海外美術散歩 09-2 (日本美術は別ページ)

 

メキシコ20世紀絵画展 09.7 ゴーギャン展(東京) 09.7 ベルギー幻想美術館 09.9 イタリア美術とナポレオン展 09.10
ウィーン世紀末展 09.10 The ハプスブルク 09.10    

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The ハプスブルク: 国立新美術館

 

1.ハプスブルグ家の肖像画: この中での白眉は、やはりヴィンターハルターの《オーストリア皇妃エリザベート》。姑ゾフィーとの確執、息子の皇太子ルドルフの自殺、本人の悲劇的な暗殺などが頭をよぎるが、それだけにこの美しさはこの世のものとは思えない。

2.イタリア絵画: ルネサンスの巨匠のオンパレードで、おもわずのけぞるほどである。お気に入りは、ジョルジョーネの《矢を持った少年》。素晴らしい筆致である。この矢は愛の矢なのだろうか。ルイーニの《聖母子と聖エリサベツ、幼い洗礼者聖ヨハネ》は、ブダペスト美術館展の図録の表紙となっていた画。レオナルドの弟子らしいスフマート技法である。ラファエッロの《若い男の肖像》は初見。ブタペストにも良い画がある。でもこの男の目つきはいやらしい。ティツィアーノの《聖母子と聖パウロ》もブタペストから。落ち着いた良い画である。ティントレットの《オンファレの寝台からファウヌスを追い出すヘラクレス》や《キリストの笞打ち》も印象的な画。前者はブタペスト、後者はウィーンからであるが、双子の画のように展示されていた。

3.ドイツ絵画: この部屋は見事。デュラーが3点。お気に入りはウィーンの《若いヴェネツィア女性の肖像》は拙HP「美術散歩」の表紙に使っている。ブタペストの《青年の肖像》もすっきりとしている。デューラーの《バラ冠の祝祭》は、実物をプラハで見たが、今回はその17世紀初めのコピーが出ていた。本物より色の鮮やかさは劣るが、雰囲気は十分に出ていた。ブタペストのクラナッハ(父)が2点並んでいた。《洗礼者ヨハネの首を持つサロメ》と《聖人と寄進者のいるキリストの哀悼》。これらは今回のベストファイヴに入るだろう。ザイゼネッカーの《チロル大公フェルディナンドの肖像》にも再会した。

4.特別出品: 明治2年にわが国から献上された《風俗・物語・花鳥画画帖》が里帰りしていた。豊原国周や歌川広重(三代)の鮮やかな色彩には目を見張る。

5.工具と武具: 《シャーベット用センターピース》や《ラピスラズリの鉢》が印象的。

6.スペイン絵画: エル・グレコの《受胎告知》やスルバランの《聖家族》はブタペストから。思わず画の前で足を止めてしまう。ベラスケスの《食卓につく貧しい貴族》は落ち着いた初期の作品。こういう画も良い。ムリーリョの素晴らしい画が並んでいたが、中でも《悪魔を奈落に突き落とす大天使ミカエル》の迫力は、この画家のいつもの柔らかなタッチとは異なっている。

7.フランドル・オランダ絵画: ヤン・ブルーゲル(父)の《森の風景》はピーター・ブリューゲル(父)の影響を受けている。画面中央のサギはすぐ分かるが、右端のウサギはうっかりすると見逃す。フランドル絵画特有の隠し技。ルーベンスの画が何点も出ていたが、大勢の人間が描かれているのは大概工房作。その点、《キリスト哀悼》は小品で紛れもない真筆。全体にくすんだ感じはするが、マリアの衣の銀色が美しい。《改悛のマクダラのマリアと姉マルタ》は大きな画だが、二人だけしか描かれていないので真筆?マルタの衣の銀色が美しい。ヤーコブ・イサクスゾーン・ファン・ライスダールの《アムステルダムの運河の眺め》のような落ち着いた画もブタペストにあったのだと今更のように感心して会場を出た。

(2009.10a) ブログ


クリムト、シーレ ウィーン世紀末展 日本橋高島屋

 

 以前に行ったことのあるウィーン・ミュージアム(旧ウィーン市立歴史博物館)所蔵のコレクション展。

 章立ては、
1.装飾美術と風景画ーリアリズムから情緒印象主義へ
2.グスタフ・クリムトとそのサークル
3.エゴン・シーレ
4.分離派とウィーン工房
5.自然主義と表現主義

 お気に入りは、マッチュ《テレーゼとフランツ・マッチュ》、エルンスト・クリムト《宝石商》
 グスタフ・クリムトでは初期の作品:《寓話》、《愛》、 《彫刻》、《パラス・アテナ》、《牧歌》。シーレでは、《ひまわり》と《自画像》。カール・モルの《庭のテラス》とコロ・モーザーの《麦わら帽子の娘》も良かった。

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イタリア美術とナポレオン展 大丸ミュウジアム

 

 コルシカ島のフェッシュ美術館というなじみのない美術館展。コルシカ島といえばナポレオン生誕の地であることはだれでも知っているが、その叔父のジョセフ・フェッシュ枢機卿(1763−1839)が世界有数のコレクターであり、当時16000点以上の美術品も収集していたということを知っている人はそれほど多くないだろう。卿の遺言により、ナポレオンの子弟のため、コレクションの大部分が売却されたが、1000点だけは自分の出身地のコルシカ島のアジャクシオ市に贈られ、それがフェッシュ美術館の基礎となっているのである。

 展覧会は、第1章:光と闇のドラマー17世紀宗教画、第2章:日常の世界を見つめてー17世紀風俗画の世界、第3章:軽やかに流麗にー18世紀イタリア絵画の世界、第4章:ナポレオンとボナパルト一族に分かれている。

 宗教画のなかではボッチチェリの《聖母子と天使》、ジョヴァンニ・ベッリーニの《聖母子》。

 17世紀風俗画では、パウル・ブリルの《風景》、ガスパール・ヴィッテルの《サンタンジェロ城の見えるローマの景観》、マルテーゼの《トルコ絨毯と壁布のある静物》。

 18世紀イタリア絵画では、ベネディット・ルティーの《難破船を救う聖女カタリナ・トマス》、フランチェスコ・ソリメーナの《リベカの出発》、セバティアーノ・リッチの《カルミスとブレンヌス》、コッラード・ジャクイントの《サン・ニコラス・ディロレージ聖堂のドーム装飾のための習作》などが目に止まった。

 ナポレオンの章ではアレクサンドル・カバネルの《ナポレオン3世》、カノーヴァの大理石像《ジョセフ・フェッシュ枢機卿像》、カルポーの《皇太子像》。出品数は少ないが、歴史を感じさせる奥深い展覧会だった。

(2009.10a) ブログ


ベルギー幻想美術館 Bunkamura

 

  姫路市立美術館所蔵のベルギー美術展。副題は「クノップからデルヴォー、マグリットまで」。わたしは象徴派絵画・シュール絵画好きである。自分のHP「美術散歩」のサイト内検索を、象徴派・デルヴォー・マグリットでかけてみると、ブログに書いたよう10展も出てきた。

 第1章 世紀末の幻想 象徴主義の画家たち: デルヴィルの大作《レテ河の水を飲むダンテ》は、ベアトリーチェにつれなくされたダンテがマチルダから忘却の河の水をもらう印象的な作品。
 クノップフのパステルの小品《ヴェネツィアの思い出》は以前の象徴派展の図録では「ギャルリーところ」となっているが、その後姫路市立美術館で購入したらしい。これは画家の理想の女性であろうか。輪郭をぼかした柔らかな筆致、細密な描き方は、繊細で甘美な女性像となっている。クノップフの鉛筆・木炭・パステル《ブリュージュにて 聖ヨハネ施療院》も神秘主義的・象徴主義的な幻想絵画。

 ドグーヴ・ド・ヌンクの《夜の中庭あるいは陰謀》には三人の黒衣の女が庭でひそひそ話をしている。「夜の風景」を得意とするこの画家の面目躍如たる作品。

 フレデリックの三連画が2点出ていた。一つは《アッシジの聖フランチェスコ》。兎・牛・山羊などの動物が説教を聞いている。キリスト教神秘主義の影響だとのことである。もう一枚は《春の寓意》。中央には聖母・幼児イエス・ヨハネらしき3人、左右には花飾りを持つ天使が描かれているが、宗教画の約束事の色にはとらわれぬ幻想的世界。

 第2章 魔性の系譜 フェリシアン・ロップス: 今回の展示はほとんどが版画であったが、その細密な技巧にも感嘆させられる。エリオグラヴュールの《スフィンクス》は、スフィンクスにしなだれかかる裸体の女性とこれを後から眺めている悪魔であるが、以前の象徴派展では色彩版の《バルベイ・ドールヴイ著『悪魔のような女たち』の扉絵》を見ている。版画《生贄》も以前に観ているが、山羊頭の悪魔の姿や流れる生贄の血など物凄い。

 第3章 幻視者の独白 ジェームス・アンソール: 版画が多かった。特に32点組みの《キリストの生涯》は力作。有名な《キリストのブリュッセル入城》、《人々の群れを駆り立てる死》、金目当ての《悪い医者》という版画も面白かった。油彩の《果物、裸にされた光》の右側に描かれた仮面が机の上の葡萄に食いついている。

 第4章 超現実の戯れ ルネ・マグリット: おなじみのマグリットのモチーフを描き込まれたシュールな画が並んでいる。《ジョルジェット》、版画集『マグリットの捨て子たち』の挿図12点が印象的。

 第5章 優美な白昼夢 ポール・デルヴォー: 油彩《海は近い》、サベナ航空社長宅の壁画3枚、絹織物サーベル・ビロードの《ささやき》、クロード・スパーク『鏡の国』のための連作の中の「最後の美しい日々」など面白い作品が多かった。

(2009.9a) ブログ


ゴーギャン展 東京国立近代美術館

 

 名古屋ボストン美術館の同名展は出展数38点、油彩はボストン4点、ポーラ3点、その他の国内館各1点、合計13点という淋しいもので、目玉の《我々はどこから来たのか 我々は何者なのか 我々はどこへ行くのか》のみが光っていた。

 近美のこの展覧会は目玉作品は同じであるが、内容ははるかに充実していた。ゴーギャンだけの個展をみたのは初めてのような気がするほど立派な展覧会となっていた。出品目録には全53点、油彩合計24点が載っているから、名古屋とはまったく異なる規模の展覧会である。

 第1章 野性の開放: 1882年の《オスニー村の入口》、西美の《水浴の女たち》・《海辺に立つブルターニュの少女たち》、ひろしま美の《愛の森の水車小屋の水浴》、損保ジャパンの《アリスカンの並木道、アルル》、MOMAの《洗濯する女たち》、《二人のブルターニュ女のいる風景》、クライスラー美術館の《純潔の喪失》。

 第2章 タヒチへ: 個人蔵の《パレットを持つ自画像》とシュトゥットガルト州立美術館の《エ・ハレ・オエ・ヒア(どこへ行くの?)》。後者は石膏像《オヴィリ》の基になっているとこと。

 第3章 漂泊のさだめ: ここには《我々はどこから来たのか 我々は何者なのか 我々はどこへ行くのか》が展示されているが、その前室の壁面には説明動画があり、実際の展示室の壁には詳しいパネル表示がされていて親切だった。名古屋では画を掛けた壁面が紫色であり、東京では内側が白・外側が黒となっていた。恐らくこのためか、名古屋で見た際には「青」が強調されていたが、東京では人体の「黄」が目立っていた。これには照明の影響があるかもしれないが、名古屋で感じられた「鬱」は東京ではそれほどは感じられなかった。自分としては名古屋の壁面や照明がこの画を描いた際の画家の心情に近いのではないかと思った。

 次の部屋では、テート・ギャラリーの《ファイア・イヘイヘ(タヒチ牧歌)》、プーシキン美術館の《浅瀬(逃走)》、《赤いマントをまとったマルキーズ島の男》、最後の《女性と白馬》。

(2009.7a) ブログ


メキシコ20世紀絵画展 世田谷美術館

 

 先月、名古屋市美術館でメキシコ・ルネサンスの特集展示を見てきたばかりである。世田谷美術館のリストを見ると、名古屋で見たフリーダ・カーロ、マリア・イスキエルド、シケイロス、オロスコ、リベラ、北川民次の名前も出てくる。


 まず最初に出てくるのは、ポスターの画となっているはフリーダ・カーロの《メダリオンをつけた自画像》。これが掛っている壁面はこれ一枚だけ。背景に世田谷美術館の美しい庭がこの画を取り巻いている。フリーダ・カーロは交通事故で重傷を負い、リベラと2度結婚した際にも、結婚衣装を着ることがなかったというが、この画はカーロの母親の故郷オアハカ州テワナの伝統的なウィピル(貫頭衣)を身につけている。鳩のメダリオンを着けた衣裳の中のカーロの眼には大きな三つの涙が見られる。身体的な不幸、繰り返す手術、そしてリベラの浮気などの象徴だとすれば、あまりに悲しい自画像である。この画は本邦初公開ということだが、これを近くで見るだけでも価値がある。

(2009.7a) ブログ