもう出ないのではないか)。『ルネサンスの詩』(初版1961年。主として初期イタリア詩とフランスのプレアデス派のデュ・ベレー及びロンサールを、紹介しつつ論じる。特にデュ・ベレー論がすぐれる。著者の修士論文をもとにした本というから驚く)。『和魂洋才の系譜』(初版:河出書房、1971年。平凡社ライブラリー、2006年。)
沼野充義『徹夜の塊――亡命文学論』(ロシア文学といえばドストエフスキとトルストイしか知らない人間には目からウロコ何十枚の書。亡命文学の再評価により、まったく新しいロシア文学史の構築を目指す)
◆日本文学◆
本居宣長『うひ山ぶみ』(初学者のための学問入門書。国学の祖、本居宣長の名前を聞いただけで敬遠したがる読者も多いと思うが[筆者もそうだった]、意外にイデオロギー色は薄い上に、原文でも読み易い。21世紀の学問にも通じるものがある)。『排蘆小船(あしわけおぶね)』(和歌とは何かを問答体で説く。今日でもなお優れた和歌入門書)。『石上私淑言(いそのかみささめごと)』(『排蘆小船』を発展させた歌論書。さらにいっそう面白い)。『古事記伝』(宣長のライフワーク。絶版で入手困難な岩波文庫全4巻は部分訳)。
賀茂真淵『萬葉考』(天才学者の革命的な万葉論。巻八巻頭の志貴皇子の有名な「石激」は旧訓では「いわそそぐ」だったが、真淵が「いわばしる」とした。同様に人麻呂の「東野炎立所見而」は旧訓では「ひがしのにけぶりのたつみえて」だったのを、真淵は「ひむかしののにかぎろいのたつみえて」と訓んだ)
契沖『萬葉代匠記』(知の巨人の万葉論。今日の万葉研究の基礎を築く)
大野晋『古典基礎語の世界――源氏物語のもののあはれ』(角川ソフィア文庫、2001年、増補版2012年。平安時代の「モノ」という言葉についての考察。「ものさびし」「ものがなし」のモノは高校の古文では「なんとなく」と教わったが、そんな解釈では全然ダメだというのが大野の主張。「モノ」の世界の奥深さを教えてくれる得難い本。「モノ」の本来の意味の残滓はいまでも、「世の中はそういうモノだよ」、「あいつはモノの分からない奴だ」、相撲の「モノいひ」などに見られるとのこと。 大野は上代特殊仮名遣の発見者である橋本進吉の高弟。岩波の古典文学大系本『万葉集』では(特に第1巻の補注)、若き天才ぶりを発揮した。晩年は日本語が南インドのドラヴィダ語[タミル語]と祖語を共有するというトンデモな説を唱えて村山七郎らに批判されたが、この本では本来の国語学者の本領を発揮している。
阿部しょう人『俳句--四合目からの出発』(講談社学術文庫)(「本書はフロベールの有名な『紋切り型辞典』の始めて出来た日本版、日本人の誰も彼もが無意識のうちに陥る月並み表現の恐るべき均一性を、最も具体的にあばき立てる事に成功した稀代の名著であり、日本語論および日本人論をめぐる第一級の文献となっている」矢沢永一の書評)
寺山修司『戦後詩』(ちくま文庫)(たんに日本の戦後詩論にとどまらず、詩というものの本質に迫る卓越した詩論)
梅原猛『美と宗教の発見』(ちくま学芸文庫)
梅原猛『水底の歌』、『万葉を考える』、『歌の復籍』、『さまよえる歌集』(柿本人麻呂と万葉集をめぐるスリリングな論考。これほど文学批評の面白さを教えてくれる本も珍しいですね)
伊藤博「万葉集の生い立ち(一)〜(五)」、『新潮日本古典集成、萬葉集(一)〜(五)』所収。あるいは『万葉集の構造と成立』(塙書房)(書誌学、歴史学などを駆使して、万葉集成立の謎に肉迫。スリリングで面白いことこの上ない)
井本農一『芭蕉入門』(講談社学術文庫)(俳句がどのように生まれてきたかを、とても分かりやすく説明してくれます。)
中村幸彦『此ほとり一夜四歌仙評釈』(角川書店、1980年)(連句とはいかなるものかを、蕪村他の歌仙四巻の精妙な分析によって教えてくれる。だが難解)
山本健吉『芭蕉--その鑑賞と批評』(欧米の批評方法をも取り入れた洞察に富む作品分析)
山本健吉『万葉秀歌鑑賞』(折口信夫の甚大なる影響下に書かれた万葉論。斎藤茂吉の『万葉秀歌』と比較せよ。子規・アララギの写実主義・個人主義的万葉観の限界と、折口学の偉大さを感得できる。昭和40年代に本格化した学問的万葉集研究はその緒に就いたに過ぎない。これから50年の間には、どれほどの成果がもたらされることか!)
山本健吉『古典と現代文学』(講談社文芸文庫)(折口信夫の「女房文学から隠者文学へ」の強い影響下に、万葉集から俳諧までを10篇の短いエッセイで論じる。短い日本文学史。T・S・エリオットの評論など欧米の批評の影響も大きい。第1章「詩の自覚の歴史」は、後に同名の大著として出版される)
山本健吉『詩の自覚の歴史』(ちくま学芸文庫)(第2-5章:家持以来、人麻呂と赤人が並び称されて今日に至るが、万葉集では人麻呂と高市黒人を並置する傾向にある。この黒人を、人麻呂と対照しながら論じながら、黒人から赤人を経て家持に至る流れが、萬葉集の中で文学的に最も洗練された歌風であると説く。黒人の一首「何所にか船泊ですらむ安礼の埼漕ぎ廻み行きし棚無小舟」(巻1-58)を、折口説に沿って解釈してみせる第4章前半は圧巻である。第8章「大伴旅人の讃酒歌」:讃酒歌は、旅とが三つの外来思想、儒・仏・道に対して明確な態度を示したものとする。後の『三教指帰』の空海同様、思想選択の問題に最初に直面した知識人であった。第10章「山上憶良の思想詩」:山上憶良を社会派詩人というよりは、遵法精神に満ちた能吏と捉える。「惑情ヲ反サシムル歌」や「子等ヲ思フ歌」を、朝廷の発した禁令を、農民のために分かり易く噛み砕いた歌とする。第13-19章では大伴旅人の異母妹、家持の叔母、大伴坂上郎女を論じる。万葉集に多くの歌を残しながら、独詠歌を重んじるアララギ派に軽んじられた郎女の対詠歌すなわち社交詩を再評価している。折口民俗学に従って、郎女を、旅人亡き後、幼い家持が成人するまで、氏上に代わって大伴宗家を仕切った家刀自(斎き姫)と規定し、情操面と文学の上で家持の成長に絶大な影響を与えたとする。)
丸谷才一『後鳥羽院』(初版、筑摩書房、1973年。第二版、筑摩書房、2004年)(20世紀後半の日本の批評文学の白眉。「歌人としての後鳥羽院」では、欧米の批評方法も取り入れて、新古今を代表する後鳥羽上皇の秀歌を、卓抜かつ精緻な分析によって読み解く。「へにける年」では、新古今編纂をめぐる、定家と後鳥羽院というふたりの批評家・歌人の協調と確執を丹念かつ大胆に跡づける。「宮廷文化と政治と文学」では、折口信夫の「女房文学から隠者文学へ」に依拠して、上皇と定家の詩学の対立に宮廷文学の終焉を見出し、承久の乱を、宮廷という場と密接に結びついた古代文学を「救ふ手立てとしての反乱」と断ずる驚くべき創見を示す。「しぐれの雲」では、絶唱「わたつうみの波の花をば染めかねて八十島とほく雲ぞしぐるる」に、海の叙景と、恋と、帝王の政治的挫折という三重の層を読み取る。「隠岐を夢見る」では、折口信夫の「女房文学から隠者文学へ」の晦渋の裏に、釈迢空の、後鳥羽院と歌人北原白秋に対する密かな、だが激しい羨望を読み取る。驚嘆すべき卓見。著者には珍しく心理学を使っている。この本は、同じく折口と欧米批評に学んだ先輩批評家山本健吉が新古今を著しく低く評価したのとは対照的である)
丸谷才一『日本文学史早わかり』(第一部「日本文学史早わかり」は、従来の文学史の時代区分に代えて、二十一代の勅撰和歌集を主とする詞華集による時代区分を提唱する。「香具山から最上川へ」では、万葉巻頭の雄略の恋歌と続く舒明の国見の歌は、五穀豊穣を与祝する天皇の歌の呪術性をよく表しているとし、それが日本の詩歌の深層を脈々と流れ、芭蕉の国褒めの発句に至っているとする。「歌道の盛り」では、宣長や俳諧師の『新古今』への傾倒ぶりを豊富な例で示す。「雪の夕ぐれ」では、新古今の歌人たちにとって『古今』以上に重要な古典が『源氏』であったことを、定家の名歌「駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕ぐれ」の、驚嘆すべき洞察に満ちた読解によって示す。)
丸谷才一『恋と女の日本文学』(「恋と日本文学と本居宣長」では、古代日本が文化の上で大いに中国に負いながらも、こと文学における恋愛の取り扱い方において、なぜ両国が対蹠的であったかを考察。国学の創始者宣長が、いかにこの問題に辿り着き、いかにこの問題と格闘したかを、宣長の若き日の恋という伝記的脈絡を援用しながら痛快に論じる。「女の救われ」では、『平家物語』を怨霊慰撫と女人成仏の物語と規定し、転じて、『源氏物語』の末尾にも女人往生を見出している。壇ノ浦で海中から引き上げられた建礼門院と、入水後助け上げられ仏門に入った浮舟との間にパラレルを見ているわけである。日本文学における恋愛肯定と女性崇拝を、日本文化の基底に残っている女系家族制の記憶によるものとし、谷崎の『細雪』の成功もこの文脈で説明できるとする。)
丸谷才一『思考のレッスン』(文藝春秋社)(文学研究志望者にお薦めです。いつものように明快で遊び心にあふれた本です。編集者の質問に答えるという対談形式になっていますが、たぶん編集者の台詞も丸谷さんの文章ですね。)
丸谷才一『桜もさよならも日本語』(国語教科書批判、国語改革批判、日本語論、大学入試問題批判。大学教員必読)
丸谷才一、三浦雅士、鹿島茂『文学全集を立ちあげる』(文藝春秋社、2006年。文学全集なるものがまったく売れなくなったこのご時世に、架空の世界文学全集と日本文学全集を立ち上げようという試み。英米の批評界におけるキャノン批判がどれほど取り入れられているかという観点からはあまり期待できないが、この鼎談に集まったこの三人の有名人、よくもこんなに何もかも読んでいるものだと、呆れ果て、感心し果てる)
斎藤美奈子『妊娠小説』(ちくま文庫)(意表をつく分析手法[やりくち]もさることながら、パロディ[まねっことひやかし]だらけの文体が絶品。まあ、ちょっと乗り過ぎって時もありますが、著者もその辺は敏感で、さっと新しいパラダイムに転換するところが憎い。ナラトロジー、構造主義などもさりげなく利用しています。純粋な文学批評ではないが、1990年代の流行本の書評集『踊る読者』(文春文庫)もお薦め。シニカルだが嫌味のない毒舌が冴えわたる。『物は言いよう』(平凡社、2004年)も文学批評の本ではないが、丸谷才一の『輝く日の宮』のテクハラ性の指摘は鋭い。『戦下のレシピ―太平洋戦争下の食を知る』も同様だが、その徹底したリサーチには感服する)
橋本治『これで古典がよくわかる』(ちくま文庫)(これを読めば古典がすらすら読めるようになるわけではない。古典にも難しいの易しいのいろいろあり、その違いがどこから来るかを、中学生にもわかるように懇切丁寧に説く。漢字とひらがな交じりの日本語の書き言葉の由来がよくわかる。)
谷沢永一(たにざわえいいち)『紙つぶて--自作自注最終版』(文藝春秋、2005年)(1969年から83年までの書評455篇を集成した『完本・紙つぶて』をベースに、その一篇一篇に同じ分量の自注を施す。千頁の大部。辛口批評家の面目躍如だが、一方で、優れた本については、すぐにでも手にとって読みたい気持ちにさせる)
芳賀徹『詩歌の森へ--日本詩へのいざない』(中公新書)(万葉集から近代詩までのすぐれた手引書。日本の詩歌の何という豊かさ。未知の詩人、歌人、俳人がまだまだいる。日経に連載したコラムを集成。「折々の歌」の上を行く)
辻征夫(つじゆきお)『私の現代詩入門:むずかしくない詩の話』、詩の森文庫、思潮社、2005年。(大正、昭和の日本の詩についての格好の入門書。特に前半がすばらしい)
岡井隆『岡井隆の現代詩入門:短歌の読み方、詩の読み方』(思潮社、詩の森文庫、2007年。いまだに直観的、印象主義的、権威主義的な現代詩批評[時評]がはびこるなかで、この本の愚直なまで正攻法にこだわった徹底的に理詰めの読み方には学ぶものが多い)
篠田一士(しのだはじめ)『三田の詩人たち』(小沢書店、1987年。講談社文芸文庫、2006年。イギリス文学出身の稀代の学者批評家が、慶應義塾大学出身の文学者五人[久保田万太郎、折口信夫、堀口大學、佐藤春夫、西脇順三郎]と永井荷風を縦横に論じる。西脇以外、通常は「詩人」とは呼ばれることが少ない文学者をあえて詩人と呼んでいるところがミソである。講義録なので文章自体は平易で読みやすい。詩人や作品に明快な評価をくだすところがいつもながら安心できる。あとは読者は、言及された作品を読み篠田氏と己の感受性を比較するのみだ。おまけの荷風論が手が込んでいる。頼りなげな調子で始まり、珍しく期待はずれかと思わせておいて、途中から思わぬ展開と論の深化を見せ、読者を唸らせる。一貫して反自然主義的・反私小説的であるのが痛快である。池内紀による解説も秀逸) 『世界文学「食」紀行』(講談社文芸文庫、2009年。丸谷才一解説。巻末の土岐恒二作成の年譜は、死の直前に篠田自ら作った年譜に基づき、貴重)
中村真一郎『俳句のたのしみ』(初版、1990年。新潮文庫、1993年。近代詩に負けまいと崇高な芸術性を追求するあまり近代俳句が忘れてしまった洒脱、凡俗の俳諧精神を、炭太祇、大島寥太、黒柳召波、三浦樗良、高井几薫、加藤暁台、加舎白雄ら天明期の小俳人たちのロココ的な作品に再発見する。口調は抑制的だが、日常性を忘却した近代俳句、近代詩への痛烈な批判。太祇「春雨や昼間経よむおもひもの」、寥太「世の中は三日見ぬ間に桜かな」、暁台「冬ごもりうき世の道はたえだえに」、召波「憂きことを海月に語る海鼠哉」「灌仏や雲慶閑に刻けん」、几薫「梅散るや京の酒屋の二升樽」「花手折美人縛らん春ひと夜」「しばし見む柳がもとの小鮒市」、白雄「つれなしや秋立ころのあぶら旱」、上田無腸[秋成]の蕪村追悼の句「かき書の詩人西せり東風吹て」。第4章「文士と俳句」で紹介している漱石、鏡花、荷風らの俳句も面白い)
中村光夫・三島由紀夫『対談人間と文学』(1968年初版。講談社文芸文庫、2003年。対談、インタヴューの類は個人的にはあまり好きではないが、この対談は別。三島はもちろん、中村も自分の好き嫌いをはっきりさせているのがよい。第二部における私小説批判は痛快である。三島:「こだわりそのものが文学だという考えが、依然として強すぎる。」中村:「だから作家の身振りばかり重く見られて、芸のない作品が多い」。3年後の1970年の三島の自決事件を予感させる箇所があちこちにある)
塚本邦雄『定家百首・雪月花(抄)』(初版1973,1976年。講談社文芸文庫、2006年。前衛歌人が定家の秀歌を厳選。逐語訳がないので初級者向けとは言えない。裁断批評の恐るべき切れ味を見よ。本歌の詮索やintertexualityなどにかまけず、定家の超絶技巧のストイックで精密な分析に徹する。「わきかぬる夢のちぎりに似たるかな夕の空にまがふかげろふ」「移り香の身にしむばかりちぎるとてあふぎの風のゆくへ尋ねむ」)
ドナルド・キーン『能・文楽・歌舞伎』吉田健一、松宮史朗訳(2001年、講談社学術文庫)(英語読者向けに書かれた入門書だが、この分野に関するどの日本語の入門書にも優る。演劇少年だったキーンの情熱が伝わってくる)
藤井貞和『古典の読み方』(1998年、講談社学術文庫)(古典は「見ぬ世の友」。初心者向けに書かれた平易な本だが、単なる古典の入門書の域を越えている。初心者向けの情報とノウハウを提供するだけの本とは違う。古典そして文学を読むとはどういうことかを教えてくれる。読み易く、端正で落ち着きある名文が味わい深い。)
小松英雄『徒然草抜書--表現解析の方法』(『徒然草』の「つれづれなるままに」で始まるあまりにも有名な冒頭の一節を例にとって、だれもが研究し尽され、もう何の発見の余地もないと思い込んでいる古典の文章が、実は分からないことだらけであり、従来通説とされてきたものにも怪しいものが多いことを平易に、そしてときに辛口の口調で説く。眼から鱗の落ちることばかり。面白いことこの上もない。古典のみならずテクストの読み方を改めて考え直させてくれる名著中の名著)
三田村鳶魚「中里介山の『大菩薩峠』」(介山の時代考証と言語のいい加減さを徹底的に批判している)
吉本隆明『高村光太郎』(初版1956年刊。1991年、講談社文芸文庫に、それ以降の高村論とともに収録。吉本隆明の最初の批評的仕事だが、すでに怪物的な批評家の片鱗が見える。高村光太郎という「おそるべき」詩人を、あまたの資料を駆使し、一方でマルクスとフロイトを大胆に援用しながら、精密に論じ尽くす。高村を「一貫して思想と芸術とを生死の問題においてとらえた近代古典主義の最後の詩人」[p.172]と規定している。また「近代以降の日本の文学者、芸術家のなかで、宗教的といっていいような影響力をあたえている存在は、高村光太郎と宮沢賢治しかいない」とも言い切る。処女作のせいか、やや独りよがりな難解な表現も散見されるが、趣旨は明快である)
田中大士(ひろし)『衝撃の「万葉集」伝本出現--廣P本で伝本研究はこう変わった 』、はなわ新書、2020年。(平成5年に発見された萬葉集写本[定家書写系統本の忠実な写本]の研究。広瀬捨三氏[英文学者、関西大学元学長]がデパートの古書市で偶然手に入れた江戸時代の、一見どこにでもある写本がとんでもない大発見だった。著者は日本女子大の先生で、広瀬本研究の第一人者)。
田中大士『万葉集伝本の書写形態の総合的研究--論文編』
小川靖彦『万葉集と日本人』(角川選書、2014年)、『万葉集――隠された歴史のメッセージ』(角川選書、2010年)。(両書とも、一般読者にも手が出せそうな表題だ。実際、文章は平易である。しかしながら、内容的にはきわめて学術的レベルの高い萬葉論である。万葉学も専門分野が細分化しるが、この本はどの分野にも満遍なく目配りしている。著者は、やまと歌だけでなく和歌全般に通じている。古点、次点の評価をめぐる通説に修正を求めている。当代最高の万葉学者ではないか。)
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