ウィーン展 95.2 | ボストン展 95.4 |
サンパウロ展 95.4 | ヴィクトリアアルバート展 95.4 |
印象派の華展 95.4 | モロー展 95.4 | ブリューゲル展 95.5 | ルーマニア展 95.6 |
ダヴィンチ展 95.5 | エルミタージュ展(4) (印象派) 95.8 | ゴッホ展(3) (風景画) 95.9 | ミュシャ展 96.10 |
ボイマンス展 95.10 | ロイヤルアカデミー展 95.11 | クレラミューラー展 95.12 | ピカソ(ゲルニカ)展 95.12 |
オルセー展 96. | MOMA展 96.3 | 大英博物館展(イタリア素描) 96.3 | ポンピドー展(身体と表現1920-80) 96.3 |
シカゴ美術館 96.6 | エルミタージュ展(5) (スペイン) 96.7 | ミケランジェロ展 96.8 | 村内美術館 96.8 |
ケルン展 96.8 | 企業名品展 96.8 | ゴッホ展(4) (静物画) 96.9 | アイルランド展 96.9 |
コーンコレクション展 96.10 | フォルクヴァング展 96.10 | オーストリア絵画館展 96.10 | バイエラー展 96.10 |
郡山美術館 96.11 | 故宮美術館 97.1 | ツァイ・コレクション 97.1 | 象徴派展 97.1 |
目 次 ↑
象徴派の美術は、人間の深層心理に関与したもので、19世紀末の社会で絵画のみならず、文学、音楽、戯曲、思想など幅広く広がっていました。象徴派といっても私にはわかりにくいものでしたが、説明によると、何かを描くことで、何かを象徴するのだそうです。例えば、バーンズの妖精、モローのサロメ、ロッセティの愛、ルドンの死、クリムトの裸の真実をえがくように・・・。印象派の絵はただ優しく和む絵として単純に鑑賞すれば良かったのですが、象徴派の画は深読みして解かなければいけないようです。ちょっと疲れますネ。 ファンタン・ラトゥールの「夢想」は同じ天使が9人 自然の中を飛んでいます。夢想家の画家が想像に任せて仕上げた幻の風景とのことです。 ロセッティーの「レディ・リリス」も、単にきれいな女性としてではなく、持っている鏡、くし、まわりにあるバラとケシ、不吉をあらわすジキタリスなどに深い意味があるのです。「パンドラ」も最後に残った希望を象徴している。ほかに、ビアズリー、クノップフ、アンソール、ヤン・トーロップ、クリンガーなどの作品もありました。 (1997.1t) |
台北の後、車で台中、斗六、渓頭などをまわった。台中では、個人で中国の骨とう陶器を集めている方の家に伺った。セキュリティのしっかりしたマンションで、部屋の中に大きな唐三彩の馬やお皿、壷が所狭しと並んでいてじかに触ったり、手にとったりして鑑賞させてもらった。机の下にも無造作に小さな骨とう品が置かれており、その方はいつも手近に置いておいて眺め楽しんでいるようであった。こういう収集家もいるのだとうらやましく思った。 台湾旅行から数ヵ月後台中で大きな地震があった。あの収集家のお宅は大丈夫だったかとても心配だ。(1997.1t) |
台中から日本に留学されていた方のお世話で、ホテルからマイクロバスで出かけた。さすがに蒋介石が中国本土の良い美術品を根こそぎ持ってきただけあって、至宝が揃っている。まず型どおり一番上の階に上り、書画、陶磁器などを鑑賞しているうちに、時間がなくなって地下の亀甲文字などは走りながら見る始末であった。書は王献之のような楷書が良いと思った。 英文カタログは大きすぎたので、「文物光華ー故宮の美」、「美しい文字」、「土の輝き」という日本語の説明書を買ってきた。(1997.1a) 唐三彩の大きな馬や女性像、染付、華やかな色彩の大きな壷など本場の中国陶磁器を山ほど見た。書も私がお手本として習った王羲之の「蘭亭叙」や智永の「真草千字文」を間近に見た。とにかく中国4000年の歴史だから膨大な量。(1997.1t) |
郡山へは1986年から1998年まで、毎月1回週末に出かけていた。いつも新幹線でとんぼ返りだったが、一度は郡山市立美術館に行きたいと思っていた。このときは仕事を早めに切り上げて、この美術館に出かけた。 郊外の閑静な場所にあり、とても良い雰囲気であった。レストランも小さいがきれいで、バジリコ・パスタも良い味であった。 イギリス絵画が多く、その点ではわが国随一ではないかと思った。バーン・ジョーンズ、ターナー、コンスタブル、レイノルズ、ゲインズバラなどが揃っているのであるから素晴らしい。 また北川民次のエッチングが沢山あった。私の大学入学祝いに義兄からもらった北川の「バッタ」の版画と同じようなものがあって嬉しかった。(1996.11a) |
なんとも大げさな題の展覧会である。ヨーロッパの画廊の主人のコレクションで、雑多なものが集められている。バーンズ・コレクションやコーン・コレクションのように筋のとおったたコレクションではない。商売上、値上がり待ちの作品たちなのであろうか。 定番だが、ゴッホの「公園の片隅」、モネの「睡蓮」、ピカソの「ドラ・マール]などが目立った作品であった。」(1996.10a) |
オーストリア1000年祭記念という触れ込みの、ウィーン印象派の風景画の展覧会で、あまりパンチのある画はありませんでした。八王子までのドライブを楽しんだと言うところでしょうか。クリムトは「白樺のある農家」、「リンゴの木」、「アッター湖畔のカンマー城」で、シーレやモーザーの風景画もあった。これらの画家は、やはり人物画のほうがずっと良い。 クリムトのベートーベン・フリーズの複製も展示されていたが、わけのわからない作品で、これがクリムトの「最高傑作」とされているのは納得できない。(1996.10a) |
知人の葬式で名古屋に出かけた。ちょっと時間があったので、この展覧会を観てきた。後で東京にも来ることが分かったので、ちょっと複雑な気持となったが、美術館に行った時にはちょっと得をした気になっていた。 これはドイツのエッセンからのものである。特に良かったのは、ゴッホの「サンレミの精神病院の庭」、ゴーガンの「未開の物語」、フリードリヒの「虹の風景」などであった。 市美術館の常設展示として、「名品コレクション展3」をやっていたが、そこでモジリアニの「お下げ髪の少女」に再会した。(1996.10a) |
私は,1969−72年にボルチモアに留学した。同じ町であるので当然見に行っているのであるが、覚えているのはボルチモア美術館の前にロダンの「考える人」が置いてあったことと、そこでゴッホの企画展が催された時に、万障繰り上げて観に行ったこと、そして「ラクローの収穫」の中に富士山らしき山をみつけて多少望郷の念に駆られたこと以外ほとんど覚えていない。 という次第で、このように世界的に有名なコーン姉妹のマチスのコレクションを観ていたことは、まったく覚えていない。まさに豚に真珠といったところである。特にマチスは高校生か中学生の時に上京してきた叔父と父に連れられて、戦後間もなくルオー展やマチス展を観に行っているのであるから赤面の至りである。ボルチモアでは二人の子供を育てたので、美術鑑賞も急ぎ足ということにならざるをえなかったためかもしれない。留学中には、ボルチモア美術館のほかに、市内のウォーターアートギャラリー、ワシントンのナショナルギャラリー、フィラデルフィア美術館、ボストン美術館を訪れているのであるから、そのころ既に美術鑑賞の芽は出ていたのであるが、とても今の状態ではない。 コーン姉妹の選んだマチスの画はどれも優しく、流石に女性の目で選ばれたものである。「横たわる女」という裸体画は何回も何回も描きなおされて現在の姿になったものであることが、よく分かるように構成されていることに感心した。(1996.10a) |
素晴らしい第1級の展覧会であった。まずバルビゾン派の画が美しい。ミレーの「柵のある風景」の近景のガチョウと遠景のヒツジの取り合わせが面白い。 ブルトンの「落穂拾い」は、オルセーにあるミレーの同名の作品に勝るとも劣らない作品である。貧しい人々、それも女性と子どもだけが、自分達の食べる麦を拾っている。遠くには裕福な地主が村人を雇って、多量の収穫をしている姿があり、近くには棒のようなものを持った警備員が、収穫地より一定の距離外で落穂拾いをするように監視している。しかしこれは必ずしも社会主義的思想に基づいたものではなく、富者と貧者の平和的共存という保守派の都合の良い考えによっているのであろう。なぜなら、このような画を購入してくれる人に貧者はいないからである。ブルトンの「熊手を持つ少女」も美化されすぎて、農村の実態からかけ離れた女神像のように描かれている。レルミットの「休息する収穫者たち」も理想化された農民像である。 ギョーメ、ジェローム、フロマンタンらのオリエンタリスム絵画も一級品である。 印象派絵画も揃っている。特に、モネの「アルジャントゥイユの船だまりとヨット」の黄葉がすばらしい。ゴンザレスとモリゾの画を並べているところも面白い。「サクランボを食べる少年」は以前に、ボナール展で見たが、何度見ても良い。(1996.9a) |
ゴッホシリーズの4回目。やはり、初期のものは色彩が暗い。「開いた聖書、ロウソクと小説」は聖職者であったゴッホの父、消えたロウソクも亡くなった父を暗示している。「一足の靴」は質素で擦り切れているところは持ち主の生活までわかるようである。靴の絵は全部で6枚あるそうだ。 だんだん明るい静物画に変わっていく。花、本、野菜、かに(ひっくり返っているところが面白い)そして「ひまわり」、「アイリス」 の大作がくる。「ひまわり」は何回も見ているが「アイリス」はアムステルダム以来である。紫のアイリスが、補色の黄色の背景に際だっている。そして、一本アイリスが折れ曲がっているのが目立つ。 同時に、ベルナール、セザンヌ、クールベ、ドラ・ペーニャなどの静物画もあった。(1996.9t) |
もう一つの「ゴッホの跳ね橋」があると聞いて、観に行った。流石にこれは良かった。クレラミューラの「跳ね橋」とは構図が違うが、色合いには共通するものがあり、明るいアルルの日差しが感じられる画であった。 その他は以前にそごう美術館で開かれた「ドイツ絵画:バロックから印象派」展で見たものとかなりダブっていて、憤慨した。通常カタログには、「xxxx年にも日本で好評だったが」と断るのであるが、このヴァルラフ・リヒアルツ美術館長や主催者は一言も前回の展覧会に触れていない。ただドイツ大使は、そのメッセージの中で、「今回再び」と断っているので、詐欺とはいえず、観に行ったものが不注意だったというしかない。(1996.8a) (追記) 今回またもや「印象派のあゆみ」展と称して、ケルン市立美術館の画が日本巡業している。(2003.4a) |
「アートは世界のこどもを救う」というキャッチフレーズの企業コレクション展が、ホテルオークラ開業35周年記念チャリティイベントとして開催された。西洋画はフォス、アンティーニャ、カバネル、ドービニー、クールベ、、モネ、ルノワール、セザンヌ、コラン、アマン=ジャン、ヴイヤール、ユトリロ、マティス、クレー、シャガール、カシニヨール、ワイエスが出品されていた。 日本人の油彩画としては、浅井、黒田、藤島、和田、山下、藤田、宮本、、小出、国吉、児島、林、東郷、岡、荻須、小磯、向井、高畠らの作品があり、日本画としては大観、御舟、青邨、玉堂、堂本印象、福田平八郎、東山魁夷、岩崎、杉山。平山などが出品されていた。。 さらに特別出品として、皇太后陛下の「仔兎」も出品されていた。(1996.8a) |
八王子の村内家具店の中にあるバルビゾン派中心の素敵な美術館。1991年12月に家内と二人で出かけた時には、まだこじんまりとした美術館で、お茶まで出してくれた。 5年後には娘と3人でもう一度出かけたが、ちょっと綺麗になっていて、よそ行き風になっていた。車で出かけられること、近くに富士美術館があってはしごできることなど、なかなか良い美術館である。 こんな素晴らしい美術館を所有している村内家具の繁栄をかげながら祈念している。(1996.8a) |
八王子にある富士美術館はドライブにちょうどよいので、今日は主人と娘も誘って出掛けた。娘は定休日が不規則な会社に勤めているので、休みといってもなかなか一緒に出掛けられないが、今日は幸いであった。 「聖家族」の習作素描画、「クレオパトラ」のデッサン、サン・ロレンツオ聖堂ファサードのための設計図、システィーナ壁画の習作などが展示されていた。 ミケランジェロは画家としてもすごいが、私は彫刻家としてのミケランゲロがすごいと思う。(1996.8t) |
過去5年間、この東武美術館でエルミタージュ美術館展が開かれてきた。 1.1992年:17世紀オランダ・フランドル絵画 2.1993年:イタリア ルネサンス・バロック絵画 3.1994年:フランス バロック・ロココ絵画 4.1995年:19-20世紀 フランス絵画 5.1996年:16-19世紀 スペイン絵画 このようにしっかりと分類して毎年立派な作品を見せていただいたことに、心からの感謝を捧げたい。 今回のスペイン絵画も素晴らしい。ルネサンス時代のスペイン絵画は今回はじめて観たが、やはりイタリア・ルネサンスの強い影響下にあったことがよく分かった。エル・グレコだけはおなじみである。今回の「聖パウロと聖ペテロ」は堂々とした画である。聖ペテロは例によって天国への鍵を持っているが、聖パウロは書物だけで剣は持っていない。グレコの故郷のクレタ島にはじめてキリスト教を伝道したのは、聖パウロであったそうで、この画の聖パウロはグレコの自画像となっている。 リベーラの「聖オヌフリウス」は大傑作である。特に髭や髪の毛の表現になんともいえない味がある。スルバランの「聖母マリアの少女時代」の輝く瞳も忘れがたい。ベラスケスのものは肖像画だけでパッとした物はなかった。ムリーリョは素晴らしい画が何枚も来ていたが、極めつけは「無原罪の御宿り」である。ゴヤの「女優アントニア・サラーテの肖像」も迫力があった。(1996.7a) |
シカゴの美術館には1980年に、その前まで家内と出かけたのであるが、あいにくの休館日で、悔しい思いをしたことがある。今回はネットで十分調べてあるから、心配は無い。 チケットを買おうとすると、「お前は何歳か」と訊く。55歳以上は半額だというのである。パスポートを見せて半額にしてもらって、館内に入るや、いきなりカイユボットの大きな絵にぶつかるようになっている。雨の日の傘の花が開いている美しい絵である。それから左回り(時計回り)に廻ったが、古い作品から時代順に並んでおり、分かり易いのであるが、有名な作品の林立で、出てきたときには、本当に疲労困憊状態であった。 翌日、体勢を立て直して、再挑戦した。半額なのだから、これで一日分である。高齢者はどうせ一日では半分しか見られないということで半額にしている??? 今回は反時計回りに新しい物から古いものへという順序で廻った。やはり疲れたが、2日目だから余裕があった。16年前に見逃し、今回もこれなかった家内のために重いカタログを買って帰国した。(1996.6t) (追記) 国際学会の理事会があってシカゴに行った。この会に出席する日本人は私だけであるから、成田を出ると英語の世界である。しかし、これはJALである。私はエキュゼキュティヴの一番前、通路側に坐った。窓側にひげを生やした色の浅黒い男が坐っていた。年齢はそれほどではないが、すでにタイムかなにか、英文の雑誌を読んでいる。どうもこれは要注意・・ということで一応警戒する。日本人スチュワーデスも、私たちの座席にはなにか殺気を感じたらしい。典型的な日本人顔の私にも英語で話し掛けてくる。しょうがないので英語で答える。隣のアラブ人も英語でいろいろ頼んでいる。 ところが食事になると、どうも酒の飲み方が私と同じである。これはひょっとして日本人? 意を決して訊くと、やっぱり日本人! 既にだいぶアルコールが回っていたこともあって、すっかり意気投合してしまった。この男はシカゴで店を出しているという。若いのに大したものだ。私も大学の教師で会議に出席するためシカゴに1人で行くといったところ、「今晩一緒に食事しませんか」とお誘いがかかった。どうせ一人旅、ということでOKした。夕方自分の泊っているホテルにその人が大きな白い車で迎えに来て、中華街に連れて行ってくれた。 これが不思議なお付き合いの始まりで、彼が東京に来ると一緒に食事したり、彼が原宿に開いたお店の開店のお祝いに駆けつけたり、最後には彼の結婚式でスピーチを頼まれるほどになっている。これがこのシカゴ旅行の一番の収穫であった。もちろんシカゴの美術館のことはしっかりと今でも覚えている。(2003.10) |
素描いうと嫌う人がいる。極端に室内を暗くしてあることも一つの原因かもしれない。 でも今回のものはルネサンス時代の巨匠のものである。すなわち世界の宝である。これを見逃したら一生後悔するだろう。大体大英博物館に行ったって、これらが陳列してあるとは限らないし、もしあったとしても、あんなに多くのものの中にあっては、絶対に見逃してしまうだろう。 ダ・ヴィンチの「4人の人物の習作」、ミケランジェロのあの有名なシスティーナ礼拝堂の「アダムの創造」の若者の習作、ラファエロの「聖女の半身像」や「ヴィーナス」は本当に天才たちの筆跡ということが、ひしひしと伝わってくる。 ロレンツォ・ロットの「帽子をかぶった男の肖像」の表情や髪の毛の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。 実際に、ルネサンス-バロック時代と現代の間に、このような素描に関して、いくらかでも進歩があったのだろうか。(1996.3a) |
これは20世紀の美術を「身体」というテーマで読み直す展覧会ということであった。 ボナール、レジェ、マティス、ピカソまではまあ付いていかれたが、ハンス、エルンスト、マッソンなどはむしろ吐き気がした。 ただイヴ・クラインの青は目がさめるようであった。(1996.3a) |
第2回目のMOMA展である。近代絵画といっても分かり易い作品が並んでいた。 アンリ・ルソーの「壷の花」、ゴーギャンの「アレオイの種」、ボナールの「静物(果物鉢のあるテーブル)」、マティスの「タンバリンのあるオダリスク」、ピカソの「馬を引く少年」、ベン・シャーンの「空っぽのスタジオ」などがお気に入りである。(1996.3a) |
有名なオルセーからまとめて有名な作品が来た。テーマ別になっているが、それは沢山のコレクションがあるこのような大美術館でなければできない技である。 1.「自然の呼び声」はバルビゾン派らの風景画とでもすればよいのに、勿体つけたテーマとしている。 2.「レアリスムとオリエンタリスム」は、農民や外国に対する関心が高まってきた当時のフランスの状況を反映しているわけでしょうが、今までのアカデミズムとどこが違うのかよく分かりません。対象が違うだけであるとすれば、むしろ差別を維持し、改革を欲しない保守派におもねて,画を買ってもらおうとしているだけなのではないかと思います。 3.「近代都市」は公害を撒き散らしながらお金儲けをした人たちが賞賛する画の集合です。お金持ちがオペラに出かけたり(ドガ:オペラ座のオーケストラ)、バルコニー付きの家(マネ:バルコニー)、ピアノのお稽古(ルノワール:ピアノを弾く娘たち)などは、私が観ていても気持ちのいいものですが、それは私も中産階級になってしまっているからなのでしょう。 4.「芸術と産業」はまさしく産業革命の光と影の画たちです。 5.「.アール・ヌーボー」はまさしく贅沢品です。ちっとも感心しません。 6.「セザンヌからナビ派へ」はまあまあの作品が並んでいる。ゴーガンの「タヒチの女たち(浜辺にて)」が特によかった。(1996.1a) |
ピカソは、女性を変え、そして画風を変えて、長生きをした不思議な画家です。でも闘牛を愛するスペインの男くさい男は皆こんなようなものかもしれませんが・・・ この展覧会は彼の1920−30年代の激しい作品を集めています。闘牛、磔刑、ミノタウロス、女、アトリエの5テーマで展示されていますが、その荒々しさの中に、彼独自のテーマが閉じ込められているものばかりでした。これらが昇華して、ゲルニカへの爆撃のニュースに接し、一気に描きあげたと言う「ゲルニカ」の世界初めての原寸大複製と当時彼の女であった写真家ドラマールによって撮影されたその過程は、感動的でした。 ピカソの死後まだ間がないので、複製権(copyright:日本語ではなぜか著作権)がその遺族?にあるはずなので、ここに直接画像を載せられないのが残念です。カタログの表紙を載せておきます。(1995.12a) |
なんとあんなに苦労して辿りついたクレラミューラーから、ゴッホの作品が日本に来てしまった。でも日本に来るのは37年ぶりということだから許すしかない。だいぶ並んでやっと入れた。このような都会で見ると、オランダで見た画と同じだと言うことが、嘘のようである。「やはり野に置けれんげ草」ということなのだろうか。 もっともクレラミューラーでは派手な油彩画ばかりに目が行ってしまったが、ここでは「ミレーの晩鐘の模写」、「大工の仕事場と洗濯場」、「ストーブの側で葉巻を吸うシーン」、「ニューネンの塔」、など初期の地味な画が沢山来ていたので、よい勉強になった。 有名な「糸杉と星の道」は相変わらず素晴らしかったが、クレラミューラーでは画の前で家内の記念写真を撮ったほど開放的であったが、ここでは厳重な警戒と大変な混雑のため、他人の頭越しに画に再会の挨拶をしただけだった。(1995.12a) |
私たちに一番なじみのある展覧会だ。印象派・後期印象派は好きな人が多い。ブータンの海の絵が一番初めに展示されている。知っている画家ばかりなので安心してまわれる。題材は風景や、人物が多く、目に優しいものばかりだ。モネの作品は10枚近くある。ルノアールは8枚。ゴーギャンは5枚。ゴッホは2枚。スイスでは19世紀末頃から、個人企業家の間でこうした印象派の収集熱が高まり個人コレクションがはじまったのだ。今回の作品も、これらスイスの個人コレクターのものが多い。コレクター受けのする絵が多いのもうなずける。 大金をはたいてもし私が1枚の絵を買うとしたら、やはり印象派の優しい和む絵だろうとありえないことを想像したりした。(1995.11t) |
バルビゾンの中で今回よかったのはヨンキントの作品「月夜のオーファースフィーの眺め」。月明かりの風景画なのだが、湖面に映っている月と、月の周りの明るい雲の様子が実に上手。 印象派ではファンタン・ラトゥールの花や葡萄やざくろなどの静物画、モネの「ケシの野原」がきれい。ルドンの風景画もはじめて見た。 ゴッホの作品も5枚あり、「アルマン・ルーランの肖像」はよかった。これでルーラン一家の全員の肖像画を見たのではと思う。 ハーグ派というオランダの”損なわれていない自然”を主題とする画家の一派の作品も展示されていた。ルーロフス・ウィレムの「牛のいる風景」「湖の牛」はよかった。(1995.10t) |
ミュシャといえば、アールヌーヴォー芸術の華だ。画家というより、商業的制作活動で成功を収めた感がある。チェコで生まれ、パリで成功し、アメリカに渡りさらに成功、最後はまたチェコにもどったとされる。 パリでは舞台女優サラ・ベルナールの舞台ポスターを描いたのがきっかけで、商業美術で成功した。「ジスモンダ」「椿姫」「トスカ」「ハムレット」など有名な舞台のポスターを手がけ、それがまたとてもきれいなので一躍有名になったのだ。 丁寧に、衣装、髪型、背景、文字が描かれていて、ポスターだけにしておくにはもったいない。人物の周りを飾る花や草木、ツタなどが美しい。 本の装丁や、挿絵にもかかわったそうだ。「白い象の伝説」の挿絵の習作は見ているだけでストーリーがわかるようである。 ほかに、いろいろなポスター、記念シート、切手、紙幣、ステンドグラスなどのデザイン、図案も描気それらも展示されていた。 いわゆる、商業美術の草分けである。 しかし晩年には、チェコに帰り、チェコの風俗画、スラブ民族の歴史画を描いた。美しいチェコの民族衣装の女性の習作も多い。さらに「スラブ叙事詩」のシリーズ作品に没頭した。この展覧会には「スラブ叙事詩」20点のうちから「アトス山」が出ていたが、他の画を圧倒する迫力だった。(1995.10t) 【追記】 この展覧会は、東京・京都・下関・千葉・高知・北見・大阪・名古屋・郡山・横浜と全国を回っていて、各地で絶賛を浴びている。たまたま郡山に仕事で出かけた際に、時間があったので郡山市立美術館に立ち寄ってもう一度この「ミュシャ展」を観た。最後に展示されているアラブ叙事詩の「アトス山」は、東京のような都会で見るよりも郡山のような地方で見るほうが迫真力がある。この「アラブ叙事詩」は、現在地方のモラフスキー・クルムルフ城に置かれているという。「やはり野に置け蓮華草」ということなのだろうか。(1996.11a) |
ゴッホシリーズの3回目、風景画展だ。パリ時代、アルル時代の明るい風景画が多い。 今回日本初公開の「ラ・クローの収穫」は、ボルチモアやアムステルダムで既に見てはいるが、「またお会いしましたね」という感じで鑑賞した。晴れた秋空に、収穫期を迎え、黄金色にかがやいている広々とした畑のあちこちに刈入れをしている農民の姿が描かれている。空の色と黄金色のコントラストがすごい。 あとは、点描画のきれいな風景画、得意の果樹園の風景、それに、これも初公開の海辺に舟がう上げられている「浜辺の小船」もあった。晩年の風景画はゆらゆらと波打つ感じの、雲行きが怪しい麦畑の画。同時に、バルビゾン派の風景画も展示されていた。(1996.9a&t) |
エルミタージュ展の第4弾である。新古典派のダヴィッド、ジェラール、グロ、アングル、ロマン派のドラクロア、バルビゾン派のミシェル、ルソー、コロー、ミレー、ドービニー、デュプレ、ド・ラ・ペーニア、アカデミー派のクチュール、カロリス・デュラン、ジェローム、印象派のシスレー、モネ、ブーダン、ルノワールその他ピカソに至るまでなんでも揃っている。 油彩画の他に多数の版画も出品されており、これぞまさしくフランス料理のフルコースである。(1995.8a) |
レオナルド・ダ・ヴィンチの「解剖手稿」の展覧会である。場所は庭園美術館。これは白金台の旧朝香宮邸を美術館として公開しているものである。1933年の建築とのことであるが、今世紀前半欧州で流行したアール・デコ様式を現在に伝える貴重な建物である。ウィンザー城立王立図書館所蔵のこの「エリザベス2世女王陛下コレクション」を陳列しても決して見劣りしない貫禄と優美さを備えている。 館内に入ってみると、ブラインドが厳重に下ろされ、照明の光量が極端にしぼられている。梅雨時ではあるが、エアコンをきかして寒いくらいである。このような配慮がこの貴重な文化遺産の保護上必要であり、もちろん文句をいうべき筋合いはない。 館内の鑑賞者には若いカップルが圧倒的に多い。耳に入ってくる若い男性たちの話の具合では、どうも医学生か若い医者が多いようである。時折ラテン語も交えてさかんに彼女に講釈している。私のお目当ての心臓の絵はブルーの画用紙に褐色のインクで描かれ、有名な鏡文字が細かく書き込まれている。冠状動脈や冠状静脈洞は見事に描かれ、弁の開閉の図に至っては驚嘆すべきものであった。 一見の価値は十分にある。東京のあと名古屋でも開かれると聞いている。是非お見逃しのないように。(1995.5a) 目黒駅までバスで行き、美術館までちょうどよい距離の散歩である。ダヴィンチはあらゆることに好奇心があり、また才能もあったので色々の分野で活躍している。画家というより、科学者だ。15世紀にはすでに人体表現に関心が高まり、皮膚の下にも関心を抱き始めた。彼は30体もの解剖を行って丹念に観察したといわれている。 「胎児と子宮の内部」を見ると、果たして本当に妊婦を解剖したのかしらとぞっとした。 今回の展覧会は主人が 職業上行きたいというのでついて行ったまでで、いくら美術鑑賞が趣味で、ダ・ヴィンチといってもあまり見たくないものであった。(1995.5t) |
国別に展示されている。イタリアからバッサーノの「羊飼いへのお告げ」と「磔刑」。フランドルからはピーテル・ブリューゲル(子)の「春・夏・秋・冬」、ルーベンスの「ネメアの獅子と闘うヘラクレス」、ファン・ダイクの「チャールズ1世と王妃」。オランダからは、レンブラント「エステルの許しを乞うハマン」。フランスからはラルジリエールの肖像画。 スペインからはエル・グレコの「聖母の婚約」と、私が大好きな「無原罪の御宿り」が2枚。2枚並べて見られるなんてすごい!とても感激した。 最後はドイツからで、クラナッハの「聖母子」があったが、「無原罪の御宿り」を観た後だけに、なんてことはなかった。あまり期待していかなかった展覧会だったがとても良い作品を沢山見ることができてよかった。(1995.6t) |
ブリューゲルといっても、父のピーテル・ブリューゲル、子のピーテル・ブリューゲルと、ヤン・ブリューゲル、孫のヤン・ブリューゲルとややこしい。しかも描く題材が農民や庶民の風俗画で似ている。父の「絞首台のうえのカササギ」。絞首台の前で、男女がけんかをして別の男が仲裁に入っている。それを農民が見物していてカササギも見物している風景だ。説明によると、女性の悪徳のおしゃべりを警告しているのだそうだ。 ブリューゲル一族の絵は、1枚の絵にものすごく沢山の何十人もの人が描かれていて、ゆっくり見ると実に面白い。その中に、民衆の知恵、生活観、教訓などを寓意しているのだそうだ。「ブリューゲルの諺」として曽野綾子も著書を出している。 とにかく、会場ではゆっくり細かくは見られないので、帰ってからカタログをしげしげと拡大鏡も使ってみている。(1995.5t) |
第1部は、ミニチュア肖像画(16世紀)葉書大の小さなところに細かく細密な肖像画がある。洋服の模様、レース、首飾り、髪の毛、景色、文字などがそれはそれは細かく描かれていた。 第2部は風景画。コンスタブルの大きな絵、ターナーの印象派の絵など。 第3部は日常生活の絵。洗濯を干してあるところで遊ぶ子、暖炉で、犬達とくつろぐ農民、田舎屋の内部、犬が2匹坐っているところ、子供が遊んでいる風景など、当時のイギリスの生活が分かり、面白かった。 第4部は展覧会用水彩画として素敵な大聖堂の絵などが。 第5部はラファエル前派で、ロセッティ、ハントの絵がある。 第6部はイギリス美術における女性としてあまりなじみのない画家の絵があったが、その中で気に入ったのはチャールズ・ウエスト・コウプの「母子」、若き母のやさしい母性が感じられた。(1995.4t) |
モリゾ、カサット、ゴンザレスの3大女流画家の展覧会。 女性で当時画家はすごく少なかったであろう。よほど裕福な家の生まれでないと なれないのではと思う。この3人も恵まれた環境に育った女性達だ。 モリゾと、ゴンザレスはマネに師事、カサットはアメリカ人。皆、女性や子供をテーマにした画が多い。 特に私は、カサットの母と子の画が好きだ。女性ならではの視点で描かれている。とくに、孫が生まれてからは「そうそう、こういう場面ってあるわ」とつくづく感心させられる画がある。 和める画を沢山見て、満足感があった。(1995.4t) |
モローは不思議な作家である。マチスらの先生でありながら、神話や聖書のような古い題材を描いている。しかも観るものをを豊かな想像の世界引き込んでいる点が、古典的なアカデミスムとは一線を画している。 「踊りサロメ」は裸体のサロメの体の表面に模様のレースが描かれていてちょっと神秘的。「雅歌」は水彩画だが、モロー独特の宝石をちりばめたような衣装の色付けがされている。 「イアソン」はイアソンとメディアの背景に描かれているものがいかにもモロー的。「スフィンクス」「オイディップスとスフィンクス」もユニークな絵だ。(1995.4a&t) |
サンパウロ美術館 名品展:
富士美術館 |
日本ブラジル就航100年を祝賀しての展覧会。ティントレットの「見よ、この人を」、ペルジーノの「聖セバスティアヌス」という古いものから、20世紀の巨匠まで幅広く展示されてある。 私のすきなシャルダンの「独楽をまわす少年」も見られた。勉強と遊びはシャルダンの重要なテーマで、この絵も机の上に本、紙、ペンがあるところで少年がひきだしから独楽をだしてあそんでいるところだ。
セザンヌの「赤い服のセザンヌ夫人」、ルノアールの「麦束をもつ少女」は独特のアーモンド型の目が可愛かった。ゴッホの「郵便配達夫の息子」はバックの赤と、少年の青い服が視覚に強いインパクトを与えていた。モジリアーノはいつもの首が細く長く、黒目のない目の女性の絵であった。(1995.4t) |
19世紀ヨーロッパの巨匠たち・・・という副題がついている。主に、上流階級から一般庶民までの当時の社会が分かる風俗画の展覧会だ。風俗画は、当時はやっていたことや、人々の暮らしぶりなどが分かり、私は好きなジャンルである。 ミレーの農民の日常を描いた作品が沢山ある中、「種をまく人」もあり、私は山梨にある「種をまく人」も観ているので両方見たと言う満足感があった。 ピアノの前で子供を膝に本を読む母、吉報を手に嬉しそうな顔をしている農民、頬を近づけて仕事をしている恋人に語りかけている婦人、窓際で、裁縫をしながら窓の外を誰かが来るのを期待してみている少女など日常のいかにもある風景がたのしい。 ルノワールの「ブージバルの踊り」も村の人々の雑談、音楽が聞こえてくるようだった。(1995.4t) |
19世紀後半ウィーン万博で出品された日本の工芸美術は、ウィーンの人々に新鮮な驚きを与えた。遠近法にとらわれず、色彩と線、平面で構成された北斎や広重の作品に驚嘆したそうだ。こうした作品に影響を受け、日本の装飾パターン、模様パターンを、家具、木工品、布、革などに応用、制作されたのだ。これがいわゆるジャポニスム。 クリムトの「ベートーヴェン・フリース」などの絵にも、洋服の柄など、いかにも日本的である。エゴン・シーレも構図などに影響を受けている。テキスタイルのパターンにもジャポニスムの影響が大であるし、家具などにも市松模様があったり、くしや、ペーパーナイフの柄に、日本的な植物の模様がされていたりする。 日本から、浮世絵、紋帳、植物画図鑑、型紙などが流れて、西洋には無い単純な表現、装飾表現に感心し、影響を受けたのであろう。(1995.2t) |