日本美術散歩 08-2 (海外美術は別ページ)

千住博 08.3
橋口五葉 08.3
きらめく個性ー江戸絵画 08.3 山口猛彦 08.3 薬師寺展 08.3

アーティストファイル 2008 08.3

東山魁夷展 08.3 中山忠彦展 08.4 川瀬巴水 08.4 東海道 江渡の旅・近代の旅 08.4
中西夏之新作展 08.4 もうひとつの薬師寺展 08.4 近代日本画にみる麗しき女性たち 08.4 四大浮世絵師 08.4
屋上庭園 08.4 幕末浮世絵 08.5 誌上のユートピア 08.5 ローマ開催・日本美術展 08.5
杉本貴志 水の茶室・鉄の茶室 08.5 竹内栖鳳と京都画壇 08.5 川端龍子と修善寺 08.6 河野通勢 08.6
佐藤多都夫 08.6 田中保 08.6 東大寺 宝冠 08.6 大日如来 08.6
徒然草図巻 08.6 岡鹿之助 08.6 佐竹家 狩野派絵師たち 08.6 日本画満開 08.6

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日本画満開: 山種美術館

奥村土牛:蓮 今回は田能村直入の《百花》を見るために行ったようなものである。室の中央のガラスボックス内に鎮座している《百花》はそれほど大きな絵ではなかった。しかし色の美しさは流石である。末尾に花の名前が書かれているが、読みにくい。入口でもらった出品リストの裏にしっかりと花の名前が書かれていて安心した。

  写実を超えて自分の心に訴えてくる画をあげると、川合玉堂の《石楠花》、奥村土牛の《蓮》、速水御舟の《牡丹花(墨牡丹)》、福田平八郎の《牡丹》、山口蓬春の《梅雨晴》などである。

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佐竹家 狩野派絵師たち: 千秋文庫

 千秋文庫には旧秋田藩主佐竹家から受け継いだ模写絵が488点も収蔵されているとのことである。模写したのは、佐竹家お抱えの狩野派絵師あるは藩主自身。今回は唐代から明代にいたる中国画の模写絵の展覧会である。

陳容ー菅原洞斎:波に鯉 原本の筆者は有名画家が多かったが、模者の名前で聞いたことのあるのは、狩野秀水とその弟で谷文晁の妹を妻にし、その子が文兆の娘を妻にした菅原洞斎ぐらいである。

 お気に入りは、陳容ー菅原洞斎の《波に鯉》、呉偉ー狩野秀水・菅原洞斎の《社酔之図》、真筆が大徳寺にある牧谿ー大島林栄・林宗俊・不詳の《観音猿鶴図》など。

 顔輝ー菅原虎三《玄武帝之図》、牧谿ー菅原洞斎《龍虎》、李迪ー不詳《帰牧図》、梁楷ー菅原洞斎《驢馬乗人物》、宣徳帝ー菅原洞斎《鷹》、仇英ー菅原洞斎《官女》、沈周ー狩野洞a《五福祥集図》、唐寅ー菅原虎三《琴棋書画の内、書》なども良かった。

 模写絵だはあるが、「五代」の禅月、「北宋」の蘇軾、「南宋」の梁楷・牧谿、「宋末元初」の銭選・趙孟?、「元」の顔輝・因陀羅、「明」の唐寅・董其昌などの超ビッグネームに出会た。

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岡鹿之助展: ブリジストン美術館

岡鹿之助:窓 岡鹿之助は、生涯にわたって画法に変化の少ない画家である。細かな点描、穏やかな色調、限定された画題、素朴な印象といったところが、初期から晩年まで一貫している。今回はその岡の作品だけを集めた展覧会である。画題によって分類されている。地味な展覧会だったが、一人の真面目な画家の作品に囲まれて、静かな時間を過ごすことができた。各章での「お気に入り」は下記。

1章 海: 《古港》・・・島根県立美術館、《入江》・・・個人蔵、《魚》・・・横須賀美術館、《出船》・・・個人蔵
2章 掘割: 《セーヌ河畔》・・・村山密コレクション、《掘割》・・・ポーラ美術館、《運河》・・・個人蔵
3章 献花: 《献花》・・・ウッドワン美術館、《献花》・・・ポーラ美術館
4章 雪: 《林》・・・上原近代美術館、《積雪》・・・ひろしま美術館、《雪》・・・ポーラ美術館
5章 燈台: 《燈台》・・・ポーラ美術館、《燈台》・・・個人蔵
6章 発電所: 《山麓》・・・京都国立近代美術館
7章 群落と廃墟: 《群落A》・・・東京国立近代美術館
8章 城館と礼拝堂: 《水辺の城》・・・長谷川町子美術館
9章 融合: 《雪の街》・・・京都国立近代美術館、《雪》・・・ベルギー王立美術館、《窓》・・・愛知県美術館
 

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徒然草画巻: 東京芸術大学大学美術館

 東京藝術大学大学美術館のコレクション展に、鳥居清長の肉筆画 を含む「徒然草画巻」 が公開されている。清長のことは、放送大学研究年報 第25号(2007)(11-29)頁に発表された放送大学 島内裕子 准教授の論文『東京藝術大学大学美術館蔵「徒然草画巻」(第五十三図)の紹介と研究』の中で明らかにされたのである。画巻は3巻からなるものであるが、今回公開されているのは第三巻所収十八図のうち、第三図から第八図の6図である。

 ■第三図: 高嵩谷画。木から下りようとする男と、地上でこれを見守る老人(109段)
 ■第四図: 嵩涛画。川を渡ろうとする牛車を曳く牛飼い童とそれに注意を与える従者(114段)
 ■第五図: 清長画。室内の3人の男性と道を歩く3人の女性(117段)
 ■第六図: 画家不明。坐って鏡を覗き込む僧侶(134段)
 ■第七図: 仙江写。立て膝で、三里に灸をすえる僧侶(148段)
 ■第八図: 画家不明。両足を揃えて立て、灸をすえる僧侶(148段)

鳥居清長:徒然草画巻 この中でもっとも興味があるのは、清長画とされる第六図である。画面右下に「清長」という署名と花押がある。中央の塀によって絵は二つに分けられている。建物の中には、三人の男性が見える。右には朱色の杯を持った僧、中央は白い扇を持った男。左の武士が持っているものも朱杯か煙管か良く分からない。

 一方、路上の3人の女性を見ると、中央の赤い着物の女性は酔っているようで、襟元が乱れ、右側の女性に手を取ってもらっている。一番左の女性は、左側を指差している。

 徒然草第117段のの文章は、『友とするに悪き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人、四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める兵。六つには、虚言する人。七つには、欲深き人。 よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師。三つには、智恵ある友。』 この画には、 酒を好む悪い友が何人も描かれているが、どのように解釈したら良いのだろうか。

(2008.6a) ブログ


大日如来(真如苑蔵): 東京国立博物館

 つい先ごろ新聞紙上を賑わせた大日如来坐像が東博で公開されている。今年3月、ニューヨークのオークションで競売にかけられ、東京都立川市の宗教法人「真如苑」が約12億8000万円で落札。全体の作風などから運慶作の可能性が高いとされているものである。

 思ったより小ぶりだが、いかにも健康でバランスの良いホトケサマである。肉髻や螺髪がとても美しい。そこここに鍍金も残っている。パネル展示にあった像内納入品のX線写真とその解説は大変勉強になった。 

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東大寺 宝冠: TNM & TOPPAN ミュージアムシアター

宝冠  「聖徳太子絵伝)」、「マヤ文明コパン遺跡」に次ぐ第3弾。さて今回は、東大寺法華堂・不空羂索観音立像の宝冠通常は、ほの暗い法華堂内部の高い位置にあるため、通常は細部まで見ることができない。これをバーチャルリアリティ技術によって、あたかも目前にあるように見ることができるようにしたものである。

 宝冠の中央には23cmの化仏がある。金色が残っている。珍しい銀の仏像である。これはメッキのはげたままで展覧されたが、金が残っているのだから、すべて金色にした画像も見せるきではなかったのか。とにかく分かったことは、2万個以上の宝玉があるということ、それらは、翡翠、トルコ石、真珠などであるということ、金属の骨格部分に鏨で彫った細かな模様が見えるということ。明治時代の修復の記録が彫られた6角形の金属板があるということなどである。  

(2008.6a) ブログ


田中保展: サトエ記念21世紀美術館

 アメリカからフランスに渡った裸婦のスペシャリスト、田中保は気になる画家だった。今回、その田中保の回顧展が「サトエ記念21世紀美術館」で開かれていることを知って飛んでいった。東武伊勢崎線の「花崎駅」下車、南口から歩いて15分となっているが、実際にはもっとかかる。ドブ川を渡り、高速道路をくぐり、田圃のなかの側道を歩いて、うんざりした頃に着く。

 美術館の門をくぐると、手入れの行き届いた日本庭園。その中にものすごい数の彫刻が林立している。エントランスホールは太い秋田杉の柱や梁を使った贅沢な空間。ここにも彫刻がふんだんに置かれている。加藤豊の大作《LEDA AND SWAN》はまさにその瞬間、《まどろみ》も良い。ブールデルの《サッフォー》も迫力がある。舟越保武の作品が多かった。《婦人像》、《Miss G》、《原の城》、《その人》などである。

 常設展にはキスリングが5点、ヴラマンクが4点、里見勝蔵の2点、荻須高徳の5点、藤井勉の花の写実画が12点並んでいた。

 企画展は2部屋に分かれている。田中は1886年岩槻の生まれ。中学校卒業後、1904年にシアトルに渡り、皿洗いなどしながら独学で画の勉強を始めた。1912年ごろ、オランダ人フォッス・タダマの画塾にも通っている。次第に「裸婦のタナカ」として知られるようになり、1917年に詩人・美術評論家のルイーズ・カンと結婚。1920年にパリに渡り、サロンに着々と出品し、藤田嗣治と並ぶ評判を得ていた。しかし第二次大戦中の1941年に、55歳という若さでこの世を去った。日本に一度も帰国することがなく、パリで客死したため、この画家に対する関心と評価はわが国では遅れているようである。

 今回の展覧会には、情緒豊かな風景画や力強い肖像画も出ていたが、なんといっても裸体画が目をひく。《裸婦》の看板も少し前ならば過激すぎるといわれただろう。チラシの《自室にいる裸婦》は、それほど過激ではない。《裸婦》、《長椅子の裸婦》、《窓際の裸婦》、《黙想する裸婦》などいずれも迫力があった。

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没後20年佐藤多都夫展: カメイ記念展示館(仙台)

佐藤多都夫:情況 バスで「カメイ記念展示館」に移動。特別展「没後20年佐藤多都夫展」と常設絵画展を見た

 前者は油彩《状態》シリーズやアクリル《情況》シリーズといった抽象絵画だが、色彩が豊かなため、沢山の作品に囲まれると、花園に立ったような気がする。そのほかに素描の《奥の細道》シリーズも味わい深かった。

 常設作品では、一番奥のガラスケースの中のヴラマンク4点と岡田三郎助の2点が目だった。

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河野通勢展: 松涛美術館

河野通勢:聖ヨハネ 7章に細分されている。

 第1章「裾野川と初期風景画」では、《アダムとイブ》、《裾花川の河柳》、《長野風景》、《三人の乞食》、《風景》、《崖》などは、風景と人物の関係が意味ありげで、不思議なイマジネーションをもった画である。そして、岸田劉生に似た細密描写! 《裾花川の河柳》は、ニンフの森といった理想郷なのだろう。コローの樹木の描き方を真似たという。河柳に向かって一礼してから描いたとか、1000枚もの河柳のデッサンを残したとか、彼の粘着気質を暗示するような話が残っている。《三人の乞食》はセガンティーニ調の風景の中に不気味な三人。彼らはいったい何者?

 第2章の「自画像と表現の展開」は素晴らしかった。お気に入りは、モナリザのような義妹の《好子像》。《林檎》も良かった。

 第3章の「聖書物語」では、《テべりア湖の耶蘇》が良かった。細密な素描にも目を見張った。

 第4章の「芝居と風俗」では、土呂絵《新東京風俗図屏風》や《蒙古襲来之図》、明るいルドンのような《花の図》、素描《桃源境に遊ぶ人々》が印象に残った。

 第5章の「銅版画」には素晴らしいものが多く驚いた。この章のお気に入りは《布施太子の入山》と《秋色競艶》。

 第6章「挿絵と装幀」や第7章「資料」も合わせるととても大きな回顧展であるといえる。

 このように、この画家は初期のコロー・ミレー風の風景画に始まり、草土社時代にはレオナルド・ミケランジェロ・デューラーらのルネサンス風の画を描き、大正時代後半にはルーベンスやロココの影響を受け、さらに挿絵では浮世絵や歌舞伎などのわが国の文化を取り込み、晩年には南画風の作品も残している。

 このように河野通勢は、従来いわれたように「大正リアリズムの画家」という近視眼的な見方ではとらえきれない。西洋絵画・キリスト教イコン・浮世絵など幅広い美術の影響を受けながら、不思議な空想力を作品に塗りこめていった画家だったということを認識した。

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川端龍子と修善寺: 大田区立龍子記念館

川端龍子:龍子垣 今回は、龍子記念館開館45周年記念特別展。副題は「伊豆市所蔵、近代日本画の巨匠の姿と共に」である。龍子は、修善寺に別荘「青々居」を構え、修善寺を菩提寺とし、伊豆から画題を得ることが多かった。第一部は、このような龍子の「修善寺への想い」の表れた作品を集めたもの。最初に出てくるのは、《龍子垣》。この竹垣は、実際に別荘の前にあったもの。梅や藤の花がうまくあしらわれている。

 次は、全長28メートルの大作、《逆説・生々流転》。昭和33年の狩野川台風によって被害を受けた伊豆半島がテーマ。大きな壁面に2段に展示されており、すごい迫力である。上段は、三本爪の龍が持つ台風の目→それに気付かず魚を採る平和な漁村→雨が降り出し逃げはじめる魚や鳥→黒雲が現れ、富士山を取り巻く。下段は、激しい台風の雨風→狩野川があふれて、人々は屋根にしがみつく。最後は、機械を駆使した復興への努力→虹の向こうに飛ぶ鳥と新しい橋。なぜかこれを撮影する男も描かれている。この台風の直後に龍子は伊豆を訪れているから、この男は画家本人なのではなかろうか。大観の《生々流転》が観念的な自然の流転であるのに対し、龍子の《逆説・生々流転》は自然の猛威に耐えて復興する人間の営みの流転である。もちろん後者のほうが数倍の迫力がある。第1章では、この他に、《寝釈迦》、《怒る富士》、《伊豆の国》などの力作が揃っている。

 第2部では、修善寺の新井旅館をベースにした画家の作品が集められていた。川端龍子の他に、安田靫彦・前田青邨・石井林響・横山大観・今村紫紅などの作品はそれぞれに味わい深かった。龍子の《湯浴》に描かれた湯煙りにくもる9歳の娘の姿は、修善寺温泉の雰囲気そのものである。

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竹内栖鳳と京都画壇展: 講談社野間美術館

土田麦僊:春 今年の野間記念館は、春に大観、夏に栖鳳、秋に玉堂とエースの展覧会を揃えてきている。今回はそのうちの夏季展。4つの展示室には、「京都画壇の精鋭」の作品がギッチリと並んでいる。

 当時の京都画壇を概観すると、竹内栖鳳の画塾からは、上村松園・西山翠嶂・西村五雲・橋本関雪・土田麦僊・小野竹喬・徳岡神泉などが育ち、栖鳳の好敵手と見なされる山元春挙の画塾からは、川村曼舟・小村大雲・?本一洋などが出ている。これらの京都画壇の画家たちはほとんど文展を足場としており、海外の美術界の動向を取り入れて昭和7年に国画創作協会を作った麦僊や竹喬はむしろ例外的な存在だった。


 第1室のベストは、竹内栖鳳の《古城枩翠》。上村松園の《惜春の図》や狂ったような目つきの《汐汲みの図》もさすがである。堂本印象の《雨後》も良かった。

 第2室のベストは、土田麦僊の四面対の大作、《春》である。左幅に白木蓮、右幅に椿といった春の草花が咲き誇る中、画面中央には白い梨の花母と子と乳母車が描かれている。聖母子をも想起させる象徴性を有している。麦僊の《大原女》や《都おどりの宵》も良かった。

 第3室のお気に入りは、山元春挙の《琵琶湖春色図》、橋本関雪の《梅花谷》、川村曼舟の《東山緑雨》、宇田荻邨の《淀の水車》、小野竹喬の《龍峡帰舟》。

 第2室、第4室で驚いたのは、「十二ヶ月図」の乱舞である。野間清治が昭和初期に活躍していた画家100名以上に制作を依頼した6000点を超える色紙の一部。今回の展示作家は、伊藤小坡・上村松園・山口華楊・上村松篁・福田平八郎・堂本印象・徳岡神泉・榊原紫峰・西村五雲の9名。全部で108枚の色紙がところ狭しと掛けられていた。

(2008.5a) ブログ


杉本貴志 水の茶室・鉄の茶室: ギャラリー・間

 杉本貴志 水の茶室・鉄の茶室空間デザイナーの杉本貴志が建てた変わった茶室。茶道をやっている家内が、かなり前から見たがっていたのだが、5月は色々なことがあって、結局、最終日前日となってしまった。もちろんわたしは付き添い。

杉本貴志:鉄の茶室 一つは鉄の茶室。壁は、部材が切り抜かれた後の鉄板。広さは4畳半ほど。鳥籠か動物の檻のようで、外からも中が見える。床はゴザのような素材。そこに鉄風炉と、鉄の水指が飾られていた。水指や壁の花入も消火器などの廃鉄製。中は結構に明るい。

 もう一つは水の茶室。これも4畳半ほどの広さの真っ暗な空間。ぐるりと四方が上から水の雫が一滴一滴何本ものピアノ線を伝って流れ落ち、それにライトが当たって光る水滴の壁を作っている。そこにはガラス製の風炉、中に発光体があるガラスの水指があり、真っ暗な中に水色に浮いて見える。水の茶室でも実際にお点前をされたようだが、暗くて大変だったろう。

 二つを比べれば、鉄の茶室は硬く閉鎖的であり、水の茶室は暗いが柔らかい。私の好みは後者。

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今、甦るローマ開催・日本美術展: 日本橋三越

横山大観:夜桜 最終日にやっと間に合った。大倉喜八郎は、死の商人とも呼ばれた鉄砲商から身を立て、明治維新後は貿易会社、建設業に転身。化学、製鉄、繊維、食品など、近代産業の礎になる企業を数多く興し、大倉財閥を築き上げた。戊辰戦争、台湾出兵、日清・日露戦争によって大儲けし、軍事関係の需要は三井・三菱を凌いでほとんど大倉組が独占したという。

 大倉 喜七郎は、「バロン・オークラ」と呼ばれた大倉財閥の2代目。ホテル業にも軸足を移した。先代が創設した「大倉集古館」の理事長を務めるなど文化事業にも功績があり、中でも日本近代絵画を擁護し、1930年には大金を投じてローマ開催「日本美術展覧」会を後援して、横山大観をはじめとする画家たちの活動を支援するとともに、海外に紹介したということになっている。当時、イタリアの首相はファッシストのムッソリーニ。1928年、大倉氏がムッソリー二に、横山大観が描いた《立葵》を寄贈したのを機に、ローマでの日本美術展覧会開催が決定した。この辺に政治家と政商の結びつつきが浮き上がってくる。いずれにせよ、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世やムッソリーニ首相など、入場者数16万6千人という歴史上類を見ない展覧会となったのであるから、日本画の国際化に役立ったということは事実だろう。

  大倉氏からこの話を持ちかけられた大観は、すぐさま竹内栖鳳や川合玉堂に手紙を出して参加を呼びかけ、院展・官展といった枠組みを超えた日本を代表する画家の作品が展示されることになった。 ローマ展の特徴は、会場となったパラッツオ・デルラ・エスポジツィオーネに床の間や青畳、さらには生け花やお香といった日本の家屋と似た環境をしつらえたことだろう。これらの造作のために日本から宮大工まで連れて行ったという話である。横山大観の開会式の挨拶の岡倉由三郎による英訳下書きが出ていたが、それには外国でのそれまでの日本画展は展示方法が悪かったから誤解を受けてきたと書いてある。

 当時出展された全作品のうち、3分の2以上が、現在行方不明で、今回の展覧会は現在大倉集古館に所蔵されている作品を中心とした中規模のものである。入口には横山大観のリトグラフ・ポスター《ESPOSIZIONE D'ARTE GIAPPONE》があったが、これがわたしが嫌いな《富士山と太陽》。横山大観の《山四趣》と《瀟湘八景》のような地味な墨絵風景画はどの程度ヨーロッパ人に理解されたであろうか。個人的には、前者では《雪餘》、後者では《江天暮雪》といった冬景色が好きだが、特に力作とはいえない。これに対し彼の《夜桜》は力が入っている。篝火から立ち上る煙と桜の花びらや樹との微妙な関係が巧い。前田青邨の《洞窟の頼朝》は日本の歴史画として教科書にも出てくるが、西欧の歴史画に比べると取り立てて賞賛するほどのものではない。これに対し、下村観山の《不動尊》の炎・剣・蛇や《維摩黙然》の文殊に対する在家信者の姿などは印象深く、イタリア人の宗教心に訴えるものがあったのではなかろうか。佐々木尚文の《報生司》の鷹匠、川合玉堂の《秋山縣瀑》の滝、竹内栖鳳の《蹴合》の軍鶏、小林古径の《木莵図》、酒井三良の《豊穣》の農婦、山口蓬春の《木瓜》、宇田荻邨の《淀の水車》の鷺などもイタリア人に好評だったかもしれない。 大倉以外の所蔵品としては、堅山南風の《秋草》、小茂田青樹の《睡鴨・飛鴨》、山元春拳の《雪渓遊鹿図》、安田靭彦の《風神・雷神》などは自分の好みだが、当時のイタリア人の反応はどうだったのだろうか。 

(2008.5a) ブログ


誌上のユートピア展: うらわ美術館

 第1章: ヨーロッパにみる美術雑誌の隆盛

 19世紀末のヨーロッパで、アーティストが直接編集に参画し、雑誌そのものが「作品」となるものが現れてきた。それが日本にまで文化的な影響を及ぼした。

1.イエローブック: 1894年創刊、イギリス、ビアズリーが最初の5巻の表紙デザインを担当し、4巻までは挿絵も担当している。

2.パン: 1895年、ドイツで創刊。表紙は第1年第1号のシュトゥックの《牧羊神パン》。第3号にはロートレックの《マルセル・ランデール嬢》。

ユーゲント3.ユーゲント: 1896年、ミュンヘン分離派によって創刊。アールヌーヴォーの呼称「ユーゲントシュティール」はこの雑誌に由来している。

4.ヴェル・サクルム: 1897年にクリムトを会長として結成されたオーストリア美術家同盟すなわちウィーン分離派の機関誌で、1898年に創刊された。正方形の版型で有名である。

5.ココリコ: 1899年に創刊されたフランス世紀末の風刺雑誌。アールヌーヴォーを代表する雑誌である。

6.ジェフリー・チョーサー著作集: ウィリアム・モリス装丁・バーン=ジョーンズ挿絵の本である。

 第2章: 白馬会周囲の展開

1.明星: 与謝野鉄幹が1899年に結成した東京新詩社の機関誌として1900年に創刊。藤島武二、中澤弘光、和田英作の他に、創作版画の起爆剤となった山本鼎の《漁夫》も「明星」に発表された。

2.光風: 白馬会創立10年を記念して1905年に創刊された美術雑誌。黒田清輝、和田英作、藤島武二、中澤弘光などが画稿を寄せている

3.装丁本: 橋口五葉・夏目漱石のコラボレーション《草合》、橋口五葉・泉鏡花の《遊行車》、橋口五葉・池田輝方-焦園・泉鏡花の《相合傘》はいずれも見応えがある。

4.杉浦非水: 「文章世界」の表紙、雑誌《三越》の表紙連作、ポスター、絵はがきが目をひいた。

5.みずゑ: 1905年発行の第1巻第1号の表紙が出ていたが、パレットの周囲に鳥が二羽の穏やかなデザインである。

 第3章: 京都の浅井忠と神坂雪佳

 浅井忠のデザインした《鶏合蒔絵硯箱》の図案・水彩・漆器が一連のものとして展示されていて、絵画から図案に移っていった浅井忠の軌跡の一端が見てとれた。神坂雪佳の図案も沢山出ていた。《百々世草》は素晴らしい。昨年、細見美術館で見た《金魚玉図》に再会した。

 第4章: 「『放寸』と創作版画の出発 

 ここには、山本鼎、石井鶴三、石井柏亭などの作品が出てくる。「平坦」は1905年に平凡社より刊行された。石井柏亭が中心であった。

 「方寸」は、石井柏亭、森田恒友、山本鼎の3名により1907年に発行され、太平洋画会系の同人誌と役割を果たした。フランスの「ココリコ」とドイツの「ユーゲント」に倣ったという。

 「朱欒」(ざんぼあ)は、1911年に北原白秋が中心になって創刊された。

 第5章: 伝統と変容

 まず岡倉天心が1899年に創刊した「国華」。日本・東洋美術の研究を中心とし、洋画排斥の思潮に乗った専門誌である。良質かつ高価な雑誌であり、英語版も発行された。

 ここでは、小村雪岱(装丁)の泉鏡花《紅梅集》が美しかった。鏑木清方、寺崎広業、杉浦非水のような伝統的なアーティストの他に、岡本神草の《アダムとイブ》、野長瀬晩花の《夕日に帰る漁夫》といった新傾向の画が目をひいた。北野恒富の《浴後》は、高崎タワー美術館で見てからの再見。

 第6章: 教養とデカダンス

 「白樺」は、1910年に、児島喜久雄、武者小路実篤、志賀直哉、柳宗悦といった理想主義をかかげる白樺派の同人誌として創刊された。ベックリン・クリンガーにはじまり、セザンヌ・ロダン・マティス、ムンクらを紹介し、ブレイクの特集号も組んだ。

 その後、「ヒュウザン」、「現代の洋画」、「現代の美術」、「月映」、「聖杯」、「仮面」、「科学と文芸」といった雑誌が登場し、新世代のアーティストのよりどころとなっていく。

(2008.5a) ブログ


幕末浮世絵展: 三鷹市美術ギャラリー

 大丸ミュージアム東京でやっている「四大浮世絵師展」と同じく「中右コレクション」の浮世絵展。副題は「大江戸の賑わいー北斎・広重・国貞・国芳らの世界」。

 幕末浮世絵展というから、このような開国絵・横浜絵ばかりかと思ったら大間違い。確かに歌川貞秀の六枚続《横浜異人商館之図・売場之図》や五枚続《横浜交易西洋人荷物運送之図》のような有名な横浜絵もあったが、大部分は通常の浮世絵。

 美人画も沢山出ている。菊川英山の《江戸花美人合 雪》や《傘美人》は美しく、《風流大井川》は面白い。そのほか渓斎英泉の《浮世絵風美女競 美艶仙女香》らのブログ、歌川国貞の《星の霜当世風俗 行灯》は情事の後、歌川国芳《八町づつみ夜のけい》は藍しぼりの浴衣、歌川広重《両国納涼大花火》は川端の賑わい、歌川芳虎《染井植木屋金五郎》は菊細工の白象を描いた優品。

 役者絵では、歌川国貞の作品が12点も出ていた。写楽と張りあってだけになかなかのものである。とくに三枚続の《隅田川花御所染》や《もと様参かしく文月》が迫力がある。歌川国安の《雪景色人気役者五人衆》は有名俳優のオンパレード。

 風景画では、葛飾北斎の《富嶽三十六景》が何点か出ていたが、《山下白雨》の刷変わり作品には初めてお目にかかった。これは、裾野の黒いところが緑色になっており、稲妻とミスマッチ。歌川国芳の《東都三つ股の図》は船大工の燃やす焚き火の煙の表現がダイナミックである。

 武者絵・芝居絵のセクションには、「江戸の劇画、霊界・魔界のヒーロー」や「政局風刺・時局パロディー・寓話・諧謔」という副題がついているが、今回の展覧会の中でもっとも面白いところである。 歌川豊国の《小平次の亡霊》、勝川春亭の《大蜘蛛退治の図》、勝川北鵞の《椿説弓張月 山雄主のために大蛇を咬む》、歌川芳艶の《大江山酒呑退治》、河鍋暁斎の《侠客日本魂於冥府大勇猛顕》、歌川芳年の《文治元年平家の一門亡海中落ち入る図》、歌川芳艶の《破奇術頼光袴垂為搦》、歌川芳虎の《時参不斗狐嫁入見図》、歌川広重が背景を描いて三代歌川豊国が女性を描いた《風流源氏 雪の巻》、三代歌川豊国が若者の入墨を描いた《当世三国志》など、タイトルだけでもオドロオドロしい。実際に見出すと、面白くて、時間の経つのを忘れてしまう。かし、ここでの大将はやはり歌川国芳。有名な《源頼光公館土蜘蛛妖怪図》は発色が良くなかったが、《相馬の古内裏 滝夜叉姫と大骸骨》はこのセクションのベスト。平将門の娘が妖術を使って攻め手に立ち向かう壮大な絵である。

歌川芳藤:ふの字づくし福助 さらにこの後に「シャレとユーモア・造形の遊び視覚のマジック絵」というコーナーには、爆笑ものの絵が並ぶ。アンチボルト的な画としては、歌川国芳の《みかけはこわいがとんだいい人だ》、《人をばかにした人だ》、《としよりのよふな人だ》、《年が寄っても若い人だ》という人間の集団図。 また、歌川芳藤の《子猫寄り集まって親猫になる》や《五十三次之内 猫の怪》は猫の集団である。後者は、美の壷展に出ていた「寄せ猫」のもと絵である。 また、歌川芳藤の《子猫寄り集まって親猫になる》や《五十三次之内 猫の怪》は猫の集団である。

 さらに歌川芳藤の《ふの字づくし福助》は、最高傑作である。鼻は「ふ」という字、目は「フグ」、口は「ふくろ」、眉は「筆洗」、手は「文」と「筆」の合成による扇、そして体は「かのをふくすけ」となっている。こういうものを「有卦絵」というとのことである。

 葛飾北斎の文字絵が2点、歌川広重の影絵が2点。これらは大丸にも出ていた。追善絵としては、三代歌川豊国の《歌川広重》と《八代目市川団十郎・・・この人は確か自殺》と歌川芳幾の《歌川国芳》。いずれも有名な絵である。  

(2008.5a) ブログ


屋上庭園: 東京都現代美術館

内海聖史:三千世界 企画展示室の3階には自然光が差し込むために、屋上庭園というタイトルがつけてあるようだ。

 セクション1の「グロテスクの庭」にあるのは、ニコラ・ビュフの描いたグロッタ洞窟壁画。

 セクション2の「庭を見つめる」は、画家河野道勢の素描と水彩。

 セクション3の「掌中の庭」は、創作版画の同人誌がケースの中に入っている。

 セクション4の「アトリエの庭」には、牧野虎雄の古めかしい画が集められていた。花の画には綺麗なものがあった。

 セクション5の「夜の庭」には、寺田政明のシュルレアリスムに影響を受けた作品《夜の花》などが。

 セクション6の「閉じられた庭」には、アンリ・マティスの「シャルル・ドルレアン詩集」と「ロンサール恋愛詞華集」の挿絵があり、気楽に楽しめる。

 セクション7の「記録された庭」には、中林忠良の腐食銅版画が数多く展示されている。

 セクション8「記憶の中の庭」はビデオ作品。

 セクション9「天空にひろがる庭」まで来て、ようやく色彩と形容を表現したまともな現代美術が登場する。内海聖史の《三千世界》と《色彩の下》である。これたちは素晴らしい。これがこの展覧会のベストである。

 セクション10の「庭を作る」には、須田悦弘の《ガーベラ》が一輪だけ置かれている。

 常設展の「賛美小舎」上田コレクションで面白いと思ったのは、石原友明の《約束》。大きな部屋の2面に海のような帯状の青。その角に置かれた日に焼けた男性の裸体は迫力がある。その他には、日高真理子の《木の空間》の褐色のモノトーンな連作とマン・レイのポートレート写真が良かった。岡本太郎の《明日の神話》のビデオが2本。「再生への軌跡」と「発見されたもう1枚の下絵」。とくに後者が面白かった。下絵は全部で5枚あったことになる。

(2008.4a) ブログ


四大浮世絵師展: 大丸ミュージアム・東京

北斎:青富士 浮世絵収集家の中右 瑛(なかう えい)氏のコレクショ。会場に入るや、いきなり北斎の《赤富士》。その横に北斎の《青富士》が並んでいて、ドキモを抜かれる。これは富嶽三十六景の《凱風快晴》の青刷りである。赤富士で空の大部分を占めていた鰯雲は上部にほんのすこしだけ残し、あとの空はコバルトブルー。山の稜線は濃青色で色どられ、山腹は白く残されている。麓の樹や霞なども青でまとめられた青のモノトーン。青は聖なる色と呼ばれるが、隣の赤富士にくらべ、ずっと気高い。

 次には写楽が20点も並んでいる。第1期(寛政6年5月)の28枚の大判黒雲母摺大首絵のうち11枚が展示されている。第2期(寛政6年7月・8月)の38枚では、人物も全身像で描かれ、白雲母摺や細判の作品が登場する。ここでは、4点が展示されているが、そのうち3枚はチビッ子スター「大童山」の土俵入り関連。第3期(寛政6年11月・閏11月)の64枚では、背景に舞台装置が描かれるようになり、落款も「東洲斎」を除いた「写楽画」となる。ここでは5枚の展示。第4期(寛政7年正月)には14枚の作品があるが、今回は出ていなかった。

 続くは、歌麿。美人画がいろいろと出てきて楽しめる。《松葉楼装ひ 実を通す風情》、《鮑取り》、《山姥と金太郎》、《遊君鏡八契》など、いずれも素晴らしい描写であるが、エロチシズムも滲んでくる。

 北斎については、習作期の役者絵、美人画、浮絵、洋風風景画、文字絵、仮名手本忠臣蔵、妖怪残酷絵、富嶽三十六景、百人異一首姥がえとき、百物語5点揃、詩歌写真鏡、戯画、摺物、北斎漫画などとても楽しめる。

 広重については、役者絵や美人画が沢山出てきて驚いた。《外と内姿八景 格子の夜雨、まかきの情らむ》は、吉原の格子越しに煙管を渡す遊女と馴染客の交流を、本絵とコマ絵の二つのシーンで表している。もちろん、東海道中五十三次、短冊絵、魚づくし、影絵、名所江戸百景、雪月花など一通り展示されている。驚きは《平清盛怪異を見る図》。ドクロの集団である。これが広重の絵なのか。

 肉筆画では、北斎の《ほうき星》が面白い。北斎がハレー彗星を見た可能性があるとのことである。広重の派手な《官女図》も良かった

(2008.4a) ブログ


近代日本画にみる麗しき女性たち: 茨城県天心記念五浦美術館

 展覧会のサブタイトルは「松園と美人画の世界」。 章立ては、下記のように分かりやすいが、実際に見ていくと、東京の粋、京都の雅、大阪の情という地域的な差と女性の個性の表現という時代的な差はそれほど明確にされているわけではない。美人画の系譜を念頭におきつつ、それぞれの画家の作品を楽しんでいくことになった。

T.東京の近代美人画ー粋とロマン

○池田輝方の《お夏狂乱》・・・清十郎の死を知って狂乱するお夏の眼。《幕間》・・・江戸寛政期の河原崎屋と大正期の歌舞伎座の女性たち。

○山川秀峰の《春雨の良い、時雨降る日》・・・すっきりとした色調で若い女性とすこし歳をとった女性を季節で描き分けている。

○鏑木清方の《二人美人図》・・・美しい着物の柄。


U.上村松園の世界

○《紅葉可里図》・・・紅葉と幔幕の青の対比が素晴らしい。その幔幕を持ち上げてでてくる女性の着物の美しさ。そして置かれた扇子がものをいう。今回の松園のベスト。

○《桜がり図》・・・まるで鈴木春信の錦絵。京都の画家にも浮世絵の影響が及んでいる。

○《かんざし》・・・水野美術館の名品。宝船の簪をまじまじと見入る娘。そういえば、最近では、簪(かんざし)と笄(こうがい)の違いを知らない女性が増えてきた。帯の下に覗く鹿の子が巧い。

○《化粧》・・・めずらしいヌード。湯上りの女性が、手ぬぐいを膝に掛けて化粧瓶を手にしている。

○《花》・・・桜が散ってくる中、3人の女性が年齢順に並んでいる。日傘の差し方にも年齢差が出ている。UVカットが必要なのは中年女性、もう顔の一部しか描いてもらえない。

○《美人観書》・・・膝に置いた書物を眺める女性の目。これは知性が感じられる美人中の美人。

○《志ぐれ》・・・水野美術館のおなじみの画。雨の中、傘をさし、身体を傾け、裾を押さえている姿が艶かしい。紅葉散る秋の情景。


V.京と浪花の女性表現

○伊藤小坡の《つづきもの》・・・女性は朝食の準備しながら新聞を読む。これは大正時代も現代も変わらぬ姿。女性ならではの画題である。台所の描写が細かい。

○菊池契月の《朱唇》・・・格調高い女性像。朱唇皓歯という美人の形容そのもの、《早苗》・・・白描による疲れた田植え女の姿。

○北野恒富の《鏡の前》↓・・・高崎で見た《暖か》と対をなす。着物の黒、帯の赤、着物の模様の飛天の目立つすらりとした女性。襖の縦と横の線が画面を分割している。デカダン的な雰囲気もある作品。

○木谷千種の《おんごく》・・・格子越しにおんごく行列の中の子供を見つめ、亡くなった弟を偲ぶ象徴派的作品。素晴らしい画。

○広津多津の《おしろい》・・・首筋に塗られたオシロイが目をひきつける。鏡を覗く目線も真剣である。全体のやわらかさが良い。

○竹久夢二の《星まつ里》・・・夢二の世界は、わが国の美人画の系譜を超えている。

中村大三郎:黒衣女人図○中村大三郎の《黒衣女人図》・・・黒の洋服、赤い椅子。お見合い写真のようだ。


 さらに、三木翠山の《美人図》、甲斐庄楠音の《秋心》、島成園の《おんな》、 岡本神草の《口紅》、 寺島紫明の《爪》などはデカダン的な迫力がある。

W.戦後の女性像

○寺島紫明の《姉妹》・・・きりっとした顔立ちの姉妹。見つめるさきには?


○梶原緋佐子の《花》の立派な体格の中国服女性は見事。

○守屋多々志の《ウィーンの六段の調》・・・ブラームスとお香や琴との不思議な取り合わせ。夢か現実か分からない。

○伊東深水の《長夜》の雪洞にとまるコオロギを見ている女性、《晴日》のタッチの異なる着物を着た二姉妹、《菊を活ける勅使河原霞女史》の凛とした姿はいずれも美しい。

○森田曠平の《大原女三題 里だより》・・・個性的な女性像。美人画という範疇を超えている。

○石本正の《のれん》・・・いつもの舞妓だが、着衣像で、厳しい顔つきは個性をしっかりと表している。

(2008.4a) ブログ


もうひとつの薬師寺展: 薬師寺東京別院

文殊菩薩・毘沙門天・弥勒菩薩・吉祥天・地蔵菩薩 2階に上がると、ロビーの奥に三躯の十一面観音。すべて重文で、迫力がある。中央が奈良時代のもので、両脇が平安時代のもの。左側のものは猫背でちょっと人間的である。

 右側の部屋に入ると、左に仏壇があり、金色の背景に5体の重要文化財の仏さまが鎮座しておられる(図を参照)。思わず正座して手を合わせる。中央は弥勒菩薩、その左は毘沙門天、右は吉祥天。左手前が文殊菩薩、右奥は地蔵菩薩。

周囲は、塑像残欠、経典、仏画、薬師寺枡など重文で埋め尽くされているが、国宝の天井板には目を見張る。《東塔初重支輪板》である。宝相華が描かれた群青・緑青・朱・白茶などの顔料の色が奈良時代さながらに残っている。

 重文の《大津皇子》は別室に安置されていた。そばには花が生けてあった。その悲劇の人生を悼んでこちらでも手を合わせた。

(2008.4a) ブログ


中西夏之新作展ー絵画の鎖・光の森: 松涛美術館

中西夏之新作展 展示室全体に同じような画が並んでいる。背景が灰色または白、そこに白または灰色の模様がある。草ともいえないし、籠ともいえない曲線の連続があり、その間に比較的小さな斑点のようなものが群をなして描かれている。この色斑の色には白、灰色、肌色の他に紫のものがあって、強いコントラストを示している。同じサイズの画はそれぞれが関係しているようで、色調や模様が似ている。いわば連作である。

 奥の部屋に中西のドローイングが並んでいた。前の作品を「なぞり」ながら、ダンダンと連作ができていくとのこと。これが今回の展覧会のサブタイトル「絵画の鎖」の意味である。

 それぞれの画はとても明るいが、このように似たような作品で部屋が埋め尽くされると、全体としては不思議な安息感がある。これが「光の森」なのである。

(2008.4a) ブログ


東海道 江戸の旅 近代の旅: 鉄道歴史展示室

 松下電工汐留ミュージアムに行く途中、鉄道歴史展示室の「東海道 江戸の旅 近代の旅」に寄った。

 これは、江戸時代と近代において、それぞれの時代における旅支度、風景や眺め、川越えや架橋、徒歩と鉄道を比較したものである。

 「往来手形」・「関所手形」・「川札」、柳行李や小田原提灯、街道名物の丸子のとろろ汁・桑名の蛤・草津の姥が餅、街道の浮世絵・図絵、鉄橋の画などを楽しんだ。

(2008.4a) ブログ


川瀬巴水 東京風景版画: 江戸東京博物館

 川瀬巴水にはファンが多い。とくに、巴水の没後50年ということで最近は川瀬の展覧会がしばしば開かれ、ブロガーの間でもその人気が定着しているようである。今回は、巴水の作品の中で、東京を描いた作品が取り上げた展覧会。

川瀬巴水:東京十二ヶ月 谷中の夕映え第1章 川瀬巴水の東京風景: 「東京十二題」の揃い踏み。「東京十二ヶ月は、5点のすべてが展示されている。

第2章 川瀬巴水の版画と原画ー「東京二十景」を中心に: この章が今回の見せ所。大部分の作品が、左側に完成作、中央に水彩原画、右側に試摺というトリオで陳列されている。雨を加える、明るさを変える、ぼかしを入れるといった細かい変更が加えられているものが多かった。巴水の感性の鋭さにあらためて感心した。

第3章 川瀬巴水の活躍: 日本の展覧会カタログによって巴水の作品が多数出品されていることが分かったが、むしろ米国において高く評価された。1920−40年代に米国で盛業していたシマ・アート・ギャラリーの店主、「住居範吾」が1935年に一時帰国した際の資料が展示されていて興味深かった。

第4章: 広重の江戸、巴水の東京: 同じ場所を描いた作品が3点ずつ並んでいたが、100年も違えば風景が変わるのは当然である。江戸の広重と昭和の広重の相違についての切り込みがまったくなかったのは残念。 第5章: 清親の東京、巴水の東京: 光線画の小林清親と夕暮画の川瀬巴水の比較は興味があったが、こちらもわずか2点の展示のみ。 第6章 巴水の戦後の東京: 戦後12年間の巴水の作品は120点であるが、その中で東京を描いた作品はわずか10点であるという。変わりゆく東京は巴水の題材とはなりにくかったのはなかろうかと解説してあった。この10点のうち8点が展示されていたのでじっくり見た。 第7章 映画「版画に生きる」: 今までに何回も見たものなのでパス。   

(2008.4a) ブログ


中山忠彦 永遠の女神展: TAKASHIMAYA TOKYO

中山忠彦:MDAME YOSHIE NAKAMURA 夫人をモデルにして画を描く西洋の画家は少なくない。レンブラント、モネ、ルノワール、セザンヌ、ボナール、ピカソ、モジリアーニ、シャガール、ダリ・・・とあげればいくらでも出てきそうである。さて日本の画家はどうであろうか。もちろん画家である以上、家族の画を描かないほうが稀かもしてない。しかし夫人ひとすじとなると、中山忠彦をおいてないのではなかろうか。中山は1935年、北九州市に生まれ、少年時代より画が巧かったが、伊藤清永の裸婦像に感銘を受け、1953年に上京して伊藤清永に師事することとなった。

 中山の一大転機は、1963年に偶然やってきた。会津若松に写生旅行中、若林良江と出会い、2年後に結婚することとなったのである。しばらく前の新日曜美術館のアートシーンで、中山のことが紹介されていた。たしか列車の中で横顔のとてもきれいな女性に出会ったというのが、そもそもの馴れ初めだったらしい。


 今回の展覧会にも、1963年のコンテ《初めての良江》が出展されていたた。ふくよかさの残ったとても美しい横顔である。このようにして、中山は裸体像から着衣像を描くように変身したのである。
当時の写真をみると、夫婦そろっての美男美女である。1966年の《椅子に倚る》にはまだあどけなさが残る夫人が描かれているが、そのエプロンは嫁入り道具の鏡掛けであるという。

 ところが1972年に欧州旅行をし、アンティークな衣裳が売られていることを知って、その収集を始めた。そしてこれを着た夫人を描きだしたのである。 会場は、美しい装い、見事な装身具を身につけた夫人の姿で満ちあふれている。

 いくら美人といっても年齢とともに次第に容色に変化がくるので、目の周りの描き方などに少しずつ変化がつけられている。しかし良江夫人は中山のミューズである。すでに中山は女性の外見を描くというよりもその内面を描くという域に達しているようだ。  

(2008.4a) ブログ


生誕100年 東山魁夷展: 国立近代美術館

 あの横浜美術館の「東山魁夷展ーひとすじの道」からもう4年経っている。今回は、ブロガー・プレビューに申し込み、運よく当たった。ブロガー・プレビューのもっとも良いところは、単に空いているとか、無料であるとか、あるいは写真撮影ができるといった即物的なことではなく、顔なじみの美術愛好家が急に現れて、一緒におしゃべりできるという点にあるようだ。大勢の観客がいないので、多少の声は許されるということである。


東山魁夷:白い嶺;モンブランン遠望 横美の展覧会に比べ、スケッチや下絵なども取り入れた繊細な構成になっていた。わたしは、魁夷の山の画が好きである。彼がヨーロッパ留学中に描いたアルプスの山々のスケッチにとくに惹かれた。彼の留学先がフランスやイタリアでなくドイツだったことにも注目した。ドイツを志向する魁夷の性向が、彼の制作の基礎に存在したのであろう。東山魁夷は昭和を代表する日本画家であるが、ヨーロッパ留学が彼を支えていたことは彼のヨーロッパの都市や建物の画を見るとよく分かる。むしろ湿り気のないヨーロッパを題材にした画のほうが、気楽に描かれているような気さえする。

 もちろん魁夷の持ち味がもっとも発揮されているのは、日本の湿った雰囲気を取り込んだ作品である。魁夷の風景には人物が登場しないので、観るものがその風景の中に入っていくことができる。あの「白い馬」は、魁夷の化身のような気がする。彼はこの風景は自分だけのものであると主張しているような気もする。絶筆となった《夕星》も彼自身で、生前に準備した墓所の風景の中に立ち入ることが許されるのは、4本の樹で象徴される亡くなった両親と兄弟だけなどであろう。

 今回の展覧会は2階に続いている。そこには、唐招提寺の障壁画が展示されている。青畳の懐かしい香りが嗅覚を刺激する。このアロマを嗅ぎながら《濤声》や《揚州薫風》の視覚を楽しむという感覚展示室でこの展覧会は終了した。

 その後の懇親会の参加者は、Tak、Yuki, mizdesign、lysander、panda、るる、とら。

(2008.3a) ブログ


アーティスト・ファイル 2008: 国立新美術館

わひらき:halo これは、現代に生きる作家たちを紹介するアニュアル展で、多様な表現、多様なテーマ、多様なメディアからなっている。日本の作家のみならず、海外作家も紹介されており、統一したテーマがない。すなわち8人の作家の個展の集合。図録も個別に編集されていた。

 1.ポリクセニ・パパペトルー : オーストラリアの女性写真作家。子供と田舎をモティーフにしたわかりやすい作品で、好感が持てた。ミレイの画の現代版のような気がした。

 2.祐成政徳: バルーンを使った作品。会場の《a King and I #1》はちょっと暗くて好きになれないが、会場入口にあった果物のようなバルーンはコミックで良かった。

 3.市川武史: 天井からぶら下がる白い浮遊体《浮遊 ’06》。暗い部屋から出たところに展示されていたので新鮮だった。

 4.エリナ・ブロテルス: 写真とビデオの分野で活躍しているフィンランド人女性アーティスト。風景とセルフ・ポートレートがモティーフで、いずれもワイエスを思わせる雰囲気を持っている。

 5.佐伯洋江: 白いケント紙の上に、サンドペーパーで先を細く研いだシャープペンシルを主な画材として描かれている。余白を広く取った真っ白な画面の上に花や木が描かれ、日本の伝統的な花鳥風月を連想させる。目黒美術館の「線の迷宮」でも見た作家。

 6.白井美穂: 現代社会に異議を申し立てるようなビデオ・インスタレーションの三部作だが、いずれも不可解。

 7.さわひらき: ≪hako≫は、真っ暗な部屋の中に6面のビデオ・プロジェクションが同時に展開され、ゆっくりと動く時間が感じられる不思議な作品である。

 8.竹村京: かわいい白い刺繍をバックの線描作品の前に別なレイヤーとして展示する感覚は新鮮。 

(2008.3a) ブログ


国宝 薬師寺展: 東京国立博物館

 今回の出品数は47と少ないが、国宝8点を含んでいるので、じっくりと楽しんできた。配置にも工夫が凝らされている。

日光菩薩(右)・月光菩薩(左) 第1章 薬師寺伽藍を行く: 薬師寺の鎮守・休ヶ岡八幡宮の《三神坐像》は、いずれも彩色が良く残っている。今回の目玉の金堂の日光・月光菩薩は、高い位置からも見られるようになっており、全体のプロポーションや顔も良く分かる。両者とも腰をくねらせた柔らかい感じのする仏像である。日光菩薩は2.3トン、月光菩薩は2.0トンと大分差がある。今回は、中央の薬師如来がないので、二つの菩薩の間に立ってみると、あきらかに前者の腹部が膨らんでおり、後者はすっきりとしている。後ろに回ってみると、髪は入念に造られており、背中の中央のくぼみまで見える。裳の流れは月光菩薩のほうが優雅に感じられた。東院堂の《聖観音菩薩立像》は、ちょっと硬い感じだが、安定感がある。《仏足石》は、仏陀を人間の形で表現することができなかった時代のホトケのシンボルである。

 2.草創期の薬師寺: 藤原京の本薬師寺の遺跡からの出土品。塑像、壷、碗、瓦などあるが、あまり興味が湧かない。

 3.玄奘三蔵と慈恩大師: ここで一週間前に見た「ナーランダ・トレイル展」としっかり繋がってきた。まず玄奘の旅の地図が出てくる。その終点は「ナーランダ大学」である。玄奘はお経を担いだり、手に持ったりしている。彼がインドから持ってきた《大般若経》の写経も出ていた。唐時代の《大般若経》は「ナーランダ・トレイル展」にも出ていた。中国における法相宗の始祖である玄奘の弟子で日本の法相宗の宗祖とされる慈恩大師は目が釣りあがった逞しい顔つきである。

 4.国宝 吉祥天像: インド神話の幸運と美の女神ラクシュミーが、仏教に取り込まれて福徳の神となっている。思ったより小さな画であるが、暗い中で眼を凝らすと、素晴らしい唐の衣裳を着けた天女のような少女が、すべての願いを叶えてくれる赤い宝珠を持って立っている。

(2008.3a) ブログ

薬師寺オフ: 20名を越す大グループとなった。(一次会・二次会: Tak, Yuki, Miz, Kin, panda, merion, kaitaka, とら、ウルトラマリンブルー、圭、わん太夫、あおひー、えりり、・・・)、(一次会: 大久保、るる、朱奈、ふみ、トラトラ、宮森、横井)、(二次会: tonton, toshi, ogawama, 一村雨、さちえ)。

薬師寺展回顧:品川・高橋(N)、吉田・中村(東出)、池松・小幡(和光)、平山(新潮)、Tak2, lysander ,ogawama, merion, Nikki, 一村雨、きのこ、ミズシー、はろるど)


山口猛彦展: 佐賀県立美術館

山口猛彦:黒い椅子の部屋 山口猛彦(1903-79)は伊万里市に生まれ、佐賀中学校を卒業し、東京美術学校西洋画科に入学して、藤島武二に師事している。帝展、日展で活躍し、光風会会員を務めるなど、「洋画アカデミズム」の代表的画家として活躍した。

 今回は、23点の作品を一挙に観る機会に恵まれた。穏やかなタッチと美しい色彩で二つの展示室が輝いていた。《子供二人》と《秋果》はとても親しみやすい日本的な感じのする人物画。 帝展入選作の《黒い椅子の部屋》は、題名どおり黒が美しい。《河畔》、《セーヌ河畔》、《チュレリーの秋》は穏やかな外国の情景である。ご当地画家の良い展覧会にめぐり合うことができた。

(2008.3a) ブログ


きらめく個性ー江戸絵画: 佐賀県立博物館

 ギャラリートークに遅れたので、学芸員の福井尚寿氏にお願いして、課外授業をやっていただいた。

伊藤若冲:烏鶴図 1.伊藤若冲の双幅《烏鶴図》・・・鍋島報效会蔵。鍋島家は佐賀で2度の火災があり、美術品は東京のほうに移したが、そこでも震災によって沢山の美術品が失われているという。しかしこの《烏鶴図》は、江戸時代から鍋島家にあったことが確認されているとのことである。左幅では、梅の幹がバッサリ折れたようになっており、その上に鳥が飛んでいる。福井氏は「この鳥がカチガラスだと良いのですが」と仰る。これは鵲(かささぎ)のことで、カチカチの鳴くので佐賀ではカチガラスと呼ばれ、県鳥になっているという。右幅では、鶴の上の牡丹の花の白さが浮き立っている。そのことをいうと、「胡粉ですね」とおっしゃる。それにしても目立つので「例の裏彩色ということはないでしょうか」と訊くと、「外してみないと分からないが、牡丹のところだけそうなっている可能性は否定できませんね」ということだった。

 2.天龍道人の《葡萄図》・・・とても巧い。天龍道人は薩摩の勤皇の志士であったが、後半生は諏訪湖のそばに住み、葡萄や鷹を描いた。

長澤芦雪:唐獅子図屏風 3.谷文晁の《竹梅図》・・・すごい迫力である。文晁はほとんど全国を旅して、いろいろな画風の絵を描いているが、田能村竹田によると、師・文兆の描法は用筆雄渾(筆運びが強い)・施墨淋漓(墨に勢いがある)とのことである。

 4.長澤芦雪の《唐獅子図屏風》・・・これにはには驚いた。まるで飛び出してくるかのようなたてがみ。このように迫力のある筆致は芦雪そのものなのだが、金地なのである。福井氏もそのことを指摘され、金は後人によって加えられたのではないかということであった。落款の「魚」印の右上に欠損があるところから、これは芦雪晩年の作とされている。

(2008.3a) ブログ


南蛮の夢、紅毛のまぼろし: 府中市美術館

 「南蛮」とは安土桃山時代に日本と交流があったポルトガルやスペイン。「紅毛」とは、江戸時代に西洋で唯一の交流をもっていたオランダのこと。伊達政宗に派遣されローマ教皇との謁見を果たしたものの、帰国時にはすでに厳しいキリスト教弾圧が行なわれていたという非運の武士、支倉常長のことなどは、キリスト教が禁止されていた江戸時代には公にされることはなかった。しかし、明治に入り、常長が持ち帰った品々が公開されるや、人々の大きな驚きと感慨を呼び起こし、日本画の分野に登場した「歴史画」の格好の題材としてもとりあげられた。

 第1章 政宗と常長ー歴史画のなかの南蛮: 国宝の《十字架及びメダイ》や《ロザリオの聖母像》も出ている。これらは以前に仙台市博物館で観たことがある。

 第2章 蘭学の風景: 昭和になって描かれた太田天洋の《亜欧堂先生》は、江戸時代の洋画家「亜欧堂田善」のオマージュ。

金森観陽:南蛮来 第3章 南蛮・紅毛の追憶: 金森観陽の《南蛮来》は、大正時代の作であるが、南蛮屏風の世界である。

 第4章 夢想する人々: 竹久夢二も南蛮渡来の世界を描いている。彼の《邪宗渡来》は、彼の夢の世界なのだろう。

 第5章 信仰、禁教: 三露千鈴の《殉教者の娘》は美しい作品で、今回のベスト。松本華羊の《伴天連お春》は、キリシタンの遊女「朝妻」が、処刑される前に、「せめて桜をみてから死にたい」と望んだとの悲話にもとづく。

(2008.3a) ブログ


橋口五葉: 東京国立博物館 本館

 今回の東博はみどころタップリ。近代絵画室には、大好きな橋口五葉が並んでいる。五葉は鹿児島生まれ、東京美術学校を出ている。「大正の歌麿」ともいわれるが、「大正シック展」でも展示されていた。切手にもなっている。

 夏目漱石や二葉亭四迷の作品の装丁でも有名だが、丹念なデッサンによって人体を把握したうえで制作した「近代的浮世絵」、とくに木版の美人画はファンをとらえて離さない。

 五葉の美人画は鹿児島市立美術館や千葉市美術館に所蔵されていることは有名だが、灯台下暗し、東博にもあったのだ。出展作品は、1.髪梳る女、2.化粧の女、3.盆持てる女、4.三条橋、5.神戸の宵月。

(2008.3a) ブログ


長谷川等伯「牧場図屏風」: 東京国立博物館 本館

長谷川等伯:牧馬図屏風(部分) 東京国立博物館の本館のボランティアティア・ガイドに付いたところ、長谷川等伯の「牧馬図屏風」が出ていた。

 その右隻が春,左隻が秋の景であるが、さまざまな馬の姿態と馬をめぐる武人が細かく描き込まれている。かつての日本では、牧場で馬を飼うのではなく、自然の中で放し飼いにして成長させた後に捕獲して調教する飼育法がとられていた。野生馬の捕獲や調教の様子が丁寧に描かれている。

 また,これまでの狩野派の馬を題材とした絵は馬だけを際出させた「厩図」あるいは「調馬図」であったのに対し、等伯は松や柳といった「花鳥画」の要素を丹念に盛り込んでいる。馬を取り扱う武人たちの衣装はなかなかなか派手であり、躍動的なしぐさや動きも面白かった。

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千住博展ーハルカナアオイヒカリ: 東京 高島屋

千住博:  千住博の滝の新シリーズ。手漉き和紙に蛍光塗料を流し込み吹き付けて描かれた壮大な滝の画が8点。会場内のブラックライトとスポットライトによって、青く輝いて神秘的な印象を与える

 会場にコトンコトンというような音楽が流れている。水琴窟の音を模して弟の千住明が作曲したものだとのこと。画と音の兄弟コラボレーションである。

 観客の白いシャツや紙袋が蛍光を放つので異様な感じもする。「非常口サイン」の緑色が見えなくなっているのも不思議な感じがした。

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