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日本美術散歩 98-03 (西洋美術は別ページ)
平山郁夫のメッセージ展 98.1 | 川村美術館 98.1 | 色鍋島展 98.2 | 国宝展(静嘉堂)98.5 |
川上澄生美術館 98.5 | 若林利重・福沢一郎展 98.6 | 楽茶碗の400年展 98.7 | 中林忠良展 98.8 |
世田谷美術館 99.1 | 春の優品展(五島) 99.4 | 芸大美術館 99.11 | 東大寺の至宝展 00.1 |
河鍋暁斎・暁翠展 00.6 | 大原美術館 03.6 | 現代中国美術館 00.8 | 北斎美術館 00.8 |
安曇野山岳美術館 00.8 | 碌山美術館 00.8 | 三千院の名宝展 00.9 | 福田豊四郎展 00.11 |
皇室の名宝展 00.12 | 日本国宝展 01.4 | 葵徳川三代展 01.5 | 大塚国際美術館 00.5 |
根津美術館 01.9 | 茶器と掛物展 01.11 | 日本の四季展 02.10 | 北野恒富展 03.3 |
三岸好太郎美術館 03.5 |
目 次 ↑
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久しぶりに主人と二人で札幌に行きました。
ちょうどその前の週のNHK「新美術館」で紹介していたので『生誕100年三岸好太郎展』を見てきました。
彼の画業生活は大変短く、「檸檬持てる少女」で春陽会初入選したのが20歳の時、そして31歳の若さで亡くなっているのでほんの10年ほどといえます。 短い生涯でも、同じ画家であった節子夫人のお陰で後世に素晴らしい絵を伝える事が出来、なにかゴッホと重なるような気がしました。
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そう言えば、この展覧会のチラシに「浪花画壇の悪魔派(デカダン)」と書かれていた。(2003.3t) |
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東山魁夷や河合玉堂などの日本画7点、洋画5点と彫刻2点それに書が6点展示されていた。日本芸術院とは、何をしている団体かちょっとだけ分かった。期間限定の特別公開で庭園も見られたし、ラッキーだった。(2002.10t) |
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ここからまたバスに乗って美術館へ。平日なので私一人で貸し切り状態。陶板画だが、パッと見ると本物のよう。よく観ると陶板の合わさり目の筋が見えるが大きさが実物大というのがなんといってもすごい!まず「システィーナ礼拝堂の天井画、あこがれの「小椅子の聖母」「無原罪の御宿」もフラアンジェリコの「受胎告知」も目の前にある。すごく不思議なかんじだ。 館内はまたとてつもなく広い。紀元前のフレスコ画、例えば「パン屋の夫妻」などからモザイク画まであるのだから印象派やピカソに辿り着くまでに、すごく沢山の画がある。すべて観終えて美術の歴史を急いで勉強したきぶんになった。陶板画というはじめての試みをこんなに大規模にして美術館を作ってしまうなんて大塚製薬の社長さんえらい! 帰りも高速バスに乗って大阪にもどった。(2002..2t) |
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お茶をしているので、なるべくこういう展覧会には出かけていって、いろいろなお道具をみて勉強をしている。良いものを観れば楽しいし、観る目も養われる。藤原公任の書「石山切」は優美。桃山時代の絵唐津「丸十文茶碗」は接ぎがしてあるがしぶい。 館内の茶室の床に掛けてあるお軸だが、○△□と書かれている。何か意味をもっているのだろうが私には分からなかった。茶道には、禅の精神がはいっているので、トンチのようだ。(2001.11t) |
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織田有楽作の茶杓もあり、銘は「玉ふりふり」ちょっと変な銘だ。仁清の色絵武蔵野茶碗はすすきに月のしぶい茶碗。仁清というと派手な華やかという先入観があったが、生地が淡黄色なのでしぶいのだ。これがまさに”きれい寂び”???。(2001.9t) |
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今年は関が原の合戦から400年目なのだ。とにかく徳川家は260年もの長い間政権を取り、安定した世の中を築き、文化も育ち人々に豊かな生活をもたらした。鎖国をしていたので、外国との軋轢も無く いい時代だったようだ。家康の消息文くらいが印象に残るくらいのおそまつな展覧会だったが、帰りに、7階の喫茶室で友人らとゆっくり喋れたのが楽しかった。(2000.5t) |
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文化財保護法50年記念の展覧会。国宝ばかり観られるのであるからすごい人気だ。絵では宗達の「風神雷神図」、鳥獣戯画、高松塚壁画などが印象的であった。 私の興味のある書はじっくりと観た。古今和歌集の高野切れ、元永本はウットリ観たし、真草千字文は手本として臨書したのでしっかりと観た。あと、最澄、道風、佐里の立派な字も素晴らしかった。 本阿弥光悦の舟橋蒔絵硯箱も雅であった。 そして茶道をしている私にとっての極めつけは油滴天目(龍光院蔵)と井戸茶碗「喜左衛門」であった。「喜左衛門」は力強く、高台の梅華皮(かいらぎ)はものすごく、色はやさしい枇杷色でなんともいえない風格があった。(2000.4t) |
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伏見天皇の筆はとても優美、光厳天皇は力強いで秀逸と感じたのは後西天皇の和歌。そして何と王羲之の「喪乱帖」が出ている。軸装になっているがそれはすばらしいものだ。 古筆では小野道風の「屏風土代」が素晴らしい。臨書した藤原行成「粘葉本和漢朗詠集」は実物を見られ感動。 絵画では、鎌倉時代の「絵師草紙」のストーリーが面白い。細かく見てしまった。近世のものでは若冲の「鶏」の絵や、近代のものでは橋本雅邦の「龍虎図」がよかった。(1999.12t) |
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初期の作品はスーラの絵のようにシーンとした動きの無い時間が止まったような画面であったが、徐々に農民が踊っている様子、海女が水中で浮遊しているところ、群鳥が飛んでいるところ、など動きを感じる画に変わっていく。地味な画家ではあったが、故郷をこよなく愛した画家と感じた。 カタログの最後に「父の思い出」として長女の文が載せてあった。子供が6人いて、子供たちと将棋をさしている時の家族写真もあり、和やかな良い家庭であったおとがうかがえるものだ。亡くなる前日まで絵筆をもてたことが幸せであったのではなかったかと長女に方が結んでいる。(1999.11t) |
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織田信長や、天海、秀吉の書状もあった。 私は、襖絵がとても感動した。芦雁図、遊亀図、などに続いて、竹内栖鳳の「猿猴図」もユーモラスで面白かった。(2000.9t) この展覧会がきっかけで、京都宝ヶ池プリンスホテルに泊まった時に、タクシーで慶応のK先生と一緒に三千院を訪れた。このような山深いところに仏教文化が花開いたことに感動した。(2002.4a) |
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ちょうど大正ロマン主義の煌めき展が別棟のようなところで開かれていた。 「戸張孤雁とその仲間たち」という副題がついていた。石井鶴三、 萬 鉄五郎、橋口五葉、村山槐多、中村 彝などの佳い作品が並んでいて、観た後なんとなく得をした気になった。(2000.8a) |
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加藤水城の上高地の絵、桑原 宏の森林の絵も良かったが、この小さな美術館の良さは、なんといっても北アルプスを望む安曇野に建っているということだろう。やはり野に置け蓮華草ということなのである。(2000.8a) ここも娘夫婦に車で連れて行ってもらった。主人は若かりし頃、山岳部に入っていたので、ここはとても興味があったと思われる。足立源一郎を始めとする迫力ある山岳絵画が並んでいる。足立源一郎の絵葉書を買って帰ったが、この大切な絵葉書を勝手に使ってしまったのでおこられた。(2000.8t) |
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そして北斎館に。美人画や植物画、龍と波の屋台天井画など画狂北斎の肉筆画をみた。(2000.8t) やはり葛飾北斎はすばらしい。カタログを入れてくれた袋に描かれた「北斎漫画」は秀逸である。(2000.8a)
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私はけっこう上手な画が多いと思った。西洋美術がだんだんわかりにくくなる中で、このような墨を使った東洋画の良さをもっと理解すべきである。このことは1997年に台湾で同じように感じたが、今回再びそのような感覚を抱いた。日本人は東洋の水墨画に偏見を持っているかもしれないと。(2000.8a) (追記)ネットで調べると、いつのまにか「おぶせ中国美術館」に変わっていた。このほうが小布施という土地に根付いたより良い名称であると思う。(2004.8) |
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大原美術館にまた出かけた。本館の有名な絵画をふたたび鑑賞した。これはまさにわが国の至宝である。 今回はちょっと離れたところにある児島虎次郎記念館にも行ってきた。 ここには、児島虎次郎の絵画と、彼の収集した西洋絵画の一部、古代エジプト、イスラム美術などが展示されていた。 以前に東北のM先生と一緒に酒を飲ませてもらった酒屋はまだあったが、枡酒はもうやめたということだったので、地ビールを買って出てきた。 (2000.6a) |
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明治9年に来日したフランンス人実業家エミール・ガレが挿絵画家フェリックス・レガメを連れて河鍋暁斎宅を訪問し、レガメが暁斎をスケッチしだしたところ、暁斎もレガメをスケッチし始めたという話は有名であり、これらのスケッチが外国で出版された単行本に収載されている。
近年、この河鍋暁斎がわが国のみならず、外国でも見直されつつあるということは、嬉しい限りである。今回の展覧会でも、観世音菩薩図、地獄変相図、ひな祭りの図、牽牛織女図、牛若丸図、墨合戦図などは特に目を引く。 今回の展覧会は娘、河鍋暁翠の作品も並べられている。モチーフとしては同じようなものが多いが、美人画などには女性らしいやさしいまなざしが感じられる。また代表作とされる百福図は、まるでピーター・ブリューゲルの子供の遊戯の画をみるようである。(2000.6a) |
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大体、美術は世界の遺産である。これを国宝という名のもとに、日本だけのものにするのはいかにも了見が狭いのではあるまいか。たとえば百済観音は朝鮮半島からの渡来物であり、曜変天目は中国大陸からの輸入品なのに、どうして日本国宝なのだろうか。(2000.1a) |
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日本画では、狩野芳崖の「悲母観音」、橋本雅邦の「白雲紅樹」、横山大観の「村童観猿翁]、菱田春草の「水鏡」、下村観山の「天心岡倉先生」、松岡映丘の「伊香保の沼」、川合玉堂の「鵜飼」、杉山 寧の「野」、上村松園の「序の舞」、鏑木清方の「一葉」、伊藤深水の「銀河祭り」・・・・・と書ききれないほどの名品が並び、彫刻では、高村光太郎、朝倉文夫、荻原守衛、高村光雲、佐藤忠良・・・・・とこれも書き切れず、さらに工芸、西洋画の名品も並んでいた。 西洋画としては、高橋由一、山本芳翠、浅井忠、久米桂一郎、黒田清輝、和田英作、藤島武二、岡田三郎助、小磯良平・・・・・などの有名画家のもののオンパレードであった。赤松麟作の「夜汽車」も懐かしい画であった。(1999.10a) |
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「源氏物語絵巻」は、期待して観にいったが、約70センチ幅の額装になっていてがっかりした。巻物は切ってはいけないと思う。小間切れにしていろいろな収集家に渡ってしまったのがなんとも惜しい。古筆も高野切れとか、石山切れなど断切されているがこれも残念なことと思う。 春の優品展なので、春を題材にした、大観、玉堂などに近代画があった。 また、茶碗では鼠志野や楽茶碗が沢山あった。古伊賀の水指「破袋」は侘びた様子とも違いなにか失敗作のようで形はちっともよくなかった。(1998.4t) |
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中林忠良展:本間美術館
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早速その「中林忠良展」を開いている本間美術館に電話してカタログを送ってもらった。(1998.8t) |
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楽焼きは桃山時代、天正年間に長次郎によって始められて以来、約400年間、15代にわたって続いてきたものである。楽焼は、侘び茶の思想を茶碗の中に造形化したものであるといわれている。この展覧会は欧州各地で展示された作品の帰国展として催されたものである。 新聞論評によれば、何代かの作品を見ていくうちに、また初代長次郎に戻りたくなるという。初代長次郎の黒はなにもかにものみこんでいくブラックホールとも評されている。徳川家の歴史でもそういうことがいえそうである。どんな天才の遺伝子も半分以上は次代に継承されていかないからなのかもしてない。(1998.7t) |
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この美術館は、松井さんといわれる方の個人美術館で、ちょうど若林先生がおられたので、紹介してもらった。福沢一郎の画が沢山常設されて折、その生誕100年記念展も行われていた。こちらは迫力のある大作品が多かった。(1998.6a ) |
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渋谷から埼京線で大宮に行き、そこで駅の立ち食いそばで昼食を済ませた。何とそこから新幹線で宇都宮に行き、そこから日光線に乗り換えて鹿沼に降り立った。本当に小さな駅、、鶯の声もきこえる。 そこからは快適な散歩。約10分で美術館に着いた。思ったより小さな美術館である。そこでは市政50周年記念特別展の「塚田康三郎と川上澄生」展が開かれていて、残念ながらお目当ての「初夏の風」は展示されていなかった。しかし南蛮船、年賀状、書状などが見られてマアマアであった。(1998.5a) |
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岩崎弥之助蒐集品を中心とし古美術展である。国宝としては、俵屋宗達の「源氏物語関屋澪標図屏風」、因陀羅の「禅機図断簡」、馬遠の「風雨山水図」、平安時代の「和漢朗詠集抄・太田切」、南宋時代の「曜変天目茶碗」が展示されていた。曜変天目茶碗は日本に3個あり、いずれも国宝になっているが、静嘉堂のものが最も美しいとのことであった。(1998.5a) |
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色鍋島は本当にセンスがよく私は大いに気に入った。(1998.2t) |
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常設展には、長谷川等伯、レンブランド、モネ、ルノワール、ピカソ、シャガールなど内外の名品は並んでいる。 レストラン「ベルヴェデール」からの眺めも最高であった。その後、バスで京成佐倉まで出て、佐倉市立美術館で開かれていたマウリッツハイス美術館展を観て、JR佐倉駅までの山道を散策して、帰京した。(1998.1t) |
平山郁夫のメッセージ: 三越ギャラリー
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![]() シルクロードの十字路、中近東を中心とした日本画と素描画沢山並んでいる。「アフガニスタンの文化遺跡バーミアン大石仏を守ろう」というメッセージを発して行われた展覧会であるが、残念ながらこの大仏は心ないイスラム原理主義者タリバンによって、爆破され、アフガニスタンがテロリストの温床となってしまった。(1998.1t) |