日本美術散歩 10-1 (海外美術は別ページ)

謹賀新年 10.1 柴田是真 10.1 村山槐多 10.1 江戸の彩 10.1
土 偶 10.1 寅之巻 10.1 江戸の英雄 10.2 長谷川等伯 10.2
浮世絵の死角 10.2 小野竹喬 10.2  10.2 東海道五十三対 10.3
井上安治 10.3 安田靫彦-川崎 10.3 安田靫彦-オータニ 10.3 歌川国芳 10.3

目 次 ↑


歌川国芳ー奇と笑いの木版画: 府中市美術館

 

 これは「ある個人コレクター」が集めた二千数百点の中から厳選された名品ぞろいである。そして展覧会の副題に示すように戯画中心の楽しめる展覧会である。

 会場に入ると、まず絵草紙屋のしつらえ。そこに並んでいる浮世絵はリストの最後のほうのものだが、《赤沢山大相撲》・《鬼若丸》・《子供遊金生水之掘抜》など。

 「T.国芳画業の変遷」

・初期の様子ー文化・文政期の作品: オーソドックスな美人画。・水滸伝の好評ー文政・天保期の作品: 国芳を有名にした武者絵。弓を構えた《通俗水滸伝豪傑百八人一個 朱貴》や《本朝水滸伝豪傑百八人一個 早川鮎之助》のアユは見事。

・景色を描くー天保期の風景指向: 空の雲や煙の表現が独特である。

・細やかに、賑やかに絵を作るー文政末・天保期頃の美人画: 団扇絵の《春の虹睨?》はウナギを食べている女性と虹の色合いが軽やかである。

・天保改革の頃: このセクションには子供の絵や百人一首など無難な絵が多かった。この改革で遊女や役者の浮世絵が禁止されたが、国芳はそれに従うような振りをしながらいろいろな手を使っている。《魚の心》は一見魚図鑑のようだが、良く見るとすべて役者面魚である。このセクションの中のミニコーナー「時事を描く」は、弘化二年の《百種接分菊》: 一本の根の菊に百種類の有名な菊が継ぎ分けされている。

・歴史とイマジネーションー躍動する構図ー嘉永期のダイナミズム: 《大江山酒呑童子》・《那智の滝の文覚》など豪快。このセクションのミニコーナー「時事を描く」は、嘉永二年の「流行の神仏」: 《正受院の奪衣婆》はコミカル。

・表情に迫るー嘉永期頃の人物表現: 《八代目市川団十郎 見連摺物》が芸術的。やはりハンサムな役者は自殺しても贔屓から惜しまれる。

・ダイナミズムのゆくえー安政期以降の最後の8年: 《本朝武者鏡 がま仙人 天竺徳兵衛》など赤と黒の対照の強い絵となってくる。このセクションの中のミニコーナー「時事を描く」は、生人形や開港。

・忠臣蔵にみる画業の変遷: 西洋絵画の影響など時代とともに画風が変わっている。

「U.国芳の筆を楽しむ」 ここは国芳には珍しい肉筆画が集められている。東京ステーションギャラリーで見たものも再見。その時の図録に個人の所蔵家の名前が載っているので、あるいはその一人が今回の出展者? 面白かったのは《東海道中膝栗毛三島宿図屏風》。 いよいよお待たせ

「V もう一つの真骨頂」

・風景の奇: 西洋の画法の応用。空や雲も面白い。

・奇と笑いの猫の画家: ここが一番の見せ場。有名な骸骨・巨鯨・鰐鮫・化け猫もここに登場。《諸鳥やすうりづくし》も面白かった。

(後 期) この展覧会は好評であるとの情報が入ってくる。前期の展示を観ているので、さもありなんとうなずく。後期も見なければと思っていたが、GWになってしまった。詳細はブログAを参照してください。

(2010.3-5a) ブログ@へ、ブログA


安田靫彦展ー花を愛でる心 ニューオータニ美術館

 川崎市立ミュージアムの「安田靫彦展ー歴史画誕生の軌跡」と同時開催の展覧会。副題はそれぞれ違うが、内容的にはほぼ同様。合わせて一本といった形の展覧会である。

第一章「歴史画」

・《紅葉の賀》: 紅葉を楽しむ舟遊びの公家。派手な色彩。 ・《羅浮山》: 右図。隋の趙師仙が梅の名所の羅浮山に出かけ、梅の精に遭遇。梅は靫彦の十八番。 ・《神農 未完》: 古代中国の農・医の神。鋤で土地を耕す姿はミレーの画のよう。・《阿呼詠詩》: 阿呼とは道真の幼名。11歳の道真、月夜の梅の詩を詠む。細い線が印象的。 ・《伊勢物語(あまのかわ)》: 双幅。右に萩・桔梗・女郎花・芒、左に業平。 ・《生成》: 半裸の女性が若草を手に持ってながめている。 ・《比ゝ奈》: 紙雛。絵の繊細な線描と流麗な書のハーモニー。 ・《八橋》: 有名な伊勢物語9段の状景。宗達の絵を参考にした琳派作品。派手な色彩。 ・《月の兎》: 淡彩と線描。流麗な絵である。旅に疲れた天帝に狐は魚、猿は木の実を持ってくるが、兎は何もないので自らを火に投じて帝に捧げた。天帝は兎を哀れんで月に連れていった。 ・《菊慈童》: 周の穆(ぼく)王の童子が流刑になったが、菊の露を飲んで不老不死となる。見事な色彩。 ・《西行法師》: 月は黒隈で浮き出され、胡粉の白の足元の小さな花びらは見逃しそうであるが、花びらの先端がピンクになっているところは目を凝らさないと分からない。 ・《観世音菩薩像》: 頭の如来の化仏や手に持った蓮の紅と台座の墨色の対照がいかにも優雅。 ・《女楽の人々》: 隋〜初頭の衣裳の三人の女性。琵琶や百済琴を持っている。派手な色彩。

初日の出第二章「花木」 ・《寒香留古春》: 寒香とは梅の香。幹のたらしこみは琳派。 ・《春暁》: 下図。力強い枝ぶりの白梅。幹はたらしこみ、枝の交差部は地塗りを省いている。 ・《瓢箪の花》: 緑と白で統一された品のある美しい絵。 ・《佐久良》: 葉桜。梅と違い靫彦の桜は奇麗だが迫力に乏しい。たらしこみの葉が白い花を圧倒している。下絵でも葉だけを着色している。 ・《新蔬》: 茄子とピーマン。茄子のへたが淡緑なのでトリタテということが分かる。 ・《紅梅青花》: 染付けの鉢に桃の蕾。先端の部分から開いてくる。 ・《紅梅高麗扁壷瓶》: 瓶の青と紅梅のピンクの対照が見事である。 ・《紅梅》・《白梅》: 小品だが、どちらも素晴らしい。 ・《初日の出》: 画面を斜めに切り裂く白梅の老木。背景の大きな太陽とオレンジに染まる空。まるでゴッホ。 ・《刷毛目壷に百合》: 壷の模様と百合の花のバランスが妙。 ・《瓶花》: 織部の瓶に椿。茶道の影響とか。

第三章「写生画」 長州緋桜を描いた《桜》、数日毎に描いた《チューリップ》、数時間毎に描いた《ばら》、色についての細かな書き込みのある《菖蒲》、バラ科の多年草の《下野》、横美の「窓」の試筆である《芍薬》、「くられだま」と呼ぶ《草蓮玉》などに目がいった。

 二つの展覧会を見て、ジャンルとしては歴史画家であり花卉画家でもあり、表現としては色彩画家であり線描画家でもあるという安田靫彦の両面を心ゆくまで楽しんだ。

(2010.3a) ブログ


安田靫彦展ー歴史画誕生の軌跡: 川崎市市民ミュージアム

草薙の剣 現在、ニューオータニ美術館でも「安田靫彦展−花を愛でる心」が開かれているが、川崎市民ミュージアムでは開館以来収集した安田靫彦の下絵や写生などの画稿類を中心に展観している。

 第T章「古画を学ぶ」には、《法隆寺金堂壁画模写》、《鳥毛立女屏風模写》、《源氏物語絵巻模写》 など模写作品が出ていた。写真ではまねのできない模写の技術である。

 第U章「実相をうつす」には、小鳥や花などの写生や下絵があふれていた。写生では形だけでなく色も加えられ、コメントも書き込まれていた。

 第V章「ものから学ぶ」には、靫彦が自分の収集した埴輪や傭の写生・試作・下絵・本絵が出ていた。当時、埴輪や傭は美術品というより考古品とみなされていたが、靫彦はこれらから古代人の服装などを学び、神話の世界や古代中国の人物のイメージに応用したのである。

 第W章「人をうつす」には、《谷崎潤一郎氏像》、《高橋誠一郎氏像》、《大観先生像》の習作や下絵が出ていた他、《花づと》や《婦人像》の写生・習作・下絵があった。

 最後の第X章「歴史画の誕生」は今回の華である。この章のお気に入りは《出陣の舞 下絵》、《楠公》、《益良男》、《居醒泉 下絵》《小鏡子》、《鴻門会》など多数。展覧会のオオトリはもちろんミュージアムご自慢の《草薙の剣》。

(2010.3a) ブログ


井上安治展: GAS MUSEUM

 この美術館に来たのは初めて。建物は明治12年の東京ガス本郷出張所を移築したもの。アール・デコ風の建物とガス燈がマッチしている。

 井上安治(1864-1889)は、小林清親の弟子で、「光線画」の伝統を継承しつつ、新たな方向にも足を踏み出していたのであるが、26歳という若さで没した。今回は、没後120周年の回顧展。

井上安治:銀座商店夜景 チラシの作品は《銀座商店夜景》。師匠ゆずりの光線画である。  展示室に入ると、このような横大判の作品が9点並んでいた。

 次は「東京真画名所図解」。これは全部で134点あり、4割ほどが清親の模倣、残りは安治自身の視点でとらえたものとのことであるが、今回は12点だけが展示されていた。

 その後、安治は探景と改名して描き出した報道画、開化絵、教訓絵などが展示されていた。相撲絵も良かった。天覧相撲を描いた《豊歳御代之栄》では、対戦中の梅ヶ谷・若嶋の他に立行司の名前も書き込まれていた。横綱《小錦八十吉》や関脇《若湊佑三郎》の表情は柔らかく、化粧回しは巧かった。また日光の絵が何枚も出ていて楽しめた。入場料無料で、良いものを見せてもらった。

(2010.3a) ブログ


東海道五十三対: UKIYO-e YOKYO

国芳:桑名 「物語でたどるもう一つの東海道」という副題がついている。浮世絵の東海道五十三次といえば広重の保永堂版が圧倒的に有名であるが、「東海道五十三対」も面白い。

 1844-48に出版されたこの「東海道五十三対」は、歌川派の人気の三人の絵師ー国貞(三代豊国)、国芳、広重ーの競演シリーズ。 国貞は役者似顔絵、国芳は武者絵、広重は名所風景画の名手とされているが、このシリーズではそれぞれの特徴が良く出ている。 

 「東海道五十三対」は風景画ではなく、その地方に伝わる物語や伝説、名物が主題となっており、このシリーズを見れば、各宿駅の理解が一段と深まるという趣向であり、現在の鑑賞者も思わずひきこまれる。

(2010.2a) ブログ


花: 東京国立近代美術館 工芸館

 「花」をテーマにした所蔵作品展。

 加賀友禅の木村雨山の梅文の訪問着》、平田郷陽の人形《桜梅の少将》、駒井音次郎の人物図飾皿、宮川香山の真葛焼《色入菖蒲図花瓶》、寺井直次の金胎蒔絵水指《春》、加藤土師萌の磁器《萌葱金襴手丸筥》、冨本憲吉の《色絵金銀彩四弁花文八角飾箱》などが目を楽しませてくれた。

 人間国宝・巨匠コーナーでは、四谷シモンの人形《解剖学の少年》には驚いた。

(2010.2a) ブログ


小野竹喬展: 東京国立近代美術館

(小野竹喬ー前 期)
小野竹喬:暑き日を海に入れたり最上川第1章: 写実表現と日本画の問題ー前半期(1903-1938): 
竹喬は京都の竹内栖鳳に師事した。初期の作品としては1909年の《花の山》が奇麗だが何となく古めかしい。その後、セザンヌなどの西洋近代絵画と、鉄斎など南画の影響を受け、大胆な筆触と鮮やかな色彩による作風を展開していく。その成果の一つが1916年の第10回文展特選《島二作》。しかし翌年の文展に出展したセザンヌ風の《郷土風景》が十分な評価を得られず、1918年には国画創作協会の結成に参加した。1918年の《波切村》や《夏の五箇山》などはなかなか良い。

 しかし目指す写実表現が岩絵具では十分に達成されないことに限界を感じ、その解決のため1921年に渡欧した。「特集展示T 竹喬の渡欧」として、デッサンが15点も出ていたが、これが巧い。お気に入りは《ルノアールの居を訪ふ道》、《ボルゲーゼの庭》、《聖ボナベントレ僧院》、《ポンテ・ヴェッキオ》、《丘上廃寺》などで、竹喬の旅を追うことができた。渡欧の結果、東洋画の線表現を再認識し、池大雅などの南画を改めて学んだ結果、1928年の《冬日帖》↓によって、線描と淡彩による南画風の表現に到達した。

第2章 自然と私との素直な対話ー後半期(1939-1979): 竹喬は1939年頃より、それまでの線描と淡彩による南画風の表現を、面的な対象把握と日本画の素材を活かした大和絵風の表現へと変えていく。そして日本の自然の変化に濃やかな視線を注ぎ、さりげない場所を対象に選び、色彩豊かな画面を構成していく。

 お気に入りは数限りないが、1950年代の作品では、1951年の《奥入瀬の渓流》や1952年の《雨の海》、1955年の《深雪》。

 1960年代になると、竹喬のカラリストとしての面目躍如の作品が続々と描かれてくる。1962年の《残照》の火炎のような光、19655年の《夕雲》の独特なやわらかい茜色、1966年の《宿雪》のベルギー風景画風の根抜けの表現、1967年の《池》の水と草の色彩の対照などがとくに良かった。

 1970年代になると、色彩の対照が一段と強くなった絵が出てくる。1974年の《樹間の茜》の夕焼け空を背景とした樹木の姿や《日本の四季 京の灯》の近景ー遠景などがそれにあたる。1976年には、竹喬の詩情を松尾芭蕉の自然観と融合させた10点の清澄な連作《奥の細道句抄絵》を発表した。「特集展示U 奥の細道句抄絵」には、それぞれのデッサンが出ていた。竹喬が芭蕉の句を選び、娘婿の小野常正が撮ってきた写真に基づいて絵の構想を練り、実際に取材の旅に出て本画を描いたのだというが、これらのデッサンはその過程の中で描かれたものである。

 その後、竹喬は水墨画に傾いていく。

(2010.3a) ブログ

小野竹喬:夕空(小野竹喬ー後 期) 前期がとても良かったので、満開の桜の中を広尾の山種美術館から竹橋の近美に移動して後期を見た。この記事では、後期になって出てきた作品17点のうち印象に残ったものについてだけについて記載する。

第1章 写実表現と日本画の問題: 横美所蔵の《港》がなかなか良い。1911年の若描き。場所は鞆の浦だが、舟の帆の向こうに陸の景色が細かく描かれている。山口県美の《紺糸を干す》は紺の色が鮮烈だった。また1918年ごろに描かれた《懸瀑之図》がとても印象的。笠岡美所蔵の《波濤》はとても情感のある柔らかな絵である

第2章 自然と私との素直な対話: ウッドワンの《夕空》がとても良かった。柿の木の向こうの上部の薄茜色ともいえるパステルカラーと下部のスカイブルーの対比が美しい。良く見ると、星が一つ描かれており、アクセントとなっている。岡山県美所蔵の《ヨウシュヤマゴボウ》と《一本の木》は印象が強かった。後者の不思議な形の雲はまるで踊っているようだ。

(2010.4a) ブログ


浮世絵の死角: 板橋区立美術館


奥村政信の《瓢箪から遊女》 開館30周年記念特別展で、イタリア・ボローニャ秘蔵浮世絵名品展である。展覧会の名前に惹かれて観にいってきた。これはベルナーティ、コンティーニ両氏の個人コレクションである。

第1章 錦絵誕生: 面白かったのは奥村政信の《瓢箪から遊女》。

第2章 錦絵の展開: まず「勝川派と役者似顔」が沢山出てくる。勝川春英の《三代目市川高麗蔵の目黒の大日坊宗玄》の破戒僧の死霊はユニーク。次は「錦絵の展開と刷物」のセクション。広重《魚づくし こちに茄子》が良かった。

第3章 幕末の歌川派: この章の作品が一番多く、全201のうちの102点と半数以上を占めていた。まずは「国貞とその周辺」。国貞(三代目豊国)の七枚揃いの《誹諧 七福神》が出ていた。次は「国芳とその周辺」。武者絵、美人画、役者絵などにお気に入り多数。「戯絵」は第3展示室にはみ出している。ここが一番面白いところ。国芳の戯絵も初見のものが多い。《道化狸》はちょっと卑猥、《於竹大日如来》。吹き出しに書かれた人々の願いがユニークである。広重の戯絵には驚いた。《狂戯天狗之日待 俳風狂句》や《狂戯天狗之日待 東都流行狂句》では、天狗がいろんなことをしている。《浄る理町繁花の図》が五枚もでていた。歌川国芳の《衣裳尽くし》などの「おもちゃ絵」も面白かった。

第4章 上方絵: なじみの絵師は少ないが、春梅斎北英、長谷川貞信、一養亭芳滝などの名前は今回覚えた。

柴田是真の《文机に春花》第5章 明治・幕末の版画: 豊原国周の作品が多く、落合芳幾、月岡芳年、小林清親の鮮明な色彩の絵がでており、柴田是真の《文机に春花》という抒情的な絵もあった。

第6章 近代の版画: ここでは山本昇雲の《不忍の夕》、吉田博の《ヴェニスの夕》、川瀬巴水の《松島双子島》、笠松紫浪の《霞む夕べー不忍池畔》、土屋光逸の《瀬戸内海 明石の海》が楽しめた。ユニークな絵としては、名取春仙の《創作版画春仙似顔集 十一世片岡仁左衛門の九段目の本蔵》があった。

(2010.3a) ブログ


長谷川等伯: 東京国立博物館


  長谷川等伯の没後400年特別展。昨年、石川県七尾美術館で「生誕地・没後400年記念前年祭 長谷川等伯展ー信春から等伯への軌跡」を見た(記事はこちら)時から、この展覧会を心待ちにしていた。

長谷川等伯:仏涅槃図(妙成寺第1章 能登の絵仏師・長谷川信春: 等伯は、1539年、戦国大名畠山家家臣の七尾 奥村家に生まれたが、染色業を営む長谷川家の養子となった。当時は信春と名乗っていたが、法華宗の仏画を沢山描いていた。これらの仏画は北陸地方に残っているものが多いが、その緻密な描写・精密な装飾・豊かな色彩が印象的である。石川・正覚院の《十二天像》、高岡市・大法寺の《鬼子母神十羅刹女像》・《日蓮聖人像》・《三十番神図》、石川・妙成寺の《仏涅槃図》・《日乗上人像》、七尾美術館で見た《善女竜王像》・《愛宕権現像》などが特に良かった。

第2章 転機のときー上洛、等伯の誕生: 戦乱によって画業を続けることが困難となった等伯は、1571年(33歳)に、妻と息子・久蔵を伴って上洛した。その後の消息は判然としないが、画技を研鑚していたようである。その時代の等伯の画は様々なスタイルであり、中では鋭角の輪郭線が目立つ《十六羅漢図》、東博で見たことのある《牧馬図》、明治期の模本の《信春筆・梅に鼬雀図》、七尾でも見た《陳希夷睡図》・《寒江渡舟図》、さらに京都・本隆寺の《西王母図》、大徳寺の《羅漢図》などに感心した。

  1589年(51歳)には、 千利休が寄進した大徳寺三門の増築部の金毛閣の天井と柱に壁画制作を依頼され、京都画壇に等伯の名を知らしめた。この壁画は現在公開されていないそうであるが、この展覧会にはコピーが展示されていた。

 京都・高台寺・円徳院蔵の《山水図襖》は、元来、大徳寺・三玄院の方丈に春屋宗園の留守を狙って上がりこみ、そこの襖に一気呵成に描いたものとのこと。通常の桐模様の唐紙の上に描いたものであるが、見事な出来栄えの冬景色である。元来、方丈に襖絵は要らないとしていた春屋宗園も驚いて、そのままにしておいたので、今日に伝わっているのである。

第3章 等伯をめぐる人々ー肖像画: 七尾で見た《日尭上人像》、東博に時々出てくる《伝・名和長年像》の他、有名な《千利休像》や《春屋宗園像》などには足を止めて見た。

第4章 桃山謳歌ー金碧画: 今回真筆と分かった《花鳥図屏風》、七尾でも観た《萩芒図屏風》、ダイナミックな金地の墨絵《波濤図》なども良かったが、京都・智積院の二つの国宝《楓図壁貼付》と《松に秋草図屏風》が圧倒的だった。一般に等伯の金碧画には狩野永徳を意識しつつなお叙情性を残している点が素晴らしいと思った。

長谷川等伯:柳橋水車図屏風 本当のことをいうと、《柳橋水車図屏風》がナンバー1のお気に入りである。芽吹く柳から葉が揃った柳までの移り変わりを橋を歩みながら見ていくようである。蛇籠や水車の装飾性も見事で、琳派へのDNAが既に発揮されているように感じた。休憩室へ入って左奥にこの屏風をモチーフにした蒔絵箪笥が出ていた。昭和50年代の作ではあるが、約10年かけて作られたもので、現代工芸にも影響を与えているのである。

第5章 信仰のあかしー本法寺と等伯: ここでは京都・本法寺の《仏涅槃図》が圧巻である。1599年、61歳の作品である。なにせ92.8x521.7cmという巨大画で、通常のように展示できず裾を引きずっているからである。上述の石川・妙成寺の仏涅槃図のサイズが156x111.5cmであるから、約5倍の大きさである。画像としては、こちらのほうには天上から駆けつける摩耶婦人の姿が描かれていないが、一方こちらには洋犬が描き込まれている。

第6章 墨の魔術師ー水墨画への傾倒: 現在でも色彩画から水墨画に転身していく画家は少なくないが、等伯もその一人であった。今回の展覧会でこんなに多数の水墨画を描き、しかも工夫を重ねていたことを目の辺りにすることができた。東博で見たことのある《瀟湘八景図屏風》、七尾でも見た《樹下仙人図屏風》、《四愛図座屏》、《豊干・寒山拾得・草山水図坐屏》、《禅宗祖師図襖》、対決展でも見た《枯木猿猴図》、《竹虎図屏風》などが良かった。

第7章 松林図の世界: 東博の《松林図屏風》はおなじみの国宝であるが、等伯芸術の到達点を示すものとしてこの展覧会の棹尾を飾っていた。 

(2010.2a) ブログ


江戸の英雄ー初公開 博覧亭コレクション: UKIYO-e TOKYO


国芳:「通俗水滸伝豪傑 百八人之一人」大刀関勝   後期を見た。

1.月岡芳年: 前期には華やかな「一魁随筆」シリーズが13点も出ていたようだが、今回展示のシリーズ物としは「美勇水滸伝」の6点(前期4点)が目立っていた。《青柳春之助》、《白縫》がお気に入り。「和漢百物語」は前期と後期1枚ずつ。後期は《華陽夫人》。

2.河鍋暁斎: 後期には5点出ていた。《応需暁斎楽画 第二号 榊原健吉山中遊行之図》。幕末から明治にかけての剣豪が山中を歩くと、狐、猿、モグラ、白猩々、化物たちが逃げていく。

3.豊原国周: 9点も出ていた。中では《見立五節句 五月 四代目市村家橘の大工(鯉つかみ)》が秀逸。

4.歌川国貞: 国貞がこんなに巧い武者絵を描くことを再認識した。シリーズの「豊国揮毫竒術競」は前期・後期ともに4点ずつ。後期では《白菊丸》が良かった。

5.歌川国芳: 最後に登場する国芳は流石である。今回は「誠忠義士肖像」の全12枚が揃って出ていた。有名な「通俗水滸伝豪傑 百八人之一人」シリーズ》(画像リストはこちら)は、合計16枚だが、後期に出ていたのは6枚だけ。ちょっと淋しい。《舩火児張横》、《大刀関勝》や《混世魔王樊瑞》画良かった。水滸伝の登場人物の集合図《水滸伝豪傑百八人が2枚出ていた。1図に9人ずつだから全部で12図あることになる。《天星三十六員》の最初の1枚でトップでは、総頭領の「宋江」、一段下がって左右に「林冲」と「呉用」が描かれている。

6.その他: 版下絵が3点出ていた。特に歌川芳虎の《善知鳥安忠義伝》が面白い画題だった。 

(2010.2a) ブログ


特集陳列「寅之巻」: 東京国立博物館


岸駒《虎に波図屏風》部分 入ってすぐに、虎のスペシャリスト岸駒の《虎に波図屏風》が出ている。岸駒は中国の商人から虎の頭骸骨や足の骨を手に入れて精密な写生や計測をしていたとのことで、迫真的な絵である。

 円山応挙の《虎図》は瀧にまたがる構図は勇壮だが、なにせ虎の実物を見ていないでで描いているので耳は短く、口もとは猫のようである。

 橋本雅邦の《龍虎》も出ていた。雅邦はこの画題でいくつも描いているが、以前に静嘉堂文庫でみた重文《龍虎図屏風》、皇室の名宝展や三の丸尚蔵館でみた《龍虎図》などいずれも名品であった。この東博ヴァージョンも小品ながら出来が良い。

 朝鮮の武官が服の胸と背につけた階級章《ヒュンベ》や金ー元の《白釉鉄絵虎形枕》など珍しいものも出品されていた。

(2010.1a) ブログ


国宝 土偶展: 東京国立博物館


 大英博物館で昨年開催されたThe Power of Dogu 帰国記念展。

仮面土偶1.第1章 土偶のかたち: 重文《仮面土偶》は凄い。太い脚はこの土偶に迫力を与え、逆三角形▽の仮面はモダンであり、流れる渦状文のデザインは見事である。

 十字架を連想させる重文《十字形土偶》、横坐りの《子供を抱く土偶》、顔に目鼻がなくすばらしい造形美で未来派ボッチョーニの《空間の中のユニークな連続の形態》を想起させる重文《立像土偶》、ピカソの愛したアフリカ彫刻を思わせる《ハート形土偶》、重層的な髪形の重文《みみずく土偶》、背中までデザインされた重文《しゃがむ土偶》、重文《遮光器土偶》なども良かった。

第2章 土偶芸術のきわみ: 《縄文のヴィーナス》の滑らかかな曲線美、《合掌土偶》の安産を願う信仰、《中空土偶》の素朴な趣きはそれぞれに独特な芸術性を有している。 

 第3章 土偶の仲間たち: 土偶を装飾に取り込んだ縄文土器がこんなに沢山あることに驚いた。お気に入りは、《土偶把手付深鉢形土器》、重文《顔面把手付深鉢形土器》、《釣手土器》、《有孔鍔付土器(踊る女性)》。

 会場では、大勢の中学生が熱心に観ながら、さかんにメモを取っていたが、これは素晴らしい課外授業である。邪魔をしないよう気をつけながら鑑賞した。全体で67点のとても良い展覧会だった。

(2010.1a) ブログ


江戸の彩:太田記念美術館

(前期)
歌川豊春《桜下花魁道中図》部分開館30周年記念特別展で、前後期で155点展示。有名作品も多く、以前に見たものも少なくないが、初期の浮世絵から大正の新版画までの浮世絵の歴史を概観することができる。お気に入りは下記。詳細はブログ参照。

第1章 肉筆画の名品」・・・菱川師宣《遊女物思いの図》、東川堂里風《蝶をみる美人》、西川祐信《雪の送り・やぐら時計》、宮川長亀《吉原格子先の図》、礒田湖龍斎《雪中美人図》、北尾重政《見立普賢菩薩》、歌川豊春《桜下花魁道中図》、鳥居清長《真崎の月見図》、歌川芳宗《夏姿美人図》、歌川広重《京嵐山大堰川・東都墨田堤》、大蘇芳年《歌川国芳》

第2章 初期の浮世絵版画」、「第3章 錦絵の草創と発展」、「第4章 天才絵師たちの競演」、「第5章 浮世絵の成熟と展開」・・・鈴木春信《浮世美人寄花 南の方 松坂屋内野風 藤》、勝川春章《二代目山下金作の虎 二代目嵐三五郎の朝ひな》、勝川春好《五代目市川団十郎の暫》、喜多川歌麿《冨本豊ひな》・《蚊帳の男女》、東州斎写楽《三代目坂田半五郎の藤川水右衛門》、歌川国貞《星の霜当世風俗 蚊やき》、歌川国芳《名誉 右に無敵左り甚五郎》、歌川広重《江戸近郊八景之内 吾嬬杜夜雨》

第6章 幕末から近代」・・・小林清親《猫と提灯》、尾形月耕《花火人名所合 滝の川の紅葉》、名取春仙《初代中村吉右衛門の馬だらい光秀》、小早川清《近代時粧ノ内ニ 化粧》

第7章 版本の世界」・・・喜多川歌麿《潮干のつと》、葛飾北斎《絵本隅田川 両岸一覧》

(2010.1a) ブログ

(後期)

 後期も1階はすべて肉筆画。この画は何回見ても素晴らしい。張見世の内と外の明暗。光と影、遠近法など西洋画技法の影響が見てとれる。 レンブラントの影響という説明があるが、レンブラント光線が単光源であるのに対し、応為の光と影は複数の光源によるものである。

 その最後に葛飾応為《吉原格子先の図》が出ている。こういった光と影の明暗法は、明治の小林清親に引き継がれているといっても良いのではないか。清親の肉筆画《開化之東京 両国橋之図》は典型的な「光線画」である。橋を渡る人や隅田川の船などの黒いシルエットを提灯・ガス灯・窓の明かりと対比させている。同じ清親の版画《柳原夜雨》もその典型だ。

 次は美人画。第一は鈴木春信の《二代目瀬川菊之丞図》。この絵師の肉筆画は珍しい。衣裳の赤が目立つ。次は喜多川歌麿の《美人読玉章図》。玉章(たまずさ)とは手紙のこと。恋文だろう。衣裳は豪華。絽の裾には金糸で銀杏、銀糸で楓の葉。帯も金糸の雲鶴模様。足元には団扇と虫籠。

 歌麿の《五人美人愛敬競》が5点と揃って出ていた。この揃い物を5点持っているのは世界で太田記念美術館だけである。この揃い物では、女性たちの名前を明記せず、下記のような「判じ絵」で伝えている。これは1793年の禁制により錦絵に女性の名を書くのが禁止されたことに対応している。

 〇冨本いつとみ: 富くじ箱=とみ、藻=も、砥石=と、猪=い、苞=つと、蛇=巳=み

 〇芝住之江: 武士=し、葉に濁点=ば、炭=すみ、野=の、柄杓=え

 〇兵庫屋花妻: 兵庫髷=ひょうご、矢=や、花=はな、逆さの松の葉=つま

 〇松葉屋喜瀬川: 松葉=まつば、矢=や、煙管の上2/3=きせ、川=かわ

 〇八ツ山平野屋: 八つの山=やつやま、平碗=ひら、野=の、矢=や

(2010. 2a) ブログ


村山槐多: 松涛美術館


  村山槐多(1896−1919)の没後90年回顧展。槐多の《バラと少女》は近美で見る印象深い画であるが、この夭折した画家の作品をまとまって展示した展覧会を見るのは初めて。展覧会の副題は「ガランスの悦楽」となっていたが、このガランスとは茜色のことである。

 早熟だった槐多は、中学生時代に沢山の回覧雑誌の表紙を描いているだけでなく、1学年下の美少年に恋してその水彩像《稲生像、1913》を描き、恋文を書いている。恋文はここに展示されているのだから、結局出されなかったのだろうか。《二少年図、1914》の左側の少年はこの美少年らしい。この画は江戸川乱歩の書斎に飾られていたとのことであるが、「小林少年」のモデルともいわれ、また乱歩もこのような少年愛の傾向を有していたことと関係しているともいわれている。

 自画像が沢山出ていた。《紙風船をかぶれる自画像、1914》では結構ハンサムな顔つきで派手な紙風船を帽子にしているユーモアのある画だが、別な《自画像、1916》では自分を額に深い皺を刻んだ突き詰めた顔として描いている。槐多はこの額の皺をとても気にしていたようで、自分で「鬼の線」と呼んでいたらしい。実際、前述のラブレターの一枚の署名は「鬼」となっていた。デスマスクを見ると、額の皺もそれほど深くない良い顔立ちなので、この顔は少し誇張されているようである。

尿する裸僧 《尿する裸僧、1915》は驚くべき画である。槐多の内面を露出させた一種の自画像なのだろうが、ちょっとひどすぎる感じもする。茜色・紫・金といった槐多色で溢れている。こういう画を見るとエゴン・シーレの画が思い出される。偶然であるが、槐多は1919年、シーレは1918年、いずれもスペイン風邪のパンデミックで夭折している。

 同じ頃に描かれた《芍薬、1915−16》や《カンナと少女、1915》はいずれも穏やかな画である。《湖水と女、1917》という上品な画があった。モナリザを髣髴とさせる良い画である。近美の《バラと少女》も同年の作品である。《松の群、1918》という穏やかな風景画もあった。

 こうやって見てくると、槐多の内部には強い自我があり、それが表現主義的な画となって表出しているものもあるが、穏やかな作品も少なくないことが分かる。詩はいくつか読んでみたが、難解なものが多い。詩となると槐多の内面がストレートに現れているのだろう。

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柴田是真の漆X絵: 三井記念美術館


柴田是真:流水蝙蝠角盆 
柴田是真は、幕末から明治期に活躍した漆芸家であり画家。漆工、絵画の双方に才を発揮した是真は、和紙に色漆を用いて絵を描く「漆絵」を発展させた。維新後には、欧米で開催された万国博覧会に積極的に出品し、政府の殖産興業政策にも貢献。帝室技芸員にも任命されている。

 是真の洒脱なデザインと卓越した技巧は、日本よりも欧米で高く評価され、多くの是真作品が海外に所蔵されている。 今回の展覧会では、アメリカ・テキサス州サンアントニオ在住のエドソン夫妻収集の里帰り作品約70点と、日本に所蔵されている優品があわせ紹介されていた。

 お気に入りは、「漆器」では《柳に水車文重箱》、《沢潟と片喰印籠》、《流水蝙蝠角盆》。日本画の《瀑布に鷹図》。「蒔絵額」の《富士田子浦蒔絵額》。

 是真の「漆絵」には素晴らしいものが多かった。岩絵具を用いる日本画がいまひとつ鮮明さを欠くのに対し、漆絵は見事なコントラストの色彩で表現されている。特に「漆絵画帖」は垂涎物である。《花瓶梅図漆絵》は和紙に描かれた漆絵であるが、バックの紫檀や周囲の額の年輪などいかにも紫檀の板に描かれたようになっている。一種の「だまし絵」であり、是真の遊び心の結晶である。

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謹賀新年


 今年もよろしくお願いいたします。

 本年は体調を整えて美術散歩に励みたいと念じています。

 

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