「おそ松くん」のまんがで、ちび太が持っているおでんを、みなさん一度は「食べたい!」と思ったことがあるのではないだろうか。(えっ、誰もそんなこと考えなかったって・・・?)くしざしの、一番上は三角(たぶんこんにゃく)真中は丸(がんもか?揚げ物か?)下は長方形(ちくわじゃないかなぁ)。ちび太はいつもそのおでんを持って走りまわっていた。私はその絵をみるたびに「どんな味なんだろう?」とあこがれに近い思いを抱いていたように思う。そして実際に、東京杉並にそのおでんはあったのだ。
今を去ること○年前・・・これは我が家が長崎に引っ越す前のことである。私は善福寺公園の近くに住んでいた。近くに公園があるというのに子供達は家の前の道路でよく遊んでいた。(・・・私の年がばれそうです。)かんけりをしたり、近所の医院の門の柱をのぼってみたり。今じゃもう車も多いし、そんなことは出来ないだろうけど、そのころはまだ東京も“よき時代”だったのだ。
そのころの子供達は塾なんて行かないから、夕方おそくまでよく遊んだ。ほんとうによく遊んだのだ。大きい男の子達もいっしょにかんけりをすると、私がずーっとオニをやるはめになるが、それでも負けずに走りまわっていた。
夕方になると子供達はおなかがすいてくる。たしか4時ごろだったと思うが、そのころになると登場するのが屋台を引いたおでんやさんだった。東京の杉並に、そんな人がほんとうにいたんですよ!!
そのおでんやさんのおじさんはどこか「グリコ300メートル」のあのランニング姿の人に似ていたような気がする。チリンチリンとベルをならして、どこからともなくやってくるのだ。そこに、子供達はむらがって「おじさん、こんにゃくちょうだい!」とリクエストすると、おじさんはくしにつぎつぎとおでんを刺していく。そうやって出来あがるのはさきほどの「ちび太のおでん」だった。
夕暮れ時に、漂うおでんのにおい。
おいしそうだなぁ。しかし私は食べさせてもらえなかった。衛生上良くないという理由で、私の母は許してくれなかったのだ。みんながおいしそうに食べるのを私は横でながめているしかなかった。
が、その後、このおでんやさんにちょっとした「悲劇」が訪れる。
このおでんを食べた男の子のひとりが、お腹をこわしたのだ。「あのおでんを食べて、お腹をこわしたんだってよ」そんなうわさが町中にあっという間に広がった。母は「ほ〜ら、ごらん」と自分の判断が正しかったことが証明されたといわんばかりだった。
それからというもの、あの“グリコのおじさん”がおでんを運んできても、だれも前のようには買わなくなってしまった。そして、それからおじさんの足がその町から遠のいたようにも記憶するのだが・・・私も引っ越すことになってしまったのでよくわからない。
ただ、子供心に「ほんとうにあのおでんでお腹をこわしたのかなぁ」という疑問はその後もずっと残っていた。もしそうなら他にもお腹をこわす子供がいたっていいはずなのに。おでんやさんがかわいそうだ。あんなにおいしそうなおでんを作って売ってたのに。
今でも、思い出すとしんみりしてしまう話のひとつである。
◆九州長崎編
皿うどんの巻/
おでんの牛すじの巻/
かにやのおにぎりの巻
◆横浜編
横浜中華街の巻/洪福寺商店街の巻
◆東京杉並編
ちびたのおでんの巻
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