38 日本美術散歩98-03

 

 

 

 

 

日本美術散歩 98-03 (西洋美術は別ページ)

平山郁夫のメッセージ展 98.1 川村美術館 98.1 色鍋島展 98.2 国宝展(静嘉堂)98.5
川上澄生美術館  98.5 若林利重・福沢一郎展 98.6 楽茶碗の400年展 98.7 中林忠良展 98.8
 世田谷美術館 99.1 春の優品展(五島) 99.4 芸大美術館 99.11 東大寺の至宝展 00.1
河鍋暁斎・暁翠展 00.6 大原美術館 03.6 現代中国美術館 00.8 北斎美術館 00.8
安曇野山岳美術館 00.8 碌山美術館 00.8 三千院の名宝展 00.9 福田豊四郎展 00.11
皇室の名宝展 00.12 日本国宝展 01.4 葵徳川三代展 01.5 大塚国際美術館 00.5
根津美術館 01.9 茶器と掛物展 01.11 日本の四季展 02.10 北野恒富展 03.3
三岸好太郎美術館 03.5      

目 次 ↑

 

 

 久しぶりに主人と二人で札幌に行きました。 ちょうどその前の週のNHK「新美術館」で紹介していたので『生誕100年三岸好太郎展』を見てきました。 彼の画業生活は大変短く、「檸檬持てる少女」で春陽会初入選したのが20歳の時、そして31歳の若さで亡くなっているのでほんの10年ほどといえます。三岸好太郎:蝶

 初期は岸田劉生の影響を強く受けましたが、後に西洋美術に傾倒し、その動向の変化を鋭敏に感じとり、作風がどんどん変わっていきました。ルオー、ブラマンク、マチス、ピカソ、クレーなどを髣髴させる作品・・・そして晩年に独自の「貝」「蝶」をモチーフにした三岸ファンタジーを生み出します。私はやはり晩年の作品が好きです。

短い生涯でも、同じ画家であった節子夫人のお陰で後世に素晴らしい絵を伝える事が出来、なにかゴッホと重なるような気がしました。
家には「三岸好太郎作品選1985」という三岸好太郎美術館カタログがあり、その中に1992年8月31日の朝日新聞の切抜き(三越美術館で開かれた「三岸好太郎と三岸節子展」の紹介)が挟んであります。帰京してこのカタログと切り抜きを眺めて札幌を思い出しています。(2003.5t)


記憶を辿ってみると、1990年に三岸好太郎美術館に行った。その日は実際には道立近代美術館を訪れたのであったが、なぜか閉館だったので、隣の三岸好太郎美術館に入り、貝や蝶の画,ルオー張りの絵に感動して、カタログを買ってきたのであった。(2003.5a)


北野恒富展: 東京ステーションギャラリー

 

北野恒富:宝恵籠北野恒富は明治時代の美人画家である。しかしぜんぶがぜんぶ美人ではない。毒気さえ感じられる舞妓や、「淀君」は深い情念が感じられるし、「加賀千代女」に至ってはちょっと気の毒なほど。また、けだるい表情の女の人、恨めしそうな表情の人などもあり、内面性を描いた画家といえる。 このように、ギョッとする画もあったが、穏やかな美しい美人画も沢山あった。

そう言えば、この展覧会のチラシに「浪花画壇の悪魔派(デカダン)」と書かれていた。(2003.3t)


日本の四季展: 日本芸術院会館

 

日本芸術院:日本の四季展上野の森美術館に「ピカソ展」を観ての帰り、日本芸術院所蔵美術作品特別公開「日本の四季」という看板に惹かれて立ち寄った。普段は一般には公開していない講堂なのだ。

東山魁夷や河合玉堂などの日本画7点、洋画5点と彫刻2点それに書が6点展示されていた。日本芸術院とは、何をしている団体かちょっとだけ分かった。期間限定の特別公開で庭園も見られたし、ラッキーだった。(2002.10t)


大塚国際美術館

 

ミケランジェロ:システィーナ礼拝堂の天井画と壁画主人の大阪行きに付いて来た。私は朝早く予め東京で予約しておいた徳島行きの高速バスに乗って鳴門海峡までいく。満席であったがここで下車したのは私一人。時間が早かったので、鳴門大橋の歩道を海を見ながら歩く。渦潮はこの時期この時間あまりみることができない。しかしガラス張りになっている床から一応下をみる。潮の流れがなんとなくメチャクチャの感じ・・・こういうところで渦が出来るのだなと思った。

ここからまたバスに乗って美術館へ。平日なので私一人で貸し切り状態。陶板画だが、パッと見ると本物のよう。よく観ると陶板の合わさり目の筋が見えるが大きさが実物大というのがなんといってもすごい!まず「システィーナ礼拝堂の天井画、あこがれの「小椅子の聖母」「無原罪の御宿」もフラアンジェリコの「受胎告知」も目の前にある。すごく不思議なかんじだ。

館内はまたとてつもなく広い。紀元前のフレスコ画、例えば「パン屋の夫妻」などからモザイク画まであるのだから印象派やピカソに辿り着くまでに、すごく沢山の画がある。すべて観終えて美術の歴史を急いで勉強したきぶんになった。陶板画というはじめての試みをこんなに大規模にして美術館を作ってしまうなんて大塚製薬の社長さんえらい!

帰りも高速バスに乗って大阪にもどった。(2002..2t)


茶器と掛け物展 : 出光美術館

 

 お茶をしているので、なるべくこういう展覧会には出かけていって、いろいろなお道具をみて勉強をしている。良いものを観れば楽しいし、観る目も養われる。藤原公任の書「石山切」は優美。桃山時代の絵唐津「丸十文茶碗」は接ぎがしてあるがしぶい。

館内の茶室の床に掛けてあるお軸だが、○△□と書かれている。何か意味をもっているのだろうが私には分からなかった。茶道には、禅の精神がはいっているので、トンチのようだ。(2001.11t)


東山御物の茶道具根津美術館

 

根津美術館根津美術館会館60周年記念展の一環として今回は東山御物展。肩衝茶入「松屋」、曜変天目茶碗 これはどっちかというと油滴っぽい。井戸茶碗は素晴らしい。

織田有楽作の茶杓もあり、銘は「玉ふりふり」ちょっと変な銘だ。仁清の色絵武蔵野茶碗はすすきに月のしぶい茶碗。仁清というと派手な華やかという先入観があったが、生地が淡黄色なのでしぶいのだ。これがまさに”きれい寂び”???。(2001.9t)


葵徳川三代展: 東京江戸博物館

 

葵三代展ちょうどNHK大河ドラマで「葵 徳川三代」をしていて、東京江戸博物館にいったこともなかったので友人達と出かけた。

今年は関が原の合戦から400年目なのだ。とにかく徳川家は260年もの長い間政権を取り、安定した世の中を築き、文化も育ち人々に豊かな生活をもたらした。鎖国をしていたので、外国との軋轢も無く いい時代だったようだ。家康の消息文くらいが印象に残るくらいのおそまつな展覧会だったが、帰りに、7階の喫茶室で友人らとゆっくり喋れたのが楽しかった。(2000.5t)


日本国宝展: 東京国立博物館

 

藤田美術館:曜変天目茶碗藤田美術館:曜変天目茶碗

文化財保護法50年記念の展覧会。国宝ばかり観られるのであるからすごい人気だ。絵では宗達の「風神雷神図」、鳥獣戯画、高松塚壁画などが印象的であった。

俵屋宗達:風神雷神図屏風

私の興味のある書はじっくりと観た。古今和歌集の高野切れ、元永本はウットリ観たし、真草千字文は手本として臨書したのでしっかりと観た。あと、最澄、道風、佐里の立派な字も素晴らしかった。

本阿弥光悦の舟橋蒔絵硯箱も雅であった。

そして茶道をしている私にとっての極めつけは油滴天目(龍光院蔵)と井戸茶碗「喜左衛門」であった。「喜左衛門」は力強く、高台の梅華皮(かいらぎ)はものすごく、色はやさしい枇杷色でなんともいえない風格があった。(2000.4t)

龍光院:曜変天目茶碗龍光院:曜変天目茶碗


皇室の名宝展: 国立博物館

 

若沖:群鶏図聖徳太子画像 ご即位10年記念特別展。天皇の筆跡では、聖徳太子の「法華義疏」にびっくりした。細かい字で几帳面に書かれている。

 伏見天皇の筆はとても優美、光厳天皇は力強いで秀逸と感じたのは後西天皇の和歌。そして何と王羲之の「喪乱帖」が出ている。軸装になっているがそれはすばらしいものだ。

 古筆では小野道風の「屏風土代」が素晴らしい。臨書した藤原行成「粘葉本和漢朗詠集」は実物を見られ感動。

 絵画では、鎌倉時代の「絵師草紙」のストーリーが面白い。細かく見てしまった。近世のものでは若冲の「鶏」の絵や、近代のものでは橋本雅邦の「龍虎図」がよかった。(1999.12t)


福田豊四郎展: ステーションギャラリー

 

福田豊四郎:雪国秋田で生まれた画家、福田豊四郎。なんとも素朴な農民をテーマにした画が、のどかさと安らぎを与える。四季折々の農作業、自然美をいっぱいに温かさがかんじられるものだ。

初期の作品はスーラの絵のようにシーンとした動きの無い時間が止まったような画面であったが、徐々に農民が踊っている様子、海女が水中で浮遊しているところ、群鳥が飛んでいるところ、など動きを感じる画に変わっていく。地味な画家ではあったが、故郷をこよなく愛した画家と感じた。

カタログの最後に「父の思い出」として長女の文が載せてあった。子供が6人いて、子供たちと将棋をさしている時の家族写真もあり、和やかな良い家庭であったおとがうかがえるものだ。亡くなる前日まで絵筆をもてたことが幸せであったのではなかったかと長女に方が結んでいる。(1999.11t)


三千院の名宝展: 東武美術館

 

三千院:勢至菩薩坐像大修理完成記念の展覧会。往生極楽院の「阿弥陀三尊像」は、両側の阿弥陀様はなんと正座している。正座している仏様は見たことが無かった。

織田信長や、天海、秀吉の書状もあった。

私は、襖絵がとても感動した。芦雁図、遊亀図、などに続いて、竹内栖鳳の「猿猴図」もユーモラスで面白かった。(2000.9t)

この展覧会がきっかけで、京都宝ヶ池プリンスホテルに泊まった時に、タクシーで慶応のK先生と一緒に三千院を訪れた。このような山深いところに仏教文化が花開いたことに感動した。(2002.4a)


大正理想主義の煌めき: 碌山美術館

 

碌山美術館娘夫婦が松本に居るので孫に会いたいこともあって二人で出かけた。、長野新幹線も開通したので、長野まで行き小布施に立ち寄ったのちまた長野に戻り、篠の井線で松本に行く。

荻原碌山:そして安曇野や、穂高町を案内してもらった。わさび田をみた後、ここに立ち寄った。ここは、近代彫刻家、荻原守衛(号 碌山)の作品がある。坑夫、文覚、労働者、子供の像 そして後ろに手を組んで膝をついて天に向けて苦悶の表情をしている裸婦、代表作[女」だ。(2000.8t)

ちょうど大正ロマン主義の煌めき展が別棟のようなところで開かれていた。 「戸張孤雁とその仲間たち」という副題がついていた。石井鶴三、 萬 鉄五郎、橋口五葉、村山槐多、中村 彝などの佳い作品が並んでいて、観た後なんとなく得をした気になった。(2000.8a)


足立源一郎 北アルプスの世界: 安曇野山岳美術館

 

足立源一郎:西鎌尾根一度は訪ねたいと思っていた美術館である。山岳絵画の祖といわれる足立源一郎の没後20年、この美術館の開館10周年の展覧会が開かれていた。足立の画は、チラシの「槍ヶ岳西鎌尾根の雲海」や「北穂高岳南峰」に見られるように、なんとなくロマンの香の漂う作品である。むしろ女性的なやわらかいタッチで描かれている。

足立源一郎:北穂南峰、上田太郎:西穂一方、上田太郎の絵は、荒々しく男性的な太いタッチものが多い。マニャスコやヴラマンクのタッチと共通するものがある。チラシの「西穂高岳頂上から」で見られるように、どちらかといえば私の山の青春は前者に近い。しかし考えてみると山を愛する人は、すべてこの二面性を有していると思う。

加藤水城の上高地の絵、桑原 宏の森林の絵も良かったが、この小さな美術館の良さは、なんといっても北アルプスを望む安曇野に建っているということだろう。やはり野に置け蓮華草ということなのである。(2000.8a) 

ここも娘夫婦に車で連れて行ってもらった。主人は若かりし頃、山岳部に入っていたので、ここはとても興味があったと思われる。足立源一郎を始めとする迫力ある山岳絵画が並んでいる。足立源一郎の絵葉書を買って帰ったが、この大切な絵葉書を勝手に使ってしまったのでおこられた。(2000.8t)


北斎館

 

北斎:女波北斎:岩松院天井図娘の家族に会いに松本に行く途中小布施に寄った。長野新幹線に初めて乗り、長野電鉄で小布施についた。小布施は歴史と文化が息づく街。町中が美術館といっていいほど見所が多い。土壁とかわら屋根の美しい家並み、蔵を改造したギャラリー、小さな美術館などあり、観光客であふれていた。

まず、岩松院で、北斎の天井画を寝そべって鑑賞。畳21畳分ものおおきな「八方睨み鳳凰図」。とても色彩や構図が斬新。睨んでいる目がすごい。絵の中の中央の白い三角の空間は北斎が生涯敬愛していた富士山の姿なのではという新しい説を現住職が発表したそうだ。    ここの寺の庭に池があり、「痩せかえる まけるな一茶これにあり」の句碑があった。一茶がここでこの句を作ったそうだ。

そして北斎館に。美人画や植物画、龍と波の屋台天井画など画狂北斎の肉筆画をみた。(2000.8t)

やはり葛飾北斎はすばらしい。カタログを入れてくれた袋に描かれた「北斎漫画」は秀逸である。(2000.8a)


現代中国美術館

 

現代中国美術館現代中国美術館北斎館からタクシーでここにきた。中国がと言うと水墨画、しかし最近では色彩のある絵もある。画題も山水画から抽象画に変わっている。現代中国水墨画を集めた美術館はここ小布施だけとのこと。中国の水墨画は古くから日本の美術に影響を与えてきた。しかし現代の中国の画家は日本ではあまりというか全く知られていない。西洋画を刷り込まれた私たちにとっては、ここの絵は何か魅力に欠け、ちょっとがっかりした。(2000.8t)

私はけっこう上手な画が多いと思った。西洋美術がだんだんわかりにくくなる中で、このような墨を使った東洋画の良さをもっと理解すべきである。このことは1997年に台湾で同じように感じたが、今回再びそのような感覚を抱いた。日本人は東洋の水墨画に偏見を持っているかもしれないと。(2000.8a)

(追記)ネットで調べると、いつのまにか「おぶせ中国美術館」に変わっていた。このほうが小布施という土地に根付いたより良い名称であると思う。(2004.8)


大原美術館

 

大原美術館にまた出かけた。本館の有名な絵画をふたたび鑑賞した。これはまさにわが国の至宝である。 今回はちょっと離れたところにある児島虎次郎記念館にも行ってきた。

ここには、児島虎次郎の絵画と、彼の収集した西洋絵画の一部、古代エジプト、イスラム美術などが展示されていた。

以前に東北のM先生と一緒に酒を飲ませてもらった酒屋はまだあったが、枡酒はもうやめたということだったので、地ビールを買って出てきた。 (2000.6a)


河鍋暁斎・暁翠展: 東武美術館

 

暁斎:牛若丸、暁翠:寛永時代美人図暁翠:百福図河鍋暁斎はすごい。明治のはじめにこんな立派な画を描いた人がいたとはまさに驚きである。

明治9年に来日したフランンス人実業家エミール・ガレが挿絵画家フェリックス・レガメを連れて河鍋暁斎宅を訪問し、レガメが暁斎をスケッチしだしたところ、暁斎もレガメをスケッチし始めたという話は有名であり、これらのスケッチが外国で出版された単行本に収載されている。

 

暁斎:地獄太夫と一休また鹿鳴館を作ったイギリス人ジョサイア・コンドルが暁斎の門下生となった話も有名である。このように暁斎の画は国際的に通じる迫力、描写力、想像力を兼ね備えたものである。

近年、この河鍋暁斎がわが国のみならず、外国でも見直されつつあるということは、嬉しい限りである。今回の展覧会でも、観世音菩薩図、地獄変相図、ひな祭りの図、牽牛織女図、牛若丸図、墨合戦図などは特に目を引く。

今回の展覧会は娘、河鍋暁翠の作品も並べられている。モチーフとしては同じようなものが多いが、美人画などには女性らしいやさしいまなざしが感じられる。また代表作とされる百福図は、まるでピーター・ブリューゲルの子供の遊戯の画をみるようである。(2000.6a)


東大寺の至宝展: 東武美術館

 

東大寺:金銅誕生釈迦立像および潅仏盤ドイツにおける日本年のためケルンの東洋美術館にいっていた東大寺の宝物の帰国展ということで、国宝11件、重文46件を含む立派な展覧会であった。金色の小さな仏像が盤の上に乗っている国宝「金銅誕生釈迦仏立像および潅仏盤」などは外国人が見ても素晴らしいものであると思うに違いない。

大体、美術は世界の遺産である。これを国宝という名のもとに、日本だけのものにするのはいかにも了見が狭いのではあるまいか。たとえば百済観音は朝鮮半島からの渡来物であり、曜変天目は中国大陸からの輸入品なのに、どうして日本国宝なのだろうか。(2000.1a)


東京藝術大学美術館

 

芸大チケット:高橋由一:鮭赤松麟作:夜汽車芸大美術館所蔵名品展が開館記念として開かれた。わが国の美術教育の総本山だけに、その収蔵品はすごい。特に有名作家の卒業制作が残っているので、十分楽しめた。

日本画では、狩野芳崖の「悲母観音」、橋本雅邦の「白雲紅樹」、横山大観の「村童観猿翁]、菱田春草の「水鏡」、下村観山の「天心岡倉先生」、松岡映丘の「伊香保の沼」、川合玉堂の「鵜飼」、杉山 寧の「野」、上村松園の「序の舞」、鏑木清方の「一葉」、伊藤深水の「銀河祭り」・・・・・と書ききれないほどの名品が並び、彫刻では、高村光太郎、朝倉文夫、荻原守衛、高村光雲、佐藤忠良・・・・・とこれも書き切れず、さらに工芸、西洋画の名品も並んでいた。

西洋画としては、高橋由一、山本芳翠、浅井忠、久米桂一郎、黒田清輝、和田英作、藤島武二、岡田三郎助、小磯良平・・・・・などの有名画家のもののオンパレードであった。赤松麟作の「夜汽車」も懐かしい画であった。(1999.10a)


春の優品展: 五島美術館

 

「源氏物語絵巻」は、期待して観にいったが、約70センチ幅の額装になっていてがっかりした。巻物は切ってはいけないと思う。小間切れにしていろいろな収集家に渡ってしまったのがなんとも惜しい。古筆も高野切れとか、石山切れなど断切されているがこれも残念なことと思う。

春の優品展なので、春を題材にした、大観、玉堂などに近代画があった。  また、茶碗では鼠志野や楽茶碗が沢山あった。古伊賀の水指「破袋」は侘びた様子とも違いなにか失敗作のようで形はちっともよくなかった。(1998.4t)

古伊賀水差:破袋


世田谷美術館

 

世田谷美術館常設展を観にいった。近くに住んでいても、そのような機会はなかなかないものである。所蔵品としては、素朴派の西洋絵画の他に、北大路魯山人のやきもののコレクションが中心であった。箱ものは大きくても、コンテンツはやや不十分である。(1999.1a)


中林忠良展:本間美術館

 

中林忠良:転位82 NHKの日曜美術館を見ていてアット驚いた。新築祝いに義妹夫婦からもらった銅版画とそっくりの物が出てきたのだ。その版画はモノクロで地面に落ち葉があるなんとも不思議なもので、変な和紙が貼り付けてある。作家のサインも無く 誰の描いた物か分からなかったのだ。それは中林忠良の「転位 地」シリーズの1枚だったのだ。

 早速その「中林忠良展」を開いている本間美術館に電話してカタログを送ってもらった。(1998.8t)


楽茶碗の400年展: サントリー美術館

 

初代長次郎:黒楽「俊寛」

楽焼きは桃山時代、天正年間に長次郎によって始められて以来、約400年間、15代にわたって続いてきたものである。楽焼は、侘び茶の思想を茶碗の中に造形化したものであるといわれている。この展覧会は欧州各地で展示された作品の帰国展として催されたものである。

新聞論評によれば、何代かの作品を見ていくうちに、また初代長次郎に戻りたくなるという。初代長次郎の黒はなにもかにものみこんでいくブラックホールとも評されている。徳川家の歴史でもそういうことがいえそうである。どんな天才の遺伝子も半分以上は次代に継承されていかないからなのかもしてない。(1998.7t)


若林利重展・福沢一郎展: 東京国際美術館

 

若林利重:卒寿翁東京国際美術館で開かれた若林先生の展覧会を観にいった。先生は、東京警察病院の外科部長であったが、油彩画も専門家の域に達しておられる。独特の赤色の使い方が印象的であった。また看護婦さんの素敵な画があった。

この美術館は、松井さんといわれる方の個人美術館で、ちょうど若林先生がおられたので、紹介してもらった。福沢一郎の画が沢山常設されて折、その生誕100年記念展も行われていた。こちらは迫力のある大作品が多かった。(1998.6a )


川上澄生美術館

 

川上澄生美術館鹿沼の川上澄生美術館に出かけた。きっかけはNHKの日曜美術館で「初夏の風」の紹介があったので、急に行きたくなったのである。川上澄生は教職のかたわら絵を描いていたそうであるが、なかなかのものである。特に「初夏の風」には、「かぜとなりたやはつなつのかぜとなりたや、かのひとのまえにはだかり、かのひとのうしろよりふく、はつなつの、はつなつの、かぜとなりたや」と言う素晴らしい詩は書かれている。このように画と詩を同時に描くことは、中国でも日本でも広く行われていたものであるが、最近は珍しいので、新鮮である。

渋谷から埼京線で大宮に行き、そこで駅の立ち食いそばで昼食を済ませた。何とそこから新幹線で宇都宮に行き、そこから日光線に乗り換えて鹿沼に降り立った。本当に小さな駅、、鶯の声もきこえる。

そこからは快適な散歩。約10分で美術館に着いた。思ったより小さな美術館である。そこでは市政50周年記念特別展の「塚田康三郎と川上澄生」展が開かれていて、残念ながらお目当ての「初夏の風」は展示されていなかった。しかし南蛮船、年賀状、書状などが見られてマアマアであった。(1998.5a)


国宝展: 静嘉堂文庫美術館

 

曜変天目茶碗曜変天目茶碗

岩崎弥之助蒐集品を中心とし古美術展である。国宝としては、俵屋宗達の「源氏物語関屋澪標図屏風」、因陀羅の「禅機図断簡」、馬遠の「風雨山水図」、平安時代の「和漢朗詠集抄・太田切」、南宋時代の「曜変天目茶碗」が展示されていた。曜変天目茶碗は日本に3個あり、いずれも国宝になっているが、静嘉堂のものが最も美しいとのことであった。(1998.5a)


色鍋島展: 三越ギャラリー

 

青磁染付銹釉甕流水図大皿友人と出かけた。佐賀鍋島藩の御用窯で造られたもの。青、赤、白、黄色、青緑が基調で絵柄がとても素敵。青海波文、さや型文、をバックに大根や鳥などがドドーンと描かれている。お皿が多い。精巧で優美、伊万里のように金など使わずおさえた美。模様もとてもモダンというか、斬新なものが多い。例えば、大きな壷から波があふれ出ているもの、蜘蛛の巣に赤や黄の紅葉がかかっている模様のお皿、 しかも小皿なのだが、丸みのある三角形も、その模様とマッチしているのだ。

色鍋島は本当にセンスがよく私は大いに気に入った。(1998.2t)


川村記念美術館

 

川村記念美術館JR佐倉駅からバスに乗った。目的地は大日本インクの研究所に隣接した広大な土地に建っている見事な美術館である。庭には大きな池があり、散策路も作られている。

常設展には、長谷川等伯、レンブランド、モネ、ルノワール、ピカソ、シャガールなど内外の名品は並んでいる。

レストラン「ベルヴェデール」からの眺めも最高であった。その後、バスで京成佐倉まで出て、佐倉市立美術館で開かれていたマウリッツハイス美術館展を観て、JR佐倉駅までの山道を散策して、帰京した。(1998.1t)


平山郁夫のメッセージ: 三越ギャラリー

 

平山郁夫:バーミアンの大石仏

シルクロードの十字路、中近東を中心とした日本画と素描画沢山並んでいる。「アフガニスタンの文化遺跡バーミアン大石仏を守ろう」というメッセージを発して行われた展覧会であるが、残念ながらこの大仏は心ないイスラム原理主義者タリバンによって、爆破され、アフガニスタンがテロリストの温床となってしまった。(1998.1t)