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たべもの雑記帳-九州長崎編
おでんの牛すじの巻

おでんに入っている牛すじ、いったいあれはどこで誰が考え出したのだろう。

長崎に住んでいたのはわずかに2年間なのだけれど、その間ほど色々なものを味わったときはないように思う。はじめて食べた真っ白なラーメン(今思えばそれはとんこつラーメンなのだろうけれど)、皿うどん、しっぽく料理・・・そして、一番最後に食べたのが(というより食べさせてもらったのが)おでんの牛すじなのだ。

その頃、私たち一家は2階建てのアパートに住んでいた。当時(…って、いったいいつ頃の話なのかはご想像におまかせします)、アパートとはいえ結構いい住まいだったのかもしれない。私の家はそのアパートの一角、1階だった。その2階、うちの真上にすんでいらしたのが産婦人科のお医者様であるM先生一家だった。話はここから始まる。

私の両親とM先生ご夫妻はずいぶんと気が合ったらしい。長崎を離れて10年以上を経ても交流は続いていた。

ある晩のこと、子どもだった私は物音に目を覚ました。縁側の方から聞こえてくる子供の声。それは2階のM先生の息子さん(当時たぶん4・5歳)の寝ぼけた声だった。「おかあさんがいないよ〜」言われてみればうちもだれもいない、私ひとり・・・。泣くでもなく、騒ぐでもなく、二人の子供はただじっと待つのみであった。「きっと帰ってくるよ・・・」案の定、しばらくすると両方の親たちが帰ってきたのであった。

なんということ!私の両親とM先生ご夫妻は子供を寝かしつけると一緒にどこかへおいしいものを食べにいっていたらしい。夫婦で食事にいくというのは日本ではまだまだ少ないように思うが、当時にすれば尚更まれなこと、とんでる夫婦だったに違いない。よく子供(私)が無事だったものだ。この事件の後は会食も終わりになったかどうか・・・私はその後目を覚ますことはなかったので、真実はわからない。

さて、牛すじに話は戻る。
父の仕事が長崎から大分に転勤になると決定し、長崎を離れることが目前に迫った頃、両親は私を屋台のおでんやさんに連れていってくれた。そこで初めて口にしたのがその牛すじだったのである。子供ながらに、こんなおいしいものがあるとは…と衝撃を受けたと言っても過言ではない。

とろけるようなお肉。透き通ったスープ・・・。
両親はこんなおいしいものを食べていたのか。恨みには思わなかったけれど、いいなあ、私も食べたかったよ〜!!というのが本音だった。今でもおでんを作るときにはなるべく牛すじを入れるようにしている。しかし、なかなかうまくはいかない。下ゆでをして脂っこさを除いてから煮るのだが・・・

そのたびに私はあの”長崎の最後の味”を思い出す。どうやったら「あの味」に近づくことができるのだろうか・・・?
これをお読みになられてご存知の方がいらしたら、ぜひ教えてください。


九州長崎編
皿うどんの巻/ おでんの牛すじの巻/ かにやのおにぎりの巻

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横浜中華街の巻/洪福寺商店街の巻

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ちびたのおでんの巻

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