The Dickinson
Homestead, Amherst MA, 1995
◆Emily Dickinsonに関する文献(主として過去25年以内のもの)◆
(Emily DickinsonはEDと略記。5段階で勝手に評価しています)
- ★★★★★ 武田雅子『エミリの詩の家:アマストで暮らして』(編集工房ノア、1996年)(Emily Dickinsonについて日本語で書かれた最もすぐれた本のひとつ。平易な、しかし練達の文章が冴える。入門書でもあり、同時にすぐれた研究書でもあるという稀有な本。アカデミックな研究に裏打ちされたフィールド・ワークの報告を中心とする。主に2回のAmherst長期滞在に基づいている。第2章のAmherstの町についての詳しい紹介がありがたい。体験しないと分からないような貴重な情報に富む。滞在中、著者はDickinson研究者のみならず、多くのDickinson関係者あるいはDickinsonファンとの交友を広げ、深めていく。Dickinsonの詩の言葉がいかに現在のニューイングランドの人々の間で生き続けているかが、実体験によって示される。著者はトップ・レベルのアカデミックな研究者であるが、熱狂的なDickinsonファンであることを微塵も隠さない。そのファンとしての興奮が、読む者に熱く伝わってくる。こういう研究は、研究者の能力だけでなく、人柄にもよるだろう。第5章は公開される以前のThe Evergreens[Austinの家]を内覧した際の報告であり、貴重である。著者自身によって英訳され、Massachusetts
Review XXXIV[1993]に掲載された。40篇ほどの詩が著者自身の日本語訳付で引用されているが、解釈はきわめて正確であり、訳文もよく練り上げられている。執筆時点までの最新のDickinson研究の成果を踏まえている。現在e-hon以外では入手困難。このような本が売れない日本の文化状況に落胆を感じる。多くの写真が使われているが、やや小さいのが残念である。大判のカラー写真にかえて再版されることを願う。)
- ★★★★★ Sharon
Leiter. Emily Dickinson: A Literary Reference to Her Life and Work.
(New York: Facts On File, 2007)(最新の研究を踏まえた事典形式の研究書。研究者必携。入門書としても最適。三部構成。第1部"Biography"と第3部"Related Persons, Places, and
Ideas"を読めば、ディキンソン詩の背景をひと通り知ることができる。第3部はRichard B. Sewallによる1970年の大部の伝記だけでなく、かなり立場の異なるAlfred Habeggerの最新の伝記My Wars Are
Laid Away in Books(2001)も広範に利用し、バランスのとれた記述を心がけている。第2部は主要な作品のかなり詳しいコメンタリー。)
- ★★★★★ Fred
D. White. Approaching Emily Dickinson: Critical Currents and
Crosscurrents Since 1960. (Rochester, NY: Camden House, 2008)(ED批評史。1862年から1962年までのED批評史を論じたKlaus LubbersのEmily Dickinson:
The Critical Revolution (1968)の類書であり、後継書。これまでのED批評を手軽に概観できる、ED研究初心者に必携の研究書である。1960年以降をカバーしている。批評方法を9つに分類し、それぞれを代表する研究書を紹介している。単なる批評書の梗概ではなく、それぞれの要所について簡潔かつ批評的に論じている。著者自身の洞察に富む見解もしばしば示される。例えばBarton Levi St. ArmandのEmily
Dickinson and Her Culture に代表される文化的文脈を重視するアプローチを紹介した章[5章]の末尾では、Beyond
Criticism (1953)におけるKarl
Shapiroの「文化と芸術は互いに敵であり、...もし詩人が文化の世界と歴史の世界から救い出されるべきだとしたら、詩人はまず第一に何よりも詩人としての自己に復位しなければならない。そのとき初めて詩人は、人から教えられたようにではなく、自分自身が現に見るように世界を見ることができる」という言葉を引用した後に、"How would a cultural critic respond to such a
charge?"[124]と問いかけている。)
- ★★★★★ Martha
Nell Smith and Mary Loeffelholz, A Companion to Emily Dickinson
(Blackwell, 2008)(500頁超の大部の論文集。★Aife Murray,
"Architecture of the Unseen"は、Dickinson家が雇った黒人やアイルランド人の庭師、メイドなどの実態調査を通じて、19世紀中葉のEDを取り巻く社会的経済的環境(物質的条件)の変化と、EDの詩や手紙における階級と人種(とくにアイルランド人)の表象について論じている。EDがもっとも多作だった1856-65年に家事を支えたMargaret O Brienと、その後任でEDがしばしば言及しているMargaret Maherが、EDにとっていかに重要な存在であったかが分る。EDはAmherstの同じ人種・階級の人々との接触を避けたが、下層階級のアイルランド人とは日常的な接触があり、とくに晩年は一部の使用人との人間的な触れ合いもあった。★Ingrid Satelmajer, "Fracturing a Master Narrative,
Reconstructing 'Sister Sue'"は、SusanはEDの死後、詩集編纂に失敗したというTodd--Bingham系の言説[Master Narrative]に抗して、EDの死後Scribner's MagazineとThe
Independentに3篇の詩を掲載させたSusanは、EDの死後出版に実は「成功」していたのだということを出版社の膨大なアーカイヴの調査により立証し、3篇の詩の掲載の経緯から、Susanが構想しながらも断念せざるを得なかった詩集が、HigginsonとToddによるPoemsといかに異なるものであったかを推定する。Scribner's
Magazineへの詩の掲載に尽力した人物と、同誌でHigginson, Todd編のPoems (1890)を酷評した書評者が同一人物であったという「発見」が興味深い。"Sister Sue"の復権を決定づける精密な研究論文。★Martha Nell Smith, "Public, Private Spheres"は、SmithやSusan Howe, Jerome McGann他の、EDの自筆原稿に見られる行分け、大文字と小文字の使い分け、スペースの空け方、そして"oddly angled dashes"などの視覚的要素を重視する立場と、Christanne Miller, Franklin他の、コンヴェンショナルなstanza formとmetricと、テクスト消費に不可避の印刷の制度を擁護する立場との対立において、後者がこの対立を"danger"や"war"といった言葉で特徴づけたことを批判し、ジョン・レノンの"Give Peace a Chance"を引用しながら、手稿研究がED研究にけっして有害でないことを唱える。とりわけSmithは、Betsy Erkkilaの"The Emily Dickinson
wars"を念頭に、それに対する反論としてこのエッセイを書いている。Smithによれば、EDは"publish"と"print"をはっきり区別し、自分の詩を"print"することは諦めたが、回覧や手紙に同封する形で自分の詩を"publish"したと考えていた。そのような手書きの形で"publish"された彼女の詩においては、視覚的な要素が詩的な意味を持っていた可能性があることを、Smithは主張している。すなわちEDにとっては、Susan Dickinsonとの関係は"public
sphere"に属していた。この観点からSmithはED研究にとってのSusanの重要性を、このエッセイの第2章"'Dickinson wars' 1"で強調する。ED研究初期の達成であるThomas H. JohnsonのVariorum Editionも、Richard B. Sewallによる大部の伝記The Life of EDも、Austin Dickinsonの愛人であったMable Loomis Toddの娘Millicent Todd
Binghamの影響下に編纂されており、Austinの妻であり、EDのもっとも重要な文通相手であり、文学上の友人でもあったSusanの重要性は不当に過小視され、あるいは無視されてきた。1990年代以降、主としてSmithらFeminist研究者たちによってSusanの再評価が進んだが、Smithは自分の学生との共同研究によって発見した興味深い事実を紹介してる。Susanの娘Martha Dickinson Bianchiは、1924年、EDの父親Edwardの末弟Samuel
Fowler Dickinson, Jr.を共通の祖父とするVirginia Dickinson
Reynoldsと文通を開始し、その後親交を結ぶ。このReynoldsがBianchiの死に際して書いた"Clad in
Victory"によれば、ジョージア州に住んでいた祖父Samuelも父親のLorenも、連邦からの「分離主義者」であって、Lorenは南部連合軍の一員として従軍した。激怒したニューイングランドの伯父たち(おそらくEDの父を含む)は生死を問わずLorenの捕縛に懸賞金を出したというのである。Smithは、こうして南北戦争をめぐってDickinson家が分裂した事実によって、EDが詩においても手紙においても戦争に関して比較的寡黙である理由が説明できるとしている。★Jane Wald, "'Pretty much all real life': The Material
World of the Dickinson Family"は、Cultural
materialistの立場で書かれた論文。The HomesteadとThe Evergreensに残されたobjectsから、EDを取り巻く物質的な環境を探る。とくに暖房設備の変遷が詩作に与えた影響の可能性や、19世紀後半に流行しDickinson家にも残る"souvenir spoons"について考察している。たしかに興味深いが、あまりに瑣末な議論に過ぎて、どこまでテクスト解釈に資するかは疑問。★Faith Barrett, "Dickinson's War Poems in Discursive
Context"は、南北戦争に直接、間接に言及したEDの詩を論じている。EDはAmherstから出征し戦死したAustinの友人Frazar Stearnsが、当時最新のライフル銃から発射された銃弾"minie ball"[1948年に仏人Claude
Etien Minieが発明]によって殺されたことを手紙に記している。Barrettはこの新発明の弾丸の殺傷特性と、(F518)"When
I was small, a Woman died -"の"Till
Bullets clipt an Angle / And He passed quickly round -"を結び付て論じている。非常に興味深いが、いまひとつ説得力に欠けるように思える。また、Barrettは、(F836)"Color - Caste -
Denomination -"が、北軍最初の黒人連隊を率いたColonel Robert
Gould Shawと黒人連隊の勇戦に言及した詩だと主張する。ShawはFort Wagner攻略戦において戦死し、ある南軍兵士は"We
have buried him with his niggers!"と嘲笑した。このことは、EDが購読していたSpringfield Republican紙を含め多くの北部の新聞によって大々的に報道された。これは、きわめて興味深く説得力ある説だろう。★Eliza Richards, "Dickinson and Civil War Media"は、他の南北戦争詩とEDの作品を比較し、"They [her Civil War
poems] repeatedly posit an insurmountable gap between civilians' vicarious
experience of the war, gained through newspaper reports and pictorial
representations, and soldiers' direct, physical, and largely unimaginable
experience of combat."[162] だとする。個々の詩の精密かつ説得力ある分析がありがたい。奴隷制に言及しているとされる2篇の詩(F548)"The Black Berry - wears
a Thorn in his side -"と(F1064)"As the
Starved Maelstrom laps the Navies"の分析も、主題の当否は別として、精緻をきわめる。★Nancy Mayer, "God's Place in Dickinson's Ecology"は、EDの作品世界におけるGodについて、"...whatever the religious beliefs of the biographical
Emily Dickinosn, the poet Emily Dickinson needs God as a trope..."と言い切り、この比喩としての神を三種類に、すなわち「ヨブの神」、「自然の女神」、「隣人としての神」に分類している。慧眼だろう。ただし、著者が例証のために挙げている詩の選択には感心しない。★Gudrun M. Grabher, "Emily Dickinson's Concept of
Time"は大して面白い論文ではないが、EDの作品世界における時間を三種類に分ける考え方は利用価値がありそう―"Three perspectives characterize Dickinson's conceptions
of time: first, that the poet attempts to define time against eternity and
immortality; second, that she looks at time measurement as a helpful means
of objectively structuring a human lifetime but simultaneously criticizes
its artificiality; and third, that she applies what Hawking calls
"imaginary time" or time as the psychological arrow when dealing
with the very personal and individual experience and perception of the
single moment, the now."[259-60]。また、EDの詩に頻出する"immortality"や"eternity"は時間の不在を表わすシニフィアンであって、彼女はそれを手段として用いて、時間の概念に接近しようとしているという指摘[260]も目を引く。この論文集のもうひとりの編者である★Mary
Loeffelholzの"Really Indigenous Productions:
Emily Dickinson, Josiah Holland, and Nineteenth Century Popular
Verse"もSmithの論文と並んで重要。ただし、新歴史主義的なアプローチを用いていて、やや難解(特に第4章)。第1章は、今日ではEDの知人編集者としてしか知られていないが、1858年の詩集Bitter-Sweetで詩人として一世を風靡したJosiah Hollandの受容と40年後のEDの受容とを比較している(EDはこの詩集を贈られて読んだにもかかわらず、評価した形跡はない)。"Not only did Bitter-Sweet
for a time exemplify literary values that Dickinson would come to embody
more securely in the American literary canon; Holland's poem also, I will
argue, in its own way historicized Emily Dickinson's emergence as a poet
before or as she emerged."という指摘が目を引く。第2章は長い物語詩Bitter-Sweetに登場する女性詩人RuthとEDとを比較している。RuthがEDをモデルにした直接の証拠はないものの、著者は多くの状況証拠を提示しており、興味を引く。第3章は、Bitter-SweetやElizabeth BrowningのAurora Leigh、LongfellowのKavanagh、Lydia Huntley SigourneyのLucy
Howard's Journalなどの当時のpopular verseの中心的な主題のひとつであった"the figure of the unpublished woman poet"が、EDの生き方のモデルとなり、また死後のED受容をも予め準備していた(preadaptation)ことを論じる。★Paul Crumbley,
"Dickinson's Uses of Spiritualism"は、19世紀半ばに、信仰復興運動[Revivalism]と同時期に広く流行したSpiritualismのEDへの影響を論じる。すぐれた論文には違いないが、賛否は人によって分かれるだろう。私的には、EDがSpiritualismをパロディーしている可能性はあると思う。仮に、EDがSpiritualismを意識していたとすれば、著者の次のような指摘はとても面白い―"In this sense, Dickinson was much more interested in what
the presence of the medium said about the culture she inhabited than in
any specific message the medium might actually communicate about that
culture or the world beyond."[244]。当時のFeminismの運動との関係と絡めて論じているのが注目される。また、末尾にはSpiritualismと関連あるとされる詩の一覧が付せられている。)
- ★★★★★
Vivian R. Pollak ed., A Historical Guide to Emily Dickinson
(New York: Oxford UP, 2004) ("Guide"と称しているが単なる入門書に留まらない。The Emily Dickinson Handbookと並ぶ重要な論文集。★"A Brief Biography"は、最新の研究成果に基づき、バランスのとれた内容。The "Master Letters"のMasterについて、My Wars Are Laid Away in Books: The Life of Emily Dickinson (2001)のAlfred Habeggerと同じく旧説に回帰して、Charles Wadsworthであるとしている点が注目される。収録された6本の論文のうちでは、Whitmanの研究者として有名な★Betsy Erkkilaの"Dickinson and the Art of Politics"が注目される。従来のED像を大きく塗り変えている。EDが父親と共に古いエリート主義的なフェデラリストの理念(ジョージ・ワシントンへの尊崇を伴なう)を信じ続けたとする:"Dickinson was a witty and articulate spokesperson for an
essentially conservative tradition, a late Federalist state of mind and
sensibility, which passed out of favor with the democratic
"Revolution" of 1800, when Jefferson was elected
president..." EDをprivate
poetとする立場に対して、Habermas的な意味での"public sphere"において人並み以上に活躍した人物と見る。また詩の出版を拒んだことについては,"her refusal to publish was not so much a private act, as
it was an act of social and class resistance to the commercial,
democratic, and increasingly amalgamated and mass values of the national
marketpalce"としている。第4節"Political
Interiors"では、EDが白人至上主義者であったと言わんばかりだが、この論文のベースとなった挑発的な先行論文"Emily Dickinson and Class,"(American Literary
History 4 (1992),1-27)では、もっとあからさまにEDの人種主義を論証しようとしている。Erkkilaの論文はいずれも、Kate Milletの Sexual Politics 以来、階級の壁を軽視しがちなアメリカのラディカル・フェミニストたちへの異議申し立てであり、性差の壁より階級の壁の方が高いことを説いたシモーヌ・ド・ボーヴォワールの立場への回帰を主張している。★Jane Donahue Eberweinの"'Is
Immortality True': Salvaging Faith in an Age of Upheavals"は、EDとキリスト教の問題を扱っている。この主題に関してこれまで書かれたなかで、もっとも優れた論文だろう。EDが何度も信仰復興運動(Revivalism)の波に晒されながらも最後まで回心(conversion)に抵抗した理由をさまざまな角度から探る試み。"Perhaps
Dickinson intuited the connection between submissive behavior fostered by
religion and the docility that would soon be expected of these young women
as wives in patriachally ordered Christian homes"(77)という説は重要。また、EDには原罪の教義に対する意識が一切ない一方で、魂の不滅(immortality)の問題には強い関心を持っていたというのも慧眼だろう。不信仰の原因が宗教[教会]自体にあるともされ、19世紀ニューイングランドの教会史が通観される。★Cheryl Walkerの"Dickinson in
Context: Nineteeth-Century American Women Poets"は、EDと同時代の出版された女性詩人[Rose Terry, Maria
Lowell]を比較し、同質性とEDの特異性の両方を論じている。EDの詩の多くがa poem about poetryでもある点が、他の女性詩人たちと違いModernism詩を先取りしているとする。"I felt a
Cleaving in my Mind -"や"Split the Lark -
and you'll find the Music -"など詩の具体的な分析に優れる。★Shira
Woloskyの"Public and Private in Dickinson's
War Poems"EDの詩のほぼ半数が南北戦争中とのその直後に書かれたことに着目し、従来考えられた以上に戦争への直接的間接的言及が多いことを例証しようと試みている)
- ★★★★★ Gudrun
Grabher, Roland Hagenbuchle, and Cristanne Miller eds. The Emily
Dickinson Handbook (Amherst: University of Massachusetts Press,
1998) (20世紀末までに出版されたなかで最も優れた論文集。近年のED研究の金字塔。もちろんED研究者必読。★Gary Lee Stonum, "Dickinson's Literary Background"は、EDの詩の文学的背景研究について論じた精妙な論文であり、とりわけその慎重で多面的な方法論には学ぶべきものが多い。★Marietta Messmer, "Dickinson's Critical Reception"は、1890年代から今日に至るまでの代表的な研究の概要を紹介し、意義を論じている。非常に有用な論文である。同じように優れた論文は、Robert Weisbuch, "Prisming Dickinson, or Gathering
Paradise by Letting Go," とChristanne Miller,
"Dickinson's Experiments in Language." ★Judith
Farr, "Dickinson and the Visual Arts"は、従来指摘されて来なかった観点が興味深い。EDと当時の視覚芸術とのありうべき接点を網羅的に論じている。ただ、一般に美術と詩と比較の場合止むを得ないが、状況証拠に頼りすぎている。ただ、Hudson River Schoolとの関連は説得力がある。★ほかに推奨できるのは、Martha Ackmann, "Biographical Studies of Dickinson,"
Jane Donahue Eberwein, "Dickinson's Local, Global, and Cosmic
Perspectives," Martha Nell Smith, "Dickinson's
Manuscripts," David Porter, "Searching for Dickinson's
Themes." )
- ★★★★★ Wendy
Martin ed. The Cambridge Companion to Emily Dickinson
(Cambridge: Cambridge UP, 2002)(最新の論文集。ED研究者必読。★David S. Reynolds, "ED and Popular Culture"が刺激的で興味深い。当時の教会の説教スタイルの変化の観点から、EDとWadsworthの関係を見直しているのが注目される。Lydia SigourneyらのSentimental Poetryや、当時流行の扇情小説の影響の指摘なども新鮮である。ほかに推奨できるのは、★Betsy Erkkila, "The ED Wars"[Austinの土地やEDの原稿等をめぐるDickinson家とTodd家の「戦争」に始まり、textをめぐる最近の論争までをMarxist的観点から論じた優れた論文。Shurr, MaGann,
Howeを批判する舌鋒は鋭い], ★Christopher
Benfey, "ED and the American South"[表題を見ただけでは意外な感じがするが、読むと納得させられる], Martha Nell Smith, "Susan and ED: Their Lives, in
Letters," Shira Wolosky, "ED: Being in the Body." )
- ★★★★★ Clark
Griffith. The Long Shadow: Emily Dickinson's Tragic Poetry
(Princeton, NJ: Princeton UP, 1964) (初期ED批評を代表する名著。実存主義批評。EDをメルヴィルと同じく、"tragic vision"を持ち、かつそれに"resist"した作家と捉える[p. 7]。 "Introduction"の冒頭で、"I
never saw a Moor -"と"I know that He
exists."を比較し、後者[EDの詩には珍しく無韻]の優位が論を待たないくらい自明であるのに、メロディアスながら陳腐かつあまりに安直な前者がもてはやされてきた従来のED受容のあり方を厳しく批判する。Griffithは後者の詩に"frozen horror"[p. 7]を見出している)。
- ★★★★★ Betsy
Erkkila, The Wicked Sisters: Women Poets, Literary History &
Discord (New York: Oxford UP, 1992)(第2章"Emily Dickinson and the Wicked Sisters"は、EDが手紙と詩のやりとりによって作られた女友達たち世界に生きた詩人であり、なかでも重要だったのが後に兄嫁となるSusan Gilbertとの精神的同性愛の関係であったと主張する。EDはこの邪悪な姉妹たちでつくる世界を、神と男が支配するキリスト教的男性優位社会と区別し、自ら悪魔的なものと称していた。この章の末尾は同年発表の論文"Emily Dickinson and Class"の一部を利用しており、マルクス主義的な立場から、EDの女たちだけの世界の探求が当時の民主主義と産業革命の進展等と深く関係しているとする。第3章"Dickinson, Women Writers, and
the Market Place"の第1節も"ED and Class"と重複しており、EDが詩の出版を拒否したのは、当時の出版界の民主主義化と商業主義化を嫌ったからとする。第2節以降では、EDが商業主義に媚びるアメリカの女性作家よりも、ブロンテ姉妹、エリザベス・ブラウニング、ジョージ・エリオットらイギリスの女性作家たちに共感を持っていたことを具体的に示す)
- ★★★★★ Northrop
Frye, "Emily Dickinson." Fables
of Identity (1963)(短いがすぐれたED論。特に、第3章は宗教的な詩群における隠喩の体系を見事に解明している。)
- ★★★★★ 武田雅子編訳『エミリの窓から:Love Poetry of Emily Dickinson』(蜂書房、1988年)(恋愛詩のアンソロジー。時間をかけて練り上げられた名訳)
- ★★★★★ Jerome
Liebling, Christopher Benfey, Polly Longsworth, Barton Levi St. Armand, The
Dickinsons of Amherst (UP of New England, 2001) (Liebling撮影の写真集に、他の3人のエッセイを加えた本。大判の写真によって、Amherstの町、The Dickinson Homestead, The Evergreensの外観と内部、肖像、家具、遺品等を眺め、19世紀当時の生活をしのぶことができる。★最初のエッセイ、Polly
Longsworthの"The 'Latitude of Home': Life in
the Homestead and the Evergreens"は、最新の研究成果を踏まえた、2段組27頁に及ぶ、かなり詳細な伝記。★2番目のエッセイ、Barton Levi St. Armandの "Keeper of the Keys: Mary Hampson, the Evergreens, and
the Art Within" は、Martha Dickinson Bianchiの秘書・同伴者であったAlfred Hampsonと、Martha死後の1947年に結婚し、5年後の夫の死後はひとりThe Evergreensを40年近く守り続けたMary Hampsonとの面談の記録。著者は10年以上の間、Amherstに通い続け、仕事を越えた友情関係の中で、彼女から直接ED、Sue、そして主としてMarthaの物語を聴き、Hampson夫人が管理する貴重な文書類を調査する。1988年の彼女の死後、The Evergreensを保存・管理する機関Martha
Dickinson Bianchi Trustの設立に努力する。Sue-Bianchi-Hampson側は、いわゆる"The war between the houses"において、原稿、遺品、遺産の管理をめぐって、Todd-Bingham側と激しい確執を繰り広げた。代表的伝記The
Life of EDの著者Richard B. Sewallは、後者の立場に立った。St. Armandは前者を情報源としながらも、前者を無批判に擁護することはなく、SewallやPolly Longworth等によるAustin-Todd関係についての研究も暗黙裡に尊重しながら、この「戦争」の内幕を、別の公平な角度から考察している。最後の生き証人との直接のやり取り、未公開のものを含む第一級の資料の調査など、EDの文学遺産発掘の生の記録であり、非常に興味深い。名著ED
and Her Cultureと同様、格調の高い名文である。この本の白眉。★3番目のエッセイ、Christopher Benfeyの"'Best Grief Is
Tongueless': Jerome Liebling's Spirit Photographs"は、この本に収録された写真を撮影した著名な写真家Lieblingの紹介から始まり、Dickinson家およびTood夫妻と写真との関わりについて随想風に語る。Mabel Toddの夫で、Amherst Collegeの天文学教授だったDavid Toddが、天体観測に写真術を導入したパイオニアのひとりであり、火星に運河を発見したと主張した天文学者Percival Lowell(モダニスト詩人Amy Lowellの兄)や、発明家エジソンとも親しかったこと、Mabelが夫の日食観測旅行に同行して二度日本を訪れ、外国人女性として初めて富士山に登ったこと、彼女自身、写真を撮られるのも、自らカメラで撮るのも好んだことなどの事実が注目される。)
- ★★★★★ Barton
Levi St. Armand, ED and Her Culture (New York: Cambridge UP,
1984) (EDの詩の文化史的背景についての克明な研究書。しかしながらEDを当時の文化に還元し過ぎて、その詩人としての屹立性を見失わせる傾向があるように思う)
- ★★★★★ Paula
Bernat Bennett, "'The Negro
never knew': Emily Dickinson and Racial Typology in the Nineteenth
Century"(Legacy Vol.19, No.1 [Lincoln, NE: Nebraska UP,
2002]) (EDにおける人種主義についての論考。Emily Dickinson: The
Woman Poet によって1970年代のEDのキャノン化に貢献した著者は、あるとき大学院の授業でDickinsonの"The Malay - took the Pearl"を朗読している最中に、EDの人種主義に突然気づく。それまで何十回も読み、論じたこともあったにもかかわらず、なぜ気づかなかったのかという深刻な疑問に始まり、19世紀のアメリカにおける人種主義、Dickinson Industryの隆盛の功罪、19世紀の他の女性作家研究の必要性、等について、自己反省を含めて真摯な考察が展開される)
- ★★★★★ 古川隆夫 『ディキンスンの詩法の研究:重層構造を読む』(研究社出版、1992)(内外の800点余りの文献を渉猟し、代表的な詩についての諸家の解釈を網羅的に紹介している。日本のディキンスン研究者にとって必読の書)
- ★★★★★ Elizabeth
Spires and Claire A. Nivola(pictures), The Mouse of Amherst
(New York: Farrar, Straus and Giroux, 1999) (絵本だが大人も楽しめる。Emilyの部屋に越してきたネズミのEmmalineが、Emilyの書いた詩を盗み見て、自分も詩を書き出し、Emilyと詩の交換が始まる。ある日、Thomas W. Higginsonが訪ねて来る。Emilyに、「詩の出版は見合わせるように」と言うのを聞いたEmmalineは、Higginsonの頭上のマントルの花瓶を落とすのだが・・・)
- ★★★★★ 新倉俊一 『エミリー・ディキンスン:不在の肖像』(大修館書店、1989)(日本のED研究の第一人者が、最新の文学理論をも使いながら、新たなED像を構築している)
- ★★★★★ David
Porter, Dickinson: The Modern Idiom Cambridge, MA: Harvard
UP, 1981.(名著。有名な"My Life had stood - a Loaded
Gun"について画期的な解釈を打ち出している)。
- ★★★★★ Martha
Nell Smith, Rowing in Eden: Rereading Emily Dickinson
(Austin: Texas UP, 1992.)(EDがその詩の1/3を送った義姉Susan Dickinsonを彼女の"literary
mentor"として再評価し、詩作品を手紙やfasciclesから切り離してきた従来の方法を批判し、詩を同封された手紙のコンテクストに戻して体系的に読み直す試み。)
- ★★★★☆ Cynthia
Griffin Wolff, Emily Dickinson New York: Knopf, 1986.(浩瀚な伝記。詩の解釈にも多くの紙幅を割いている。しかしながら詩の分析については、すべてを説明しようとする意志が過剰。先行する研究を無視している場合もある。「トンデモな」解釈もあり。またあまりに饒舌で、少々辟易する)
- ★★★★☆ Judith
Farr ed., Emily Dickinson: A Collection of Critical Essays
(Upper Saddle River: Prentice Hall, 1996) (最新の論文集ではなく、80年代と90年代前半の代表的な論文、あるいは研究書の一部を集めたもの。Farrの「序文」は簡潔でかつ有用な情報に富み、ED入門に最適。Martha Nell Smith, "The Poet as Cartoonist: Pictures Sewed
to Words"では、high literatureを指向するHigginsonとToddの3冊の詩集からは排除されたED自身の漫画付の詩の分析を通して、EDの「ユーモラスな側面」を論じる。)
- ★★★★☆ 岩田典子『エミリ・ディキンスン:愛と詩の殉教者』(創元社、1982年)(出版時点までの先行研究を踏まえた伝記。女性史研究の成果を一部取り入れている。文章はとても読みやすく、要所で引用される詩の日本語訳も秀逸。ただし、現在から見ると、SueとToddについての評価は、Todd-Bingham側に立つRichard Sewallの伝記に負い過ぎている)
- ★★★★☆ 野田壽『ディキンスン断章』(英宝社、2003)(『英語青年』や紀要などに発表されたさまざまなテーマの論文をまとめた本。第1章と第7章が面白い。第1章「略伝」は2002〜2003年時点までの英米の最新の研究成果を踏まえたすぐれた小伝。ただし、Richard B. Sewallの The Life of ED (1974) への信頼は厚く、近年のフェミニズム批評による伝記のrevisionには同意していない。第7章「Private Poetの遺産--原稿をめぐる諸問題」は、JohnsonとFranklinの本文校訂の仕事とfasciclesをめぐる諸問題を扱った短いが、すぐれた論考。)
- ★★★★☆ 嶋崎陽子『アメリカの詩心:ディキンスンとスティーヴンズ』(沖積舎、1998年)(急逝したDickinson研究者による英文と和文の論文を、関係者が編纂したもの。なかでも、R. W. FranklinのThe Manuscript
Books of ED、いわゆるファクシミリ版に基づくfasciclesの研究論文が興味深い。ただ、主としてテーマの変遷の観点からの考察であり、技巧の成熟過程の分析は弱い。)
- ★★★☆☆ 亀井俊介編訳『対訳ディキンソン詩集』(岩波文庫、1998年)(代表的な50の詩篇を収める。税込み定価600円足らずで、お買い得な本である。「序文」は入門用を超えた優れたED論だが、最近の学問的成果と比較すれば、ややED像が穏健に過ぎるような気がする。訳は、従来ありがちだった女性言葉の使用を避けた、よく練られたものである。ただし、解釈の誤りが散見されるのが気になる。特にJ245,J280,J303の解釈の誤りは深刻と思われる。英米の代表的な(しかも古い)研究書さえも参照されていない場合がある。)
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- ★☆☆☆☆ 中内正夫『エミリ・ディキンスン--露の放蕩者』 (南雲堂、1981年)(読むに堪えるのは最初の3章のみ。それも詩と手紙と研究書の翻訳のつなぎ合わせである。その間に散発的に表明される著者自身の見解は、まったく取るに足らない。)
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Links
Emily Dickinson
日本エミリィ・ディキンスン学会
Emily
Dickinson Electronic Archives(ED資料を集成した電子アーカイヴ。ED研究者必見)
Emily
Dickinson Journal
The
Poetry of Emily Dickinson read by Laura Lee Parrotti(朗読ファイル)
Selected
Poems of Emily Dickison read by Becky Miller (Librivox)
Emily Dickinson(詩の全テクスト)
The Dickinson Homestead
(Home of Emily Dickinson)
Reckless
Genius(Galway Kinnell主催のBBSディスカッションが興味深い)
1890年刊のPoems fisrt series
1891年刊のPoems second
series
1896年刊のPoems third series
30曲ほどのEnglish Hymnsが聴ける(YouTube)