郡山美術館 96.11 | 故宮美術館 97.1 | ツァイ・コレクション 97.1 | 象徴派展 97.1 |
レオポルド展 (クリムト・シーレ) 97.4 | プーキシン展 (バロック) 97.3 | ルーヴル展 (ロココ・新古典派) 97.5 | ムンク展 97.5 |
リングリング展 97.5 | ターナー展 97.7 | ゴッホ展(5) (四季) 97.8 | ポンピドー展 97.8 |
ナショナルギャラリー(スーラ展) 97.9 | テートギャラリー 97.9 | バッキンガム宮殿 97.9 | コートールド美術館 97.9 |
ナイチンゲール博物館 97.9 | 大英博物館 97.9 | ルーヴル美術館 97.9 | オルセー美術館 97.9 |
オランジュリー美術館 97.9 | キャリントン展 97.10 | マリノ・マリーニ展 97.11 | バスキア展 97.11 |
セザンヌ展(笠間日動美術館) 97.11 | コーポレート・アート(BUNKAMURA) 97.11 | コートールド展 97.12 | |
英国ロマン派展 98.1 | マウリッツハイス展 98.1 | テート展 98.1 | ピサロ展 98.3 |
オルブライト・ノック展 98.5 | 5人の王妃展 98.5 | ファッションINアート 98.5 | ロシア美術館 98.8 |
ボイマンス展 98.8 | ダヴィンチ展 98.8 | 印象派展 (東武) 98.8 | クロード・ロラン展 98.9 |
オランジュリー展 99.1 |
目 次 ↑
1997年9月にパリへ行った時に、駆け足だが,行ったことのある美術館だ。オレンジの木を越冬させるための温室だったのを美術館に改修したのだ。もともとは、ポール・ギョームという画商がコレクトしたものが多い。 セザンヌの作品がなんと13枚もあった。「果物、ナプキン、ミルク入れ」「小船と水浴をする人々」はすばらしい。モネの「アルジャンテゥイユ」は赤い舟がユニーク。ほかにモネの作品は16枚あり、「ピアノを弾く少女達」「イチゴ」「花」「ピエロ姿のクロード・ルノワール」はよかった。アンリー・ルソーも何枚かあったが相変わらず不思議な絵ばかり。マチスは10枚あり、「バイオリンを持つ女」「マンドリンを持つ女」はとても色彩がきれいで良かった。あと、ピカソもばら色の時代の画が多かった。スーチンだけは何かゆらゆらとしたした絵で、あまり好きになれない。 とにかく ギョームの収集はセンスがいいと思う。(1999.1t) |
17世紀の画家、クロード・ロランは牧歌的な風景に、古代的主題があわさった独特の風景画だ。実際の風景を描写したのでなく、理想風景なのだ。本当に風景画ばかりだった。よくも飽きずにこれだけのものを描いたのかと感心してしまう。 大きい自然の中に人物が、あるときは聖書から、またあるときは神話からの人物が小さく描かれている。動物もいる。普通の猟師や木こり、男女、などを描く場合もある。海のあるものもあり、海や船も良く見ると本当に細かく丁寧に描かれている美しい風景だ。油彩画ばかりでなく、ペンや、黒チョークでかかれた風景画もある。 カタログの表紙になっていた「アイネイアスのいるデロス島の海辺」は遠くの建物もきちんと、海に浮かぶ船も10隻ほど細かく描かれていて人物も20人ちかく、やぎも12,3匹もいて本当に素晴らしい。似たような風景画が並んでいたが、やはり、個性があるものだった。(1998.9t) |
伝統的な主義から、戸外に出て自然の一瞬の印象を描くというふうにルノアール、シスレー、モネらは印象派の画風を始めた。1874年から1886年までのこれらの作家による「印象派展」はだんだん支持されるようになった。まさに近代絵画史の革命でもあった。景色や、人物、静物などただ忠実に写生するのではなく、光や、空気などパッと感じたままに描く。かえって作家の個性が発揮できるようだ。ルノワールの「シスレー夫妻」、モネの「睡蓮」、セザンヌの「洋梨のある風景」、などなじみのある作家ばかりで気楽に鑑賞できた。(1998.8t) これはケルン市立ヴァルラフ=リヒャル美術館、リール市美術館、ジュネーブのプチパレ美術館などからの借用展示会であるが、比較的よいものが揃っていた。(1998.8a) |
レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿に基づいて再現されたさまざまな模型50余点を、イタリア科学技術博物館および国立博物館より借用し、手稿の写真パネルとともに展示されていた。模型は、飛行・機械・建築・土木などに関するものであった。 興味深かったのは、救命胴衣・シュノーケル(浮遊呼吸器)・戦車・自転車・パラシュート・開き扉式運河水門・外輪船・操作可能な翼付きグライダー・垂直飛行・動力伝達装置・空気圧ネジなどである。 これらはアトランティコ手稿・アランデル手稿・フォースター手稿・トリベルツィオ手稿・マドリッド手稿・レスター手稿・パリ手稿・アミュバーナム手稿など彼のほとんどの手稿からとられていたが、ダ・ヴィンチの科学技術者の側面を語って余りある模型であった。夏休みとあって、生徒・学生の姿が多かった。(1998.8a) 主人の仕事の関係で東京ステーションギャラリーの切符をたびたび頂く。今回は画家というよりも発明家としてのダ・ビンチの注目した展覧会だ。 ダ・ビンチはいつも手製のノートを持ち歩いていて自然観察の素描画を描き、説明文も書き添えていた。また飛行、土木、機械、建築などについてもいろいろ考案し書き留めておいたのだ。その手製のノートと、それをもとに再現された模型がいくつか展示されていた。グライダー、垂直飛行機、浮遊呼吸器など・・・・。彼特有の「鏡文字」は本当にどういうつもりで書いたのだろうか?アイディアを盗まれないためか?(1998.8t) |
しばらく前に北海道にイリヤ・レーピンの「ボルガの船曳」がきたとの新聞を見た。この絵は確か高校時代の世界史の教科書に載っていたので、十分に刷り込まれている。このとき初めて小樽にペテルブルグ美術館があることを知った。何とか羽田から小樽へ日帰りしたいというので、だいぶジタバタしたが、クレージーすぎるという反対にあって、挫折した。 今回は札幌で学会があり一人旅である。日曜日に、札幌を抜け出して、はじめて小樽に行った。JR小樽駅で降りて、古い町並みを楽しみながら、ペテルブルグ美術館に辿りいた。 驚いた。とても立派な建物で、街の目抜き通りにある。しかも回廊形式になっており、沢山の美しい絵が飾られている。サンクト・ペテルブルグ市の国立ロシア美術館100年記念展が開かれていたのである。もう一つ驚いたことには、日曜日なのに、中にはほとんど観客がいない。実際に私以外のもう1人の人が私を追い抜いていってだけであった。こんな美術館を維持するのはさぞ大変だろうと心配した。 作品としては「移動派」のものが中心ということであるが、アイヴァゾフスキーの海洋画はなんともいえず素晴らしかった。特に「月光の海」、「天地創造」、「海岸の月夜」などは世界の名品であると思った。アイヴァゾフスキーはロマン主義時代の画家で、生涯に6000点以上の海の絵を書いたが、彼はこの海に人生の予期せぬ出来事や運命を投影して現したとのことである。 グズネツォフの「画家I..E.レーピンの肖像」]が展示されていて、計らずもここで「ボルガの船曳」の作者に遭遇した。ミャソエドフの「地主の家での結婚の祝い」という大きな絵も良かった。マコフスキーの大作「水の精」は、ラファエル前派を髣髴とさせる裸体の連続であった。同じ作家の「オフィーリア」は、死を前にして、花を摘んでいる目の大きな少女の素敵な画で、テートギャラリーのミレイの作品に決して引けをとらない傑作であった。セドーフの「W.メレンチェヴナに見とれるイヴァン雷帝」、レヴィタン、シーシキン、ヴァスネツォフ、スドコフスキーの美しい風景画は心安らぐものであった。ヤロシェンコの「LNトルストイの肖像」や「避寒地にて」も素晴らしかったが、何といっても貧しい農村のボロを着た少年が小学校の教室の入り口で、お金持ちの児童が学習する姿を眺めている「教室の入り口にて」というボクダノフ=ベリスキーの画が感動的であった。 はじめての小樽の町であったので、有名な観光スポットをツマミ食いしたが、道路の案内表示が日本語とロシア語であるのを見て、ここが蝦夷地であることを再認識した。(1998.8a) (追記) この美術館は心配したとおり1999年4月に閉館した。わたしはとうとう行けなかった。この建物は、銀行、ホテル、美術館と利用されてきたが、いずれも経済的理由で閉鎖された。今はどうなっていることだろうか。(2003.10t) |
ハプスブルグ家のマルガリータ、マリア・テレジア、アントワネット、エリザベート、ツィタの5王妃にまつわる絵画、食器、家具、調度品,宝飾品などが展示されている。 ハプスブルグ家は13世紀から20世紀初頭までヨーロッパを君臨した。結婚ということで、領土を拡大していったので、その名門に生まれた王妃達も大変だったと思う。 ヴェラスケスの絵で有名なマルガリータ、偉大なる女帝マリア・テレジア、フランス革命の悲劇の王妃マリーアントワネット、美貌のエリザベート、最後の皇女ツィタ。本当にそれぞれいろいろな人生を歩んでいる。やはり、エリザベートの美しさは只者ではない。60歳で暗殺されたということで本当に悲劇の王妃だ。このころから、ハプスブルグ家は崩壊していく。(1998.5t) |
「近代絵画に描かれたモダニズムの情景」というキャッチフレーズの展覧会。行ってみないと、何を展示しているか分からない不思議な美術展である。 家内はつまらそうなので行かないという。女性のファッションはやはり男性のためのものなのだろう。 行ってみると、数は少ないが立派な作品が並んでいる。クリムト、ルノワール、ロートレックなどの佳品を楽しんで帰ってきた。家内をうらやましがらせたことはいうまでもない。(1998.5a) |
アメリカのバッファロー市にある美術館だ。この展覧会の目玉はなんといってもゴーギャンの「黄色いキリスト」だ。収穫期の黄金色の畑の風景を背景に黄色の身体をしたキリストの磔刑像があり、その下で、ブルターニュ地方の衣装をつけた女の人が3人悲しげに坐っている絵だ。 主人はこの絵の中に、男の人が塀をまたがって逃げるような姿を見つけ「これはユダを表しているのではないか」と言う。私は単に農作業をしている男の人と思っていたが、よく見ると確かに逃げているようだ。絵画ってよくよく注意をしてながめるといろいろな発見がある。 ゴッホの「古い水車小屋」もアルル時代の明るい色調の画だ。マチスの「音楽」は、1人の女性はマンドリンを弾いていて、もう一人の女性は椅子に腰掛けている。手前に楽譜が見えていて、背景がマチス独特の装飾的パターン。赤と緑が際だつ画だ。ピカソ、レジェ、カンジンスキー、ドローネ、と続き、シャガール、タンギンで終わっている。知っている作家が次々と出てきて大いに楽しめた展覧会であった。 (1998.5t) |
印象派の中心人物のカミーユ・ピサロと4世代にわたるピサロ家の画家たちの作品をまとめてみることが出来た。 ピサロ自身の作品は、1.初期ーベネズエラ時代、2.印象派以前、3..印象派・新印象派、4.総合の時代の4章に分けてある。 ピサロ家の第1世代の画家は、長男のルシアン、三番目の子供のジョルジュ=アンリ、四番目の子供のフェリックス、五番目の子供のルドヴィク=ロド、末っ子のポーレミールの5人。 第2世代としては、ルシアンの子供のオロヴィタとポーレミールの子供のH.クロード。 第3世代としては、H.クロードの子供のレリア。合計8人の大部隊である。とくに、1963年生まれのレリアもカミーユ・ピカソのソックリの画を描いているのだから、恐れ入った。 (1998.3a) |
17世紀の宮廷貴族の肖像画から、18,19世紀のゲインズバラ、ターナー、コンスタブルなどの風景画、20世紀のフランシスコベーコンなどの絵画まで幅広く観られる。イギリス人らしい格調さも感じられる絵が多い。 レイノルズ、ゲインズバラの女性像はきれいだ。犬のポメラニアンや、フォックスハウンドの絵もあり、いかにもイギリス的だなと思った。「雲」を得意としたコンスタブルの風景画、印象派のさきがけともいえるターナーの風景画、ハントの「良心の目覚め」は極度のリアリズム、サー・ジョン・エヴァレット・ミレーの有名な「オフェーリア」はシェイクスピアからの題材でオフェ-リアが小川で溺死する場面だ。 アルマタデマは私はけっこう好きな画家なのだが、今回も古代ローマ ポンペイの浴場の風俗画だ。大理石の感じや、浴槽の湯の描写が実に上手いと思う。この展覧会で、イギリスの作家をだいぶ覚えた。(1998.1t) |
川村美術館に行ったついでにといっては失礼になるが、ちょうどいい展覧会をしていたのでちょっとバスに乗って寄ったのだ。 オランダ、デン・ハーグにある美術館だ。レンブラント、ハルス、デ・ホーホなどオランダの画家の絵が目白押し。デ・ヘームの「果物で飾られた花」、ヤン・ファン・ハイムスの「果物」はとてもリアルだ。桃、ぶどう、アケビなど本物そっくりだ。レンブラントの「青年の自画像」は後日弟子による模写とされたそう、新聞で読んだ。ライスダールの風景画は雄大。 とにかく素晴らしい作品たちに思いがけず出会え、大満足の一日であった。(1998.1t) |
英国ロマン派展: Bunkamura |
19世紀半ば、ラファエル前派のロセティ、バーン・ジョーンズ、ワット、ウォーターハウスなどの英国作家の作品展。 ウォーターハウスの「オフィーリア」は美しかったが、野の花の冠を被り、狂気のうちに溺死するらしい。うつくしさとは裏腹にいつしかぼろぼろに崩れていく内面も読み取らなくてはいけないらしい。「オフィーリア」はいろいろな画家が描いた題材だ。 ロマンティックな、少女趣味的な絵画が多かった。(1998.1t) どうも女性はラファエル前派の美人にジェラシーの気持ちを抱くらしい。男性がこれらの画のフェロモンの影響を受けるとでも思うのであろうか。それはともかく、男性ならば、レイトンの祈り(左図)などは絶品であると感じるのが自然だと思うのだが・・・。(1998.1a) |
今年9月にロンドンに行ったときには、折角この美術館まで行ったのに、工事で休みだった。そこで工事中沢山の収蔵品が日本で展示されることが分かった。 ドーミエの「ドンキホーテ」、マネの「フォリー・ベルジュールのバー」、ルノワールの「桟敷席」、セザンヌの「アヌシー湖」、ゴーギャンの「ネヴァーモア」、ゴッホの「アルルのラ・クロー」、スーラの「化粧する女」、モジリアニの「裸婦」など有名な油彩画のほか、多くの素描・版画が展示されており、第1級の展覧会であった。(1997.12a) |
バブルの際には、わが国の企業が多くの西洋絵画を買い込んだ。その展覧会は、今までも庭園美術館やホテル・オークラで催されたが、今回は長野オリンピックの組織委員会の主催となっている。 モネ、ルノワールからピカソまでという副題であるが、まだかなり良いものが残っている。これらが再び欧米に還流していかないことを祈るのみである。 特に良かったのはヴィヤールの室内画2点である。[応接間のジャン・ラローシュの肖像」はいつものボケた画と違い、壁に掛けられたルノワールの画までしっかりと描かれている。[書斎で」の女性達や子供もボケていない。大いに見直した。(1997.11a) |
笠間日動美術館の開館25周年記念でセザンヌ展をやっていたので、電車でわざわざ笠間に出かけた。セザンヌは結構沢山あり(30点)、遠くまできた甲斐があった。 庭に船越保武の「原の城」などの彫刻があったが、酸性雨で腐食しかかっていたのが心配だ。 常設展には、立派な洋画が結構あり、日動画廊の主人が売れなかったものだけをとって置いたのではなく、むしろ良いものを売らなかったのではないかと思われた。また有名画家のパレットのコレクションもみごたえがあった。 美術館を出て、笠間稲荷に行った。ちょうど菊祭りの最中で賑わっていた。(1997.11a) |
バスキアの画を観たのは初めてである。とても変わっている。無垢で奔放、子供が書きなぐった落書きのようである。実際に、かれは高校時代友人と始めたセイモという名前のグラフィティで話題をさらったのが、有名になったきっかけのようである。 黒人アーティスト、父はハイチ、母はプエルトリコ出身だから、ニューヨークのエトランジェ。複雑な背景が画ににじみ出ている。ウオーホルに可愛がられたらしい。 鮮やかな色彩は何とかいただけるにしても、これは象徴絵画といえるものなのであろうか。最も近い画家を探すならアンソールであろう。一言でいうならば異物感があり、拒絶反応を起こす画が並んでいる。 27歳でこの世を去ってしまったが、1980年代を代表する天才アーティストといわれ、画商の間で争奪戦を引き起こすほどだったときくと、最近の画商の眼力を疑いたくなる。(1997.11a) |
マリノ・マリーニはイタリアの彫刻家である。「小さな騎手」は単純化された馬に、これもひどく単純化した少年がのっている。ちょっと子供が作ったような稚拙なもの。しかし一度観れば覚えられるというやはり個性的な作品だ。サイズはけっこうある。芸術は、上手いのも大切だが、その人の個性が大切なのだ。 油彩画も何枚か展示されていた。(1997.11t) |
切符をいただいたので、”キャリントン”とは何者かも知らずに出かけた。女性シュルレアリストということを会場に入って初めて分かった。 彼女はエルンストの恋人で一緒に芸術活動をしていたらしい。しかし、エルンストが逮捕されてから、ショックで狂気に陥り、メキシコに移住した。それから彼女独特の物語性の強い幻想的な絵を描くようになったのだ。絵本の挿絵を見るような感じの画で動物、怪物がきれいに描かれている。 とにかく、切符を頂かなければ”キャリントン”という画家も知らずにいたわけなので、よい出会いだったのではと思った。(1997.10t) |
20世紀美術をおさめた、ポンピドー美術館創立20周年を記念してのものだ。 マルケからスタートして、ドラン、デュフィー、ピカソと続く。ピカソはほんとうにいろいろな画風がある。あとドローネ、カンジンスキー、クレー、モンドリアンと続く。画というか図案や模様といった感じ。シャガールは現代美術の中でもわかりやすいし楽しい。キリコ、ダリくらいまではいいが、ポロック、デビュッフェ、ベーコンになると「やめて!」といいたくなる。 マチスは現代美術の中でも秀逸。「ルーマニアのブラウス」はカタログの表紙になっていた。あと彫刻や、インスタレーションも何点かあったがわけのわからないものが多い中、ジャコメッティの細い細い人物彫刻は面白い。(1997.8t) |
ゴッホシリーズ展の最終回だ。夏を代表する「ひまわり」、秋を表す刈入れ直前の「麦畑」、早春に咲く「アーモンドの花」など四季さまざまな絵画が展示されている。「アルル近郊の花咲く野原」「オリーヴ畑」「アーモンドの花」はとても明るく丁寧に描かれていて好きだ。「烏の群れ 飛ぶ麦畑」からは、まぎれもなくゴッホの悩み苦しむ不安な感情が伝わってくる。 カタログの最後に、1回から4回までの主な展示された絵画がのっていたが、5回のシリーズで、ゴッホの良い作品を随分と見せてもらった。満足感いっぱいである。(1997.8t) |
既に二つの美術館をまわって疲れてはいたが、頑張ってオランジュリーに入った。階段を上っていくと、その壁面にも沢山の画が掛けられていたが、スーチンの「菓子作りの少年」の白い作業服が印象的だった。 セザンヌ、ルノワール、マチス、ドランなど好作品が多く、アンリ・ルソーの「婚礼」と「ジェルニ爺さんの二輪馬車」が印象的であり、一番奥の部屋の突き当たりにあったピカソの「水浴の女」は豪快であった。 階段を下りて変なところから地下に下りて、有名なモネの「睡蓮の間」を見つけた。やっとここにこれたという安堵感でいっぱいだったが、なかなかまん中の椅子が空かず、しぶとく待ってやっと坐って観ることができて、満足して外にでた。(1997.9a) |
ルーブルからオルセーへはちょっと遠回りしたが、何とか着くことができた。 今日は1日に沢山の美術館を回るということで、昼食は省略し、ルーブルの中のバルコニーでコーラとクッキーを食べてちょっと休んだだけだったが、好きなことだからそんなに疲れなかった。 初めは向って右側のリール・ギャラリーからドニ、ボナールなど、次いで左側のセーヌ・ギャラリーでミレー、クールベなどを観たが、お目当ての印象派の絵がどこにあるか分からず、ちょっと焦った。一番奥のオペラ座をガラス越しに覗くところの、さらに奥にエスカレーターがあることを発見し、やっと上階へ達することができた。 そこはまさに印象派の宝庫であって、画集などでおなじみの画が並んでいた。ゆっくり一枚一枚鑑賞する時間がないのは残念であったが、一応満足して美術館を出た。(1997.9a) |
早起きして朝食もそこそこに地下鉄でルーブルに出かけた。 地下から入るほうが並ばなくて良いということなのでそのようにしたが、地下には古いものが多く、そこを急いで駆け抜け、やっと「サムトラケのニケ」が階段の上にあるのを見つけ、そこを上っていくと、ギリシャ彫刻の部屋にはいって「ミロのヴィーナス」をみた。 そして何とか頑張って行くと、いきなり祭壇画が沢山かかっている部屋に出た。チマブエなど教科書でしか見たことのないないものが、沢山かかっていた。ここからは、あまり苦労しないで歩けたが、途中「フェルメールはどこですか」などと聞きながらも、一応ラファエロやダ・ヴィンチの並んでいる部屋までたどり着いた。「モナリザ」は期待ほどではなかった。(1997.9a) |
大英博物館はイギリスが世界から収奪してきたと思われる文物であふれかえっている。 とても全部は観きれないが、アッシリアの動物彫刻、ロゼッタ・ストーン、ガリレオの自筆、そして日本の切手の収集などが印象に残っている。(1997.9t) 私も大分前に行ったが、やはりアッシリアの怪物、ロゼッタストーン、ミイラ、ガリレオやニュートンの文書、そしてなぜか日本切手の大コレクションがあったことを覚えている。今回は、ロンドンに一緒にきていたが、仕事の関係で家内の単独行であった。しかし見てくるところは不思議と同じであったようだ。(1975.9a) |
ナイチンゲールは近代的看護教育の創始者として有名である。日本でも看護学校の戴帽式には、ナイチンゲールがクリミア戦争の傷病兵のテントを夜にローソクの明かりで訪れたことから、今でも燭台のローソクに点灯し、ナイチンゲール誓詞を読むことになっている。すなわちここは世界の看護婦の聖地である。 ウェストミンスター橋を渡るとすぐに右側にセント・トマス病院があり、その一角にナイチンゲール博物館がある。中に入ると、ひどく暗く、クリミア戦争当時の看護婦の服装や道具が並べられており、実際のテントの模型もつくられていた。 今回の学会の主宰校はセント・トマス病院であるが、夜はその中の食堂で、晩餐会が開かれた。とてもきれいというわけには行かないが、歴史の重みを感じさせる立派な建物であった。(1997.9a) |
ロンドンの地下鉄を降りて、暑い中を坂道を登り、やっと着いたコートールドであったが、なんと工事中で閉館であった。入り口のミュージアムショップは開いていたので、カタログを買って帰ることとなった。聞いてみると来年この収蔵品の主なものは日本に行って、展覧会に出品されるという。工事期間の絵画の疎開と工事代金の稼ぎの足しということなのだろうが、なんとも不思議な感覚である。(1997.9a) |
ダイアナ妃がパリで悲惨な交通事故死を遂げたため、バッキンガム宮殿の前には沢山の花が飾られており、有名な衛兵の交代も影がうすいほどであった。イギリス宮廷には不幸が重なっているらしく、火災も生じており、政府からこの不始末は自分達で解決するようにとの厳しいお達しがあって、バッキンガム宮殿を開放して、入場料を稼ぐことになっていた。本当に良い時期にロンドンに来たものである。 日本なら長蛇の列ということであろうが、待つこと僅かで宮殿内にはいることができた。もちろん正面玄関からではなく、左横の入り口からではあるが・・・。入ると右側に大広間があり素晴らしい彫刻や家具が並んでいる。赤絨毯で敷き詰められた大階段を昇っていく途中には王家の肖像画が並んでいる。後で聞くと、トマス・ローレンスやウィリアム・ビーチのような著名画家の筆によるものだそうだが、ドレがどれやら分からない。 階段を昇ると、素晴らしい部屋が並んでおり、それぞれに立派な調度品が飾られている。特に玉座の間の荘厳さには圧倒される。これに続くのがお目当ての「絵画の間」である。ヴァン・ダイクのチャールス1世の大きな騎馬像は特に目を引くが,ルーベンスやレンブランドの質の高い絵画がところ狭しと2段、3段にならんでおり、フェルメールの「音楽のレッスン」も陳列されている。本当にここはヨーロッパ・バロック絵画の宝庫である。 これに引き続き、東西にギャラリーやタピストリーの間、晩餐の間、客間などが並んでおり、それぞれに並べてある美術品に圧倒されて、宮殿の外にでた。まさに至福の時であったが、ここに住んでいるエリザベス女王の悲哀を考えると複雑な気持ちであった。(1997.9a) |
ウェストミンスターの学会場を抜け出して、テムズを左に見ながら、テートギャラリーまで歩いた。同行は家内とK先生である。ナショナル・ギャラリー以降の新しい画ということであるが、今となってはクラシックといえるものも少なくない。特にフューズリーの独特な画(短剣を奪うマクベス夫人)、コンスタブルやターナー(吹雪)の風景画、ミレイ(オフィーリア)・ハント・ロセッティ(プロセルピ−ナ)・バーンジョーンズなどのラファエル前派、ホイッスラー・サージェント(カーネーション)などの印象派などは本当に素晴らしいものであった。最近の絵画にはなんとなく異物感のあるものもあったが、20世紀絵画の変貌を十分に感じ取れた。(1997.9a) ターナーの大きくダイナミックな絵画がたくさん展示されていたことが印象的であった。それと、思いがけずワッツの「希望」が見られたのもよかった。この絵のタイトルはどう考えても「絶望」といった感じだが、琴の糸がかろうじて一本残っていることで「希望」を象徴しているのだ。(1997.9t) |
たまたま「スーラ展」をしていた。「アニエールの水浴」と、その習作が何枚かあった。動物や人物1人ずつのコンテや、全体の景色や人物の配置の習作など、1枚の絵を完成するのに随分と習作を書くものだと感心した。「グランドジャット」の習作も何点かあった。とにかく スーラの絵は一つの画面に人物が大勢描かれている割に何かシーンとした静寂を感じる不思議な絵である。 もちろん常設の絵画もしっかりと、二日にわたって観た。有名な絵画がふんだんにあって、感激した。(1997.9t) ロンドンに1週間滞在する機会があった。ロンドンは地下鉄が便利で、東京と似たところなので歩きやすい。4月に秘書のSさんから新婚旅行のお土産に頂いたナショナル・ギャラリー・ガイドで研究済みのこのギャラリーをくまなく観ることは、旅行の隠れた大目的の一つである。何とか時間を都合して、ナショナルギャラリーの前で待ち合わせることになった。常設展の入場料が無料であるから有り難い。 地下で企画展としいてスーラ展をやっていたが、時間切れとなったたので、日を改めて、二人別々に観ることとなった。こちらは有料であった。とにかく傑作揃いの美術館である。なにが良かったかは、とてもここに書ききれないが、ドゥッチォの「受胎告知」、ウッチェロの「サンロマーノの戦い」、ピエロ・デラ・フランチェスカの「キリストの洗礼」、ミケランジェロの 「キリストの埋葬」、コレッジョの 「ヴィーナス・メルクリウス」、 パルミジニャーノの「聖母子と二聖者」、 ブロンジズィーノの 「ヴィーナスとキューピッド」、ヤン・ファン・エイクの 「アルノルフィニ夫妻の結婚」、 ヴァン・デル・ヴェイデンの「読書するマグダラのマリア」、クラナッハの「ヴィーナスに訴えるキューピッド」、 アルトドルファーの「聖母に別れを告げるキリスト」、 ホルバインの「大使たち」、カラバッジョの「エマオの晩餐」、ヴァン・ダイクの「チャールズ1世騎馬像」、クロード・ロランの「海港―シバの女王の船出」、レイノルズの「コックバーン夫人と息子達」などが、それぞれの画家のベストの画のように思われた。 ダ・ヴィンチの「聖母子と聖アンナと洗礼者ヨハネ」のカルトンは「岩窟の聖母」の後ろに小さな暗い部屋にあったので、危うく見逃すところであった。(1997.9a)
|
ターナーというと、大きな画で自然を写実でなく全体の印象で、動きを感じる絵を描く画家という印象がある。初期は地誌的水彩風景画家として伝統的な手法で描いていたのだ。しかしだんだんとそれに止まらず光と大気の中に渾然一体となる自然を表すようになった。言うなれば、印象派のさきがけとなったのである。 確かに作品を見ると、風景画の中に、風、音、光、空気、振動、恐怖、などが伝わってくる。荒々しい海に浮かぶ船の絵からは波しぶきがかかってくるようにさえ感じ、船酔いしそうな気持ちにさえなる。 今回の作品の中で私が一番気に入ったのは、ちょっとターナーらしくはないが「ヴァチカンからの眺望ーラ・フォルナリーナを連れて回廊の装飾絵画を準備するラファエロ」だ。回廊にいろいろな自作の絵画を並べてラファエロが頬に手を当てて考えているのだ。その絵の中に私がいつかは見たいと思っている、「小椅子の聖母」がある。回廊の向うにはヴァチカンの風景が、遠くまで見えるのだ。 そういえば、ターナーの絵にはけっこう長い題がついている物が多い。(1997.7t) |
色彩の明暗の強烈な対比を重んじた17世紀ヨーロッパ絵画が国別に並べられている。 リングリング美術館は アメリカ・フロリダにある。私にはあまり知らない画家の作品が多い。カタログの表紙の画の、フランチェスコ・デル・カイロも初めて聞く画家だ。背景が暗く、人物の部分に光があたってコントラストを際だたせている。スペインのところでは、ヴェラスケスの「フェリペ4世の肖像」があった。相変わらずの”たらこ唇”。 フランスの、ジャック・ステラの「羊飼いの礼拝」は、イエスの周りが明るく、まるで光源のようで周囲はそれに照らし出されたまさに光と闇の画だ。フランドルからは、ルーベンス、レニエ、ヨルダーンス、ヴァン・ダイクがすばらしい。 バロック時代の絵画は題材も堅いし、色彩も明暗はっきりしているので何枚も見るとちょっと飽きる。(1997.5t) |
いままでにムンク展は2回ほどあった。まえのときはあの「叫び」を見た。今回も「叫び」の下絵がリトグラフと、クレヨンで描かれているのがあった。 後は、「思春期」がオリジナルの油彩画とともに、習作が何点かある。裸の少女がベッドに正面を向いて坐っている。。なぜかその右横に黒い影が不気味に描かれている。思春期の不安を表現しているのだ。 また、肖像画もあり、ムンクが撮影したその頃はやりはじめた写真も沢山展示されている。それもムンクの感性で二重露出などのテクニックをつかったものや、ビックリしたのは、ムンクが真っ裸の写真もあったことだ。(1997.5t) |
ルーヴル美術館展 ロココから新古典派へ 東京都美術館 |
この世の悦びを詩情豊かに描いたロココ絵画は若い男女がブランコ遊びをしたり、野外で恋の語らい、読書したり、音楽を奏でたりしている「雅宴画」、神話聖書歴史の物語を題材にしたもの、貴族や芸術家、庶民の肖像画、風俗画、静物画などいろいろだが、さすがルーブルのコレクション、どれも素晴らしい作品ばかりであった。 ナティエ、ヴァットー、ランクレ、パテェル、シャルダン、ブーシェ、グルーズ、フラゴナール等と、ロベール・ユベールの風景画もあった。当時の素敵な衣装や楽しみなどがうかがえる展覧会であった。
私の好きなシャルダンもあった。「猿の骨董屋」「猿の画家」はシャルダンとしては珍しい絵で本当に同じシャルダンかしらと、ファーストネームを確認したほどだ。 上質の名画を沢山鑑賞でき、「さすがルーブル!」と感心した。(1997.5t) |
家内はこの手の画が好きではない。そこで私だけが出かけた。クリムトの画は、風景画はまともなのに人物画になるとすこぶるエロティックなものがものが多い。中でも豪快なのは178X198の大きな「死と生」である。左側に青い着物を着た骸骨、右側に大勢の男女と子供が絡み合い、派手な明るい布に包まれている。こういうのが芸術というのであろうか。本当に世紀末のウィーンは爛熟・退廃しているように見える。 これがシーレとなると、いっそうデフォルメがかかり、エロチシズムもさらに激しくなってくる。風景画にしても「晩秋の小さな木」のように枯れ木であったり、「小さな街」のように誰も住めそうもない町であったりするのだが、人物画にいたっては思わず顔を赤らめるものが多い。その中では「ほほずきの実のある自画像」と「ヴァリーの肖像」のペアやクリムトとのツ−ショットである「隠者たち」はそれなりに迫力がある。 いずれにしても20世紀の世紀末よりも、19世紀の世紀末のほうが凄い。(1997.4a) |
イタリア・バロックというと,なんだか長い名前の画家が沢山いて、しかも同じような画を描くので、覚えにくい。今回の展覧会では、それを都市によって分類してあるので、いくらかは分かり易かった。 ローマ派には知っている画家は1人もいなかった。ボローニャ派ではロドウィーコ・カラッチ、グイド・レーニ、グエルチーノ、フェッラーリは有名である。フィレンツェ派、ナポリ派、ペルガモ派、ジェノバ派、ブレシア派には、なじみのない名前が並んでいる。ヴェネッア派ではグアルディ、カナレット、ティエポーロという知っている名前が並んでいる。 画としてはそれぞれに持ち味があり、なかなか面白いものもあったのだが、このようにみて来ると、私のイタリア美術の知識がひどく偏っているのかもしれないという気がしてきた。(1997.3a) |