一昨年、大規模な北斎展が東京国立博物館で開かれた。これによって北斎の全貌を知ったと思っていた。ところが、それはまったくの誤りであることが、今回の東京江戸博物館の北斎展でわかった。出島に滞在したオランダ人たちが、北斎の肉筆風俗画を入手し、祖国に持ち帰っていたのである。これらの風俗画は、現在、オランダ国立民族学博物館とフランス国立図書館に所蔵されており、今回これらが初めて同時に里帰りしたので、今まで知らなかった北斎を知ることになったのである。
展覧会は、第一部「北斎とシーボルト」と第二部「多彩な北斎の芸術世界」の2部構成。
第一部の肉筆画は今まで観てきた北斎の絵とはかなりの距離がある。画題は人間中心である。色鮮やかである。一部の絵では、遠くのものが小さく描かれており、しっかりとした水平遠近法がとられている。「本当にこれが北斎か?」と一瞬思うが、会場には北斎の類似作品が並列に展示されており、だんだん「やはりこれも北斎なんだ」と自分にいいきかせるようになってくる。以下にメモした図録の冒頭のマッティー・ケラー氏論考「葛飾北斎とシーボルトの出会い」を読んでその思いをいっそう固くした。
1.出島のオランダ商館長ブロムホフと書記官フィッセル: 二人とも日本の文物のコレクションを行っていたが、1822年の江戸参府の際、北斎に絵画作成を依頼し、オランダ製の紙を提供した。
2.その頃の北斎: 1822年に一人の娘を失い、年長の娘の離婚などもあって、絵の制作状況はスランプ状態であった。この依頼品の作成は1824年暮ごろから始まったと考えられる(今回の絵の一つ《節気の商家》の大福帳にこの年号が描き込まれているため)。
3.次のオランダ商館長デ・ステューレルと商館医シーボルト: 4年後の1826年に北斎より依頼の絵を受け取っている。二人はこれを欧州に持ち帰り、現在パリとライデンに保存されている。
4.シーボルト・コレクション: 15点すべてがオランダ紙に描かれ、現在「ライデン国立民俗学博物館」に保管されている。これらにはすべて西洋画の影響がある。一部には魚屋北渓が描いたと思われるものもあるが、ほとんどは北斎本人によって描かれたものとされている。欧州人の依頼だったので、自分にも洋風画は描けるといった北斎の気概が感じられる。
5.デ・ステューレル・コレクション: 25点がフランス国立図書館に寄贈されているが、1点を除いた24点は和紙に描かれている。パリのものでは、肖像画↓のような一部の例外を除けば、西洋の影響が観られない。これらパリ作品の下絵が、今回大英博物館から出展されているが、これらは魚屋北渓が描いたもののようだとのこと。
6.後期北斎作品への影響: 欧州注文作品に出ているイメージはその後数多く使われており、北斎の大発展の契機となったのではあるまいか。
第二部にも良いものが出ていた。ジョサイア・コンドルの旧蔵品《四季耕作図屏風》、30年ぶりで公開された《松下群雀図屏風》、長らく展覧会に出品されなかった《端午の節句図》、《韓信の股くぐり》などがそれである。狂歌絵本、読本、絵手本などが沢山オランダに保存されていることに、今更のように感心した。《八十三歳自画像》もオランダから里帰りしていたが、とてもユーモラスなジイサンである。
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