日本美術散歩 08-1 (海外美術は別ページ)

東博新春平常展 08.1 日本画「今」院展 08.1 足立美術館 08.1 日本の版画1941-1950 08.1
芳年・芳幾の錦絵新聞 08.1 水野コレクション 08.1 幕末・明治の浮世絵 08.1 土門拳 08.1
幕末の浮世絵と絵師たち 08.1 橋本雅邦 08.1 熊谷守一 08.2 小杉小二郎 08.2
奥谷博 08.2 王朝の恋 08.2 浮世絵の夜景 08.2  山本武夫 08.2
横山大観 08.2 鍋 島 08.2 木 喰 08.2 福岡市美術館 08.2
福岡県立美術館 08.2 北斎ー富士を描く展 08.3    

目 次 ↑

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北斎ー富士を描く展: 日本橋三越

北斎:田面の不二  2人の個人コレクターの所蔵の「富嶽三十六景」と「富嶽百景」。「富嶽百景」は、初編・二編・三編の3冊の半紙本の他に、すべての版画が額装として出ている。とても良い摺りである。初編・二篇は題箋が「鷹の羽」の貴重な版本である。

 富嶽百景初編: 《山また山》・・・手前のモコモコとした山なみがユーモラス。《田面(たのも)の不二》・・・逆さに映る富士山と鶴がいずれも美しい。

2.富嶽百景二編: 《井戸浚の不二》・・・コミックな構図。《海上の不二》・・・Great Waveが進化して、波頭から千鳥が飛び出す。《夕立の不二》・・・《山下白雨》の変化。

3.富嶽百景三編: 《赤沢の不二》・・・曽我物語の河津三郎と俣野五郎の赤沢山での闘い。「河津掛け」という相撲の手の発祥。《羅に隔るの不二》・・・蜘蛛の巣の向こうに富士山というユーモア。《さい穴の不二》・・・木の節が抜けた穴から富士山の姿が逆転して二重に映っている。《来朝の不二》・・・朝鮮通信使の行列と富士山の取り合わせの妙。

4.富嶽三十六景: 「変わり摺」のある作品を比較しながら鑑賞した。

 《甲州石班沢》・・・1.藍摺(ポスター参照)・・・大分汚れていて残念。 2.巌が緑、服装が赤と多色摺・・・色は美しいが、藍摺のほうが品が良い。

 《甲州三島越》・・・ 1.藍と緑の摺・・・品の良い落ち着き。  2.茶色や赤の入った多色摺・・・けばけばしい。

 《遠江山中》・・・1.藍摺・・・煙の白の表現はこちらのほうが良い。2.赤が加わる・・・煙の中の白はとって付けたようである。

 《従千住花街眺望の不二》・・・1.藍の下ぼかし・・・富士山が浮き立つ。富士の山稜が分かる。2.赤の上ぼかし・・・富士山が単純な白となって、目立たない。

(2008.3a) ブログ


旅する野十郎: 福岡県立美術館

高島野十郎:雪晴れ 須崎公園内にあるこの美術館は初訪問。追っかけの高島野十郎の作品を90点以上所蔵しているので一度来てみたいと思っていたのである。福岡市美術館で、《早春池畔》に再会したばかりであるが、福岡県立美術館の常設展では下記の7点を観た。《セーヌ河畔》、《さくらんぼ》、《春の富士T》・・・初見、《ティーポットのある静物》、《蝋燭》、《ノートルダムとモンターニュ通U》、《雪晴れ》。

 展示室内に「旅する野十郎」という小冊子が置いてあった。これは福岡県立美術館所蔵品巡回展が2007年に春日市ふれあい文化センター・福岡県立美術館・日本歴史資料館という「北部福岡アート・トライアングル」で開かれた際に作られたパンフレットであるが、33ページでカラー画像も入った立派なものである。久留米ー東大農学部ー東京資生堂での個展ー欧州旅行ー国内旅行ー柏への転居という野十郎の遍歴がこの冊子の中に細かく書かれている。

 そしてその文章は「ここで、野十郎の旅は終りを告げます。次は、彼の画に出会った私たちが旅をはじめる番です。私たちの目が野十郎の絵に引き寄せられるかぎり、あるいは画家・高島野十郎の旅もまた終わりなく続いていくのかもしれません。」という言葉で終わっている。実際に、野十郎の生存中は、彼の画は個展で発表されていたにすぎなかった。これが他人に選ばれて福岡県文化会館における展覧会の壁に掛けられたのは、彼の死後5年を経た1980年になってからであった。

 そして1986年に福岡県立美術館、1988年に目黒美術館、2006年に三鷹アートギャラリーと回顧展が開かれた。そしてそのたび毎に野十郎のファンが増えてきている。今回の福岡市の滞在に際して8点の作品を観るために市内の美術館を歩き回った私もその一人である。

(2008.2a) ブログ
 


常設展: 福岡市美術館

吉村忠夫:和光薫風  ここはお気に入りの美術館。博物館からバスで移動し、大濠公園の池畔を散歩した。

1.近現代美術室: お気に入りの作品が目白押し。高島野十郎の《早春池畔》は、大濠公園で描いたものだとのこと。ご当地絵画である。ミロやシグマール・ポルケも良かった。

2.日本画工芸室: 「吉村忠夫展」が開かれていた。最近、近美で《燈籠大臣》を見て以来、吉村忠夫が気になっていたが、丁度この展覧会を見ることができた。出展作品は、、《霊剣》、《春秋》、《播磨の娘子》、《朝勤》、《春光》、《和光薫風》、《龍女》、《弁財天》、《徳大寺左大臣》。

3.小作品室: 「 加納光於展」である。抽象版画でなかなか難しい。

4.企画展示室: 「和田千秋展ー障碍の美術X-祈り」 が開かれていた。

5.古美術企画展示室: 「掌(てのひら)のほとけ-インドシナ半島の?仏(せんぶつ)展」である。

6.東光院仏教美術室: 平安時代の薬師如来は優しいほほえみをたたえた平安時代の《薬師如来》を、黒くなってしまった《十二神将》が囲んでいる。

7.松永記念館室: 「点前座の世界展」が開かれていた。お気に入りは、《玳玻天目茶碗》、《高麗雨漏茶碗》。

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木喰展: 福岡市博物館

 今回の目的は「木喰展」。以前に「仏像展」でも木喰仏はいくつか見たが、今回は木喰に絞った展覧会である。

プロローグ: 木喰が生まれたのは1718年山梨県。22歳で出家、56歳で全国行脚に出ているが、彫像を始めたのは60歳過ぎで90歳まで多数の仏像を作った。近年になって木喰を再発見したのは柳宗悦。1924年、新潟県の小宮山家の蔵に焼き物を見にいったところ、そこに2体の仏像があることを発見したのである。無量壽如来と地蔵菩薩である。木喰の仏の持つ表情から、柳はそれを「微笑仏」と命名した。

第1期:三界無庵仏ー木喰行道(56−76歳) このように時代によって名前が変わっている。

第2期:天ー自在法門ー木喰五行菩薩のT(76−85歳)  《立木仏》・・・愛媛県高明寺の槙の木に彫った子安観音、 《四国堂仏》・・・1802年に完成した91体の四国88ヶ所霊場ににちなんだ仏像。1919年にこれを収めた四国堂が解体され、仏像は散りじりとなったが、柳が再発見したものはこの中のものであるから、運命というものは分からない。現在41体が確認されており、会場には7体が円形に配置して展示されていた。

第3期:天ー自在法門ー木喰五行菩薩のU(85−89歳) 1000体の仏像を作ろうと、全国寺社への代参納経を続けていた。お気に入りは《三面馬頭観音》、《秩父三十四所観音菩薩》・・・中央に置かれた自身像は橇に使われたため、容貌が消え去り、あごひげが残っているため「顎長上人」と呼ばれる。《十二神将ー柏崎・西光寺》・・・怖い十二神将の中にただひとり笑っている像がある。自身像なのだろう。

神通光明ー木喰明満仙人 《90歳の自身像と十王尊ー兵庫県東光寺》・・・閻魔が歯を見せて笑っている。

木喰の歌と書画 歌では、「まるまると まるめまるめと わが心 まん丸丸く 丸くまん丸」、「わが心 にごせばにごる すめばすむ すむもにごるも 心なりけり」、「木喰も いづくのなての 行だおれ いぬかからすの ゑじきなりけり」。書画では、《龍水・佐渡万福寺》・・・龍という字を使って龍の髭や尻尾を描いており、その前に水という字も見える。三本指の掌印の理由は不明とのこと。宗教的ながら装飾的といっても良い書画があった。一つは「利剣」・・・文字の各部分の先を剣のように鋭くし、煩悩や災いを切る。もう一つは「名号」・・・白抜きの文字の中をびっしりと神仏の名で埋める。この両者を含む《利剣名号》と名付けられた作品もあった。

【追 加】
 (常設展では、「金印」、「タンカーチベット仏教絵画 」、「黒田二十四騎」の展示を楽しんだ。

(2008.2a) ブログ
 


鍋島ー至宝の磁器・創出された美: 戸栗美術館

  戸栗美術館の開館20周年記念で、色鍋島が沢山展示されている。3会場にびっしりと鍋島が並んでいるところはまことに壮観。有田焼というと古伊万里、柿右衛門、色鍋島の3つに分類されるが、鍋島は17世紀末から18世紀初めにかけて、商業ルートで市販されることなく幕府に献上するためだけに藩の威信をかけて作られた上質で品のある焼物である。

鍋島:色絵 瓢箪文 皿 他の有田焼のような大皿や、大壷はなく、直径20cmほどの皿が中心。色も金色は使わず、赤 黄 緑の3色で、細かい青海波等の洒落た地紋を背景に配し、瓢箪や、草花等が精緻に斬新なデザインで描かれている。インドの更紗文やペルシャの幾何学文様の作品もあった。

 お気に入りは、《色絵 瓢箪文 皿》、《色絵 七宝菊文 稜花皿》、《染付 桃文 皿》。面白いものとしては、蟹牡丹とも呼ばれる《色絵 牡丹文 変形皿》、おめでたい模様が沢山描かれている《色絵 壽字宝尽文 八角皿》。

 皿の裏にも唐草や草花の模様が染付けで描かれていて、高台にも雷紋や櫛紋、剣先紋が丁寧に描かれていた。検査が大変厳しく少しでも規格に合わないものは破棄されたとのことで、とにかく最高の技術を駆使して作られた完璧なものばかりだった。

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横山大観: 国立新美術館

 没後50年展で、「新たなる伝説へ」という副題が付いている。大観はしょっちゅう見ているし、巧い絵と下手な絵の差がはなはだしい。戦争中の行動や戦後の酒癖からいっても尊敬できない。

横山大観:屈原 厳島神社蔵の有名な《屈原》は教科書では見ているが、実物を拝見していないので、それを見る目的で出かけた。会場に入るといきなり《屈原》である。これは1897年の作品。東京美術学校を追われた岡倉天心を楚の屈原に見立てている。髭、手に持つ草、葉、鳥などが風に飛ばされそうになっている。中央にもくもくと白い雲が湧き出てくる。象徴的な絵画である。

 ボストンから4点帰省していた。《帰牧図》はかわいらしく、《金魚図》は桜の花びらが赤い金魚の上を流れているように見えた。明治時代のもので良かったのは、卒業制作の《村童観猿翁》、《菊慈童》、《曳船》、《迷児》、《流灯》、《水国の夜》、《観音》、《五柳先生》・・・これも天心に見える。

 大正時代のものでは、《柳陰》、《游刃有余地》、《胡蝶花》はいいが、《秋色》は隣の光琳の《槙楓図屏風》と比べるとたらしこみが下手で目を覆う。《生々流転》の天翔る龍は迫力がある。

 昭和の初めのものでは、《飛泉》が良かった。《龍蛟躍四溟》の龍は、お手本の陳容《五龍図鑑》に比べると、迫力がなく情けない。戦時中の海山十題としては、私の大嫌いな富士山と真っ赤な太陽が出ていなかったので助かった。海の描き方は巧い。《龍躍る》の龍もイマイチ。ただし《南溟の夜》と《正気放光》は良かった。戦後のものは、大分力が落ちている。《ある日の太平洋》は全体としては迫力があるが、龍は大したことはない。

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山本武夫展ー美人画と舞台芸術: 目黒美術館

 山本武夫展は、東京美術学校図案科在学中から小村雪岱に師事しており、美人画・舞台芸術・挿絵など師匠の雪岱の得意としたジャンルを引き継いでいる。

山本武夫:のれん 美人画では、《シダル幻想》、《おせん》、《湯上りおせん》、《おせん夏姿》、《女性像(のれん)》、《のれん》などちょっとクールな美人。

 舞台芸術では、小村雪岱を髣髴とさせる道具帳が所狭しとばかりに並んでいる。道成寺、松風、安達原、冥土の飛脚、田舎源氏、心中天の網島、清方ゑかく、女忠臣蔵、絵島生島、蝶の道行などという有名な芝居の舞台の図案となる水彩画である。

 挿絵や装幀も雪岱ゆずり。挿絵には、絵島、切られお富、千姫といった聞きなれた名前が出てくる。書籍には隆文堂の《色娘おせん》があった。

 資生堂に勤めていたので、化粧品のポスターや化粧瓶の模様デザインなども出ていた。その他に、舞踊会のパンフレットも沢山出ていた。

 特別出品として出ていた小村雪岱の《おせん(傘)》の肉筆画に遭遇して興奮した。

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(追 加) 同時開催の所蔵作品展「美女の図、美男の図ー藤田嗣治、高野三三男から現代作家まで」 がなかなか良かった。

 ■ 藤田嗣治: 《君代のプロフィール》、《殉教者》、《猫のいる自画像》、《立っている裸婦》、《横たわる裸婦》、《接吻》

 ■ 高野三三男: 《嘆き》、《うたたね ねむる金髪の男の子》、《デコちゃん 高峰秀子》、《京マチ子》、《仮装舞踏会にて アルルカンとピエレット》、《緑衣》、《ぼうしの女 花飾り》、《人は真実を怖れる》。

 ■ その他: 高畠達四郎の《少年青帽》と《食卓》、田中保の油彩《金髪の裸婦》や里見勝蔵の油彩《女》。

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浮世絵の夜景: 太田記念美術館

葛飾応為:吉原格子先の図  なんといっても素晴らしいのは葛飾応為の肉筆画《吉原格子先の図》。以前にたばこと塩の博物館でこれの版画《新吉原夜景 張見世》をみたが、肉筆画を見るとその光と影の近代性に驚く。これについては土曜講座を聞いたので、詳細を別ページにアップする。

 その他に、小林清親の光線画、川瀬巴水の夕暮画、歌川国芳の《里見八犬伝》の芳流閣の闘い、豊原国周の《里見八犬伝八枚揃》、歌川国貞のシルエット画《江戸の夜》など素晴らしい夜景を楽しむことができた。

(2008.2a) ブログ


王朝の恋: 出光美術館

  入るとすぐに岩佐又兵衛の《在原業平図》と英一蝶の《見立業平涅槃図》がある。「小野小町か楊貴妃か」ではない、「光源氏か業平か」といわれたプレーボーイは生きていても死にかかっても良い男。

俵屋宗達:若草の妹 《宗達色紙》のコーナーが充実している。物語はたわいないもの。「伊勢物語」は男性が書いた積極的な男性の恋物語。女が書いた理想的な男性との恋物語「源氏物語」ときわめて対照的である。 例えば、《長岡の里》の女に追いかけられるモテモテ男。《梅の作り枝》の作り物の梅に雉をとめて上司に献上するゴマスリ男。《若草の妹》の妹に懸想し振られるバカ男。。《武蔵野》の娘を盗んで逃げたが追手に捕まってしまうダメ男。《梓弓》の最期に岩に血で歌を書いている女がいるのに去ってしまうドンカン男。

 お目当て、久保惣の重文《伊勢物語絵巻》は、鎌倉時代の作品なのに色も鮮やかで、単眼鏡を使えば、描きこまれた小さな動植物もしっかりと観られるからオドロキである。今回見られたのは《西の対》の消えてしまった女を思って歌を詠むミレン男。《河内越》の自分が浮気している留守の妻を疑うシット男。《緑衫の袍》の妻の妹へプレゼントするヘンナ男。詞書のうち《水鏡》には、葦手によって詞書のヒントになる文字も表されている。

 伊勢物語屏風は、物語の有名場面を集めたもの。出光蔵と泉屋蔵の2種類が出ていた。出光の《高安の女》は昔の女が所帯じみでいるのをみてガッカリしているアホ男。 

 「男というものは、馬鹿な動物である」というあたりまえのことをしっかり勉強してきた。

【追加】 再訪して、久保惣の重文《伊勢物語絵巻》の巻替えの部分も見てきた。

(2008.2a) ブログ@へ ブログA

 


奥谷博展: そごう美術館

  文化功労者顕彰記念展。奥谷は高知県宿毛(すくも)の出身。奥谷の画の海や魚はこの風土に根ざしたもの。

奥谷博:貴江七歳像 東京藝大入学時の《自画像》があった。奥谷の画の中にはその後奥谷自身の肖像が驚くほど沢山出てくる。《緑雲青旦》は緑の茂った森に灰色の女性の裸体が描かれたアンリ・ルソーのようにな作品だが、なぜか画の隅にポケットに手を突っ込みうなだれた自画像が描き込まれている。《鏡の中の自画像と骨》には骸骨のほかに球面鏡などに自画像。《詩海》には、魚などの海の幸が描かれる中にヤスを持った画家。《芽出たい日》は赤い鳥居の下の自画像、背景に赤い岩と海。《男と横臥の女》や《奮》にはエゴンシーレの自画像のような男。

 初期の暗くて厚塗りの画から色彩の豊かな心象風景のような画に移る。《ベランダのモンテスラ》は手前に鉢植えの大きな木と建物、遠景に風景。《夜》は新宿のガスタンクと木曽御岳の集合。

 宗教的な香りがする画がいくつかあった。《足摺遠雷》は逆巻く波と根笹という土地の笹を背にした赤いベールを被った女性。まるでキリスト教のイコンのようだ。《胎》は妊娠中の妻が石の上日裸足で立つ。これも宗教的。《四手》は大きな注連縄の下に、月に照らされた組み合わせる手。

 生と死をイメージした画が気になった。《慟哭》は骸骨の山、その中を人を探す3人、海に囲まれサボテンの生い茂る赤い岩に乗って天を仰ぐ女性、なぜか鮫も描かれている。《犇く黒い生》はインドでの画。生の象徴としての水牛が水中にひしめく中、死の象徴としてのハゲタカが2羽描きこまれている。《月露》は死んだ姉を送る画。姉の右手は月に照らされた彼岸に、左手は此岸の画家が握っている。

 世界遺産を描いた画などは分かりやすいし、安心して見られる。《霧り渡る》、《白鷺城》、《天の邪鬼》、《地の口》、《阿修羅》、《倶梨伽羅紋紋》、《刻の渦》、《翔》、《虎》などである。《貴江七歳像》もとても良かった。全体として赤と青の印象が強かった。

(2008.2a) ブログ


小杉小二郎展: 損保ジャパン東郷青児美術館

小杉小二郎:祝い花  小杉小二郎は東大安田講堂の壁画を描いた有名な小杉放菴の孫。現在フランスと日本を拠点に活動中。油彩の静物画や風景画は穏やかで色彩が豊かである。しかし現実味に乏しい。冷たさはないが、デ・キリコの形而上絵画に近いものを感じる。幻想的というよりも空想的で、理解を超える表現も少なくない。陰影のある画もあるが、全体として平面的である。

 《月・追憶》は、母親へのオマージュとしてはそれなりに理解できるが、ゴチャゴチャしている。一方、《祝い花》、《バーニュー鉄道発着所》、《雪の窓辺のバヨリン弾き》、《雪の三色すみれ》のようなシンプルな作品は、安心して画の中に入っていくことができる。岩彩を用いた作品があった。《インク壷と果物》や《糸巻きの静物》である。これらは小品ながら、独特の輝きを放っていた。連作「聖書物語」はとても良かった。金色の装飾性はイコンのようでもあり、琳派的でもある。

 コラージュやオブジェには共感できるものが多い。鏡を使った《本音と建前》などのユーモア作品、《小象のタンゴ》のようにネットによる錯視効果を狙った作品は素晴らしい。

(2008.2a) ブログ


熊谷守一展: 埼玉県立近代美術館

熊谷守一:宵月  独特な色面を持つこの画家の作品はどこの展覧会でも異彩を放っている。回顧展が開かれたの観にいってきた。天童美術館学芸員のオープニング・トークを聴くことができた。ここでは展覧会の構成だけを紹介する。

第1章 形をつかむ・・・初期の作品は色彩に乏しい。

第2章 色をとらえる・・・東京に戻って再び画作に励むようになり、明るい光が画面に現れ、形が崩れてくる。

第3章 天与の色彩・・・ 究極のかたち・・・輪郭線を使った「守一様式」が現れてくる。

第4章 守一の日本画・・・初期の日本画は真面目だが、晩年の日本画は自由で大らかである。

第5章 変幻自在の書・・・あまり感心しなかった。

(2008.2a) ブログ


没後100年 橋本雅邦: 川越市立美術館

  今回はこの美術館の開館5周年特別記念展、川越ゆかりの橋本雅邦の回顧展である。雅邦は1835年生まれ、1908年に没した。江戸時代の狩野家に入門したのが11歳の時。15歳の早描き《布袋》が出展されていたが、「栴檀は双葉より芳し」という言葉通りである。雅邦は川越藩の御用絵師であったので、松平周防守の初代と二代の肖像画が出ていた。

 34歳の雅邦は明治維新によって藩士としての禄を失い、狩野派画所の解体によって失職した。37歳で運よく兵部省の製図掛になることができたが、一旦画家としてのキャリアは中断しているようである。珍しい油彩画《豫譲》が出ていた。47歳の作。全体に暗い脂派であるが、雅邦が新しい時代に適応しようとしていた証拠の画である。

橋本雅邦:秋景山水図 48歳で「第1回内国絵画共進会」に出品した作品の一つ《李白観瀑図》は水野美術館でも観た。狩野派の特徴の線は目立つが、遠くを淡く描くなど空気遠近法も取り入れている。

  50歳でフェノロサが中心になって作られた鑑画会に参加。狩野派の強いタッチを抑制し、俯瞰的で、遠近や明暗を表現する西洋画的な手法をを取り入れようと努力している。《秋景山水図》などはその好例であるが、空間表現はいまひとつ。 55歳で東京美術学校教諭となったが、その年に描いた《月夜山水》はそういった努力の集大成であるといえる。

  64歳で岡倉天心らの事件に殉じて東京美術学校を辞職して日本美術院の主幹となって苦労したことはあまりにも有名である。 63歳の雅邦を応援するために川越の有志で結成された「画宝会」は彼の画の頒布会の役割を果たした。そのため川越に雅邦の作品が多数残っていたが、最近ではそれも流出している。しかし今回は画宝会関係の作品を沢山掘り起こして出展したとのことである。例えば《猛虎図》、《阿耨観音図》、《琴棋書画》などがそれである。

 わたしのお気に入りは《三井寺》と《猿猴図屏風》。前者は人買いに連れ去られたわが子を求めて物狂いとなる母親が三井寺の鐘楼に駆け上がらんとするところ。後者はテナガザルが水面に映った月を掬おうとする「猿猴捉月」が主題。

 近世から近代への激動の時代をしなやかに生き、大観ら自分の子供と同じぐらいの歳の若者を育て、自分自身穏やかな画を遺した画家の良い回顧展だった。

(2008.1a) ブログ


幕末の浮世絵と絵師たち: たばこと塩の博物館

芳幾:真写月花之姿絵  立派なカラー・パンフレットがいただけるのはありがたい。見どころ豊富である。

1.幕末の浮世絵のパトロン: 三谷長三郎は役者絵の出版に出資していたが、三谷家に残っていた役者絵の画稿が展示されていた。

2.幕末の世相と浮世絵: 横浜絵、麻疹絵、あわて絵、御上洛東海道、攘夷・物価上昇・戊辰戦争を描いた諷刺画が展示されている。国芳の《横浜本町之図》は典型的な横浜絵。暁斎の《狂斎百狂 どふけ百万遍》の中央の骨なしの大蛸=幕府、蝶=長州、鯱=尾張、鐘馗=水戸、進まぬ攘夷=百万遍念仏である。

3.幕末の浮世絵師たち: 貞秀、国周、芳幾、芳年、二代広重、三代広重の作品が出ていた。三代広重の《幼童遊びをとろ子とろ》は、國際基督教大学博物館でもみた戊辰戦争の諷刺画。

(2008.1a) ブログ


日本の心 土門拳写真展: 武蔵野市立吉祥寺美術館

  有名な土門拳の写真展を見るのは初めて。感動する写真が多かった。さすがはプロである。

1.風貌: 《梅原龍三郎》の怒った顔。撮った後、椅子を投げつけて壊してしまったとのこと。赤痢菌の発見者《志賀潔》の壊れた眼鏡をかけた顔はなんともいえない。

2.古寺巡礼: 大きなカラー写真だからインパクトが強い。お気に入りは、《平等院 鳳凰堂夕焼け》、《唐招提寺 金堂千手観音立像右脇千手詳細》、《西芳寺 書院前四半石》、《三仏寺 投入堂全景》、《向源寺 観音堂十一面観音立像全身》。

土門拳:近藤勇と鞍馬天狗3.子供たち傑作選: 楽しい子供の姿の決定的なショットがたくさん。《近藤勇と鞍馬天狗》のジャンプのタイミングが絶妙。

4.筑豊のこどもたち: 悲しい子供たちの姿。《弁当を持ってこない子》では、弁当のない子は周りをみないでじっと本を読んでいる。

5.女優と文化財: 婦人公論の表紙。懐かしい顔が多い。

6.傑作選: 《陶工 菊揉み》など。

(2008.1a) ブログ

【追 加】 武蔵野市立吉祥寺美術館には、二つの常設展示がなされていた。どちらもとても良かった。ブログ参照

1.浜口陽三記念室ー「黒いシルエットの残像」:  わたしの好きな銅板画家。とくにオリジナルのカラー・メゾティントが良い。お気に入りは《魚とさくらんぼ》。皿の緑、魚の黒、敷物のチェック、さくらんぼの赤のコントラストがよい。1956年の作というからカラーメゾティントとしては初期のもの。

2.萩原英雄記念室ー「心の故郷・富士」: 「三十六富士」から25点の木版画が出ていた。古い浮世絵風のものもあるが、現代てきなものが良かった。例えば、《高速終点近し》、《ビルの谷間に》、《お山は小焼け》。

 


幕末・明治の浮世絵: 國際基督教大学博物館湯浅八郎記念館

  新聞に紹介されていた展覧会。浮世絵諷刺画が面白いという。武蔵境からバス。随分広い大学キャンパス。初代学長を記念した記念館は瀟洒な建物。中では考古展示、民芸展示のほかに、今回のような特別展が開かれている。

1.横浜絵: 貞秀、芳虎、芳豊、芳幾、芳員、芳年、芳藤、二代国久、二代広重、三代広重などの外国人の画、当時の横浜や東京の画、外国新聞の挿絵など見慣れたもの。

鳥羽絵巻物之内屁合戦2.幕末の諷刺画: 最初に出てくるのが《鳥羽絵巻物之内屁合戦》。

 続いて新聞に出ていた新政府側と旧幕府側との対立を題材とした諷刺画が出てくる。着物の柄などで藩の名前が分かるようになっている。道化肴市場》では、猫を追いかけているのが旧幕府側。その後の菊の模様の着物が和宮。魚の名前は「このしろ」すなわち「この城=江戸城」。薩長は欄干に、公家があわてている。《当たりくじ講母子の寄合》では、右後に立っている「としま」が天璋院篤姫。これを見上げているのが和宮。中央で薩摩藩・長州藩と会津藩が言いあっている。

 次は三代広重の《幼童遊び子をとろことろ》。相手方の列の最後尾のものを鬼が捕まえる遊び。実際には戊辰戦争を諷刺画である。左側の列の先頭が薩摩藩、最後尾が天皇を背負った長州藩。後にいるのが和宮。鬼は会津藩である。

 《子をとろのかへし》は、三代広重の画のお返しであるが、作者不明となっている。今度は薩摩が鬼、会津が守り。狙われているのは徳川慶喜。後にいるのは天璋院。

3.オスマー・コレクション: 周延、国貞、国芳、広重などの名品。アメリカ人が寄贈したもの。

4.民具を描いた浮世絵: 角行灯、雪洞、龕灯、玩具、天神人形ばどこの博物館に所蔵されているものが描かれた浮世絵が一緒に展示されていた。  

(2008.1a) ブログ


近代日本画 美の系譜ー水野コレクションの名品より: 大丸ミュージアム

  水野美術館の開館5周年記念展には昨年7月に行ってきた。今回改築された東京の大丸ミュージアムで「大丸東京新店オープン記念」として水野コレクション400点のうちの60点が紹介されている。

■橋本雅邦:《寒山拾得》・・・狩野派のタッチ、《紅葉白水》・・・紅葉の黄色・橙色と灰青色との対照。


■横山大観:《不二霊峰》・・・金泥の雲、《陶靖節》・・・岡倉天心を陶淵明に見立て、《鶉》・・・羽と葉の描きかたが巧い、《双龍争珠》・・・珠に見立てた月を龍に見立てた松の枝が争っている、《朝輝》・・・日の丸は嫌い、《無我》・・・3点の同一画題の一つ。


■菱田春草:《秋之渓谷》・・・朦朧体、《月下波》・・・明るい色彩、《稲田姫(奇縁)》・・・雲の中にオドロオドロシイ八岐大蛇、《双美摘草》・・・かわいらしい着物の女の子二人、《羅浮山》・・・ちょっと薄気味の悪い梅の精。


■大観・春草の合作:《旭日静波》・・・中央の太陽がどぎつい。


■下村観山:《宇治山》、《春秋》・・・美しい色彩の装飾性、《三猿》・・・目の不自由な男の掌に筆談する口のきけない男・その間に耳の聞こえぬ男、《獅子図屏風》・・・青が不気味な巨大な親子ライオン、《弁財天》・・・中国風。


■西郷孤月:《月下飛鷺》・・・朦朧とした月と樹に対し、一羽の鷺だけがはっきりと描かれている。


上村松園:かんざし■上村松園:《かんざし》・・・精巧な簪、《夕べ》・・・簾の隙間から外を見る団扇を持つ凛とした女性、《汐汲み之図》・・・上を向いた松風の目が妖しい。


■鏑木清方:《花ふぶき・落葉時雨》・・・めずらしい大作、《大川の虹》・・・着物の女性と虹はミスマッチに思える。


■伊東深水:《鏡獅子》・・・頬を紅潮させた女性の顔に凄み、《夜長》・・・香をたきしめる胸元と雪洞にとまるコオロギに注がれる視線。


■池田焦園:《灯ともし頃》・・・夕方のとりこみ。この画の左葉から↓のダンナの作品ができた。

■池田輝方:《木挽町芝居小屋》・・・柳の下に団扇をもって客待ちする。


■菊地契月:《歌舞園》・・・右に美しい井牡丹をもった歌姫と3人の女性楽師・右に踊り手、《後宮》・・・風に衣と髪が乱れる中国夫人。


■川合玉堂:《晩帰》・・・家路につく人々と橋が遠くに見える自然の風景、《清湍釣魚》・・・見事な波と漁師の表現は浮世絵風、《鵜飼》・・・得意の画題、《渓村春雨》・・・やわらかな雨によるそぼ降る春への移行、《帆影》・・・洞窟の向こうに明るい海・白い帆。


■児玉希望:《春月》・・・幻想的な夜桜。


■奥田元宋:《月明秋耀》・・・紅葉の赤が空の青、山の白、月の黄色を圧倒、《上高地》・・・穏やかな山と池。


■池上秀畝:《歳寒三友》・・・松竹梅ではなく、柏椿梅・椿の紅が鮮やか。


■杉山寧:《汐》・・・、不思議な水紋、《晶》・・・泳ぐ裸婦が直角に配置されている、《けい》・・・カッパドキアの羊飼い女を岩山の上から描く。


■岩橋英遠:《夕空》


■橋本明治:《実》・・・葡萄の房、《春座敷》・・・鼻の周囲の影が強すぎる。


■山口蓬春:《夏蔭》・・・緑のインコが2羽、《留園駘春》・・・美しく強い木蓮の姿。


■堅山南風:《横山大観先生》・・・巧い、《朝の月》・・・迫力のある山桜。


■高山辰雄:《牡丹(石壷に)》・・・幻想的、《朝凪の濱》・・・金色と褐色。


■山本丘人:《紅葉の季》・・・穏やかな画。山本丘人展で観たと思う。


■横山操:《赤富士》・・・彼の真骨頂。


■加山又造:《千羽鶴》・・・琳派風、《猫と牡丹》↑・・・青い目、《雪晴れる》・・・抜けるような青空と白い山の稜線と陰影。


■平山郁夫:《静夜鹿苑寺金閣》・・・輝く静寂な夜の金閣寺。


■大山忠作:《遊鯉》・・・休んでいるところか。

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芳年・芳幾の錦絵新聞: 千葉市美術館

月岡芳年:郵便報知新聞614 新聞は明治という新時代の象徴であったが、当時の写真印刷技術は未熟であり、新聞挿絵は「錦絵」。

 1874年に創刊された「東京日日新聞」と翌1875年に創刊された「郵便報知新聞」に掲載された大判作品が一挙に公開されている。全部で176枚であるから豪快な展示である。

 内容は、新聞というにはいささか旧聞に属する事件を取り上げた物語絵ばかりである。色彩は毒々しく、血なまぐさいものが多い。

 「東京日日新聞」の絵師は、国芳の弟子の一寫ヨ芳幾(いっけいさい よしいく)こと落合芳幾。「郵便報知新聞」の絵師は芳幾の弟弟子の大蘇芳年(たいそ よしとし)こと月岡芳年。

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日本の版画1941−1950: 千葉市美術館

加藤次郎:JEU D’OBJET 第二次世界大戦中から戦後にかけての版画が243点も展示されている。版画家が戦時をどのように生きたかが興味がある。

第1章 戦中の創作版画: ここには戦争中といえども、それに影響されずに作られたと思われる作品が並んでいる。入口にある恩地孝四郎の《『氷島』の著者・萩原朔太郎》は深い皴を刻んだ作家の肖像である。

 武藤完一の中国の《苦力の家》や山岸主計の《蒙古の砂丘》をみると大陸に向かった日本の姿がちらついてくる。しかし松原忠四郎の《山羊》や横山信也の《鵜飼》を見ると、戦争はいずこ!という感じである。

 駒井哲郎の《河岸》では、繊細な対岸の家並みの表現が美しい。前川千帆《浴泉裸婦》は背中向きなが浮世絵風の裸婦像である。戦争たけなわの1943年の作品であるから驚く。

 平塚運一の版画が4点出ていたが、切り絵を想起させる。その中でのお気に入りは《斑鳩寺》。伊東健乃典の《光芒》はキュビスム的であり、川西英の《古道具屋A》はレジェ風である。

 山口源の《石垣苺》は灰色の石垣と苺の葉の緑と実の紅のコントラストが抜群である。同じ作者の《穂高》や《焼岳》も良かった。前田政雄の《甲斐駒ケ岳》、畦地梅太郎の《山》では足が止まってしまった。

第2章 奉公する版画: 1943年に、大政翼賛会のもとに版画会の統制団体である「日本版画奉公会」が設立されている。

 画題として、小泉癸巳夫の《聖峰富嶽三十六景》、川西英の《菊》、奥山儀八郎の《相撲六人衆》や《古式三段構之図》、などは許容範囲である。

 しかし小早川秋声の《日本刀》、山口源の《前線銃後を貫く闘魂》、奥山儀八郎の《軍神加藤建夫少将像》は翼賛版画であり、今純三・西田武雄・小泉癸巳夫・加地春彦・高木省治・犬塚慶次郎、奥山儀八郎、恩地孝四郎の《日本版画奉公会供出版画集》や和田三造の《昭和職業絵尽(旗屋)》もこれに属する。

 恩地孝四郎の《こまくさ》や熊谷守一の《山百合花》は美しい木版であるが、「詩と版画 軍艦献金作品集成 大東亜の花ごよみ」という題をみると、横山大観が海山十題」の売り上げで戦闘機を寄付したことを思い出す。

 堂本印象の《印像仏画集》は宗教画であって異様な感じはしないが、伊東深水の《ジャワ ジャカルタ郊外》や《ボルネオ マルタプーラ河》は南進する日本軍を直接には描いていないものの、やはり軍部におもねる版画であるといわざるをえない。

 一番ひどかったのは、田坂乾の《大東亜会議列席代表像 Hideki Tojo》である。こんなところで東条英機の肖像を見たくなかった。

第3章 戦中の版画本: 《書窓版画帖十連聚》では、川西英の《港都情景》と逸見享の《水韻音譜》が良かった。川上澄生の《いんへるの(るしへる版)》はものすごい迫力。《時計》の表紙も抜群の出来である。

第4章 標本たちの箱庭―加藤太郎と杉原正巳: まず出てくるのがここでも恩地孝四郎。《南海への執念》には生みの静物が散りばめられている。マグリット風のシュールレアリスムなのだろう。

 ついで加藤次郎の作品群。《イトトンボ》が良い。そして《JEU D’OBJET》という木版画集。その表紙が今回のチケット、そして拳銃が今回のポスター。この拳銃は蝶の羽が変容したもの。思ったよりずっと小さいが迫力のあるシュールな版画。

第5章 焦土より―進駐軍と日本の版画: 石井鶴三の《都市俯瞰》や《松雪》はなかなか良い。恩地孝四郎の《廃墟》は近美の特集展示「崩壊感覚」で見た。この頃はアメリカ兵が日本の版画を束で買っていったという。明治維新のころの浮世絵と同様な事象だったらしい。

第6章 戦後―抽象と具象のあいだに: 抽象絵画と歩調を合わせるように抽象版画が流行し、川上澄生の作品ですら抽象性を帯びたものである。私としては具象のものが良い。木和村創爾郎の《浅草観音内陣図》、勝平得之の《米作四題より 植乙女(夏)》、畦地梅太郎の《雪渓(長次郎谷)》、小野忠重の《工場》などがお気に入り。

第7章 世界という舞台へ: 棟方志功の《鐘渓頌》は青と赤で裏彩色された多数の木版を貼りこんだもので、迫力がすごい。

 駒井哲郎、浜田知明、浜口陽三などの作品が多数出ていた。浜田知明の《少年兵哀歌(銃架のかげ)がここでのベスト。

 最後は恩地孝四郎が生前に作った《イマージュNo.8 自分の死貌》。意味はよく分からないが今回の展覧会はまさに恩地孝四郎に振り回されたことだけは確かである。

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日本画の美人たち: 足立美術館

安田靫彦《王昭君》・伊藤深水《爽涼》・上村松園《娘深雪》生の掛軸 念願の足立美術館へ行くことができた。

 まず庭園を拝見。窓から直接に、あるいは生の掛軸や生の額縁として眺めるようになっている。

 次は「小展示室」で「四季の屏風絵」を観る。竹内栖鳳《富貴くさ》、榊原紫峰《秋草》、橋本関雪《樹上孔雀図》・《唐犬図》の他に川端龍子が3点出ていた。《浪戯》や《春雪譜》はいずれもすばらしかったが、色彩が華やかで、動きと感情表現のある《愛染》が最高。

 次に「大観室」に入る。この美術館には横山大観の作品が130点もあるというから、展示されている16点はごく一部である。

 《春光》という大きな作品が突き当たり中央に架かっているが、あまり力がない。《無我》3点の一つも出ているが、東博や水野のものに比べれば迫力がない。《乾坤輝く》(海山十題)のような軍国主義絵画は嫌いである(@ABC)。

 《雨聲》、《白梅》、《春風秋雨》、《春光》、《風蕭々兮易水寒》、《山川悠遠》、《蓬莱山》などは良い。

 「大展示室」冬季特別展「日本画の中の美人たち」で今回のメインイベント。
 まづ上村松園の《待月》、《娘深雪》、《牡丹雪》。

 伊藤小坡の《一聲》は、女性が古今和歌集第三巻を持っているところからホトトギスの一声に空を見上げるところ。

伊東深水:湯気 鏑木清方の《春游》や《潮干がり》はちょっと古い感じがする。

 北野恒富の《鷺娘》は幻想的な絵画で、今回のマイベスト。

 伊東深水の作品に良いものが多かった。《春の雪》、《湯気》、《爽涼》、娘雪路とその友達を描いた《夢多き頃》、辻が花染の着物と黒猫の対比が目立つ《ペルシャ猫》などいずれも絶品である。

 石本正の《麗日》も素晴らしかった。

 廊下に陳列されていた童画や「陶芸館」の河井寛次郎と北大路魯山人も満喫した。

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日本画「今」院展: 日本橋三越新館ギャラリー

 パリ・三越エトワール帰国記念。平山郁夫はじめ大作が多い。結構日本画も変わってきている。

■ 福王子法林《白光のヒマラヤ》は細長のヒマラヤの上に黄色い空と白い月。

福王子法林《白光のヒマラヤ》

■ 鎌倉秀雄《宴(エジプト)》は白いエジプト壁画の下部に百合と蝶が描かれている。

■ 松本哲男《睨・イグアス瀧》は、すきこまれるような滝の上部。水の勢いはロシアのアイヴァソフスキーを想起させる。

■ 宮廻正明《水花火》は網を打つ漁師が網の向こうに見える。

■ 福王子一彦《稼穡望郷》は広い南アジアの風景の中に一人の女性が佇む。

■ 高橋秀年《源氏物語抄 夕顔》は詞書を持つ装飾的な画で、蝋燭の火にかすかに見える女の顔が幻想的。

■ 伊藤髟耳《ふるさとを思い出す産山 大無田》はほとんど抽象画といっても良い。

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新春平常展: 東京国立博物館

■ 本館の特別展示「子年に長寿を祝う」のお気に入りは、まず白井直賢の《鼠図》。目は漆で描かれているとのこと。直賢はネズミのスペシャリストである。

■ 佐藤一斎の書が4つ並んでいた。7歳の隷書、7歳の篆書、74歳の大字、80歳の七言絶句。有名な「三学詩」のように努力の人のように思われるが、幼少時の書を見ると天稟の才があったことが分かる。

■ 絵画では円山応挙の《波濤図屏風》が圧倒的である。浪の崩れる様は北斎のgreat waveを思い出させる。明の《百鳥図》、久隅守景の《虎》、貫名菘翁の《いろは屏風》、長谷川等伯《松林図屏風》も良かった。

貫名菘翁《いろは屏風》

■ 浮世絵では喜多川歌麿の《台所美人》と歌川国貞の《宝船図》がお気に入り。

■ 陶磁器では仁清の《色絵月梅図茶壷》。銀彩の月、赤・銀の梅花、緑・紫の梅樹、金雲と派手な壷。チョット派手すぎるが、正月だから良いとしよう。

■ 東洋館の特集展示「吉祥ー歳寒三友を中心に」では、南宋の伝馬麟《梅花双雀図》がよかった。明の呉宏 の《墨竹図》や李ぜんの《五松図》は落ち着いた水墨画。 同じ清の画家であるが、伊藤若冲などに大きな影響を与えた沈銓(沈南蘋)の《鹿鶴図屏風》は、ひときわ明るく、光を落とした展示室では異彩を放っていた。長崎で描かれたものなのだろうか。 趙之謙の《花卉図》は以前にも槐安居コレクション展で観たが、迫力がある。

■ 特集陳列「董其昌とその時代」では、 はいろいろな筆体の書を楽しんだ。董其昌は、形骸化した伝統書法を排斥し、精神の自由な発露を標榜した明末の書画家。今回のお気に入りは《行草書羅漢賛等書巻》。

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北斎漫画展: 江戸東京博物館

北斎漫画:鼠の隠れ里 門外不出の版木で摺りなおした版画が版木とともに展示されていた。

 墨・淡ネズ・肉色の3色の発色が良いので、なるほどこれは版画であると再認識。

 今まで見たものは「影印」に過ぎないといわれると、そうだったのかと納得する。

 お気に入りは、十編28・29丁の《鼠の隠れ里》。左の画像はその一部。積み上げた米俵の上には、算盤で勘定するネズミも描かれている。

 狭い部屋だが、画題別にかなりの数が展示されており、十分満足できる。

 北斎の瀧シリーズや橋シリーズの復刻も展示されていたが、コマーシャルベースのようで興ざめ。

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追悼 上野泰郎展: 世田谷美術館

上野泰郎:樹苑裸婦 素晴らしい展覧会である。岩絵具で描かれているが、とても日本画であるとは思えない。手を使って色を塗りつけている写真もあった。  

 裸婦群像が多いが、深い宗教性に裏打ちされた大作が並んでいる。屏風や祭壇画、さらに聖イグナチオ教会のステンドグラスの写真まで、凄い迫力で迫ってきた。

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パラオーふたつの人生 鬼才・中島敦と日本のゴーギャン・土方久功展: 世田谷美術館

パラオ 入口を入ると、二人の経歴が左右のスライドで対比して展示してある。土方久功(ひさかつ)は1900年生まれ、東京藝大彫刻科を出たが、ゴーギャンの「ノアノア」に心酔し、1929年当時日本の信託統治下にあったパラオに渡り、絵画・彫刻の制作を進め、民俗学の研究も行っていた。一方、中島敦は1907年生まれ。東大国文科を卒業して教職につくも、喘息発作がひどいため、転地療法を兼ねて1941年6月にパラオ南洋庁の書記として渡航した。二人はこの島で知り合い、気脈を通じて一緒に旅行したりした。戦争が始まった翌年の1942年に二人は帰国した。土方は世田谷区豪徳寺にアトリエを構えて制作に打ち込み、1977年まで長寿を得たが、中島はその年の12月に享年33歳で早世するまでの短期間に優れた作品を発表した。

 次の部屋は土方の作品が並んでいる。水彩画はゴーギャンそっくりであるが、ゴーギャンよりも明るい画である。そしてこれをもとにしたとおもわれる木彫レリーフがすこぶる巧い。立体的な感じも良く出ている。彫刻・面・絵本原画なども出ていた。

 その次は中島の部屋。水彩画もあったが、なんといっても彼の直筆原稿がずらりと並んでいるのは壮観である。字が奇麗で、一字として書き直しや追加がない。中島の代表作である《山月記》はムットーニ(武藤政彦)の「からくり書物」となっていたが、これがすこぶる面白い。虎になってしまった詩人の物語である。野村萬斎の舞台のDVDも見られた。これは《山月記》と《名人伝》である。後者は弓の名人の物語。

 そして最後の部屋には、二人のパラオにおける生活をしのばせるものが陳列されている。二人の日記をつなぎ合わせた旅日記のパネルは良くできている。中島が妻や子供に出した絵はがきや手紙、土方の集めた民俗資料などもある。とてもレベルの高い展覧会だった。

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宮廷のみやびー近衛家1000年の名宝: 東京国立博物館

 陽明文庫は、昭和13年(1938)に時の首相近衞文麿(近衞家29代当主)が設立したもので、近衞家が宮廷文化の中心として護り伝えてきた文書や宝物を収蔵している。このたび陽明文庫創立70周年を記念して、陽明文庫の所蔵品に、皇室に献上された作品などが陳列されていた。近衞家熙・渡辺始興《春日権現霊験記絵巻》

 第1章 宮廷貴族の生活

 室町時代の《藤原鎌足像》、鎌倉時代の《春日鹿曼荼羅図》などの絵はなかなか良い。藤原道長自筆の日記である《御堂関白記 寛弘五年下巻》は以前に「書の至宝展」で観た。《源氏物語》は読みやすく、素晴らしい筆致。

 第2章 近世の近衞家

 絵として楽しんだものは、人名の漢字を崩して描いた《柿本人麻呂像》、近衞信尹の《源氏物語和歌色紙貼交屏風》などであり、書としては後陽成天皇・近衞前久・近衞信尹の《一座之詩歌》を楽しんだ。

 第3・4章 家熙の世界

 江戸中期の当主で書画、茶道、華道、香道に精通した当時の宮廷文化の第一人者である家熙の作品。近衞家熙の《隷書心経》は美しく、近衞家熙編の名筆の集大成《大手鑑 上》は見事。美しい表具裂が沢山出ていたが、《表具裂 白繻子地「IHS」文字入りメダイヨン花唐草模様》まであるのには驚いた。絵では、近衞家熙の《花木真写 》、詞書:近衞家熙・ 絵:狩野尚信/狩野探幽の《宇治拾遺物語絵巻》、詞書:近衞家熙・絵:渡辺始興の《賀茂祭絵巻》、詞書:近衞家熙・ 絵:渡辺始興の《春日権現霊験記絵巻》など素晴らしいものが多かった。家熙の臨書のうまさには舌を巻いた。

 第5・6章 伝世の品

 近衞家熙遺愛茶杓箪笥には31本の有名な茶杓、青磁鳳凰耳花《 銘千声》は美しい。以前に「皇室の名宝展」でみたことのある伝藤原行成の《粘葉本和漢朗詠集》、以前に「書の至宝展」で観た美麗な舶来の唐紙に和漢朗詠集を伝藤原行成が書写した《倭漢抄》や趙孟?の《楷書仇鍔墓誌銘稿巻》など優れた作品が多かった。

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【追記】 新年顔合わせ鑑賞会。参加者はTak2、toshi2、はろるど、一村雨、わん太夫、miz、merion、朱奈、YC、・・・、・・・、とら