日本美術散歩 07-2 (海外美術は別ページ)

大正シック 07.05 肉筆浮世絵のすべて 07.05 若冲展07.05 福田平八郎展 07.05
会田誠・山口晃展 07.05 風俗画と肉筆浮世絵(後期) 07.05 ヴィクトリア・アルバーと浮世絵 07.06 広重江戸名所百景 07.06
石本正と日本画の将来 07.06 松涛園 07.06 三之瀬御本陣藝術文化館 07.06 広島県立美術館 07.06
山種コレクション名品展 07.06 東京国立博物館 平常展 07.06 千代紙のいろいろ 07.06 東京国立近代美術館 所蔵作品展 07.07
染絵てぬぐい 07.07 金刀比羅宮 書院の美 07.07 名所江戸百景のすべて 07.07 大谷コレクション肉筆浮世絵 07.07
水野美術館 07.07 鉄道のデザイン 07.07 児島善三郎 07.07 森村泰昌 07.07
横浜美術館常設展 07.07 広重が描いた日本の風景(前期) 07.07

広重が描いた日本の風景(後期) 07.08

 

目 次 ↑


広重が描いた日本の風景(前期): 神奈川県立歴史博物館

 明年は、広重(1797-1858)がなくなって150年。このため、あちこちで広重展が開かれている。最近でも、「名所江戸百景」展がニューオータニ美術館東京藝大大学美術館が開かれていたが、今回はいよいよ「東海道五十三次」、「金沢八景」、「近江八景」の揃物が丹波コレクションから出てきた。

 有名な作品は何回も観たことがあるが、揃物として観ると、かなり違う印象である。特に「東海道五十三次」は、徒歩・舟・橋など川ごとに定められた渡り方、ご当地の食べ物や名所旧跡などツアーガイドとして楽しめ、次第に大きくなっていく富士山の姿の変化を見ていく楽しみがある。和歌と風景が一体となった近江八景や金沢八景は文学と美術の合体という西洋にはみられない独特の文化である。

 ちょうどガイドツアーに参加できたので、メモを残しておく。

東海道五十三次(保永堂版): 《絵袋》が残っているコレクションは珍しい。絵は縦に二つに折って画集のようにして楽しんだらしい。《日本橋》には人物の数の多い版と少ない版の両者が展示されている。《川崎》では馬から下りるのが縁起が悪いとして、馬に乗る版もあるとのこと。《箱根》はキュビスムの形成に影響を与えた。展示の《蒲原》は後摺りで、初摺りでは足跡とぼかしが違っている。《鞠子》の「狂歌入り東海道」では、茶店内に錦絵が飾られており、一番手前のものは広重のものらしい。この《見付》も後摺りで、左上に点の入ったものがあるとのこと。《藤川》は馬の献上の図で、これに広重が付いて行ったということは考えにくい。《池鯉鮒》としては、初摺りと後摺りが並べて陳列してある。前者の山が後者ではなくなり、一番左の馬の尻尾が黒から白に変わっている。《》や《桑名》はこれらをもとに盆栽が作られている。《関》は、瀬川菊之丞の使った白粉「仙女香」のPRとなっている。《阪之下》や《草津》は「名所図絵」を参照して描かれている。《京師》は最後の絵なのにあまり有名になっていない。

近江八景: 八景図は中国の瀟湘八景を参考に作られた。和歌が書き込まれている。和泉屋市兵衛版は四つに切って使った。魚屋栄吉版は縦絵である。辻屋安兵衛の《諸国八景の内 近江八景》には、一つの絵に比良から石山まで八景のすべてが描き込まれている。

金沢八景: 越村屋平助版には京極高門の和歌が描き込まれている。

東都名所: 15枚。《芝愛宕山上之図》の左端の男が指差している先には虹。≪上野東叡山ノ図≫の桜の花は「空摺り」の技法。これにはもう一人の学芸員の方も参加されて、ディスカッションが盛り上がった。

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広重が描いた日本の風景(後期): 神奈川県立歴史博物館

歌川広重:木曽路之山川 前期に引き続く「広重の没後150周年記念展」。11時、13時半、15時と3回のギャラリートークがある。1時30分のものが学芸員、あとはボランティアによるもの。ちょうど桑山学芸員のトークに間に合った。驚くことに100人以上の参加者。これでは個別に画をみていくことはできない。ということで、総論的な話になったが、かえって分かりやすかったような気がする。

 後期の目玉は《六十余州名所図会》。これは広重の後期の揃物。この後は《名所江戸百景》ぐらいだから、彼の到達点の一つといってもいいのだろう。これは縦の風景画。山や水にぼかしを入れて変化をつけている。テーマとしては、岩、神社仏閣、橋、水辺が多く、日本三景もシッカリはいっている。これは全国規模のものなので、見ていても飽きない。旅人はほとんど描かれておらず、風景は《山水奇観》などを参考にしている。

 「空摺」について単眼鏡でシッカリ観てきた。《美濃 養老の滝》は繊細な直線。同じ滝でも、《下野 日光裏見ノ滝》↓は曲線で、滝の上部のほうがやや太くなっているように見える。 《紀伊 和歌之浦》↓の鶴は複雑な模様が描かれている。

 広重が実際に旅をしてみた景色を描いた《甲陽猿橋之図》と《富士川上流の雪景》はとても良かった。有名な《木曽路之山川》の「雪」は素晴らしい。これは《武陽金沢八勝夜景》の「月」、《阿波鳴門之風景》の「花」=「渦」とともに「雪月花」をなすとのことであるが、圧倒的に「雪」が良い。

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コレクション展(2007年度第2期): 横浜美術館

 横浜美術館は年度を通常3期に分けて収蔵作品を公開展示している。今回の第2期は以下の通り盛り沢山である。

シュルレアリスムと写真: マグリット、アジェ、ボァファール、ケルテス、シュティルスキー、ブラッサイ、ブラント、ウンボ、ヴォルスなどの写真もあったが、何といってもマン・レイの作品が質量ともに他を圧倒する。シュールレアリスム展で観た《ガラスの涙》にも再会した。ブルトン、エルンスト、デュシャン、ミロ、シュヴィッターズ、ドランなど大勢の肖像写真のなかでは、何といっても《メレット・オッペンハイム》の半裸体像が圧倒的な迫力である。マン・レイ自身の《セルフ・ポートレート》を見ると、案外貧弱な男である。月岡芳年:金太郎捕鯉図

日本画にみる動物表現: 思わぬところで良い作品をたくさん観た。月岡芳年の《藤下鯉魚》・《金太郎捕鯉図》、小林清親の《鉄砲打猟師》、伊東深水の《蛍》・《蛍狩》、下村観山の《森狙仙の狼図模写》・《春日野》、前田青邨の《蝦蟇・鉄拐》、小茂田青樹の《喜雀》、今村紫紅の《鞠聖図》、などが良かった。

「わたし」との対峙−展開するセルフ・イメージ: 森村泰昌の《神とのたそがれ》T.昼下がり、U.たそがれ、V.夜、W.夜明・・・ウィーン美術史美術館所蔵のクラナッハ《キリストの磔刑》の中に、森村自身のほかにキューピー人形も入っている。森村のもう一点、《セルフ・ポートレート(原節子としての私)》は、この前世紀の大女優に対して失礼すぎる。ルーカス・サマラスの《オート・ポラロイド》、石原知明の自分の写真を張りつけたオブジェなどもあった。

長谷川潔−模写から創造へ: 版画は2点だけであるが、模写の素描が巧みなのに感心した。 

ミロとデルヴォーの版画: こんなに沢山観たのは初めてである。ミロの版画は油彩とほとんど同じ調子であるが、デウヴォーのそれは大分違う感じがした。

近代の絵画と彫刻: ミュンターの《 抽象的コンポジション》−1917制作、22.8X59.0cmとカンディンスキーの《網の中の赤》− 1927制作、61.0X49.0cm、油彩が並んで展示されていた。前者は 寒色で横長、後者は暖色でやや縦長であるが、愛し合った二人の画がこのように並んでいるのは乙な展示である。ミュンヘンのレンバッハ・ハウス美術館で観た「ミュンターがカンディンスキーと過ごした年月」写真展」を思い出した。

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森村泰昌「美の教室、清聴せよ」: 横浜美術館

 展覧会を授業形式にした珍しい試みである。まず右折して準備室に入る。そこで無料貸出の音声ガイドを借りて、次のホームルームに移る。椅子に坐って、ビデオでモリムラ先生の授業を聞く。来場者は「生徒」となっている仕組みである。 本を使ったインスタレーションのある廊下を通って、美の教室へ移動。

1時間目:フェルメール・ルーム [絵画の国のアリス]
 ウィーン美術史美術館にあるフェルメールの《絵画芸術の寓意》を模した森村の《フェルメール研究(大きな物語は、小さな部屋の 片隅に現れる)》という国立国際美術館所蔵のカラー写真。制作舞台となった原寸大のセットが再現されている。

液晶ビデオ画面で森村がミューズや画家として画面となる制作舞台に入っていくところが動画表示されている。見ているものも『鏡の国のアリス』のように、絵画の世界に入り込んでいくような感覚を味わうことができる。

2時間目:ゴッホ・ルーム [釘つき帽子の意味]
 絵画の世界に入った後は、森村自身が作品に「なる」時間。ゴッホの《耳を切ってパイプを加える自画像》を模した森村の《肖像(ファン・ゴッホ)》では、帽子や服装の感じを出すため、材料として布ではなく粘土を使ったというお話。そのとき使ったパイプがアルルの《荒れ模様の空と畑》の画の中に入っているのも面白い。
 ベラスケスの《王女マルガリータ》の中に森村が入っている作品が二点。服装とともに展示されていた。またセザンヌの《静物画》を模した作品では、リンゴが森村の顔になっている。部屋の中央にその縮小模型が置いてあった。

3時間目:レンブラント・ルーム [負け犬の価値]
 森村の作品は、どれもが自画像であるともいえる。森村は、生涯を通じて自画像を描き続けたレンブラントの作品に「なる」ことに成功しているのである。ここには全部で10点。とくに老人の皺の表現は抜群。メーキャップの勝利でもある。
 部屋の入口から中をみると、正面にドレスデン国立絵画館の《居酒屋の放蕩息子》を模した《放蕩息子に扮するセルフポートレート》が見え、周りはすべてレンブラントまがいの絵画である。思わずドレスデンのことが頭の中をよぎった。そこでは、《居酒屋の放蕩息子》のはるか遠方に対面していたのは、ラファエロの《システィーナのマドンナ》だった。


4時間目:モナリザ・ルーム[モナリザの、モナリザの、そのまたモナリザ]
 森村の作品の基本である「ものまね」を非難する人がいるが、文化は常に「まねる」という行為によって引き継がれているものであるいうことを認識させたいらしい。《モナリザ》を模した作品が3点あったが、いずれもグロな感じであまり好感が持てなかった。
 モナリザの顔をくり抜いた板が置いてあって、穴に顔を入れると、向こうに置かれた鏡に自分が写る。鏡の上には鏡文字の文章。生徒がモナリザになってみることを通じて、「まねる」という行為をあらためて考えさせる授業。
 マネの《フォリー・ベルジュール劇場のバー》を模した作品が2点、クラナッハの《ホロフェルネスの首を持つユーディット》を模した作品も2点観られた。

5時間目:フリーダ・ルーム [眉とひげ]
 メキシコの画家フリーダ・カーロは、女性でありながら太いつながった眉とヒゲを自画像に描き込んでいた。森村がこれを模した作品が6点出ていた。太い眉は付け髭を使い、自分の鼻の下のひげを少し残したとのことである。《支える力(折れた支柱)》や《私の中のフリーダ》が良かった。 マネは《オランピア》で少年のような肉体の女性を描いているが、森村はこの中に吸い込まれていくような気がしたと述べている。
 オランピアにおいてもフリーダ・カーロにおいても、森村の両性具有的な態度が表れているようである。

 

6時間目:ゴヤ・ルーム [「笑い」を搭載したミサイルの話]
 ゴヤの《ロス・カプリチョス(気まぐれ)》を模して、森村は「笑い」を大切にした作品をいくつも作っている。怒りに満ちた世界を救うことができるのは、政治家でも軍人でもなく、「笑い」を生み出すことができる美術だという考えに基づいている。《今、こんなのが流行っているんだって》という漫画のような画が面白かった。《アルバ公夫人》の2点も良くできていた。また、ナポリ美術館所蔵のブリューゲルの《盲人の比喩》を模した《お金に眼がくらんだ人》は、現状をそのまま風刺しているもので、笑うに笑えなかった。

 

放課後:ミシマ・ルーム 一日の授業を終えて、放課後の校庭にあるのは、森村のビデオメッセージ《なにものかへのレクイエム(烈火の季節)》。自分の美学を追求して自殺した三島由紀夫に成り代わった森村は、「七転八起」のはちまきを締めて、「清聴せよ」と叫びつつ、「芸術擁護」の大演説をうっている。しかし教師がこのようにと叫ぶのは教育的ではない。床に《薔薇刑の彼方へ》という三島の異常性の感じられるオブジェが転っているのだから、なおさらである。

その後、簡単なワークシート型の試験を受けると、修了証↓がもらえた。総じて見れば、授業形式によってアーチスト自身が観客に語りかけているという点では、良い試みであると思った。

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田園の輝き 児島善三郎: 府中市美術館

 是非観にいきたいと思っているうちに、最終日になってしまった。チケットを買うと、印刷した番号がボールペンで消してあって、別な番号が手書きされている。聞いてみると一般入場者の数が予想を上回ってチケットがなくなってしまったという。

 会場に入ると、ちょうどギャラリー・トーク。随分大勢の参加者。地元、国分寺にアトリエを構えていた画家だけに、解説の学芸員の話にも力が入っている。

  九州の資産家の息子。21歳の時、画家をめざして上京するも美術学校に入れず、肺結核のため闘病をやむなくされたという挫折の経歴を持つ。28歳になって再び上京し、二科賞をとるまでになる。震災後、3年間ヨーロッパ留学し、帰国後はその経験を活かし、あるいはその経験を踏み越えて日本独自の油絵を描くべく、住まいを変える度に、積極的に画風を変化させていった。

 全体としてみると、児島善三郎の画は色彩に富んでいる。最初は立体的な画法であったが、次第に平面的になり、南画の技法も取り入れた独自の日本的絵画となっていった。セザンヌ、マチス、ドランなどに類似を求めることができる画もあるが、彼独自の画風のものが圧倒的に多い。

 お気に入りをあげると、パリ時代では《レースを着る女》。

児島善三郎:雨 帰国後の代々木時代では《雨》。雨の音や温度まで伝わってくる。児島は、単なる写実ではなく、自分の五感を通して感じたものを画の中に描きこみ、これが観るものに伝わることを期待しているのである

 国分寺時代の《蓮花》は画面いっぱいに色彩があふれ、マティスの画を思わせる。

 戦後の《青田》はコバルト色の空が田圃の水に映り、地平線の薄紫が夕方への時間の移り行きを描いているようだ。このように児島は一瞬の時間を切り取ることが巧い。

 《アルプスへの道》は彼の代表作であるが、量感のある山や雲に向かって道が描かれている。観ている自分自身が絵の中に引き込まれ、この道を上っていくように感じる。

 《熱海夜景》は児島の到達点を表している。荻窪時代には体の具合が悪く、写生に出かけた熱海の海に映るきらめく光には、元気な人びとの生活に対する羨ましさが滲み出ている。

 会場全体が色彩豊かな風景と花にあふれ、とても明るく元気の出る良い展覧会だった。

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鉄道のデザイン−過去から現代・未来へ: 東京藝術大学大学美術館 陳列館

鉄道のデザイン(ポスター部分) 東京藝術大学大学美術館の陳列館 で開かれている「第2回 企業のデザイン展」を覗いてみた。

 これは藝大のデザイン科とJRの東日本鉄道文化財団 の共催で、大学が標榜する社会連携の実践のようである。今回、JR東日本が選ばれたのは、鉄道を通じた地域文化の振興、東京ステーションギャラリーや鉄道博物館などにおける芸術や文化の紹介に加えて、この企業の包括的なデザイン戦略の展開が評価されたためだとのことである。

 この陳列館には初めて入ったが、歴史を感じさせるどっしりとした建物である。一階と二階の両方を使ってたくさんの資料が展示されていた。 印象に残ったのは、観客に若い人が多いということである。この展覧会には「過去から現代・未来へ」という副題がついているが、このような若い人にはピッタリのものが並んでいる。

駅弁包装紙 過去のものとしては、国鉄の記念キップ、駅弁の包装紙、ディスカバー・ジャパンのポスターなどわたしにはとても懐かしいものたちである。しかし今見ても、これは素晴らしいと感心するものが少なくない。これらは交通博物館所蔵のものであるが、将来は今年10月に大宮にオープンする鉄道博物館に引き継がれていくのだろう。現在・未来についてはJR東の車両・駅舎のインテリア・エクステリア、さらに「東京駅丸の内駅舎保存・復元」についての詳しい説明や模型があり、立派なパンフレットも置いてあった。

 ユニークなものとしては、「山の手ラムネ」。デザイン科学部3年の五味由梨さんの作品。山手線地図の各駅の上に銀紙に包まれたキャンディーが置かれており、それをあけると白いお菓子が出てくる。それも別な山手線地図の上に乗っかっている。その形が凝っている。渋谷駅は「ハチ公のような犬」、神田駅は「開いた本」である。

 この展覧会は、藝大では7月17日までだが、7月24日からは旧新橋停車場の鉄道歴史展示室で公開されるという。こちらは11月まで。一見の価値あり。無料! 

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開館5周年記念 名品展: 水野美術館

横山大観:無我 大観の《無我》3点のうちの一つが出ていると知って、長野の水野美術館に行った。美術館前には立派な冠木門、よく手入れされた日本庭園がある。

 3階の展示場には有名作家の大きな日本画が並んでいる。 川合玉堂の《渓村春雨》は、比較的最近、日本橋高島屋で開催された「川合玉堂展」で観たばかりだったが、地方で見るといっそう味わいが深い。


 西郷孤月という画家のことは初めて知った。大観・春草・観山とともに美校4天皇と呼ばれ、岡倉天心の媒酌で雅邦の女婿となっていながら、数年で離婚し、放浪の旅に出て、39歳で夭折している。この孤月《月下飛鷺》では、月も樹も暗く朦朧としているが、一羽の白鷺だけがはっきりと描かれている。この絵は彼が離婚したころの作という。この鳥は画家自身を象徴するものではあるまいか。

 上村松園の美人画がいくつも出ていた。浮世絵に題材をとりながら、 女性の凛とした品格を表しているところはさすがである。すだれを少し開けて外を見ている団扇を持った女性を描いた《夕べ》は特に優れている。

 横山大観は《無我》がベスト。東博のもののように青が使われていないのでちょっと物足りないが、足立美術館の墨絵淡彩にくらべればはるかにインパクトがある。

 橋本雅邦の《李白観瀑図》・・・松・滝・人物の配置、下村観山の《西洋婦人》・・・ビゲロー夫人、菱田春草の《稲田姫》・・・オドロオドロシイ八岐大蛇、鏑木清方の《花ふぶき・落葉時雨》・・・めずらしい大作、伊東深水の《夜長》・・・香をたきしめる胸元、ぼんぼりにとまるコオロギに注がれる視線などが印象的であった。


 2階にも大作がずらり。奥田元宋の《月明秋耀》では、紅葉の赤が空の青、山の白、月の黄色を圧倒している。杉山寧の《晶》、加山又造の《雪晴れる》・・・抜けるような青空と白い山の稜線と陰影、平山郁夫の《流沙月光》・・・細い毛のような筆致などを楽しんだ。 児玉希望の《春月》の夜桜の濃淡、山口蓬春の《留園駘春》の木蓮、堅山南風の《朝の月》の山桜も迫力があった。


 別室に、中島潔の童画が14点並んでいた、美しいバックのなかに無心な子供たちの姿が愛らしく描かれている。この部屋全体が花畑であるが、子供たちはかららずしも「無我」とはいえない。 《初恋》、《花別れ》など子供なりの悩みが描かれている。

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大谷コレクション肉筆浮世絵 美の競演−珠玉の浮世絵美人: ニューオータニ美術館

 肉筆浮世絵も、ボストン出光とすばらしいものを観てくると、「大谷コレクション」も見たくなってくる。ホームページには約50点の出品となっているが、実際に観られる浮世絵は44点と少なかった。

 展示は時代順になっている。まずは《寛文美人図》が2点。そのうち花籠を持っている美人が良かった。伝菱川師宣の《元禄風俗図》はよく観る題材ではあるが、しっかりと描かれた好品。懐月堂度辰の《美人図》は相変わらずのもの。西川祐信の《春の野遊図》は明るくてほっとする。松野親信の《見立紫式部》は理知的でなかなかの美人。


勝川春章:初午図勝川春章:立美人図 勝川春章の優品が2点。《初午図》は狐の面をつけた子供がコミックに踊っており、太鼓を打つ2人の子供の一人は手を止めて踊りを見ており、もう一人は撥を花の上に立てて遊んでいる。母親に抱かれた幼児はおもしろそうに見ている。それぞれの人物の特徴が見事に描かれている。《立姿美人図》は8頭身美人が体をくねらせて、裾にじゃれている子猫を見つめている。なにげない一瞬の動作を切り取ったもの。


 北尾重政の《ほたる狩図》は、蛍を追う女性の動きを見事に捉えた作品。袖や裾の翻るさまはとてもダイナミックだ。 窪俊満の《雪中二美人図》は、本日のベストの一つ。積もる雪に傘がしなっているさま、提灯の文字の巧みな表現、雪駄を履く裸足にかかるびしょびしょの雪、どれをとっても素晴らしいというしかない。酔夢亭蕉鹿の《ほたる狩図》は色っぽいが、蛍が蜂のよう。


 喜多川歌麿の《美人と若衆図》は一人ずつ小さめの円のなかに描き、広い空間を残した優れたデザイン。喜多川派の《つめきり図》は色っぽい。喜多川藤麿の《俄雨》は動的。歌川豊春の《大原女》、豊国の《月下美人図》、広重の《高尾図》もよかった。魚屋北渓の《洗髪美人図》の髪も美しい。葛飾派の《蚊帳美人図》もなかなかのもの。


 出口に鈴木其一の《吉原大門図》があった。酒井抱一は歌川豊春に指示したことがあるというが、抱一の高弟の其一も美人画を描いている。先日、太田記念美術館のV&A展で其一の団扇絵を観たが、今回のものは本格的な遊郭の肉筆浮世絵である。大門を頬かむりをしたり、杖をついたりして入ってくる男たち、見世の中の大勢の遊女たちなど見事な筆致で描かれている。これが琳派の大家の絵とは思えない。

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歌川広重《名所江戸百景》のすべて: 東京藝術大学大学美術館

 明治43年に、東京藝術大学が購入した《名所江戸百景》の貼り込み帖から全葉を剥離するプロジェクトが2006年度に完了した。この展覧会は、その修復完了の報告を兼ねて、全点を一挙に展観するもの。

 合計120枚が揃うと豪勢。会場はかなり明るいので観やすかった。

 展示は改印による制作月順で、オータニの季節・絵番号順とは違っている。原信田 実の《謎解き 広重「江戸百」》でも改印をもとにした制作月順であるが、同一月内は題名の50音順になっていた。今回の藝大の同一月内も順序はどうやって決めたのだろうか。とにかく紛らわしい。そこで「東京藝大番号」、「原信田 実番号」、「絵番号」を一括表示した「江戸百景 番号一覧表」を作成した。

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金刀比羅宮 書院の美: 東京藝術大学大学美術館

円山応挙:水呑みの虎 金刀比羅宮の書院の襖絵を鑑賞する機会が訪れた。外すことのできない障壁画は高精度のデジタル写真で複製され、一応書院の雰囲気が出るようになっている。東京の後、いったん金刀比羅宮に戻るが、そのときには普段開放されていない奥書院も見られるとのことである。その後、三重県立美術館、パリのギメ東洋美術館を巡回する。

 まず表書院に入り、円山応挙の作品を観る。鶴の間の《葦丹頂図》、虎の間の《遊虎図》、特に《水呑みの虎》の親子虎、正面から見た《八方睨みの虎》が素晴らしい。畳に坐って観るように腰を低くしてみると滝の水の流れや虎の迫力がまるきり違ってくる。七賢の間、《竹林七賢図》の人物は線が細いが、竹林が墨の濃淡によって空気遠近法のような奥行き感が出ている。

 次いで、奥書院に入る。まず岸岱の作品が並んでいる。柳の間の《水辺柳樹白鷺図》、菖蒲の間では《水辺花鳥図》、春の間では《春野稚松図》などゆったりとした絵である。

 上段の間はお目当ての伊藤若冲の《花丸図》である。実物の障子は4面だけだが、豪華絢爛な花の乱舞である。これも坐って観るようになっており、花図の高さや間隔が上に行くほど大きくしてある。

 奥書院から再び表書院に戻ってくると、ふたたび円山応挙の山水の間。複製でないのは《春景山水図》という穏やかな画だけである。 富士の間には、邨田丹陵の《富士山図》と《富士巻狩図》が別室にあり、間の襖を開けると両者を同じ視野のなかにとらえることが出来る。

 地下二階には、絵馬・屏風・船模型・扁額縮図などを気楽に観ることができた。絵馬としては、谷文晁の《羅陵王図》、冷泉為恭の《駒迎図》、月岡芳年の《馬図》が良かった。《象頭山社頭並大祭行列図屏風》には右に門前、左に神域が描かれた大きな風俗図。平林春一の《金比羅狗図》の金比羅参りをする犬がかわいらしく描かれていた。

鑑賞会参加者:Takさん夫妻、はろるどさん、mizさん。池上先生ともお会いした。

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川上桂司・千尋 染絵てぬぐい 二人展: 京王プラザホテル

 これも何かとても懐かしい気がする展覧会。

 現仕事で新宿の京王プラザホテルに出かけたところ、ロビーギャラリー・アートギャラリー「川上桂司・千尋 染絵てぬぐい二人展」が開かれていた。桂司さんの卒寿に際して刊行された「染絵てぬぐいに生きる」の出版記念展とのこと。

山東京伝の戯作の主人公が客席を覗く図鏡獅子 見てみると、すばらしい模様に染め上がった手ぬぐいが並んでおり、一部は額に入れられ、一部は反物のように巻かれていた。多色染めのもの、それもグラデーションがあるものなどすばらしいできばえである。画題も江戸時代の文化の香りのするものが多く、歌川国芳の《猫百態》や山東京伝の戯作《江戸生艶気樺焼の主人公が舞台裏から客席を覗いた顔》(千尋さんのHPから許可を得て転載)とても愉快なものもあった。

 一階ではお父さんの桂司さん、地下では息子の千尋さんから話を聴くことができた。わたしの理解したところでは、浮世絵版画の工程と似た作業が必要で、1)原画:下絵を描く、2)型紙:下絵にしたがって和紙に彫刻刀で型彫りして型紙を作る、3)糊置き:型紙を木枠に張り、木箆で防染糊をつける、4)注染:折りたたんだ反物に、染料を注ぎ染める。糊を置いた以外のところに染料が染み込んで染まる、5)水洗:糊を水で洗い落とす、6)乾燥:そのままでは幅縮みするので、丸巻して戻す、7)色を重ねる場合は、同じ工程を繰り返すとのことである。千尋さんが書いて下さった「折付注染」の説明図はブログに載せた。

 元来は「用の美」というべきものであろうが、現在となってはアートであり伝統工芸となっている。展覧会は7月10日までであるが、浅草のお店「ふじ屋」へ行けばいつでも見られるようである。「千代紙」の展覧会といい、「てぬぐい」の展覧会といい、ここのところ古き良きアートにふれることができた。

(2007.7a)  ブログへ


平成19年度第1回所蔵作品展: 東京国立近代美術館

 ここはマルチな近代美術が揃っており、日本美術と外国美術に分けることは難しいため、それぞれの感想は個別にブログに書いた。そのインデックスを↓にまとめておく。

 1.ココシュカの《アルマ・マーラーの肖像》

 2.山川秀峰の《序の舞》

 3.福田一郎の《船舶兵基地出発》

 その他に、アンリ・ミショー展を見た。意識下から表れた画像が何となく人体の形をとっている。とくに幻覚剤メスカリンの影響下に描かれた画では人間の顔が浮かんでくる。詩人でもあるミショーを理解するのは難しい。

 アンリ・カルチエ=ブレッソン写真展もやっていたが、これは観なかった。ただ若い人がたくさん観に来ているので驚いた。ミュージアム・ショップでカタログを見たところ、日常的な場面がスナップ・ショットとして撮られた分かりやすい写真ばかりだった。これならわたしにも理解できる。

(2007.7a)


千代紙いろいろ 小間紙の世界展: 鉄道歴史展示室

川端玉章:柏に松葉 何かとても懐かしい気がする展覧会。

 現在も千代紙や、千代紙を張った箱、手帳等小物が売られています。ちょっと今の生活様式には合わないような気がして我が家にはありませんが。

 子供の頃は千代紙は高級品でそれで何を作ったかは覚えていませんが、大切にしていた記憶があります。

 今回見た千代紙は幕末、明治から昭和の戦前にかけて木版から作られたもので、色も豊かな草花模様が多く、西洋にも多数流出しました。

 画像は、川端玉章の《柏に松葉》です。クリックしてみてください。葉の虫食いまで描かれています。いまや、千代紙は「用の美」を超えたアートです。

(2007.6 t)  ブログへ


平常展2007-6: 東京国立美術館

1.浮世絵
■ 奥村政信《美人と鶏》・・・『汗になる鳥に悋気の夫婦徒』(湯上りの女が番う雄鶏・雌鶏を妬いてまた汗が出る)といった説明があったが、本当かな。あぶな絵を描く口実ではないのか。西洋でも裸体を書く口実にヴィーナスが使われていた。


■ 鈴木春信《持統天皇》・・・よく知っている和歌が出てくるとうれしい。「春すぎて 夏來にけらし白妙の衣ほすてふ天のかぐ山」という小倉百人一首。洗濯中の女性で見立て。


■ 北尾重政《東西南北美人・西方乃美人 堺町橘屋内三喜蔵,天王寺屋内松之丞》・・・なかなか美しい。黒い色は良く残るのでアクセントになっている。


■ 喜多川歌麿《當時全盛美人揃・瀧川》・・・美人!


■ 喜多川歌麿《當時全盛美人揃・若松屋内若鶴》・・・これも美人!!


東洲斎写楽《二代目瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木と中村万世の腰元若草》■ 東洲斎写楽《二代目瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木と中村万世の腰元若草》・・・「花菖蒲文禄曽我》に基づく作品。細面の「やどり木」とぽっちゃりとした「若草」の対比が面白い。

■ 東洲斎写楽《橘屋中車・三代目市川八百蔵の八幡太郎義家》・・・なんといっても目つきがユニークである。


■ 礫川亭永理《蚊帳の内外》・・・色気のある柱絵。蚊帳の描き方が巧い。


■ 葛飾北斎《草刈の帰途》・・・牛に乗って帰る少年。のんびりとした田舎の風景。


■ 歌川国芳《通俗水滸伝豪傑百八人・入雲龍公孫勝》・・・激しい武者絵。


■ 歌川国貞(三代豊国)《江戸名所百人美女・御殿山》・・・美人はいつ見てもよいが、行水はなおのこと。


■ 葛飾北斎《冨嶽三十六景・甲州石班沢》・・・藍の発色が非常に素晴らしい。これに再見するだけでも東博に来た甲斐がある。


■ 葛飾北斎《冨嶽三十六景・甲州犬目峠》・・・色彩のある富士の絵もまた良し。


■ 喜多川歌麿《美人見立曽我の対面》・・・父の仇工藤祐経を討たんとする曽我十郎・五郎兄弟は、富士の裾野での祝宴の席で初めて仇に対面した。兄十郎は、仇討ちに逸る弟五郎を戒め、じっと堪えた。工藤祐経は「「時節がきたならば潔く討たれよう」と、兄弟に狩り場の通行手形を投げ与え、再会を約した。


■ 鳥居清長《橋下の涼み舟》・・・風にそよぐ舳のすらりとした八頭身美人の袂と鰹をさばく男が良い。千葉美術館の「鳥居清長展」でボストンの同じ作品を見たばかりの作品である。こちらの摺りも秀逸。ただしなぜかタイトルが違っている。ボストンの題は《吾妻橋下の涼船》。千葉氏美術館で浅野秀剛氏の講義が会った際に、「外国の美術館に収蔵されているものが多い清長の作品のタイトルはどうやってつけるのか?」と質問したところ、「研究家の平野氏の意見に従っている。」との回答だった。しかしこの通り、千葉と東京とでタイトルが違っている。東博が千葉に嫉妬してこの作品をわざわざこの時期に出したのでなければいいが。

2.国宝室
■ 京都神護寺《山水屏風》・・鎌倉時代のもっとも古いやまと絵。緑色が美しいぃが、薄暗い部屋なので単眼鏡でヤット細部がわかる程度まで変色している。現在の技術では、修復ということはできないのだろうか?

3.禅と水墨画
■ 伝周文《四季山水図屏風》・・・室町時代のすばらしい水墨画。景色にくらべ人間が小さく描かれており、自然の雄大さが強調されている。

4.屏風
■ 英一蝶《雨宿り図屏風》・・・雨宿りの絵は身分を超えた絶好の民俗画。


■ 不詳《南蛮人渡来屏風》・・・洋犬や黒人もしっかり描かれている。美しい色彩が残った優品。

5.書画の展開
■ 長谷川等伯《伝名和長年像》・・・素晴らしい作品。

■ 与謝蕪村《新緑杜鵑図》・・・懐かしい日本の情景が、ほんわかとした緑で表現されている。


■ 谷文晁《彦山真景図》・・・これは浦上玉堂を彷彿とさせる迫力ある絵。福岡県と大分県にまたがる英彦山(ひこさん)。修験道の聖地として名高い。

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開館40周年記念 山種コレクション名品展: 山種美術館

  その頃日本橋にあった山種美術館を最初に訪れたのは、1991年。ホームページに短い記事が残っている。その日本画コレクションが気に入ったらしく、立派なハードカバーの図録を買ってきて、時折取り出しては楽しんでいる。
 この美術館はスペースが狭かった。多くのコレクションの中からごく少数だけを取り出して展示するため、どうしても細切れ展示となる。
 その後三番町に移ったが、相変わらず狭いギャラリーなので、ここを訪れたのは数えるほど。最近では、竹内栖鳳展千住博展ぐらいである。今回の「開館40周年記念展 山種コレクション名品選 後期」には、以前の図録に載っている作品が沢山出ていることを知って観にいった。


 俵屋宗達の《槙楓図》は、槙の羽振りが良いのに反し、楓がその陰に隠れている。17世紀前半のものなので、色彩がくすんできている。俵屋宗達−本阿弥光悦の《四季草花下絵和歌短冊帖》は18図がすべて出ていたが、ほとんど字が読めない。修復が必要な段階にきているのだと思うが、このような規模の美術館で可能なのだろうか。
 同時代の作品、岩佐又兵衛の旧金谷屏風《官女観菊図》は墨絵淡彩であるため、劣化が少なく、衣装の細かい模様まではっきりと残っている。浮世絵の創始者ともいわれる又兵衛の傑作である。椿椿山の《久能山真景図》はホンワカとした趣のある情景で、なかなか良い。


上村松園:牡丹雪 川合玉堂の《鵜飼》は見事。上村松園の《砧》はあまりにも有名であるが、今回は《牡丹雪》のほうが印象的だった。画面の右下に描かれた二人の女性以外は広い空間が残され、そこに一片ずつ異なる形の雪が舞い降りてくる。傘に積もった雪が重そうだ。


 小林古径の《清姫》。イケメンの安珍に惚れた清姫が逃げる安珍を追って空を飛び、日高川を渡って3本爪の龍となって道成寺の中に隠れた安珍を焼き殺してしまうというファム・ファタルの物語絵。二人が埋められた比翼塚の上に咲いた入相梅の美しい姿がこの8面の絵を締めくくっている。


速水御舟:炎舞  安田靫彦の《出陣の舞》。桶狭間に出陣する織田信長が舞う「敦盛」。「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如く也。一度生をえて滅せるもののあるべきか」という歌が美しい色彩の中から聞こえてきそうである。前田青邨の《腑分》は若い女性の解剖図であるが、切開部があらわになっていない点、手を合わせる見学者が数名描かれている点に救いを感じる。


 有名な奥村土牛の《渦潮》や速水御舟の《炎舞》の迫力はすごい。東山魁夷の《緑潤う》も何回観ても良い。加山又造の墨絵彩色の《波濤》の波しぶきのストップモーションのような描き方にも圧倒された。

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広島県立美術館

  広島には早めについて県立美術館に行った。浅野長政の別邸「縮景園」のとなりだが、駅からタクシー、ワンメーターで着く便利なところにある。建物はとても立派で、中は広々とした贅沢な美術館である。各部屋には出展リストの他に、主要作品の説明カードも用意してありとても親切である。週日の午後早い時間と会って、館内はガラガラ。これでよくやっていけるものだ。

 入ってすぐの彫刻展示スペースには、「広島ゆかりの彫刻家」の作品が並んでいた。一番奥には平櫛田中の《五柳先生》が貫禄を示し、手前の林健の《初秋の作》はすっきりした母娘の像だった。

ファイニンガー:海辺の夕暮れ 第1室は「太陽がいっぱい」と銘打った明治から昭和期の日本人画がの洋画。南薫造の《日の出》、山路商の《T型定規のある静物》、池田改造の《運河》が良かった。 靉光の《帽子をかぶる自画像》は最近東京国立近代美術館の「靉光展」で観たが、その場所にはパネルが掛けてあった。もうすぐこの美術館で「 靉光展」が開かれることになっているとのことである。

ヘッケルの:木彫りのある静物ピカビア:アンピトリテ 第2室は、「1920-30年代の美術T」。ファイニンガーの《海辺の夕暮れ》、ピカビアの《アンピトリテ》、ヘッケルの《木彫りのある静物》、ベントンの《禁酒法の取締り》、ベン・ニコルソンの《絵画》、ベン・シャーンの《強制収容所》、ダリの挿絵原画《マルドロールの歌》などとても良い作品が多かった。

児玉希望:降魔奥田元宋:青山白雲 第3室は、「児玉希望・奥田元宋・平山郁夫T」、「塩出英雄」、「花鳥の華やぎ」といった日本画。児玉希望の《降魔》は恐ろしく迫力がある宗教画。奥田元宋の《青山白雲》は墨絵に彩色したような中国風の情緒をたたえた画。《渓間春耀》は桜、《渓間秋耀》は紅葉の美しい元宋の世界であった。

 第4室は、「民芸からひろがる世界」で、バーナード・リーチ、川合寛次郎、浜田庄司、芹沢_介、黒田辰秋の作品が出ていた。特別展示「柿右衛門様式の優品」として、重要文化財の《伊万里色絵花卉文輪花鉢》と《色絵馬》が出ていたが、いずれも素晴らしいものだった。

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三之瀬本陣藝術文化館

  下蒲刈島の蘭島閣美術館などがある一帯は「三之瀬」と呼ばれ、江戸時代に作られた船着場も残っている。そのすぐ前に、昔の本陣の外観を復元した建物があり、内部は美術館として使われている。

須田国太郎:渓流の鷲 一階には、須田国太郎の作品が11点も並んでいる。なかでも優れているのは《渓流の鷲》。須田は黒の画家で、ともすれば全体に暗い画になっているものが多い中、この画では、黒は鷲と岩に集中し、明るい渓流と見事な対照をなしている。

  二階に上がると、小林和作の作品がやはり11点。須田を見た後だけに、その明るさにホッとする。 梅原龍三郎が4点、中川一政7点これも合計11点。いずれも素晴らしい。このような有名作家の画が瀬戸内海の島に集まっているという事実に驚愕する。

 再び一階に下りてくると、「李朝陶磁器」が一部屋全体を占めて陳列されている。李朝独特の渋い彩色のものばかりである。

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松涛園 @下蒲刈

  1)陶磁器館(旧木上邸)、2)御馳走一番館(旧有川邸)、3)あかりの家(旧吉田邸)、4)蒲刈島御番所(復元)が並んでいる。

 「陶磁器館」には、色鍋島、古九谷、古伊万里などの名品がこれでもか、これでもかと並んでいる。

 「御馳走一番館」とはユーモラスな名前である。江戸時代、来日した朝鮮通信使を歓待するため、各地に幕府指定の御馳走所(接待所)が設けられた。通信使には案内役として、毎回対馬藩の宗藩主が随行し、江戸に到着した際にどこの藩の接待が良かったかが評価されたが、下蒲刈は「安芸蒲刈御馳走一番」との名声を得ていたという。

 入るとすぐに当時の船や使節の模型、そして料理の模型が並んでいる。

 二階には、通信使の行列の模型があった。驚くべき多数である。通信使の総数は400-500名とされている。絵巻もあったが、やはりすごく長い。喜多川歌麿の大判7枚続の浮世絵《見立唐人行列》。通信使一行は花魁が勤めている。米国のボストン、シカゴ、ハーバード、ウスターとイタリアのキオッソーネ、英国の大英博物館には所蔵されているが、日本で観られるのはここだけ。もっともホンモノは左から4枚目の輿を担いでいる絵だけで、あとは複製だが、知らなければホンモノに見えてしまう。

 「あかりの家」にはランプ類のコレクション、庭園も素晴らしい。この「松涛園」をゆっくり見て回ると、何時間あっても足りないだろう。

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石本正と日本画の将来: 蘭島閣美術館

石本正:香  広島出張が決まったのでネットで広島県内の美術館を探した。そのなかに蘭島閣美術館という聞き慣れない美術館があった。瀬戸内海の島にあるようだ。蘭島文化振興財団のサイトを調べて驚いた。石本正の企画展が行われているではないか。上半身裸の女性を描いた石本の《香》は非常にinvitingである。ずっと昔に築地の料亭《河庄》でみた水着の日焼けの跡が残っている上半身裸の舞妓の画が甦ってきた。

 「絶対に行くぞ」と心に決めて広島に出かけたが、この美術館を知っている人は見つからず、ネットでも美術館へのアクセスがはっきりと書かれていない。前日に呉の大和ミュージアムに出かけた際に、「くれ観光アクセスマップ」を手に入れ、ようやくこの美術館のある「下蒲刈」という島の位置が判明した。呉から車で40分となっているから旅行者には手ごわい。呉線の「広」駅あるいは「仁方」駅からバスが出ているような記載もあるが1時間に何本出ているのやら?

 ほとんど諦めていたところ、夜のパーティーで会った地元のM氏から「一度出かけてみたいと思っていたから、明日ご一緒しましょう!」との有難い神の声。

 前置きが長くなってしまったが、8:07「広島」駅発−9:23「仁方」駅着。あらかじめ隣の「広」駅前から呼んであったタクシーに乗る。こういった高等戦術は東京からの旅行者には絶対出来ない。あらためてM氏と神様に感謝。安芸灘大橋という素晴らしい有料の橋(¥700)を通って下蒲刈に入ると松の剪定作業が進められている。島全体を日本庭園にしてしまおうという恐ろしい計画があるようだ。道路も石畳となる。ここは江戸時代に朝鮮通信使が泊まったという由緒ある港。これを観光資源としようという考えらしい。全国から由緒ある民家を移築して、これを美術館や博物館に使用しているのである。

 蘭島閣美術館はその一つ。総檜造りの見事な建物である。あと三箇所との共通券を買うと帰りの橋の通行料が無料になるという奇策まで付いている。

 ようやく絵の話になった。一階には石本正と同時代の館蔵の日本画が並んでいる。作者名を見て驚いた。稗田一穂、小泉淳、加山又造、横山操、吉岡堅二、上村松篁、山本丘人などの一流の画家、それも見事な作品が並んでいる。

 加山又造の《鴉》は、金地に銀の月、そして中央には尖った嘴を持つカラスが威厳を正している。加山の迫力はここに極まれりといったところである。

 横山操の《朱富士》のバラ色の染め上がっている富士山、これをかすかに写す湖影。まさに絶品である。

 二階に上がると、石本の選定した美しい作品が並んでいた。中でも、伊藤はるみの《萩咲く》という繊細な花の画、岡崎國男の《悠揚》というシマウマとダチョウを描いた画、奥山美佳の《詩人の海》というまるで美術館の前の瀬戸内の詩情が感じられる画などが心を惹いた。

 さて一番最後がお目当ての石本正の作品群である。このなかではポスターの《香》が抜群である。レオナルドのスフマートを思わせる微妙な陰影の裸身、抑えた縞に落ち着いた黒と金の扇面を散らした着物。はるか東京からこの女性に会いに来たのだが、その表情には男を寄せ付けない強さがあり、思わずたじろぐ。謎めいた表情のこの《香》には「蘭島のモナリザ」という賛辞を呈したい。

 石本の作品としては《幡竜湖の乙女》もよかった。こちらのほうが大きな作品で、表情の謎めいた不可思議さは《香》を上まわる。しかしマイタイプはなんといっても《香》。きれいな《舞妓》も出ていたがこれとても《香》には遠く及ばない。

 東京からわざわざ石本の画を見に来たわたしにこの財団の竹内弘之理事長が会ってくださった。コーヒーをご馳走になりながら、町長時代からの長年の計画で町並みを整え、地元の人にホンモノを見せるために画や陶芸のコレクションを始めたことなどを伺った。話の中に共通の知人の名前が出てきたことにも驚いた。お土産にこの企画展の図録と地元の名産「姫ひじき塩」を沢山いただき、出口まで送っていただいた。

 その側には橋本明治の《麓》という坐った舞妓さんの画があり、その昔「河庄」の上がりかまちで見送ってくれた女性たちの姿がふっと浮かんできた。 その後、松涛園と三乃瀬御本陣藝術文化館を見て、クルマで「広」駅に戻り、11:33発−「広島」駅に12:22帰着した。素晴らしい半日の美術散歩だった。このような旅を与えていただいたM氏と神様に厚く御礼申し上げる。

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広重江戸名所百景: ニューオータニ美術館

歌川広重:浅草田甫酉の町詣 これもいつの間にか後期。「江戸百」は大分観ているが、こうやって目録を含め全120枚のうちの半数を並べて観ると、やはり迫力がある。それと意外に知らない絵が多いということも認識した。

 奥の部屋で、「江戸百景の今とむかし」と題したスライドショーをやっていた。現在の写真と浮世絵を左右に並べて見せてくれるのである。本当に様変わり。江戸時代の人がこれを見たら腰を抜かすだろう。でも現代から見れば、江戸時代の景色のほうが断然奇麗。
 
 出口で「江戸切絵図で歩く広重の大江戸名所百景散歩」という本を買った。展覧会期間中は定価2,625円が2,200円に割引。帰途、目を通してみたが、とても真面目な書き方で好感が持てた。地図と一緒というのも楽しい。「散歩」に地図は必携である。当然絵番号順ではなく、場所別となっている。

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ヴィクトリア & アルバート美術館所蔵浮世絵名品展: 太田記念美術館

 前期は忙しくて、後期だけをやっと観ることができた。

 喜多川歌麿の《美人五節の遊》の七夕の回灯篭が面白く、喜多川月麿の《茶の湯の図》は茶碗や茶入の仕覆がうまく描かれており、紫色がよく残っていた。

葛飾北斎:富嶽三十六景 遠江山中 葛飾北斎の《富嶽三十六景 凱風快晴》は良い摺りだったが、《富嶽三十六景 山下白雨》の落款のところには乱れがあった。また、《富嶽三十六景 遠江山中》は今回のポスターにもなっている作である。岳亭春信の《墨をする官女》。絵もすっきりしているが、字が巧くてはっきり読める。浮世絵の字には読みにくいものが多いので、これは特別。さすがに書道の絵。

 歌川国貞の《二見浦曙の図》は太陽光線の表現がユニーク。

 歌川広重の初期の作品《浅草奥山 貝細工(鶴、兎ほか)》はなかなか面白い。《枇杷に小禽》は藍が美しい。《近江八景之内 石山秋月》や《木曽海道六拾九次之内 洗馬》も素敵だった。広重の団扇絵《相州鎌倉七里のはま》は富士が大きく描かれ、藍が美しかった。

 歌川国芳の《高祖御一代略図 佐州流刑角田波題目》では、波に「南無阿弥陀仏」の字が浮かんでいる。佐渡に流される途中の日蓮聖人がこれを唱えたところ、波が静まり、船は難破を免れたという。

鈴木其一:団扇売り渡辺崋山:ほおずき 面白かったのは、酒井抱一鈴木其一渡辺崋山といったいわゆる浮世絵師でない画家が登場していたことである。いずれも団扇絵判の錦絵であるので気楽に描いたのかもしれない。抱一の《蚊》は細かい蚊が無数に描かれている。其一の《団扇売り》は色が鮮やかであった。崋山の《ほおずき》は棒で串刺しのようになっており、これにも2匹の蚊が寄ってきていた。

 河鍋暁斎の《薄幸物語》や歌川貞秀の《新版早替両面化物》などユーモアのある作品には笑ってしまった。

 また北斎や広重の画本、稿本に鮮やかな色合いが残っているものがあった。本になっているほうが退色が少ないのであろうか。

 見終わったところで、いづつやさんにぱったり会ったので、しばらく情報交換や美術談義をした。意見が一致したことは、「前回のギメが良かったので期待してきたのだが・・・」ということだった。

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風俗画と肉筆浮世絵(後期): たばこと塩の博物館

蝦夷人風俗絵巻 今週から後期。半数の作品が展示替えとなっている。

 《塩かまの図》は有名な久隅守景の作品。淡彩の軸であるが、ほとんど墨絵のようである。

 《明石浦赤穂塩浜図屏風》は、金粉が振りまかれた美しい絵。土佐光起の印があるそうだが、リストには作者不明となっている。

 《風俗絵巻》や《文正草子》も美しい。後者は御伽草子の第一で、塩で金持ちになった文太。その娘が天皇の后となってますます出世するというおめでたい話。

 英一蝶の《東海道中通信使馬上喫煙図》は朝鮮からの使者の長い煙管に従者が火をつけているところだが、馬の背に鶏や兎を乗せている所が面白い。当時の日本には肉食の習慣がなかったため、食料として運んでいるのだ。

 奥村政信の《男女遊楽図》は、金子を持った男と香を持った女がそれぞれを碁石に見立てて対局している図だが、碁盤は格子柄の着物のようである。

 《縁台美人喫煙》は斎藤幸助、すなわち上方絵本の高木貞武で、西川祐信の影響を受けた柔らかな絵である。

 《汐汲みの図》は月岡雪斎、すなわち雪鼎の息子の作品。上品な絵である。有名な松風・村雨を意図しているようで、在原行平の「芦の屋の灘の塩焼くいとまなみ、黄楊の・・・」という歌を想起させる。

 勝川忠七の《江戸山王社天下祭絵巻》はいろいろな山車が描かれた面白い絵巻。デジタル・スクロール画像を楽しんだ。

 《親鸞上人絵伝》も金縁の美しい絵。

 《蝦夷人風俗絵巻》は前期とは異なる部分が出ていたが、デジタル・スクロール画像ではすべてを観ることができた。

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アートで候。会田誠・山口晃展: 上野の森美術館

 これは現代アートの二人のトップ・ランナー展。山口晃は私の好きな現代アーティストである。といっても彼の存在を意識したのはそれほど昔ではない。埼玉県立近代美術館の「木村直道+遊びの美術展」で《歌謡ショウ図》を観たのがはじまりである。その際には、江戸風俗と現代風俗の混交に加え、鏡を使って演舞場の半分を描かずして描いた技法に驚いた。この作品は今回の展覧会にも出展されている。

山口晃:増長天 その後、丸善で《本郷東大風景》の出版記念講演会を聞く機会があった。そしてその才能の卓抜さに脱帽した。さらに《ラグランジュ・ポイント》を観るため、ミズマアートギャラリーにも出かけた。これも今回出展されているが、ひとりずつしか観られぬため《四天王立像》の間に行列ができていた。アートで候。

 今回は、過去と現代を混交した立体民俗図をたくさん見ることができた。《当世おばか合戦》、《今様遊楽図》、《四季休息図》、《何かを造る図》、《奨堕不楽之段》、《東京圖》、《百貨店図》などである。

 『東京図』のうち《六本木昼図》↑は六本木ヒルズの大正(?)時代と平成時代の混交立体風俗図。圖という旧字体と図という略字体を使い分けているところもニクイ。『東京図』には《六本木-広尾》、《芝の大塔》、《神田神保町》があり、『百貨店図』には《日本橋三越》が2点、《日本橋新三越本店》が1点、合計3点出ていたが、いずれも同じ趣向である。

 《胎内巡り図》が面白かった。清水寺の舞台を入口にして建物を下っていくのであるが、途中に「心の臓」、「肝臓」、「腎臓」といった臓器の名前があり、それらしき形にもなっている。傑作は「ランゲルハルス島」。膵臓のこの島は、画でもちょっとした島になっている。そして最後は大腸から外に出るといった仕掛けである。縦長の図面を上手く使った傑作。

 二階は「山口晃 山愚痴屋澱エンナーレ 2007」で、アイディアたっぷりのアートが並んでいた。一階の作品は面白いものの、このままではマンネリ化するのではないかという懸念を見事の吹き飛ばしてくれた。説明抜きで十分に楽しめたが、親切な説明パンフレットも用意してあり、作者の優しさが伝わって来た。

 アート・ギャラリーにも展覧会は続いており、ここでも愉快な《すずしろ日記》という漫画の文章もじっくりと読んだ。実話か希望なのかがはっきりしないところが面白い。《渡海文殊》というまともな画もあった。会田誠:あぜ道

 一方、会田誠のほうはアイディアの集積。現代アートのテロリストともいわれるだけに、どこから攻めてくるか分からない不安定さ、いやらしさを内蔵している。自分としては分かりやすい《あぜ道》↑、《滝の絵》、《ジューサーミキサー》、《大山椒魚》、《戦争画Returns-題しらず-原爆ドーム》、《戦争画Returns-紐育空爆之図》あたりは共感がもてたが、その先にはついていけなかった。

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福田平八郎展: 京都国立近代美術館

福田平八郎:花の習作 福田平八郎の回顧展は何回も開かれているが、自分としては初めて。といっても福田の有名な《》や《》は知悉している。今回は福田の画風はそれなりに変化していることがよく分かった。一時期は彼の具象画の中に近代的な装飾性を加え、さらに抽象性をも取り込もうとし、晩年には野獣派のような強い色彩を持ち込み、あるいはまたゴーギャンやベルナールのような総合手技的な絵画に近づいている。自分の好みとしては、《新雪》や《花の習作》のような穏やかなものが良い。

 今回気づいたことは、福田の花鳥画には若冲の花鳥画の遺伝子も組み込まれているということである。京都画壇の伝統というか業のようなものを感じるのである。画題にしても然り。福田の2羽の鶴を観ていると、まだ相国寺にいるかのような錯覚に陥る。若冲が鯉に固執したように、福田は鮎に固執している。

 このあとコレクション・ギャラリーで小企画「福田平八郎と師友たち」を観た。さすが京都画壇である。竹内栖鳳の《春雪》の舟の舳に留る烏、西村五雲の《風薫る》の若い2匹の鹿、池田遥邨の《朧夜》の狐などの動物が印象的だった。これも若冲の遺伝子だろうか。徳岡神泉の《》や《富士》は、フワーッと浮いたマグリットの画を思いだした。

 特集展示「福田平八郎と同時代の京都・洋画」もみたが、良いと思ったのは須田国太郎の《自画像》と梅原龍三郎の《北京秋天》ぐらいだった。

 特集展示「絵画の近代美術」には、有名画家の作品が並んでいた。お気に入りは、ミロの《モニュメントのためのプロジェクト》、ルドンの《イエスとサマリア人》と《若き日の仏陀》、藤田嗣治の《十字架と少女》と《路傍》である。

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若冲展 釈尊三尊像と動綵絵: 相国寺承天閣美術館

伊藤若冲:釈迦図 相国寺承天閣美術館で短期間開催中の展覧会。昨年、三の丸尚蔵館で《動植綵絵》はすべて観てしまったので、京都までわざわざ足を運ぶのはためらわれたが、思い切って行くことにした。

 第1会場は素晴らしかった。若冲と相国寺の関連を示す資料が沢山出ていた。これは京都でなければ観られない。徳川家康の《円通閣棟札》は18世紀の天明の大火を潜り抜けたツワモノ。養源院の《毘沙門天立像》は若冲の《動植綵絵》が寄進されたと同時代のもの。久保田米僊の《伊藤若冲像》も興味深かった。若冲の初期の《少年と箒の図》はキャプションには「未熟」と描いてあったが、そうは思わない。すばらしい作品である。京都のお寺に所蔵されている若冲の水墨画が沢山でていたが、《昇鯉図》など同じようなテーマのものが多いことに驚いた。これらはちょっと食傷気味。その中では魚の《エイ図》が良かった。 背中に2匹の小亀が乗っている《亀図》も気にいった。三幅対の中図の《鶏の片手倒立図》はとても愉快だ。

 障壁画は地味ではあるが、素晴らしいものが多かった。途中には、床の間を原寸大で再現されており、《葡萄小禽図床貼付》と《月夜芭蕉図床貼付》の2枚が向かい合っていた。素晴らしい雰囲気である。襖絵などにえがかれた葡萄、棕櫚、松、鶴、月などは和の極致であり、プライス氏が最初に遭遇した《葡萄図》と通うものである。

 第2会場には、《動植綵絵》が30枚並んでいるのをみても、それほどの感動を感じなかった。《釈迦三尊像》には初めてお目にかかった。先人の模写とのことであるが、鮮明な色合いで画としての貫禄は十分である。《動植綵絵》よりもひと回り大きい。腰を折ってお釈迦さまを下から見上げるとアリガタミが増す。というわけで、釈迦・普賢・文殊には丁寧にお別れのご挨拶をし、いずれまた会える《動植綵絵》の画たちにはそこそこに挨拶して第2会場を退出した。 

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肉筆浮世絵のすべて: 出光美術館

窪 俊満;大夫道中図 金曜日は19時まで開館ということで行きやすくなった。ひととおりみおわったところで「列品解説」があったので、その内容を紹介しながら感想を記す。

 出光美術館の浮世絵はすべて肉筆画で、総数は170点。そのうち今回は前後期あわせて130点の展示。タイトルの「すべて」というのはどういう意味?今回は、鈴木春信は出ていなかった。 

1.寛文美人図: 17世紀中期。無背景、無署名のもの。当時、美人画をこのように軸に描くことは新鮮であったとのこと。

2.菱川派: 浮世絵の祖といわれる菱川師宣の《秋草美人図》には、はっきりとした 落款が見られる。このすっきりとした美人の膝の曲がり方は《見返り美人》と同じで、ちょっとした動作がとらえられている。菱川師平の《春秋遊楽図屏風》の右隻は寛永寺の桜を描いているが、輪になって踊っているところが面白い。左隻は吉原の張見世である。署名は遊郭の中にかかっている絵の中にある。これは「隠し落款」である。

3.鳥居派: 芝居絵が中心である。二代鳥居清満の《勧進帳・弁慶図》は大型で豪快である。その輪郭線には勢いがあり、彼の《立姿美人画》にもその傾向がある。筋肉を誇張した描き方は「みみず(蚯蚓)描き」と呼ばれる。

4.懐月堂派: 懐月堂安度の作品は、豊満で、ふっくらとした美人の肉筆画だけ。この一派の画は、すばやい輪郭線を特徴とし、安価な顔料を使ったレデイメードの仕込み絵で、不特定多数に販売する戦略的な流派であった。梅翁軒永春は竹田春信と同人である。その《立姿美人図》は二重瞼であるが、これを確認するには単眼鏡が必要。この展覧会はガラスと絵の距離が長すぎる。

5.奥村派: 奥村政信の《中村座歌舞伎芝居図屏風》の右端には享保16年(1731)という年記、歌舞伎の演題、役者名が描きこまれている。

6.川又派: 川又常行常正の絵は、顔や手足が小さく、純粋無垢な美人図である。

7.西川派: 西川祐信は上方。あずま絵と違い、たおやかで、おしとやかで、可憐な感じのする女性である。しかしあまり技巧的とはいえない。月岡雪鼎は大阪。

8.宮川派: 18世紀半ば。版画は作らず、肉筆画のみである。精緻で、かっちりした作品で、品がある。宮川長春の《立姿美人図》、《蚊帳美人図》はなかなか良い。帯が前にきている女性は「女中に任せて仕事をしなくても済む女性」、すなわち若ければ遊女、年配ならば良家の奥様」。《蚊帳美人図》の顔は鴎のよう? 宮川一笑の《吉原歳旦図》は充実した絵である。吉原の絵で、1階は張見世、2階は遊興。47人と1匹の犬、羽子板も描き込まれている。《歌留多遊び図》も良い。東燕斎寛志の《笠森稲荷》の「かさ」はカサブタの「かさ」、すなわち皮膚病。「もり」は「護る」。このため参詣者が多かったが、そこの水茶屋の「おせん」は有名だった。うぐいす色の着物で、表情が豊かである。これは実在の人物を描いたからだろう。

9.北尾派: 窪 俊満は力量のある絵師である。《大夫道中図》の大夫は高級遊女。赤が目立つ。山東京伝(北尾政演)の《桜下美人図》は力を抜いた絵。「西行もまだ見ぬ花の廓かな」という詩には諧謔味がある。鍬形寫ヨ(北尾政美)の《隅田川眺望図》は風景画。このころになると画題が広くなってくる。

10.勝川春章: 後期、すなわち黄金期の勝川春章は、北斎の師だが、個性的な役者似顔絵、内面をも描く美人画を充実した色彩で描いている。《桜下三美人図》、《柳下納涼美人図》はなかなか良い。《美人鑑賞図》は、大名屋敷で軸をかけかえながら鑑賞している女性たち。着物の柄が緻密に描かれている。

11.喜多川歌麿・鳥文斎英之: この二人はライバルだった。」歌麿の《更衣美人図》は出光美術館を代表する作品。髪や肌の質感が見事である。丸髷は既婚者だが、艶かしい。この画は少し暗くなって来ている。修復すれば素晴らしいものとなるだろう。《娘と童子》の駒廻しも面白い。旗本の出である英之の《蚊帳美人図》は、客待ちの遊女。細面で春信の絵に似ている。

12.葛飾北斎とその一派: 初公開の作品が2点。一つは《樵夫図》。右は樅の木。左は股覗きするきこり。紙継ぎがあるため、元来屏風であったものを軸にしたらしい。したがって他のモティーフがあったかも知れないので、全体の意味は分からないとのこと。もう一つは《亀と蟹図》。亀の甲を線を使わずに表現している。他の作品として、《月下歩行美人》では、画面の進行方向の縁に近く人物を描いて、歩んでいることを表現している。対幅の《春秋美人図》が良かった。これは今回の展覧会のポスターともなった艶かしい女性であるが、着物の柄が素晴らしい。電子的に拡大してみても、まったく乱れがない緻密さである。春は桜の簪と扇、秋は虫籠で表されている。《鐘馗騎獅図》は八十五歳卍の作品だがしっかりとした絵である。

13.歌川派: 豊春の作品は今回なかった。後期に出るとのこと。豊国の《円窓美人図》では、濡れ髪と煙草が目立つ。豊広の《真崎稲荷参詣図》では、しっかりとした風景が描かれ、筑波山も見える。国貞の《岩井半四郎・悪婆の図》の半四郎は五代目、悪婆とは役柄の名で、好きな男のためなら、殺しも盗みもするという困った女。目千両といわれた半四郎の特徴が、突出した下唇とともに写実的に描かれている。広重の《念仏鬼と美人図》は大津絵の題材で、赤鬼が耳掃除してもらっている。国久の《隅田川舟遊・雪見酒宴図屏風》は、ずいぶんと鮮明な絵。大川随一の大船「川一丸」での遊興。屋根の上には船頭たちが避難している。

 このように、浮世絵の歴史を辿りながら、美しい色彩を満喫した。これでは後期も行かなくてはなるまい。

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(後 期)

 前期にくらべかなりの入替えがあったが、時代順・流派別の配列は前期と同じだったので観やすかった。

1.寛文美人図: 美人図に混じって《若衆図》が出ていた。なかなか良い男。

2.菱川派: 浮世絵の祖、菱川師宣の好品が多かった。《浄瑠璃芝居看板絵屏風》は150x403cmの大型屏風、ド迫力の戦闘場面から女武者の登場まで多数の場面を楽しめる。《遊里風俗図》は実に細かく描きこまれている。《吉原遊興図屏風》では魚の調理人が圧倒的な存在感である。古山師重の《見立て女三の宮図》や菱川師保の《やじろべえを持つ立美人図》は懐月堂派のような貫禄のある女性たち。

3.鳥居派: 鳥居清倍の《見立て紫式部図》と清秀の《立姿美人図》。鳥居派得意の芝居絵ではないが、美人画も上手い。

4.懐月堂派: 3点の懐月堂安度の作品の他に、豊満でふっくらとした美人の懐月堂派肉筆画が沢山出品されている。ちょっと飽きた。

5.奥村派: 奥村政信《文使い図》には美しい二人の女性が描かれている。

6.川又派: 川又常正の絵は、《見立紫式部図》と《羽根つき美人図》。

7.西川派: 上方の西川祐信の《詠歌美人図》はたおやかで可憐な感じのする女性。 ここに祇園井特(せいとく)の《虎御前と曽我五郎図屏風》が現れ、ギョットなる。仇討ちを狙う若者とそれに惚れ込む女性といった既成のイメージをぶっ飛ばす作品。両者ともに悪玉のように描かれている。異端の画家なのだろう。

8.宮川派: 宮川一笑《曲芸図》は、片脚の上に載った女性から酒を注いでもらう男の曲芸。いかにもユーモラスな作品である。

9.北尾派: 窪 俊満の《藤娘と念仏鬼図》にもちょっと驚く。藤の枝を持ったギザギザの鬼が、藤娘と歩む大津絵的作品。

10.勝川春章: 勝川春章《遊里風俗図》は、二枚続で、蚊帳の内と外の情景を描いている色っぽい絵である。

11.鳥文斎英之: 英之の美人画が4枚も出ていた。《二美人図》は鮮やかな色彩、《桜下花魁図》は抑えた表現。いずれもなかなかのもの。

12.葛飾北斎とその一派: 葛飾北斎の《春秋山水図》はあまり感心しなかった。蹄斎北馬の《墨堤二美人図》は急な雨風に戸惑う二人の女性。見慣れた画題だがなかなかの迫力である。《五節句図》も良かった。

13.歌川派: 歌川派の祖、歌川豊春《芸妓と嫖客図》が出ていた。酒井抱一《遊女と禿図》は琳派の画家の浮世絵だけに面白い。直前に太田記念美術館で観てきたV & Aコレクションにも抱一の蚊を描いた団扇絵が出ていた。歌川豊広《御殿山観桜美人図》は素晴らしい傑作。後期のマイ・ベスト。歌川国芳《役者夏之夜図》は夜の水辺で所作をきめる二人の役者とこれを覗き込む男女の通行人。夜景がうまく捉えられている。最後に歌川広重の《煙管をもつ立美人図》。みごとな構図と色彩だった。

 このように、今回も、浮世絵の歴史を辿りながら、美しい色彩を満喫した。通期で展示されているものはさすがというものばかりで再見を楽しんだ。

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大正シック: 東京都庭園美術館

中村大三郎≪婦女≫ 元パンナム客室乗務員の女性パトリシア・サーモンさんが日本で蒐集し、ホノルル美術館に「売却」したものの里帰り。外国人だけに、作家の名前にこだわらず、自分でよいと思ったものを集めたのだろう。わたしの趣味とは合わないものもあったが、これは良いと納得するものも少なくなかった。結局、大正ロマンチズムの藝術表現を十分に楽しませていただいた。大正シックという洒落た名前の美術展。アール・デコの庭園美術館にぴったりのものだった。お気に入りの画を並べてみる。

 ■山川秀峰≪三人の姉妹≫・・・久原房之助の娘と白い外車。貧富の差の著しい時代を思わせる。久原は戦後、追放にあった。だからこそこの絵がパンナムの元スチュワーデス(当時は客室乗務員とはいわなかった)の手に渡ったのである。

 ■武藤嘉門≪日光≫・・・日光の左甚五郎の三猿を写真を撮っている女性。フラッシュもついて洒落たカメラである。

 ■伊藤深水≪対鏡≫・・・あまりにも有名な作品である。摺りが良い。大正の浮世絵。

 ■橋口五葉≪化粧する女≫・・・これも有名作品で、良好な摺りの大正浮世絵。

 ■同≪夏衣≫・・・単衣の向こうに乳房まで透けて見える艶かしい作品。

 ■同≪髪梳ける女≫・・・有名な絵だが、微妙な口許の描き方に気づいた。

 ■鳥居言人≪髪梳き≫・・・女性の柔らかな体の白い輪郭を空摺の技法で浮彫としている素晴らしい大正浮世絵。

 ■柿内青葉≪美人≫・・・全体にぼかしの効いた不思議な艶っぽさが男心を誘う。もちろん女性画家。

 ■中村大三郎≪婦女≫・・・あざやかな緋色の着物に身を包んでカウチに休む大正美人。華族出身の女優「入江たか子」。当時から有名な画だったらしく、人形や襦袢の模様にもなっている。

 ■別役月乃≪七夕≫・・・足をつま立てて井戸水を汲む少女と髪を洗う女性。女性画家の眼差しである。北野恒富門下の雪月花の一人。

 ■榎本千花俊≪銀嶺≫・・・毛糸のスキー手袋の質感がうまく描かれている。

 ■鏑木清方≪団扇≫・・・花びらが舞うなかの婦人の姿。大正浮世絵といってもよい。

 ■まつ本年方≪橋を渡る女≫・・・刀をさした女が渡る橋の向こうの舟に燕が2羽。ちょっと平板で面白みがないが、アメリカ人好みだったのだろう。

 ■水野年方≪茸狩り≫・・・立派な一物のような松茸をさしだされて、口に手をあてて恥かしがる女。そのくせ籠には松茸が沢山入っている。

 ■寺崎広業≪水着姿の美女≫・・・囚人服のような横縞のスィム・スーツだが、当時のモダン・ガールのトップ・ファション。

 このほか着物が素晴らしかった。柄が近代的で、抽象的なアートとして見応えがあるものが多かった。ミロのような複雑なパターン、派手なハート・マークなどなど。

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