海外美術散歩 91-92 (日本美術は別ページ)
アムステルダム美術館 91.9 | ゴッホ美術館 91.9 | クレラミューラー美術館 91,9 | ブリヂストン美術館 91,9 |
安田火災美術館 91.9 | ボナール展 91.10 | ワズウォース展 91.11 | ルーブル展 91.11 |
ヴラマンク展 91.11 | 企業コレクション展 91.11 | ミレー展 91.11 | キスリング展 91.12 |
ブリュッケ展 91.12 | ローランサン展 91.12 | 村内美術館 91.12 | 東京富士美術館 91.12 |
マルケ展 92.1 | スペインレアリズム展 92.1 | ミロ展 92.2 | バルビゾン展 92.3 |
ゴッホ展 92.4 | サンフランシスコ展 92.4 | シャガール展 92.4 | ゴーギャン展 92.4 |
アシュモリアン展 92.6 | 伽耶文化展 92.7 | ムンク展 92.7 | ケルン展 92.7 |
オランダ風景画展 92.8 | ユトリロ展 92.9 | ハプスブルグ展 92.9 | 楼蘭王国 92.9 |
英国風景画展 92.10 | 国立西洋美術館 92.10 | ボストン(モネ)展 92.10 | マルモッタン展 92.10 |
ひろしま美術館 92.10 | エルミタージュ展(1) (オランダ) 92.10 | 松岡美術館 92.10 | 大原美術館 92.10 |
ベル・エポック展 92.11 | モジリアーニ展 92.11 |
目 次 ↑
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エル・グレコの「受胎告知」は素晴らしい。ピサロの「りんご採り」、クールベの「秋の海」はきれいで私は好きだ。ホドラーの「樵夫」は有名だ。私が結構好きなデユフィーの「ドーヴィルの競馬場」はフォーヴの色彩だし、カンジンスキー、クレー、ポロックと続く。 児島虎次郎の選別のよさが感じられた。日本の画家では、藤田嗣治の「舞踏会の前」の中の女性のかっきりと見開いた目が凄かった。関根正二の「信仰の悲しみ」も印象的だ。(1992.10t) 私は、この時はM先生と二人で学会を抜け出して出かけた。日本にもこんな素晴らしい美術館があることにいたく感激した。エルグレコの「受胎告知」、ロートレックの「マルトX夫人の像」、ゴーギャンの「かぐわしき大地」、もローの「雅歌」、セガンティーニの「アルプスの真昼」、ホドラーの「樵夫」などは素晴らしかった。ミロ、ニコルソン、フォートリエ、ポロック、フォンタナ、スラージュ、フランシス、ジョーンズなどの現代絵画も勉強になった。日本の洋画も素晴らしい作品が多く、古代エジプト・中国の美術の他、バーナード・リーチ、富岡憲吉、河合寛次郎、浜田庄司の焼物、芹沢・棟方の作品など圧倒的な迫力であった。 二人で酒屋に入り、量り売りの地酒を飲んだ。M先生はその酒の入った陶器の壷が面白いといって、仙台の自宅まで送らせていた。学会を抜け出した好い1日であった。(1992.10a) |
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特にルノワールの「リュシュアン・ドーテの肖像」、ドンゲンの「マヨルカの女」と「ナッシュ夫人の肖像」、藤田嗣治の「聖誕」と「少女と鳥篭」、シャガールの「婚約者」が印象的であった。(1992.10a) |
エルミタージュ美術館展-17世紀オランダ・フランドル絵画: 東武美術館
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このオランダ・フランドル展はカテリーナ2世のコレクションが中心になっているといわれ、レンブランド、ハルス、ダイク、ルーベンスの素晴らしい油彩画の他に、40点のレンブラントのエッチングをまとめて観られたことも嬉しかった。 また右図は、今回の展覧会で特に評判になった画である。古代ローマで、キモンという男が餓死の判決を受けた。彼の娘ベラは、牢獄の父を訪れ、牢番に隠れて父に自らの乳を吸わせて死から救ったのである。(1992.10a) |
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学会を抜け出して、有名なひろしま美術館に出かけた。素晴らしいフランス近代美術作品の連続で本当に驚いた。しかもこれが地方銀行の所有と聞といてさらに驚いた。銀行=金貸し業というイメージからほど遠いメセナ事業である。 その他、藤田嗣治の「裸婦と猫」や素朴派のボーシャンの「人物」もよかった。(1992.10a) |
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特に晩年のものは、白内障手術による青視症のためか、やけに青味を帯びていたり、あるいは視力が落ちたためか、抽象絵画まがいの作品も多く、高齢になるまで手術を続けて問題を起こした外科医ザウエルブルッフの悲劇と似た状態になったのではないかとの感じをもった。(1992.10a) |
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上野の国立西洋美術館は今年ルーブル美術館展でも行ったばかりであるが、企画展の時には、特に古い作品の展示が撤去されているので、企画展のない時期を選んでその全貌を観に行ってきた。 |
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毛織物の一部も出てきたが、その模様は波形、花模様、格子柄があり、色もとても3000年前のものとは思えぬ鮮やかさである。特にペアの鴨の文様の錦はすばらしい。(1992.9a) |
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しばらく前に見た17世紀オランダの風景画とくらべてみると、明らかに光の量が多い。印象派の先駆ともいえるイギリスの風景画を観ていると、のんびりと英国の片田舎を旅行しているような気がする。(1992.10a) |
ユトリロ展:大丸ミュージアム
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ユトリロはパリ生れであるが、なぜかエコールドパリという異邦人画家と一緒にされているようである。これは女流画家で恋多き女であったシュザンヌ・ヴァラドンの私生児で、彼自身アルコール中毒であったということと無関係ではないと思われる。彼の画はどれも似た様式で、しかも絵葉書を見ながら描いたなどということを知ると、有名な「白の時代」のものを含め、あまりこちらに強く訴えてくる迫力がない。 |
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17世紀はオランダの黄金期であるが、そこで市民に愛された風景画が、今回の主題である。ロイスダール、ホイエンらの多少暗い感じの風景画は、レンガの壁に非常に良く似合っていた。(1992.8a) |
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今回は伽耶という名前に惹かれてここに入った。韓国の古代文化というと高句麗・百済・新羅の三国は有名であり、任那も古代日本との関係で知っているが、伽耶という古代王国があったことは今回初めて知った。 展覧会の副題は「よみがえる古代王国」となっており、チケットに一部が示されているような出土品が沢山あり、やはり韓国の文明は当時のわが国よりも進んでいたことが見てとれた。(1992.7a) |
ドイツ絵画ーバロックから印象派まで(ケルン市立美術館): そごう美術館
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当然のことながら、フランスの近代絵画はドイツにも伝播し、見事に開花していることが良く分かった。 ロマン派のフリードリッヒの「雪中の樫の木」はあくまで淋しく、印象派のウーデの[庭にいる画家の三人の娘」は明るすぎるぐらい明るく、リーバーマンの「馬に乗った男女」はいかにも軽快であった。(1992.7a) |
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有名な「吸血鬼」をはじめ、女性と男性が織り成す官能的で神経症的ともいえる画が並んでいる。彼の前半生は神経衰弱であったとのことである。 後半生には故国ノルウェーで安定した生活をしていたそうであるが、この時期の画にも精神を病む面が現れている。環境によっても遺伝子は変わることが出来ないのであろう。(1992.7a) |
線と色彩の美学ー19世紀フランス・ドローイング展(アシュモリアン美術館): ステーションギャラリー
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しかも非常に有名な作品の素描がいくつも並んでいるのであるからたまらない。 特に第2次大戦で失われてしまったというクールベの油彩「石割りの少年」は、その後小説の題材になっただけに、その素描は珠玉のように感じられた。 またマネの「草上の昼食」の人物だけの素描の出来も秀逸であった。(1992.6a) |
ゴーギャンとル・プルデュの画家たちー新たなる芸術を夢見て: 横浜美術館
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目黒区美術館は家からそれほど遠くない。散歩を兼ねて40分ほど歩くとこの美術館に着く。 油彩はごく僅かであったが、「ヴィテブスクの冬の夜」などは素晴らしかった。これは赤い馬に乗った新婚のベラとシャガールが雪が積もった故郷の町を飛んでいく画である。 連作版画「悪童たち」、「サーカス」、「以心伝心」、「1980年の大判リトグラフ連作」はいずれもおもしろかった。(1992.4a) |
レンブランドからセザンヌまでーサンフランシスコ美術館: 東京都美術館
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特に1.スペインとイタリアの絵画、2.オランダとフランドルの絵画、3.イギリスの絵画、4.17・18世紀のフランス絵画、5.19世紀のフランス絵画、6.19世紀のフランスの素描、7.彫刻、8.タペストリーのしっかりと分類されて展覧されていたので、実際にサンフランシスコにいったような気がした。 私自身、サンフランシスコに3回も行っていながら、このような至宝を見逃していたとは・・・カタログの出来栄えも見事で、これは永久保存版であると感じられた。(1992.4a) |
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ゴッホが日本びいきであったのは有名な話であるが、日本人のゴッホ好きも格別である。今回はこの関係を探るもので、一つには広重の浮世絵の模写[日本趣味・雨中の橋」と彼が所有していた浮世絵51点が出品されている。もう一つは安田火災が48億円という巨費を投じて購入したゴッホの「ひまわり」が特別出品されているのである。さらにこの展覧会に合わせて営団地下鉄のメトロカードも出されており、私たちも思わず買ってしまった。こんなカードはたぶん死蔵されるのであろうから、商売上手である。 |
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バルビゾン派は日本人好みであり、しばしばこの展覧会が開かれる。今回も90点の作品が並べられていて、勉強になったが、残念なことにその所有者が明らかにされていない。エコノミック・アニマルの日本人が買い漁った作品が多いため、所有者が明らかにされないのであれば、不愉快なことである。(1992.3a) |
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ミロという画家の名前もその当時は私は知らなかったと思う。考えてみるとその年はバルセロナオリンピックの年なのでこの美術展が行われたのであろう。(1992.2t) |
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有名なプラド美術館から来たものが多いのは当然であるが、グラナダ美術館から来た「食用アザミのある静物」などは写実主義の極致であるように思われた。 西洋美術の奥深さの一端をかいま見たようであった。(1992.1a) |
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この美術館は千波湖の水辺という素晴らしいロケーションにある立派な建物である。経済大国ニッポンの力も地方都市まで及んできたということか。中には、中村彝のアトリエも保存されていた。 |
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ちょっと不思議な感覚の洋館で、ゆったりと建てられていた。内部には印象派、ロココ絵画など優れた作品が並んでおり、エミール・ガレの作品もあった。今回は中国陶磁の展覧が企画されていた。そのためかカタログに載っているバロック以前のものは展示されていなかったので、是非もう一度来てみたい。 帰りはバスで八王子八日街1丁目まで行き、商店街で夕食の買い物をして、京王線で帰った。(1991.12a) |
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美術館は家具店のビルの中にあり、バルビゾン派の絵画の宝庫であった。企業コレクション展で観たコローの「ヴィル・ダブレーのカバスユ邸」という素晴らしい作品もここにあった。感激の再会。 小さな図書室があり、そこでちょっと休んでいると、女店員?がお茶をだしてくれた。感激。こんな企業であれば、頭の固い公的美術館に寄託するよりも、企業内美術館として公開する方がずっとよい。村内家具に感謝。(1991.12a) |
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この展覧会は目黒区美術館という小さなところで開催されたのであるが、このようなところにも外国の有名な作品が来る日本という国は、本当に経済大国になったとしか云いようがない。(1991.12a) |
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それどころではない、彼がユダヤ系ポーランド人でエコールドパリの有力な一員で、モジリアニの親友であったことも、この展覧会で初めて知った。 中でも「オランダの少女」の鮮やかな彩りは決して忘れることののできない輝きを保っている。(1991.12a) |
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場所は、東京都庭園美術館である。建物も庭も素晴らしい。展示作品もバルビゾン派、印象派、野獣派、エコールドパリにいたる19-20世紀フランス絵画のすばらしいものが揃っていた。特に良かったのは、コローの「ヴィル・ダヴレイのあずまや」、カバネルの「若い女性の肖像」、ルノワールの「レースの帽子を被った少女」、モネの「ジヴェルニーの積藁」・「雪の中の家とコルサース山」・「日本の橋」、ゴーギャンの「小屋の前の犬」、ゴッホの「アザミの花」、コランの「輪を持つ少女」、マンギャンの「半裸で横たわるジュヌヴェーヴ」、パスキンの「黒っぽい服を着た少女」、ルパージュの「若い夫人の肖像」、ビュッフェの「黄金の花」などであった。 カタログを買ってきて楽しんでいるが、これも所有企業を利する浅はかな行為であったのかもしれない。このような作品は、公的な美術館に寄託して、常設的に公開しておくべきものであると思う。もちろんそのためには税法上の優遇措置も考えねばならないかもしれない。いずれにせよわが国の芸術支援の貧困さを考えさせる展覧会であった。(1991.11a) |
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行ってみると、ちょうどブラマンク展が開かれていた。ブラマンクの風景画は暗い灰青色の強いものが多く、あまり好きな画家とはいえないが、これも西洋絵画の勉強と思ってみてきた。 美術館自体は小さく、宿泊客は無料ということであったが、ガラ空きの状態なので、何時まで持つのか心配になった。(1991.11a)
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ゴヤからマチスまでーワズウォース美術館: 伊勢丹美術館
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伊勢丹美術館で、アメリカ最古のワズウォース美術館150周年記念展が開かれた。オランダから帰ったばかりの美術躁状態のわれわれ夫婦は、このような美術展は絶対見逃せなくなってしまっている。新宿の伊勢丹デパート別館のエレベーターで昇ったところが伊勢丹美術館である。クレラミューラーで目が肥えてしまっているためか、このようなデパート美術館は素晴らしい画を陳列する環境としてはいかにも貧弱に感じられる。大体火災でも起こったら・・・とおもうとゾットする。 |
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![]() 美術展かぶれは相当なものになってきた。横浜のそごう美術館でボナール展があると知るや、急いで東横線に乗って出かけた。もともとボナールの光り輝く色彩が大好きで、学生時代に、カレンダーのボナールの画をスクラップブックに張っていたことがある。今回の展覧会のなかでは、「サクランボを食べる子供」の画が一番良かった。彼の画の色彩は本当に豊潤であるが、彼の眼が他の人とはまったく違う感受性を有していたのかもしれない。(1991.10a) |
![]() ![]() ゴッホの「ひまわり」のうち二つが日本に来た。その一つは戦災で焼けてしまったが、もう一つが新宿の安田火災東郷青児美術館にある。相変わらずのゴッホかぶれで、これを見に出かけた。ゴッホとセザンヌとゴーギャンが並べて別室に陳列されている。58億円も投資された「ひまわり」は流石に迫力がある。ここでの発見はグランマ・モーゼスに遭遇したことで、その素朴さに驚かされた。日本にもなかなか良い美術館がある。(1991.9a)
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オランダで美術に目ざめたためか、日本に帰ってくるや東京駅の近くのブリヂストン美術館に出かけた。考えてみると、学生時代に伯父に連れられて来たことがあり、父が出かけるときには「京橋の近くだった」などと教えたこともあったが、それも大分昔のことでほとんど忘れている。中に入ってみて日本にもこれほどのコレクションがあったということに今更ながら驚いた。金7000円也の立派なカタログを買い込んで帰り、自宅でもしばらく余韻を楽しんだ。自宅の美術館ファイルには、ゴッホの「モンマルトルの風車」とセザンヌの「セントビクトワール山」の絵葉書が挟んだあるところをみると、とんだ後期印象派かぶれになってしまったらしい。(1991.9a) |
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その日は特別に早起きして、路面電車で駅に行った。ヨーロッパでは路面電車がまだ現役のところが少なくない。アムステルダム中央駅は東京駅のお手本となった駅だけにあまり外国という感じはしないが、切符を買う時には日本語でというわけにはいかない。運賃を出して、ツゥ・リターンティケッツ・トゥ・アーネムというと、窓の向うの若い駅員さんが黙って切符を二枚渡してくれた。行き先の駅名をアルンヘムと読むのか、アーネムと読むのか分からなかったのであるが、通じればもうどちらでもよい。 |
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![]() ![]() 国立アムステルダム美術館へ連れて行ってくれた市内観光バスはお昼ごろ美術館の前で解散となった。昼食は美術館のカフェテリアでキッシュを食べ、国立ゴッホ美術館へと向った。といっても両美術館は広い芝生の庭を挟んで向かい合っているだけなので、歩いてすぐの距離である。入館に際し、カメラや荷物をすべて預けさせるという物々しいセキュリティであった。 ゴッホ美術館ではちょうどジャポニズム展の最中で、浮世絵を模した有名な画が何枚も並んでいた。「ラ・クローの収穫」は米国滞在中にボルチモア美術館で開かれた「ゴッホ展」でも観たので2度目のご対面であるが、これにも富士山のような山が小さく描き込まれており、なんとなく日本の田園風景を思い起こさせる。もちろんあまりにも有名な「ひまわり」などには圧倒された。(1991.9a) |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 学会でアムステルダムに行った。早速乗った市内観光バスが国立アムステルダム美術館へ連れて行ってくれた。 |