日本美術散歩 08-3 (海外美術は別ページ)

KAZARI 08.6

石崎光瑶 08.7

対 決 08.7

NIPPONの夏 08.7

白隠と弟子たち 08.7 舟越桂 08.7 金沢21世紀美術館 08.8 金沢市立中村記念美術館 08.8
小袖 08.8 五姓田 08.8 横浜浮世絵 08.8 染絵手ぬぐい 08.8
オバケが出たぞ 08.8 たねとしかけ 08.8 Kumi Machida 08.8 大道あや 08.8
丸木スマ 08.8 幽霊画 08.8 紙で語る 08.8 明治の七宝 08.8
源氏物語1000年 08.8 1900年パリ万国博 08.7-9 ベルギーロイヤルコレクション 08.9  

目 次 ↑


浮世絵‐ベルギーロイヤルコレクション: 太田記念美術館

歌川国貞:大当狂言之内 菅丞相  素晴らしい保存状態で有名なベルギー王立美術歴史博物館及び王立図書館のコレクション展。 

 最初に、鈴木春信の6点。国内の日焼けしたような春信とはまったく違うフルカラーの錦絵が並んで登場するので、あっと驚く。退色しやすいといわれる紫がしっかりと保存されている。藍や紅も美しい。この春信の色彩を見ただけで、この展覧会に来た甲斐がある。

 次に写楽。これも保存状態がすこぶる良い。例えば、《初代中島右衛門のぼうだら長左衛門と初代中村此蔵の船宿かな川やの権》。剃りあげたばかりの月代のみずみずしい淡青が目に飛び込んでくる。 ベルギー王立図書館蔵の写楽《四代目岩井半四郎の鎌倉稲村が崎のおひな娘おとま実は楠政成女房菊水》とベルギー王立美術歴史博物館蔵の写楽《三代目市川高麗蔵の廻国の修行者西方の弥陀次郎実は相模次郎時行》は世界中に1点のみ確認されるもので、もともと同じ狂言に取材した組み物であり、本展で同時に展示されているのは見ものである。他にも世界に1点しか確認されていない作品として、大首絵《二代目嵐龍蔵の奴なみ平 とら屋虎丸》も出展されていた。

 続いて歌麿。本展では、歌麿の代名詞とも言える美人大首絵の名品として《当時三美人−おひさ・豊ひな・おきた》、《冨本豊ひな》、《高島おひさ》が出ていたが、個人的には衣裳や腕の輪郭線を大胆に省略した《錦織歌麿形新模様 浴衣》が気に入った。団扇の骨の表現も素晴らしい。

 歌麿の《針仕事》は、紗を透けてみえる女性が美しい。また《高名美人見立て忠臣蔵 十二段つづき》が7枚出ていた。後期にも引き続いて出るようだ。歌麿の幽霊絵が3点出ていて驚いた。勝川春章の《金太郎と山姥》、鳥居清長の《当世遊里美人合 蚊帳の内外》、鳥文斎栄之の5枚続《吉野丸船遊び》もとても良かった。

 北斎では、素晴らしい摺の《冨嶽三十六景 凱風快晴》の他に、戯画の《鳥羽絵集》が出ていて楽しめた。版本では、北斎の《絵本隅田川 両岸一覧》の色彩が良く、北斎の弟子、魚屋北渓の《硝子瓶の中の金魚》や岳亭春信の《水辺の三匹の蟹》が面白かった。

 広重の《仙人二幅対 林和靖》は古い軸を取り込んだ面白い趣向。《江戸高名会亭尽 向島》は濃厚な色彩が残っているし、《魚づくし 鮎》は上品な色が保存されている。

 歌川国貞の《大当狂言之内 菅丞相》は凄い迫力である。その後、大人気役者絵師となる国貞の出世作といわれ、あまり役者絵が好きではないわたしもおもわず引きこまれた。

 国芳のユーモアあふれる戯画《金魚づくし》シリーズが4枚出ていて楽しめた。後期にも別なものが出てくるようだ。

後 期

鈴木春信:五常「信」 前期と同じく、春信の中に驚くほど良い色彩が保たれているものがある。《娘を背に負う奴》、《五常 信》などは、その際たるものである。春信の《洗濯》の洗濯物や《百人一首 柿本人麿》の衣にはキメダシが目立つ。

 写楽の有名な《二代目坂東三津五郎の石井源蔵》、《二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉》、《三代目佐野川市松の白人おなよ》も質の高いものだった。

 歌麿では、黒雲母の《美人器量競 五明楼 瀧川》、《絵兄弟 邯鄲》が楽しめた。勝川春潮の大判5枚続の《藤棚下扁額奉納行列》の大行列、勝川春英の《千賀浦 千歳川》も面白かった。

 広重の《雪中椿に雀》のスズメの胸の白い毛が空摺で美しく表現されており、正面のスズメの顔も面白い。

 国芳の《金魚づくし 百ものがたり》や《猫の当字(たこ)》などは抱腹もの。。

(2008.9a) ブログ@へ ブログA


帝室技芸員と1900年パリ万国博覧会: 三の丸尚蔵館

香川勝廣:和歌浦図額 1900年のパリ万博の美術工芸部門に積極的に参加することになり、一般の出品は農商務省がまとめたが、宮内省も出品に関わることになり、帝室技芸員を中心に23名の作家に制作の御下命があった。この展覧会は、これらの万博出品作に、同時代の帝室技芸員の作品を加えて、4期に分けて展示されている。

第1期

○香川勝廣《和歌浦図額》: 川端玉章の図案による彫金・象嵌。笹の生えた海岸に寄せる波、空に舞う鶴が見事に表現されている。
○川端玉章《四時ノ名勝》: 春夏秋冬の四面であるが、パリでは別々に展示されている写真が残っている。《吉野花雲》の桜色、《寝覚新緑》の水の青、《碓氷錦楓》の紅、《厳島密雪》の白などそれぞれの絵のアクセントとなっている。
○伊藤平左衛門《日本貴紳殿舎計画図》: 2層楼と3層閣を有する仮想の日本建築の設計図。襖絵も美しい色彩で描かれている。
○清風與平の白磁の花瓶《?白磁彫刻画花瓶》、あめ色で抽象的文様であるともいえる《天目釉雲龍班花瓶》は、いずれも絶品。

 「宮殿を彩った帝室技芸員の作品」としては、下記のものが出ていた。パリ万博出展作に劣らぬ作品ばかりである

○瀧和亭の大きな《花鳥図》とその下絵。孔雀・鷲・鴨と花の三幅対。見事なものである。
○川端玉章の《青緑山水図》が2点。一つには湖、もう一つには瀧が描かれているが、いずれも岩の表面が緑色に苔むしている。
○西陣の川島甚兵衞の《草花図綴織壁掛》も川端玉章の原図による。川島はフランスのゴブラン織を学び、「綴織中興の祖」といわれるだけに素晴らしい。
○池田泰真《山路菊蒔絵文台料紙箱硯箱》は、菊模様の蒔絵の机・料紙箱・硯箱の3点組み。とても美しい。
○清風與平の《旭彩山桜花瓶》は美しいピンクの地に白い桜の花が引き立っていた。

(2008.7a) ブログ

橋本雅邦:龍虎図第2期

○橋本雅邦《龍虎図》: 雅邦の代表作。たしか川越の雅邦展にも出ていた。三本爪の龍が右上に薄く描かれ、これに対して虎が咆哮し、浪が逆巻いている。迫力のある名作である。
○石川光明《古代鷹狩置物》: 象牙を使った牙彫。鷹匠の手に乗る鷹。美しい白であるが、現在ならば動物愛護という観点から万国博には展示できないだろう。
○伊藤平左衛門《日本貴紳殿舎計画図》: 別画面は第1期にも出ていたが、今回の画面の中では富士山が描かれた「食堂正面床廿分一」が目立った。
○濤川惣助《墨絵月夜深林図額》: 無線七宝と有線七宝の技術の粋を尽くした大きなパネル。これを見ただけでこの展覧会に来た価値がある。最近見た七宝展に出ていた濤川惣助の《七宝貼込屏風》のパネルを思い出した。
○並河靖之《四季花鳥図花瓶》: これは有線七宝の絶品である。上述の七宝展にもこれほどのものはなかったような気がする。あまりの美しさにその場に立ち尽くす。
○佐々木清七《大太鼓図織物壁掛》: 見事な西陣織。
○紹美英祐《嵐山宇治川図花瓶》: 美しい飴色の一対の花瓶。

「宮殿を彩った帝室技芸員の作品」としては、下記のものが出ていた。

○野口幽谷《智仁勇》: 熊・鷹・鯉の3幅対。病気のためパリ出展を辞退した画家の作品。たしかにおとなしい絵である。
○鈴木長吉《百寿花瓶》: 銀の鋳造。
○宮川香山《青華氷梅紋花瓶》: 青地に白の梅が美しい真葛焼。本展のポスターの表紙にも載せられている。
○伊藤平左衛門ほか《桑木地飾棚および棚飾品》: 素晴らしいものがおおかったが、特に濤川惣助の《双蝶七宝香合》と川島甚兵衛・荒木寛畝らの《古今集歌絵画帖》がが引き立っていた。

(2008.9a) ブログ



源氏物語1000年: 横浜美術館

国宝《紫式部日記絵巻》 2008年は源氏物語が歴史上に登場してちょうど1000年の節目にあたるということで開かれた展覧会。 会場に入るとすぐに、狩野孝信の《紫式部図》、谷文一の《石山寺縁起》、国宝《紫式部日記絵巻》が出ている。


第一章 王朝文化の華…源氏物語の世界:
  国宝《御堂関白記》は再会。道長が大和国の金峯山に参詣して埋納した金銅製の経筒、国宝《金銅藤原道長経筒》にはしっかりと履歴が彫られており、下部が損傷した《藤原道長願経(金峯山埋経)》を見ることができた。三蹟の藤原行成筆と伝わる国宝《倭漢抄》にも再会。伝・藤原定家の《紫式部集》は見事な仮名の和歌。《久海切 古今和歌集》は紫式部筆との伝承がある重要作品。

 《賀茂御祖神社古神宝》は下賀茂神社のお宝。源氏物語の伝承については、三つの古写本の系統から、代表的な伝本を紹介されていた。青表紙本系の《大島本》、河内本系の《河内本》、別本系の《陽明文庫本》である。いずれも重文で、学術的価値は高いのだろう。

第二章 源氏絵の系譜:

(中世から近世初期の源氏絵)  土佐千代の《源氏物語図屏風》、《源氏物語図 白描色紙貼交屏風》、土佐光起などの《源氏物語絵色紙帖》、伝・俵屋宗達の《源氏物語図屏風》、狩野氏信の《源氏物語図屏風》、伝・土佐光成の《源氏物語図屏風》、住吉広定の《源氏物語図》を楽しんだ。明るく美しい絵が多かった。 福井県立美術館蔵の岩佐又兵衛筆《和漢故事人物図巻〈浮舟〉・(須磨)》が一週間の限定展示。淡い色遣いでとても上品である。浮舟では、薫の囲い人浮舟が、匂宮に連れ出されて、宇治川の対岸の隠れ家に向かうところ。そのときの和歌に出てくる橘の枝も描かれている。須磨では海辺でお祓えを執り行った矢先に、嵐が襲ったところ。曲がる塀・逆巻く浪が見事に表現されている。

(江戸時代における源氏絵の諸相) 九曜文庫所蔵の「江戸時代を中心とする源氏物語関連資料」の量と質には驚嘆した。 近世初期に土佐派、狩野派を中心に多様な展開を示した源氏絵は、以降、江戸時代を通じて、より幅広い階層の人々に享受されるようになった。浮世絵としては、西村重長の漆絵《第三十四番 若菜上》、鈴木春信の見立絵《八景 石山秋月》、歌川国貞の役者絵《源氏模様娘雛形》、川又常正の肉筆画《紫式部石山寺観月図》。明治以降のものでは、発禁になった月岡芳年の《田舎源氏》、小林清親の《古代模様紫式部》が良かった。 通常の源氏絵としては、守住貫魚の《紫式部観月図》、源養福の《源氏物語絵 若菜》、土佐光起↓、土佐光成、狩野岑信の《紫式部図》、守住貫魚、狩野永納の《紫式部観月図》を楽しんだ。国井応文の《雪月花図》、森寛斉の《紫式部図》もお気に入り。明治以降の紫式部図としては、まつ本一洋、菊池桂月、伊藤小披、上村松園のものが出ていた。

第三章 生き続ける「源氏物語」:

(源氏物語の広がり) 尾形一耕の《源氏物語夕顔図》、梶田半古の《源氏物語屏風》、松岡映丘の《住吉詣》、下村観山の《女三之宮》、安田靭彦の《紅葉賀》、さらに新井勝利の《源氏物語 薄雲》や佐多芳郎の《浮舟》、石踊達哉の装画《源氏物語絵詞》などの現代作品もエンジョイした。

(源氏絵を未来へ伝える)  最後のコーナーでは、《源氏物語絵巻》の復元模写プロジェクトが紹介されていた。これは以前に五島美術館で見たことがあるが、ひどく派手な色彩となってしまい、ちょっと興ざめでもある。

(2008.8a) ブログ


明治の七宝: 泉屋博古館別館

並河靖之:蝶図瓶 七宝とは、ガラス粉を焼き付けて文様を描く工芸品で、中近東に端を発し、中国を経てわが国に伝わったもの。既に正倉院御物にも存在し、室町時代には明から盛んに舶載されたようだが、制作技術は17世紀初めに朝鮮渡来人より平田道仁に伝授され、江戸時代の刀装具、襖引手、水滴などに用いられていたが、一般には広まらなかった。

 梶常吉と近代七宝の始まり: 近代の七宝は、1832年に独力で七宝技術を習得した尾張の梶常吉に始まる。梶は、金属胎に細い金属線を特殊な糊で付けて文様の輪郭を作り、そこに釉薬を差して焼成させる「有線七宝」の技術を完成させた。今回の展覧会には、伝・梶常吉の香炉と皿が出ていたが、絵画のような表現となっている。尾張七宝の祖、林小伝治と尾張の七宝: 尾張では、林小伝治の花鳥風月をモティーフとした七宝が有名になり、幕末には七宝が尾張の特産品として認識されるまでになり、現在でも七宝制作の伝統が受け継がれている。 今回は非常に沢山の美しい尾張七宝が展示されていたが、この技法は全国に伝えられ、発展していくが、その背景には、明治政府の外貨獲得を目的とした殖産工業政策があった。

 京七宝の雄、並河靖之と京都の七宝: 明治の七宝界で名を馳せたのは、京都の並河靖之と東京の濤川惣助で、海外でも絶大な人気を博した。並河靖之は伝統的な有線七宝を得意とし、黒釉薬を開発した。ポスターは並河靖之の《蝶図瓶》で、黒によって蝶の黄色が引き立っている。

 新しい表現、濤川惣助: これに対して、濤川惣助は「無線七宝」を完成させた。焼成の段階で金属線を取り除いてしまう無線七宝は、釉薬間の仕切りがないため、筆で書いたようなかのような独特の表現となる。《小禽図長方形七宝皿》や《金魚図輪形花形皿》は浮世絵のような趣であり、《七宝貼込屏風》の大胆さには驚嘆した。

 この七宝は明治末から大正初めに技術的な頂点を迎え、展覧会でも拡大鏡がなければ認識できないような極度に細密な文様、そして鮮やかな色彩の作品が生み出され、世界を魅了したのである。

(2008.8a) ブログ


紙で語る: 大倉集古館

英一蝶:雑画帖ー葡萄図(書)
 田中親美《平家納経ー模本》・・・とても美しい。3点出ていたが、それぞれに色合いが異なる。 大般若経・・・奈良時代の和銅経と魚養経が出ていたが、しっかりとした楷書で読みやすい。三蔵法師の名前もでている。  四分律行事鈔疏・・・これも奈良時代。戒壇の配置図も書き込まれていた。  訶梨帝母経・・・紺紙金字の美しい一切経。平安時代。  百万塔陀羅尼・・・奈良時代。摺ったお経を100万枚納入する。4種類の百万塔も出ていた。  古経貼交屏風・・・奈良時代〜鎌倉時代のお経を使ったものが、2点出ていた。たしかにアートとしては良いが、こうしてお経が切り刻まれる。遺憾!  藤原定信《石山切 貫之集下》・・・仮名はきれいだが、読みにくい。  浄瑠璃本・・・3点出ていたが、とてもまともな字には見えない。仲間内の符牒なのだろう。

(絵画)
  百鬼夜行図巻↓・・・動物のみならず樹も擬人化されている。  松花堂昭乗《布袋各様図巻》・・・ユーモラスな禅画。 職人尽画帖・・・桃山時代のもの。博打打も職人とはこれいかに。 奈良絵本 忍びね物語・・・金をふんだんに使った美しい絵本。物語も面白い。 英一蝶《雑画帖》・・・とても良かった。 大津絵・・・5点も出ていた。アートとしてはチョットだが、親しみが持てる。  岡野洞山《製楮図鑑》・・・比較的少ない工程で、完成し、出荷されることが分かった。 繋馬図・・・元気な馬。桃山時代のものとしては、色が良く残っている。。

(2008.8a) ブログ


幽霊画: 全生庵

円山応挙:幽霊図  幕末から明治にかけて落語界で活躍した三遊亭円朝の幽霊画コレクションが、夏の円朝祭りの期間に公開されている。

 池田綾岡《雨中幽霊図》・・・雨によって発火した狐火が幽霊の前に。 谷文一《燭台と幽霊》・・・顔や上半身が消えかかっている。 谷文一《蚊帳の前に坐る》・・・あやかしの世界の蚊帳の後のほうが、顔がはっきりとしている。  菊池容斎《風雨の柳》・・・見事な水墨画。これは幽霊画とはいえないだろう。

  河鍋暁斎《幽霊図》・・・暁斎にしてはおとなしく、「諦念の幽霊」。  三代広重《瞽女の幽霊》・・・三味線を抱えた幽霊が、水辺に佇む。  川上冬崖《生首を抱く幽霊》・・・男の生首を抱く女幽霊。  今村紫紅《月に鵜図》・・・三羽の鵜が主人を懐かしみ月を見上げている。

 歌川芳延《海坊主》・・・舟の向こうに巨大な海坊主。その口元に月。  尾川月耕《怪談牡丹燈籠》・・・・お露が、女中お米に燈籠を持たせ、萩原新三郎のところへ。円朝の「カランコロン」という音では、足があることになるが、この絵では二人とも足がない。

 高橋由一《幽冥無実之図》・・・下部に現世の女が彩色で描かれ、上部の男は墨で淡く描かれて幽界のものとされている。男の顔に陰影が付けられているのは西洋画の影響。  川端玉章《幽霊図》・・・この顔にも陰があり、西洋画の影響が見られる。

 円山応挙《幽霊図》・・・気品のある幽霊。亡くなった妻が浮いている形で、応挙の前に現れたのを描いたという。幽霊に足がないのは、応挙以来である。受付の女性がわざわざやってきて話しかけてきた。「この幽霊の目はこちらを追いかけてきませんか。昨日二人の方から云われたのですが・・・」。確かに、こちらが動いても、こちらを見るような気がする。「西洋の画でもそういう肖像画がありますよ」と答えておいたが、《モナリザ》だったかな。

 月岡芳年《宿場女郎》・・・急な梯子を上る女。こちらを振り返る横顔がおどろおどろしい。もちろん足がある。

(2008.8a) ブログ


丸木スマ展: 埼玉県立近代美術館

丸木スマ:川のかに 丸木スマは、丸木位里と大道あやの母。スマが絵筆をとったのは70歳過ぎ。 あやが原爆の図を残していないのに、スマは、位里・俊夫妻ほどではないが、10点の原爆図を描いており、今回の展覧会にも《ピカの時》という画が出ていた。

 スマとあやは、いずれも豊かな色彩で、画面一杯におおらかに、身の回りの題材を描いている。太い芯がありながら、無邪気で童心に帰ったような単純な画風である。ただ、単純な「素朴派」と違い、色彩が弾けているようなエネルギーが二人に感じられる。もちろん、細かい点では、二人の画風に差はあるが、共通点のほうがはるかに多い。

1.山里の息吹: 《ふるさと》、《鳥が飛ぶ−三滝の山》は、それなりの画になっている。《太田川の渓流》、《太田川のかに》は、単純な構図で、気持ちが良い。

2.季節はめぐる: 《花見》、《せみが鳴く》、《田楽》、《もちつき》であるが、この章の画はグランマ・モーゼスを思い出すようなものが多かった。

3.花ひらく: スマは花がうまい。これはあやを上まっている。背景の色を工夫して、花が浮き立つようにしている。本人は、これを「色が張り合う」と言っていた。お気に入りは、《つつじ 赤》、背景の赤・赤椿・鳩と強いコントラスをなす《白椿》、整列した《黄菊白菊》、マチィスばりに巧い《花と猫》、ゴッホばりの色彩感覚の《ひまわり》など。いずれも素晴らしい。

4.大地のめぐみ: 《やさい》は、クレヨンで描いた上に、墨を乗せて複雑な光沢をもたせており、ボナールのように、色彩が爆発している。

5.いのちの鼓動: 動物画もスマの得意である。動物を俯瞰した《めし》、外人の作と間違われた《川のかに》、《にわとり》、《内海の魚》、《池の友達》、院展4度目の入選作の《簪》、太い黒線のめだつ《春駒》などが印象深い。


6 .かけがえのない日々:
 ここでは、前述した《ピカのとき》のほか、《とうろう流し》が被爆者を悼んでいる。無邪気な画を集めた《貼交屏風》もとても良かった。展示されていた《自画像》は、すべて笑顔だった。

(2008.8a) ブログ


大道あや展: 松涛美術館

大道あや:しかけ花火 大道(だいどう)あやは、1909年広島の生まれ。母(丸木スマ)・兄(丸木位里)とともに画家であるが、その経歴は複雑。1928年、大道家に嫁ぎ、長男誕生後、美容院経営を始めた。1945年、家族とともに原子爆弾に被爆。1962年、家業を助けるため、火薬取扱い責任者の資格をとり、花火師となった。大道が、1956年の母親の不慮の死、1966年の長男の花火事故による負傷、1967年の夫の花火工場の爆発事故死というあいつぐ苦難と悲しみを乗り越えるため、友人の勧めにより絵筆をとったのは60歳のときであった。

 第一会場は、地下1階。こちらは大きな日本画が29点揃っている。

1.埼玉県 東松山時代(1970−77): 夫の一周忌を終え、丸木位里に誘われて埼玉県東松山市の丸木美術館で本格的に日本画の制作を始めた。このころの絵で一番心を打つのは、1970年に描かれた《しかけ花火》である。夜空いっぱいをおおう花火の下の水の中には、沢山の魚が描かれている。大道の絵は、生命の輝きにあふれており、自らの不幸の経験や被爆体験は描かれていない。ユーモラスで愛すべき花、動物や人間たちが、画面一杯に、色彩豊かに、やや装飾的かつ平面的に描かれている。 《鬼になる日》の獅子舞、《ちちぶの夜祭》、《牡丹祭り》などは力強く、迫力がある。外国旅行の際のスケッチにもとづいて描かれた《マイエンフェルトの鈴音》は、ハイジの世界そのものである。 彼女自身、母が入選していた女流画家協会展や院展に入選を果たし、1976年に院友となった。

2.栃木県 野木町時代(1977−79): 丸木美術館においてすべてまかされていた家事や義姉である画家の丸木俊との人間関係に疲れ、栃木に移り、関根栄一とともに絵本制作を始めた。 3年間に7冊もの絵本を制作している。今回の展覧会では、これらの絵本やその原画が、まとめて2階の第二会場に展示されている。《ねこのごんごん》・《こえどまつり》・《かえるのモモル》・《モモルのびっくりばこ》・《たぬきじゃんけん》・《いたずらかこちゃん》・《モモルのまちのがまおやじ》がその時代のものである。

3.埼玉県 越生時代(1979−2003): しかし大道は、院展へ出品する希望やみがたく、埼玉県に移った。 自分で「けとばし山」と名付けた里山のふもとに居を構え、畑仕事をしながら、日本画や絵本を制作した。 この時代になると、今までのやや激しい描き方は影をひそめ、「平安を感じる」穏やかな日本画になった。《軍鶏》・《薬草》・《けとばしやま》・《薬草》・《海に咲く花》などなかなか良い。この時代の絵本原画としては、《けとばしやまのいばりんぼ》・《あたごの浦》・《しゃものピョートル》・《へびのはなし》が陳列されていた。

(2008.8a) ブログ


Kumi Machida ことばを超えて語る線: 高崎市タワー美術館

町田久美:装置 第1部 日本画の線描: 町田久美の作品に共鳴するのは、安田靭彦の《かちかち山》。これは墨絵の巻物で、ウサギとサルが登場するマンガ。鳥獣戯画と同じ趣向で、動物たちの姿も似ている。のみである。

 第1部のお気に入りは、小川芋銭の金地墨絵屏風《山村春遍・秋浦魚楽》、片岡球子の横長のゴッホ調の《寒牡丹》、下村観山の双幅の軸《高士》、中村岳稜の樹下に着物を着た二人の男の子《童謡》、結城素明の腰から下が鳥の女性《歌神》。

 第2部 町田久美: 雲肌麻紙に墨で時間をかけて書いた曲線、淡彩や時にアクセントの色彩で補っている。

 出来上がりは、シンプルで、余白が多く、それが画面全体を明るくし、また品を良くしている。意表をつく構図もその持ち味のようだ。とくに《ごっこ》や《登山》のような俯瞰図、《朝の前》の見上げた図が面白い。《成分》のスプーンの中の薬の粒子、《来客》の耳に当てた道具のようなものの毛描きなどに繊細な質感が表現されている。《衣裳》の皮膚とシャツの色合いと移行部の描写は、シュールなタッチである。ポスターの《装置》の人物の性別は、スカートや赤い持物で暗示されている。こういった技巧は十分に楽しむことができた。

 作者の意図としては、自分の感じた日常生活における違和感のようなものを、そのような表現力を駆使して観る者に伝えようとしているように受け取れる。

(2008.8a) ブログ


たねとしかけ: 群馬県立近代美術館

 「たね」とは作品についての「考え方」、「しかけ」とはそれを作品にする「方法」。時間がなかったので、5人のアーティストの作品の間を急いで回った。
 1.大竹敦人: 画像を、穴から球体に取り込み、球体壁に写し付けた作品群。

 2.手塚愛子: 色布をその基になっている細い色糸に戻して、再構成した作品群。

 3.津田亜紀子: 人形を、同じような模様と色の布で包み込んだ作品群。

 4.小河朋司: 虹のような色彩を、あらためて実感させる作品群。

 5.屋代敏博: 風景写真の中に、摩訶不思議な物体が写っている作品群。

(2008.8a) ブログ


オバケが出たぞー描かれた妖怪たち: 群馬県立歴史博物館

月岡芳年:新形三十六怪撰ー四ツ谷怪談 会場の手前のホールには、オバケを描いた映画ポスターが10枚並べられているほか、子供たちに興味を持たせる工夫や仕掛けが随所にみられた。妖怪たちと一緒に記念写真を撮ることも出来るようになっている。

 T.描かれた妖怪): 歌川貞秀の《怪物尽》、河鍋暁斎の《暁斎百鬼画談》、月岡芳年の《地獄太夫》などが面白かった。芳年の地獄太夫の前世は鏡の中に映っている。これを二匹の鬼が覗きこんでいる。

  しかしながら、何といっても壮観なのは、月岡芳年の《新形三十六怪撰》が目録を含め37枚並んでいることである。発色が良く、双眼鏡ではエンボスもしっかり見られた。

 U.おもちゃになったオバケたち: おもちゃとしては、天狗、入道、牛鬼、妖怪が沢山出ており、面白いものとしては、神戸人形がいくつかあった。これらはからくりのオバケである。

 V.身近な水辺の妖怪・河童: 歌川国芳の《河童図》、北雅の《胡瓜河童図》、河童のお面や模型が沢山出ていた。

 W.その他の関連資料: 《鬼の歯》が真面目に作られていて笑ってしまった。

 学芸員の神宮喜彦さんに伺うと、今回の展示品はすべて館蔵のものであるとのことである。このような素晴らしい展覧会を企画されたことに、敬意を表する次第です。

(2008.8a) ブログ


染絵手ぬぐい親子三代展: 京王プラザホテル

 浅草ふじ屋の染絵てぬぐい展覧会。昨年7月の展覧会は、「川上桂司・千尋 染絵てぬぐい二人展」であった。偶然の機会にこの展覧会を訪れ、お父さんの桂司さんと息子の千尋さんから話を聴くことができた。そして、この伝統芸術の良さに感動し、ブログに記事を書いた。

川上三代:染絵手ぬぐい 今回は、そのご縁で8月1日から9日までの「手ぬぐいあわせ 親子三代展」の案内状をいただいた。そこで京王プラザホテルに出かけてみた。ちょっと遅い時間だったので、川上さん親子にはお会いできなかったが、係りの女性から初代の川上桂司さんが、昨年11月、脳梗塞で急逝されていたことを初めて知った。享年89歳とのことである。

 入ってすぐに、案内状に印刷されている3本の手ぬぐいが掛けられている。右から、初代 桂司さん、二代目 千尋さん、 三代目 正洋さんの作品である。初代の作品は、おこそ頭巾の女性で、小村雪岱の《おせん》を想起させる。二代目の作品は、薔薇の花と蕾が茶色の地に白抜きで浮き上がっている。三代目は、まだ24歳で、この作品が処女作であるとのことである。赤・藍・白の帯が縦に走り、中央の藍地にはデザイン化された干支の白ねずみが7匹並んでいる。

 大正・昭和・平成の感覚といったらよいのだろうか。同じ技法でありながら、その感覚はそれぞれの時代の空気を反映しているようである。このように伝統の技法が、世代を超えて伝えられていくことをみると、日本もまだまだ捨てたものではない。

(2008.8a) ブログ


横浜浮世絵にみる横浜開港と文明開化: そごう美術館

 「横浜絵」は、横浜開港資料館や神奈川県立歴史博物館に多数所蔵されているのは当然として、今回の展覧会にはそれを上回る数の浮世絵が長崎歴史文化博物館の「野々上慶一コレクション」から出展されている。

1.開港前史: 初代広重の《神奈川台石崎楼十五景一望之図》などをみると、現在「横浜開港資料館」の置かれているあたりの「横浜」は、砂の多い小村で、人口も300~400人程度であった。

2.絵地図: 「神奈川開港」に関するもっとも古い地図、歌川貞秀の《神奈川港御貿易場御開地御役屋敷并町々寺院社地ニ至ル迄明細大地図にあらわす》が出ていた。この開港によって一変していく横浜が、貞秀の《神奈川横浜新開港図》や国芳の《横浜本町之図》に記録されている。観光案内用の銅版画地図には、競馬場まで描き込まれている。

3.異国風俗: 一つのパターンとしては、条約の対象国である五カ国の外国人と中国人を「集団」として描いたものがある。歌川芳員の《外国人どんたく遊らん行歩乃図》の「どんたく」とはオランダ語の「Zondag=休日」で、休日になると外国人が波止場に集まって楽しんでいたという。風俗を「シリーズ」として描いたものや「はじめて」見たものを題材に取り上げられたものもあった。歌川芳虎の《武州横浜八景之図 朝市乃雪》には辮髪の中国人が描かれている。歌川芳員の《岩亀楼子供手踊図》は、踊りを観る外国人と準備している舞台裏を上下に描き分けており、面白い。早川松山の《横浜名所 公園地》には、バドミントンを楽しむ外国人が描かれている。

4.写真: スクリーンに、当時の風景・風俗の白黒写真・彩色写真が連続表示されており、居ながらにして当時の横浜のウォーキングツアーを楽しむことができた。

5.海外都市風景: 海外に関する興味が増して、外国の風景を描いたものがあるが、実景をみていないので、不正確なものもある。

歌川芳員:外国人衣服仕立之図6.交易: 《横浜交易 西洋人荷物運送之図》は、五雲亭貞秀による5枚続のパノラマ大作。沖合で小舟に荷を移すところである。小舟から荷を受け取るところは三代歌川広重の《横浜海岸通之図》に描かれている。外国からの輸入品としては、歌川国麿の《写生猛虎之図》には当時メスの虎と考えられていた豹、歌川芳員の《外国人衣服仕立之図》にはミシンと《外国写真鏡之図》にはカメラが描かれている。

7.建物: 塔が3つあるイギリス領事館が、沢山の出展作の中に見出すことが出来る。これは現在の資料館分館に相当している。

8.乗物: 横浜発の鉄道がさかんに描かれている。チケットやチラシに載っているのは、三代広重の《横浜鉄道館蒸気車之図(部分)》。芳虎の《鉄道独案内》のような、時刻表も浮世絵版画として作られていた。

9.横浜絵の終りと開化絵: 外国の文化と最初に接触した横浜の特異性は、外国文化が広く全国に行き渡っていくとともにその存在価値を失い、《金港美人揃》をもって「横浜絵」は終わり、全国的に文明開化を扱う「開化絵」に移っていく。わずか20年の寿命であったが、その間に総計800点の横浜絵が制作され、その1割の80点がこの展覧会に集結したのである。。

(2008.8a) ブログ


五姓田のすべて: 神奈川県立歴史博物館

T五姓田派誕生
 五姓田派は、初代芳柳(1827-1892)を始祖としている。絹地にぼかしを多用する横浜絵を大量に制作したとされているが、今回出ているものでは《西洋老婦人像》の金髪や青い目が印象的である。《新潟万代橋図》などの風景画もなかなか良いが、大部分は肖像画である。これによって生計をたてていたのであろう。《明治天皇像》の画稿も出ていたが、天皇像を描くくらいであるから、当代随一の肖像画家として認められていたのである。

 一方、芳柳は息子義松を英国人報道記者チャールズ・ワーグマン(1831-1891)のもとに、入門させている。本格的な西洋絵画技術を求めたのである。本展にはワーグマンの水彩・油彩がでていたが、時局に敏感でありながら、即興で民衆の姿や風景を把握した穏やかな画である。

U五姓田家の絵師たち
五姓田義松:自画像デッサン 五姓田派の拡大は、ひとえに義松(1855-1915)の成長とともにあった。《十三歳の自画像》をみれば、早い時期に鉛筆デッサン・水彩画技法・油彩画技術を習得していたことが分かる。この技量をもって皇室・政府の御用絵師となっており、この展覧会にも《御物 北陸・東海道御巡幸記録画》が出展されている。ところが1882年に、義松はパリに留学し、9年間滞欧した。今回の展覧会の裸体画《西洋婦人像》や風俗画《操芝居》などを見ると、留学早々から実力を発揮し、サロンにも日本人として初めて入選している。しかしその後のパリ生活は苦しかったようであり、帰国後の活動も目立っていないが、円熟した技量を示す作品は残っている。

 また、妹の幽香(1856-1942)の作品の中には、義松をも凌駕する技術の高さを見ることができる。女性絵師として、もう少し評価されて然るべきであろう。


V五姓田派を支えた絵師たち

 義松のパリ留学を受けて、芳柳号を継承した二世芳柳(1864-1943)は、その実力を発揮した。国府台風景図屏風》右隻を見ると、西洋画のみならず、日本画も十分にこなしていたことが分かる。《釈迦牟尼尊像・羅漢図》の三幅対を観ると、日本画と西洋画の融合にも力を注いでいたことが窺われる。《明治天皇御記附図稿本下絵》や《御物 明治天皇附図》に彼の実力が遺憾なく発揮されている。

 また山本芳翠(1850-1906)は、五姓田派という枠を飛び越え、明治美術会から白馬会へと、明治洋画の大きな流れを作っていった。《若い娘の肖像》・《西洋婦人像》・《琉球令正婦人肖像》などの美人画は素晴らしい。《猛虎一声》は暗いが、迫力十分である。日清戦争・日露戦争の戦争画も出ていて驚いた。

 初代の娘婿、幽香の夫である渡辺文三郎(1853-1943)は、中等教育に尽力したが、今回出展されている《富士遠景》・《松島内雄島》・《松島》は美しい。

 《明治初期洋画壇回顧》の著者である平木政次(1859-1943)の作品では、《板倉勝静》や《箱根》が良かった。明治期の関西洋画壇をリードした松原三五郎(1864-1946)の作品もあった。土方歳三の甥の土方力三郎の《近藤勇像》は歴史資料としても大切なものだろう。

W拡散する五姓田派
 五姓田派によって、日本の西洋絵画技術は二つの方向に広がっていった。一つが複製技術を利用した版画・挿絵などで、もう一つが美術教育である。

(2008.8a) ブログ


小袖: 金沢市立中村記念美術館

柴垣撫子に燕模様帷子 松坂屋京都染織参考館に保存されている小袖のコレクション。小袖は江戸時代の高級注文服。上流の武家・商家の女性たちは、呉服商から見せられた「雛型(ひいな型)」というファッションカタログから気に入ったデザインのものを選んでオーダーメードしていたのある。雛形本が、何冊も展示されていたが、花鳥、扇面、景色、宝尽くし等の絵模様が描かれていた。 お気に入りは下記。

第1章 小袖もよう アートをまとう
 <1>四季を彩る花・草・樹: 《松竹梅模様小袖》、《籬に菊模様小袖》、《雪持ち水仙に仔犬模様振袖》、《扇面模様振袖》、《流水に菊模様小袖》
 <2>もようの玉手箱 身近な品々から物語まで: 《琴棋書画模様小袖》
 <3>あこがれの名所 広がる世界: 《宇治八景模様小袖》

第2章 装いをめぐるとき 時間・季節・機会
 <1>夏 涼を呼ぶ: 《宝尽くし模様腰巻》、《柴垣撫子に燕模様帷子》、《網に魚介模様浴衣》
< <2>婚礼 幸を呼ぶ: 《貝合わせ模様振袖》
 <3>童 愛らしく健やかに: 《放れ馬模様振袖》、《御簾に菊牡丹模様振袖》
 <4>外出 被衣の装い: 《霞取りに松竹梅梅蕨模様被衣》
 <5>夜着 夢をいざなう: 《松竹梅模様夜着》

第3章 小袖へのまなざし
 <1>流行通信ー京のファッションブック: 《手箱模様小袖》
 <2>生き続ける珠玉の小袖裂: 《草花に三階菱模様小袖裂(表装)》

 <3>描かれた小袖ー岡田三郎助の美意識:
    岡田が描いた小袖が、画とともに展示されていた。これは一見の価値がある。
   1)岡田三郎助《支那絹の前》、《松竹梅に匂袋模様小袖》、《薔薇に檜扇模様振袖》
   2)岡田三郎助《婦人像》

第4章 コレクション探訪: 《牡丹紋業平蒔絵双六盤》など。

(2008.8a) ブログ


金沢市立中村記念美術館

奥村土牛:牡丹 金沢市立中村記念美術館は、中村酒造の経営者であった中村栄俊氏の収集品を公開しているもので、美術館・旧中村邸・茶室「梅庵」・茶室「耕雲庵」から成り立っている。収集品は、茶道具が中心であるが、書、絵画、古九谷などの陶磁器、加賀蒔絵、加賀象嵌など幅広く収蔵しており、今回は館蔵の絵画展「雪舟からシャガールまで」だった。

 古いものでは、桃山時代の雲谷等顔筆の《西湖図屏風》を観ることができた。また《千鳥図屏風》という桃山〜江戸時代(17世紀)の大作も見られた。

  明治以降の作品のお気に入りは、森春岳の《渓間の月》、下村観山の《寿老》、橋本関雪の《野店対酌図》と《梅花書屋図》、川端龍子の《秋枝図》、宮本三郎の《戯画》、 中浜海鳳 詞書・紺谷光俊 画の《竹取物語絵巻》、 奥村土牛の《牡丹》、前田青邨の《大物浦》。

 シャガールの《エルサレム・ウィンドウ》のうちが6点が展示室の中央にパネル表示されていた。鮮やかな多彩色のリトグラフで、各部族が動物や魚などで象徴されていた。

(2008.7a) ブログ


金沢21世紀美術館

ヤン・ファーブル:雲を測る男 金沢21世紀美術館は、現代美術を扱いながら大変な集客をしている美術館。2007年度の入館者数は133万人とのこと。とくに先生に引率された子供を引きつけることによってその親たちを美術館に来させた蓑 豊 初代館長の作戦が効を奏したようである。

 この美術館は緑の芝生の中に、ガラスでできた2階建ての円形の美術館。低層であるのでとても穏やかな印象で、中から外の景色を楽しむこともできる。ガラスによる無料ゾーンと有料ゾーンの棲み分けなど、この美術館自体がアートとなっている。「レアンドロ・プール」、「シースルー油圧エレベーター」、「雲を測る男」、シースルーの「レクチャー・ホール」などこの美術館のウリを楽しんだ。

 今回は、別に述べる「ロン・ミュエック展」が主体であるが、ついでに有料の「サイトウ・マコト展 」と無料の「日比野克彦アートプロジェクト」を観た。

 サイトウ・マコトはグラフィック・デザイナーとして有名であるが、今回は絵画の展覧会である。似たようなタッチの画が50点も出ていた。映画から切り取ったシーンをもとに、デジタル手法で描き出した独特なテクスチュアーの絵画である。詳細はブログに書いた。

 「日比野克彦アートプロジェクト」は観客参加型の展示で、舞台と観客の両方に参加するようで、子供たちの好奇心をかきたてていた。

(2008.8a) ブログ


舟越桂 夏の邸宅: 東京庭園美術館

舟越桂:遠い手のスフィンクス 木彫彩色で大理石の目を持つ独特な人物像で人気の高い現代彫刻家。今回は、この現代アートが現代美術館ではなく、古風なアール・デコ建築である東京庭園美術館内に展観されている。舟越桂の抑えたタッチの巧みなドローイングや版画もこの建物にフィットしているが、この空間と響き合うのは、なんといってもその彫像たちである。楠の木彫りの丸みが、アール・デコの直線的なデザインの家具や建物と素晴らしいコントラストを形成する。四角い嵌め込み鏡には、不思議な彫像の滑らかな背部が映っている。まるでずっと前から、その人物がその場所にいたような気がしてくるから不思議である。

 その独特な彫像の瞳は涼やかで、顔つきは優しく、ふくよかな乳房、膨らんだお腹、あるいは合体した胴などきわめて女性的な造形であるかと思うと、同じ彫像の頭には別な小さな顔が、耳が裏表に、あるいはその肩に手が裏返しに付着している。いかにも不思議な造形で、見るものは騙される。

 初期の女性の髪はお下げやポニーテールであるが、近年のスフィンクス・シリーズと呼ばれている作品では、髪の毛が板状に両肩を越えて垂れ下がっている。極端なものでは、上半身が女性の裸体であるのに、その下部は男性となって露出されている。女性と男性が共存した両性具有像である。

 おきにいりは、《戦争をみるスフィンクス》のTとU、《遠い手のスフィンクス》、《森に浮くスフィンクス》、《雪の上の影》、《水に映る月蝕》、《冬の会話》、《山と水の間に》、《遅い振り子》、《言葉をつかむ手》。

 舟越桂のこの不思議な展覧会を満喫した。作品自体が独創的だからだろうが、この建物とのマッチングが絶妙だった。

(2008.7a) ブログ


白隠とその弟子たち: 永青文庫

白隠:蓮池観音図 現在、永青文庫にはおよそ300点の白隠が伝わっている。今回は、白隠の弟子の東嶺円慈(1721〜92)と遂翁元盧(1717〜1789)の書画をあわせて52点を、前期・後期に分けて展示してある。

1.白隠の書画と民衆: 白隠の《自画像》では、細い線と太い線、淡い墨と丁寧に書き分けている。その目つきは厳しい。 《布袋携童図》では、傘をさした子供と布袋さんがユーモラスに描かれている。地元の金持ちでは、本家のもの以外は傘をさしてはいけないという慣習になっていたが、「どうしていけないの」と言う子供の言葉を賛にして戒めている。《隻手布袋図》の布袋さまは、「隻手の音声」という禅の公案に関係している。《棒頭猿回図》は長年サルのように働かされている下級武士が文句をいっている姿。《寿》という墨書は立派。《隻履達磨図》は巧い。都で死んだはずの達磨が西方から一足だけの履を持って歩いてくる。皇帝が達磨の墓を調べさせると、もう片方の履が出てきたという話。 《お福粉挽歌》では、鼻が低く、頬が膨らんだ女が粉を挽いている。 《重い杵》の賛には、「杵とは死ねということか」という掛けことば。年貢の高いことの暗喩。《文殊菩薩図》は獅子の上に乗った菩薩像。《蓮弁観音図》は観音さまがゆったりと蓮の葉の上に休んでいる。その下の波は静か。海上の波をおさめる観音菩薩を描いたもの。《蛤蜊観音図》は、唐の皇帝が蛤を食べようとしたところ、貝の中から菩薩さまが出てきたところ。部屋の中央の白隠の《蓮池観音図》は墨塗りの背景に白抜きの観音さまなどが、素晴らしいアートとなっている。

 このように白隠の書画は大胆な筆遣いであるが、同時に弱者に対するいたわり、強者に対する戒めを含み、全体としてはほのぼのとした味わいのある戯画となっている。

2.東嶺の気迫: 東嶺の一行書《則心則仏》には迫力があり、二つの「即」は見事に書き分けられている。《山水図》は、白隠の画、東嶺の賛であるが、左の丸木橋を普通に渡っていく人に対して、右の二本の丸木を継いで作った橋を這いながら渡る盲人たちのように集中しなければならないことを諭しているようである。

3.遂翁と白隠: 遂翁の《白隠慧鶴像》は、本人の自画像を模したもの。《地蔵菩薩図》の地獄の中に、僧衣の骸骨が描かれている。遂翁は一旦白隠の後を継ぐが、問題があったらしくいったん寺を出ている。遂翁が帰ってきて白隠の後任となったのは白隠が危篤になってからということである。遂翁が死んだ白隠を地獄に描きこんだのだとすれば恐ろしい。遂翁も《蛤蜊観音図》を描いている。ヒョロット立ち上る菩薩の姿には工夫はあるものの、白隠の同名の絵にくらべ迫力に欠ける。《隻履達磨図》・《布袋図》・《文殊菩薩》なども同様に遂翁の作品は師の白隠のものに及ばない。

4.細川護立と白隠の書画: ここには護立が最初に遭遇した白隠の《布袋図》が出ている。多少変色しているが、堂々たる布袋さま。

(2008.7a) ブログ


NIPPONの夏: 三井記念美術館

 「夏」の暑さを吹き飛ばすスッキリとした展覧会。

葛飾北斎:夏の朝T 朝の章〜朝顔と涼の装い: 鈴木其一の《朝顔図》は、朝顔の青が美しく、葉のたらしこみも巧いが、構図が単純で迫力に欠ける。葛飾北斎の肉筆美人画《夏の朝》は、ポスターになっている逸品。個人蔵だから見逃せない。立姿の艶やかな女性が身支度中。表情が鏡に写っている。足もとには金魚鉢や歯磨き具。水鉢には夏の朝を象徴する朝顔が浮かんでいる。

U 日盛の章〜涼をもとめて水辺へ: 高田敬輔の《鯉滝登図》は奇想画。鱗が縞状に、飛沫が輪状に描かれている。さすがに蕭白の師である。円山応挙の滝の画が2点。《青楓瀑布図》では、落下してくる水が、滝壺で岩にくだけ飛びちる。長大な画面空間には、正面から見た瀧と俯瞰から見下ろす波。これに右上部から枝を伸ばしてくる青楓も美しい。《瀑布図》のほうは、奈良県立美術館の「応挙と蕭白展」で見た《大瀑布図》の滝の部分のみのバージョン。今回のものが迫力に欠けるのは止むを得ない。

〜夏の祭礼と行事:川端玉章の《京都名所十二月》はなかなか面白い。《祇園祭礼図屏風》は保存状態が良く、美しい。いろいろな形の鉾が楽しめる。千葉市美術館蔵の歌川国貞《江戸自慢》の10点中8点が入れ替えながら観られる。「こま絵」が面白い。現在展示中のものは、両国夕涼・駒込富士参り・山王御祭礼の三点。子供が上手く描かれている。

〜夏のデザイン: 松村景文の《鮎図》は涼風あふれる名画。遡る鮎のうち一匹が空に飛躍している。

〜涼のうつわ: 歌麿の浮世絵で有名な「ぽっぴん」の実物を初めて見た。青いガラス玩具で、吹くと「ポヒン」と音がするという。実際の音を聞きたかった。

V 夕暮の章〜夕立と夕涼み: 歌川広重の《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》はあまりにも有名。広重の肉筆画《浴後美人》は色気不足。これに対して喜多川歌麿の《寒泉浴図》は色気過剰のあぶな絵。風呂桶に入ろうとする女性の後ろ姿を描いた珍しい肉筆画。背中や臀部に淡紅色でハイライトをつけ、肌の丸みややわらかさが表現されている。歌川豊春の《夕涼図》には、二美人・子供・金魚鉢。祇園井特の《納涼美人図》は、鉄漿が毒々しく嫌い。歌川国貞の《両国川開図》では、有名な「川一丸」の他に、「歌川丸」・「香蝶丸」・「英丸」と宣伝に務めている。香蝶は国貞の雅号、英は英一蝶。

W 夜の章〜夏夜の楽しみ―舟遊び、花火、蛍狩: 円山応挙の《鵜飼図》は、光だけが浮き上がるように描かれている。抱亭五清(北鵞)の《蛍狩図》や蹄斎北馬の《納涼二美人図》、たばこと塩の博物館蔵の《蚊帳美人喫煙図》も良かった。最後のものは奥村政信のものらしいとのこと。最後の長沢芦雪の《月夜竹に蝙蝠図》は淡彩だが味わい深い名画である。

 絽の着物、浴衣、ガラス器など涼を呼ぶグッズもたくさん展示されていた。気楽に夏を楽しむことのできる好い展覧会だった。

(2008.7a) ブログ


対決 巨匠たちの日本美術: 東京国立博物館 平成館

 美術雑誌「国華」は岡倉天心によって創刊されてから120周年を迎える。今回はその記念展。この展覧会の企画は、日本美術の歴史の中で輝く最高傑作を集めたものである。これを生み出した巨匠たちは、お互いに競い合い、あるいは先輩として敬ってきたという関係を持っている。今回は、これらの巨匠を2人ずつ組み合わせて「対決」させるかたちで紹介している。ここでは、企画者の意図に沿ってお気に入りの対決をさせてみる。いずれにせよ、これは凄い作品を揃えた大展覧会である。何年後かにはまぼろしの展覧会といわれるかもしれない。

   
前期
後期
   
運慶
運慶:地蔵菩薩坐像
快慶
快慶:地蔵菩薩立像
雪舟
雪舟:慧可断臂図
雪村
雪村:蝦蟇鉄拐図
永徳
永徳:檜図屏風
等伯
等伯:松林図屏風
長次郎
長次郎:黒楽茶碗 銘俊寛
光悦
光悦:黒楽茶碗 銘時雨
宗達
宗達:蔦の細道図屏風
光琳
光琳:菊図屏風
仁清
仁清:色絵吉野山図茶壷
乾山
乾山:色絵紅葉図透彫反鉢
円空
円空:十一面観音菩薩立像
木喰
木喰:葬頭河婆像
大雅
蕪村:十便帖
蕪村
蕪村:夜色楼台図
若冲
若冲:仙人掌群鶏図襖
蕭白
蕭白:群仙図屏風
応挙
応挙:保津川屏風
芦雪
芦雪:虎図襖
歌麿
歌麿:人相学十躰・浮気之相
写楽
写楽:三代目沢村宗十郎の大岸蔵人
鉄斎
鉄斎:妙義山・瀞八丁図屏風
大観
大観:雲中富士山図屏風

(2008.7‐8a) 前期ブログへ  後期ブログへ 

オフ会: Tak, はろるど、虎、東出


絢爛たる花鳥画家 石崎光瑶 没後60年展: 南砺市立福光美術館

石崎光瑤:燦雨 JR西日本の城端線「福光」駅に降り立つと、棟方志功の板画碑が迎えてくれる。棟方が戦時中に、富山県のこの町に疎開して制作に励んでいたという歴史があるからである。福光に関係のあるもう1人の有名画家は石崎光瑤である。竹内栖鳳の弟子で絢爛たる花鳥画で知られている。福光美術館は町からはずれたところにあるが、ここには棟方志功のほかに石崎光瑤の作品がかなり所蔵されている。

 今回は法事で帰郷した際に、福光美術館で「石崎光瑤没後60年展」が開かれていることを知って行って来た。。2007年7月から国立新美術館を皮切りに全国巡回した「日展100年」に光瑤の《燦雨》が展示されていたが、その巡回が終わったので、「凱旋展示」として展示することになったのである。

 2階で開かれている常設展では、志功の《二菩薩釈迦十大弟子》、《歓喜頌板画柵》、《流離抄板画柵》、《華狩頌》、《沢瀉妃の柵》だお気に入りである。光瑤では《藤花文禽》、《早春》、《遊兎》が良かった。1階のの企画展では、《筧》、《熱国妍春》、《燦雨》、《雪》↓、《花鳥の図》、《聚芳》などに圧倒された。

(2008.7a) ブログ


KAZARI: サントリー美術館

 展覧会の副題は「華麗、奇抜、斬新。世界が驚嘆する、かざりの世界」。通常の日本語では、「かざり」とは「装飾」と同義であるが、辻惟雄氏が「日本美術の一つの特色」として強調している「かざり」という言葉は、「華麗、奇抜、斬新なデザイン」という広義の意味合いを帯びている。

 まず縄文土器の優品が現れる。これが「かざりの源流」ということである。このような奇怪ともいえる過剰な装飾は独特であり、日本人の遺伝子の中にこのような縄文装飾文化を造ったDNAが残っているといわれれば、反論は難しい。しかし、奇怪な《火焔型土器》や《王冠型土器》と穏やかな《深鉢形土器》にはかなりの差がある。

 この「かざりの源流」の中に、江戸時代の岩佐又兵衛が描いたと伝えられる《浄瑠璃物語絵巻》も出てくる。その理由はともかく、画のあちこちに金箔がふんだんに使われているだけでなく、画全体の構想が派手である。

 仏具などには、確かに繊細な美しさを示すものが多かったが、「かざり」を大陸とは無縁の日本美術独自の概念とすることには無理があるようにも思える。 「中世のかざり」の中では、江戸時代に《十二ヶ月床飾図巻》のようなマニュアルができているのは面白い。こうなると「かざり」はその斬新性を失って、形骸化が始まっているというべきではなかろうか。 「室内を彩るかざり」には、屏風がいくつか出ていた。中では、館蔵の《邸内遊楽図屏風》は、色合いが美しく、また左上隅に入浴シーンなどもあって面白かった。しかし屏風となると、中国にも沢山あるから、「かざり」を日本美術だけの特徴することには無理がある。陶磁器や漆器も沢山でていたが、すべて派手なものであるとはいえなかった。しかし、デザインが面白いということでは、広義の「かざり」の概念に抵触するものはなかった。

銀箔押兎耳形兜 「武将のダンディズム」の中では、兜にユニークなものが多いことに驚いた。中でも上杉謙信が使用したと伝えられる《銀箔押兎耳形兜》の長い耳は秀逸である。これを「飾り」とみるか、あるいは「威し」とみるかは見解が分かれるかもしれないが、「奇抜であればかざり」という定義には入ってしまう。また《濃萌葱地蟹模様陣羽織》などをみると、朱色の蟹の中に諧謔性が含まれていることを否定することはできない。

 「町衆の粋・女性のよそおい」となると、落合芳幾の《婦女風俗図屏風》、小袖・振袖、櫛・笄・簪、たばこ入れ・印籠など江戸時代の大衆文化が「かざり」に裏打ちされていることが今更のように印象付けられる。 しかし、「芸能のかざり」では、舞台芸術という言葉があるだけに、西欧にも存在する「かざり」という言葉を日本だけで独占することに気がひけてくる。

 「祭礼の華・風流のかざり」では、小沢華嶽の《ちょうちょう踊り絵巻》が傑作だった。先週までは屏風、今週から絵巻である。これは天保年間に京都で大流行した狂乱踊りを描いたものである。魚や動物の縫いぐるみを着たり、裸になったり、あるいは奴凧の姿をして、老若男女が踊り狂っているさまは、現在のマンガに通じるユーモアにあふれている。

 広義の「かざり」は、日本においては、一定の時代、ある分野において、突出・傑出した形で出現していることは事実である。しかし一方、「かざり」は日本のみならず大陸の文化や西洋の美術の中にも広く現れている。「かざり」のDNAは、日本人のみならず、人類すべてが有している貴重な遺伝子なのではあるまいか。

(2008.6a) ブログ