MOMA展 93.2 | 芸術と自然展 93.3 | ヴィクトリアアルバート展 93.3 | ルーアン展 (19世紀) 93.3 |
マンチェスター展 93.4 | ゴーギャン展 93.4 | トレチャコフ展 93.4 | ワルシャワ展 (バロック) 93.4 |
リール展 (バロック・ロココ) 93.5 | ニューオリンズ展 93.5 | ブタペスト展 (風景画) 93.5 | 岐阜県美術館 93.5 |
ルーヴル200展 93.6 | ルノワール展 93.8 | ヨーロッパ名画展(ベルン) 93.9 | 国立ポルトガル古典美術館 93.9 |
グルベンキャン美術館 93.9 | ボイマンス展 93.10 | ムンク展 (愛と死) 93.10 | ゴッホ展(1) (ミレー) 93.11 |
ヴァチカン展 93.11 | スコットランド展 93.11 | コロンバス展 93.11 | アイルランド展 93.11 |
エルミタージュ展(2) (ルネサンス) 93.11 | ラシード・アライーン展 95.3 | ||
バーンズ展 94.1 | グラスゴー展 94.1 | 名古屋市立美術館 94.2 | カイロ展 94.2 |
クライストチャーチ展 (ルネサンス) 94.3 | ブタペストルネサンス展 94.4 | 印象派展 (マンチェスター) 94.6 | ボストン静物画展 94.7 |
ハンガリー19世紀展 94.7 | 富士美術館 94.7 | シカゴ展 94.8 | フランス肖像展 94.9 |
ゴッホ展(2)(肖像画) 94.9 | パリ1874展 94.9 | エルミタージュ展(3) (ロココ) 94.10 | マグリット展 94.11 |
秦の始皇帝とその時代展 94.11 |
目 次 ↑
中国のファースト・エンペラーの墓を守る陶製の兵士や馬が大量に発見されたのは、1974年であるから、それほど昔のことではない。これはまさに死後の始皇帝を守る地下軍団である。 その一部が世田谷美術館に来た。家内と娘と三人で出かけて感心して見てきた。(1994.11a) 等身大の兵隊像もすごいが、実物大の馬、馬車にも驚いた。しかもその数がただならぬものだ。こんなおびただしい数の兵隊に守られている地下で眠っている始皇帝は本当にすごい力を持っていたのだとつくづく思ったことだ。(1994.11t) |
主人と共に美術に興味を持ち始めて3年。興味を持たなければルネ・マグリットなどという画家にはめぐり合わなかったであろう。本当に変わった面白い絵を描く人だ。発想が豊か。構図が 奇抜。分かり易い。きれいな絵。ちょっと漫画的でユーモアがある。絵の題の付け方も面白い。 私はマグリットの絵の中で好きなモチーフは雲。青空に大きくはばたく鳥、その鳥が透けていて青空になっている。下は海。しかしその絵のタイトルが何故か「大家族」。秋の爽やかな空を見るとマグリットの絵を連想する。雲の他、りんご、鈴、シルクハット、岩など独特なモチーフがある。(1994.11t) |
エルミタージュ展の第3弾である。今回フランスのバロックとロココである。前にも書いたが、このような素晴らしい絵画をいながらにして楽しめる日本となったのである。第二次大戦直後の貧しい時代には夢想だにできなかったことであり、鉄のカーテンの時代でも困難だったものが、向うからやって来る。これを幸せといわないで、なにが幸せであろうか。
今回の展覧会では、17世紀のヴーエ、ル・ブラン、シャンパーニュ、ル・ナン、プッサン、ロラン、ミニヤール、18世紀のラルジェリエール、ヴァットー、ランクレ、ナティエ、ブーシェ、シャルダン、グルース、フラゴナール、ロベール、ヴィジェ・ルブランとめぼしい作家がほぼ網羅されており、本当の大規模展覧会である。 中でもシャンパーニュの「十戒を手にするモーセ」、ルイ・ル・ナンの「祖母訪問」、クロード・ロランの「港の朝」、ミニヤールの「聖カタリナの神秘の結婚」、シャルダンの「洗濯をする女」、フラゴナールの「盗まれた接吻」、ヴィジェ・ルブランの「大公妃の肖像」などは名品中の名品であり、観るだけで命の洗濯になった。 さらに多くの素描画もあり、本当に贅沢な展覧会であった。(1994.10a) |
1874年は近代絵画発展の歴史の上で決定的な役割を果たした印象派が誕生した記念すべき年なのだ。 あの有名なモネの「印象 日の出」もありました。思ったよりサイズが小さく、近くで見ると本当に単純な線描画なのですが、ちょっと離れてみると靄に包まれた朝焼けの海辺の景色がボーと浮かび、朝日の赤がとても効いています。この画は初めは散々な批評を浴びたそうです。 ドガの「バレーの舞台稽古」、セザンヌの「首吊りの家」、ルノワールの「踊り子」などの素敵な絵もありました。サロン展入選作品も同時に並べられていましたが、これと比べると印象派の画は堅苦しくなく、見ていて和むものが多く、印象派が発展したわけも理解できるというものです。(1994.9t) |
安田火災の美術館での5年連続ゴッホ展企画の第2回目の展覧会。パリ時代のゴッホは人物画の練習にあけくれました。身近な人、赤ちゃんからお年寄りまでいろいろ描き、自画像も精力的に描きました。 アルルのルーラン一家は全員がモデルになってくれました。初めの作品はやや暗い色調ですが、だんだん明るくなって行きます。点描でなく長短の筆致で描かれています。 ルーラン家のプくプくに太った豪快な赤ちゃんの画は印象に残りました。肖像画をみてその人物の性格もわかるようでした。(1994.9t) |
マイナーのこの美術館は 渋谷から歩ける距離で、高級住宅地にある。小さいな美術館だがユニークな企画展が多い。今回は肖像にポイントをおいたものだ。写真のない時代は、権力者や英雄の肖像を画家に頼んで描かせていたが、19世紀に写真が発明されると人物を正確に描き移す必要性がなくなり、ここから画家の主張によって表現する肖像画に変わっていったのだ。 変にデフォルメされたものや、色彩で表現したり分解したり、崩されたり、見苦しい顔にしたり、性格がいかにも悪そうに表現されたり・・・とそのモデルになった人は怒ったのではと思われるものがたくさんある 画と共に彫刻も同じながれである。ピカソのキュービスムの女性像も展示されていたが、これがとてもまともで気持ちの良い肖像画にうつった。(1994・9t) |
ドラクロアからマグリットまでの、近代絵画の歴史が一覧できるよいものだった。有名な画家の画が1枚ずつ、まんべんなく展示されている。有名な画家でも駄作があるものだが、さすがシカゴ美術館の所蔵だけあって、どれも素晴らしいものばかりであった。 ルノアールの「ピアノを弾く婦人」 モネの「チャリング・クロス橋」 ゴッホの「子守りをするマダム・ルーアン」などが私には気に入った作品だ。ほかに、デュフィーの「開いた窓・ニース」の青もきれいであった。 いつものように、カタログを買ったが、このカタログは美術の歴史を順に追って見られるので、手近に置いて いつでも楽しみたい。(1994・8t) |
東京富士美術館は、八王子から少し離れた山の中にある創価学会が経営する美術館だ。隣には立派な創価大学がある。とにかく、大学も、美術館も目を見張るほどの建物。所蔵品もルネッサンスから20世紀まで膨大な量。また東洋陶磁器のコレクションも有名だ。 ちょうどドライブに最適の距離なので、ドライブを楽しみつつ行った。(1994・7t) |
日本では、ハンガリーの近代絵画はあまりなじみはない。今回はじめてムンカーチ・ミハーイ、ロツ・カーロイなる画家の作品を見た。ヨーロッパの影響を受けたもので、優しい女性を題材にしたロマンティックな画が多かった。 ヨーロッパ絵画としては、クールベの「格闘する人」、ゴーギャンの「黒い豚」などが印象に残った。(1994.7t) ハンガリー国立美術館とブタペスト美術館の素晴らしい コレクションである。セガンティーニの「生の天使」は、ミラノ美術館のものより小型だそうであるが、それでも素晴らしい。日本の浮世絵の影響もあり、親しみ易い作品である。 シュトックの「春」は象徴派の絵画として非常に有名な作品である。その他に、ドラクロア、トロワイヨン、コロー、ルノワール、モネ、ゴーギャン、シャヴァンヌ、ボナール、ユトリロの名品も見られたのは、予想以上の収穫であった。ムンカーチ・ミハーイの「ほこりっっぽい道]も非常に良かった。(1994.7a) |
身近な題材を扱った静物画は、なじみやすい。古いところでは16世紀のものから20世紀のものまで幅広く展示されている。初期のものはリアリズムを追及した実に素晴らしい作品が多い。 特にピーテル・クラースゾーンの作品は、ガラス器、しかも中にワインか何か入っているのだがそのワインが光っている様子やガラスにこちら側の景色が映っている様子を実にリアルに表している。また、銀の食器、パン、テーブルクロス、レモンなど実にそれらの質感がよく描かれているのだ。また、鳥を実に上手に描く画家もいる。 ファンタン・ラ・トゥールの静物画も リアルではないが目に優しい画で気に入った。セザンヌは例の机から転げ落ちそうな果物の画。ブラック、グリスの静物画はキュビスムだ。マチスのは、色彩がきれい。 (1994・7t) ピーター・クラースゾーンは17世紀のオランダ画家の1人であるが、本当に素晴らしい。スペインのルイス・メレンデスの「メロンと洋梨のある静物」も珠玉の作品である。シャルダン、ミレー、クールベ、ファンタン=ラトゥール、マネ、ルノワール、シスレー、モリゾ、カイユボット、セザンヌ、ヴュイヤール、マチス、アンソールらの静物画もそれぞれに味わい深かった。(1994.7a) |
マンチェスター美術館などイギリス・アイルランドの美術館からの借用展示会である。 1)バルビゾン派とその周辺:ミシェル、コロー、クールベ、ミレー、テオドール・ルソー、ド・ラ・ペーニャ、デュプレ、トロワイヨン、シェニョー、アルピニー、モンティセリヴォロンの美しい作品が並び、しばし幸せな気分になれる。特にクールベの「村の娘達」はメトロポリタン美術館所蔵作品の第1ヴァージョンということあるが、前者の人物像がサロンで不評だったので、風景画として人物を小さくしたこのヴァージョンを描いたのだという。私はこちらのほうが好きである。 2)印象派とその周辺:ブーダン、モネ、ピサロ、シスレー、ルノワール、ドガ、モリゾ、フォラン、シダネルの作品が展示されており、こちらも良い気分になれる。 3)印象派以後:ゴッホの水彩画「パリ城壁の上の家」が素晴らしい。シニャックの「ポントワーズの道」は色鮮やかな点描で、色彩の派手さはボナールばりの魔術師といえるほどである。 4)ボナールの「祖母と孫」は微笑ましい。その他の画もそれぞれに味があった。 総じていえば、随分良い企画であったといえる。(1994.6a) |
東欧といってもハンガリーは違いますね。特にブタペストは「ドナウの真珠」といわれる街でルネサンス時代にも東欧の中心都市だったのですから、この位のコレクションがあっても不思議と考えるほうがおかしいのでしょう。 でも観てみると知っている名前の画家は意外に少ない。有名になるか、上手な画を描くかということは、必ずしも一致しないわけですから、ブランドにこだわらず、一点一点をじっくり観るという態度が必要なのでしょう。 でもやっぱり有名画家は気になりますね。ちょっと挙げてみましょうか。イタリアルネサンスでは、ジョルジョーネの「若い男の肖像」、ティツィアーノの「総督の肖像」、ロレンツォ・ロットの「天球と王笏を持つ天使」、ヴェロネーゼの「男の肖像」と「磔刑」、バッサーノの「枢機卿の肖像」と「ゴルゴダへの道」、ティントレットの「夫人の肖像」など3点、エル・グレコ?の「聖家族と聖アンナ」ほか1点(?が付いたのはエル・グレコにしては下手なのです)などがありました。 北方ルネサンスでは、デューラーの「若い男の肖像」、クラーナハの「ヨアキムへのお告げ」など4点、アルトドルファーの「聖母子」、ヘームスケルクの「キリスト哀悼」、スプランゲルの「狩の後でくつろぐディアナ」など結構ありますね。でも一部の作品は真筆なのか、工房作なのか、それとも・・・・・、と考えながら観るとちょっと疲れますね。もっともこのことは、この美術館に限ったことではなく、数年前のレンブランド事件を考えれば、どこにでも(もちろん日本ではしばしば)あることかもしれません。 今日の格言:信ずるものは救われん。(1994.4a) |
オックスフォード大学、クライストチャーチ美術館所蔵の、巨匠達の素描画展。素描というと地味で、暗い照明の中に展示されるためじっくり見ると疲れる。 しかし、ヴェロッキオ、ダビンチ、ミケランジェロ、フィリッピーノ・リッピ、ラファエロがあるとなると、真剣だ。 多分、画学生にとっては、勉強の宝庫なのであろうが、所詮素人には素描画はちょっと退屈。これを「豚に真珠」と言うのだろうナ。 (1994・3t) |
歴史に名を残した女性にポイントをおいて、その人々の装飾品や道具も展示されている。 とてもカイロまで旅行もできないので、ちょっと観てきた。女神イシスから、クレオパトラまでの彫像。 猫の形をしたバステト女神は猫の姿をしている。ほっそりとして、猫なのに背筋をピンとして坐っている姿はやはり女神猫だ。 (1994・2a) |
主人の学会について名古屋に来た。主人が仕事をしている間に一人でここに来た。お目当てはモジリアーニの「おさげ髪の少女」。この少女は首が長いもののモジリアーニには珍しく眼がしっかりと描かれている。赤いセーターを着て正面をしっかりと見据えているこの少女の口が少し開いていて、歯が見えているのが子供らしいと思った。帰ろうとした時、学会を抜け出していらした知り合いの先生にもお会いした。(1994・2t) |
コロー、クールベ、ミレー、ド・ラ・ペーニャ、テオドール・ルソー、ジャック、トロワイヨン、ブルトン、レルミット、ヴォロン、レピーヌのような写実主義 画家に続いて、ブーダン、マネ、ピサロ、シスレー、モネ、ギヨーマン、ルノワール、カサットのような典型的な印象派、そしてモンティセリ、ファンタン・ラ・トゥール、セザンヌ、ゴーギャン、ベルナール、ゴッホ、ロートレックなど印象派に続く画家、そしてヴイヤール、スーラ、シニャックなどのアンティミスト、最後にマティス、ルオー、ドラン、ヴラマンク、デュフィ、マルケらのフォービスト ならびにグラスゴーボーイズの画が並んでおり、西洋近代美術史のフランス篇から抜粋してきたごとくであった。 (1994.1a) |
1993年12月26日に日本橋三越の書籍部で大枚をはたいてこのカタログを買った。実はあまり厚い本なので、幻のバーンズ・コレクションがついに本になってしまったと思って買ったのであったが、なんとこのコレクションが日本に来ることになったことを後になって知り、初めてこの本がカタログであることに気づいた。このカタログには、さらに別な話がある。丸善のT氏は、私が美術好きなことを知って、美術関係の本を寄贈してくれることが多かったが、ある日このカタログを持参して、私の部屋に来た。「折角だが・・・」とその好意を断ろうとしたところ、これを聞いていた秘書のM嬢が、「私がいただいてもよろしいでしょううか?」と切り出し、この本は目的地を変えてどこかに落ちついている。 実際に出掛けたのは、1994年2月6日である。流石に館内は混みあっているが、サイズの大きな画が多く、十分に堪能できた。というより先のカタログで十分に研究してあるので、これを確かめるために西洋美術館にきたといってもよい。画のサイズだけは、実際に観て観ないと分からないのである。 ルノワール、セザンヌ、ピカソ、モディリアニ、マチスの作品が多く、バーンズの好みを示している。医師であったが、目薬が当たって、購入資金となった。ただ性格的に変わった人物らしく、ほとんど公開せず、自分だけで楽しんでいたらしい。そんなバーンズもあの世まではこれらの画を持っていくことはできず(大昭和製紙の斉藤氏が手に入れたゴッホのガッシェ医師の肖像を、自分が死んだら一緒に火葬してくれといって非難をあびたことがあったが・・・)、コレクションの維持費を稼ぐため、はるか日本まできたらしい。 私が個人的に良いなと思ったのは、ルノワールでは、「ジャンヌ・デュラン・リュエル嬢」、「コンセルバトールの出口」、「母と子」、「横たわる裸婦」、「カリアティード」などであり、モネの「刺繍をするモネ夫人」や「アトリエ舟」も素晴らしいものであった。 セザンヌは個人的にはあまり好きではなかったのであるが、有名な「緑の帽子のセザンヌ夫人」 、「赤いチョッキの少年」、「カード遊びをする人たち」、「果物皿・水差し・果実」、「大水浴」などを観ると、やはりこれは只者ではないという気がしてくる。 スーラの「ポーズする女たち」はとても大きな画で、その背景にはシカゴ美術館にある「グランドジャット島の日曜の午後」がかけられている。 ピカソでは、「曲芸師と幼いアルルカン」、「男の頭部」・「女の頭部」が印象的であり、マチスでは「生きる喜び」、「三姉妹のトリプティック」、「音楽のレッスン」、「ダンス(メリオンの壁画)」などが良かった。(1994.1a) |
エルミタージュ展の第2弾である。今回はルネサンスである。このような世界の至宝をいながらにして楽しめる日本となったのである。第二次大戦直後の貧しい時代には夢想だにできなかったことであり、鉄のカーテンの時代でも困難だったものが、向うからやって来る。これを幸せといわないで、なにが幸せであろうか。 特にジョルジョーネの「風景の中の聖母子」が素晴らしい。ジョルジョーネといえばヴェネツィア派でも、横綱級の巨匠であるが、意外と見る機会が少ない。私の好きな作品はエルミタージュの聖母子像が第一である。特に聖母マリアに顔が優しく、赤と緑の服装も優雅である。背景に拡がる谷、森、館、遠くの山々も独特な輪郭のぼやけと微妙な陰影を伴って、一度見たら忘れられない絵となっている。 ペルジーノの「若い男の肖像」、ボッティチェリの「聖ドミニクスと聖ヒエロニムス」、パルマ・ベッキオの「キリストと姦淫の女」、ロレンツォ・ロット の「老人の肖像」、ベッカフーミの「聖女カタリナの神秘の結婚」、ティッツィアーノの「若い女性の肖像」と「全能者キリスト」、ヴェロネーゼの「聖女カタリナの神秘の結婚」と「キリストの復活」、アンニバーレ・カラッチの「キリストの墓を訪れる聖女たち」などの油彩画の他に、フィリッポ・リッピ、ポントルモ、パルミジァニーノ、バッサーノ、ティントレット、ヴェロネーゼ、カラッチなどの素晴らしい素描画もあり、一つ一つの画の前で立ちすくみ、出口に来るや、もう一度最初から観なおして、これらの傑作に別れを惜しんだ。(1993.11a)
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わざわざ電車に乗って千葉まで出かけた。実は明年まで待てば、東京でも観られたのであるが、ミニ旅行で、なじみのない美術館で観るのもまた乙なものである。 ダブリンからはるか海を越えて来たルネサンス・バロック・ロココの作品はどれも素晴らしいものであった。どうしてアイルランドにこのような名品が揃っているのであろうか。やはり日本とヨーロッパの差を感じざるを得ない。 とりわけティツィアーノの「エマオの晩餐」、ルーベンスの「貢の銭を見出す聖ペテロ」、スルバランの「聖女ルフィーナ」、ムリ−リョの「子羊と遊ぶ幼い聖ヨハネ」、ドラクロアの「海辺のデモステネス」が印象的であった。 スルバランの聖女ルフィーナは3世紀セビーリャの貧しい陶工の娘で、隠れたキリスト教徒であった。姉フスタとともに父親の陶器がヴィーナスの神殿で使われるのを止めようとして、女神像を砕いたため、姉妹ともに絞首刑となった。(1993.11a) |
1)印象派と先駆者たち、2)象徴主義的傾向、3)フォーヴィズム・色彩、4)表現主義、5)具象から抽象へーパウル・クレー、6)新しい視点ーキュビスム、7)20世紀前半の具象絵画とまとめられた展覧会であるが、アメリカのオハイオ州の小さな?街にもこのような立派なコレクションのあることに驚かされる。 各章ごとに一つか二つずつ私が気に入った作品をあげると、1.ルノワールの「舞台衣装のアンリオ夫人」の上品な藤色、ドガの「断崖のふもとの家並み」の素晴らしい紫色、2.アンソールの「貝殻」の多彩な色合い、3.ボナールの「二人の裸婦のいる風景」やマチスの「サフラン色の薔薇と鳥篭のインコ」の鮮やかな黄色、4.ノルデの「強風に立つひまわり」の輝く黄色、5.クレーの「思案に暮れて」の茶紫色、6.ピカソの「果物皿とグラス」の黒緑色の細かい斑点、7.モランディの「静物」の陶土色などが印象的であった。これだけ作品数が多いと、ぱっと目に入ってくる色彩が人の心をまず捕らえるのだろう。(1993.10a) |
1975年にエディンバラに滞在する機会があったが、有名なお城の方に興味が行って、この美術館を見逃してしまった。今から考えるととても残念であるが、考え方によっては、それだからこの素晴らしい展覧会で興奮を覚えたのかもしれない。 ヴェロネーゼ、エル・グレコ、シャルダン、ブーシェ、グルーズ、グァルディ、ゴヤ、レイノルズ、ゲインズバラ、トマス・ローレンス、ジェラール、ドラクロア、トロワイヨン、コロー、ドービニー、ファンタン・ラトゥール、クールベ、ピサロ、シスレー、モネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ボナール、ヴィヤール、ロセッティ、ミレイ、サージェント、エルンスト、ミロ、、レジェ、ピカソ・・・と絶品が揃っており、本当に西洋美術史の陳列そのものであった。さらにスコットランドの絵画もラムズィ、レイバーンのような古いものから、グラスゴー派の作品まで揃っていた。 有名なゴーギャンの「三人のタヒチ人」に邂逅できたのも幸運であった。 私はサージェントの「ロックノーのレディ・アグニュー」が素晴らしいと思った。というよりは私が画の中で観た最高の美人であると信じている。(1993.11a) この展覧会で一番インパクトが強かった絵はジョアンニ・ブッシの「聖アガタ」。画家については知らないが、ふたつの切り取られた乳房が載ったお皿を手にした聖アガタがこちらを見ているという絵。拷問で乳房を切り取られた殉教聖女なのだそうだ。西洋画にはけっこう残酷な題材がある。 爽やかな、美しい絵もあった。パン屋さんでよく見かける「ポンパドール夫人」はモーリス・カンタン・ド・ラトゥールのもののようですが、この「ポンパドール夫人」はブーシェのもの。ルーブル美術館には、モーリス・カンタン・ド・ラトゥールのものとブーシェのものがあって紛らわしいが、スコットランド美術館のは別なブーシェで、周りの情景が省略され、夫人自身に焦点が当てられたものだ。ブーシェのリボンや、花、レースをたっぷり使った優雅なドレスを身につけた夫人、頬がほんのりとピンクにしてある、ブーシェ独特の描き方である。(1993.11t) 追記:パン屋さんの「ポンパドール夫人」はルーブル美術館のブーシェのものだと思っていたのだが、BBSでこれはモーリス・カンタン・ド・ラトゥールのものだとのご注意を受けたので、その箇所を書き換えた。(2005.5a)
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いつもは、主人と二人で行くことが多いのだが、今回は私が一人で見てきた。 システィーナ礼拝堂の大壁画修復を記念して、企画された展覧会だ。 一番のめだまは、レオナルド・ダビンチ の「荒野の聖ヒエロニムス」。「モナリザ」以来日本で公開されるダビンチの2作目の真作油彩画とのふれこみである。聖ヒロエニムスが荒野でガリガリの身体に石を打っている。その前には、いつものようにライオンがハチ公のように、忠実に坐っている。(1993.11t) |
安田火災東郷青児美術館では今年から5年にわたってゴッホの展覧会をするのだそうだ。その1回目として「ゴッホとミレー」展。初期の作品は暗い絵が多い。ミレーを尊敬して彼の作品の模写を随分と描いている。有名な「馬鈴薯を食べる人」では、労働でごつごつした手の農民の家族が大皿に盛った馬鈴薯を暗いランプの下で食べている。馬鈴薯の他はお茶(?)だけ。皆やせている。 画の題材もミレーに影響を受けて、農民を描くことを目指したのだ。農民画家ゴッホの誕生だ。(1993.9t) 安田火災東郷青児美術館で5年間にわたって開かれるアムステルダム・ゴッホ美術館のコマギレ美術展の第1弾である。私は忙しかったので観ることができなかったが、家内は観に行ってきて、大したことはなかったという。そう云われると見逃したのがますます残念になる。(1993.11a) |
あの有名な「叫び」がきた。赤い空、うねるような海、橋のところに両手を耳に当てて「キャー」もしくは「ヒェー」と恐怖の極致の顔をした人がいる。何故か髪の毛はなく、顔はまるで骸骨っぽい。背景とその人物像で不安、孤独、死といった精神性が十分に伝わってくる。ムンクが表現主義といわれる所以だ。 ムンクの他の作品も、彼自身の経験した、家族の死、恋愛、それにまつわる事件が モチーフとなっている。「不安」、「メランコリー」、「声」など感情を表す絵が多い.(1993.10t) |
ピーター・ブリュ−ゲルのバベルの塔はウィーンとロッテルダムに残っているが、ついに後者が日本にやってきた。天まで届く巨大な塔を建てようとする人間の傲慢さを諌めるため、神が人類が同じ言葉を使うことができなくしたと言う「旧約聖書」の物語。バブルの時代の建築である東京都庁「バブルの塔」はさしずめ経済大国と称して奢っている日本人の象徴であり、そのうち神罰が下るかもしれない。 この画家は本当の職人だったのだろう。それでなければ、こんなに時間のかかる作業をやるはずがない。よく見ると、本当に細かいところも手抜きしないで、しっかりと描かれており、その発想の豊かさに驚かされる。 本当に脱帽、そして敬礼!(1993.10a) (追記)1993年の日本は、まだバブル景気を謳歌しており、新しい東京都庁はバブルの塔と呼ばれていた。このボイマンス美術館展はセゾン美術館で開催されたのであるが、バブルがはじけるや、セゾン美術館自体が閉館されたのは、まさに聖書の創世記にしるされた「天まで届く塔のある町」に対して主なる神が下された混乱の再来のようである。 |
スイスはヨーロッパの中心にある。したがってヨーロッパ絵画もスイスには沢山ある。その中でベルン美術館の所蔵品が初公開というのであるから見逃すわけには行かない。ベルン美術館はクレーのコレクションで有名であるが、今回の展覧会にはクレーは数枚しかなかった。しかしそれ以外のの作品もレベルの高いものがそろっていることがよく分かった。 例えば、ホドラー、ジャコメッティ一族、クーノ・アミートなどのスイス派の作品の他に、ドラクロア、ピサロ、ルノワール、リーバーマン、ウーデ、ヴァロットン、スレフォークト、マティス、ドラン、,ピカソ、ブラック、レジェ、ユトリロ、スーティン、カンジンスキーなどの好品が並んでいた。よかった。(1993.9a) |
リスボンで国際学会があったので、主人に同行した。グルベンキャン美術館は泊ったホテルから歩いて行ける距離にあった。彫刻、家具、宝飾品、皿、壷などいろいろ展示されている。そこは、さーとあっさりと見て、私たちの興味の対象の西洋絵画のほうに進む。ルーベンスの貴婦人の絵、マネの「シャボン玉遊びをする少年」、これに主人はひどく感激したようだ。なぜなら昔 教科書に載っていたのだそうだ。私が気に入ったのはロムニーの「少女」の絵。 なにしろ説明が皆ポルトガル語なので画の題も読めない。 グアルディやレピーヌの風景画もすごく沢山あった。せっかくリスボンに来たのでカタログを買おうとしたが、ポルトガル語のしかなく、作品が膨大にあるのでかなり厚く重いもので、絵画はほとんどモノクロ・・・ちょっと残念だが買った。(1993.9t) |
グルベンキャンと共にやはり見ておかなくてはとリスボンの古典美術館を訪れた。一部工事中であったが、静かにゆっくり見られた。ポルトガルではアズレージョというデルフト陶器に似た白地に青の模様のタイルが有名で、それをふんだんに使った教会(?)の祭壇室もあった。 絵画ではデューラーの「聖ジェロニーモ」と、なんといってもボッスの「聖アントニウスの誘惑」三連祭壇画。不気味な妖怪、悪魔のオンパレード。しかも皆変な事をしている。残酷、変態 、よくもこんな発想ができるものだと感心するやら・・・。本当にボッスって変な画家。 ヌーノ・ゴンサルべスがエンリケ航海王子を描いた「多翼祭壇画」も素晴らしかった。(1993.9t) |
ルノワール展:
東武美術館 |
前にも書いたが、通常のデパート美術館は、かなり上の階にあるため、一旦火災が発生すると、展示品を運び出すことが困難になるという理由で、重要な作品はデパート美術館には貸し出されない。東武美術館は珍しく1階にあるため東武美術館には良い作品が来る。
今回はルノワールである。「人生にはつらいことが多いのに、画まで悲しいことを描くことはない」というようなことを云ったルノワールの作品からは人生の喜びだけが伝わってくる。
この展覧会には、三重県立美術館の「青い服を着た若い女」、エルミタージュの「扇を持つ女」、ル・アーブルの「ハイカー」、メトロポリタンの「ピンクと黒の帽子を被った少女」、ロスアンジェルス・カウンティの「本を読む二人の少女」、クラーク・アートの「本を読む少女」や「手紙」、ハイドコレクションの「ココ」など少女にたいする優しいまなざしが注がれた優れた作品が揃っており、しばし和やかな気分に浸ることができた。(1993.8a) |
ルーブル美術館 開館200年を記念しての展覧会。コレクションの経緯にも注目し、王室コレクションから始まり、、芸術政策のよるコレクション、大コレクターによる寄付、などによって配列されている。 ジェリコー「メデュース号の筏」(下絵)、ドラクロアの「サルダナパールの死」(下絵)、アングル「アンジェリカを救うルッジェーロ」、ヴェラスケスの「王女マリア・テレーサの肖像画」など堂々たる絵画がある中、私のお気に入りは シャルダンの「食前の祈り」、ジョルジュド・ラトゥールの「聖トマス」、 スルバランの「聖女アポロニア」だ。(1993・6t) やっぱりルーブルは凄い。素晴らしい画の集合で、圧倒された。お気に入りはヴェルネの「海景、月明かり」、ヴェロネーゼの「子供と犬を連れた婦人の肖像」、グロの「アルコール橋のボナパルト」、シャルダンの「食前の祈り」と「葡萄の籠」、ボルドーネの「フローラ」ドラクロアの「ストーブ」、ロランの「港、霧の効果」などなど・・書き出せばきりがない。(1993.6a) |
大垣で開かれた研究会の夜は長良川ホテルに泊った。あいにくの雨ではあったが、鵜飼の屋形船で食事をするという趣向はなかなかのものであった。 翌朝はうってかわった快晴で、私は岐阜駅からバスで15分のところにある岐阜県美術館に出かけた。 この美術館はルドンのコレクションで有名である。チケットもルドンの「目を閉じて」である。期待通り、ルドンの鮮やかな色彩は、立派な前庭の5月の緑に映えて見事であった。 (1993.5a) |
何といっても、ルネッサンス時代の風景画として、ラファエロの「エステルハージのマドンナ」を見られてよかった。これはラファエロの優しいマリアとイエス、ヨハネがあまりにも美しいので風景画の仲間に入るのかしらと思ったが、確かに遠景に山、建物、川、丘、などがある。 ライスダールの広い空にちょっと暗い雲が描かれている風景画、クロードロランの風景画、バルビゾン派の風景画、モネ、ピサロの風景画・・・と、風景画の歴史が楽しめた。(1993.5t) |
印象派の絵画が中心です。このころのパリはまさしく国際都市ですね。印象派の中でもピサロはカリブ海のセントトマス島出身です。私は一度だけ行きましたが、良い所ですよ。ピサロの生まれたころはデンマーク領でしたが、今はアメリカ領となっています。ただし関税がかからない自由港なので、ショッピングとマリーンリゾートを目的に観光客で賑わっていました。 閑話休題、私が書きたかったのはドガのことです。彼の祖母と母はなんとこのニューオリンズ出身なのです。そこで彼も5ヶ月間、ニューオリンズに滞在しています。もちろんそこでも画を描いており、シカゴ美術館には滞在した親戚の仕事場の画がありました。何々、随分あちこち遊んでいるではないかって。仕事ですよ、仕事。ただしちょっと時間を作って美術館に出かけてはいますが。 今回の展覧会にもドガの画は4点出品されていました。「緑の踊り子」はパステル画ですか、軽いタッチで、全体が黄色の明るい素晴らしい画です。油彩画は「エステル・ミュッソンの肖像」だけでした。美しい若い女性が、花を生けているところがえがかれていますが、この画がなんとも暗いのです。その理由の一つは逆光気味であることですが、それだけではこの暗さは説明できません。説明を読んでやっと分かりました。この女性は、ドガの義妹であったが、極端な視力障害者であったのです。しかし暗いのはモデルのエステルの視力であって、エステルの姿ではないはずです。しかしここではドガは、同情心からこの弟の奥さんに成り代わってしまっていたのでは・・・と思います。(1993.5a) |
ファン・ダイクの「公爵夫人と二人の子供たち」、ルーベンスの「マリアとイエス」、ファン・ヘルデルの「静物」、ロイスダールの「砂の道」、セーヘルスの「花」・・・・など 神話、聖書を題材にした宗教画と、歴史画、精密な静物画、風景画など重厚な絵画を堪能した(1993.4t) ポーランドにも素晴らしいコレクションがあること実感した。しかし本展覧会では名前の知らない画家も多かった。これは自分の知識不足というよりも、当時のバロック絵画の底辺の広さを物語るものなのであろう。画は作家のブランド名で見るのではなく、作品自体で評価すべきものであるが、どうしても名前に目がいってしまう。(1993.4a) |
19世紀のロシア近代絵画がたくさんみられた。あまりなじみのない画家たちだが、これを機に覚えた。題材は広大な大地、農奴改革後の民衆の生活、悲しい現実、高邁な知識人など。イワン・ニコラヴィッチ、レオニード・イワノヴィッチ、ニコライ・ニコラエヴィッチ、ウラジミール・エゴロヴィッチなど・・・・○○ヴィッチ づくしだ。重い題材の絵が多くある中、イリア・レーピンの「戸外の夫人」の絵がさわやかだった。(1993.4t) ロシアの絵画を見直した美術展だった。特にクラムスコイ、シーシキン、レーピン、スリコフらの移動派の画家たちの作品は素晴らしい。 クラムスコイの「読書」の妻に対する暖かいまなざし、シーシキンの「森のはずれに咲く花」の小雨の表現、レヴィタンの「春の氾濫」の白樺の色などは、長く心に残る。(1993.4a) |
ゴーギャンとポン・タヴァン派の展覧会。ポン・タヴァンというのは小さ港町で国境を越えて芸術家達を魅了したところ。そこの宿屋にゴーギャンとその友人が集まったのだ。今回は、そのポン・タヴァンの風景、人々の様子などの絵が多い。 ベルナールの作品もたくさんあった。そのほか私が知っているのはドニ位で、後はあまりなじみのないポン・タヴァン派の画家であった。風光明媚なこの地で、仲間といっしょに画を描いたり、芸術論を語り合ったりと、皆すごく楽しかっただろうなと思いつつ、ゴッホも、このような環境を作りたくってゴーギャンをアルルに呼んだのかなとも思った。(1993.4t) ゴーギャンは私の好きな画家の1人である。今回はたっぷりとゴーギャンを満喫した。家内はなぜかゴーギャンを好きになれないという。好みというのはいわく不可解である。(1993.4a)
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イギリス絵画は確かにフランス絵画とは異なっている。そのことはこの展覧会を観て痛切に感じられた。
作品としては、レイノルズ、ゲインズバラ、ターナーのような大御所から、ミレイ、ロセッティ、ハントのようなラファエル前派の画が並んでいて圧倒的な感じを受けた。中でも私の気に入った絵は、ウォーターハウスの「ヒュラスとニンフたち」とレイトンの「ヘロの最後 の見張り」のような美人が出てくるものである。 フランスにくらべ、イギリスには美人が少ないので、このように理想化した画が多いのであろうか。周りに綺麗な人がいなくても、画を観れば「素晴らしい美人がそこにいる」というわけなのだろうか。 それにしても近い国なのに、料理にも格段の差がある。(1993.4a) |
本当にフランスの19世紀の絵画は素晴らしい。有名画家、それほど有名でない画家がうちそろっているが、後者も前者に劣らぬ上手な画を描く。一体有名になるということは、何なのであろうか。 有名な画家のものとしては、モローの「馬に喰われるディオメデス」、ジェリコーの「馬」、ドラクロアの「アルジェのユダヤ女の化粧」シャセリオーの「ローマ帝国アウグスットゥスとその奴隷」、ドービニーの「オブトブスの水門」、ドガの「木陰で死んでいるキツネ」、モネの「ヴェトゥイユを流れるセーヌ河」、コローの「ヴィル・ダブレーの朝」、ラファエル・コランの「眠り」、アングルの「麗しのゼリー」、ミレーの「海軍将校の肖像」などがあったが、失礼ながらこれらの画家の作品としては中等度のものばかりであった。 しかしそれほど有名ではない画家のものとしては、ルフェーブル、ブイヨン、ルニョー、モンシオ、レヴィ、デュヴァル、ルモニエ、クール、シュネッツ、ドゥカン、シャプラン、ボワリーらの画は本当に美しいものであった。もし旅行でルーアン美術館を訪れたとしても、有名な画家の作品をツマミ食いしながら、駆け抜けるだけで、これらの作品をゆっくりと鑑賞する暇はとてもないものと思われる。 特にレヴォワルの「ルーアンの牢内のジャンヌ・ダルク」と、ラロッシュの「牢内でウィンチェスター枢機卿に尋問されるジャンヌ・ダルク」、パトロワの「処刑場に引かれるジャンヌ・ダルク」は、彼女が火焙りにされたルーアンの地から運んでこられたものだけにのものだけに、まことに鬼気迫るものがある。(1993.3a) |
いわゆるV&Aのコレクションで、陶磁器、宝飾品、家具、彫刻、織物、絵画と多岐にわたっている。1851年、ロンドンで開かれた、大博覧会の建物の様子、開会式の様子を描いた絵などもある。この博覧会はそのための立派な建物、クリスタルパレスを造り、栄華を極めたイギリスが各国から大々的に美術工芸品を集めて、展覧会を開いたのだ。今で云う”○○博”のはしりとも云うもので当時としては大イベントだったにちがいない。 14代の徳川将軍家茂からの献上品の染付けの重箱もあった。(1993.3t) |
ルーブル、オルセーをはじめとするフランスの国公立美術館より、15世紀から20世紀にかけての代表的な作家、デューラー、カラッチ、プッサン、ロイスダール、ターナー、コンスタブル、ドラクロア、ロラン、カナレット、シャバンヌ、ミレー、コロー、クールベ、マネ、モネ、ドガ、シスレー、リーバーマン、ゴーギャン、マルケ、デュフィ、ルドン、マティスらの作品が目白押しに陳列されていた。 作品構成は、ストラスブール美術館長によるもので、テーマ別に13に分類して展示してあったが、それぞれに年代が違いすぎるものを無理にまとめたような感じがあった。むしろ国別・時代別に分類した方が良かったのではないか。 有名なデューラーの版画「騎士と死と悪魔」やターナーの「遠方に革と湾の見える風景」はとても気に入った。、(1993.3a) |
3月の第1週は福岡に滞在することになった。学会が三つもしまったためである。心地よい春の陽光に誘われて、学会場を抜け出し、大濠公園から美術館へと散歩してみた。 福岡市美術館では、パキスタン出身のラシード・アライーン展が開かれていたので、これを覗いてみることにした。 9枚ののパネル構成で比較的分かり易い主張を載った作品が並んでいた。この福岡市美術館はこのようなアジアの現代アートに力を入れているとのことであった。 常設展もかなりしっかりしており、洋画・日本画のほかに茶道具も並んでいた。(1993.3a) |
なんとなく敬遠していた現代美術ではあるが、ニューヨーク近代美術館の展覧会とあれば見逃すわけには行かない。並んでいる人は、やはり若い人が多い。寒いところで待たされるのには閉口したが、狭い美術館だから仕方がない。こんな良い展覧会はもっと広いところでゆっくりと観たいものである。 ゴッホの「星月夜」の輝く渦巻き模様、ゴーギャンの「月と大地」、アンリ・ルソーの「眠るジプシー女」、シャガールの「私と村」、ピカソの「鏡の前の少女」のような教科書のも載っている傑作をみると、解りにくい現代美術ばかりだと思っていたことが、いかに誤っていたかが良く分かる。その他にも、アンソールの「聖アントニウスの苦難」、ノルデの「子供たちの中のキリスト」、クレーの「魚の周りで」、ロスコの「イエローアンドゴールド」、デクーニングの「女」などそれぞれの画家の代表作が展示されており、印象的な展覧会であった。 バッラ、ボッチオーニ、セヴェリーニなどの未来派の作家には、ここではじめお目にかかったが、それぞれの画にスピード感があり、なかなか面白いと思った。(1993.2a) |