日本美術散歩 06-1 (海外美術は別ページ)
謹賀新年 06 | 富嶽三十六景展 06.1 | 山内一豊とその妻 06.1 | 書の至宝ー日本と中国 06.1 |
日本書壇の歩みー昭和から平成へ 06.1 | 犬と吉祥の美術 06.1 | ニューヨーク・バーク・コレクション 06.1 | 木村直道+遊びの美術 06.1 |
日本橋絵巻 06.2 | 歌仙の饗宴 06.2 | 大いなる遺産 美の伝統展 06.2 | 宇治山哲平 06.2 |
よみがえる源氏物語絵巻 06.3 | 天寿国刺繍帳・浅井忠・五百羅漢・地獄草紙 06.3 | 山口蓬春記念館 06.3 | 伊藤若冲(1) 06.3 |
藤田嗣治展 06.3 | 最澄と天台の国宝 06.4 |
目 次 ↑
最澄の天台宗開宗1200年記念特別記念の100年に1回の大展覧会というふれこみである。 空海と真言宗の仏教美術展は昨年観たが、天台宗の仏教美術は三千院に行った時に観たものだけであるので、だまされても良いと思って出かけてみた。しかし、見はじめてみると、想像以上に素晴らしい展覧会であることがすぐに分かった。国宝と重要美術品が大部分で、このような肩書きのないもののほうが少ない。また天台の教えは全国に広がっているため、陳列品は奥羽から西国までの寺院から出展されている。いくつかお気に入りを拾ってみると、 第1章 天台の祖師たち: 嵯峨天皇筆の《光定戒牒》・・・素晴らしい能筆。 伝教大師筆の《天台法華宗年分縁起》・・・有名な「国宝何者宝道心也 有道心人・・」という文が書き込まれている。 小野道風筆の《円珍贈法印大和尚並智証大師諡号勅書》・・・能筆。 第2章 法華経への祈り: 《一字蓮台法華経》・・・一つ一つの字が彩色された蓮台に乗っている。 《法華経 一品経のうち巌王品》・・・美しい料紙と墨跡。 《打敷》・・・物を乗せるのがもったいないような美術品。 第3章 浄土への憧憬: 《阿弥陀経 慈光寺経》・・・金色に輝くお経。 《阿弥陀三尊像》・・・脇侍が片脚を上げているのがコミカル。 《阿弥陀五尊像》・・・美しい色と天井飾り、細い線で縁取られている。 《六道絵15幅》・・・国宝展などで見慣れている怪奇画だが、15幅並ぶと凄みがある。 第4章 天台の密教: 《薬師如来坐像》・・・50年に1度開帳の如来・すごい存在感。 《薬師如来像》・・・寛永寺の秘仏本尊・光背が美しい。 《聖観音菩薩立像》・・・延暦寺横川中堂の本尊・身体の曲線が艶かしい 。《普賢延命菩薩坐像》・・・20本の手を持った菩薩が、第1弾目8頭・第2段目4頭の象に乗っている。 《金剛界八十一尊曼荼羅図》・・・ミニチュアの仏が並んでいる。 第5章 比叡の神と仏: 《十所権現像のうち日吉大宮・白山大権現》・・・日吉大宮の釈迦が猿になっている。 第6章 京都の天台: 《是害房絵巻》・・・コミカルな作品。 掃部助久国筆の《真如堂縁起》・・・これもコミック的な絵。 (2006.3a) |
藤田嗣治の画風は何度も変わっている。しかしその中で特異なのは彼の戦争画である。エコール・ド・パリ時代の乳白色の画との落差はあまりにも大きい。 以前、このサイトのオピニオン欄に「戦争画の本質」という文を書いたことがある。 その後、バルセロナで「Foujita展」が開かれているのをみて、世界人としての藤田を評価し、戦争画は忘れたほうがよいと思っていた。 しかし今回の展覧会には藤田嗣治の戦争画が5点も並んでいた。《シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)》、《アッツ島玉砕》、《神兵の救出到る》、《血戦ガダルカナル》、《サイパン島同胞臣節を全うす》である。 実際にこれらの前に立つと、この画家の戦争画について再考せざるをえなかった。 多くの戦争画は一時米軍に接収されたが、大分前に日本に返還されていた。しかし日本政府は米国からの「無期限貸与作品」であるからという理由でそれらの公開を最小限に抑えてきていた。したがって、いわゆる戦争画に今回初めて遭遇した人も少なくないであろう。 第2次大戦中の戦争画には、報道写真をそのままなぞったような「戦争報道画」といっていい画が多い。有名な宮本三郎の《山下・パーシバル両司令官会見図》も英国軍降伏の報道写真をなぞっている。この作品が国民的絵画となったのは、戦勝を喜ぶ国民感情にマッチしたからであろう。
エコール・ド・パリの花形であった藤田は日本では様々な妬みに囲まれており、戦争画を描くことによってそれから免れただけでなく、戦争という対象を利用して歴史画に挑戦したという意見を否定することは困難である。また彼が戦争そのものを否定していなかったことも事実である。父親が軍医総監だったこともあって、彼は軍部に知己が多かったことも忘れてはなるまい。 藤田嗣治ら「聖戦画家」を現在のわれわれの立場から批判することは不毛であるとの意見もある。一方、それは戦争の悲惨さを知らない世代の無責任な考えであるとの反論もある。いずれにせよ、この展覧会は、戦争画の問題について考える絶好の機会を提供している。(2006.3a) (家内のコメント)藤田嗣治といえば、おかっぱ、丸メガネ、エコールドパリ、猫の絵というイメージ。乳白色の裸婦の肌、背景は黒 もしくは丹念に模様が描かれている壁紙や布の、初期のモノトーンであまり色彩のない絵が私は好きです。自画像に出てくる猫の描写も実に上手いです。この猫の画は後にもいろいろ描いていますが、どれも動きがあり猫の習性を知り尽くしています。 (追 記)東京国立近代美術館に「無期限貸与作品」として所蔵されている藤田嗣治の戦争画リストを作ってみました。また、東京国立近代美術館に所蔵されているすべての画家の戦争美術展・戦争画リストをアップしました。
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学会の昼休み、しだれ桜の美しい大手門をくぐって、伊藤若冲の動植綵絵を観にいった。最近6年間にわたる修復が完成したとのことである。全30幅のうち6幅づつ展示ということである。スペースが狭いので現在の場所では無理であるが、東京国立博物館などを利用して30幅を一堂に集めらなかったのは残念である。 今回は第1期で、若冲としては、次の絵が展示されていた。鳥と花の博物館である。 1. 芍薬群蝶図・・・色とりどり、大きささまざまの蝶が芍薬の上で舞っている。蝶の向きが皆同じなので平面的。 2. 老松白鶏図・・・大きな2羽の白い鶏が、暗い松の葉から浮き出している。 3. 南天雄鶏図・・・大きな黒い鶏の赤いとさかが、赤い南天の一部と同化しているようだ。 5. 牡丹小禽図・・・牡丹の花園の中に、頭が白い小鳥がいるが、うっかりすると見逃してしまいそう。 6. 芦雁図・・・・・・・巨大な雁と雪を載せた細い枝のコントラストが意表をつく。 1999年に「皇室の名品展」で観た《群鶏図》は第4期に登場とのことである。どのぐらい変わったのか比較してみるのは楽しみである。図録によれば、その差は明瞭だが・・・・(2006.3a) 1999 2006 |
神奈川県立近代美術館葉山まで来たので「山口蓬春記念館」を訪れた。庭はきれいで花が多かった。ミモザが満開で、滝桜も三分咲きだった。アトリエや広間などの保存もよい。 平成17年度新春特別展「多彩な芸能の世界」ということで新橋演舞場・大阪新歌舞伎座・大阪文楽座・国立教育会館・明治座などの緞帳の下絵が展示されており興味深かった。軸装の《立雛》がキュートで、良かった。 以前に山口蓬春展を観たことがあるが、見せてもらったビデオにはそのときに観た画が沢山でてきた。画の数は少なかったが、ここは画家が過ごした素晴らしく景色の良い仕事場と生活環境をみにくることを訪問の目的とすべきところである。 (2006.3a)
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東京国立博物館・法隆寺宝物館では、聖徳太子御忌日(旧暦2月22日)を記念して、中宮寺所蔵の国宝《天寿国繍帳》、法隆寺蔵の《聖徳太子七歳像》と法隆寺献納・東博所蔵の国宝《聖徳太子絵伝》が並んで特別公開されている。 この繍帳には沢山の亀が刺繍されており、その背中に4文字の刺繍銘がある。その内容が残っており、それによると、推古30年(622)に聖徳太子が亡くなられ、妃の橘大郎女が、推古天皇に願い出て、太子が往生した天寿国の有様を表したものである。 《天寿国繍帳》の色、特に兎のいる月、蓮華化生の紺青の鮮やかさは飛鳥時代のものとはとても思えない。ブログにその画像を貼りつけた。 飛鳥時代に作られた部分と鎌倉時代に作られた部分を江戸時代に張り合わせたものであるが、鎌倉時代のもののほうが色が鮮やかである。これは刺繍に使った糸の撚り方の差によるものだとのことである。過去のもののほうが良いということが時々あるが、これもその一例である。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 東博ではその他の催し物も沢山あり、時間がいくらあっても足りなかった。
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5人の日本画家による平成復元模写。X線撮影、蛍光観察による顔料分析などを利用して、往時のものを再現した。素晴らしい極彩色の絵である。今まではっきりと見えなかったところも、今回の化学分析により明らかにすることができた。 これと比較できるものとしては、昭和復元模写は桜井清香によるものがある。これは今回のような化学分析に基づくものでなく、原本の観察、写真資料、有職故実の知識、やまと絵の伝統技術を駆使して再現されたものである。 今回の展覧会には、@原本のハイビジョン図、A平成復元模写、B昭和復元模写が全19図それぞれに並べて陳列されている。 昭和模写も素晴らしいものであったことが再認識されたが、平成模写では、草木の色、衣装の模様がはっきりとしていた。特にに良かったのは、下記のような点である。 《蓬生》の庭の草、惟光と光源氏の衣装、《夕霧》の本人の衣装、硯、《御法》の光源氏の衣装、紫の上の脇息、萩と桔梗、《竹河一》の鶯、《竹河二》の碁盤、《橋姫》の楽器、《早蕨》の数珠、《宿木一》の碁石、《宿木三》の琵琶と庭のすすき・萩、《東屋一》の庭草などが素晴らしかった。(2006.3a) ブログへ |
宇治山哲平の画は初めてだ。しばらく前に日曜美術館で放映していたので、下記の展覧会を見た後、回ってみた。 若いときは版画家であった。これがいかにも上手い。《初夏》、《マンドリンを弾く男》などは傑作である。東京府美術展に何回か入選しているが、版画はいつも片隅で展示されるため油彩に変わったという。初めは半具象であった。《森の怪》や彼を引き立てた福島繁太郎の鎮魂画の《石の花》は天才的ともいえる画である。 しかしその後、純粋な抽象画に傾いていく。●▲■を駆使し、水晶の粉を混ぜた絵具で描いた鮮明な色は独特な哲平ワールド。 画の題が上手く付けられており、それに誘導されて画の中に入っていくことが出来る。《還暦》は彼の自画像のようにも見えるし、《情》は悲しみの感情を共有することが出来る。《童》も中心の子供の世界が広がっていくことが分かる。《煌》は華やかで、《壮》は軍隊的で、アレキサンダー大王を思い出した。《風爽》も風を皮膚で感じられた。 ミロやクレーあるいはカンディンスキーを観るような感覚で、肩の力をを抜いて哲平の画の前に立つと、このような抽象絵画の世界に入っていくことができる。そして耳にはポリフォニーの音楽、眼には夢の情景が現われ、皮膚には空気の流れが感じられる。(2006.2a) |
美術商といえば道具屋さんが大きくなったもの。美術品が流通するには必要。ただ、お金持ちの収集家のためだけにあるような気がしないでもない。その美術商が展覧会を開くという。 われわれ美術ファンとしては、美術商の集団の展覧会にお金を払うのは、あまりゾットしない。というわけで、観にいくのをためらっていた。 とうとう残り数日を残すばかりとなった昨日、はろるどさんのレポを読んだので思い切って行って見た。そんなに混んでいない。観客は中年以上が圧倒的。 しかし内容は素晴らしい。絵は通常の展覧会でみるより大きいものが多い。財産として所蔵するのだから、大きいものが財産価値が高いから当然である。 菱田春草の《柿に猫》は、琳派Rimpaで観た《黒き猫》(重要文化財、永青文庫)ときわめて類似している。前者は柿、後者は柏の樹であり、猫の位置が違っているが、ヴァリエーションであることは間違いない。二つの画像を並べてみた。→ 横山大観はあまり好きではないが、今回の《ある日の太平洋》は迫力がある。逆巻く浪のなかに龍が描かれている。そして稲妻が描かれ、富士山が背景にはっきりと見えている。これは昭和27年の院展に出されたものだが、9年前に美術商の手に入ったという。 岡田三郎助の《あやめの衣》は片肌脱ぎの女性の背中。前に切手になっていた。艶やかな絵である。これはキャバレー太郎と呼ばれた福富太郎氏の所有であったが、石油ショックで出た赤字を補填するため、美術商を通して箱根のポーラ美術館に売った。粋筋の女性なのだろうが、キャバレーと化粧品会社だからもって瞑すべきといえようか。 前田青邨の《洞窟の頼朝》は画家のお気に入りで、これが見つかり、浅井氏が1500-2000万円で落札した時に、画家が観たいとの電話があり、自宅に掛けて観たという。そして自分の《洞窟の頼朝》の中では、色がきれいで、一番良いと話したとのことである。赤のアクセントが生きている。 上村松園の《櫛》は本当に美しい。岸田劉生の《二人麗子図》は厚塗りでこちらに迫ってくる。これらの女性も美術商の手であちこち連れまわされたのであろう。 国宝の源氏物語絵巻《夕霧》が出ていた。これはもともと尾張徳川家に伝わっていたものであるが、阿波の蜂須賀家に移り、明治33年に三井家の益田鈍翁が購入し、茶会で披露したという。第二次大戦後、財産税のため持ちきれなくなった益田家から東急の五島慶太に移り、現在は財団法人の五島美術館の所有となっている。 北宋の黒釉銹斑文椀(定窯)は、通常の白磁のなかに稀に出来る珍品である。観るとゾクゾクする深みがある。これは以前、サザビースで、二人の日本人美術商が手張りで競争し、高値で一人が獲得し、萬野美術館に入ったものである。財政難のため平成14年にいったん香港のクリスティーズ・コレクションに流出したのであるが、日本人が買い戻したといういわく付きのものである。 Takさんのブログによると、「大阪の萬野美術館が2004年2月28日に閉館してしまいました。萬野汽船創業者の収集品をもとに88年開館)。 新聞によるとやはり財政難が一番の理由との事。2001年7月には、重要美術品を含む所蔵品の一部を海外で競売にかけたこともあり(イギリスで重要美術品7点を含む111点を約7億円で落札された)、以前より財政的に厳しいとされてたそうです。 所蔵していた国宝「玳玻天目散花文茶碗」の行方が気になっていましたが、京都市上京区の相国寺境内にある承天閣美術館が、同寺を建立した足利義満の600年遠忌を記念し、 新たに展示室や収蔵庫を増設し2007年春に開館するのに合わせて、こちらの美術館へ寄贈された」そうです。 このような美術品は波に漂うバブルのようなものだが、たまに公開されると確かに目の保養になる。(2006.2a) |
出光美術館に開かれているこの展覧会に《佐竹本三十六歌仙絵「斎宮女御」》が出展されということで、観にいった。 これは現存する最古の歌仙絵であるという。秋田藩佐竹家に伝わった上下2巻の《三十六歌仙絵》を、大正8年にに益田鈍翁たち当時の数奇者が集まって、これを切断して分けあったというからひどい話である。数奇者というものは美術愛好家とはいえず単なる金持ちに過ぎないことを示す好例である。 益田はこの際、強引に「斎宮女御」を手に入れたともいわれているが、並べてみると他の歌仙絵に比べ、抜群に良い。女性だし、ひとり高貴な身分なので飛び切り美しい絵である。斎宮女御は几帳から斜めに傾いた体を覗かせ、2段の畳の上に坐っている。背景には障子があって、花咲く梅の木や砂浜が描かれており、色紙が貼り付けられている。衣の緑と橙のコントラストが美しい。 斎宮女御は醍醐天皇の孫。8歳で伊勢斎宮となり、後に村上天皇の女御となった。その歌は、 琴のねに峯の松風かようらし いずれの緒よりしらべそめけむ この場合の「緒」は、琴の緒(糸)と山の尾(尾根)の掛詞のようである。「音はどちらから奏でていつのであろうか」という意味のようである。 現在どこに所蔵されているか知らないが、今回は本当に久し振りの公開である。現在の所蔵家に感謝したい。 この展覧会には、その他に素晴らしい書が出ていた。紀貫之の高野切、藤原行成の関戸本古今集切・和漢朗詠集、藤原佐里の通切古今集断簡、寂連の右衛門切古今集断簡、西行の中務集、国宝の小筆手鑑「見努世友」など。 絵では、岩佐又兵衛、鈴木其一、小杉放菴などのものが良かった。(2006.2a) (家内のコメント)今回の展覧会に行くというので、あらかじめ三十六歌仙がどんな人がいるかを調べてみた。百人一首等でおなじみの歌人が多く、女性は5人という事が分かった。小野小町、伊勢、中務、小大君、それに斎宮女御。実際に見て感じた事は、佐竹本の表装は豪華ながらも落ち着いた格調高い裂地が使われていたが、琳派の人の三十六歌仙図等の表装は奇抜なほど派手であったことで、びっくりした。画と表装がカラフルで目がちかちかしたほど。(2006.2t)
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煕代勝覧は、1月に江戸博物館でみた。これはエプソンの精巧なコピーだったが、神田今川橋から日本橋のかけての江戸時代の賑わいを描いた絵巻物で、これに想を得た壁画が東京江戸博物館へのアプローチに描かれている。 その絵巻物と壁画に「時の鐘」が描かれていたので、《Art & Bell》というタイトルの自分のブログにふさわしいと考えて小文を書いた。 三井記念美術館の開館記念特別展U《日本橋絵巻》にベルリン東洋美術館からこのホンモノが来ているとのことであったが、エプソン・コピーを見た後だし、細かくてゆっくり全部を鑑賞することはできないと考えて、そのままパスしようかと思っていた。 ところがごく最近《『煕代勝覧』の日本橋》という解説書が小学館から出版されたことを知り、これを観ながら鑑賞することを思い立った。まず「絶対にある」とあたりをつけた日本橋三越でこの本を手に入れ、椅子に座ってその図版の説明に目を通した。 そしてすぐそばにある三井記念美術館でこの《煕代勝覧》をじっくりと観た。幸い空いていたので他の観客に迷惑をかけずに、《『煕代勝覧』の日本橋》と照らし合わせながら観ることができた。以前に書いた「時の鐘」は、この絵巻物の最後の部分にある《日本橋から富士山を望む》の遠方に描かれている。ここでは《時の鐘》の拡大画像をここに紹介する。 とにかくこの絵はすごい。巻頭の字はまちがいなく佐野東州、絵は確かではないが山東京伝であろうといわれている。山東京伝の戯画は、先週、埼玉県立近代美術館で観たが、なるほど彼のようなユーモアのセンスがある画家ならばこの絵は描けるかもしれない。 現在の三越である越後屋の繁昌、魚河岸からの魚、十軒店の雛人形などの江戸の風景の他に、1600人を超す生き生きとした庶民の姿が巧みにく描き加えられている。そしてそのユーモア。これはやはり山東京伝の絵に違いない。 この展覧会には、英泉、北斎、広重、国芳、清長らの江戸を題材にした素晴らしい浮世絵、さらには地図などがあり、見応えのあるものであった。 (2006.2a) (家内のコメント)「煕代勝覧の日本橋」という本で予習していたので、とても楽しめた。とにかくいろいろな階層の人物が老若男女、今にも動き出しそうな、と云うより 動いていたものが静止画面になったような感じだ。人々の表情も生き生きしていて、又牛や犬、馬の動きもそれらしく、一番驚いたのは車椅子の人がいたということだ。お店屋さんも、市場も活気があって、江戸時代の人々はとても幸せであったようだ。とにかくこの巻物の中には何人の人が描かれているのであろう。描いた人はすごい!とても尊敬する。(2006.2t)
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抜けるような青い空。そしてあまり寒くない。いままで行こう行こうと思いながら行けなかった美術館。北浦和の西口からすぐの公園内にある。美術館前にはボテロの太った裸婦に気おされながら館内に入る。ずいぶんゆったりとしている。 企画展の木村直道は廃物で作った彫刻、いわばブリキアートだが、とてもユーモアに富んでいる。正面から見て初めてナルホドと納得し、思わずニヤリとする作品が並んでいる。タイトルもひとひねりしてある。例えば、《シンバルを叩く男》の副題は《バックミラー楽団》。ちょうどグレンミラー楽団がポピュラーだった頃の作品。 デュシャンの《ひげのモナリザ》、《男の胸に鋤の刺さった晩鐘》、アルプの不思議な彫刻、歌川国芳のユーモラスな浮世絵、山東京伝のパロディー風の図案、山口晃の《歌謡ショウ図》ー観衆には現代人と江戸時代人の呉越同舟+半分だけ描いてあとは鏡を使うトリック、藤城凡子の《月の散歩ー満月の形の風船を持った夜間の散歩の映像と写真》、ヴルムの観衆参加型のナンセンス彫刻(自分でもちょっと体験してみた)など本当に楽しい企画だった。 常設展は入れ替えがあるのだが、明日までは「西洋近代の名画ーモネからデルヴォーまで」、「関根伸夫《位相ー大地》が生まれるまで」、「風雅の彩りー日本画名作選」の三本立て。ちょうど2時から美術館サポーター「木下高雄」氏のギャラリー・トークがあったので、それに参加しながら、観て回った。西洋画としては、ピサロ、モネ、ルノワール、ドニ、ルオー、ドラン、ピカソ、ユトリロ、パスキン、シャガール、キスリング2点、デルヴォーなど名作が揃っている。ギャラリートークは、ルオーの《横向きのピエロ》、パスキンの《眠る裸女》、シャガールの《二つの花束》であったが、シャガールが画も説明も良かった。白いバラはシャガールの頭上に載っており、少し離れてベラと思われるピンクのバラ、そしてすぐ前には白い柵があり、その先のゲットーが淡く描かれている。二つの花束の間に置かれた物体はすべて上向きになっており、二人の愛が空に向って昇華していくということであった。 関根伸夫は画家であっ、彼の画の《位相No10》が「誤って」彫刻の部で入選し、そのため彫刻を依頼され、困って山手線を2週して考え付いたのが《位相ー大地》だった由である。土を掘って、その土を円筒形に積み上げていったしその作品の製作過程がスライドに示されていた。初めは本人と女性1名であったが、ダンダン応援が増えてくる様が再現されていた。この作品は埋め戻されて大地に帰ったが、その後の「もの派」の運動のスタートとなったとのことである。 日本画では、今村紫紅、小茂田青樹、速水御舟、鏑木清方というおなじみの画家のほかに、佐藤太清、加藤勝重、関根将雄、伊藤彬など地元埼玉にゆかりのある画家の大きな作品が並んでいた。解説は小茂田、速水、加藤であったが、加藤勝重の《皎 moon light》がもっとも感動的だった。月夜に白く冷たく輝く「一の倉沢」の岩壁である。神々しい画であった。(2006.1a) |
この展覧会には驚きました。縄文時代から江戸時代まで切れ目なく日本美術の名品が並んでいる。メアリー・グリッグス・バークなる女性に脱帽。 古いものでは、古墳時代の《横瓶》、平安時代の《飛天》がよかった。鎌倉時代の快慶の《地蔵菩薩立像》には胸の上のほうに金が残っていて、当時はさぞ華やかだっただろうと思われた。《清滝権現像》は空海が会った女神は美しい。室町時代の非常に装飾的な《秋冬景物図屏風》、雪村3点も目だった。愚庵の《葡萄図》はむしろ侘びさびの世界。 桃山時代の《耳付水指》、《瀬戸黒茶碗》、《肩衝茶入》、《織部手付水柱》など茶道具が並んでいた。会場でみたビデオには、バーク邸には正式な茶室が映っている。 それ以降の絵画では、海北友松の《江天暮雪》は中国風の墨絵で、白黒の印象派絵画の趣がある。狩野探幽の《笛吹地蔵図》は非常に幻想的で、絵の中から笛の音が流れ出してくる。懐月堂安度の《立姿美人図》は、彼の定番だが、色の鮮やかさは群を抜いている。英一蝶の《雨宿り風俗画屏風》には授乳する母親、いろいろな町人、そして侍まで呉越同舟の雨宿り。鳥文斎英之の《雪・月・花図》や歌川広重の《七里ケ浜・江之嶋図》などの浮世絵、特に後者は富士山が美しい。 宗達、光琳、抱一、其一、弧邨の素晴らしい絵が揃っている。特に池田弧邨の《三十六歌仙》は気に入った。 酒井鶯蒲の《六玉川絵巻》は細い絵の集まりであるが、水のコバルト・ブルーが印象的。 伊藤若冲が2点。《双鶴図》は卵型のデザインが現代的。《月下白梅図》は月と花のアンサンブルで、着物のようである。 曽我蕭白の《石橋図》は今回の圧巻。仔獅子が河を飛び越え、ひしめき合いながら崖を登り、上の端に達する。途中で河に落ちるもの多数。親が心配そうに岩の上から見ている。動物の世界の淘汰の激しさが如実に示されており、怖いほどである。 2000年にMETで開かれたバークコレクション展覧会の際に書かれたCarter B. Horsleの説明ががある。そこには、 "The exhibition of the collection at the Tokyo National Museum in 1985 and the subsequent award to Mrs. Burke of the honorary medal of the Order of the Sacred Treasures, Gold and Silver Star, by the Japanese Government in 1987 are signal marks of the high esteem in which Mrs. Burke is held by the Japanese nation for her activities in support not only of Japanese art but of all facets of Japanese culture." という美術館長の見解が載っている。自国の美術品を日本が困っている時に蒐集したプロセスに対してはちょっと抵抗を感じないでもないが、バーク夫人の日本美術に対する深い理解と愛情を考えるならば、素直に日本の美術品を保存していただいていることに感謝すべきなのであろう。 (2006.1a) ブログはこちら。
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これは東京国立博物館の正月企画。犬に良いものが多かった。
吉祥のほうは、伊藤若冲の《松樹・梅花・孤鶴図》がまあまあだったが、その他はあまりパットしない。 |
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現代書道二十人展50回記念「日本書壇の歩みー昭和から平成へ」東京国立博物館で開かれている書の至宝展に合わせて展示されていた。日本の現代書道のレベルもかなり高い。書道のようなアートは好みの入る余地の多いジャンルである。わが国では、書家の評価の公正性は担保されているのであろうか。 小山やす子の《百人一首》、熊谷恒子の《枕草子》のかな文字は「書の至宝」展のものに引けをとらない。いずれもカナである。漢字はどうしても中国のものと比較されるので損なのかもしれない。 以前に熊谷恒子記念館を訪れたことを思い出した。 (2006.1a) (家内のコメント)熊谷恒子記念館で観た 熊谷 恒子93歳の絶筆「ありがとう」は印象的でした。今回の「枕草子」は色を変えた紙を継いで 春、夏、秋、冬が繊細で華奢なで書かれていました。(2006.1t) |
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国内と上海博物館の書が非常に沢山出品されている。朝早く行ったので、それほど込んでいるわけではないが、有名書家の前は観衆の動きが遅くなる。 西晋の王羲之のものでは、《喪乱帖》、《定武蘭亭序》、《十七帖》の他に、上海博物館から《淳化閣帳(最善本)》から来ていた。 これはアメリカの収集家から上海博物館が約40億円で購入したものである。これは高すぎるという意見もあったが、上海でこの里帰りを記念して行われた特別公開の展示には行列ができ、国際シンポジウムが開かれるなどの大歓迎の声にかき消されてしまったとのことである。折にふれて現れる中国のナショナリズムによるものかもしれない。しかし今回の展覧会でもこの前には人が絶えないようだった。 唐の欧陽じゅんの《九成宮醴泉銘》、虞世南の《孔子廟堂碑》などの有名な書も国内から出ていた。 宋の蘇軾のものは、上海から《祭道文巻》、大阪から《行書李白詩巻》が出ていたが、後者は素晴らしかった。米ふつのものは4点、黄庭堅1点、鮮于枢1点みられた。 明の文徴明1点、董其昌1点などもあり、全体として中国の有名な作家の書がまとまって見られた。 日本人としては空海、小野道風、藤原佐里、藤原行成、紀貫之、蘭渓道隆、宗峰妙超、一休宗純、本阿弥光悦など古今の名蹟が揃っていた。個人的には小野道風の柔らかな書が第一、一休宗純の一行書《諸悪莫作、衆善奉行》も力強くてよかった。 (家内のコメント)王羲之の書がまとまって展示されたが、所蔵先をみて驚いた事に日本の美術館、博物館が多い。つまり、書聖といわれる王羲之の書をこんなにも日本が持っていることに私は驚いたのだ。 書の作品は黒白の世界で絵画に比べると地味、しかも草書は読みにくいし意味が分からない。仮名になるともっと読めない。しかしその筆致の美しさは感じられる。書道の先生に書の展覧会の見方を伺ったら、字のトメ、はね、連綿、筆の返しや、くい込みなどを観ると勉強になるとの事であった。《十七帖》はお手本として勉強した事があるので興味深かった。一応 重いカタログを買って帰った。(2006.1t)
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NHKの今年の大河ドラマ「功名が辻」にちなむ特別展である。あまり期待していなかったが、観てみると相当に力が入った展覧会であり、勉強になった。 美術品としもっとも価値が高いのは、一昨年、高知県が土佐山内家から7億円で購入した《古今和歌集高野切本 巻第二十》である。流れるような筆捌きとはこの書のためにあるような気もする。 歴史的に価値のある展示物が山のように展示されており、びっくりする。特に、戦国時代の武将とそれをめぐる女性の肖像がこのように一堂に会しているのは観たことがない。中でも、女性の歴史に焦点が当てた解説はなかなか良い。 正直な感想は、1)一豊は、時には若手のアイディアを盗用し、今まで仕えていた人を裏切るなどしながら、戦国の世を巧みにわたってサバイバルした武将にすぎない。2)その妻「千代」は、手鏡箱に入れてあった持参金10両をを夫が名馬を買うためにポンと出したり、関が原の合戦前に光成側の動きをいち早く夫に知らせ、夫に手柄を立てさせるなど才知豊かな女性であった。 どちらが優れた人間であるかいうまでもない。(2006.1a) |
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昨日のブログに初夢のことを書いた。その文章は、昨年の北斎展の図録でも枕にして寝れば、おめでたい富士山の夢でも見られたかもしれないということで終わっている。ところが今朝の朝日新聞を見ると、やはり初夢のことにふれられており、「葛飾北斎ー富嶽三十六景展」が江戸東京博物館で開かれていることが書かれていた。 そこで急いで両国に出かけた。ネットでは確か9時半からと書いてあったと思ったのだが、着いてみると11時からとなっている。そこで博物館の壁に描かれている江戸時代の日本橋界隈の絵巻物のような横長の壁画をゆっくり観ながら、寒いところで時間調整をした。後で分かったことだが、ベルリン東洋美術館に所蔵されている《煕代勝覧》のエプソン・コピーが特別出品されていて、それがこの壁画の原画であることが分かった。この壁画のなかに《時の鐘》の絵があったので写真を撮って、ブログ「Art & Bell」で紹介することにした。ここでは、《日本橋から富士山を望む》部分を画像で紹介する。 肝心の北斎だが、一番乗りで、富嶽三十六景の前に立った。東京国立博物館の北斎展に比べ、照明はは明るいが、ちょっと遠い。それぞれの絵に作品番号がついていた。 #1の神奈川沖浪裏は、残念ながら空が黒ずんでいる。METのものは非常にきれいで雲まで見えていたが、それに比べ汚れが激しい。東博のものもちょっと汚れていたが、これよりはましであった。 #2の凱風快晴は、赤味が強く東博のものと同様に、後摺りであることは明白であった。ギメやケルンの初摺りとは比べるべくもない。 #3の山下白雨の稲妻の色はホノルルのものと同じく鮮やかな朱である。その点ではシカゴのものより優れているような気がした。 甲州石班沢については、漁師の乗っている岩の緑が美しく、沢であることがはっきりしていた。METのものは岩も青く、一見すると海のようにもとれたが、これは江戸博のものが断然優れている。 三十六景のみならず、四十六景までずらりと並んでいる様は豪快である。通覧すると、#1,#2, #3と、#44, #45, #46には、特に力が入っていることが見て取れた。もう1度最初に戻って観なおしてみたが、やはり素晴らしかった。北斎は天才である。ドビュッシーやゴッホが影響を受けたのも当然である。(2006.1a) |
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本年もよろしくお願いします。(2006.1a) |