海外美術散歩 04(日本美術は別ページ)
マルモッタン・モネ美術館展 04.1 | 福岡アジア美術館 04.2 | ベルエポックの輝き展 04.3 | 印象派展 04.3 |
アヤソフィア博物館 04.4 | 地下宮殿 04.4 | トプカプ宮殿 04.4 | ドルマバフチェ宮殿 04.4 |
カーリエ博物館 04.4 | イスタンブール考古学博物館 04.4 | 古代オリエント博物館 04.4 | 栄光のオランダ・フランドル展 04.5 |
古代ローマ彫刻展 04.5 | ベン・ニコルソン展 04.5 | MOMA展(4) 04.5 | カバコフ展 04.5 |
エコールドパリ展・ガレ展 04.6 | 唐三彩展 04.7 | デルボー展 04.7 | エルミタージュ展 04.7 |
グッゲンハイム展 04.7 | マティス展 04.9 | ピカソ展 04.10 | |
スーパー・リアリズム展 04.10 | ヨルダン展 04.10 | フィレンツェ展 04.11 | ジャックリーヌ・コレクション展 04.12 |
目 次 ↑
ピカソ展ー幻のジャックリーヌ・コレクション:
川村記念美術館
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この展覧会は新宿の損保ジャパン美術館でやっていたが、そのときには東京都現代美術館でもピカソ展をやっていたので、パスすることにした。ところが今回は川村記念美術館で開かれている。この美術館は、東京からはかなり遠いが、環境が素晴らしく、庭園・レストラン・常設作品も一流であるので、私のお気に入りの美術館である。 ピカソもこのような環境で観れば、新宿の雑踏で観るのとは大分違うのではないかと思い、よい天気にも誘われて渋谷→品川→千葉→佐倉とJRを乗り継いでいった。美術館までのバスは1時間に2本しか出ていないので、慌てずバスを待つことにした。すると駅前のロータリーに佐藤忠良の「夏の像」と淀井敏夫の「風と鳥と少年たち」が青空を背景に立っていることに気付いた。特に佐藤忠良はお気に入りの具象彫刻作家である。そこでデジカメのなかに取り込んだ。 バスに乗って美術館に着くや、チケット売り場の傍にも佐藤忠良の「緑」があった。立像の台座は駅前のものも、美術館前のものも同じアースカラーで、題名の彫りこみかたも同じなので、駅前のものは川村大日本インキ社長の寄贈によるものではないかと勝手に想像した。
昼食を美術館の庭の眺めの良いレストランで摂って元気が出たところで、美術館に入った。1階で常設展を観た後に2階のピカソ展を観るという順序であった。常設展には良い作品が並んでいたが、前回観たことを覚えているものは半分程度であった。 肝心のピカソは良く見慣れたようなものが多かったが、ジャックリーヌの顔にはあまりメタモルフォーゼを加えず美しさを強調しているものが多かった。特に「椅子に座るジャックリーヌ」の青い服は印象的だったので、絵葉書を2枚買ってきた。(2004.12a)
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フィレンツェ‐芸術都市の誕生展:
東京都美術館
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久し振りに上野に出かけた。いろいろな展覧会が並んでいるせいか、あまり混んではいなかった。 ウィフィツィ・ピッティ・パラッチオ=ヴェッキオ・アカデミア・サンマルコ・フィレンツェ大聖堂美術館など約30の美術館から出品されたもので、いくらフィレンツェに滞在しても、普通の旅行者では回りきれるものではない。 都市、絵画、彫刻、金工、建築・居住文化、織物、医学・科学の8部に分けて展示されていた。そしてそれぞれの部の最初には、有名なジョット鐘塔の最下段に配置されていたニーノ・ピサーノの作った6角形の浮き彫りがあり、この展覧会をひきしめていた。 絵画の部には、ジョットのフレスコ画の断片「羊飼いと家畜の群れ」がアカデミア美術館からそして「悲しみの聖母」がサンタクローチェ聖堂博物館から出品されていた。このような14世紀前半の作品を東京にいながらにして観られることは本当に幸せなことである。 ポッライオーロの横顔の「婦人の像」はあでやかな装飾品を身につけた成熟した女性であり、ボッティチェッリの横顔の「婦人の肖像」は清楚なうら若き女性である。このような初期ルネサンスの偉大な画家の優れた作品の前からは離れがたいものがある。 彫刻も素晴らしい。ヴェロッキオの「イルカを抱く童子」のブロンズやミケランジェロの「磔刑のキリスト」の木彫りを見るとルネサンス彫刻の偉大さがわかる。これらが横からも後ろからも観られるようになっているのは心憎い。 金工では、フィルンツェ銀器博物館から出品されているラピスラズリの水差し、セイレンのペンダント、角笛に載った猿のペンダントが目を引いた。 ニーノ・ピサーノの「医学」の浮き彫りは、医師がガラス製の容器を光にかざして病人の尿を検査しているところである。この尿器は「マトゥラ」と呼ばれ、この展覧会にもフィレンツェ科学史研究所から出品されているが、元来はイスラム世界から12世紀にサレルノ大学に伝えられたものがヨーロッパに広がったものである。 フィレンツェ・ラウレンツィーナ図書館からは、「アルマンソルの医術書」のイタリア語訳書が出品されている。「アルマンソルの医術書」はイスラムの有名な医師・哲学者のラーゼス(865‐923頃)の著作で、12世紀にクレモーナによってアラビア語からラテン語に翻訳されていたものであるが、今回のイタリア語訳書は14世紀のものである。またアラビアの哲学者・医師のアヴィケンナ(980‐1037)の「医学典範」もクレモーナによってラテン語訳されているのであるが、今回は15世紀の羊皮紙写本が展示されていた。 特筆すべきは、この展覧会にフラ・アンジェリコの「助祭ユスティアヌスを治療する聖コスマスと聖ダミアヌス」がサンマルコ美術館から出品されていたことである。この画は医学史でも、つとに有名なものである。助祭ユスティアヌスが夢に見たことを画にしたものだそうであるが、彼が失った右足を、二人の聖人が事故で死んだエチオピア人から移植したところであり、当時移植手術は奇跡から現実の医療行為となりつつあったのではないかともいわれている。 聖コスマスと聖ダミアヌスは3世紀に活躍したアラビア出身のキリスト教徒の双生児の兄弟である。二人はキリスト教弾圧によって殉教したが、ペストなどの伝染病から護る聖人であり、メディチ家の守護聖人でもあった。この展覧会にも、ヴァザーリの「聖コスマスとしてのコジモ・イル・ベッキオの肖像」と「聖ダミアヌスしてのコジモ・デ・メディチ1世の肖像」が並んで陳列されている。 このようにヨーロッパ医学がイスラム世界から受け継いだものが多いのであるが、現在の世界情勢を見ると当時の人たちはその変化に驚くことは疑いない。(2004.11a) |
ヨルダン展:
世田谷美術館
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先週北海道の彫刻美術館で観てきた「本郷新」の野外彫刻が、私の住んでいる世田谷区にもいくつかあることが分かったので、それを観にいってきた。まず世田谷区役所の前にある「母と子」であるが、結構大きな子が母親に抱きついている。落ち葉が母の肩に張り付いている。 ついで世田谷美術館に行った。その入口の前には、本郷新の「わだつみのこえ」がある。戦没学生の鎮魂の像である。札幌にも同じものがあったが、置かれた環境が違うと、こうも違うものであろうか。ついでといっては失礼だが、ヨルダン展を覗いてきた。
狭い通路を入っていくと、いきなり大きな建物が出てきた。ペトラ遺跡のエル・ハズネ宝物殿とのこととである。さっきの細い通路は「シーク」という岩の道を模したものであった。これはBC100-AD200に栄えたナベテア王国の都だったという。 BC7300-500という新石器時代のアイン・カザル遺跡から出土した世界最古のヒトガタ(人形) は本当に面白いものであった手術痕が4つある頭蓋骨は、前期青銅器時代のものだというが、一体どんな手術をしたのであろう。このようにヨルダン自体の文化は、骨製象嵌用装飾板、ディル・アッラー壁画、銅版死海文書にもみてとれる。 しかしその後は、ギリシャ、ローマ、ビザンチンなどの文明の影響が強くなり、最後にはイスラム文化となってしまう。ここも文明の十字路、宗教のせめぎあう場所なのである。ヨルダンのアンマンから、隣国イラクに入って、過激派に殺害された若者の姿が、「わだつみのこえ」の像に重なってみえてきた。戦争による若者の死、それはいずれの時代においても最大の悲劇である。(2004.10a)
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スーパーリアリズム展:
北海道立函館美術館
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しばらく前にグッゲンハイム展に行った。出口に近い最後の場所に展示されていたのが、リチャード・エステスの[グッゲンハイム美術館」であった。初めは単なるカラー写真だと思って出口から出そうになったが、何か気になるものがあって、引き返してよく観ると、なんとこれがスーパーリアリズムの油彩画なのであった。 今回、たまたま函館に出張することになった。ネットで調べると、道立函館美術館で、「スーパーリアリズム展」をやっているという。少し早めに函館に着くことにし、飛行場からタクシーで美術館に直行した。 美術館は五稜郭公園の傍にあり、素晴らしいブロンズ像が迎えてくれた。エステスのものとしては、「ウェイバリー・プレイス」と「スタテン・アイランド・フェリーからマンハッタンを望む」、「角のショウウインドー」、「ベーグルノッシュ」の4点が出品されていたがいずれも素晴らしい風景画であった。 その他に、チャールズ・ベルの「ビー玉5」など3点、チャック・クロスの点描画「スーザン」2点、、ロバート・コッティンガムの看板画「ミラー・ハイ・ライフ」と「キャンディ」、ドン・エディの美しい静物画あるいは風景画、ジョン・カシアリーの下着姿の女性腰部画、リチャード・マクリーンの馬の画3点、ロン・くリーマンやロバート・ベクトルの自動車の画など傑作揃いであった。 このような良い作品たちが、岩手県立美術館・いわき市立美術館・熊本県立美術館・北海道立函館美術館を回ってアメリカに帰っていくのであるが、東京・大阪などで観られないのはどうしたことなのであろうか?函館のスーパーリアリズム展を観ていたのは、その時間帯では私ただ1名であった。 常設展の「田辺三重松」展にも、激しい色彩の良い画が多かった。(2004.10a)
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ピカソ 躰とエロス展:
東京都現代美術館
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地下鉄清澄白河駅から雨だったのでタクシーを拾って行った。ピカソの絵はもう何枚も見ているが、ちょっと話題になっているので見にきたのだ。キュビスムの女の人の絵は今までにも何枚も見ている。横顔と正面の顔が合わさったような、美人のモデルもだいなしになる姿だ。 今日もそういうものもあったが、もっと体がバラバラに分解された表現があり、これは「破壊的変貌表現」ともいうのであろう。 足や腕が丸太や棒のように分解された身体表現、でも色使いもタッチも丁寧で見ていて美しい。彫刻でもそんな表現のものがあった。 また話題のエロスだが、想像していたよりは穏やかなものであった。これもキュビスム的な表現で描かれているからであろう。会場は広々していて、すいていたので心ゆくまで鑑賞が出来た。 昼食をとって元気になり常設展も見た。(2004.10t) ピカソの変貌の時期の作品が集められており、彼がどのように身体をメタモルフォーゼしていったのかが、よく分かるように配置されていた。1970年、フィラデルフィア美術館で観た「ピカソ・エロチカ」にくらべれば、ずっとおとなしいものが集められていた。 ネットでクーポンをプリントアウトしていったら200円引きとなった。チケットには二次元バーコードが付いている。 時代は毎日のように進んでいる。(2004.10a)
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オランダ・マニエリスム版画展: 西洋美術館
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1600年ごろのオランダで、イタリアに端を発したマニエリスムが見事に結実した。 その中でも有名なのが、ヘンドリク・ホルツィウスのエングレーヴィング版画である。マティス展の附録のようになっていたが、よく見ると非常に精緻な技法である。 ホルツィウスの「聖母の生涯」の6点連作はとりわけ優れているが、その中でもキリスト割礼は拡大鏡をかけた外科医?のような男がメスを握っているところがヴィヴィッドに描かれている。 左図のピエタも秀作である。 オランダのマニエリスムは反写実と写実の中間にあり、17世紀写実絵画への橋渡しとなっているような気がする。(2004.9a) |
マティス展: 西洋美術館
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マチスはポンピドー展で沢山見たので今度はどうしようかと思っていたが、爽やかな秋晴れに誘われてつい上野に出かけてしまった。朝9時半開場の少し前に着いたが、もうたくさんの人が並んでいる。マチスの人気はすごい。私も好きな画家の一人である。 平面的な構図だが、色彩がなんとも良い。RIMPA展にもマチスの作品が出ていたが、なるほど装飾的要素に富んだ絵が多い。今回の展覧会では1枚の画が出来るまでに何度も何度も書き直していることが記録として残っっている。ピカソが才能の人であれば、マティスは努力の人だったのではあるまいか。 好感度作品としては、「赤い室内、青いテーブルの上の静物 」、「大きな赤い室内」、「ナスタチウムとダンス」、「ブルーヌードU」、「窓辺のバイオリニスト」、「豪奢U」、「トルコの椅子にもたれるオダリスク」、「夢」、」マグノリアのある静物」、「金魚鉢のある室内」、「ポリネシア、空・海」など多数である。 マティスが「白い服を着た若い女、赤い背景」を描いている映画のビデオがその画のそばで流されていて面白かった。マチスにしても白い顔に眉を書く前に、筆が何度もためらっているのが良く見てとれたからである。 (2004.9a)
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グッゲンハイム展: Bunkamura
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ここのところの猛暑のため美術館めぐりを中止していたが、昨日の夕方少し風が出てきてしのぎ易くなったので、Bunkamuraへ行ってきた。 展示作品は粒揃いで、予想以上のものだった。 ルノワールからウォーホルまでという副題であるが、ルノワール・スーラ・セザンヌ・ゴッホ・ルソーなどいまや19世紀の古典となってしまった画家の作品に始まり、ピカソ・ブラック・レジェ・ドローネ・グリス・バッラ・クレー・モンドリアン・ファイニンガー・カンジンスキー・マルク・シャガール・クプカ・マティス・ピカビア・ドラン・ボナール・アルプ・キリコ・エルンスト・マグリット・ダリ・タンギー・ミロ・ジャコメッティ・デビュッフェ・スーラージュ・アルトゥング・タマヨ・アペル・ポロック・ロスコ・ゴットリーブ・フランシス・マザウェル・ラウシェンバーグ・リクテンシュタイン・ウォーホルなどなじみのある20世紀画家の優れた作品が展示されていた。 画の数も多からず少なからずちょうどいい数で、もう一度逆行して観ると、戦争と混乱の20世紀に生れたいわゆる『現代絵画』の全貌が俯瞰できる。このような現代絵画を初めて大原美術館で観た時には、大分抵抗感があったが、今ではすんなりと受容できる。これは自分が20世紀人間から21世紀人間にと進化したことによるのかもしれない。 この展覧会で問題があるとすれば、コストの高さであろう。入場料1500円(家内は東急カードを持っていたので1400円)はともかく絵葉書1枚が157円というのは暴利といっても良い。このような問題については美術愛好家も声をあげてもいいのではないか。(2004.7a)
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エルミタージュ美術館展: 江戸東京博物館
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昨日、たまたま高校の同級生がやってきた。1年半前に心臓手術を受けたのであるが、元気になってエルミタージュ美術館に行ってきたという。ポーランド辺りからのツアー客が多く、大変な混雑であったそうだ。お土産にハードカバーのカタログを買ってきてくれた。英語版は売り切れだったので、ドイツ語版となってしまったとのこと・・・しかしこんなに重いものを病後の彼がもってきてくれたのにいたく感激!! このことで、今日から両国で「エルミタージュ美術館展」が始まることを思い出した。こちらも初日から混雑しているのではないかと考え、開場時間の9時30分に滑り込んだ。例によって入口付近は混んでいるが、中のほうは悠々と観られる状況であった。やはり早起きは三文の得ということか。 展覧会は3部に分かれていて、第1部はサンクトペテルブルグの街が出来るまで、第2部がエカテリーナ宮廷の装飾工芸品、第3部がエルミタージュ絵画ギャラリーとなっている。 第1部でいろいろ勉強させ、第2部で溜め息をつかせ、第3部で締めくくると言う筋書きなのである。しかし絵画は意外に少ない。絵画は1部屋のみでパンチの効いた作品がほとんどなく、また第1部・第2部で疲れているせいか、絵画の前で長く足を止める人は少ない。これから観にいく人にアドバイス:この展覧会は第3部から、第2部、第1部と逆行すのが良いかも・・・。 絵画では以前に観たものもあったが、カルロ・ドルチの「聖チェチーリア」、ルーベンスの「田園風景」、ヨルダーンスの「家族の肖像」、ヤン・ステーンの「婚姻契約」、ヴァン・ローの「ペルセウスとアンドロメダ」、ブーシェの「キューピッド」などが印象に残ったが、なにせ数が少ない。 欲求不満気味で会場を出ると、ロビーにIBMの「情報ステーション」が置いてあり、インターネットでも公開されているエルミタージュの館内ツアー3時間コースや美術品150点を簡単に(無料で)見られるようになっていた。 これをじっくりと観て欲求不満を解消させた。 昨日からのエルミタージュ三題噺はこれでオシマイ。(2004.7a) |
デルヴォー展-その生涯と人物像: 新潟市美術館
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今朝9時から10時までNHKで放映された「日曜美術館」の「アートシーン」でこの展覧会の紹介があった。 デルヴォーはなんとなく気にかかる画家であり、わが国でも何回かその展覧会が開かれているが、いつも見逃していた。今回も新潟・宮崎・福岡・名古屋・福島と巡回するため、やはり見逃ししまいそうな気がしてきた。そこで思い切って新潟に出かけることにした。 自宅を10時半に出発し、新幹線で新潟まで往復してきた。そして今この日曜美術館の20時からの再放送を見ながら、この文章を書いている。新潟滞在時間2時間半という超スピードであったが、新潟市美術館がそれほど大きくないので、この企画展のみならず、常設展も2回にわたって詳細に観ることが出来た。会場は大変空いていてもったいないほどだった。 デルヴォー特有の非現実味を帯びた作品ばかりであるが、完成作に達するまでに多くの習作を描いていることに感心した。なんとなくマグリットと相通ずるものがあることを感じていたが、デルヴォーの画の中にマグリットの作品を取り込んでいるものもあった。また女性の肖像画のモデルが着ている緑の柄のワンピースも展示されており、関係者のサービス精神に脱帽した。 デルヴォーの画に出てくる女性たちは、官能的で男性を誘っているかのようであるが、実際には男性を冷たく突き放すような女のようでもある。母親から恋人タムと無理やり別れさせられ、「女は男を破滅させる悪魔」と吹き込まれながら、後年タムと偶然再会して結婚したという彼の遍歴がこのような女性像を作り出させたのであろう。好感の持てた画としては、「噂」、「ジュール・ベルヌへのオマージュ」、魔女たちの夜宴」、「フルート奏者」、「海辺の夜」、「青い長椅子」、「テラス」など沢山あり、わざわざ新潟まできた甲斐があった。 常設展にもすばらしいものが多く、以前に観たボナールの「浴室の裸婦」の他に、ルドンの「黄色いケープ」と「丸い光の中の子供」、グリーンの「レッド・ラウンジ」を始めとし、カリエール・キリコ・エルンスト・マグリット・ミロ・ピカソ・クレー・レジェの素晴らしい画が並んでいた。また彫刻も一級品ばかりであった。(2004.7a)
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唐三彩展-洛陽の夢:サントリー美術館
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唐三彩の馬などは今までにも何回か観ている。今回の展覧会はどうしようかと迷ったのであるが、今日は素晴らしく爽やかな良い天気に誘い出されて、サントリー美術館に行った。赤坂見附も久し振りだったので、立派な地下通路が出来ていて驚いた。赤坂見附は通学で3年間乗り降りしていたところであるが、まるでおのぼりさん状態であった。 実際に展覧会を観て驚いた。今までの自分の知識がいかに貧弱なものであったかを思い知らされたのである。 第1章:唐三彩への道では、漢・隋のもので、三彩に先立つニ彩の陶器がいくつも出品されていた。なかでも緑褐釉桃都樹は鶏・鳥・猿・人・蝉等を配した不思議な大きな樹であり、その創造性に目を見張った。 第2部:恭陵・哀皇后墓の焼き物では、唐初期の陶器が陳列されていた。発展段階の三彩陶器もあったが、単彩の瓶や鉢の藍・褐・緑色は素晴らしいものであった。 第3章:華麗なる唐三彩の世界には、7世紀末から8世紀のものでわれわれが慣れ親しんだあの色の馬や駱駝が多いのであるが、鎮墓獣や天王俑もいくつも出品されており、それらのイマジネーションと色彩感覚の豊かさに感嘆した。西アジアとの交流を実証する陶器も多く、美術品の国際性に改めて感心した。なかでも三彩孔雀形角杯は最近トルコで再会したリュトンそのものの陶器版で、懐かしい気持ちになった。 第4章:三彩・その後では、中唐以降次第に三彩が衰えていくが、北宋では舎利塔等の華やかな作品が残っていることが示されていた。 第5章:三彩・参考資料では、窯址から出てきた型(陶範)が面白かった。(2004.7a)
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視線のエレガンス-パリを描く / エミール・ガレ没後100年展:北海道立近代美術館
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札幌には何度も来ているが、この美術館に来ようとするとなぜか休館だったりして縁がなかった。今回も企画展は東京で観た香月泰男展だったので、どうしようか迷ったが常設展だけでもと思って、出かけてみた。 前庭には、本郷新の「嵐の中の母子像」があり、たくさんのモビールのような作品が並んでいた。入り口には大きな安田侃の作品があった。ここでも65歳以上は無料となっていたが、450円を寄付した。 1階はパスキンなどのエコールドパリがかなり多数陳列されており、驚いた。パスキンの奥さんのエルミ−ヌ・ダビットの作品には今回始めてお目にかかった。女性らしい細やかな視線の画であった。 2階には、ガレの作品が並んでいた。今年は没後100年といことで各地で回顧展が開かれるが、これもその一つである。ただ札幌にこれほど多くの作品があるのには驚いた。彼は企業経営にたけた産業芸術家で大量生産したことが知られており、100年後の今でも沢山のガラス器が世界中に残っているのだろう。 ガレはもともと植物学者でスタートしたため、そのガラス工芸は動植物がデザインされたものが多い。それぞれに意味があるとされているのであるが、ここにはあまり説明が書かれていないので、残念ながら十分な理解をしないまま通り過ぎた感がある。アールヌーボーの巨匠であるが、私にとっては、ちょっとしつこすぎると感じられるものも少なくかかった。(2004.6a)
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カバコフ展: 森美術館
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とにかく驚いた。部屋に入るといきなり大きな足が何本か立っている。それも天井まで届いており、身体の部分は天井の上ということらしく、私たちには見えない。 そして壁面上部には、額縁に入ったアカデミックな画の下半分だけが、裁断されて掛けられている。 壁面中央には、旧ソ連時代の写真と詩がずらりと並んでいる。 さらに床の一部が抜けており、その下には明るい草原が見えている。 この展覧会の副題は「私たちの場所はどこ?」となっている。古典絵画と巨人は「過去」、ソ連時代は「現在?」、そして床下は「未来?」という時代とスケールが異なる3つの展覧会が同居しているという構成になっているらしい。 そしてこのカバコフ夫妻の「トータル・インスタレーション」の中では、私たち自身が複数の時代の価値観を持つ不思議な存在であることを自覚するように仕組まれている。(2004.5a)
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MOMA展: 森美術館
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MOMA展は上野の森美術館で1993年、1996年、2001年と立て続けに3回見ているし、また六本木という街自体のザワザワとした雰囲気にいるので、今回の六本木の森美術館のMOMA展はパスしよう思っていた。 しかし新聞販売店から、家内が申し込んだ招待券が2枚届いた。展望台と2つの展覧会セット券で、休日に使えば2人で4000円というものであるので、もちろん出かけることになった。 六本木ヒルズは、極端な人工空間で、誰が設計したか知らないが、迷路の連続のようなユーザー・アンフレンドリーの構造物である。それはさておき52階のスカイビューはなかなかのものであり、52ー53階の森美術館は広大な面積を占めている。 肝腎のMOMA展は前3回と重複しているものが16点もあったが、2回目に観るのも悪いものではない。作品自体は同じであっても観るほうが変化(進歩?)しているからである。特に最近の現代美術には難解なものが多く、以前には拒絶反応があったものも、今回はかなり許容範囲となってきている。 この展覧会の主題は「モダンってなに?」となっているのも、このような進化過程にある観客が多いことを考えてのことであろう。第1部(1880-1920)は「根源に戻って」と銘うたれている。モネ・ゴーギャン・ドラン・ピカソ・ルドン・バッラ・デ=キリコ・ムンク・シーレ・ノルデ・キルヒナー・ヘッケルなどに始まり、デ=クーニング・ゴーキー・ポロック・ベーコンなど以前でも何とついていけた画家のものが並んでいる。 第2部(1920-1950)の「純粋さを求めて」でも、ピカソ・マティス・レジェ・モンドリアン・オキーフ・マレーヴィチ・カルダー・クラインなど知っている画家の作品もあった。しかし約半数は聞きなれぬ画家のものであったが、それでも十分に理解できた。イヴ・クラインの「青のモノクローム」の前に立つと、われわれが映っており、観客も画の一部にとりこまれているようであった。 第3部(1950-1970)の「日常性の中で」では、ポップアートが中心であり、分かりやすいものが多かった。ゴンザレス=トレスの「USAトゥディ」は青・銀・赤で包まれたキャンディが部屋の隅に積み上げられており、観客はこのキャンディを一つずつ取っていってもよく、これは絶えず補充されることになっていた。ここではこの「作品の可変性が具現化」されていた(カタログの受け売り)。左の図は、このようにしてもらったキャンディの包み紙。中身は食べてしまったが、現代美術ならこれもアート?(題名:USA Today Part2) 第4部(1970-現在)は「変化に向って」では次第に分かりにくい作品が増えているが、インターラクティヴな作品にはそれなりに納得できるもものがあった。ロングの「キルニケーサークル」は「どのように石を並べるのか?」と学芸員?にきいてみたが、しっかりとした答えが返ってこなかった。帰ってカタログの説明を見ると、「作家の大まかな指示に従い、設置作業に携わる人の参加を得て作られるので、設置の度に自然の可変性に応じた姿を示す」としっかり書いてあり、学芸員?の勉強不足に驚いた。(2004.5a)
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ベン・ニコルソン展: 東京ステーションギャラリー
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この展覧会は、葉山の神奈川県立近代美術館、名古屋の愛知県美術館ですでに開催されていたものであるが、最後にやっと東京にきた。 私は以前にテートギャラリー展で観た「ギター」という作品の印象が強く、今回の展覧会を待ち望んでいたのである。 そこへ特別内覧会への招待状が来たので、無理して仕事場を抜け出して観にいった。開会式には、ベン・ニコルソンのお孫さんも出席されていたが、中年の大柄な方であった。
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ヴァチカン美術館所蔵 古代ローマ彫刻展:国立西洋博物館
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先週イスタンブール古代博物館で観て来たアルカイック時代・ヘレニズム時代・ローマ時代の石棺、彫刻と連続・重複しているものなので、東京都美術館でフェルメールを観た後、西洋美術館に足を運んでみた。 ローマ時代の彫刻は現代の彫刻よりすくなくとも劣っているものではないことは容易に実感された。芸術については、時代とともに進歩するものではないことは当然であるが・・・。 BC30年ごろの「ヴェールを被った老人の肖像」、BC40年ごろの「若い女性の肖像」などは表情が良くでており、AD200年ごろの「オンパレの姿をした女性立像」、「アドニスの神話の表された石棺」などには技術の粋が表れており、カエサル・アウグストゥス ・トラヤヌス・カラカラ帝の肖像にはそれぞれ威厳があったのであるが、キリスト教文化の広まりとともに、伝統的ローマ世界を支えた肖像の歴史は終わりを迎え、文化の中心はイスタンブールを中心としたビザンツ帝国に移っていくのである。西洋史の教科書を見ながら、この辺のところをもう一度整理してみたい。(2004.5a) 私は絵画には興味があるが、彫刻にまではまだ興味が深まっていない。しかし「芸術はつながっているもの。食わず嫌いはダメ」と主人にいつも言われているので、ついていった。 例によって、頭部だけの彫刻が並んでいる。表情からその人の性格を推察出来るが、彫刻が造られるほどの人だからどれも口をキュッと締めて意志が強く厳しい性格のようだ。 青銅、玉、色石で造った胸像もあったがやはり大理石製のもののほうがしっかりとその人の表情が出るようだ。 次にお墓の装飾レリーフでは、大理石に浮き彫りされているものが素晴らしい。4頭立て戦車競走の図柄になっているものは、奥行きを感じさせ いかにも写実的だ。後でカタログの説明を読むとその図柄の一つ一つに意味があることが分かり面白い。カタログは重いが、買っておくと帰ってからゆっくりと復習でき、展覧会を2度3度楽しむことが出来る。しっかり観た積りでも案外すぐ忘れるので、カタログは大事だ。(2004.5t)
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ウィーン美術史美術館所蔵 栄光のオランダ・フランドル絵画展: 東京都美術館
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ウィーン美術史美術館からフェルメールの「画家のアトリエ(絵画芸術)」が初来日したといって大騒ぎになっている。確かにこれはフェルメールの作品の中では大作であるから見ごたえがある。 しかし寓意画であるため、今から観ると随分独りよがりのところも多い。むしろこれはヒットラーが安く叩いて買い上げ、戦争が不利になるや、岩塩坑に隠しておいたという数奇な運命にもてあそばれた画として有名なのであろう。 出口のミュージアム・ショップに置いてあった複製画で観なおしてみると、「牛乳を注ぐ女」などの素朴な風俗画のほうが、私には良いように思われた。フェルメール自身、最後までこの画を手元に置いておいたそうであるから、自分では気にいっていたのであろう。やはり当時は歴史画や寓意画の地位が高かったためであろうか。 むしろ、スプランゲル、ヤン・ブリューゲル、ルーベンス、フーケ、ヴァン・ダイク、シベレヒツ、レンブランド、ダウ、ライスダール、ヤン・ステーン,ボルフ、デ・ヘームらの作品に見ごたえのあるものが多かった。(2004.5a) フェルメールという画家はその作品が少ないということで、その作品一つ一つが貴重なものとなるのだ。「青いターバンの女」が来た時は見逃したので今回は是非行かねばと出かけた。確かに「画家のアトリエ」は、大きい作品だ。これが、単にモデルを前に絵を書いている画家のアトリエの風景でなく、そこにはいろいろな意味が隠されているのだという。壁にかかる地図の皺一つにも、真鍮のシャンデリアの上部の双頭鷲にも、モデルの持物、画家の衣装、机の上の品らにも皆意味があり、それを計算して描いたのだ。 なんともややこしい作品だ。絵自体は細密に、質感豊かに描かれているすばらしい作品だが、寓意を知ろうとすると頭が痛くなる。(2004.5t)「追記1」:連休中に観た時には、かなり混んでいて、アブラハム・テニールスの「猿の煙草嗜好団」と「猿の床屋に猫の客」を見逃してしまった。今年はサル年ということで「猿の西洋画」に凝っているので、そのままにしておくのはいかにも心残りである。そこで、博物館平成館で開かれている「空海と高野山」展を観た後、もう一回この展覧会を観にいくことにした。幸い東京都美術館が7時まで開いている日だったので、空いていてゆっくりと見られた。お目当ての猿の2枚に画だけが反対側にかかっており、これでは見逃すのも当然の配置であると思った。スプランゲル、ヤン・ブリューゲル、ルーベンス、ヴァン・ダイク、シベレヒツ、レンブランド、ダウ、ライスダール、ヤン・ステーン、ボルフ、デ・ヘーム、フェルメールの名品を見直した。しかし二つの展覧会をハシゴして疲れたので、タクシーで帰宅する破目になった。(2004.5a) 「追記2」:カタログを見ると、「画家のアトリエ」の地図の外枠に署名があるとなっている。展覧会場ではまったく気がつかなかったが、確かに署名がある。そこで自分のBBSにこのことを書いたところ、「これでしょう」という書き込みがあった。調べてみると、それはEssential_Vermeerという有名なサイトからコピーしたものらしい。しかしどう見ても、実物とは違って見える。
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バビロニア・アッシリア・エジプト・ヒッタイトの遺物が陳列されている。特に馬やライオンのレンガのパネルがいくつも並んでいるのには驚いた。有名な「カディットの平和条約」はガラス窓で仕切られた場所に収納されていた。(2004.4a) このライオンのパネルは2000年に「メソポタミア文明展」で見たことがあったので、入った時何枚も並んでいるので、壁のデザインとして現代に作られた偽物と思った。しかし本物であることが分かりビックリした。どういうふうに作られたかは分からないが、どれも同じサイズで多少顔は違うが、紀元前に作られたものがこんなによい状態で見られるというのは信じられない。行列道路に両側60頭ずつ並んでかざられていたそうだから、その道を歩いたらさぞ勇壮なことであったろう。(2004.4t)
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4月16日から足掛け10日間のイスタンブール旅行に行ってきた。イスタンブールは東西文明の十字路とあって、素晴らしい美術作品に出会い、これを堪能してきた。 カーリエ美術館は、小さい教会であるが、キリストとマリアの生涯が描かれたモザイク画とフレスコ画がある。これはオスマントルコ時代にイスラム教のモスクに変えられ、その際に漆喰で塗りつぶされていたものを1947年に修復され、蘇ったものである。英文の写真集を買って、一点一点なめるように鑑賞した。 ここはまさしく14世紀ビザンチン・ルネサンスを代表する美の殿堂である。本当に至福の時を過ごした。(2004.4a) カーリエ美術館は細い山坂のあるごちゃごちゃしたところにある。見事なものが、天井、壁いっぱいに描かれている。天井は結構高いので、真上をずっと見ていたら首が痛くなったほどだ。首の後ろに手を当てがって、ゆっくりと鑑賞した。団体で来た訳でないので時間に制限されず私たちのペースで心行くまで鑑賞できたのが嬉しい。(2004.4t)
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この新市街の宮殿はトプカプ宮殿と違い現役の迎賓館である。大使の間では、6月にNATOサミットでブッシュ米国大統領もここにくるということで、シャンデリアの掃除?が行われていた。(2004.4a) 迎賓館ということで、ここはある程度の人数がまとまってここの宮殿専用のガイドに従って廻るのだ。とにかくシャンデリアがどの部屋もすごい。バカラ製で、1トンとか重いものでは4トンといったものだ。またいわゆるペルシャ絨毯もその大きさに驚く。 ボスフォラス海峡沿いにあり、庭から船の乗れるようになっていた。(2004.4t)
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ツアーで出かけたのであるが、韓国・香港・マレーシアの人たちと一緒で、昼食時に、一夫多妻などなかなか面白い話が聞けた。 宮殿は歴代スルタンの強大な権力を物語る豪奢なものであり、宝物館で トプカプの短刀にも再会したほか、有名な86カラットのスプーン職人のダイヤモンドにもお目にかかった。しかし多くの宝物は2003年に東京で開かれたトルコ三大文明展で観たものであった。(2004.4a) 回廊脇の昔厨房だったという広い部屋に陶磁器展示室がある。飾り気のない天井が高い無味乾燥な部屋に置いておくのはもったいないような素晴らしい、中国の青磁、染付や日本の伊万里がある。大きな皿、大きな器がとても良い状態でしかもとても沢山残っている。時代とともに中国の染付けの水注に銀の蓋や飾がついたりしてきて、いかにもオスマントルコっぽくなってくる。 この宮殿は今や博物館になっている。(2004.4t)
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ブルー・モスクを見学し、道端のレストラン?で昼食後,地下宮殿を見た。列柱には浮き彫りが施され、清冽な水の中には鯉が泳いでいた。奥まったところでは、横向き・逆さ向きのメドゥーサの首が基石となっていて驚いた。(2004.4a) 地下宮殿というから何かと思ったら、地下の貯水池なのだ。はるか黒海から水を引いてきたとのこと。単なる貯水池なのに、大理石の柱は芸術的だし、装飾がほどこされている。だから、宮殿という名がつくのであろう。(2004.4t)
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前日12時間半かかってやっとイスタンブールに着いた。 まずはアヤソフィア博物館を見たいと、タクシーで旧市街に出かけた。ここはビザンチン時代にキリスト教会として建てられ、オスマン・トルコ時代にはモスクとして使われていた大聖堂。 正面の後陣の上方には、有名な聖母子のモザイクがあるが、実際のところ遠くてよく見えない。これをよく観るためにはオペラグラスが必要である。その両翼にはイスラム教の円盤があり、金色の文字が書かれている。後陣下部のステンドグラスが美しい。 2階には石畳の曲がりくねった道を登っていく。漆喰の下から現れた2階回廊のモザイクは本当に素晴らしい。(2004.4a)
出口にはもう一つ素晴らしいモザイクがあるが、見逃さないようにと親切にバックミラーがつけてあった。 このアヤソフィヤは外観が赤く、ほかのモスクと違っている。大ドームは半分工事中で天井まで高く足場が組まれていた。しかし、お目当ての聖母子のモザイクは、後陣の半円ドームにあるのでよく見られた。うっすらとライトアップされていていかにも神々しい感じだ。その下にはイスラムのミフラーブ(メッカの方向を示す壁)があるのだから、キリスト教とイスラム教が共存している、世界でも珍しい場所と思う。(2004.4t) (附)すぐ傍にある有名なブルーモスクに入ってみた。内部のステンドグラスは素晴らしく、ドームの色彩もすばらしいイズニック・ブルーであった。 モスクに入る時は女性はスカーフを被らねばならない。私もスカーフを被って入った。もちろん靴も脱ぐ。敬虔なイスラム教の人は入る前に足と手、頭も洗って清めてから入るのであって、入り口には蛇口が並んでいて、皆足など洗っていた。中はすごく広く絨毯が敷き詰められている。女の人用の礼拝場所が後ろのほうにあった。(2004.4t)
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印象派展というと入場者が多いため、あちこちでしょっちゅう開かれている。今回もその手のものかと思っていた。美術愛好者のBBSを見ても、あまりポジティブなサポートがない。このような美術展は行くのも癪だし、かといって観ないのも癪だと思って迷っていた。しかしこの連休もなんとなくコンピュータの前で過ごしたので、運動を兼ねて観にに行くことにした。 ルノワールは子供や女性あるいは花の画は上手いが、風景画はいただけない。「アルジャントゥイユの鉄橋」にしても、今回出品されているモネの同名の作品にくらべるとはるかに劣っている。モネの風景画は本当に水の描写はうまい。心が和むものが多く、若い女性に人気があるのもよく分かる。シスレーやピサロの作品は、小さくまとまっているがパンチがない。ピサロがルーブルを一日の時刻を変えて描いた画が3枚並んでいたが、モネの大聖堂や積みわらのような劇的な変化がない。やはりモネは光に対して特別なレセプターを持っていたのであろう。新印象派やアンティミストの作品もよいものが多かった。 個人蔵がほとんどである。公立美術館がいい加減に購入していると言う意味ではないが、やはり自分でお金を出す以上、十分に吟味して購入されるのだろう。カタログは開きやすい製本で、アルバム風のしゃれたものであった。(2004.3a)
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パリ1900-パリ市立プティ・パレ美術館: 東京都庭園美術館
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東京都庭園美術館は白金台の旧朝香宮邸を美術館として公開しているものである。前世紀初めに欧州で流行したアールデコ様式を現在に伝える貴重な建物である 今回のベル・エポック、すなわち第1次世界大戦前のパリのもっとも輝いていた時代の美術品を展示する場所としては、ぴったりの建物であることは間違いない。大体、入り口のファサード自体がルネ・ラリックの作品なのであるから、展示物と建物が見事なハーモニーを奏しだしていた。各展示室に入る度、まずその部屋のシャンデリアやマントルピースを鑑賞してから、展示物を見るという次第であった。展示されたラリック、ガレ、ドーム兄弟、フーケらのアールヌーボーの装飾品も立派なものが多かった。 ベルエポックを代表するサラ・ベルナールの大きな肖像は、当時愛人関係にあったクレランの眼を通してみても、非常に勝気な女性であることがこちらに伝わってくる。パリ万国博覧会で大好評だったわが国の川上貞奴にサラ・ベルナールが嫉妬したという話はなかなか面白い。 3階のウィンタ−ガーデンは大したことはなかった。大体この建物にはエレベーターがあるのかどうか知らないが、天井が非常に高いこの建物で階段を登らされるのは容易ではない。しかし館内各所に立派なアームチェアーなどが置いてあり、新しくできた喫茶室でもゆったりとした椅子と立派なテーブルが置いてあり、庭園を見ながらサンドウィッチを食べるという贅沢を味わった。(2004.3a) (追記)安田侃の作品の前に私が立っているのは、作品を鑑賞しているのではなく、私の前にこの作品の中をくぐっていった「美術愛好家」の後ろ姿を眼で追いかけて、あきれているところです。 |
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福岡に出張してきたが、仕事が忙しくなかなか抜け出せない。それでも最終日の午前中にちょっとした時間を見つけて、ホテルの隣にある福岡アジア美術館に出かけた。 福岡は地理的にはアジアに最も近く、歴史的にもアジアの文化の窓口となっていたところであり、このような美術館が置かれるにはもっとも相応しい都市である。 美術館自体は博多リバレインという立派な建物のなかにあり、すぐ下の階にはレストランが沢山あり、写真(右)のようなカフェテラスもあってとても良い環境にある。 今日のめだまは「現代の東南アジア美術」であるが、なかなか面白い作品が並んでいる。 ホセ・レガスピの「唾シリーズ(不満の構造)」は500枚のモノクロ絵画がびっちりと貼られており、一つ一つを観ると、エロ・グロ・ナンセンスのものが多く、成人限定絵画としか言いようがない。 サウディ・アマードの「感謝祭」は天井から見下ろした不思議な画で、神が人間の営みを見るとこういうふうに見えるのかなと思われる構図である。その模様・色彩などはイスラム絵画の影響を受けているように感じられた。概していえば、東南アジアの絵画には、仏教・イスラム教・イギリス絵画・現代絵画・漫画などの影響が複雑に混ざり合って、平面的ではあるがカラフルで活気のある絵画が多いと思われた。 「女性たちの手わざ」というコーナーでは、古くから伝わる美しい刺繍芸術から、最近のイン・シュウジェンのスーツケースのインスタレーションにいたるアジアの女性の強さをうかがわせる作品が並んでいた。 入り口には日本から東南アジアに伝わった人力車が置いてあり、これには乗っていいということなので、同行した家内と記念写真を撮りあった(2004.2a)
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今日も良い天気、思い立って上野に出かけた。写真は美術館の入り口のポスターであるが、強い日差しと木の陰が一緒に写っている。 マルモッタン美術館からきたモネを中心とする展覧会が来たのは1992年であるからもう12年前のことである。その時驚いたのは、晩年のモネの視力低下に基づく画の変貌であった。79点の展示のうち9点が前回と全く同じものであったが、12年の年月を隔てているのであるから、これは文句をいうことがらではないだろう。 今回は、このようなモネの作品もあったが、むしろベルト・モリゾの作品が展覧会の中心であった。モリゾの孫の寄贈による「ルアール・コレクション」が日本で初公開されたのである。女性らしいまなざしが子供たちに注がれている画が多く、非常に印象的であった。 ただ写真でお分かりのように、マルモッタンともじってモという字にマルをつけたものがポスターのまん中に配置されているのはいただけない。親父ギャグにしてもひどすぎる。(2004.1a) 今回まとまってモリゾの作品をたくさん観られて良かった。モリゾといえば、マネをめぐって、ゴンザレスとライバル関係で、結局モリゾはモネの弟と結婚したということ位しか関心がなかったが、画はとても上手い。中でも気に入ったのは「舞踏会で」。扇を持った女性の画だ。「自画像」も自信を持った素敵な女性として描かれておりよかった。(2004.1t) |