日本美術散歩 07-5 (海外美術は別ページ)

北斎 07.12
肉筆広重展 07.12      

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肉筆広重展ー初代から四代まで: 大田記念浮世絵美術館

広重:日光三滝 日光山裏見ノ滝・日光山霧降ノ滝・日光山華厳ノ滝 今年は初代歌川広重の150回忌ということで、あちこちで広重展が開かれている。大田記念浮世絵美術館には、天童織田藩の財政難を救うために制作された初代広重の肉筆画群をはじめとする優品に加えて、二代から四代までの肉筆画が揃っている。広重の肉筆画は淡く静かな画が多い。強い青や近くの物体が主張する版画とは対照的に色は薄く、構図も穏やかである。

 お気に入りは、名所絵では、ポスターになっている初代広重の、《日光三滝 日光山裏見ノ滝・日光山霧降ノ滝・日光山華厳ノ滝》、《京高尾山雨の紅楓、京洛雪中往来、京嵯峨渡月橋夜ノ花》。

 美人画では、《京嵐山大堰川 東都隅田川》、《橋下屋根舟の女図》。 その他《鯛、海老、鰹》も面白かった。初代広重はお金に困っていたようで、無尽をやっていたという証拠の文書が出ていた。これは最近発見されたものであるという。初代広重の遺書が3本出ていたが、そのうち2本に次の句が入っている。「死んでいく 地ごくの沙汰は ともかくも あとのしまつは 金しだいなれ」。3本目の遺書には、葬儀の詳細が書かれていた。それでも、武士として死ぬことを望んだようである。

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平常展: 東京国立博物館

 1.洛中風俗図屏風(舟木本) 洛中洛外図は70点以上あり、16世紀に描かれた狩野元信の描いた町田本(歴博甲本)・歴博乙本・狩野永徳の描いた上杉本は見ている。
 17世紀にはいると、洛中洛外図は、左隻の中央部に二条城を描く第二の定型が成立する。この中で絵画として高い評価を受けているのは舟木本(東博本)である。これは郊外を捨てて、市外の活況に焦点をしぼっている。この屏風が、平常展に出展されている。辻惟雄「カラー版日本美術史」の表紙絵ともなっている有名作品である。空いているところで、単眼鏡を使いながらゆっくりとこの名品を独占できるのは幸せである。先ごろの京博の「永徳展」の上杉本の前の状況と比べると、天と地の差がある。しっかりと残っている色彩、2500人を越す登場人物のエネルギー、歌舞伎の六条河原や遊里の三筋町の賑わいなどに圧倒される。屏風の筆者は不詳であるが、この屏風室の中央に配置され、左に長谷川等伯の《瀟湘八景図屏風》、右に伝岩佐又兵衛筆の《故事人物図屏風》を従えているのは、まさに横綱の貫禄である。

2.《月次風俗図屏風》: これより古い16世紀の作である。明るい色遣いで、第1扇は正月の羽根突,毬打,松囃,第2扇は花見,第3・4扇は田植の模様が大々的に描かれる。第5扇は賀茂競馬と衣更,第6扇は犬追物と蹴鞠,第7扇は富士の巻狩,第8扇は春日社頭の祭と雪遊びである。庶民・武家・公家など各階層のものが一枚の屏風となっている。

3.与謝蕪村《山野行楽図屏風》 これは18世紀の作。中国の三人の旅人と四人の高士を描いたノンビリとした日常的な風情である。

4.狩野元信《祖師図》: 大仙院の障壁画だったもので、唐代の禅僧の事跡を描いている。右は「香巌撃竹」で、掃除をしていた時に、瓦のかけらが竹に当たって響く音を聞いて大悟した場面。左は「大萬送大智」。

渡辺崋山:佐藤一斎(五十歳)像5.渡辺崋山《佐藤一斎(五十歳)像》 崋山の儒学の師の肖像画。佐藤一斎の「言志四録」に小泉純一郎総理が衆議院での教育関連法案の審議中にについて触れて知名度が上がった文がある。「少にして学べば、則ち壮にして為すことあり、 壮にして学べば、則ち老いて衰えず、 老いて学べば、則ち死して朽ちず」少なくとも数十度の下絵を経ての入念な作であることが、新日曜美術館(ドナルド・キーン氏出演)で話されていた。徹底した写生による西洋画のような陰影法がほどこされている。辻惟雄「日本美術の歴史」によると、『完成画より、対象にじかに向き合った下絵のほうがモデルの内面把握にすぐれ、かれの鋭い人間観察を示している』と書いて、《佐藤一斎稿 第二》の画像を掲載しているが、比較してもそれほど変わらない。ここは絵師の完成作を重視すべきであると思う。 1821年の作というから、先日オランダから里帰りした北斎派の肖像画の作成年代(1822-26)と近い。比較してみると大変似ている。

6.前田青邨《京名所八題(都八題)》: にじみの効いた墨絵。原三渓が愛した作品だったという。なるほど大したものだ。

7.浮世絵: 喜多川歌麿《橋の上下》は6枚続の見事な大判、同《姿見七人化粧・びん直し》は鏡の中に映る美人、北斎《子供をからかう美人》は水面の空摺が美しい。

8.特集陳列「古代の輝き 西アジアのガラス器」 東洋館のこの陳列台だけが異常に美しい光を放っている。全陳列品を載せた素晴らしいカラー・パンフレットも置いてある。写真は、アフガニスタンの台付リュトン。

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現代絵画の展望ーそれぞれの地平線: 鉄道歴史展示室+Breakステーションギャラリー

山本麻友香《skull of dog》 休館中の東京ステーションギャラリーの企画展。会場は2ヶ所に別れているが、入場は無料。小規模ながら、現代絵画の断面をとらえている。


1. 旧新橋停車場 鉄道歴史展示室

 ■ 入るといきなり篠原有司男の2点。強烈な色彩が目に飛び込んでくる。《バクハツならまかし説け》ピンクのバスがひっくり返り、人間や蛙の姿がそこここに見える。《バミューダ島の乗合バスの天井にトカゲが》は、バスの内部の暑い人間模様と、鉄枠の外の熱帯の風景で、天井のトカゲもはこの画面に溶けこんでいる。大分前に、同じカリブの島、セントトーマス島に行ったことがあるが。空港からホテルまでは、このような鉄枠の乗合タクシーだった。その蒸し暑さは一通りではなかったことが思い出された。もうコリゴリ。
 ■ 山口啓介の《ミミの心臓》のミミとはなんだろうか。心臓はかなり具象的に描かれ、白いところには不思議なひび割れが見られる。この画家の得意な層の工夫なのだろう。
 ■ 辰野登恵子の《Pink Line・Purple lineV》では、手前の枠と奥の枠の重なりとせめぎあい、堀浩哉の《Place・8》では、手前と黄色の曲線と奥の黒の曲線の重なりとせめぎあいという点で共通のものを感じた。
 ■ リー・ウーファンの白地に灰色の□を描いた作品が二つ出ていた。横浜美術館の個展でも沢山みたが、あまり強い印象は受けなかった。ちょっと飽きたということだろうか。
 ■ 小林孝旦の作品《Path in the forest》は、薄い緑系の色で統一され、やわらかな光を浴びている。その中を一本の道が通っていくが、東山魁夷の《道》を思い出す。この展示室のベスト。
 ■ 曽谷朝絵の《Prism》。美しい絵である。神様が天上から地上を見下ろしているような視角である。緑の魚、赤い魚が泳ぎまわり、蝶や動物の頭も見下ろしている。画面全体が虹色で構成されており、水紋や水滴も描かれているような気がする。プリズムによって光が分解されると、このような景色になるのだろうか。
 ■ 丸山直文の《October》も良かった。湖の水面に林の投影が映り、小さなボートと二人の人物が見られる。平面的で日本画の感覚があり、現代美術といっても異物感がまったくない。

2. 上野駅正面口ガレリア2階 Breakステーションギャラリー
 ■ 曽谷朝絵の《Circles》は、虹の環の重なりである。奇麗な画である。何を想像したらよいか分からないが、駅のようにそれぞれの人生を抱えた人が通る場所には、このようになんとなく和む画が合っているのかもしれない。
 ■ 山本麻友香《skull of dog》は異次元の少年の画。不思議な耳、片目の周りの大きな隈、そして手には犬の白い頭蓋骨。こういった少年が現れたら、今の子供は友達になれるだろうか。駅という場に展示されているのだから、そこを通過する子供たちに聞いてみたい。

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鳥獣戯画がやってきた: サントリー美術館

 
鳥獣戯画:甲巻  まず《鳥獣人物戯画》の甲・乙・丙・丁をざっと観た。すべて後半の展示であるので、丙も動物である。やはり甲>乙>丙>丁である。

 次章の「失われた姿を求めて−鳥獣戯画復元の旅へ」が今回の展覧会のハイライトだった。ホノルルの《鳥獣人物戯画絵巻 長尾模本》と梅沢記念館の《住吉模本》、さらに2点の《探幽縮図》や今日は出ていなかったが3点の断簡によって、甲巻の本来の姿を再構成としていたのである。


 おおよその私の理解では、次のようで、とりあwず「動物に託した風俗画」と考えておくこととする。


   @ 馬に乗った兎と鹿に乗った猿の競争(住吉模本)
   A 水遊びの場面(高山寺甲本)
   B 賭弓遊びの場面(高山寺甲本)
   C 祭礼の場面(断簡5)
   D 相撲遊びの場面(高山寺甲本)
   E 双六遊び・首引き遊び・高飛びの場面(長尾模本)
   F 法会遊びと僧正への布施の場面(高山寺甲本)
   G 草合せ遊びの場面(高山寺甲本)
   H 田楽舞いの場面(高山寺甲本+長尾模本)
   I 蛇の出現(長尾模本)


 解説の結論が、「主題の読解は私たちの想像力と考察力に託されているのだ」なっているので一つ考えてみたい。

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北斎−ヨーロッパを魅了した江戸の絵師: 東京江戸博物館

 一昨年、大規模な北斎展が東京国立博物館で開かれた。これによって北斎の全貌を知ったと思っていた。ところが、それはまったくの誤りであることが、今回の東京江戸博物館の北斎展でわかった。出島に滞在したオランダ人たちが、北斎の肉筆風俗画を入手し、祖国に持ち帰っていたのである。これらの風俗画は、現在、オランダ国立民族学博物館とフランス国立図書館に所蔵されており、今回これらが初めて同時に里帰りしたので、今まで知らなかった北斎を知ることになったのである。

北斎工房:提灯張り 展覧会は、第一部「北斎とシーボルト」と第二部「多彩な北斎の芸術世界」の2部構成。

 第一部の肉筆画は今まで観てきた北斎の絵とはかなりの距離がある。画題は人間中心である。色鮮やかである。一部の絵では、遠くのものが小さく描かれており、しっかりとした水平遠近法がとられている。「本当にこれが北斎か?」と一瞬思うが、会場には北斎の類似作品が並列に展示されており、だんだん「やはりこれも北斎なんだ」と自分にいいきかせるようになってくる。以下にメモした図録の冒頭のマッティー・ケラー氏論考「葛飾北斎とシーボルトの出会い」を読んでその思いをいっそう固くした。

1.出島のオランダ商館長ブロムホフと書記官フィッセル: 二人とも日本の文物のコレクションを行っていたが、1822年の江戸参府の際、北斎に絵画作成を依頼し、オランダ製の紙を提供した。

2.その頃の北斎: 1822年に一人の娘を失い、年長の娘の離婚などもあって、絵の制作状況はスランプ状態であった。この依頼品の作成は1824年暮ごろから始まったと考えられる(今回の絵の一つ《節気の商家》の大福帳にこの年号が描き込まれているため)。

3.次のオランダ商館長デ・ステューレルと商館医シーボルト: 4年後の1826年に北斎より依頼の絵を受け取っている。二人はこれを欧州に持ち帰り、現在パリとライデンに保存されている。

4.シーボルト・コレクション: 15点すべてがオランダ紙に描かれ、現在「ライデン国立民俗学博物館」に保管されている。これらにはすべて西洋画の影響がある。一部には魚屋北渓が描いたと思われるものもあるが、ほとんどは北斎本人によって描かれたものとされている。欧州人の依頼だったので、自分にも洋風画は描けるといった北斎の気概が感じられる。

5.デ・ステューレル・コレクション: 25点がフランス国立図書館に寄贈されているが、1点を除いた24点は和紙に描かれている。パリのものでは、肖像画↓のような一部の例外を除けば、西洋の影響が観られない。これらパリ作品の下絵が、今回大英博物館から出展されているが、これらは魚屋北渓が描いたもののようだとのこと。

6.後期北斎作品への影響: 欧州注文作品に出ているイメージはその後数多く使われており、北斎の大発展の契機となったのではあるまいか。

 第二部にも良いものが出ていた。ジョサイア・コンドルの旧蔵品《四季耕作図屏風》、30年ぶりで公開された《松下群雀図屏風》、長らく展覧会に出品されなかった《端午の節句図》、《韓信の股くぐり》などがそれである。狂歌絵本、読本、絵手本などが沢山オランダに保存されていることに、今更のように感心した。《八十三歳自画像》もオランダから里帰りしていたが、とてもユーモラスなジイサンである。 

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