海外美術散歩 91-92 日本美術は別ページ

アムステルダム美術館 91.9 ゴッホ美術館 91.9 クレラミューラー美術館 91,9 ブリヂストン美術館 91,9
安田火災美術館 91.9 ボナール展 91.10 ワズウォース展 91.11 ルーブル展 91.11
ヴラマンク展 91.11 企業コレクション展 91.11 ミレー展 91.11 キスリング展 91.12
ブリュッケ展 91.12 ローランサン展 91.12 村内美術館 91.12 東京富士美術館 91.12
マルケ展 92.1 スペインレアリズム展 92.1 ミロ展 92.2 バルビゾン展 92.3
ゴッホ展 92.4 サンフランシスコ展 92.4 シャガール展 92.4 ゴーギャン展 92.4
アシュモリアン展 92.6 伽耶文化展 92.7 ムンク展 92.7 ケルン展 92.7
オランダ風景画展 92.8 ユトリロ展 92.9 ハプスブルグ展 92.9 楼蘭王国 92.9
英国風景画展 92.10 国立西洋美術館 92.10 ボストン(モネ)展 92.10 マルモッタン展 92.10
ひろしま美術館 92.10 エルミタージュ展(1) (オランダ) 92.10 松岡美術館 92.10  大原美術館 92.10
ベル・エポック展 92.11 モジリアーニ展 92.11    

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モジリアニ展: 東武美術館

 

モジリアニ:ジャンヌ・エビュテルネ 三越、伊勢丹、小田急、西武、そごうなど通常のデパート美術館は、かなり上の階にあるため、一旦火災が発生すると、展示品を運び出すことが困難になるという理由で、重要な作品はデパート美術館には貸し出されない。池袋のデパートの中にある東武美術館は珍しく1階にある。このため東武美術館には良い作品が来る。

今回はモジリアーニである。エコール・ド・パリの中心人物、イタリア生れのハンサムボーイ、そして結核による早死に、さらにその翌日、妻のジャンヌ・エビュテルネの飛び降り後追い自殺とくれば、もう小説の主人公である。高校の学園祭で上映された「モンパルナスの灯」は、この夭折した画家へのオマージュである。 モジリアーニといえば、特有の細長い顔、そして滅多に目を描かないのであるが、今回出品された作品の中には、しっかり目が描かれたジャンヌ・エビュテルネの像があり、本当に清楚な美人に描かれていた。(1992.11a)


ベル・エポックのパリ: 大丸ミュージアム

 

ルノワール:団扇を持つ少女 19世紀後半から20世紀初頭にかけての平和の時代の華やかな作品を集めた展覧会である。パリのカルナヴァレ美術館のものが多かったが、世界各地からも好作品が集められており、それなりも見ごたえであった。心惹かれた画家としては、ベロー、フォラン、ゴッホ(ルクサンブール公園のテラス:クラーク・アート・インスティチュート)、ミュシャ、ロートレック、ルノワール(団扇を持つ少女:クラーク・アート・インスティチュート)、アンクタン、セムなどであるが、なかでもベローがこの時代の代表者であるような感じがした。

この時代は、一方では世紀末の不安定な時代ともいわれるのであるが、これはこの時代における貧富の差が著しかったことと無関係ではあるまい。(1992.11a)


大原美術館

 

主人の学会行きに連れていってもらい、初めて岡山の地を踏んだ。大原美術館にはかねがね行ってみたいと思っていた。

エル・グレコの「受胎告知」は素晴らしい。ピサロの「りんご採り」、クールベの「秋の海」はきれいで私は好きだ。ホドラーの「樵夫」は有名だ。私が結構好きなデユフィーの「ドーヴィルの競馬場」はフォーヴの色彩だし、カンジンスキー、クレー、ポロックと続く。

児島虎次郎の選別のよさが感じられた。日本の画家では、藤田嗣治の「舞踏会の前」の中の女性のかっきりと見開いた目が凄かった。関根正二の「信仰の悲しみ」も印象的だ。(1992.10t)

私は、この時はM先生と二人で学会を抜け出して出かけた。日本にもこんな素晴らしい美術館があることにいたく感激した。エルグレコの「受胎告知」、ロートレックの「マルトX夫人の像」、ゴーギャンの「かぐわしき大地」、もローの「雅歌」、セガンティーニの「アルプスの真昼」、ホドラーの「樵夫」などは素晴らしかった。ミロ、ニコルソン、フォートリエ、ポロック、フォンタナ、スラージュ、フランシス、ジョーンズなどの現代絵画も勉強になった。日本の洋画も素晴らしい作品が多く、古代エジプト・中国の美術の他、バーナード・リーチ、富岡憲吉、河合寛次郎、浜田庄司の焼物、芹沢・棟方の作品など圧倒的な迫力であった。

二人で酒屋に入り、量り売りの地酒を飲んだ。M先生はその酒の入った陶器の壷が面白いといって、仙台の自宅まで送らせていた。学会を抜け出した好い1日であった。(1992.10a)


ヨーロッパ近代絵画展: 松岡美術館

 

ルノワール:リュシュアン・ドーテの肖像散歩の途中、新橋にある松岡美術館に偶然飛び込んだ。ちょうどヨーロッパ近代絵画展をやっており、思いもかけず沢山の有名作家の画に遭遇した。

特にルノワールの「リュシュアン・ドーテの肖像」、ドンゲンの「マヨルカの女」と「ナッシュ夫人の肖像」、藤田嗣治の「聖誕」と「少女と鳥篭」、シャガールの「婚約者」が印象的であった。(1992.10a)


エルミタージュ美術館展-17世紀オランダ・フランドル絵画: 東武美術館

 

ダイク:モートン伯爵夫人アンナ・ダルキースとアンナカークの肖像とコーエンベルグ:キモンとべラ東武美術館のこけら落しの展覧会である。このエルミタージュ展は、今回を第1回として毎年1回5年間続くということであるから、絶対に見逃せない。

このオランダ・フランドル展はカテリーナ2世のコレクションが中心になっているといわれ、レンブランド、ハルス、ダイク、ルーベンスの素晴らしい油彩画の他に、40点のレンブラントのエッチングをまとめて観られたことも嬉しかった。

また右図は、今回の展覧会で特に評判になった画である。古代ローマで、キモンという男が餓死の判決を受けた。彼の娘ベラは、牢獄の父を訪れ、牢番に隠れて父に自らの乳を吸わせて死から救ったのである。(1992.10a)


ひろしま美術館

 

学会を抜け出して、有名なひろしま美術館に出かけた。素晴らしいフランス近代美術作品の連続で本当に驚いた。しかもこれが地方銀行の所有と聞といてさらに驚いた。銀行=金貸し業というイメージからほど遠いメセナ事業である。

ゴッホ:ドービニーの庭 特に有名なのは、ゴッホの「ドービニーの庭」である。もう一つのバージョンにある黒猫はこの画では朱色の斑点で消されている。ゴッホが自殺前に最後に描いた画は「カラスの群れ飛ぶ麦畑」ではなく、この「ドービニーの庭」であるといわれている。ゴッホはドービニーに私淑していた。実際、この画もドービニーの好んだ横長のサイズである。そのドービニーの庭を横切る黒猫はゴッホ自身であったという気がする。そして自分の存在が弟テオ夫婦の大きな負担になっていると知ったゴッホが、自分自身の象徴である黒猫を、血の色で消したということになると、このひろしま美術館の画が本当の遺作ということになる。

その他、藤田嗣治の「裸婦と猫」や素朴派のボーシャンの「人物」もよかった。(1992.10a)


モネと印象派展ーマルモッタン美術館: 三越美術館

 

モネ:睡蓮:マルモッタン展表紙モネ:しだれ柳モネ中心の美術展であるが、今まで観たモネの作品のようになんとなくまとまった作品はむしろ少数で、荒削りの作品が多かった

特に晩年のものは、白内障手術による青視症のためか、やけに青味を帯びていたり、あるいは視力が落ちたためか、抽象絵画まがいの作品も多く、高齢になるまで手術を続けて問題を起こした外科医ザウエルブルッフの悲劇と似た状態になったのではないかとの感じをもった。(1992.10a)


モネと印象派展ーボストン美術館展: Bunkamura

 

モネ:ラ・ジャポネーズ ボストンにはモネが39点もあるという。日本の浦賀にやってきたペリー提督の娘の女流画家ペリーがジベルニーでモネの手ほどきを受けたたことがそもそものはじめであるらしい。

今回来たものの中では、「アンティープの古城」や「積藁(日没)」も良かった画、彼が夫人カミーユの歌舞伎の衣装をつけさせ、扇子を持たせた大作「ラ・ジャポネーズ」が圧倒的な感動を与えてくれた。(1992.10a)


国立西洋美術館

 

上野の国立西洋美術館は今年ルーブル美術館展でも行ったばかりであるが、企画展の時には、特に古い作品の展示が撤去されているので、企画展のない時期を選んでその全貌を観に行ってきた。

ウェイデンの「ある男の肖像」やクラナッハの「ゲッセマネの祈り」、クリヴェルリの「ある司教の像」、ヴァザーリの「ゲッセマネの祈り」、ティントレットの「ダヴィテを装った若い男の肖像」のようなルネサンスのものから、エル・グレコ、ムリーリョ、ルーベンス、ダイク、ロイスダール、ステーン、オスターデ、ロランのようなバロック、さらにはロココ美術、ドラクロア、コロー、ミレー、クールベ、ブーダン、マネと続いたのち、9点ものモネの作品が並んでいた。

周知のようにこれは松方コレクションであるが、戦後フランスに接収されていたものが、一部だけ返却されてここに飾ってあるのである。ゴッホのものは「ばら」の小品が一点あるだけで、有名な「ゴッホの部屋」等は、いまだオルセーに接収されているのはきわめて残念である。その他にも有名画家の作品が網羅されており、わが国で西洋絵画の歴史を通覧することのできる数少ない美術館である。(1992.10a)


栄光のハプスブルグ家展: 東武美術館

 

ベラスケス:青衣のマルガリータ 700年にわたってヨーロッパに君臨したハプスブルグ家の財宝がこれ見よがしに陳列されている。若くて美しいマリア・テレジアの肖像と大勢の家族を従えたいかにも女帝らしくなった太ったマリア・テレジアの姿を比較すれば、いかに威張っていてもそのうちには・・・ということがしっかりと見て取れる。

一番の名作はベラスケスの「青い服のスペイン王女マルガリータ・テレサ」である。お見合い写真ならぬお見合い肖像画であるが、しっとりとしたブルーの服が印象的である。余計なことだが、ちょっと淋しい顔立ちなので赤い服を着せたほうがもっと良かったのではあるまいか。(1992.9a)


楼蘭王国と悠久の美女展: 国立科学博物館

 

楼蘭の美女西域の4000年前の古代王国「楼蘭」は現在は砂漠の中になっているが、この王国の遺跡が発掘された。とくに羽をつけた帽子をかぶり、正装した古ロブ・ノール人のミイラが眠りから覚めて展示されている。

毛織物の一部も出てきたが、その模様は波形、花模様、格子柄があり、色もとても3000年前のものとは思えぬ鮮やかさである。特にペアの鴨の文様の錦はすばらしい。(1992.9a)


英国風景画展: 伊勢丹美術館

 

コンスタブル18世紀以降の英国では、ゲインズボロ、ターナー、コンスタブルらの巨匠が素晴らしい絵画を残したが、今回の展覧会はイギリスの風景画を集めたものである。

しばらく前に見た17世紀オランダの風景画とくらべてみると、明らかに光の量が多い。印象派の先駆ともいえるイギリスの風景画を観ていると、のんびりと英国の片田舎を旅行しているような気がする。(1992.10a)


ユトリロ展:大丸ミュージアム

 

ユトリロはパリ生れであるが、なぜかエコールドパリという異邦人画家と一緒にされているようである。これは女流画家で恋多き女であったシュザンヌ・ヴァラドンの私生児で、彼自身アルコール中毒であったということと無関係ではないと思われる。彼の画はどれも似た様式で、しかも絵葉書を見ながら描いたなどということを知ると、有名な「白の時代」のものを含め、あまりこちらに強く訴えてくる迫力がない。

ただこの展覧会に出品されたシュザンヌ・ヴァラドンの「モーリス・ユトリロの肖像画」は、さすがに母親の描いたものであると、なんとなく納得した気分になる好作品である。母親はユトリロのアル中を直すために、画を描かせたのことである。ユトリロの描く女性は、なぜか後ろ姿であり、しかもお尻が極端に大きい。これは彼のマザー・コンプレックスの表現であるという説明にも納得してしまう。(1992.9a)


17世紀オランダ風景画展: 東京ステーションギャラリー

 

ロイスダール東京駅丸の内南口にある東京ステーションギャラリーは、古い駅のレンガ壁をむき出しにしたユニークな美術館である。展示スペースはそれほど広いわけではないが、この独特の雰囲気に加えて、良い企画が多いので、私のお気に入りのスポットである。

17世紀はオランダの黄金期であるが、そこで市民に愛された風景画が、今回の主題である。ロイスダール、ホイエンらの多少暗い感じの風景画は、レンガの壁に非常に良く似合っていた。(1992.8a)


伽耶文化展: 東京国立博物館

 

伽耶文化展チケット東京国立美術館は上野公園の突き当たりにあり、いつでも見ている建物であるが、早々入るチャンスはない。広い敷地の中に本館、表慶館、東洋館、法隆寺宝物館がある。

今回は伽耶という名前に惹かれてここに入った。韓国の古代文化というと高句麗・百済・新羅の三国は有名であり、任那も古代日本との関係で知っているが、伽耶という古代王国があったことは今回初めて知った。

展覧会の副題は「よみがえる古代王国」となっており、チケットに一部が示されているような出土品が沢山あり、やはり韓国の文明は当時のわが国よりも進んでいたことが見てとれた。(1992.7a)


ドイツ絵画ーバロックから印象派まで(ケルン市立美術館): そごう美術館

 

フリードリッヒ:雪中の樫の木ヴァルラフ・リヒャルツ美術館の展覧会である。

当然のことながら、フランスの近代絵画はドイツにも伝播し、見事に開花していることが良く分かった。

ロマン派のフリードリッヒの「雪中の樫の木」はあくまで淋しく、印象派のウーデの[庭にいる画家の三人の娘」は明るすぎるぐらい明るく、リーバーマンの「馬に乗った男女」はいかにも軽快であった。(1992.7a)


ムンク展ー画家とモデルたち: 伊勢丹美術館

 

籐椅子のそばに立つモデル吸血鬼これはムンクの後半生に置けるムンクとモデルの関係に沿ってまとめられた展覧会である。

有名な「吸血鬼」をはじめ、女性と男性が織り成す官能的で神経症的ともいえる画が並んでいる。彼の前半生は神経衰弱であったとのことである。

後半生には故国ノルウェーで安定した生活をしていたそうであるが、この時期の画にも精神を病む面が現れている。環境によっても遺伝子は変わることが出来ないのであろう。(1992.7a)


線と色彩の美学ー19世紀フランス・ドローイング展(アシュモリアン美術館): ステーションギャラリー

 

アシュモリアン素描オックスフォード大学附属アシュモリアン美術館は17世紀に創立されたイギリス最古の美術館であるという。

しかも非常に有名な作品の素描がいくつも並んでいるのであるからたまらない。

特に第2次大戦で失われてしまったというクールベの油彩「石割りの少年」は、その後小説の題材になっただけに、その素描は珠玉のように感じられた。

またマネの「草上の昼食」の人物だけの素描の出来も秀逸であった。(1992.6a)


ゴーギャンとル・プルデュの画家たちー新たなる芸術を夢見て: 横浜美術館

 

ゴーギャン横浜のみなとみらいの開発が急ピッチで進んでいる。横浜美術館はその中にしっかりと建っているが、なにせコンクリート・ジャングルの一部であるから、何とも味気ないともいえる。

今回の展覧会ではゴーギャンが、1889年から1年余り、ル・プルデュのマリ・アンリの宿を拠点として活動した時代にに焦点をあわせている。とりわけその食堂を飾った画の多くがここに出品されていたのは、見事であった。

また女主人マリ・アンリをめぐる恋のさや当てもあったド・ハーンとの作品も出品されており非常に興味深い。(1992.4a)


シャガール・ひびきあう色彩の詩展:目黒区美術館

 

目黒区美術館は家からそれほど遠くない。散歩を兼ねて40分ほど歩くとこの美術館に着く。シャガール:サーカスより狭いところなのでそう沢山は陳列できないのであるが、今回はシャガールということで期待して出かけた。

油彩はごく僅かであったが、「ヴィテブスクの冬の夜」などは素晴らしかった。これは赤い馬に乗った新婚のベラとシャガールが雪が積もった故郷の町を飛んでいく画である。

連作版画「悪童たち」、「サーカス」、「以心伝心」、「1980年の大判リトグラフ連作」はいずれもおもしろかった。(1992.4a)


レンブランドからセザンヌまでーサンフランシスコ美術館: 東京都美術館

 

ジェローム:ゆあみ ルノワール:アルジェリアの女 素晴らしい美術展が開かれた。米国屈指のサンフランシスコ美術館の名品を観られることになったのである。時間的・空間的に非常に幅広い作品が来ており、まさにルネサンスから19世紀までの貴重なヨーロッパ美術のエッセンスであった

特に1.スペインとイタリアの絵画、2.オランダとフランドルの絵画、3.イギリスの絵画、4.17・18世紀のフランス絵画、5.19世紀のフランス絵画、6.19世紀のフランスの素描、7.彫刻、8.タペストリーのしっかりと分類されて展覧されていたので、実際にサンフランシスコにいったような気がした。

私自身、サンフランシスコに3回も行っていながら、このような至宝を見逃していたとは・・・カタログの出来栄えも見事で、これは永久保存版であると感じられた。(1992.4a)


ゴッホと日本展ーゴッホ美術館: 世田谷美術館

 

ゴッホ:カフェ「ル・ターンブランに坐る女ゴッホ:雨中の橋なんとアムステルダムの国立ゴッホ美術館の名品が、私の住む世田谷にやってきた。地球がいきなり狭くなったような気がする。区のおしらせ「せたがや」の一面トップ記事であることはいうまでもない。

ゴッホが日本びいきであったのは有名な話であるが、日本人のゴッホ好きも格別である。今回はこの関係を探るもので、一つには広重の浮世絵の模写[日本趣味・雨中の橋」と彼が所有していた浮世絵51点が出品されている。もう一つは安田火災が48億円という巨費を投じて購入したゴッホの「ひまわり」が特別出品されているのである。さらにこの展覧会に合わせて営団地下鉄のメトロカードも出されており、私たちも思わず買ってしまった。こんなカードはたぶん死蔵されるのであろうから、商売上手である。

私の気に入った画は「カフェ・ル・タンブーランに坐る女」である。(1992.4a)


ミレーとバルビゾン派の巨匠たち展: 大丸ミュージアム

 

ミレー:キュセ付近の栗の木のある小径ボドマー:山の湖の鹿これもお手軽なデパート美術館である。

バルビゾン派は日本人好みであり、しばしばこの展覧会が開かれる。今回も90点の作品が並べられていて、勉強になったが、残念なことにその所有者が明らかにされていない。エコノミック・アニマルの日本人が買い漁った作品が多いため、所有者が明らかにされないのであれば、不愉快なことである。(1992.3a)


ミロ展: 伊勢丹美術館

 

ミロ:チケット下部ミロ:ショールこれは私がが1人で行ってきたデパートの展覧会であるが、自分ではよく覚えていない。チケットが手元に残っているので行った事は間違いないのであるが、たぶんどこからかチケットをもらったのだろう。

ミロという画家の名前もその当時は私は知らなかったと思う。考えてみるとその年はバルセロナオリンピックの年なのでこの美術展が行われたのであろう。(1992.2t)


スペイン・リアリズムの美ー静物画の世界: 国立西洋美術館

 

スルバラン:指に刺をさした幼子イエススペインからはエルグレコ、スルバラン、ベラスケス、ゴヤ、ピカソ、ミロなどの素晴らしい画家が輩出しているが、今まではなんとなく人物を描いたものが多いように思っていた。しかしこの展覧会を観て、その考えがいかに浅いものであるかを思い知らされた。

有名なプラド美術館から来たものが多いのは当然であるが、グラナダ美術館から来た「食用アザミのある静物」などは写実主義の極致であるように思われた。 西洋美術の奥深さの一端をかいま見たようであった。(1992.1a)


マルケ展: 茨城県立近代美術館

 

マルケ:冬のサンミッシェル橋マルケ:旧港、マルセイユわざわざ常磐線に乗って水戸まで来てしまった。なんとなく懐かしいあのマルケの展覧会が茨城県立近代美術館で開かれたからである。

この美術館は千波湖の水辺という素晴らしいロケーションにある立派な建物である。経済大国ニッポンの力も地方都市まで及んできたということか。中には、中村彝のアトリエも保存されていた。

しかし何といってもマルケの画が素晴らしい。ちょうど2階から見たような角度で描かれた風景画が大部分であるが、多くはちょっとくすんだ色彩となっている。初期には野獣派の仲間であったということであるが、とても信じられるほど穏やかな画ばかりであった。

帰りには千波湖をぐるっと廻って偕楽園も観て帰った。美術館めぐりもこのように特急で来るとなると、いよいよ重病になってきたらしい。(1992.1a)


東京富士美術館

 

マネ:富士美術館チケット村内美術館を出て、徒歩で富士美術館まで歩いた。田舎道であるが、車の往来が激しく、決して快適な散歩というわけではない。途中、右折して上り道となった。右側に御殿のような立派な建物が並んでいる。これは創価大学かなと思いつつ上りきったところに富士美術館があった。

ちょっと不思議な感覚の洋館で、ゆったりと建てられていた。内部には印象派、ロココ絵画など優れた作品が並んでおり、エミール・ガレの作品もあった。今回は中国陶磁の展覧が企画されていた。そのためかカタログに載っているバロック以前のものは展示されていなかったので、是非もう一度来てみたい。

帰りはバスで八王子八日街1丁目まで行き、商店街で夕食の買い物をして、京王線で帰った。(1991.12a)


村内美術館

 

ミレー:糸を紡ぐ少女コロー:ヴィル・ダブレーのカバスユ邸朝のテレビ12チャンネルで「名画の旅で」紹介されていたので、八王子の村内美術館に行くことになった。中央線のJR八王子駅から、バスで村内ファニチャー下車。

美術館は家具店のビルの中にあり、バルビゾン派の絵画の宝庫であった。企業コレクション展で観たコローの「ヴィル・ダブレーのカバスユ邸」という素晴らしい作品もここにあった。感激の再会。

小さな図書室があり、そこでちょっと休んでいると、女店員?がお茶をだしてくれた。感激。こんな企業であれば、頭の固い公的美術館に寄託するよりも、企業内美術館として公開する方がずっとよい。村内家具に感謝。(1991.12a)


マリー・ローランサン展: 石橋美術館

 

マリー・ローランサン:チェロと二人の姉妹学会で九州に来たので、ちょっと抜け出して久留米の石橋美術館に来てみた。もちろんこれはちょっと前に出かけた東京のブリジストン美術館の親元であるからである。来てみると、ここでは開館35周年の記念展としてマリー・ローランサン展をやっていた。多くは長野県のマリー・ローランサン美術館から貸し出されたものであったのであるから、わざわざ久留米まで来ることもなかったのかもしれない。

彼女の画は、本当に女性だけの世界を描いているものであるが、これは詩人アポリネールとの恋愛と失恋、そしてドイツ人との結婚・亡命・離婚という人生経験の然らしめるところだったのかもしれない。(1991.12a)


ドイツ表現主義ブリュッケ展: ベルリン・ブリュッケ美術館

 

オットー・ミューラー:水浴する二人の少女ヘッケル:若い男と少女この激しい表現をする画家たちは本当に革新的な芸術なのか、あるいはヒットラーが云ったように退廃的な芸術なのかの答えを出すのはかなり困難である。それでも1905年に、キルヒナー、シュミット=ロットルフ、ヘッケル、オットー=ミューラーらによって創設された「ブリュッケ」という集団が、ノルデの参加もあって、一時隆盛を見たとのことであるが、そんなこともこの展覧会を観てはじめて分かった。

この展覧会は目黒区美術館という小さなところで開催されたのであるが、このようなところにも外国の有名な作品が来る日本という国は、本当に経済大国になったとしか云いようがない。(1991.12a)


キスリング展: 三越美術館

 

キスリング:オランダの少女キスリングがこのように美しい画を描く画家だとは知らなかった。

それどころではない、彼がユダヤ系ポーランド人でエコールドパリの有力な一員で、モジリアニの親友であったことも、この展覧会で初めて知った。

中でも「オランダの少女」の鮮やかな彩りは決して忘れることののできない輝きを保っている。(1991.12a)


ミレー展: 山梨県立美術館

 

ミレー:夕暮れの羊飼い ミレー:種をまく人 ミレーの大展覧会が開かれているということで、甲府に出かけた。駅前からバスに乗ってしばらくして山梨県立美術館に着いた。とても広い芝生の前庭があり、静かな良いところであった。実はこの展覧会は数ヶ月前に渋谷のBUNKAMURAで開催されていたのである。その頃はわれわれはまだ美術開眼の前であったのでやむをえないのであるが、ミレーの画はやはり渋谷の喧騒の中で観るのではなく、このような静謐な環境で観るのがはるかに良い。

ミレーの「四季シリーズ」は2種類、12点あるはずであるが、現存しているのは11点であり、そのうち8点が一堂に集まったのであるから、本当に素晴らしい。また沢山のミレーが山梨に収蔵されており、「種をまく人」のように企画展に出品されているもの以外のかなりの数のミレーの作品を常設展の中で楽しめるという贅沢さであった。特に新しく山梨に入った「夕暮れの羊飼い」もじっくりと鑑賞する事が出来た。

外へ出て、持参したお弁当を芝生で広げようとしていると、教養学部で同級であったI君とぱったり出会って、お互いに久闊を序した。やはり甲府まできてよかったと思える一日であった。(1991.11a)


ルーブル美術館特別展: 国立西洋美術館

 

ヴェロネーゼ:美しきナーニ ベラスケス:3歳の王女マルガリータ 今回は、肖像表現の展開の特別展で、彫像が多く 絵画は少なかった。しかしそこは さすがルーブル美術館、ヴェロネーゼや、ベラスケス、ルーベンス、などの立派な画があった。私が気に入ったのはヴィジェ・ルブランの「エスカテリーナ伯爵夫人」の肖像画。モデルの伯爵夫人も美人なのだが、その柔らそうな巻き毛、首の細い金鎖、肘をついているビロードのクッションとそれに付いている房・・・それぞれの質感が実によく描かれているのだ。この画家 女性と聞いて18世紀にこのようなすばらしい女性画家がもういたことに驚いた。(1991.11t)

家内が1人で観に行ってとっても良かったということで、日曜日に一緒に観に行った。とても混んでいて人の頭越しにやっと観られるという状態であったが、エジプト文明からロマン派までという長い歴史の中の肖像が沢山出品されていたのは流石にルーブルであると感心した。中でも良かったのは、ヴェロネーゼの「美しきナーニ」とベラスケスの「王女マルガリータ」であった。しかし肖像の彫刻や絵画に関する限り、あまり人類は進歩していないのではないかという気もした。(1991.11a)


企業コレクションによる世界の名作展: 東京都庭園美術館

 

企業コレクション展:チケット近年の日本経済の成長に伴い、民間企業の中に西洋絵画コレクションを持つところが増えてきた。エコノミック・アニマルとも呼ばれる日本企業が、値上がりを期待した投資としてこれらを買い込んでいるのだとばかり思っていた。それが今回、一般に公開されることとなった。これは文字通り企業の社会貢献であって、期待したように値上がりのしない資産を公開して、少しでも入場料を稼ごうというさもしい気持ちでなければ良いのであるが・・・。

場所は、東京都庭園美術館である。建物も庭も素晴らしい。展示作品もバルビゾン派、印象派、野獣派、エコールドパリにいたる19-20世紀フランス絵画のすばらしいものが揃っていた。特に良かったのは、コローの「ヴィル・ダヴレイのあずまや」、カバネルの「若い女性の肖像」、ルノワールの「レースの帽子を被った少女」、モネの「ジヴェルニーの積藁」・「雪の中の家とコルサース山」・「日本の橋」、ゴーギャンの「小屋の前の犬」、ゴッホの「アザミの花」、コランの「輪を持つ少女」、マンギャンの「半裸で横たわるジュヌヴェーヴ」、パスキンの「黒っぽい服を着た少女」、ルパージュの「若い夫人の肖像」、ビュッフェの「黄金の花」などであった。

カタログを買ってきて楽しんでいるが、これも所有企業を利する浅はかな行為であったのかもしれない。このような作品は、公的な美術館に寄託して、常設的に公開しておくべきものであると思う。もちろんそのためには税法上の優遇措置も考えねばならないかもしれない。いずれにせよわが国の芸術支援の貧困さを考えさせる展覧会であった。(1991.11a)


ブラマンク展: ニューオータニ美術館

 

ヴラマンク展チケットヴラマンク:ピュショのヴィムティエールホテルニューオータニの経営者大谷米太郎、太谷米一は絵画コレクターとして知られている。前者は日本画・肉筆浮世絵、後者はエコールドパリやフォーヴの作品が中心である。これをもとに本年2月にホテル内に美術館が開館した。

行ってみると、ちょうどブラマンク展が開かれていた。ブラマンクの風景画は暗い灰青色の強いものが多く、あまり好きな画家とはいえないが、これも西洋絵画の勉強と思ってみてきた。

美術館自体は小さく、宿泊客は無料ということであったが、ガラ空きの状態なので、何時まで持つのか心配になった。(1991.11a)

 


ゴヤからマチスまでーワズウォース美術館: 伊勢丹美術館

 

伊勢丹美術館で、アメリカ最古のワズウォース美術館150周年記念展が開かれた。オランダから帰ったばかりの美術躁状態のわれわれ夫婦は、このような美術展は絶対見逃せなくなってしまっている。新宿の伊勢丹デパート別館のエレベーターで昇ったところが伊勢丹美術館である。クレラミューラーで目が肥えてしまっているためか、このようなデパート美術館は素晴らしい画を陳列する環境としてはいかにも貧弱に感じられる。大体火災でも起こったら・・・とおもうとゾットする。

ルノワール:アルジャントゥーユの庭で制作中のモネ 美術館に入ったすぐのところに横長の大きな画がかかっている。ゴヤの「噂話をする女たち」というキャプションがついているが、なんとなく暗い画で、こちらはますます鬱の気分になる。しかしその角を曲がって広い部屋に入ると、ダビット、グロ、アングル、ドラクロアなど新古典派やロマン派の巨匠の画が並んでおり、なんとなく気分が落ち着いてくる。

次の部屋は、コロー、クールベ、ドーミエ、ミレー、ヨンキント、ブーダンなどバルビゾン派・写実主義など前印象派といわれる人たちの画が揃っていた。次の部屋は、ミレイ、レイトン、バーン・ジョーンズ、ハントなどイギリスのヴィクトリア朝絵画が並んでおり、思わずうっとりした。家内は大分前に渋谷で開かれたロセッティ展を観ていたが、私にとっては初めてのラファエル前派の画であり、印象深かった。

そして次はマネ、ドガ、ピサロ、モネ、ルノワール、ロートレック、ルドン、セザンヌ、ゴッホ、ボナール、ブイヤールという印象派と後期印象派の勢揃いであり、一つ一つの画を堪能した。最後は、ドラン、ルソー、ブラマンク、マチス、ピカソ、レジェ、バルチュス、ムンク、キルヒナー、シーレ、クレー、デキリコ、ミロ、エルンスト、ダリ、マグリット、シャガールなど20世紀ヨーロッパ美術の粋が並んでいた。これらには初見参のものも多かった。

結局のところ、この展覧会は生の近代西洋美術史であり、美術鑑賞の入り口に立ったわれわれの教科書のようであった。ということで、会場を出た時には、入館時とはまったく違う躁状態に戻っていた。 (1991.11a)


ボナール展: そごう美術館

 

ボナール:サクランボを食べる子供

美術展かぶれは相当なものになってきた。横浜のそごう美術館でボナール展があると知るや、急いで東横線に乗って出かけた。もともとボナールの光り輝く色彩が大好きで、学生時代に、カレンダーのボナールの画をスクラップブックに張っていたことがある。今回の展覧会のなかでは、「サクランボを食べる子供」の画が一番良かった。彼の画の色彩は本当に豊潤であるが、彼の眼が他の人とはまったく違う感受性を有していたのかもしれない。(1991.10a)


日本のゴッホ: 安田火災東郷青児美術館

ゴッホ:ひまわり グランマモーゼス

ゴッホの「ひまわり」のうち二つが日本に来た。その一つは戦災で焼けてしまったが、もう一つが新宿の安田火災東郷青児美術館にある。相変わらずのゴッホかぶれで、これを見に出かけた。ゴッホとセザンヌとゴーギャンが並べて別室に陳列されている。58億円も投資された「ひまわり」は流石に迫力がある。ここでの発見はグランマ・モーゼスに遭遇したことで、その素朴さに驚かされた。日本にもなかなか良い美術館がある。(1991.9a)

ついでに、常設展も観た。その中に、古きよきアメリカの田舎の風景画が目を引いた。ちょっと稚拙な感じだが、とても丁寧に細かく  村の人々の生活が描かれてある。誰の絵かと思うとグランマ・モーゼスとある。後で調べると75歳で自己流で絵を描きはじめ(台所で)、102歳で亡くなるまでこのような画をずっとかいていたそうだ。とても温かみのある絵なので、絵葉書を何枚か買って帰った。(1991.9t)


東京の泰西名画: ブリヂストン美術館

 

オランダで美術に目ざめたためか、日本に帰ってくるや東京駅の近くのブリヂストン美術館に出かけた。考えてみると、学生時代に伯父に連れられて来たことがあり、父が出かけるときには「京橋の近くだった」などと教えたこともあったが、それも大分昔のことでほとんど忘れている。中に入ってみて日本にもこれほどのコレクションがあったということに今更ながら驚いた。金7000円也の立派なカタログを買い込んで帰り、自宅でもしばらく余韻を楽しんだ。自宅の美術館ファイルには、ゴッホの「モンマルトルの風車」とセザンヌの「セントビクトワール山」の絵葉書が挟んだあるところをみると、とんだ後期印象派かぶれになってしまったらしい。(1991.9a)


ゴッホへの旅: クレラミューラー美術館

 

その日は特別に早起きして、路面電車で駅に行った。ヨーロッパでは路面電車がまだ現役のところが少なくない。アムステルダム中央駅は東京駅のお手本となった駅だけにあまり外国という感じはしないが、切符を買う時には日本語でというわけにはいかない。運賃を出して、ツゥ・リターンティケッツ・トゥ・アーネムというと、窓の向うの若い駅員さんが黙って切符を二枚渡してくれた。行き先の駅名をアルンヘムと読むのか、アーネムと読むのか分からなかったのであるが、通じればもうどちらでもよい。
同行の家内は列車好きである。特に外国へ行くとやたらに電車や地下鉄に乗りたがる。不案内な土地で切符を買ったり、発車ホームを探して乗車することも旅行者にとっては大冒険であるが、一番心配なのは下車駅を間違えぬかということである。家内は天性の楽天家で、アムステルダム駅で二階建て列車に乗るや、旅情を満喫している。
ゴッホ:アルルの跳ね橋  無事アーーネム駅で下車、駅前の旅行案内所でクレラミューラー美術館への行き方を聞くと、「向うのバスに乗れ」という。「タクシーで行くと、大分かかるか」と聞くと、「そんなバカなことをする人はいない」という。なるほどここはダッチアカウントの国である。
バスから降りたオッテルローというところは本当に田舎のバス停で、運転手に教えてもらわなければ、簡単に乗り過ごしてしまうような所であった。角の店にはレンタサイクルもあったが、家内が自転車嫌いとあっては致し方なく、同行二人、日差しの強いオランダの田舎道をテクテク歩くことになった。広い国立公園内に入り、森の中を抜け、45分かかり、ようやくクレラミューラー美術館にたどり着いた。このの美術館は、屋外アートが豊富であり、中に入るとお目当てであるゴッホの「アルルのはね橋」や「糸杉」、そしてスーラの「シャユ踊り」などの傑作が迎えてくれた。(1991.9a)

これは1991年のことでもう10年以上前のことである。渡航の目的であった学会のことは何一つ覚えていないのに、この日のことは詳細に覚えている。 「アルルのはね橋」や「糸杉」にはその後横浜や渋谷で再会できたが、クレラミューラーで見た時の感激はなかった。会場の混雑も一因であるが、最大の理由は森の中の公園と喧騒の都会という場所の違いであると思う。(2002.8a)


ジャポニズム展: 国立ゴッホ美術館

 

ゴッホ:ひまわり ゴッホ:プラムの花咲く樹

国立アムステルダム美術館へ連れて行ってくれた市内観光バスはお昼ごろ美術館の前で解散となった。昼食は美術館のカフェテリアでキッシュを食べ、国立ゴッホ美術館へと向った。といっても両美術館は広い芝生の庭を挟んで向かい合っているだけなので、歩いてすぐの距離である。入館に際し、カメラや荷物をすべて預けさせるという物々しいセキュリティであった。

ゴッホ美術館ではちょうどジャポニズム展の最中で、浮世絵を模した有名な画が何枚も並んでいた。「ラ・クローの収穫」は米国滞在中にボルチモア美術館で開かれた「ゴッホ展」でも観たので2度目のご対面であるが、これにも富士山のような山が小さく描き込まれており、なんとなく日本の田園風景を思い起こさせる。もちろんあまりにも有名な「ひまわり」などには圧倒された。(1991.9a)


国立アムステルダム美術館

 

レンブランド:夜警 レンブランド:ユダヤの花嫁 フェルメール:牛乳を注ぐ女 ハルス:愉快な酒飲み ライスダール:風車

学会でアムステルダムに行った。早速乗った市内観光バスが国立アムステルダム美術館へ連れて行ってくれた。

お目当てのレンブラントの夜警やユダヤの花嫁、フェルメールの牛乳を注ぐ女や手紙を読む女、ハルスの愉快な酒飲み、ヤコブ・ライスダールのワイク・バイ・ドゥーステーデの風車などが展示されているメインの部屋に長く居すぎたので、後の部屋は駆け足となってしまった。

どうも観光バスの団体行動というのは苦手である。(1991.9a)