海外美術散歩 08-1 (日本美術は別ページ)

 

上海ー近代の美術(後期) 08.1 ロートレック展 08.2 ルノワール x ルノワール 08.2 福岡アジア美術館 08.2
後藤美術館 08.3 ウルビーノのヴィーナス 08.3 蘭亭序 08.3 モンテフェルトロの小書斎 08.4
ルオーとマティス 08.4 都市スーサとその陶器 08.4 マティスとボナール 08.4 モジリアーニ 08.4
マヤ文明 コパール遺跡 08.4 ワイエス 08.4 藝術都市パリの100年 08.4 大岩オスカール 08.4
ジュリー・ヘッファナン 08.5 いとも美しき版画の世界 08.5 ターナー賞 08.6 コロー展 08.6
ロシア・アヴァンギャルド 08.6 ルオー大回顧展 08.6 ヨーロッパの近代工芸とデザイン 08.6 ウィーン美術史美術館静物画 08.7

目 次 ↑


ウィーン美術史美術館所蔵「静物画の秘密展」: 国立新美術館

 
ベラスケス:薔薇色の衣裳のマルガリータ王女 ウィーン美術史美術館には、昨年3月に訪れる機会があったが、その前にも東京で何回かその展覧会を見ているので、おなじみの美術館のような気がする。

 誘われて開催前日に観ることができた。プレスプレビューの最初は企画者の挨拶。国立新美術館の本橋弥生氏の展覧会の概要説明とウィーン美術史美術館館長のザイベル氏からの挨拶の後、副館長のシュッツ氏から細部にわたる説明があった。「静物画の定義」は、「動かないもの、生命を持っていないものを配置して描いた画」である。「静物画の特徴」としては、第一に「リアリティー」があげられる。写実を追及するため、だまし画のようなものや表面を描き分けたものも登場している。静物画の第二の特徴は、意味がこめられているということである。vanity や transiencyという概念を含んでいるということである。日本側監修者の木島俊介教授は、この展覧会は8年間の交渉の結果開催されたものであることと、わが国には静物画の文献が少ないので、今回の図録はその意味で貢献するだろうとの2点を紹介された。

 その後、シュッツ副館長のギャラリー・トークがあった。詳細はブログに書いた。選定された画は、アントニオ・デ・ベレダ《静物:虚栄(ヴァニタス)》、ヤン・ブリューゲル(父)《青い花瓶の花束》、ルーベンス《チモーネとイフェジェミア》、ディエゴ・ベラスケス≪薔薇色の衣裳のマルガリータ王女≫である。 その後の一般の特別内覧会に混じってゆっくりと見た。お気に入りは、バスケニス《静物:楽器、地球儀、天球儀》、デ・ヘーム《静物:朝食卓》、ヤンステーン《農民の婚礼(欺かれた花婿)、ダウの《花に水をやる窓辺の老婦人》と《医師》。

 とても地味だが、味わい深い展覧会である。当時の情景を再現すべく、室内を暗くしていることもこの展覧会を渋いものにしている。ゆっくり時間をとって、細部にわたるまで観察すれば、思わぬ発見がある。

(2008.7a) ブログ

オフ会: Tak2, Nikki, Kyou, m25, えみ丸、山桜、とら


ヨーロッパの近代工芸とデザイン: 東京国立近代美術館工芸館

ポール・コラン:アンドレ・ルノー(ピアニスト) 1.アール・ヌーヴォーからアール・デコへ
 アルフォンス・ミュシャ《サラ・ベルナール》、ルネ・ラリック《翼のある風の精》(1898年)などアール・ヌーヴォー様式の作品が展示されていた。初代宮川香山の《色入菖蒲図花瓶》、橋口五葉の《浴場の女(ゆあみ)》・《温泉宿》・《夏装之娘》、杉浦非水の《絵はがき》など日本での展開も楽しめた。

 2.アール・デコの時代T アール・デコの精華
 1910年から30年代にかけて世界的に流行した装飾様式であるアール・デコの作品をエンジョイした。お気に入りは、カッサンドルの《北極星》、ポール・コランの《アンドレ・ルノー(ピアニスト)》などのポスター。ヨーロッパの近代工芸とデザイン ―アール・デコを中心に―  さらにシャローの《書斎机、椅子》、ハーゲンアウワーの《装飾額付鏡》、ルネ・ラリックの《カーマスコット ロンシャン》、ピュイフォルカの《ティーセット》。

 3.アール・デコの時代U 日本への影響
 関東大震災からの復興期に、アール・デコは若い日本の芸術家たちに受容された。高村豊周の工芸、長谷川潔、織田一磨の都市風景などが記憶に残った。

(2008.6a) ブログ


ルオー大回顧展: 出光美術館

 この展覧会を観て、ルオーに対する見方が大分変わった。多分、今回は質の良い作品が非常に多数展示されていたからだと思う。

1.初期のグアッシュ・パステル・水彩画・油彩画(1897−1919): 力強いが暗い作品が多い。《エクソドゥス》と《客寄せ》ぐらいしか観るべきものがない。

ルオー:小さな女曲馬師2.中期の油彩画(1920-1934): 重厚なマチエールの下に、明るく輝くような色彩が出てくる。スクレーパーで削って描くようにしたためらしい。《水浴の女四人》、《女の顔》、《小さな女曲馬師》、《小さな家族》。いずれも愛すべき作品である。


3.銅板画集《ミセレーレ》と版画集: 《ユピあやじの再生》の彩色下絵とモノクロの版画が並べてあった。やはり肉筆画が圧倒的なのは、浮世絵の場合と同じ。銅版画集《ミセーレ(憐れみたまえ)》の場合は、写真を撮って版画を作るというヴォラールの指示に従って量産したものだそうだが、結構の迫力である。《ミセレーレ》に基づく油彩が何枚か出ていたが、こちらもとても良い。版画好きはこのセクションは見逃せないだろう。

4.連作油彩画《受難》と色刷版画集: ここは素晴らしい。これだけ沢山の油彩画が連作として並んでいるのを見たことがない。キャプションの説明が良くまとまっていて、十分に理解できる。《受難1》に見られるようにとても丁寧である。連作内のこの他のお気に入りは、63/55/23/30/62などである。《受難》の色刷版画も出ていたが、残念ながらこれには油彩の色が再現されていない。

5.後期の油彩画(1935−1956): このセクションに素晴らしい画が並んでいる。スクレーパーを使わなくなったため絵具が極端に盛り上がっている画もあるが、全体に明るい色調であ好感が持てる。この展覧会は、出口から逆行したほうが良いかもしれない。沢山の版画や連作を見た後に、このセクションに来ると、エネルギー不足となっている人も多いのではなかろうか。わたしは一旦休息して逆行して見直した。お気に入りは多数。《たそがれ》、《伝説の風景》、《キリストとパリサイ人たち》、《青のキリスト》、《トリオ》、《うつむいた受難》、《優しい女》、《X夫人》など。

6.未刊行版画作品群: 版画集に使われなかった刷りはそれなりに問題があるのだろう。XXXXで消された作品を見るのは楽しいものではない。ただ《装飾的な花》の刷りの工程の展示は面白かった。

(2008.6a) ブログ


青春のロシア・アヴァンギャルド: BUNKAMURA

 モスクワ市近代美術館所蔵のロシア・アヴァンギャルド展。副題は「シャガールからマレーヴィチまで」。 初日の開館早々に入った。

マレーヴィチ:農婦、スーパーナチュラリズムT−1 西洋の影響とネオ・プリミティヴ: 
 最初に出てくるのはゴンチャローヴァとラリオーノフのカップルの絵画である。ゴンチャローヴァの≪あんずの収穫≫にみられるように、遠近法にとらわれない平面的で、かつ装飾的な画である。ちょっとゴーギャンのタッチに似た画で、ロシアの伝統的あるいは土着の文化を掘り起こしていこうとする方向である。こういう民衆芸術などを意識し、プリミティヴなものを見直す方向を「ネオ・プリミティヴ」と呼んでいる。これに対しもう一つの方向として、ロシアの民衆画の素朴さを基盤にしつつ、西欧絵画から強い影響を受けた画家たちがいる。シャガールがその典型例である。彼の≪家族≫では、シャガールとベラが癒合しているが、これは2視点から見たもので、明らかにキュビスムの影響下にある。ブルリュークは「ロシア未来派の父」と呼ばれているそうだが、展示されているのは《風呂》のようなコラージュが2点と顔に彩色した《芸術家の母の肖像》や動くイコン的な《三つ目の未来派風の女》のような前衛的な油彩である。こういったロシアの前衛画家の西欧的な方向は、「立体未来派」と総称されているようである。

T−2 見出された画家ピロスマニ: グルジアの画家ニコ・ピロスマニは、アンリ・ルソーのような「素朴派」の画家で、プリミティヴなものをベースに抽象へと向かった当時の前衛美術の動きとは完全に独立していた。彼の生涯は、加藤登紀子の「百万本のバラ」という曲で歌われ、映画「ピロスマニ」(1969年)でも取り上げられている。今回、ピロスマニの画は10点も展示されている。《小熊を連れた母白熊》や《イースターのエッグを持つ女性》、≪宴にようこそ!(居酒屋のための看板)≫などほほえましい画が並んでいる。

U マレーヴィチと抽象の展開: マレーヴィチの《収穫》は、ネオ・プリミティズムの範疇に入るが、《冬のモチィーフ》や《刈り入れ人》は立体未来派の画となっている。マレーヴィチの《刈り入れ人、1909年のモティーフ》では、人体の形状を取り戻しているが、《農婦、スーパーナチュラリズム》では、人体の外形は残っているものの、細部は失われ、白と黒の感覚が描出されている。これが《白い十字架のあるスプレマティズムのコンポジション》や《黒いい十字架のあるスプレマティズムのコンポジション》では、「スプレマティズム(絶対主義)」という完全な抽象絵画の域に達している。そこの描かれているのは、もはや形態ではなく、感覚のみであるといえるのだろう。

V 1920年代以降の絵画: 「ロシア構成主義」の創始者といわれるタトリンの《労働者の肖像》が出ていた。もともと鉄板や木片によるレリーフを「構成」と呼んだのであるが、1920年以降の絵画をこのような構成主義で一くくりにするのは無理である。 ドミトリーエフの《サーカス》は舞台芸術、パラーノフ=ロシネーの《裸婦》、《キュビスム風の裸婦》、《燃えるような赤毛》はオルフィスム、すなわち叙情的キュビスムであり、マレーヴィチは《自画像》や《芸術家の妻の肖像》のような具象画に戻ってしまった。

(2008.6a) ブログ


コロー 光と追憶の変奏曲: 国立西洋美術館

 展覧会の初日開館直後に入場した。個人蔵は110点のうちわずか1点だけ。コローの全体的な評価については、今回のフランス側監修者のポマレット氏(ルーブル美術館絵画部長)の講演「コロー:絵画における音楽的概念」を聴くことにした。その詳細は別に書いたが、ここでは、監修者の意見も参考にしつつ、主として展覧会の章立てに沿って、コローの画風の変化を追っていくことにする。

1章:初期の作品とイタリア
 コローの初回のイタリア旅行は1825−27年である。この頃のコローの作品は堅牢で、光と影にとみ、後期の銀灰色のマンネリ化した画よりも好感が持てる。お気に入りは、《ヴィル=ダヴレー、牛飼い女のいる森の入口》の道に差し込む光線、《ローマのコロセウムの習作》や《ファルネーゼ公園から見たフォロ・ロマーノ》の光と影、《プッサンの散歩道》、《ティヴォリ、ヴィラ・デステ庭園》など。


コロー:ヴィル・ダヴレー 水門の釣り人2章:フランス各地の田園風景とアトリエでの制作

 《画家の姪の肖像》は何回も見ているが、ソコソコ。《ヴィル・ダヴレー 水門の釣り人》の水面に映る人物や遠くの女性たち、《水汲み場のブルターニュの女たち》の頭に乗せた水瓶、《エトルタの風車》の極端な遠近法や《小さな谷》なども印象的。

3章:フレーミングと空間、パノラマ風景と遠近法的風景
 《ピエルフォン城》の明るい巡光や《パリ近郊の農家の中庭》が気に入った。ドランやセザンヌへの影響が見てとれる作品もあった。

4章:樹木のカーテン、舞台の幕
 コローは生涯にわたって、舞台芸術に関心を示し、このセクションの木立を描いた一連の作品では、前景のヴェールのように枝を広げる木々はちょうど舞台の幕の役割を果たし、霧の向うに見え隠れする遠景は舞台となっているというのである。これは新鮮な見方で共感できた。また、傾いだ木や奥行き感の表現は、演劇的な効果をあげているとも述べている。
 ここではこういったコローの画風に影響を受けたものとして、モネの《木の間越しの春》、シスレーの《ヴヌー=ナドンの岩の森》、モンドリアンの《農家の前の水辺の人々》、ピサロの《夏の木蔭の小道》やゴーギャンの《ノルマンディーの風景、沼の片隅》などが挙げられていた。

5章:ミューズとニンフたち、そして音楽
 《本を読む花冠の女》はラファエル前派のミレイに通うものがある。《本を読むシャルトル会修道士》は落ち着いた良い画である。《ミューズの歴史》や《バラ色のショールをはおる若い女》も良かったが、後者はちょっと淋しい。有名な19世紀のモナリザ《真珠の女》はポスターよりはるかに良い色であるが、ガラスが反射して髪の毛が水玉模様のようになってしまっていた。 《マンドリンを手に夢想する女》や《水浴するディアナ》はお気に入り。とくに後者はコローにしては珍しい裸体画。
コローのこのような画がドラン、ピカソ、マティスに影響を与えているという証拠として、それぞれ二つの画を並べて展示してあった。 この章のベストは《青い服の夫人》である。これはコローの最晩年の作であり、彼の一つの到達点であると考えたい。

6章:思い出と変奏
 この章が、今回の展覧会の副題に関係があるらしい。コローは、戸外で描いたスケッチを利用しながら、かつて旅した土地の想い出を追想してアトリエのなかで再構成し、「・・・の想い出」と題した多くの情緒的な風景画を残している。今回の展覧会の監修者は、「想い出」の風景は少しずつ叙述的な表現をはなれ、音楽的なリズムに満たされていく」としている。さらに「このような銀灰色の靄に包まれた喚起力と連想の芸術は、抽象へとむかっていった20世紀芸術の担い手たちがもとめた新しい芸術的地平を見ることができる」としている。その当否はともかく、有名な《モルトフォンテーヌの思い出》や《幸福の島》はさすがに素晴らしかった。

(2008.6a) ブログ

オフ会: Tak2, Panda, marimo, はろるど、とら


英国美術の現代史 ターナー賞の歩み展: 森美術館

  英国現代美術界でもっとも重要な賞の一つである「ターナー賞」。この賞は、年1回、数名の英国人および英国在住者のアーティストをノミネートし、その作品を展示、最終選考で1名を選出するものである。今回はその受賞作をすべて展観するという試みである。1984年のマルコム・モーリーから2007年のマーク・ウォリンジャーまで23名(1990年は経済危機のため実施されず)のアーティストの作品が展示されていた。

○1986.ギルバート&ジョージ《Death of Life》: 中央上部に黄色い洋服を着た画家二人が立ち、下部には失業問題を抱え苛立つロンドンの若者を赤・黄色で描いた11mの超大作。とても迫力がある。

○1991年.アニッシュ・カプーア《Void No3》: 真っ黒な円盤。正面に向き合うと、眩暈を感じて、気持ち悪くなる。観客との相互関係を狙ったアートであるそうだが、わたしには十二分に感じ取ることができた。

○1993年.レイチェル・ホワイトリード《House》: 壊す建物の内部にコンクリートを流し込み、その外壁を少しづつ外して写真を撮っていく。最後にこのコンクリートを残すことが住民に拒絶され、取り壊された。そこでガランドウになった庭の写真まで登場してくる。これは皮肉なのだろう。

デミアン・ハースト:Moter & Child Devided○1995年.デミアン・ハースト《Moter & Child Devided》: ポスターに載っているように、実物の牛と子牛を矢状面で切断し、ホルマリン漬けにしたもの。興味本位のアートであるが、観客が良しとすれば良いのだろう。

○1997年.ジリアン・ウェアリング《Sixty Minuite Scilence》: 60分間動かないことを求められた人たちを動画で撮っている。とても面白い。ずっと付き合うわけにもいかないので、その場を離れた後、大きな叫び声が聞こえた。60分が終わったのだろう。

○1998年.クリス・オフィリ《No Woman, No Cry》: 殺害された黒人少年Stephan Lawrenceの白人容疑者が無罪になったことに抗議するという社会的なメッセージを持っている。涙のモザイクの中に少年の顔が描き込まれている。今回のマイベスト。

○1999年.スティーヴ・マックィーン《Deadpan》: ビデオ作品。建物が倒れても、その窓の中に入ってしまって怪我をしない男性の無表情な姿がコミックである。

○2003年.クレーソンー・ペリー《We have found the Body of your Child》、《Golden Gohst》: 古典的な壷に、微細な画が描かれ、金なども使った 華やかなアートであるが、そのメッセージは社会的で、前者はは児童虐待、後者は少年少女の非行をテーマにしている。

○2004年.サイモン・スターリング《Memory ob Bucket》: ビデオ作品。クエーカー教徒の平和と安寧へのメッセージ。そばに大きなポスターが置いてあったのでもらってきた。もちろん日本語訳も張り出されていた。

○2007年.マーク・ウォリンジャー《Sleeper》: ベルリンのシンボルである熊の縫いぐるみを着た人間がベルリン新国立美術館の中で踊っており、外から観客が観察するようになっている。あるいは熊が人間を見て喜んでいるのか。いずれにせよ、昨年この美術館を訪れたので懐かしかった。

(2008.5a) ブログ


いとも美しき版画の世界: 埼玉県立近代美術館

  全部で161点の大展覧会。副題は「紙片の小宇宙を彷徨う」となっている。西洋版画を追い続ける1人の個人コレクターが50年の歳月をかけて築き上げたコレクション。

ホルツィウス:羊飼いの礼拝第1章: 誕生から黄金時代へ:  ヨーロッパの版画の歴史は、14世紀末の木版画に始まり、15世紀半ばには精緻な銅版画が作られるようになった。ちょうどルネサンス文化と時を同じくして誕生しているのである。今回の展覧会でもっとも古いものとしては、15世紀末のションガウワー(アルザス)とメッケネム(ドイツ)。前者の《白鳥を持つ貴婦人》は円形のエングレーヴィングで、立看板の中に取り込まれている。とても繊細な表現で、女性や白鳥の姿も優しい。16世紀の巨匠デューラーの作品が3点。《ラッパを吹く7人の天使 黙示録より第8図》は木版の堂々たる大作。《三日月上の聖処女マリア》は神々しい。クラーナハやアルトドルファーといった著明な作家の作品も出ている。ベーハム兄弟やアルデグレーファーの「小版画」の精細さには驚くばかりである。ボス原画・ファン・デル・ヘイデ版刻の《盲人の手を引く盲人》、ピーテル・ブリューゲルの《最後の審判》、《7つの大罪》の全7点、《7つの美徳》のうちの2点はとても楽しめる。16世紀末のホルツィウスの《ファルネーゼのヘラクレス》や《ペルセポネー》はマニエリスム的な作品である。彼の《羊飼いの礼拝》は人物はしっかりと描かれているが、下部は未完成である。その白い部分を使って今回の展覧会のチラシとしている。17世紀ヤン・ファン・デ・ヴェルデの《魔女》は光と影のコントラストの強いバロック。

第2章 多様な展開 線に宿る綺想 16−18世紀イタリア・フランスの版画 : ルーベンスの《カタリナ》やレンブラントの《宝章のついたヴェルヴェット帽をかぶり口ひげをたくわえた男の肖像》はとても素晴らしい。 16世紀のライモンディの《マルス、ウェヌス、クピド》は美しいエングレーヴィング。ジャック・カロのエッチングが沢山出ていた。《戦争の惨禍(大)》はおなじみだが、《イスタンブール市》、《アヴァリアーノの戦い》、《ルーブル宮の眺め》、《聖セバスティアヌスの殉教》、《処刑場》、《聖アントニウスの誘惑》など非常に技巧的である。 ピラネージの《マルケレス広場》や《円形の塔》も優品である。

第3章 近代の黎明 18−19世紀のイギリス・スペイン版画:  ホガース版画のユーモアはいつも楽しみである。《納屋で衣裳を着る旅芸人の女優たち》、《選挙シリーズ》、《闘鶏場》がでていた。ゴヤの《戦争の惨禍シリーズ》、《妄シリーズ》は個人的にはあまり好きではない。《サタンの失墜 ヨブ記より》など、ブレイクの独特な宗教画が4点並んでいたが、いずれも印象的である。

第4章 画家と版画 ”画家にして版画家パントルグラベール”の活躍から世紀末デカダンへ: ドラクロア《空を飛ぶメフィストフェレス》、ドーミエ《幕を下ろせ、喜劇は終わった》、ブレスダン《良きサマリア人》、ファンタン=ラトゥール《ジークフリートとライン川の娘たち 神々の黄昏》、ルドン《陪審員より》、ゴーギャン《マラルメの肖像》、ロートレック《マルセル・ランデ嬢、胸像》、ホイッスラー《キッチン》、クリンガー《貧しい家族》、アンソール《大聖堂》などが良かった。ビアズリーの《サロメ》は何回見てもショッキングであり、《エドガー・アラン・ポー作品集の挿画のための素描集》も刺激的である。

第5章 巨匠たちの饗宴
 ムンク、コルヴィッツ、シャガール、ルオー、ピカソ、エッシャー、ヘンリー・ムア、ミロなどに良いものがあった。 

(2008.5a) ブログ


ジュリー・ヘッファナン新作展: Megumi Art Gallery

  ジュリー・ヘッファナンのことを知ったのは、たまたまLux Art Instituteをネットで検索したからである。ここではアーティストの作品展示だけでなく、実際に制作するところが見られるようになっているようである。5月の予定をみると、アーティストはJulie Heffernanという女性である。私が渡米する頃には、制作見学は終了していて、展示だけとなっている。 作品の画像がいくつか載っていたが、タイトルが「Self Portrait」となっている不思議な画が多い。でこの画家の作品展が開かれているのをしったからである。

 そこで彼女の名前で検索してみると、何と東京のギャラリーで彼女の展覧会をやっているではないか。銀座のソニービルの裏のMegumi Art Galleryである。これは何かの縁と思って早速に見にいった。狭い画廊なので作品数は少ないが、結構大きな作品で、やはり自画像という題の不思議な作品が並んでいた。

(2008.5a) ブログ


大岩オスカール 夢見る世界: 東京都現代美術館

  大岩オスカールの画は、とても気になっていた。ちょうど良い折に、本邦初の大がかりな個展が開かれたので、初日から見にいった。彼の画は独特である。まず大きい。色彩が豊かである。そしてイマジネーションに富んでいる。諧謔味もある。画の中にダブル・イメージが浮かんでいるものが少なくない。

 入ってすぐの部屋には、1995年頃の懐かしい北千住駅周辺の風景が、実景のようでもあり、また現実離れしたところもある。

大岩オスカール:クジラ 次の部屋には、1991年のサンパウロ國際ビエンナーレに出品した巨大な《クジラT》が圧倒的な迫力で展示されている。とにかくデカイ。右側の壁にはクジラの外表、左には骨格が向かい合わせになっている。観客はその間を押しつぶされないように歩いて行くだけ。どういう意味か考えてみてもはじまらないが、人間の小ささは実体験させられる。

 角を曲がると、丸い形の画が何枚かあったが、その中では手前上段の《神殿のポートレート(展望台)》に惹き付けられた。上部に望遠鏡、その下に弾を発射する銃。世の中の戦争は、すべて正当化、神格化されていることに対する軽いアイロニーなのだろう。

 その向こうの小部屋には、《シャドウキットとライトキットの出会い》という面白い画があった。黒猫と白猫だがお互いに裏返しの関係のように見える。ご丁寧に、画の前には、黒猫と白猫のオブジェも置いてある。そしてその傍にはいぼいぼの《カメレオン》の画が鎮座していた。次の部屋には、《カラスの巣》、《野良犬》といった奇怪な動物たちが、都会の背景を従えて画の前面に描かれている。

 大きな部屋には、《虹》、《ガーデニング》、《フラワーガーデン》といった色彩豊かな画があった。いずれも背景と前景が二重写しのようになっており、心象風景の様相を呈している。《フラワーガーデン》の左右の4つのパネルは「広島市現代美術館」蔵であるが、センターパネルは山下裕二の所蔵となっていた。またどの部屋だったか忘れたが、《ノアの方舟》、《総理大臣の悪夢》といったユーモアを感じさせる画もあった。廊下を渡って反対の部屋に入ると、《Fire Shop》という火を売る店や《北極》という北米大陸が氷で覆われ、ペンギンが遊んでいるという画が展示されていた。前者は赤、後者は青が目立つ美しい画だった。

 二階でDVD映像が見られた。画家のインタビューやパブリックアートの過去と現在などオスカールの実像にやや迫ることができた。このことは、「大岩オスカール x 山下裕二 トークイベント」を聞いて、いっそう良く分かった。満員の講堂で、とても面白い話があった。感想を一言でいえば、二人とも経済に明るい新人類であるということである。

(2008.4a) ブログ


藝術都市パリの100年展: 東京都美術館

藝術都市パリの100年展1.パリ、古きものと新しきものー理想の都市づくり:

○レピーヌ《ロワイヤル橋からみたボン・デ・ザール》・・・輝く空、広いセーヌ、ルーヴル、学士院の美しい景観画。

○モネ《テュイルリー》・・・鮮やかな緑と細かいタッチが素晴らしい。夏の景色。

○シニャック《ボン・デ・ザール》・・・紅葉と虹色の水面が美しい点描画。

○ジョルジュ・ダンテュ《トロカデロ公園、サイ、雪の印象》・・・現在オルセーの前にあるジャックマールのサイの彫刻が面白い。雪の情景。

○ユトリロ《コタン小路》・・・この有名な画に再会できた。

○ガブリエル・ロッペ《エッフェル塔の落雷》・・・これは素晴らしい。この時代どのようにしてこのような写真が撮れたのか。

2.パリの市民生活の哀歓:

○ルノワール《ニニ・ロペスの肖像》・・・紫の服、青の背景が美しい。

○デュフィ《家と庭》・・・緑の葉の間に見えるピンクのバラが目立つ。

○ドーミエの石版画・・・とてもコミックなシリーズが並んでいる。

○ブラックモン《エドモン・ド・ゴンクールの肖像》・・・北斎の発見者である作家。しっかりとしたエッチングである。

3.パリジャンとパリジェンヌー男と女のドラマT: 

○ファンタン=ラトゥール《サチュロス ユゴー詩集『諸世紀の伝説』から》・・・ヴィクトル・ユゴー記念館の開館記念に依頼された画。

○カリエール《アナトール・フランス》・・・詩情豊かなセピア色の画。

○ルノワール《ボニエール夫人の肖像》・・・ベルエポックを象徴するような明るい画。

○シャセリオ《東方三博士礼拝》・・・迫力がある。

○ギュスターヴ・モロー《レダ》・・・「現在のレオナルド」と当時呼ばれたモローの作品。未完とのことだが良い画である。

○ギュスターヴ・モロー《夕べの声》・・・有名な水彩に再会できた。美しい。

○セザンヌ《聖アントワーヌの誘惑》・・・なかなか良い画であるが、説明には「この裸体には画家の強迫観念がある」と書いてあった。

○ヴァラドン《自画像》・・・18歳でユトリロを産んだ頃。若い!パステル。

○ヴァラドン《ユッテルの家族》・・・ヴァラドンの再婚相手でユトリロの友人だったユッテルの家族。彼らがユトリロを苛めたのか?

○ヴァラドン《縞の毛布の裸婦》・・・彼女は巧い。

○ドンゲン《ポートレット・バックスの肖像》・・・ネックレスと指輪の輝きが凄い。

○ナダール《ベンチに横たわる自写像》・・・パイプを咥え、猫をなでている有名な写真。

4.パリジャンとパリジェンヌー男と女のドラマU:ロダン、ブールデル、マイヨール 素晴らしい彫刻が並んでいて、感動する。

5.パリから見た田園へのあこがれ:

○ドニ《パリ、プティ・パレ美術館天井画下絵 フランス美術の歴史》・・・知っている画や画家が沢山描き込まれている。

○アンリ・ルソー《粉ひき小屋》・・・魚を釣る男が小さすぎるが、この画家なら許される。

○ボーシャン《風景の中のダリアの花》・・・アンリ・ルソーの植物を彷彿とさせる。

 「よくぞこれだけの作品をパリから持ってきたものだ」というのが正直な感想である。持ってきたのは16の美術館からというから驚く。

(2008.4a) ブログ


第8回アンドリュー・ワイエス水彩展 ワイエスが描く光と影: 丸沼藝術の森

 丸沼藝術の森には、ワイエスが236点もあるという。今回は水彩が25点揃っていたので見応えがあった。展示順に簡単な感想を書く。

ワイエス:雨どい(さらされた場所1. 《さらされた場所》習作・・・何種類もの小さな花を描いた美しい習作。

2. 《雨どい(さらされた場所)》習作・・・古いじょうご、配水管、バケツなど、とても画題とはならないようなものをじっくりと描きあげている。

3. 《干草をかき集めるアルヴァロ》・・・これには働くアルヴァロの後姿が描かれているが、画の中心は馬と荷車。

4. 《材木をのこぎりでひくアルヴァロ》・・・これも働くアルヴァロがオルソン・ハウスのそばの草むらの中に溶け込んでいる。

5. 《運搬用そりの上のバケツ》・・・日照りの時に牧場の泉から水を手桶で汲み、木製のソリに乗せて家に運んだ。

6. 《屋根窓》・・・窓はワイエスにとって窓以上のものであり、窓がそこに住んでいる人たちの肖像として、いわば人格を表しているとのこと。

7. 《表戸の階段に座るアルヴァロ》・・・彼の休息の場所。他人はだれもここには来なかった。

8. 《階段と表戸》・・・表戸の外に腰をついているのはクリスティーナ。足の悪い彼女はこの階段を上ることができなかった。

9. 《オルソンの家》・・・淡青の空と家、緑の草原がとても美しい。今回のマイ・ベスト!

10. 《オルソンの家の秋》・・手前の草花が色づく秋を表しているが、この表現には力が入りすぎて抽象表現に近づいている。

11. 《オルソン家の納屋の干草置き場》・・・柱の間から床に射してくる光と影の境界が鋭い。

12. 《オルソン家の家》・・・中村音代さんのギャラリートーク: 「ゴシック風の田舎家」といわれる代表的な作品。これはアルヴァロの世界の表現である。大鎌は彼の道具。急な屋根の勾配がゴシック建築的。羽目板の一枚一枚数えて書いたという堅牢な画。手前の影、中央の日差し、そしてやや暗いワイエス・グリーンの草むらなど光と影の描き方が絶妙。草むらのスクラッチにも留意。スクラッチのためにファブリアーニ紙を使っている。ワイエスの白は紙の地の色である。ワイエスは死を考えた時に白を使い、生と死、此岸と彼岸の間に黒を使っている。

13. 《オルソンの納屋の内部》・・・窓からの光が、ほぼ水平に納屋の中にさしこみ、牛の背中や乳房を照らしている。

14. 《アルヴァロの魚置き場》・・・暗い室内に置かれた荷車などに海の青が使われているとのこと。

15. 《アルヴァロの寝室》・・・狭い窓から水平に差し込む光の部分だけが浮き上がっており、あとはよく見えない。

16. 《海からの風》習作・・・見えない風を見えるようにしているところにこの画家の卓抜さがある。

17. 《クリスティーナの世界》習作・・・後姿であるが、ほつれ髪や突っ張った手が印象的である。これはクリスティーナの肖像画以上のもので、彼女の一生を表している。

18. 《薪ストーブ》習作・・・髪を切ったクリスティーナ。戸外から彼女の背中にまでさしてくる光は暖かく柔らかである。

19. 《オルソン家の台所》・・・これも光と影、白戸と黒の対照が素晴らしい。光線には方向性が感じられる。

20. 《青い計量器》・・・再見。青い器とその周囲の差し込む光はまるでレンブラント光線である。器の下の布の質感も素晴らしい。

21. 《青い計量器》習作・・・これは光線の角度をもう少し水平に近づけている。その結果、器の一部だけから光が反射してくる。

22. 《パイ用のブルーベリー》習作・・・青い果物や鉢の明るい部分と暗い部分のコントラストが目立つ。

23. 《穀物袋》・・・中村さんのギャラリートーク: アルヴァロの肖像画! 穀物袋に光が当たり、その縁が耳のようになっている。一方、アルヴァロの耳には赤が使われている。こちらは血の通った耳である。ここには自然光はなく、影によって作り出された光だけが存在している。

24. 《豆類の乾燥》・・・光と熱によって干からびてしまった種とうもろこし。真髄のみを残すという究極の描写。

25.《オルソンの家》・・・クリスティーナの葬式の日のオルソンハウス。雪に反射する家は淋しく、また神々しく見える。

(2008.4a) ブログ


マヤ文明 コパン遺跡: TNM & TOPPAN ミュージアム・シアター

コパン遺跡  TNM&TOPPAN ミュージアムシアター ではヴァーチャル・リアリティー(VR)映像を見ることができる。 今回はマヤ文明コパン遺跡。前回の「聖徳太子絵伝」は2度見にいった(@、A)。現在のコパン遺跡の鳥瞰図と当時の状況の再現から始まり、13代の王「ワシャック・ラフン・ウバク・カウィール(兎王)」が8世紀に造った「石碑」や、「球戯場」、「神聖文字の階段」

 さらにコパン王朝最後の王「ヤシュ・パッサフ・チャン・ヨアート(最初の夜明けの空)」が建てた「16号神殿」。その前に置かれた「歴代の王を刻んだ祭壇」、そしてその下に埋められていた「ロサリラ神殿」や「マルガリータ神殿」など・・・ ちょっとした世界遺産旅行をいながらにして楽しめた。

(2008.4a) ブログ


モジリアーニ展: 国立新美術館

モジリアーニ:肩をあらわにしたジャンヌ・エビュテルヌ モジリアーニはずいぶん見てきたが、また見にいってしまった。

 副題は「Modiliani et le Primitivsme」。「原始美術」あるいは「プリミティブ・アート」が初期のカリアティッドのみならず、後期の肖像画にまで及んでいるという考え方である。「細長い首と体肩、アーモンドの目、無表情といったモジリアーニ特有の肖像画には、民俗的な仮面やトーテムの影響が現れていて、プリミティヴ・アートの無個性を通して個性に迫っている」といった説明がなされていたが、実際にはそのように見える画とそうとは感じられない画が混在していた。彫刻を刻んだ体験から、形態の単純化、抽象化の表現のコツをつかんで、肖像画を描いたと単純に考えるほうが受け入れられやすいのではなかろうか。

 また、出品数が約150点とその多さが喧伝されているが、大部分はマティスばりのシンプルな素描で、油彩は小品をいれても50点以下に過ぎない。カリアティッドの彫刻は皆無である。したがって会場の壁は沢山空いていて、いかにも淋しい。もう少し見られるのだろうと思っているうちに出口に来てしまった。いかにも消化不良である。お気に入りは、《モー・アブランテス》の逆さの像、《大きな赤い胸像》の単純な色合い、《NYジャネット&ジョナサン・ローゼン蔵のカリアティッド》の複雑な色合い、《クララ》と《ライモンド》のキュビスム調の鼻筋、有名な《シャイム・スーティ−ン》の肖像、《若いロロット》の装身具、《女の肖像》の黒い服、《黒いドレスの女》のオカッパ、アサヒビール所蔵の《少女の肖像(ユゲット)》、《赤毛の若い娘(ジャンヌ・エビュテルヌ)》、《大きな帽子をかぶったジャンヌ・エビュテルヌ》や《肩をあらわにしたジャンヌ・エビュテルヌ》である。《頭の後ろで手を組み、長椅子に横たわる裸婦》もナカナカ。

(2008.4a) ブログ


マティスとボナール 地中海の光の中に: 川村記念美術館

 今回の展覧会の副題は、「地中海の光の中へ」である。マティスとボナールが親しい友人であったとのことは今回の展覧会で知った。ボナールは、ナビ派のアンティミストであるとともに、ジャポニストであった。マティスは、フォーヴィスムであったとともに、ビザンチンやアラブといったオリエント美術の影響を受けていた。とくにマティスの黒は、東方美術にその出発点があった。このように二人の画家は東方の美術に影響を受けながら、「色彩の魔術師」としてともに色彩を開放していった。二人はともに南仏に定住し、地中海の強い光を受けて色彩の探求の深度を増していった。

T.ボナール1867−1908 ジャポニズムのナビ アンチミスムと装飾:  《格子縞のブラウス》は赤と白のチェック。《山羊と遊ぶ子供たち》と《りんご摘み》は緑と木をモチーフとした二連作。ボナールが画を描くキッカケとなったポスター《フランス=シャンパーニュ》の女性は扇子を持っている。《散歩》は屏風仕立てである。ボナールの撮影した写真が8点も出ていた。《ベッドに座る横向きのマルト、パリの住居にて》、《陽を浴びて立つマルト》、《水浴するマルト》はやや過激な写真である。

U.マティス1869−1929 フォーヴの実験から成熟の時代へ:  《ラ・ムラド(コリウールの風景)》の緑と橙色の色面をはじめ、《ピエール・マチスの肖像》、《座る裸婦》、《モン・タルパンの風景》、《ニースの風景、マルグリット・マティスとアンリエット・ダリカレール》、《横たわる裸婦》、《紫のハーモニー》などお気に入り多数。やはり自分はマティス好きだ。素描もなかなか良い。

V.ボナール1909−1924 地中海の光に導かれて:  《葡萄を持つ女》、《昼食(マルトとジャン・テラス)》、花の美しい《マイヨール賛》、《果物鉢》、《果物かご》、《浴槽の裸婦》はいずれも絶品である。

W.マティス1930−1942 主題と変奏: 新しい探求《刺繍のブラウス》はかわいい小品。《鏡の前に立つ白いガウンを着た裸婦》、《琥珀の首飾りの女》の赤い服、《黄色い服のオダリスク、アネモネ》、《シブールの室内》の椅子や壁と外の緑とのコントラストも最高

ボナール:陽の当たるテラスX.ボナール1925−1947 視神経の冒険:  《白いブラウスの少女(レイラ・クロード・アネ嬢)》の紫、《秋の風景》の点描、美しい《花》、黄色の鮮やかな《テーブルの片隅》、色彩が乱舞する横長の《陽の当たるテラス》はお気に入り中のお気に入り。この章の最後に『私の絵がひび割れせずに残ってといいのだが。紀元2000年の若い画家たちの前に、蝶の羽根で舞い降りたいものだ』というボナールの言葉が出ていた。

Y.マティス1943−1954:  《仰向けに横たわる裸婦》も良いが、《赤い室内、青いテーブルの上の静物》は何回見ても良い。これは「マティス展」でみた。墨で描いた《傾けた首》も巧い。シルクスクリーンの《オセアニア》や切り絵《Jazz》もおなじみ。この部屋の最後に示されていたマティスの言葉、『若い画家たち、理解されていない、あるいは後世になって理解される画家たちよ、憎しみは禁物だ。憎しみは人にとりつき、すべてを食い尽くす。《人は憎しみの中では何かを築くことはできない。愛の中で築くのだ。競争心は必要だが、しかし憎しみは・・・》 反対に、愛は芸術家を支えてくれる』はこの展覧会をみにきたすべての人への強いメッセージのように思われた。

参考作品: 書簡と手帳: 画像にしてあったので見やすかった。写真:下記の写真が良かった。
1. アーサー・ハロンローザー《マティスノアトリエでオダリスクのポーズをまねるボナール》
2. アンリ・カルティエ=ブレッソン《ル・カネのボナールのアトリエの壁》
3. アンリ・カルティエ=ブレッソン《マティス、ヴァンスのル・レーヴ荘にて》
4. ロバート・キャパ《ヴァンス礼拝堂壁画の聖ドミニクの下絵を描いているマティス、シミエのアトリエにて》
5. ブラッサイ《アレッジ荘のアトリエでウィルマ・ジャヴォルをスケッチするマティス》
6. エレーヌ・アダン《レジナ・ホテルの大アトリエ、彫刻を点検するマティス》
7. 《オダリスクの衣裳をするモデル、ジタをデッサンするマティス、ニース、シャルルフェリックス》
8. 《シャルルフェリックスの住居で寛ぐマティス》、
9. 《マティスとジャッキー、ニースにて》

(2008.4a) ブログ


都市スーサとその陶器 イスラム時代の創世期: ルーブル-DNPミュージアムラボ 

 第一部: 展示作品の歴史的・地理的背景を知る。

1) イスラム帝国の誕生、2) さまざまな視点から見る都市スーサ、3) 発掘考古学調査の歴史

第二部: 実際の作品を鑑賞し、素材・器形・装飾を発見する。

1 )陶器製作の技法: 型押文(@、A)、白釉藍彩(B、C)、ラスター彩(D)の技法の実際が動画で紹介される。ラスター彩陶器ができるまでには、温度と酸素条件を変えた2回の焼成工程がある。これはイスラムの大発見!、2) 型押文の陶器と古代の遺産、3) 白釉藍彩陶器あるいは中国の影響、4) イスラムが生んだラスター彩陶器: ここではAR(拡張現実、オーギュメンテッド・リアリティ)を体験することができた。カメラを搭載した小型PCで作品を撮影すると、破損や修復の跡、文様という作品の特徴などのCG合成映像が、実際の陶器作品の上に重なって映し出される。実際にやってみると、CG画像でお皿の裏面が見られ、また割れた状態を再現してみることできた。そこでシャッターを押すとハードコピーがとれる。このプリントは帰る時にもらえた。現在の装置は、重くまたケーブルに繋がっているが、これを携帯端末にしようという壮大な計画のようである。残念ながら今の段階では「調整中」。5) イスラム世界におけるラスター彩陶器

 今まで第1回、第3回、それと今回の第4回と3回見たが、技術的には毎回それなりにイノベーションが見られている。美術品の展示についてひとこと追加すると、展示品が「8−9世紀のもの5点のみ」であるのはルーブルとしてはちょっと物足りない。

(2008.4a) ブログ


ルオーとマティス: 松下電工汐留ミュージアム 

マティス:黄色のドレスとチェックのドレスの女 私が西洋絵画に接するようになったのは、戦後まもなく開らかれたマティス展(1951年)やルオー展(1953年)であるから、思い入れが強い。

 今回の展覧会は「開館5周年 ルオー没後50年 特別展」。モローとマティスは同じ国立美術学校ギュスターヴ・モロー教室の同門であり、長年にわたって2人の間に書簡が交わされていた。この展覧会には多数の作品がフランスから来日している。実際には、90点もの作品が、あまり広くない汐留ミュージアムに展示されているので、息が詰まりそうだった。

第1章 ギュスターヴ・モローのアトリエ: モローの《ナルキッソス》や《ケンタウロス》はすばらしい。ルオーやマティスの初期の作品は、前者の《ゲッセマニ》が目を引く程度で、一言でいえば「暗い」。

第2章 アトリエのモデル/田園風景: この時代の2人の画には共通するものがあった。ルオーの水彩《娼婦―赤いガーターの裸婦》、カラフルな陶器《裸婦の花瓶》やテラコッタ《水差し》はなかなか良かった。

第3章 人物像と風景: マティスの《オリーブの並木道》で、初めて明るく軽い画を見つけてホッとした。それまでの2人の画が暗かったからである。

第4章 サーカス: ここで2人の天分が一気に花開いている気がした。すなわち、ルオーの水彩では、《タバラン‐騒々しい踊り》という青いシャユ踊りに動きが感じられ、油彩《ピエロ》や《女曲芸師》は思い切った厚塗りで、力がこもってきている。銅版画集《流れる星のサーカス》も明るく、軽快さを示している。マティスのほうは有名な切り絵《ジャズ》で、部屋全体がパット明るくなる。

第5章 キリスト教的風景: ここはルオーの独壇場。円形の《キリストの洗礼》は今回のモローのベスト。《夜景又は聖書の風景》も良かった。

第6章 マティス、ルオー、テリアードと『ヴェルヴ誌』: ここでは2人の画家と雑誌との関わりでまとめられているが、私としては個別の作品に目がいった。マティスでは、パリ市立近代美術館の《肘掛け椅子のオダリスク》や《座る踊り子》、そしてポンピードーの《黄色のドレスとチェックのドレスの女》は色彩乱舞である。ルオーでは《花束》という教会のステンドグラスがきれいだった。

 二人の交流についてはブログに書いた。

(2008.4a) ブログ


フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎: イタリア文化会館

小書斎:球体 ルネサンス文化が花開いたウルビーノ公国の君主、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公(1422-1482)は、有能な傭兵隊長であるとともに、人文主義者としての素質を併せもち、多くの教養人や芸術家との交友関係をもとに、宮廷に優雅なルネサンス文化を花開かせたことで知られている。

 フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公が休息や瞑想の場として使っていたストゥディオーロ(小書斎)は一昨年ウルビーノのドゥカーレ宮殿で見た。

 フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公は、ウルビーノの他に、グッビオのドゥカーレ宮殿にも小書斎を持っていたことは今回初めて知った。こちらのほうは、1939年にニューヨークのメトロポリタン美術館に売却されてしまっていたのである。この度、地元の職人達が5年以上の歳月をかけて制作した実物大の高精度な複製が完成した。今回の展覧会では、この複製がグッビオのドゥカーレ宮殿に設置される前に世界で初めて披露されている。ストゥディオーロの中に入ると、ウルビーノで見たものと同じように遠近法とトロンプルイユ手法を用いた「自由学芸」のモチーフの寄木細工装飾である。

 ルネサンス時代のオリジナル陶器がいくつも展示されていた。アボカ美術館所蔵のものとのこと。ピエロ・デッラ・フランチェスカの著作『遠近法論』のファクシミリ版複製などの書籍も展示されていた。中部イタリアにおける人文主義とルネサンスを振り返る素晴らしい機会であった。

(2008.4a) ブログ


蘭亭序: 東京国立博物館 東洋館

王羲之:蘭亭序 永和9年(353)暮春の初め、王羲之は浙江省会稽山陰 の蘭亭(に名士を招いて詩会を催した。せせらぎに浮かべた杯が流れ着く前に詩を賦し、詩ができなければ、罰として酒を飲むという雅宴である。王羲之はその詩会で成った詩集の序文を揮毫したが、これが有名な蘭亭序である。

 王羲之の書をこよなく愛した唐の太宗皇帝は蘭亭序を入手し、能書の臣下に臨書を命じた。欧陽詢の臨書が迫真の出来ばえだったので、欧陽詢の臨本を石に刻し、その拓本を皇子、王孫、功臣に特賜した。しかし、太宗は崩御に際して蘭亭序を殉葬させたため、蘭亭序の原本は伝存していない。

 南宋時代、蘭亭序の収集は過熱し、士大夫は家ごとに蘭亭序を石に刻したと言われ、拓本を元に新たな拓本が作られ、実にさまざまな蘭亭序の諸本が現れるようになった。 今回の特集陳列では、宋時代の各種拓本や、その影響を受けた明清時代の作例が展示されていた。

 注目した《呉炳本蘭亭序(宋拓)》、《定武蘭亭序(宋拓)》、《独狐本蘭亭序(宋拓)》、《行書臨河序軸》、《蘭亭流觴図並蘭亭諸帖墨拓巻》などについてブログに書いた。

(2008.3a) ブログ


ウルビーノのヴィーナス:国立西洋美術館

 

ティツアーノ:ウルビーノのヴィーナス ウフィツィーから来たティツアーノの《ウルビーノのヴィーナス》を目玉に古代ギリシャから初期バロックまでのヴィーナスを集めた展覧会である。

T.ヴィーナス像の誕生ー古代ギリシャとローマ: 赤像式の壷や皿に描かれたヴィーナス像、《アフロディテとアレス、ヘレネとパリス》の刻まれた素晴らしい鏡、カメオに精巧に細工されたヴィーナスなどに舌を巻く。彫刻では、《メディチ家のヴィーナス》は、いるかのような魚の上でキューピッドが遊ぶ支柱に凭れた美しい像で、背部には「ヴィーナスのえくぼ」がはっきりと見られる。ポンペイから出土した《角柱にもたれるヴィーナス》も美しい。1世紀の漆喰に描かれた《ヴィーナス》の色も良く残っていた。

U.ヴィーナス像の復興ー15世紀イタリア: 中世キリスト教社会では容認されなかった女性の裸身像が、ルネサンスとともにヴィーナス像として戻ってくる。絵画としては1458年のプリニウスの《博物誌》に描かれたヴィーナスがそのスタートらしい。ロレンツォ・ディ・クレーディの《ヴィーナス》は、黒をバックにした人間らしい顔のヴィーナス像。

V.《ウルビーノのヴィーナス》と”横たわる裸婦”の図像: 説明によるヴィーナスの画には二つの流れがあるとのことである。一つはジョルジョーネーティツィアーノのベネチア派の流れ、もうひとつはミケランジェローポントルモーアッローリといったフィレンツェ・ローマの流れである。ポントルモの《ミケランジェロの下絵にもとづくヴィーナスとキューピッド》では、ヴィーナスが筋肉質でキューピッドがヴィーナスにすり寄り怪しげである。ジョルジョーネの《眠れるヴィーナス》の流れをくむティツィアーノの《ウルビーノのヴィーナス》も柔らかい肌の女性像であるが、こちらは顔面を紅潮させ、男に対して室内に誘うような視線を投げかけてくる。シーツや枕の皺も淫靡な感じを与える。これはやはり高級娼婦と考えるべきなのでだろう。ティツィアーノ工房の《キューピッド、犬、ウズラを伴うヴィーナス》も《ウルビーノのヴィーナス》の延長線上の作品。一方、アッローリの《ヴィーナスとキューピッド》はとても美しいヴィーナスであるが、体を反らせてマニエリスティックであるのに加えて、少年キューピッドが怪しげである。

W.”ヴィーナスとアドニス”と”パリスの審判”: ティツィアーノの《ヴィーナスとアドニス》のヴィーナスの背中は美しいが、ちょっと広すぎる気がする。ルカ・カンビアーゾの《アドニスの死》のヴィーナスはとても美しい。グイド・ガ・ピサの《地理学》の挿絵は小さいが、単眼鏡で覗いてちょっと驚いた。クラーナハの《パリスの審判》ではパリスが寝ている。

X.ヴィーナス像の展開ーマニエリスムから初期バロックまで: お気に入りは、ティントレットの《ウルカヌス、ヴィーナスとキューピッド》、ヴェロネーゼの《息子アンテロスをユピテルに示すヴィーナスとメルクリウス》、ショモーネ・ペテルザーノの《ヴィーナス、キューピッドと二人のサチュロス》、ルカ・カンピアーゾの《海上のヴィーナスとキューピッド》、アンニバーレ・カラッチの《ヴィーナスとサチュロス、小サチュロス、プットー》と《ヴィーナスとキューピッド》、ラファエッロ・ヴァンニの蛇や鏡のある《キューピッドを鎮める「賢明」》。 彫刻としては、ライオンの毛皮、トカゲ、芥子の実のある《眠るエロス》は大らかな大理石像。

(2008.3a) ブログ

鑑賞会: 池上英洋先生のギャラリートーク: 参加者多数。 Julia, Nikki, kaitaka, Kan, panda, Cos, Monet夫妻、Lapis, ayaco, わん太夫、えみー丸、えりり、えこう、とら・・・。会場入口でミニ・レクチャー。その後会場内で説明。こちらは十分聞き取れない部分もあったが、いろいろと勉強になった。


山寺 後藤美術館所蔵「ヨーロッパ絵画名作展」:大丸ミュージアム東京

 

コロー:サン=ニコラ=レ=ザラスの川辺 山形県出身の実業家・後藤季次郎氏の個人コレクションを中心に平成6年に開かれた美術館からの出張展。展覧会の副題は「ロココからコローとバルビゾン派の画家たち」というから18−19世紀西洋美術展である。

1.宮廷絵画からアカデミズムへ: お気に入りは、グルーズの《小さな数学者》・・・コンパスを持つ金髪の少年。ブーシェの《聖ヨセフの夢》・・・「イエスとマリアを連れて逃げなさい」と告げる天使が艶かしい。ブーグローの《愛しの小鳥》はとてもかわいらしい。カバネルの《アラブの美女》や《パオロとフランチェスカ》、イザベイの《難破船》もなかなか良い。ナティエの《落ち着いた青色の服》はロココの極み。ヴォロンの《糸を紡ぐ女》や《果物お18世紀マルセイユの陶製スープ鉢のある静物》、エンネルの刺激的な半裸《荒地のマグを楽しんだ。

2.バルビゾン派とその周辺: ミシェル《木立の道を行くきこりの荷馬車》、モンティセリ《モスクの前のアラブ人》、ドラペニア《セラグリオの女達》、コロー《サン=ニコラ=レ=ザラスの川辺》、トロワイヨン《小川で働く人々》、デュプレ、テオドール・ルソーなどおなじみの画家の作品が並んでいる。ジャックの《月夜の羊飼い》の月の輝きは印象的であり、《丘の上の羊飼いの少女と羊の群れ》の羊たちは迫力があった。ミレー《ポーリーヌ・オノの叔父ギローム・ルーミィの肖像》、シャントルイユ《黄昏》、デュプレ、ドービニー、アルピニー《月明りの湖》、シェニョー、クールベの豪快な《波》や《ピュイ・ノワールの渓谷》、ドレの《城の夕暮》、リシェ、デュプレなども良かった。

3.ヨーロッパ諸国の絵画: ムリーリョの《悲しみの聖母》が出ていたのにはには驚いた。涙が迫真的である。これは「真作」とキャプションにわざわざ断ってあると、ちょっと心配にもなるが。社交界を描いたパリエイの《夜会》、ターナーの水彩、コンスタブル《少女と鳩》、ミレイ、ポインター《ミルマン夫人の肖像》、ヤコブ・ファン・ロイスダール《小川と森の風景》なども良かった。

(2008.3a) ブログ


常設展:福岡アジア美術館

 

キム・ヨンジン《液体ー右から左へ》 アジアの美術を展示している国内有数の美術館である。2004年2月以来の再訪である。

1.アジアの近代美術から現代美術へ:  アジア諸国でも、伝統芸術の上に西洋美術を受容するという時期を経て、次第にアイデンティティが発揮されるようになってくる。それぞれの地域の歴史や風土によってその過程に相違があることは当然であろうが、このセクションはアジア全体として概観するように展示されていた。 お気に入りは、インドのマハーデーヴ・ヴィヴァナート・ドゥランダール 《トリヴェーニ・サンガムのカーリー女神》とラジャ・ラヴィヴァルマ(原画) 《メーナカーとシャクンタラー》、パキスタンのアブドゥル・レーマン・チュクタイ 《消えた炎》、フィリピンのカルロス・フランシスコ 《教育による進歩》、モンゴルのツェレンナドミディレ・ツェグミド 《オルホル河》、中国のリン・ティエンミャオ(林天苗) 《卵3#》。


2.カラクリ劇場: いくつかの電気仕掛けのインスタレーションがあったが、面白かったのは、韓国のキム・ヨンジンの《液体ー右から左へ》。

3.もうひとつの「韓流」: 韓国現代美術の概観である。 お気に入りは、アン・ビョンソクの《風の波》。

(2008.2a) ブログ

【追 加】 交流ギャラリーで「九州大学先導的デジタルコンテンツ創成支援ユニット19年度発表会」が開かれていた。感想はブログに別に書いた。 


ルノワールxルノワール展:Bunkamura

 

《陽光の中の裸婦+草の上の朝食 ピエール=オーギュスト・ルノワールはよく知っているが、息子の映画監督ジャン・ルノワールについては、実像も映画も知らない。、ジャンが「オヤジの画業を追いかけることが自分の人生だった」と云っていたことを知って、気持ちを入れ替えて観た。

1.ジャンの陶器: 派手な彩色の陶板・陶器が5点出ていた。父親も若い頃陶器の絵付けをしていたので、息子を陶器製作に誘導したのだろう。しかしジャンは弟のクロードにこれを譲り、自分は映画の道に進む。

2.映画監督ジャン: 父親が死んだ翌年、父親の最後のモデルだったアンドレ=マドレーヌ・ユシュランと結婚。 この妻(女優カトリーヌ・ヘスリングと名乗る)のみならず兄ピエール、息子アランを映画に出演させている。自分自身も映画出演したことがある。

3.映画『牝犬』: ここに登場する日曜画家は父親の若いときをイメージしているのだろう。会場で、映画が映されている側に展示されているのはバジールの《ピエール=オーギュスト・ルノワール》。椅子の上に膝を立てて坐っている若いオヤジの肖像である。『アトリエでのピエール=オーギュスト・ルノワール』という記録フィルムも出ていた。

4.映画『ゲームの規則』: ジャン自身が狩りの姿で猟銃を持って出演している。会場では、側に有名な《狩姿のジャン》が掛けてある。映画と同じ猟銃を持ったジャンが仔犬とともに描かれている。ジャンはこの画を生涯手元に置いたという。

5.映画『ラ・マルセイエーズ』: これはフランス革命が勃発した1789年7月14日朝のヴェルサイユ宮殿。ルイ16世に扮した兄ピエールが朝からワインを飲み鶏肉を食べている。会場では、側に父親が描いた《ピエール・ルノワールの肖像》が展示されている。

6.映画『小間使の日記』: お屋敷の息子を愛の願いがかなうという樹の側に誘う小間使。肺病の息子はそれに乗らない。会場では、側に《後姿で横たわる裸婦》と《バラを飾るガブリエル》が飾られている。ガブリエルはそんなに悪い女でなかったはずだが・・・。

7.映画『黄金の馬車』: イタリアの仮面劇団の女優。黒いベールに黒い扇といったスペイン風の服装で闘牛場に現れ、闘牛士にネックレスを投げる。Bunkamuraには《闘牛士姿のアンブロワーズ・ヴォラール》と《スペインのギター弾き》が並んで展示されている。

8.映画『ピクニック』:
(場面1) ロワン河の舟遊び。若い男女。女がヤメようかと思った瞬間に、別な船に乗っていた母親から声を掛けられ、気持ちを変えて鶯のいる土地に上陸する。画はセーヌ河の舟遊びを描いた《風景、ブージヴァル》。

(場面2) 有名なオルセーの《ぶらんこ》の女性に対して、映画では、若い娘とオバアサンがぶらんこに乗っている。ここに若い神父たちが通りかかる。説明には「セーヌ河畔での出会いと失意」と書いてある。これが出会いのシーンなのかもしれない。

9.映画『トニ』: 妻が身投げしたと知って、山道を駆け巡り、海に降りてきて妻の溺死体を運ぶ夫。画は《ヴェルサイユからルヴシェンヌへの道》。

10.映画『草の上の朝食』: マネの画と同じ名前の映画。
(場面1) 教授が見ている中、湖に裸で泳ぐ若い女性。水に反射する光がとても美しい。有名な《陽光の中の裸婦、試作、裸婦・光の効果》を意識した映画である。女性の髪が同じ。泳いでいる裸婦がちょっとだけ正面を見るが、その時の姿は父親の画と張り合っているようだ。光の効果は息子の映画の勝ち。

(場面2) オリーブの樹が写され、牧神の笛の音が聞こえる。対となる画は《レ・コレットの農家》。ル・コレットはカーニューの場所。ルノワールの終の棲家となったところである。

11.映画『河』: インドが舞台で、アメリカ人青年大尉と英国人少女ふたり・インド混血娘との間に繰り広げられる思春期の物語。インド混血娘がバナナの葉を持っている。これに対する父親の画は《バナナ畑》。アルジェリアで描かれたものとのこと。

12.『女優ナナ』: 次の配役を狙って伯爵をベッドに誘う貧乏な女優。ハイヒールの踵が半分取れている。黒白の映像である。これに対する画は黒白の《アルフレッド・ダラス夫人》。

13.『恋多き女』: イングリット・バーグマン演ずる公爵未亡人。これは美人。 1900年の革命記念日の大騒ぎ。伊達男メル・ファーラーと踊り狂うバーグマン。これに対する画は《田舎のダンス》なので大分落ちる。

14.フレンチ・カンカン: 戦後の映画。例の踊りを椅子に座ってニヤニヤしながら眺めているジャン・ギャバン。画は《テアトル・デ・ヴァリエテのボックス席》や《アデル・ベッソン》。

 息子の映画12本、14場面のさわりを見ながら、父親の画を楽しんだ。粋な趣向の展覧会だった。

(2008.2a) ブログ


ロートレック展:サントリー美術館

 

 久し振りのロートレック。前回は2001年東武美術館で開かれた没後100年展。何度も観ている作品が多かったが、今回は展示の方法が良かったのでメモをとりながら3時間かけてジックリと観た。

ロートレック:黒いボアの女T.プロローグ: 都市生活の画家の誕生
 いきなりポスターの《黒いボアの女》が出てくる。厚紙に油彩であるが、背景にはほとんど手を入れず人物、ことに顔を詳細に描いている。これがフランスの国家コレクションに初めて購入した作品とのこと。ロートレックが晩年アルコール中毒や梅毒に犯され入院したことにからんで、新聞で中傷され、1905年リュクサンブール美術館は今回オルセーから出品されている《赤毛の女(みずくろい)》の遺贈を拒絶した。そのような風潮の中でロートレックの重要な作品が外国に流出していったしまったので現在はアメリカに行かなければ彼の代表作は観られないらしい。したがって今回の展覧会のポスターがオルセーから来た地味な作品になっているのも無理からぬことである。

 《初めての聖体拝領》は白い正装の少女がかわいらしく、《ジュスティーム・ディウール》は女性の赤い襟と背景の緑の草の対照が良かった。 ロートレックが描いた「ル・ミルリトン」誌の表紙が何枚か出ていたが、これは1887年のものばかりだった。この新聞は1885−94年にブリュアンが自分の経営するキャバレーのために発行したものであるが、展示の後のほうにはスタンランが描いた表紙が出ていた。これは1891−95年のもので、この頃にはブリュアンはポスターはインパクトの強いロートレック、表紙は説明的なスタンランの画を使ったと説明されていた。

U.ロートレックと大衆文化
 (ダンスホール) 有名な《ディヴァン・ジャポネ》や大きな《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ》などポスターの出番である。ラ・グーリュの脚が高く上がっている写真も出ていた。《ムーラン・ルージュの女道化師》「シャ=ユ=カオ」は襟の黄色、胴着とズボンの蒼、背景の緑、長椅子の赤の対照が良い。アメリカ人ダンサーの「ロイ・ファーラー」は衣装の袖に棒を仕込んで、天女のように舞っているが、それを示す映画が出ていたので、関連作品が十分理解できた。イギリスの踊り子「メイ・ミルトン」が自分で頼んで描いてもらったポスターも良かった。

(カフェ・コンセール:演芸喫茶)
 《大開脚》が傑作である。イナバウアー体勢で反り返えるダンサーのスカートの中を覗き込むエロオヤジ。「シャ・ノワール」という黒猫キャバレー、アイルランド出身でエロティックな歌を唄う「メイ・ベルフォール」の画もあった。良かったのは「連作 カフェ・コンセール」という版画集。《ジャンヌ・アブリル》や《コーデュー》の素早い動き捉える技法、《マダム・アプタフ》の吹きつけ技法など目を見張るものがある。

 イヴェット・ギルベールの話が面白かった。彼女の写真、メダイヨン、彫像を見ても鼻が高く、ツンとすました朗唱家であるが、ロートレックに1894年に頼んだポスターの下絵では鼻が上にひん曲がっている。あまりひどかったので、ギルベールは断ってスランタンに描いてもらったとのことであるが、二つの作品がが並んで展示されている。確かにロートレックのはちょっとひどすぎる。そのまた隣に3年前の若いときのギルベールのポスター(シュレ作)があったが、これは美人!ダンダンふけていく自分の顔だったので、本人が気にしたのだろう。1894年にはロートレックが描いたギルベールの《アルバム》が展示されていたが、下絵のように彼女の鼻をそっくりかえっている。こちらが下絵より後に出版されたものならば、明らかに仕返しである。

 次はいよいよ「アリステッド・ブリュアン」。《アンバサドール》やこれを左右逆にした《エルドラド》が威張っていた。「時代の風潮」という映画があった。ブリュアンが初めに登場し、彼の歌声をバックに、当時のパリの街やカフェの映像が流れる。女優の「アンナ・ヘルト」、カジノの喜劇役者「コーデュー」、スター女優「マルセル・ランデール」を描いたものもあった。

(サーカス)
 白人の道化師フォッティと黒人の苛められ役ショコラの画。二人の映画もあった。

V.パリジャンの日常生活: 自転車、自動車、馬車など。

W 出版文化とロートレック
 《首吊り》、《処刑台の本で》、《ドイツのバビロン》は強烈だった。赤い服の女性を撮ろうとしている《写真家セスコー》はお気に入り。《サロン・デ・サン 54号室の女性船客》の色刷リトグラフには面白い話がついている。ロートレックはル・アーヴルからボルドーに向かう船の上で、この女性に魅せられボルドーで降りずにリスボンまで行ってしまった。船の甲板のパラソルの下で読書に疲れた女性が海を見つめている。

ロートレック:ひとりX.娼館と娼婦たち
 《赤毛の女(みずくろい)》は、いろいろな青を使って赤毛を目立たせている。「彼女たち」はとてもあっさりとしたリトグラフの11枚シリーズ。これが一番良かったかもしれない。《扉絵》のほか、《コルセットの女、束の間の征服》、《座る女道化師 シャ=ユ=カオ嬢》、《ベットの女 横顔 起きかけ》、《お盆を持つ女 朝食 バロン夫人とボボ嬢》、《横たわる女 目覚め》、《体を洗う女 化粧》、《髪を梳る女 髪結い》、《仰向けの女、疲労》、《行水の女》、《鏡の女 手鏡》である。《束の間征服》は油彩にもなっているが、男子の顔はリトグラフはコミカルで、油彩はいかめしい。連作の《仰向けの女 疲労》の下絵《ひとり》はとてもリアル。

Y.劇場と演劇
 《アンリ・サマリー》、《フュードルのサラ・ベルナール》、《アールカド氏》、《ベルト・バディ》、《失神》などが印象的だった。

Z.晩年の日々
 《騎手》のように、馬が出てきた。幼いときに父親が騎乗しているところを描いているがそれに帰趨してきているようだ。

 ロートレックが、19世紀末のパリの目撃者として、その醜さに目をそむけずに描いたアーティストであったことが展示からよく見てとれた。

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上海ー近代の美術(後期):松涛美術館

 

 前期・中期に出ていなかった作品が沢山陳列されている。

呉昌碩:山水図1.花鳥画
 美しい周閑の《百花百果図》、曲がった松を龍に見立てた胡公寿の《老龍明珠図》、竹に白頭鳥を描いた虚谷の《祝寿図》、豪快な牡丹を描いた趙之謙の《富貴図》、70歳=耄=猫・80歳=耋=蝶を描き込んだ任伯年の《耄耋図moutetsu-zu》、呉昌碩の《墨梅図》、兪寄凡の松・鳥・岩《南山頌寿図》、王廷?の《長松幽蘭図》、趙起が蕪・大根・白菜を描いた《蔬菜図》、鄭文しょのデザイン的な《墨松図》。

 拓本を絵画に取り込んだ「博古図」が清末に流行したという。朱?の《博古花卉図》と呉大ちょうの《博古水仙図》が出ていたが面白かった。

2.人物画
 紗馥の仕女画《繊指怯春寒図》、銭慧安の七夕画《ほう新羅仕女図》、潘振繧フ《は橋惜別図》、任預の《鳥巣禅師図》、鄭文?の《無量寿仏図》、王震の《抱甕図》。

3.山水画
 呉昌碩の《山水図》、色彩のきれいな呉慶雲の《春水夕陽図》。

4.書

 呉雲や銭慧安などの《行書七言聯》、胡震や徐三庚の《隷書七言聯》、趙之謙の《楷書額字「苦兼室」》、呉昌碩の蘇軾の誕生日を詠んだ《行書寿蘇詩》、楊逸の《臨蘇軾帖》、趙時綱の《行書古文》。

 李瑞清の《楷書五言聯》の字体は震えるように波打っている。これを「鋸体」というのだそうだ。

 呉芝瑛の《楷書五言聯》》は徽宗の書いた「痩金体」というとのこと。

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