謹賀新年 06 |
ポーラ美術館印象派コレクション 06.1 |
ゲルハルト・リヒター展 06.1 |
パウル・クレー展 06.2 |
ベン・シャーン展 06.2 |
ベオグラード展 06.2 |
パリを愛した画家たち展 06.3 |
長谷川潔展 06.3 |
スイス・スピリッツ
06.3 |
ロダンとカリエール 06.3 |
パウラ・モーダーゾーン=ベッカー 06.3 | プラド美術館展 06.3 |
東京都現代美術館2006 06.3 |
目 次 ↑
あなたのいるところ/コラージュの世界: 東京都現代美術館
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前の晩に同級生と酒を飲む会があり、寝坊してしまった。メールを開けるとJuliaさんからメッセージが届いている。Kenさんが東京に出て来ておられて、今朝MOTで会うからこないかとの連絡であった。 KenさんとはBBSなどでしばらく前からお付き合いがあったが、お会いしたことはなかった。そこで急いでMOTに出かけることにした。Kenさんは私の想像していたような人で、初対面ながらすっかり話が弾んだ。屋外のカフェでゆっくりとした時間を過ごし、さらに帰りの地下鉄の中でも詳しいお話をを伺うことができた。 MOTのほうは常設展だけを観た。「あなたのいるところ」と「コラージュの世界」というタイトルが付いている。ホックニー(シーリアのイメージ)、イヴ・クライン(空気の建築)、リキテンシュタイン(ヘアー・リボンの少女)、ウォーホル(モンロー)、ラウシェンベルグ、ゲルハルト・リヒター(エリザベート)、草間弥生、横尾忠則(ベラスケスのラスメニーナスやレオナルドの聖ヨハネなどを下敷きにした作品)などが印象的だった。20世紀美術も大分見慣れてきたせいか、結構楽しめた。(2006.3a)
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プラド美術館展: 東京都美術館
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今日が初日。いつものメンバーと一緒に鑑賞、途中「プラド美術館の歴史」の講演会を聴いた。演者はプラド美術館の絵画部長だったが、単調な講演で、内容も目新しいものがなく、途中でシエスタをしてしまった。 展覧会に並べられた作品の質は非常に高い。その一部を陳列順に簡単に紹介する。 第1章 スペイン絵画の黄金時代ー宮廷と教会、静物: エル・グレコ、リベーラ、スルバラン、ベラスケス、サンチェス・コタン、アレリアーノ、ムリーリョらの有名な作品が並んでいる。ムリーリョの《貝殻の子供たち》と《エル・エスコリアルの無原罪の御宿り》は優しさに満ちている。カレーニョ・デ・ミランダ、ファンはそれほど有名な画家ではないが、彼の《ロシア大使ピョートル・イワノヴィッチ・ポチョムキン》は豪華絢爛な衣装をまとっている。 第2章 16,17世紀のイタリア絵画ー肖像、神話から宗教へ: ティツィアーノ、バサーノ、ヴェロネーゼ、アンニバーレ・カラッチ、レーニ、ジョルダーノなどのオールド・マスターが揃っている。ティツィアーノの《アモールと音楽にくつろぐヴィーナス:ヴィーナスとオルガン奏者》ではオルガン奏者の視線が気になる。どのような寓意が隠されているのかは「美の巨人」を参照。 第3章 フランドル・フランス・オランダ絵画ーバロックの躍動と豊穣: ルーベンス、ダイクなどの作品が揃っていたが、中では《ヒッポダメイアの略奪》がドラマチックだった。 第4章 18世紀の宮廷絵画ー雅なるロココ: メレンデスのボデコン、ブーシェの《パンとシュリンクス》以外には良いもの無し。 第5章 ゴヤー近代絵画の序章: 素晴らしい画が並んでいた。今回の展覧会の華。とくに最近見出された《トビアスと大天使ラファエル》は光輝あふれる素晴らしい作品だった。(2006.3a) 昨年バロセロナに滞在した時、頑張って飛行機で、プラド美術館に日帰りで行っってきた。そのとき見た絵画にまた会えるかもしれないと出かけた。 なんといっても素晴らしいと思った画はムリリョーの「エル・エスコリアルの無原罪の御宿り」。聖母マリアの若く愛くるしい顔、神々しさはあまり感じられないが、とても魅力あるものだ。ムリリョーは私の大好きな画家だ。 また今回ルイス・メレンデスの作品に感動した。ボデコンで陶器の水差しや、西瓜とその種、果物、パン等それぞれの質感が実によく描けているのだ。 バッサーノの「ノアの箱舟に乗り込む動物たち」も気に入った。(2006.3.t) (追記 1) 第3水曜日がシルバーデーのため無料であるので、もう一度見て回った。かなり込んでいて、シルバーデーということを知らずに来た若い人がお気の毒であった。 (追記 2)連休初日に池上先生のギャラリー・トークがあるということで参加した。驚いたことに、シルバーデーの時より混んでいた。池上先生のご意見を含めたレポは下記の通りである。終わって、 いつもの仲間と一緒に食事した。 T.スペイン絵画の黄金時代 01
サンチェス・コエーリョ:フェリーペ3世の2人の娘、フォンテンブロー派の影響を受けて左右対称になっている。 U.16-17世紀のイタリア絵画 36 ティツィアーノ:カルロス5世、大きい犬は権力の強大さを象徴している。 V.フランドル・フランス・オランダ絵画 49 ティール:フェリーペ3世、正義(秤)、時(老人・砂時計)、剛毅(剣)、節制(馬ばみ)、分別(メルクリウス)などの寓意が込められている。 W.18世紀の宮殿絵画(雅なるロココ) 62 ラン:フェリーペ5世の家族 X.ゴヤ 近代絵画への序章 75 ゴヤ:果実を採る子どもたち
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パウラ・モーダーゾーン=ベッカー: 神奈川県立近代美術館 葉山
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神奈川県立近代美術館に初めて行った、逗子からバスに乗って18分、結構遠い。着いてみると、美術館は海を臨む高台の素晴らしいロケーションにある。建物、庭、レストランも超一流。 この展覧会はドイツの日本年ということで1月から展示されているのだが、何せ葉山なので、あと3日で終了という日になってやっと観にいった。 パウロ・モーダーゾーン=ベッカー(1876-1907)は、ピカソやロダンが新しい世界へ芸術を広げていた時代に生きたドイツの女性画家である。ヴォルプスヴェーデの芸術家コロニーを制作の拠点とし、師のマッケンゼン、夫のオットー・モーターゾーン、友人のリルケ夫妻、フォーゲラー夫妻、ハンス・アム・エンデ、フィリッツ・ヴァーベックとともに「ヴォルプスヴェーデ派」の一員に加えられている。 出産後まもなく31歳の若さで永眠したこともあって、今回の展覧会には「儚くも美しき祝祭」という形容詞がつけられている。彼女が自分の人生の短いのを予見して、「自分の人生は充実した祝祭である」と書いているからである。 彼女の風景画、静物画、人物画は、画面全体に色を塗ったゴーギャン風のものが多い。一部にはセザンヌのような多視点の静物画、ゴッホのようなタッチの人物画もある。総じていえば、印象派後期の画家に近く、ドイツ表現主義といってもそれほど激しいものではない。母と子やネコやアヒルなど女性らしいテーマの画が多かった。ただ同行者は子供の裸体画は児童虐待的であると評していた。自画像にいいものが多かった。 私の好きなフォーゲラーの作品も沢山出ていた。以前のフォーゲラー展にも出ていた《マルタ》・《自画像》・《自然の中の愛の生活》もあり懐かしかった。また、ハンス・アム・エンデの版画がいくつかあったが、その水面の表現は素晴らしかった。(2006.3a) この女流画家の名前は長くて覚えにくい。名前がもっと単純なものであったら この画家ももっと有名になったかもしれない。 子供に抱かれている《やせた子猫》、それに、セザンヌ風の静物画《サワーミルクの皿のある静物》も丁寧に描かれていて好感がもてた。 (2006.3t)
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ロダンとカリエール: 国立西洋美術館
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国立西洋美術館で開かれている「ロダンとカリエール展」の鑑賞会に行った。参加者は、Julia、Nikki、はろるど、Yuko、花子、イッセー、yamayuuさんと私の8人。早めに着いたので前庭のロダンの《地獄の門》、その両脇の《アダム》と《イヴ》、そして《考える人》、《カレーの市民》をじっくり観た。 ロダンとカリエールは実際に見えるものを写実的に描写するのではなく、その奥に潜む内なるものを表現することを重要視したという共通点を持ち、お互いに親交を深めていたという。 「カリエールの霧」と呼ばれるように、彼の画は全体に霞がかかったようにぼんやりとしており、近寄らなければよく分からない。セピア、ベージュ、薄紅など限られた色彩で表されており、やわらかいタッチである。優しい母と甘える子供達との幸せな家族像が多いことみると、、画家自身がこの家族を深く愛していたのであろう。6人もの子供がいれば、お母さんはさぞ大変だったろうと思われる。最近、カリエールが見直されているのは、失われつつある家族の絆に対するノスタルジアなのかもしれない。 好感度作品は、ロダンの《彫刻家とミューズ》・《最後の幻影》・《『ウジェーヌ・カリエール記念像』のための習作》、カリエールの《母性》・《母の接吻》・《『眠れるボアズ』のための挿絵(3):冥想家》・《夢想のための習作》・《ジャンヌ・ダルク》・《医学のための習作》などであった。 カリエールとロダンは、友人であり、テーマや発想が似ていることは分かるが、実体はかなり異なっているのではあるまいか。家族の幸福を第一義としたカリエールとカミーユ・クローデルの愛に応えることのなかった強いロダンを、このように象徴主義という一つの枠内に囲い込むことにはいささか抵抗を感じる。 素描を見ても、カリエールの素描が細い輪郭線を何度も重ねてスフマート調で女性的なものとなっているのに対し、ロダンの素描画は一気に輪郭線を書くピカソ風の男性的なものである。 ロダンの作品は松方コレクションを有する国立西洋美術館には多いのであるが、カリエールとの相似性のある作品だけをこの展覧会に集めたような気もする。その後みんなで観た常設展の会場に残されている《青銅時代》の凛とした男性的で写実的な彫像を見ながら、今度の展覧会が両者の共通性を強調するあまり、お互いの相違性には目をつぶっているように感じた。 夜の仕事があって、お茶の時間に失礼しなければならなかったのは残念だった。(2006.3a)
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スイス・スピリッツー山に魅せられた画家たち: BUNKAMURA
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スイス・アルプスは憧れの地である。グリンデルバルトから観たアイガー・メンヒ・ユングフラウの大パノラマ、その裾野の草原、ベルを下げた羊たち。行ったのは大分前のことだが、今でもすぐそこに見えるようだ。 今回の展覧会はそのような懐古的な山の画だけでなく、現代アートも揃っていた。お気に入り作品を展覧会の分類別に列記する。 T.画家による高地アルプスの発見 カスパー・ヴォルフ《グッタネン集落上方のハンデックの滝》・・・・・谷川岳の一の倉沢のようだ。 カスパー・ヴォルフ《グレッチュ峡谷の谷底からみたローヌ氷河》・・・・・白くこんもりとしたドラマチックな氷河。 U.国民絵画としての19世紀山岳絵画 フランソワ・ディデー《ピッセヴァッチュの滝》・・・・・古典派からロマン派へと移行し、ジュネーブ派として旅行者用の画を描いた。 アレクサンドル・カラム《ロートタール氷河横断》・・・・・遭難直前。帽子は既に飛んでいる。上方ではピッケルで確保している。
V.1900年前後初期モダニズムにおける山岳風景
アレクサンドル・ペリエ《テリテット近郊の夜》・《グランモン山》・・・山や湖は類似。前者は星が見える暗紫色。後者は明るい日中。 ジョバンニ・ジャコメッティ《自画像》・・・・・雪の中のゴッホの自画像といってもいい過ぎではない。 ジョヴァンニ・セガンティーニ《アルプスの真昼》・・・・・羊飼いの女はアルプスのマリア像のように堂々としている。今回のベスト。 ジョバンニ・ジャコメッティ・ジョヴァンニ・セガンティーニ《ふた組の母子》・・・・・うねるようなゴッホの山の画といえる。 フェルディナンド・ホドラー《シュトックホルン山脈》・・・・・すっきりとした薄紫の山肌と濃い青紫の稜線。今回のナンバー2。 フェルディナンド・ホドラー《ホイシュトリッヒから見たニーセン山》・・・・・ 富士山のような対称形の緑の山と青い空の対比。 フェルディナンド・ホドラー《メンヒ山》・・・・・懐かしい山。表現主義に近づいている。
W.色と形の開放 クーノ・アミエ《冬の風景》・・・・・白の輝き。 パウル・クレー《入り江の汽船》・・・・・緑のツートン・カラー ヨハネス・イッテン《山と湖》・・・・・美しい。
X.キルヒナーと「赤・青(ロート・ブラオ)
エルンスト・ルードヴィッヒ・キルヒナー《ヴィーゼン近くの橋》・・・・・チラシでは灰色の橋だが、実物は青色。面白い構図。
Y.ポップアートのイコンとしての山/Z.現代美術における山 ディーター・ロート《ベルナー・オーバーランド》3点・・・・・朝昼晩の絵葉書 モニカ・シュトゥーダー&クリストフ・ファン・デン・ベルク《アルプス観光ホテル》・・・・・ヴァーチャル・リアリティとして遊べる。 (2006.3a) |
長谷川潔展: 横浜美術館
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銅板画家「長谷川潔展」作品のひみつーが、横浜美術館で開かれている。1週間前に家内が新宿の小田急ギャラリーで長谷川潔の銅版画をみて感心して帰ってきたので、急遽、横浜に観にいくことにした。 長谷川は、横浜の出身で、日本で「創作版画」の木版画を手がけていたが、銅版画技法を学ぶため27歳でフランスに渡った。そこであらゆる銅版画技法をマスターした。またそれまで絶えていたメゾチント(マニエール・ノワール)という《黒の技法》を再創造した。 長谷川潔は一度も帰国することなく、国際舞台で活躍した。このような国際的な日本人がいたことは誇らしく思えた。 銅板の原版を見ると、精細な線や点がちりばめられており、光の具合でホログラムのように輝きいている。大した技術と忍耐である。これに至る習作も一緒に並べられており、彼の努力を垣間見ることができた。
版画の素晴らしさは、筆舌に尽しがたい。特に気に入ったものを列記する。 T.裸婦とミューズ: 《風》ー詩情あふれる小品、《聖体を受けたる少女》ー繊細な線が印象的 U.風景: 《アルルの跳ね橋》−川の曲がり方などゴッホの画とそっくり、《カーネの水車小屋》−落ち着いた景色、《エッフェル塔と雲》−雲が生きているようだ、《レ・ポウの風景》-お気に入り、《村の入り口》-すっきりした油彩、《積藁》−モネのようだ、《一樹、ニレの木》−ゴッホの画を思い出す V.草花・静物: 《バラ》-穏やかな静物、《ダリア、愛の天使の窓掛け》−小さなタイル状の窓掛けが美しい、《二つのアネモネ》−レースの敷物や壁掛けは神品(実際に押し付けたレースも展示されている)、《玻璃球のある静物》−球の表面に窓枠が映っている、《狐と葡萄》・《カードの上の小鳥》−コミカルなタッチだが背景の黒が素晴らしい、《白い花瓶に挿したコクリコその他》−きれいな油彩、《草花とアカリョム》-バックのしっとりとした黒は絶品、《飼いならされた小鳥》−象徴性の強いメゾチント W.小さな世界: 《仏訳【竹取物語】挿絵》ーフランス人もびっくり、《クリスマスの夕べ》ーXmasカードに最適、《柳》-紺紙金摺は金泥経のような輝き (2006.3a) |
魚津章夫氏のトークサロン「長谷川潔の刷られた芸術」 偶然このトークサロンをを聞くことができた。熱心なファンが予約してきている。予約のないものも周りで聞けるようになっていた。はるばる大阪から駆けつけた人もいて発言されていた。このように長谷川潔の素晴らしさを知る人が少なくないことに驚いた。その内容の一部を紹介する。 魚津氏は出版社の「みずえ」で働いていた頃、雑誌発行60周年記念の長谷川潔展を当時出来たばかりの京王百貨店で開くことになった。魚津氏らが日本にある作品約35点を集めた後、長谷川に連絡したところ、最高の摺りのものだけを出したいので、出展作はすべて自分で選ぶということだった。 彼は浮世絵のような分業版画ではなく、すべて自分でやる「創作版画」を目指していた。また銅版画のなかで影を表現することに腐心した。彼のメゾチントは18世紀の技術を再現したもので、晩年の作品では、《飼いならされた小鳥》などに見られるように象徴性が強くなっている。この画では、小鳥=自分自身、チェス=賭けの人生、倒れたチェスの駒=スッカンピンの兵士、コップの水に挿した草=生命、ダイヤの2のカード=財産、ハートの1のカード=感情といった具合である。長谷川はこの画を気に入っていて彼のアトリエのイーゼルにいつも載せていた。(2006.3.3) |
パリを愛した画家展: 大丸ミュージアム
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大丸ミュージアム・東京で、大分県佐伯市,「健康保険南海病院」にキャプションなしで掛けてある画の短期公開公開。社会保険庁管轄の公的病院がこのような「南海コレクション」を保有しているのは不思議である。
T.エコール・ド・パリの画家: シャガール《母と子》、スーチン《夢見る女》、ユトリロ《オルジャン通り》、ローランサン《楽器を奏でる従者と女性》、キスリング《夫人像》・《ミモザ》、パスキ《カンス》 U.フォーブの画家: ルオー《ユビ王の宮殿ー大時計》、ヴァルタ《母子像》・《坐る裸婦》、ドラン《黒い犬を連れたディアーヌ》、マルケ《ボルクロールの小舟》・《マルセイユ港》、マンギャン《裸婦》、デュフィ《モーツアルト》・《シャンデリアのあるアトリエ》、ドンゲン《競馬場》・《白い衣装の女》 V.その他のフランス画家: ボナール《白いコルサージュの女》、ピカソ《アンティーブの風景》、アイズピリ《ヴェニス》・《テラス》、コタヴォ《赤い花束》、カシニョール《ニコル》 W.パリを愛した日本画家: 東郷青児《手術場》、香月泰男《青麦》、牛島憲之《晴日》、野口弥太郎《ヴェニスの窓》、宮本三郎《舞妓》、梅原龍三郎《人物》、児島善二郎《ミモザを配する草花》、林武《バラ》、中川一政《掛け皿とバラ》、田辺三重松《霞沢岳と梓川》、伊藤清永《紅映》、藤本藤一郎《桜島》、佐藤敬《横臥裸婦》、笠井誠一《マンドリンのある静物》、前田寛治《海の見える風景》 病院に掛ける画の題材としてはとしては、風景・花・女性等が適当であり、その色調も明るいものでなければならない。私が病気になった時に見たい画を下に並べてみた。 風 景
花
女 性 (2006.3a) |
ベオグラード国立美術館フランス近代絵画展: 三越ギャラリー
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セルビア・モンテネグロすなわち旧ユーゴスラビアはバルカンの火薬庫と呼ばれ戦火にまみれてきた。そこの首都ベオグラードの美術館。「何ほどのものやあらん」と思って出かけたが、驚いた。素晴らしい19〜20世紀フランス絵画コレクションであった。 お気に入りを抜書きすると、第T章(写実の系譜)では、コローの《山麓の谷あいの牧場、オールヴェルニュ》と《ポール=ベルトーの公園にて》、ドーミエの「《母性》、ブーダンの《さくらんぼのある静物》、ドガの《浴後》、シスレーの《ビランクールの船荷下ろし》、ピサロの《ゴーギャンの肖像》、《ペルヌヴァルの風景》、《テアトル・フランセ広場、陽光の効果》、モネの《ルーアン大聖堂/ピンクの大聖堂》、カサットの《母と子T》。
第U章(ルノワール)では、何といっても盗難にあい修復を必要となった《水浴する女性》−通称《ベオグラードのモナリザ》ーが最高だが、小品の中にも美しいものが少なくない。盗難の話はブログ参照→ 第V章(印象主義を超えて)では、ゴーギャンの《果物と瓶のある静物》、ゴッホの《机に向って書く人》と《室内の農婦》、ロートレックの《リヴィエール嬢》、ヴァラドンの《バラを生けた花瓶と東洋風のカーペット》と《身じまいをする女性》、モローの《疲れたケンタウロス》、ルドンの「《花を持つ若い女性の横顔/金色のヴェール》、ボナールの《本を読む女性》、マリー・ローランサンの《二人の女性》など好品が揃っていた。
第W章(20世紀絵画の旗手たち)では、ヴラマンクの《父の庭》と《花瓶の花》、ピカソの《女性の頭部》、アンドレ・ロートの《女性の肖像》、ユトリロの《サノワの療養所》、キスリングの《黒いブラウスの若い女性》などである。(2006.2.a) 印象に残ったのは、海辺の画しか描かないと思っていたブーダンの静物画、ロートレックのきれいな女性の肖像画、珍しいドランの静物画など。またルノアールの赤ちゃんの絵、メアリーカサットの赤ちゃんの絵がいかにも可愛く描かれていた。(2006.2t) 参加者は、他に、Nikkiさん、ミズシーさん、Yukoさん、チョングリさん、のんさん。知り合いとわいわい話しながら観るのは本当に楽しい。デパートの美術ギャラリーだけあって、混んではいるものの、おしゃべり自由。まわりの人たちもこちらの会話に聞き耳を立てている様子であった。外国の美術館では、このようにおしゃべり自由であるが、なぜか日本の美術展では静粛を強制される。その意味で、久し振りでみんなで楽しみながら画に向かい合えた。 ミスシーさん、Yukoさん、私はそれぞれ2回目だが、2回目には新たな発見がある。ピサロの《ベルヌヴァルの風景、午後》の素晴らしさにに驚いた。巧みな奥行きの表現、明るい草原と木陰のコントラスト、美しい空にぽっかり浮かぶ柔らかな雲、すべてが一体となって平和な田舎の情景を表している。 もう一つ、『ゴッホの《机に向って書く人》がどのように坐っているか分からない』という意見に対し、みんなで検討したが正解が出てこない。お茶をしたマンダリン・ホテルのロビーの椅子を使って私がポーズをとり、Nikkiさん、Yukoさん、ミズシーさんが画集を照合したが、結局、分からなかった。そうなると独力で画を学んだゴッホのデザイン力の問題? その後、場所を移して食事で盛り上がった。(2006.3.4) |
ベン・シャーン展: 埼玉県立近代美術館
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前に観たベン・シャーンの画は、オーケストラの演奏が終わった後(あるいは前)の情景、譜面台と椅子が沢山並んでいる。ただそれだけの画だったが、黒の線画の叙情性が忘れられない。ということで、今度のベン・シャーン展を観にいったのであるが、驚いた。 彼は、リトアニア生まれのユダヤ人で、家族とともにアメリカに移住し、画家になってからは、本当の社会派の画を描いた。 有名な事件の被害者の肖像と加害者の肖像が至るところに並んでいる。公民権運動を行っていて、KKKに暗殺された若い女性を悼む白い鳩の画の傍に、公民権運動に反対したゴールドウォーター大統領候補の肖像画ある。そして、マーティン・ルーサー・キングの肖像もある。 原爆を落としたトルーマン大統領の肖像画があるかと思えば、ビキニで被爆して死亡した久保山愛吉が子供を抱いている画がある。そして原爆投下後2週間でフルブライト奨学金を創設したフルブライト議員の顔もある。 ガンジー、パブロ・カザルスのような反戦派の肖像画の傍に、暗殺されたケネディ大統領の画がある。 このような画が並んだ後、いくつかの部屋ではべン・シャーンの和む画を観ることができる。その一つの部屋では「クリスマスの12日」の明るい歌声が流れており、梨の木にとまる1羽のヤマウズラから始まって2,3,4・・・と、数え歌の画が並んでいて、12人の踊る女性で終わっている。ハレルヤ・シリーズには、古代楽器を奏でる若い女性が金色の聖書の詩篇とが並んで描かれた美しい画が何枚もある。 この画はすべて「丸沼芸術の森」の所蔵という。アメリカの良心をこのように大掛かりな展覧会で観ることができるわれわれは幸せである。 出口には、100メートルに及ぶ白紙が巻物のようにして壁にかけてあり、だれでも自由に線画を描くようになっている。閉展前の1週間前からこれも公開するという。ちょっと見てみたが、本当に絵のうまい人が多い。ここまで観にくる人だから、絵心の多い人も多いのだろう。(2006.2.a) |
パウル・クレー展: 大丸ミュージアム
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午後から東京駅のルビーホールで会議があったので、1時間ほど早く出てクレー展を観た。クレーはあちこちの展覧会で観るが、これほどまとまって見るのは初めてだと思う。パウル・クレーセンターがベルンに開館した記念展とのこと、これから日本人に来てもらいたいということなのだろう。 副題は「線と色彩」となっている。確かに線の巧みな画がある。また色彩の美しい画もある。そしてその両方を併せ持った画もある。先週、ブリジストン美術館でクレーの「島」の画の前でギャラリートークを聞いた。一筆書きのような線と格子状でグラデーションをもった薄い色彩(ポリフォニー=幾重にも色を重ねる重奏音楽効果)の絡んだ画で、彼自身がヴァイオリンを弾くことと関係があるとのことだった 今回気に入った画のうち、線の魔術師といっても良いような画は、《動物たちが出会う》、《からみつく集合》、《おませな天使》、《旧約聖書の天使》は線の魔術。《からみつく集合》には線に矢印が付いているので、一筆書きをなぞれる。《おませな天使》の横には谷川俊太郎の詩が張ってある。
《おませな天使》 谷川俊太郎
《ピラミッド》、《ファーマ》、、《眼》、《北海絵画》、《荷車のあるアルプスの風景》、《喪に服して》など美しいの色のポリフォニーもとても良かった。とくに《眼》は粗い目の布に描かれ、フリンジが付いていて、テーブルクロスに欲しかった。 青騎士の芸術年鑑(ミュンヘン・ビーバー社)が出展されていたが、美しい表紙だった。(2006.2a) パウル・クレーと云うと おどけた、子供っぽい絵の印象があった。 今回まとまってみた感想は、色彩がとても穏やかで、やわらかいということだ。 同じ色彩の画家といわれるマティスのような強い色彩ではなく、パステルカラーの落ち着いた渋い複雑な色である。そして、一つ一つの作品がとても丁寧に描かれていて、観ていて気持ちが穏やかになる。 描く道具は、筆ばかりでなく、釘や、石のようなもの、尖がった道具などいろいろと工夫していたようだ。《喪に服して》のように、カンバスを細かい色タイルのように描き、そこに何気なく悲しい顔をシンプルな線で表す作風も新鮮であった。(2006.2t) |
ゲルハルト・リヒター(絵画のかなたへ): 川村記念美術館
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昨日は関東地方もめずらしく大雪。東京でも9cm積もった。これに反し、今日は抜けるような青い空。はろるどさんから奨められていた「ゲルハルト・リヒター展」は今日が最終日だが、天が何とか味方してくれた。JR佐倉駅を降りると積もった雪の上に美術館行きのバスを待つ人の長い列ができている。若い人が多い。駅前の佐藤忠良の裸婦像が雪の中にたたずんでいる。早速デジカメで撮影した。バス2台超満員だったが何とか美術館に着いた。美術館前の佐藤忠良の裸婦《緑》も雪の中。これも撮影。美術館前の池の周囲も真っ白。これも良い被写体。画を観にきたのか、雪の写真をとりにきたのか分からない。 ゲルハルト・リヒターは、現在のドイツ画壇を代表する画家。日本のドイツ年ということで、彼の回顧展が開かれたのである。フォト・ペインティング、カラー・チャート、グレイ・ペインティング、アブストラクト・ペインティングのような異なる表現に取り組んできた画家である。時代とともに表現形式を大きく変える画家は、ピカソの例をひくまでもなく、少なくないが、彼は同時期に一見異なる画風の画を描き続けているという点で特異である。しかし彼自身の中では、それぞれの様式が分裂して存在しているのではなく、一つに統合されているのであろう。 《雲の習作》、《2本の蝋燭》、《部分(赤-青)》、《雲》、《林檎の木》、《バラ》などの具象画は、輪郭が不鮮明になっているとはいえ、分かりやすくまた色使いも優しい。写真との融合という技術的なことがらを超えた新しい感覚の画である。一方、《グレイの筆跡》などのグレイ・ペインティングや沢山のアブストラクト・ペインティングは抽象画ではあるが、どこかしっとりした印象があり、その点は具象画の印象と共通している。 ガラスを使った作品も面白い。何枚もガラスを重ねているため、そこの映る姿がぼやけて見える。これはフォト・ペインティングにおける輪郭のボケと軌を一にする。特に《直立する5枚のガラス板》には外の雪をかぶった緑が映って、幻想的な雰囲気を醸しだしていた。 ところで私が一番気に入ったのは、《森》と《岩壁》である。両者は並んで展示されていたが、いずれも半抽象的で新印象派的な色彩分割が素晴らしい効果をもたらしていた。前者は緑・黄・赤で夏から秋への移り変わり、後者は青で山並みと岩、白で新雪、そして右側の流れる赤で紅葉を現しているのではないかと感じた。 いずれにせよ、リヒターの画は現代絵画でありながら疲れない。リヒターの優しいまなざしが感じられるからである。(2006.1.a) |
渋谷で出会うポーラ美術館印象派のコレクション展: Bunkamura
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Juliaさん、Nikkiさんと松涛美術館で待ち合わせ、「芝川照吉コレクション」、映画「ベラスケスー素顔の宮廷画家」、映画「ベルト・モリゾーキャスリン・アドラーとのインタヴュー」を観たあと、雨の中をBunkamuraへ行った。 ポーラ美術館は化粧品会社のオーナーだった故鈴木常司コレクションを収蔵する個人美術館で印象派やエコール・ド・パリの優れた絵画が多いという。箱根という不便な場所にあるので、一度は行ってみようと思いながら、果たせないでいた。 ただ、収蔵品のうち、ゴッホの《アザミの花》やルノワールの《レースの帽子の女》などは東京都庭園美術館の「企業コレクションによる世界の名作展」でも見たことがあるので、あまり期待しないでBunkamuraへ入った。すると、コロー、クールベ、マネ、ブーダン、ルノワール、シスレー、モネ、スーラ、シニャック、クロス、プティジャン、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ、ロートレック、ルドン、シダネル、ボナールなどの好品が予想以上の量と質で並んでいた。コレクター鈴木常司の趣味の良さが分かる。 印象派を中心としたこのような画は、明るくて優しいので疲れない。馴染みの画家ばかりだから、キャプションを読む必要もない。3人で楽しい時間を過ごした。好みの画を下に貼り付ける。 一番良かったのは、ゴッホの橋の画。クレラミューラーのアルルの跳ね橋と似た構図だが、オレンジで女たちを縁取りしたり、水面に書き込んでいる点は、こちらのほうが迫力がある。もう一点ゴッホが出ていた。《草むら》。TASHENのVan Goghによると、これもアルル時代のもので、Private collectionとなっている。
(2006.1a) 後期には、ゴッホの《アザミの花》、セザンヌの《アルルカン》、ルノワールの《レースの帽子の少女》が出ていた。以前に観たはずであるが、今観るといずれも新鮮である。 特に、アザミの花の背景の青がなんともいえず素晴らしい。ブログ参照。 そのほかの参加者は、Nikkiさん、英嗣さん、佐代子さん、lysanderさん、チョングリさん、亜紀さん。時間のある人だけで二次会。結構盛り上がった。(2006.2.18)
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