日本美術散歩 08-4 (海外美術は別ページ)

秋野不矩 08.9 川合玉堂 08.9 「月百姿」を中心に月岡芳年 08.9 池田清明 08.9
田村能里子ー襖絵 08.9 北斎DNAのゆくえ 08.9 高山辰雄 08.9 八犬伝 08.10
ボストン浮世絵 08.10 大琳派展 08.10 松浦史料博物館 08.10 国宝 天神さま 08.10
国会図書館 貴重書 08.10 池口史子展 08.11 石田徹也展 08.11 林陽子展 08.11
山口 薫展 08.11 駅2008 08.11 あおひー 08.11 樺島勝一 08.11
飛鳥の天人 08.12 忠臣蔵 東博 08.12 忠臣蔵 平木 08.12 忠臣蔵 礫川 08.12
素朴美 松涛 08.12 忠臣蔵 江戸博 08.12 おらんんだの楽しみ方 08.12 源氏絵 太田 08.12
雪 舟 08.12 カラーズ 08.12 原田泰治 08.12 田淵俊夫 08.12

目 次 ↑


田渕俊夫展日本橋 三越

田渕俊夫:大地悠久 雲海富士 1.プロローグ: 田淵の未来が開けたのは、1966年、大学院時代の作品《水》が大学の買い上げとなってからである。これは江戸川を描いた心象風景である。アフリカの大学に留学した頃の作品は、鮮明な色彩が印象的である。

 2.色彩に魅せられる: お気に入りは、紅葉に包まれた《清水寺》、白黒の城にかかる緑の印象的な《明日香栢森》、金地の大海原を進む一艘の船を描いた《出航》など。

 《時の証人》ユニークな作品。ホーチミンの市街の店は彩色されているが、劇画的。バイクに乗った群像が白黒の線描として、時間的な残像を残しているのであるが、その中央は墨で黒く塗られて、夜を現していた。

 3.墨色に魅せられて: 、「色彩を使うと絵が重くなるが、墨では虚像的なリアル感が出てくる」という画伯の説明が紹介されていた。 永平寺の襖絵は素晴らしい。片面は《雲水》。これは、雨雲−川−霧という生々流転の姿。裏面は《春秋》で桜、柳、楓、雪もちの枝といった四季の姿である。鶴岡八幡宮の斎宮の襖絵は、四季と人の営みを描いているが、とても穏やかな絵である。画伯の描いた60面の智積院の襖画は年明けの1月14日から高島屋で展示されるとのこと。

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原田泰治「ふるさと心の風景」逓信総合博物館 ていぱーく

原田泰治:秋一色 先週のNHKの「ホットモーニング」で、原田泰治の「鳥の目、虫の目」を見た。原田泰治で検索してみると、「ていぱーく」で原田の切手原画展が開かれていることが分かった。

 原田泰治の絵の世界は、谷内六郎を思い出させる素朴な描き方で、田舎の昔懐かしい実景や心象風景である。アクリル絵具で描かれているせいか、色彩は鮮やか。垂直感覚が独特で、建物がゆがんで傾いていたりしているが、石垣、瓦、草花、樹木、雪などの描写が非常に細密である。静寂な画面に、折々の季節感、住民の長閑な生活が温かく描かれている。このシリーズでは、個々の人物の特徴を出さないようにしているようで、人間の顔ははっきりと描かれていないものが多かった。

 古きよき時代の田舎、庭先で遊ぶ子供、子供をおぶった母親、土地のにぎやかなイベントも見られた。すっかり高齢化してしまった現代の田舎とは別世界であるが、心が和む風景を沢山見せていただいた。

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カラーズ・色彩のよろこび: 千葉市美術館

小早川清《赤いドレス》第1部 色彩のよろこび

第2部 色のいろいろ−近世・近代の版画より

第3部 特別な色−たとえば「赤」第4章 幕末明治の極彩色

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岡山県立美術館所蔵・雪舟と水墨画: 千葉市美術館

雪舟等揚《山水図(倣玉澗)》第1章 中国絵画−憧憬

第2章 雪舟から武蔵まで

第3章 岡山出身の四条派画家ー柴田義董と岡本豊彦

第4章 江戸時代の唐画と富岡鉄斎−中国愛好の系譜

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浮世絵の中の源氏絵: 太田記念美術館

葛飾北斎《源氏物語図》1.古典文学の世界を描いた肉筆画

2.浮世絵師たちが描く王朝世界

3.背後に隠された源氏絵「見立て」「やつし」

4.偐紫田舎源氏の世界

5.さまざまな絵師による「偐紫田舎源氏」

6.「偐紫田舎源氏」さまざまなヴァリエーション

7.源氏香−ファッションになった源氏物語

8.絵本に見る「源氏絵」

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オランダの楽しみ方たばこと塩の博物館

金唐革1.憧れのオランダ: 金唐革、更紗、反射式覗き眼鏡。

2.日本のオランダ風: 和製ガラス器、京阿蘭陀。

3.おらんだの店: 輸入品や日本製の異国情緒品の販売店。

4.ここにもおらんだ: 草双紙《黄金山福蔵実記》、黄表紙《中華手本唐人蔵》。

5.浮世絵とおらんだ: 洋風の遠近法、陰影、枠付の浮世絵が沢山展示されていた。

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錦絵にみる忠臣蔵: 江戸東京博物館

歌川貞房:忠臣蔵見立て人形 東博・平木・礫川と見てきた忠臣蔵浮世絵の〆は江戸博とした。これは9月から3期に分けてやっている常設展特集の第3期。


 1.物語で追う忠臣蔵: 揃物としては、北尾政美《浮絵仮名手本忠臣蔵》、葛飾北斎《新版浮絵忠臣蔵》と《仮名手本忠臣蔵》。

 2.描かれたヒーローたち: 歌川国芳・国貞・月岡芳年・河鍋暁斎の作品が出ていた。

 3.忠臣蔵を楽しむ: 国芳の戯画《道外てうちんぐら 五段め、六段め》では、登場人物の顔が提灯になっている。提灯はもちろん夜討のアトリビュート。歌川貞房の《忠臣蔵見立て人形》には物語に関係のある小物がちりばめてあるとのことで、一生懸命に探した。豊原周義の《忠臣蔵》は、違う役者の顔が別摺としてついており、取り替えて楽しむことができる「子持ち錦絵」。

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素朴美の系譜 江戸から大正・昭和へ: 松涛美術館

白隠:お福粉引歌 「素朴画」というのは、アンリ・ルソーやアンドレ・ボーシャンなど西洋絵画の一ジャンルとばかり思っていたが、日本の絵画にも「素朴画」という概念が登場してきた。

 第T章 素朴表現の胎動と展開: まず、社寺縁起絵。そして大津絵のほか、松尾芭蕉や与謝蕪村の俳画には「素朴表現」がみられる。六道絵がどうして素朴画なのかは理解不能。

 第U章 江戸の素朴な表現主義: ここでは白隠、仙香A風外、東嶺、南天棒の「禅画」。 この他に、浦上玉堂や岡田米山人の南画も「素朴画」の範疇に入れられていた。

 第V章 近代の素朴回帰: 西洋美術の影響で一旦は写実主義の陰に隠れてしまった素朴画が5節に細分されて展示されている。

1.リアリズムから素朴へ: 小川芋銭、小杉放庵は、なるほど素朴な画。萬鉄五郎や岸田劉生とくるとオヤッと思うが、いずれも写実の洋画から日本画に転じている。熊谷守一、斉藤与里は納得の素朴画。 2.晩年の素朴スタイル: 梅原龍三郎や中川一政では、再びオヤッと思うが、晩年の作品は日本的な感覚である。 3.我が道を行く素朴: 「日本のアンリ・ルソー」と呼ばれる横井弘三の画がたくさん出ていた。なるほどこれは「素朴画」である。「放浪の画家」長谷川利行も素朴画家に入っていた。4.余技としての素朴画: 富岡鉄斎、夏目漱石、武者小路実篤の画が出ていた。夏目漱石の画は確かにプロ並みとはいえない。 5.創作版画: ここに出てくる川上澄生、谷中安規、料治熊太、棟方志功は確かに素朴な表現の版画家。

 これは「日本における素朴画」という新しい切り口の展覧会で、いささかの疑問を持ちつつも、その野心的な展観をエンジョイした。

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忠臣蔵浮世絵展: 礫川浮世絵美術館

歌川国芳:蝦蟇手本ひょうくんぐら 四段目 なんといってもここが一番面白い。まず最初に、歌川貞房の《忠臣蔵全段図》が出てきて、ストーリー全体の復習をする。この絵は港区立港郷土史料館でも見たが、大変良くできている。

 その後に、渓斎英泉の《忠臣蔵》の11枚揃が豪快に出てくる。タイトルが絵の上部に大きく書かれており、紙芝居のように分かりやすい。

 東博に出ていた北尾政美の《浮絵仮名手本忠臣蔵》や、平木に出ていた歌川豊春の《新版浮絵忠臣蔵夜討之図》がここにも登場しており、いずれもワイドスクリーンの強みを発揮していた。

 ここで歌川国芳の有名作品《化物忠臣蔵》が、満を持して登場してきた。個人蔵で3枚組、初段ー十一段下、四丁掛アンカットの作品である。これが今回のベスト。さらに、国芳の面目躍如たる《蝦蟇手本ひょうくんぐら 三段目・四段目》が出ていた。

 歌川広重の《忠臣蔵》は平木でもみたが、平木では段ごとに分かれて展示されていたのに対し、ここでは17枚揃って展示されているので壮観。

 ガラスケースの中には、港区立郷土資料館で見た歌川国貞の《絵兄弟忠臣蔵 十一段目》が出ていて懐かしかった。

 最後に登場したのが、ガラスケース内の月岡芳年《月百姿 雪浮の暁月 小林平八郎》。わたしはこの月百姿のフリークであるが、この画は初見である。吉良家の臣、小林平八郎は自宅で寝ている際に、この夜襲を知り、女装して屋敷に入って、大活躍したが、結局殺された。この小林平八郎は葛飾北斎の祖父に当たるという説がある。この画を最後にもってきているのは偶然であろうか。

(2008.12a) ブログ


忠臣蔵筆くらべ: 平木浮世絵美術館・Ukiyo-e Tokyo

 こちらは、各段ごとに丁寧なストーリーの説明がある。 【大 序】 鶴ヶ丘、兜改め, 【二段目】 桃井館、力弥使者、松伐り、【三段目】 進物場、刃傷、 【四段目】 扇ヶ谷塩谷判官屋敷、切腹、城明渡し、 【五段目】 山崎街道、 【六段目】 与市兵衛住家、身売り、勘平切腹、 【七段目】 祇園一力茶屋、 【八段目】 道行旅路の嫁入、 【九段目】 山科閑居、 【十段目】 天川屋、 【十一段目】 討入。

 そして各段ごとに5人以上の絵師の競作となっている。絵師としては、勝川春英、歌川豊国、歌川国直、歌川国貞、歌川広重が全段に出ており、その他に葛飾北斎と歌川国芳がごく少数出ている。

 春英の《忠臣蔵》は人物が大きく描かれており好印象。豊国の《浮絵忠臣蔵》や国直の《新版浮絵忠臣蔵》はワイドスクリーンでストーリーが読み取れる。国貞の《忠臣蔵》はハーフサイズであるが、人物の描写が巧い。広重の《忠臣蔵》は、藍を巧く使った抒情的な絵で、十一段目から引揚げまでは8図構成となっていた。

(2008.12a) ブログ


忠臣蔵浮世絵: 東京国立博物館

歌川国芳:忠臣蔵 八段目 浮世絵室の壁には、仮名手本忠臣蔵がズラリと並んでいる。初段ー七段目は葛飾北斎。北斎の母は、吉良上野介の臣の小林平八郎の娘という説がある。 八段目ー十二段目は歌川国芳。このシリーズは国芳にしては真面目な作品群。北尾政美の《浮絵仮名手本忠臣蔵・十段目》では、長持ちの上で「天川屋義平は男でござる」と啖呵をきっている。

 中央のガラスケースの3枚続大判の2点は迫力がある。鳥居清長の《歓々楼遊興》の目隠しで踊る男は内蔵助のやつし。窪俊満の《由良之助一力にて遊興の図》も目隠しで踊る由良の助。

(2008.12a) ブログ


飛鳥の天人 法隆寺献納宝物 国宝 金銅灌灌頂幡: TNM & TOPPAN ミュージアムシアター

法隆寺:金銅灌灌頂幡 THEATER オープン1周年記念の最新作。東博の法隆寺宝物館の階段の上にレプリカがぶら下がっている金工品。今まであまり気に留めていなかったものであるが、今回これがVRとして甦ってきたのである。

 金銅灌頂幡(こんどう かんじょうばん)とはその地に仏教が根付いたことを示すシンボル。日本書記によると、601年に聖徳太子によって創建された法隆寺は、火災にあい、670年に再建されているが、この灌頂幡は太子の娘である片岡御祖命(かたおかのみおやのみこと)が奉納したものと推定されている。

 全長5メートル、重さ40Kgの大きな金銅の幡。上部の天蓋の周囲にはたくさんの垂飾がぶら下がっているので、中が見にくいが、VRであるから、これを除いて直接に内部の構造を見ることができた。天蓋の下には「蛇下」。続いて「大幡」が六連ぶら下がっている。その最上部の「第一坪」↓には、如来三尊像や天人が透かし彫りや毛彫りで表されている。天蓋の内枠には、笛・腰鼓・箜篌(くご)などの楽器を持った天女が彫られており、2cmの狭い外枠には、一輪の花、半分の太陽の中のカラス、半月の中のウサギと水瓶などが精緻に彫られている。

 第二坪には、散華する天人、蓮から生れたばかりの頭だけの天女がみられ、第三坪にも雲の中を飛ぶ天女、すなわち飛天が彫られている。合計六坪の大幡は交互に同じ文様となっている。また、この大幡の他に小幡が四組釣り下がっている。当初は、幡の下端に長さ6メートルの布製の幡足が付いていたようで、東博には当時のものと思われる繍佛裂が残っているとのことである。

 今回は、このような金銅灌頂幡がVRで再現された。そして、これを現在の法隆寺の五重塔と金堂の前に設置した画面を見ることができた。その後、現在隆寺宝物館で展示中の本物の金銅灌頂幡も見てきた。VRで見た金色が目に焼きついており、目の前に金色のレプリカもあるが、本物の銀色も渋くてなかなか良かった。

(2008..12a) ブログ


ペン画の神様 樺島勝一展: 弥生美術館

樺島勝一:センチュリオン 大正末期から昭和10年代にかけて、雑誌「少年倶楽部」などの挿絵で活躍し、「写真を上まわる密描画:スーパーリアリズム」、「船のカバシマ」、「ペン画の神様」と呼ばれた樺島勝一。その生誕120年記念展が開かれていることを新日曜美術館で知って、早速見に行ってきた。

 1.挿絵画家 樺島の誕生
 2.朝日新聞社の仕事・・・「吹きだし」のついた漫画《正チャンの冒険》。「正チャン帽」が売り出されるほどの人気だった。
 3.少年倶楽部(講談社)への登場・・・1925年の「華宵事件」の後、数人で高畠華宵の役割を引き継ぐ。
 4.敵中横断三千里・・・山中峯太郎著: 日露戦争の建川中尉ほか5人の物語
 5.吼える密林・・・南洋一郎著、ジョセフ・ウィルソンの翻案、ボルネオーマレイ半島の猛獣
 6.少年倶楽部人気小説・・・南洋一郎:緑の無人島、海野十三:太平洋魔城 ・浮かぶ飛行島
 7.附録の仕事・・・昭和9年の福永恭介海軍少佐:小説日米戦未来記の表紙ーこれは驚いた。
 8.種々な雑誌の仕事
 9.ポスターの仕事
10.樺島の描く人物・・・昭和15年、水を掛けられる《乃木希典》、昭和19年《敵艦撃滅》
11.ペン画の神様・・・《センチュリオン》↑のポスター、《波上のタンカー》、《山に登りて》−前穂高。子供に与えた4つのペン画が神品。長女:合掌造り、長男:ネルソン提督率いるイギリス艦隊、次女:コルベット(金剛と比叡)、次男:水車小屋。
12、樺島写真館・・・家族の写真。
13.絵本の仕事・・・昭和12年ー戦後の「講談社の絵本」。これはわたしもお世話になった。
14.船のカバシマ・・・船も巧いが、波の描き方が
15.戦後の作品・・・少年サンデーに載せた「大帆船」にロープを描き忘れたとガンの病床で描きたがったが、それはかなわず76歳で死去。
16.光と影・・・夜の画が巧い。暗い画面に光と影を描き出す超絶技巧!
17.デザイナー
18.単行本の仕事
19.敬愛する勝一先生・・・絵具・筆・コンパスなど。

(2008.11a) ブログ


写真展「いつかのどこか」: 元麻布 gallery613

 ブログでお世話になっている「あおひー」さんの初個展。案内状をみると、完全なアンフォーカス写真で、わたしにはちょっと無理かなと思ったが、がんばって見にいってきた。逆光の向こうに立っている女性の脚が細くなって糸のように見えている写真もあった。光の処理の具合でこうなるということだったが、新しいテクノロジーの出番なのだろう。「いつかのどこか」で見たようなデジャブの光景が会場にいくつも展示されていた。

(2008.11a) ブログ


「駅2008」 鶴見線に降りたアートたち展

高明根: Tunnel 連休の中日、小春日和の中、約2時間半かけて5つの駅を周ってきた。素晴らしい美術小旅行だった。


 スタートは鶴見駅。木村幸恵の《Dancing Echoes》。透明なプラスチック膜で作られた横ひだのあるスカートのようなものがホームに吊り下げられており、揺れている。

 第2は、次の駅の国道駅。高明根の《Water》と《Tunnel》。後者は、昔この駅構内にあった「臨港デパート」をイメージした作品を、その場所の上部に設置している。現在のアートと過去のトンネルが重なり合って、シュールな合成アートとなっている。

 そこから海芝浦支線の終点の海芝浦駅へ。素晴らしい海の眺め。アートは林武史の《立つ人 海芝浦》。終点の車止めをイメージしたもののようだが、壁土でとても地味なもので、上部が凹凸がアクセントになっている。 

 ここから鶴見線本線の浅野駅に戻る。この駅は不思議な構造で、支線駅から本線駅に行くには、駅内踏切を2回わたるようになっており、その中間地点にアートが置かれている。安藤栄作の《アイスランド 円形花壇》と《パラダイス 角の花壇》。いろいろな人形などが花壇のような小さな庭に自由に配置されている。

 最後は、扇町駅。アートはManaの《密の庭》と《浮島の森》。これらのオブジェは無機質な無人駅となってしまった終着駅の憩いとなることを願っているようだった。

(2008.11a) ブログ


山口薫展 都市と田園のはざまで: 世田谷美術館

山口 薫:おぼろ月に輪舞する子供達1.初期・滞欧期 1925-33: パリ時代の風景・人物は明るい具象。

2.帰国直後・戦中 1923-35: 幻想的で平面的な作品。で、深みのある赤が目立つ。↑右上の《潮騒(夜明け)》は、深い青を基調としているが、これも平面的で幻想的である。戦争時代のテーマであるが、戦争に対する複雑な感情が内蔵されているようである。

3.戦後 1948-55: 風景・人物・静物といった画題を、造形要素や色彩に分割し、これを再構成するようになってきている。

4.後期 1956-68: ここでは朦朧とした抽象画が多くなっている。《おぼろ月に輪舞する子供達》は絶筆であるが、幻想的な世界に作者が入っていくようだとの解説があった。ただ、その頃、ウィスキーと煎茶を交互にのみ、酔いと覚醒の間に揺れながら描いていたとのコメントは気になった。

(2008.11a) ブログ


林 陽子 銅版画展 ANOTHERLAND: ギャラリーハウス・マヤ

林陽子:luminous cave 最近のとげとげした世界から一歩このギャラリーに入ると、明るい「別世界」が待っている。植物と動物が平和に暮らしている世界が穏やかな色彩で表現されているのである。

 最初はケルト文化を題材にしていたが、最近は自分自身の中に浮かんでくるモチーフで制作されているとのことである。素直な童心に返って、絵本のような世界を楽しむことが出来た。

(2008.11a) ブログ


石田徹也展 僕たちの自画像: 練馬区立美術館

石田徹也:飛べなくなった人 石田徹也の《飛べなくなった人》は、新日曜美術館で紹介された時から、気になっていた。その実物を観ることのできる機会がやってきた。東京でのはじめての大規模な個展となる今回の展覧会に石田徹也の主要作品が約70点が集まっている。

  会場に入ってみると、あっと驚く。大きな油彩が並んでいる。うつろな目をした石田自身、あるいは現代の若者たちの分身が、現代という怪物のような社会に踏み潰されながら生きている姿が見るものを圧倒してくる。最初は、人間と機械が一体となったマグリット風のシュールで丁寧なタッチの風刺画のようにも思えたが、見て行くうちにだんだん作者の若者らしい切迫感が胸をうってくる。現代社会を揶揄・非難しているというよりも、どうしようもない社会の現実に対して自嘲的・逃避的になっている。

 しかし、次第に石田の作品は、何を意味しているのか分からなくなってくる。実際にも《無題》というタイトルが増えてくる。画家が現実社会から離れてしまっていくように感じられる。現代人が抑えている精神的なストレスを画に表現していた石田が、次第に社会から抜け出して別な世界に旅立っていくような怖ろしさを感じる。その意味で、31歳で死去した石田徹也の作品は、見るものに強い衝撃を与える。

(2008.11a) ブログ


池口史子展 静寂の次: 松涛美術館

池口史子:中庭 1943年生まれ。東京藝大油画科山口薫教室に学んでいる。1963年代の作品は、暗くて好きになれないが、1972年の《Chanson de la Glace U》あたりから、別人のように明るくなる。1986年の《蟻さん見つけた》は、ほほえましい子供の画。1990年の《孤屋》は、逆光に輝く2頭の馬が美しい。

 その後、1990年代の作品には、駅や線路を俯瞰した作品が増えてくる。このような画には人間がほとんど登場しない。《乗り継ぎ駅・夜明け》は、まるで鉄道博物館のジオラマのようだ。父親が鉄道関係の仕事だったことと関係があるのだろうか。ときどき美しい花の画が混ざるので、ほっとする。 一方、風景のほうはあまりにも静寂。2000年の《残された家》は、まるでホッパーの画を見るようである。2002年の《橋》、《ダウンタウン》の分かれ道にも、人間の活動がほとんど感じられない。

 2000年代になると、はっきりとした色彩をアクセントとする女性像が出てくる。前述の《ワイン色のセーター》や《待つ》のワイン色の服装、《カフェ》の青いズボン、《赤い部屋》の赤いソファー・カバー、《芽生え》のピンクのマフラー、チラシの《中庭》のピンクの上着。カラリストというべきなのだろう。

 1976年に、池口小太郎(堺屋太一)氏と結婚。氏が週刊朝日に連載された「今日とちがう明日」の挿絵原図が、何枚も出ていた。どれも味のある小品だった。

(2008.11a) ブログ


貴重書展 学ぶ・集う・楽しむ: 国立国会図書館

奈良絵本:てんじんき 「和漢の文学書」を中心に編成された国立国会図書館の開館60周年記念展。

 第一部 学ぶ 古典の継承: まずは「伊勢物語」。《嵯峨本(古活字本)》が素晴らしい。画はともかく、書体の流麗さに驚く。続いて「源氏物語」。江戸時代前期の写本は、金泥を散らした美しい料紙に読めない字で書かれているので、とてもありがたく感じる。「小倉百人一首」のところに来ると、急に元気が出る。なんとか読めるし、カルタのような画まで付いている。なんとこれが菱川師宣の画。「平家物語」の《長門本》は素晴らしかった。表紙には金泥で草木が描かれ、赤い「題簽」もパンチが効いている。そして流麗な書体の写本で、9人の筆者名も記されている。「祇園精舎のかねのこゑ・・・」と読んでいけるのだから楽しい。「日本書紀」や「論語」の立派な活字に感心する。とにかく漢字は分かりやすい。

 第二部 集う 知の交流: 江戸時代には学者・文人が集まったコミュニティが形成されていた。大田南畝の《一話一言》は随筆集だが、出ていたところには桜島が「起こし絵」になっていた。曲亭馬琴の書簡や《南総里見八犬伝》も出ていた。最近、千葉市美術館で「八犬伝展」を観たばかりなので、目を凝らしてみた。山東京伝の《作者胎内十月図》の自筆稿本と版本が出ており、最後の体験コーナーでは模写本を手にとって見られるようになっていた。作品を生み出す苦しみを「産みの苦しみ」に変えてしまい、作者のおなかに入ったタネが次第に成育し、人形になり、無事出産するという桁外れのストーリーである。

 第三章 楽しむ 絵入りの様々: この章がなんといってもマイ・ベスト。 まず「奈良絵本」から。これは手で描いた彩色写本。《ゆや》、《てんじんき》、《小袖曾我》、《甲陽軍鑑》はいずれも美しい。「刷り絵本」では、菱川師宣の作品がいくつも出ていて楽しめた。《奈良名所江戸桜》、《大和絵つくし》、《好色一代男》である。喜多川歌麿の《狂月坊》や恵美長敏編の《賞春芳》という拓版画も良かった。

(2008.10a) ブログ


国宝 天神さま : 九州国立博物館

束帯天神 出張の最終日を利用して、福岡から大宰府へ行ってきた。まずは「大宰府天満宮」に参拝。ついで「宝物殿」を拝観。ここの記念展もなかなか良かった。

 なんといっても大迫力なのは、《北野天神縁起絵巻 承久本》。憤死した菅原道真が雷神となって宮廷を襲うところである。あまりにも有名な絵巻なのでオンラインでも見られるが、実物を見るとアット驚く。まず大きい。通常は横に使う料紙を縦に接いで使っているからである。そして色彩が鮮明である。そして構図がダイナミックで、細部にわたるまで丁寧に描かれている。

 もうひとつの目玉作品は、今回メトロポリタン美術館から里帰りしている《北野天神縁起絵巻》。冥界を案内する死んだ道真が描かれている。

 和むのは、大阪・道明寺の国宝《十一面観音菩薩立像》。道真は幼いときに母の願かけで命を救われたため、観音を信仰しており、この展示作品は道真自身が造り、大阪にいた叔母・覚寿尼に与えたものだという伝承がある。

 いろいろな天神像を楽しむことが出来た。

(2008.10a) ブログ


松浦史料博物館

狩野探幽:狂獅子図屏風 平戸まで出かけた。博物館は松浦家の私邸を利用したものだから、おそろしく立派な石垣の間の石段を登っていく。まるで城内の博物館である。史料は、松浦党時代、戦国時代、西欧貿易時代、江戸時代にわたる数々の物が揃っている。

 西欧貿易時代の平戸には、ポルトガル、オランダ、イギリスなどの外国人があふれていたようで、オランダ船首像、異国船絵巻、地球儀・天球儀などの舶来品などが展示さてれいた。この地球儀をよく見ると、北海道は樺太と一繋がりとなって大陸に続いていた。

 仏教徒の藩主と切支丹である奥方の肖像が並んで展示されていた。この奥方のため、当時、藩主はキリスト教を容認せざるをえなかったと書いてあった。いつの世も、女は強し。しかしキリスト教禁教・鎖国という歴史の流れはどうしようもない。江戸時代の平戸藩主松浦家には大名の息女の輿入れもあったようで、華麗な駕籠や鬢台も出ていた。こんな遠隔の地に嫁入りさせられた女性は、どんな気持ちだったのだろうか。

 展示室の奥に大きな金屏風が飾られていた。江戸初期の狩野探幽の《狂獅子図屏風》で、右隻は↓のように二頭の獅子、左隻にはじゃれ合う二頭の獅子の他に一頭の子獅子。子孫繁栄を願った屏風なのかも知れない。 

(2008.10a) ブログ


大琳派展ー継承と変奏: 東京国立博物館

俵屋宗達:蓮池水禽図 第1章 本阿弥光悦・俵屋宗達: 二人のコラボの《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》は何度も見ているが、鶴の集まっているところが好きだ。《色紙貼付桜山吹図屏風》は、菊のモコモコが面白い。厳島神社の《平家納経 願文》の宗達筆の表紙・見返しだ出ていた。京都養源院にある宗達の杉戸絵《唐獅子図・波に犀図》と《白象図・唐獅子図》は、聖獣たちが大きく描かれて、コミカル。宗達の《関屋図屏風》、《源氏物語図 空蝉》、《伊勢物語色紙 芥川》などは何度見ても良い。京博にある国宝《蓮池水禽図》は墨の濃淡、滲み、ぼかしなど秀逸の作である。《鴨図》も良かった。

 第2章 尾形光琳・尾形乾山: 光琳の《西行法師行状絵》と宗達の《西行法師行状絵》が出ていた。いずれも鎌倉時代に描かれた原作のコピー。宗達は二つのコピーを作っており、もう一方は常設展に出ていた。光琳の《牡丹図》は、宗達の《牡丹図》と並べて展示されていた。光琳の《槙楓図屏風》は、宗達の《槙楓図屏風》のまったくのコピーである。根津美術館の《燕子花図屏風》とは、久し振りの再見。メトロポリタンの《波図屏風》は、2本の筆で描いた暗い群青の絵。その他のお気に入りは、《太公望図屏風》、《鵜舟図》、《槙図屏風》、《四季草花図巻》、《仕丁図扇》、《寿老人・山水図団扇》、《李白観瀑図》など沢山。

酒井抱一:白蓮図 第3章 光琳意匠と光琳顕彰: 美しい光琳模様の小袖が出ていた。江戸時代の永田友治の硯箱などがいくつも出ていたが、光琳風の最たるものである。

 第4章 酒井抱一・鈴木其一: 抱一のお気に入りは、虎に乗った《青面金剛像》、谷文晁を真似た《水月観音図》、《松風村雨図》、新吉原の花扇を描いた《遊女立姿図》、《宇治山図屏風》、《新撰六歌仙・四季草花図屏風》、《月に秋草図屏風》、《柿図屏風》、《四季花鳥図屏風》、《青楓・朱楓図屏風》、《白蓮図》、《四季草花蒔絵茶箱》など多数。今回の展覧会では、抱一が他の3人を圧倒していたと思う。

 鈴木其一の《三十六歌仙図》は、光琳の《三十六歌仙図屏風》と並べてあった。其一のお気に入りとしては、《東下図》、描表装の《歳首の図》、たらしこみと線の巧い《朴に尾長鳥図》、《雨中桜花楓葉図》、《秋草・月に波図屏風》、《月に萩図》、《群鶴図屏風》など多数。《風神雷神図屏風》は、今回は光琳と其一をくらべるという変な組み合せ。どうせならば、四人の揃い踏みが良かったのに。

(2008.10a) ブログ

追 記: 最終日にオフ会を兼ねて、風神雷神図の四人揃い踏みを見に行った。ブログ記事はこちら。オフ会参加者は、はろるど、Tak夫妻、とら、とんとん、ogawama、さちえ、mayu、一村雨、なでしこ、みどり、タケダ、ヘミオラ、panda、miz、lysander、えりり、prelude、えみ丸、主奈、海。

 


ボストン美術館 浮世絵名品展: 江戸東京博物館

国政:市川蝦蔵の暫 第1章 浮世絵初期の大家たち: まず懐月堂度辰の《鷹の羽模様の衣裳の遊女》は大判の丹絵で太く流れるような描線、模様を描いた細い描線、そしてごく一部に限られた丹の色をアクセントとした見応えのある絵。

 続いて、鳥居派の芝居絵。初代清倍の丹絵《二代目藤村半太夫大磯の虎》は、どっしりとした美人で、丹・黄・黒のバランスが良い。二代清倍の漆絵《市川源之助と江戸七太夫》は、さらにこれに草色も加わっている。西村重長の紅絵《松風》の色彩は鮮やかで、奥村利信の紅絵《回り灯籠を見る遊女》では退色しやすい紫も見事に残っている。

 第2章 春信様式の時代: 春信の紅摺絵《見立て三夕》、錦絵《雨中美人》、《坐鋪八景 鏡台の秋月》、《女三の宮と猫》、《寄菊》はいずれも素晴らしい色彩である。磯田湖龍斎の《雛形若菜の初模様》シリーズ》は単調な遊郭PR。

 第3章 錦絵の黄金時代; 清長の《日本橋の往来》はさすが。 歌麿の《月宮殿》は素晴らしいピンク。《鷹狩り行列》はゴージャス。《音曲恋の操 おこま 才三郎》は、人形と人形遣いの顔が瓜二つ。栄松斎長栄の《涼風五枚続》は一大パノラマである。退色しやすい紫や朱が最近摺ったばかりのような鮮やかさで迫ってくる。写楽は見慣れたものが多い。 

 第4章 幕末のビッグネームたち: 国政の《市川蝦蔵の暫》や《三代目市川八百蔵》は、大胆な構図、独特な眼の描き方など素晴らしい。国貞の《星の霜当世風俗 蚊帳》には、蚊が描かれている。北斎は見慣れたものが多い。広重の江戸百景では、初摺の《両国花火》、《深川木場市場》、《蒲田の梅園》が出ていて楽しめた。国芳のものにも良いものが多かったが、中でも《鬼若丸の鯉退治》が初見で面白かった。 

(2008.10a) ブログ


八犬伝の世界: 千葉市美術館

二代目歌川国貞:舞子朝毛野 実ハ犬坂毛野胤智 馬琴没後160年を記念し、服部仁氏の「八犬伝浮世絵コレクション」を中心に、江戸時代から現代に至る馬琴関連の資料を多数展示。

1.「南総里見八犬伝」の誕生と曲亭馬琴 まず曲亭馬琴作・柳川重信画の《南総里見八犬伝》が出てくる。1841年、馬琴は眼が見えなくなり、嫁の「路」に書き取ってもらい始めている。その馬琴口授・路女筆の《南総里見八犬伝 稿本 大九輯四十六之巻》が出ていた。右ページは馬琴のやっと書いているかすれた字である。左ページは「路」の字となっている。とてもしっかりとした字で、十分修練を積んだ字である。

2.錦絵「犬の草紙」にみる八犬伝の登場人物たち: 二代目歌川国貞画の大判錦絵揃物が50枚並んでいる。ふさわしいと思われる役者の顔を利用したものもあるとのことだが、キャプションを読むと全ストーリーが浮かんでくる。

3.八犬伝の名シーン: ここが一番面白かった。お気に入りは、 伏姫関係では、三代目歌川豊国の《富山の場》、水野年方の《冨山の奥に伏姫神童に遭う図》。 村雨丸関係では、歌川国芳の《木曽街道六十九次之内二板橋》、三代目歌川豊国の《左母二郎付文》と《濱路口説き》。円塚山関係では、三代目歌川豊国の《豊国揮毫 奇術競 犬山道節》、歌川国芳の《円塚山 道節火遁の術》、、一樹園貞升の《円塚山 犬山道節》。芳流閣関連では、歌川国芳・歌川広重・三代目歌川豊国の《芳流閣・ふぐ・上利剣》、歌川国芳の《八犬伝之内 芳流閣》と《芳流閣》。そして有名な月岡芳年の《芳流閣両雄動》と《一魁随筆 犬塚信乃 犬飼見八》。対牛楼関連では、三代目歌川豊国の《大牛楼 犬坂朝毛乃 犬田小文吾》。その他では、歌川芳虎の《庚申山の場》、三代目歌川豊国の《杢作屋敷の場》と《豊国揮毫 奇術競 尼妙椿》、歌川国芳の《大森 鈴繁森の合戦》。そして最後に、三代目歌川豊国の《里見八犬伝惣巻尾 八小姐天縁を得ぬる図》。この画では赤い紐で結婚相手を決めるのだから驚く。

4.八犬士が揃う: 歌川国芳の5種類の揃物、三代目歌川豊国の縦長の続物と揃物、豊原国周の揃物など沢山出ていてちょっと飽きるほどだった。

5.八犬伝を熱演する役者たち: 春梅斎北英の《冨山の場》で足を止めたが、後の役者絵はさらりと流してしまった。

6.八犬伝に遊ぶ: 福神図、団扇絵、双六、小割絵、凧(↓は三代目凧八の犬山道節》。

7.八犬伝、現代に生きるー進化するイメージ: 鰭崎英明の日本画《伏姫之図》はとても美しい。NHKの人形劇「新八犬伝」のDVDを見た。坂本九ちゃんのナレーションが懐かしい。そのときに使った辻村ジュサブローの人形《犬塚信乃》が展示されていたが、意外と小ぶりのものだった。その他、マンガ、ポスター、書籍などもかなり展示されていた。

(2008.10a) ブログ


高山辰雄遺作展: 練馬区美術館

高山辰雄:聖家族T 95歳で昨年逝去された高山辰雄は、「新日本画」の創造をめざして努力した画家。今回の展覧会では、藝大卒業制作の《砂丘》以下、約100点の作品が前後期に分かれて展覧され、高山芸術の軌跡を辿ることができる。

 1946年の《たべる》には食事する少女。戦後の食糧事情の悪さを反映していのであるが、その後、ゴーギャンの伝記を読んで「貧しさ」に対する考え方を変えたようである。1962−63の《森の家》や《夜》には、まだムンクを思わせる暗さがよどんでいるが、1972年の《夜明けの時》やゴーギャンの「われわれはどこからきたか・・・」に似た1973年の《朝》には、暗さからの脱却が明らかであり、対となる《夕》には明るい黄色が満ちあふれている。

 高山辰雄の画は、いろいろな画家の作品の間に並べられると、輪郭がはっきりしないためか、いまひとつ迫力に欠けるので、その前を素通りすることが多かったと思う。しかしこのように高山だけに囲まれると、観るものはその重厚な画風と高度な精神性に圧倒され、彼の世界に取り込まれていく。その意味で、この遺作展から学ぶことが多かった。お気に入りは多数。その中でも、《星辰》、《森》、《聖家族》のシリーズ、3点の《牡丹》は強く記憶に残っている。人間や植物など生あるものへの共感といったものが響いてくるからである。

(2008.9a) ブログ


北斎DNAのゆくえ: 板橋区美術館

抱亭五清:装い美人図 国内にある北斎の肉筆画は大分見てしまっているが、その弟子たちの肉筆画をみるのはこれが初めて。二階に昇ると、まず「入門コース」という部屋で、概説を勉強。

○葛飾北斎《二美人図》・・すらりとした「宗理タイプ」。《花魁図》・・しっかりとした「がっちりタイプ」。襟元や袖口のチリチリが特徴的。
○蹄斎北馬《遊女図》・・「宗理タイプ」。《両国涼遊美人図》・・独自の画風に変化している。
○魚屋北渓《立美人図》・・「がっちりタイプ」。《玉川布晒し図》・・・歌川派の影響も受けた独自の画風。
○菱川宗理《立美人図》・・「宗理タイプ」。
○抱亭五清《三味線を持つ美人図》・・これは「宗理タイプ」だが、違う画風に移っていく。
○二代葛飾北斎《傘持ち美人図》・・「がっちりタイプ」。
○葛飾北明《立美人図》・・ぽっちゃり美人。
○戴雅堂一僊《芸妓図》・・「がっちりタイプ」。

 北斎で一番印象深かったのは、《拷問の図》。背中に塩を塗り、天井からぶら下げられた女性が火あぶりとなっている。北斎のエロ春画は有名だが、このようなサド絵画も描いていたのである。

 弟子たちの画には、それぞれ「北斎DNA度」というものが書いてある。この展覧会には、蹄斎北馬の肉筆画が前期後期あわせて13点も出ている。魚屋北渓では、やはり大谷美術館の《洗髪美人図》が綺麗。抱亭五清の《三味線を持つ美人図》では、目と唇の色気にノックアウト。《装い美人図》のろうけつ染めを応用した絵も見事。

(2008.9a) ブログ


田村能里子ー襖絵完成記念展: 日本橋高島屋

  天龍寺塔頭「宝厳院」本堂再建に際し、その襖絵が完成されたことの記念展。西安の唐華賓館に描かれた田村能里子の壁画を見た宝厳院の住職が、田村に依頼したとのこと。

 田村能里子はアジアをテーマにした画や壁画を数多く手がけてきた洋画家である。この田村が、禅寺の襖絵を、キャンバスにアクリル絵具で描き、モチーフも花鳥風月ではなく、アジアの人間と大地なのであるから前例がないといってよい。題は「風河燦燦 三三自在」。希望に満ちた大宇宙と観自在菩薩のような自在な人間を自由に描いたということらしい。

田村能里子:牛の引手とサイン 全体の色調は「タムラレッド」すなわちインパクトの強い赤茶色。58面の襖に33人の若い女性と高齢の男性が描きこまれていて、その服装は単純な白一色、ローラーを使って向こうが透き通るように描かれている。色彩自体は派手だが、赤茶、白、青の3色だけでまとめられているので、全体としては落ち着きがある。「引手」の馬・牛・駱駝・象・鳥も田村のデザインでとても面白い。

 入口でカタログを見ていると、なんと田村能里子氏ご本人がそこに立って居られた。早速わたしもカタログを買ってサインをいただいた。

(2008.9a) ブログ


池田清明油絵展: 日本橋三越

池田清明:赤いショール  日展・一水会で活躍中の池田清明画伯の個展は2005年12月の横浜高島屋以来である。画伯は、お二人のお嬢さんをモデルに描き続けておられ、わたしも家内もすっかりファンとなっている。

 大きな部屋に随分沢山の画がかかっている。これは第一会場で、別に第二会場もあってそこにも沢山の画があった。お二人のお嬢さんの素晴らしい画が中心であるが、静物画や風景画もあり、これらにも画伯独自の美しい色彩があふれていた。

 池田先生とお嬢さんそして奥様と親しく話すことができた。わたしの勤め先にも池田先生の画が掛けられているが、それをみた方から「とても良かった」との連絡があったとの嬉しい話もあった。

 日本橋三越という「非日常性の中での大きな華やぎ」である。そしてそこには家庭の温かさがあふれていた。

(2008.9a) ブログ


「月百姿」を主に月岡芳年展: 礫川浮世絵美術館

月岡芳年:月百姿《名月や畳の上に松の影 其角》  昨年は、この礫川浮世絵美術館と平木Ukiyo-e Tokyo美術館で、64点の「月百姿」を見た。今回は前期で22点が出ていたが、昨年のものと重複が10点もあったので、合計76点を見たことになった。後期が待っているので、もう少し増えると思うが、いつになったら「全点踏破」ができることやら。今までみたものをホームページにまとめておいた。今年は双眼鏡を持参したので、空摺、布目摺が良く分かった。また係りの女性がペンライトを照らしてくれたので、正面摺や雲母摺も楽しむことができた。新しく見たもののなかでのお気に入りは、《名月や畳の上に松の影 其角》、《高倉月 長谷部 信連》、《五節の命婦》など。

 今回は「月百姿」以外の芳年の優品が出ていて、むしろそちらのほうがレベルが高かった。ほとんどが江戸期の作品である。大判3枚続の《頼光四天王大江山鬼神退治之図」・《楠多門丸古狸退治之図》・《正札付俳優手遊》は豪快ながら国芳ゆずりのユーモアに富んでいて面白かった。《美男水滸伝》が2点出ていたが、雲母がきれいだった。月百姿の《伊賀局》の関連で出展されていた和漢物語《伊賀局》は、光を当てると黒い部分に橋が浮き出してくる。正面摺なのだろう。とても質の高い展覧会だった。

 追 記: 「月百姿」は、後期に22点が出ていたが、今まで見たものが5点あったので、合計89点を見たことになる。

 千葉市美術館で見たばかりの《芳流閣両雄動》、《風俗三十二相目次》、夏に群馬県立歴史博物館で見た《新型三十六怪撰目録》にも再会した。《通俗西遊記 独角大王と戦う孫悟空》、《新選東錦絵 於富与三郎之話》、《大津絵 雨宿り 雪降り》、《和漢百物語 清姫》、《豹子頭林冲於山上廟前殺陸虞候》も良かった。

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川合玉堂とその門下: 講談社野間美術館

川合玉堂:渓村秋晴 この美術館に来るといつも心が落ち着く。おそらく素晴らしい庭園があることが関係しているのだろう。

 第一会場に入ると、そこには玉堂の風景画が並んでいる。もちろん人間が小さく点景のように添えられているものがほとんどである。お気に入りは、《渓村秋晴》と《鵜飼》。説明抜きで玉堂の世界に浸ることができる。《寒庭鳴禽》は枇杷の枝にヒヨドリがさえずっている。ビワには白い花が咲いているので季節は晩秋。

 第二会場は、玉堂の弟子の部屋。長野草風の《宋壷白菊》と《博雅三位》、池田輝方・蕉園の《美男美女》は素晴らしい優品である。これらに勝るとも劣らぬ優れた作品が正面に展示されていた。児玉希望の《春ー精進湖、夏ー華厳、秋ー那智、冬ー十和田》で、両サイドに山間の湖、中央に瀧がそれぞれ2点づつ堂々と並んでいた。

 第三会場は、この美術館に特有の「十二ヶ月」シリーズ。今回はもちろん「川合玉堂とその門下」の作品ばかりである。児玉希望のものは情緒たっぷりで技巧的である。長野草風、松本姿水のものも揃いで出ていた。川合玉堂の《十二ヶ月》は、金地で美しく、人が描き込まれているため、思わず見入ってしまう。

 第四室の村上豊「小説現代」の表紙原画もとても良かった。お好みは、《追儺》、《風薫る》、《蛍》、《長夜》。

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秋野不矩展: 神奈川県立近代美術館 葉山

秋野不矩:朝の祈り 秋野不矩の画はしばしば観るが、まとまった回顧展は初めてである。とても気持ちの良い展覧会だった。

1.京都時代ー日本画家としての出発: 1908年、現在の浜松市生まれ。1929年、21歳のときに京都の西山翠嶂につき、翌年、帝展に初入選。《朝露》は、朝顔の前に、子どもを抱いた黒い着物の女性の後姿。いかにも清々しい。 《紅裳》は、京都市美術館でも見たが、5人の赤い装いの女性を上からみた構図が面白い。

2.戦後、創造美術の結成ー新しい人体表現: 1948年、日展を脱退し、在野の日本画団体、現在の創画会の結成に参加。1949年から、京都市立美術大学で教育にたずさわる。《猫(花の猫)》は、2匹の猫ー黒猫とトラ猫の姿が印象に残る。 《裸童》は、カラーと白黒の2点が出ていた。

3.インドの大地ー創造の源との出会い: 1962年、インド、ベンガル州のピスパラティー大学の客員教授に招かれ、インドの風景とそこに生きる人々にのめりこんだ。《インド女性》、《平原》、《雨期》、《神の泉U》、《廻廊》、《たむろするクーリー》、《裏町(カルカッタ)》、《朝の祈り》など、開放された色彩の傑作が並んでいる。

4.旅はつづくー自らの風景を求めて: 1974年に退職した後も、何度もインドに足を運び、雄大なインドの大地を大きなスケールの画に描き出している。《雨雲》、棟方志功を思わせる《ナヴァグラハ》、緑の美しい《ヴィシュヌプール寺院》、牛の《渡河》・《カンガー》・《帰牛》、《オリッサの寺院》など、素晴らしいという言葉しか出てこない。

5.絵本原画: 「きんいろのしか」・「やまねことにわとり」・「いっすんぼうし」の原画はとても分かりやすいものだった。

6.その他: 素描・スケッチブック・手紙・画材が出ていた。不矩の字はたおやかで美しい。顔料を溶く皿のうち、黄色のものが他を圧して大きかった。

(2008.9a) ブログ