海外美術散歩 07-1 (日本美術は別ページ)

 

シャガールーその愛のかけら 07.4
ダリ展 07.4
モネ展 07.4
 

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イタリア・ルネサンスの版画: 国立西洋美術館

 

 イタリア・ルネサンスの版画 。出品作品は、チューリッヒ工科大学版画素描館のものが中心であるが、万代島美術館と西洋美術館からも出ていた。細かな版画の前に、暗い部屋の中、かなりの数の観客が、張り付くように観ておられるたのが印象的。

第1章 イタリアにおけるエングレーヴィングの誕生: お気に入りはマンテーニャ。なんといっても≪キリストの埋葬≫が素晴らしい。ポッライウオーロの《格闘する裸体の男性》も迫力があった。

第2章 ヴェネツィアの版画: デューラーの影響を受けたモンターニャやカンパニョーラなどのヴェネツィアの版画家。お気に入りはデューラーの≪大きな馬≫、カンパニョーラの≪洗礼者聖ヨハネ≫、ヤコーポ・デ・バルバリの≪ヴェネツィアの鳥瞰図≫。


ライモンディ:疫病第3章 マルカントニオ・ライモンディと盛期ルネサンスのローマの版画家たち: 同じくデューラーの影響を受けたローマの版画家、とくにラファエッロの原画に基づいてエングレーヴィング作品を作ったライモンディ
の作品が沢山出ていた。お気に入りは、デューラーの木版画小受難伝連作≪楽園追放≫、≪最後の晩餐≫、≪キリストの嘲弄≫、≪我に触るな≫、ライモンディの≪最後の晩餐(ラファエッロの原作による)≫と≪疫病(ラファエッロの原作による)≫、≪聖カエキリアの殉教≫、ヴェネツィアーノの≪アナニアの死(ラファエッロの原作による)≫と≪クレオパトラ(バンディネッリの原作による)≫。

第4章 新たな版画表現の追及: パルミジャニーノのエッチング・ドライポイント≪キリストの埋葬≫や≪恋人たち≫、ベッカフーミの木版≪金属の錬金術的属性についてー連作≫が出ており、ティツィアーノを原画とするブリットヤコルトの作品も沢山出ていた。

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モジリアニと妻ジャンヌの物語展: Bunkamura

 

モディアニ:大きな帽子を被ったジャンヌ 観にいってみると、予想とはまったく違った展覧会であることが分かった。

 この展覧会の主役はジャンヌ・エビュテルヌであって、モジリアーニは脇役に過ぎない。彼女の家族との関り、少女時代、モジリアーニと知り合った1916年12月、彼女の画の進歩、ニースでの出産、そしてモジリアーニの病と死、最後に彼女の飛び降り自殺。これらが時代順に並んでいる会場を歩いていくと、ジャンヌが定めれれた運命に向かっていく止めようのない流れを、ひしひしと感じる。

 ベチャクチャしゃべっていたオバサンたちも静かになり、二人の略歴を食い入るように読み出す。そしていつのまにか会場の雰囲気が違ってくる。しわぶき一つ聞こえない。いつか戦没画学生の無言館展で感じたあの雰囲気である。

 ジャンヌを聖女のように描いたモジリアーニの画に混ざって、ジャンヌ自身の作品が沢山並んでいる。こんなコレクションがあったとはまったく知らなかった。お気に入りは《キモノの女性-母ウドクシの肖像》。

 最後の「永遠の沈黙」の章は、今回の展覧会でなければ観られない迫真の作品群。ジャンヌの描いた《病床のモジリアーニT、U、V》、《眠るモジリアーニ》に続き、最後の4枚の水彩画が出てくる。

 1枚目は、《レ・シャンソン誌のある室内》。この画には出征した兄「アンドレ」の写真と時計が見られ、ヴァニタス的な暗喩が感じられる

 2枚目は、《モジリアーニとジャンヌ・エビュテルヌ、ニースにて》。これは母親と3人で戸外で食事をしている情景。テーブルには赤ワインはあるが、モジリアーニは喪服のような黒服、黒ネクタイ、そしてまったくの黒目。手を触れ合うジャンヌの顔や眼はモジリアーニとそっくりの描き方。そしてこのジャンヌを心配そうに、母親と黒猫が見つめている。テーブルの上のナイフが目立つのも不気味である。

 3枚目は、《》。戸口からは司祭のような黒い服装の男が入ってくる。入口や天窓の外は暗い「闇の世界」。扉の内側と床の上には血のような赤のカーペット。そしてジャンヌが1人ベットに横たわっている。彼女の隣には誰もいない。これが「現実の世界」。そして鏡がある。これに映っている情景は明るい室内だけ。これは空想の「光の世界」である。

 4枚目は《自殺》。胸を刺したナイフがまだ右手に握られている。胸からは出血、髪も変色。血が飛び散っているのかもしれない。お腹が妊娠しているように膨らんでいる。両手や背中がチアノーゼに変わっており、彼女の最期が近いことを表している。

 モジリアーニが死んで、ジャンヌが飛び降り自殺するまでの間は、とても画を描ける状態ではなかったとされている。そうするとこれは、モジリアーニが病院に運ばれ、翌日死亡するまでの間に描かれたのであろうか。展覧会の最後には、ジャンヌの遺髪が飾られていた。豊かで、輝くばかりの美しい髪であった。

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ロシア美術館展: 東京都美術館

 

アイヴァゾフスキー:月夜 本日が初日。東京都美術館で観てきた。とても内容が良く、お勧めの展覧会である。

 初日のイベントとして国立ロシア美術館のウラミジール・グーゼフ館長の講演会があったので、聴講した。9世紀の宗教画すなわちイコンから、シャガール・カンジンスキー・マレーヴィッチのような20世紀美術に到るまでの滔々たる「ロシア美術史」の講義で、国立ロシア美術館の入れ込み方が伝わってきた。

 展覧会は、1.古典主義、2.ロマン主義、3.リアリズム、4.転換期の4章に分けて展示されているが、有名画家の大作が揃っている。今回のベストはなんといってもアイヴァゾフスキーの《アイヤ岬の嵐》。この大作の前で足を止めて動かない観客が多かった。画像の《月夜》や《天地創造》も良かった。

 もう一つ印象深かったのは、ニコライ・ボグダノフ=ベリスキーの《教室の入口》と再会したことである。学校に行けない貧しい少年が教室を覗いている作品。画家の少年期の記憶が重なっているとの説明があった。この画を2003年に小樽のペテルブルグ美術館で「国立ロシア美術館100年記念展」で観た時の強いショックがよみがえって来た。有名なレーピンの作品も沢山あった。

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ペルジーノ展: 損保ジャパン東郷青児美術館

 

 ペルジーノはラファエロの父「ジョヴァンニ・サンティ」から『レオナルドとならぶ神のごとき画家』と呼ばれ、事実ラファエロに深い影響を与えた画家である。またシスティーナ礼拝堂の壁画をボッチチェリ、ギルランダイオらとともに描いたことでも知られている。ペルジーノの評価は少なくともわが国ではいま一つであるが、イタリアでは最近その再評価が進んでいる。

 1昨年、ペルージャの国立ウンブリア美術館を訪れる機会があった。その記事はホームページに書いたが、そこでペルジーノの作品に沢山お目にかかった。今回の展覧会の大部分は、この国立ウンブリア美術館から来ているものである。早速現地で買ってきたガイド・ブックを出してみたところ、そこの名品が揃って来日していることが分かった。

 全体で45点と数が少ないので、のびのびと展示されており、丁寧な解説パネルがいくつも掲げられている。

T.ウンブリア派の絵画: ウンブリア派の絵画は、@明るい色彩、A親しみやすい優雅な人物、B建築モチーフの正確な線遠近法、Cシンメトリーやバランスを配慮したデザイン的な構図を特徴としている。

 ペルジーノ以前のウンブリア派の画家のなかでは、ベネデット・ボンフィーリの4枚の天使像が印象的である。それぞれにキリストが磔刑に処せられるまでの釘・釘抜き・金槌・槍・葦・柱・鞭・衣などを持っている。天使の悲しそうな表情が心に残る。

 1473年の工房の作であるが《ジョヴァンニ・アントニオ・ペトラツイ・ダ・リエーティの娘の潰瘍を治す聖ベルナディーノ》はピエロ・サンタゴスティーノ聖堂の多翼祭壇画の一部であるとの解説があった。これほどバランスのとれた画がこの時代に存在していたのは脅威である。ピエロ・デル・フランチェスカの影響があるような気もする。

ペルジーノ:慰めの聖母U.1470年代スタイルの形成: 1450年ごろにペルージャに生まれたペルジーノは10代後半にペルージャからフィレンツェに移り、ベロッキオの工房で古典的絵画の勉強をしている。

 今回のポスターになっている《聖母子と二天使、鞭打ち苦行者同心会の会員たち(慰めの聖母)》は堂々とした板絵で、この展覧会の白眉である。この画はペルジーノの真筆であることが証明されているとはっきり書かれていた。いかにも優しいマリアが、美しい色彩で描かれている。

 《聖母子と天使、聖フランチェスコ、聖ナルディーノ、聖ベルナルディーノ、信心会の会員たち》は大きな油彩で、これも素晴らしい。

V.1480年代 大事業への抜擢: システィーナ礼拝堂の壁画制作は1480-82年ごろに、ペルジーノに委託されたものである。彼自身が描いた壁画のパネルが掲げられている。

W.1490年代からの最盛期: このころのペルジーノは、@物静かな高貴な人物像、A調和に満ちた田園風景、B小道具や背景を最小限に抑えたシンプルな構図、C正確な遠近法と描写力を特徴としている。フィレンツェの政情不安から、いったんペルージャに戻って仕事をした。

 1496年から1500年にかけてペルージャのサンン・ピエトロ大修道院のために制作された多翼祭壇画の裾絵(プレデッラ)が3点出ていた。

ペルジーノ:ピエタのキリスト 《ピエタのキリスト》はペルージャの宮殿の祭壇画の頂画(チマーザ)として描かれたもので今回の出品作の中で重要なものである。祭壇画の中央パネルはナポレオン軍によって1797年にパリに運ばれ、その際ドメニコ・ガルビによって制作された模作がペルージャに残され、今回出品されているのである。中央パネルは1896年に教皇に返還されたが、ペルージャには戻されず、ヴァチカンに残ったとのこと。

X.1500-1523年 晩年: 彼は、ペルージャとフィレンツェの両地に工房を持ち、同じ主題で依頼されるがままに制作したので評価が下がったとのことである。確かに今回出品されているこの時代のものには力強さが感じられない。

 サンタ・マリア・デイ・セルヴィ・ポルタ・ソーレ聖堂のために制作された祭壇画の裾絵3点、サンタゴスティーノ聖堂のための祭壇画の裾絵が12点出ていた。後者は、2004年に国立ウンブリア美術館でペルージア展が開かれた際に、あちこちに散在している画を集めて再構成しており、今回その再構成写真のパネルを観ることができた。

Y.ペルジーノ派とラファエロ、ピントリッキオ: ピントリッキオは早くからペルジーノと一緒に仕事をしていたようである。今回は2点出品されていた。

 ラファエロは1498年ごろペルジーノに弟子入りをしており、その影響を受けている。今回出展されている《書物の聖母》は、赤外線写真でラファエロの下絵に基づいて、若かりし頃ペルジーノの工房でともに過ごした画家が描いたものと推定されている。

 ジュッセッペ・チェーザリの《キリストの埋葬》が出ていたが、これは現在ボルゲーゼ美術館にあるラファエロの画の忠実な模写である。ラファエロの画はもともとペルージャのサン・フランチェスコ・アル・プラート聖堂内のバリオーニ礼拝堂のために描かれたものであったが、枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼの密使によって盗まれ、その代わりにこの模作がローマからペルージャに送られてきたとのことである。

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モネ展:国立新美術館

 

 この展覧会の章立ては、時代・画法・対象が入り乱れたものとなっているのでいささか困惑するが、一応この章立てに従って感想を書いてみる。

第1章 近代生活
 ここには比較的初期の作品と家族を描いた作品が多い。1967年の《揺りかごの中のジャン・モネ》は最近オルセー展で観たモリゾーの画のようだが、1968年の《ゴーディベル夫人》は硬いタッチの画。1976-77年の《菫の花束を持つカミーユ・モネ》はルノアール的になって来ており、1987年の《読書をするシュザンヌと描くブランシュ》になると非常に明るくなる。このように10年ごとに見ると、モネの画法は大きく変わっている。

第2章 印象
モネ:ヴェトゥイユモネ:かささぎ 「光」については、モネは戸外に散乱する光を描いており、影も明るい色調を帯びている。光を描くには、それを反射する水面は効果的で、1987年の《ヴェトゥイユ》はその成功例である。

「階調」に関しては、西洋人として初めて白色のなかに微妙な色彩の階調を見出し、とりわけ雪という素材を描いた。有名な《カササギ》のほか、《ヴェトゥイユの教会》が良かった。「色彩」については、モネは黒色や暗色を極力排除し、絵具をパレット上で混ぜずに点描によって描いた。見たものが視覚のなかでその色を混合させるようにしたのである

モネ:ジヴェルニーのモネの庭、アイリス 展示品の中ではワシントンの《アルジャントゥイユのモネの庭》とオルセーの《ジヴェルニーのモネの庭、アイリス》が良かった。


 大胆な発想に基づいて、次世代への影響についての展示がなされていた。スーラ、ドラン、ボナールなどは光の表現をさらに推し進め、現代ではカラー・フィールド・ペインティングのような光に満ちた作品や明暗法に頼らずに光を生み出す抽象絵画などが現れたとしている。しかしこれはモネだけの影響といえるのだろうか。ピンク、緑、黄色、青の4色の蛍光灯を用いたダン・フレイヴィンの作品が出ていた。これはモネの画が観客に色彩を混合させるものとのアナロジーのようで、一応納得できた。

第3章 構図
 モネは「簡素」という点に関しては、細部を描きこまない平坦な画面など日本美術の特徴を取り入れた。次の「ジャポニスム」という項では、モネの画には俯瞰構図の多用、近景と遠景の極端な対比など日本美術の影響が見られるとしている。さらに「平面的構成」という項が設けられており、モネはルネサンス以来の遠近法を使わず、画面に平行に置かれた木々などの対象物をリズム感あふれる構成要素として用い、その成果はやがて「ポプラ並木」の連作へと発展していったとしている。「反射映像」が別項として取り上げられており、水面に映る倒立像と地上の対象像との二重の姿に注目していた。「睡蓮」シリーズにおいては一歩進んで倒立した外界のみを描くことになる。


 ここでのお気に入りは、ボストンの《マルタン岬から見たマントンの町》、ボストンの《ヴァランジュヴィルの漁師小屋》、ナンシーの《エトルタの日没》、島根県立美術館の《ポルト・タヴァルと針岩》などで、《エプト川の釣り人》の女性と子供の水に映る表現も印象的だった。ただし「構図」の各項に取り上げられた諸要素はいずれの画にもそれなりに関連しており、作品を項目ごとに分類して展示していたのは混乱を招いていた。


 以後の画家に対する影響としては、ジャポニスムに由来するモネの単純化への志向は1960年代以降のミニマリズム、光の表現に対する関心はブリジット・ライリーの《リフレクション1》に見られるとしているが、これらも直接の影響であろうか。

第4章 連作
 モネの連作は、北斎や広重の影響であると考えられる。「ポプラ並木」連作では、一見平行に見える並木が「リズム」をもって後退していく装飾的なモティーフとして扱われており、「積藁」連作では、円錐に近い「形態」の積みわらが多様な色彩で現れるさまを描き、「ルーアン大聖堂」シリーズでは、光によって生み出された色調の「変化」をとらえ、さらに煙、蒸気、霧といった「移ろい」をとらえた。


 この場合には対象が異なっているのであるから、展示と分類の一致は容易である。一番のお気に入りは、リヨン美術館の《テムズ川のチャリング・クロス橋》の水面を染める赤と黄の光線であろうか。


 ここでリキテンスタインの《ルーアン大聖堂X》が3点展示されていたが、これはまさしくモネの遺産といってよい。空・風景・聖堂が異なる色の点で表現されている。左図はそれぞれ赤-白点・黄点・赤点、中図は白-青点・白点・青点、右図は白-赤点・赤点・黒点であった。変異と反復を通じてさまざまな効果が発現していた。

第5章 庭園
モネ:藤  これはモネの最後の作品群である。 大画面に取り組むようになり、モネの「筆触」が力強くなり、近くで見ると絵具の狂乱に見えるが、彼の視覚の中では秩序をもった色の組み合せとなっているのであろう。これには白内障やその手術に基づく視力の低下や青視症の発現と関係があるのであろうが、次世代の抽象表現主義との関係を示唆するものかもしれない。


 ここでは、マルセル・ドッサル美術館の《藤》の紫が美しく、マルモッタン美術館の《モネの家》のボナールのような色彩の乱舞が強く訴えてきた。

第6章 綜合
 モネの生涯の試みは、「睡蓮」シリーズに綜合されている。倒立して反映される外界と、水中の情景が重なり合って独自の世界を作り上げただけでなく、オランジュリー美術館において横長かつ楕円形に配置したように、一つの固定視点で描かれる空間把握では不可能な、身体全体を駆使して鑑賞する空間を表現したのである。

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ダリ展ー創造する多面体:サントリー・ミュージアム天保山

 

 大阪港のサントリー・ミュージアムで開かれているこの展覧会は、昨年上野で開かれたダリ展が巡回しているものでない。今回は、絵画だけでなく、オブジェや写真、さらには手稿などがたくさん展示されていて結構楽しめた。


○ 絵画1818−1934: 《ポルト・アルグェル−カケダスの眺め》はキュビスム、《クレウス岬を望むポルト・リガトへの小路》は印象派的であり、ダリがいろいろな手法を試していたことが分かる。


○ 著述家としてのダリ: いろいろな資料が展示されていたが、残念ながら読めない。


○ ヴィーナスの夢: 1939年のニューヨーク万博のパヴィリオンに出展したインスタレーションの紹介。エリック・シャールやジョージ・プラット・リンズの写真が良く撮れていた。ファサートや発券所には、ボッチチェリの《ヴィーナス誕生》、レオナルドの《聖ヨハネ》、ボスの怪魚をもじったものが張り付けられ、ガラモ制作を手伝っている。会場の天井には傘が逆に吊り下げられていたが、これも万博会場を模倣したもの。


ダリ:イメージが消える○ 絵画1935−45: 広島県立美術館の《ヴィーナスの夢》やフェルメールとヴェラスケスのダブル・イメージ作品《イメージが消える》が印象的。《壊れた夢》、《三つのガラの顔の出現》も良かった。


○ ファッションと広告: ブライアン・ホーザリーの靴下の広告が面白い。


○ シュルレアリスム、オブジェ: 《催淫作用のあるタキシード》のビンの中に入っているのは、クレーム・ド・メントというものらしいが、その効用は?


○ 絵画1946−1962: 歴史画的になってきている。《聖セシリアの昇天》はラファエルの聖女が粉々になった犀の角で隠れているが、これは原爆に衝撃を受けて描いたものとのこと。《2mでは中国人に変装したレーニン、6mでは虎、50mでは抽象画》も面白かった。


○ グラフィック・アートや挿絵: パスした。


○ 絵画1963−1983: 立体絵画やルネサンスへの回帰がみられる。一番良かったのは《ガラの足 立体視絵画》。これは2枚並んだ画をそのまま観ても立体的には見えないが、特殊なボックスで見るとガラの足が飛び出してくる!若い女性係員が親切に見方を教えてくれた。

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アールヌーヴォーの華ーミュシャの夢:堺市文化館アルフォンゾ・ミュシャ館

 


 19世紀から20世紀へ大きく時代が移り変わるなかでアール・ヌーヴォーは「生活の芸術化」「芸術の大衆化」をめざす運動として全ヨーロッパに浸透し広範な支持を得た。その中で脚光を浴び、アール・ヌーヴォーの代名詞ともなった芸術家がアルフォンス・ミュシャである。


 企画展「ミュシャの夢」の最初の部屋に入ると、パリ時代の華やかなポスターが並んでいる。1894年のクリスマスに突然サラ・ベルナールから彼のところに製作依頼が舞い込んできたという因縁の《ジスモンダ》や優雅な曲線の四季や花の連作、のポスターなど、何回観ても良い。日本でも与謝野鉄幹らの「明星」にいち早く紹介されていたようで、同じ建物の中に「与謝野晶子文芸館」があるのも偶然とはいえない。


ミュジャ:ウミロフ・ミラーミュシャ:ハーモニー 次の部屋には左に希望、右に失望を象徴する美女たちに縁取られた《ウミロフ・ミラー》が掛かっている。自分の姿や後ろの画が一緒に鏡に映るので、自分自身がアール・ヌーヴォーの世界にワープしたような気になる。

 大作《ハーモニー》には驚く。ニューヨークでドイツ劇場を飾る三部作の一つとして制作されながら、そこには掲げられなかったという作品である。この画は左側に希望・平和・富裕、右に絶望・戦争。貧困を表す群像が描かれ、その背景には民族の連帯を象徴する女神が大きく手を広げている。《クォ・ヴァディス》という大きな作品もアメリカ時代のものである。


 次には、チェコに帰って描いた民族的なポスターがいくつも展示されていた。《東西モラヴィア宝くじのポスター》、《チェヒア》、《ロシア復興》、《チェコスロバキア共和国10周年祝賀ポスター》、《ソコル》、《第8回体育教会祭のポスター》、《スヴァンヴィト》、《ヒアシンスの娘》などこの部屋の作品群には一番心惹かれる。パリの作品の華やかさはかりそめのものであったのであろう。


ミュシャ:メディア この部屋を出るところに、《メディア》のポスターがあった。これに描かれているサラ・ベルナールの左手の「蛇のブレスレットと指輪」は、実際にフーケによって製作され、その後サラ自身が使っていたという。その実物がここに展示されているのである。金・オパール・ルビー・ダイヤモンドで飾られたこの作品は、アール・ヌーヴォーを代表する宝飾品であり、世界の宝といわれるものである。これが何気なく展示されているので、恐ろしいような気がした。


 部屋を出たところに、聖ヴィート教会のステンドグラスの模型が展示されていた。先月プラハで実物を見たが、遠くから見ているので詳細は分からなかった。この模型によって初めてその詳細を知ることができた。その中央下段には銀行のコマーシャルまで入っていた。


 このような世界的コレクションを堺市に寄贈・寄託された「カメラのドイ」の故土居君雄氏に感謝したい。

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澁澤龍彦ー幻想美術館:埼玉県立近代美術館

 

  澁澤龍彦(1928-1987)は、フランス文学の世界では、マルキ・ド・サドなどの翻訳者として有名であるが、彼は既存の美術史の枠にとらわれることなく、マニエリスムの時代から世紀末美術、象徴派、シュルレアリスム、さらに同時代の日本人アーティストまで、多くの美術家を紹介した。この展覧会では澁澤が紹介した美術家の作品を全国から集めて展示している。

 この展覧会のもう一つの側面は、1960年代に澁澤の周囲に集まった文学や演劇、美術の先鋭たちのジャンルを超えた交流について詳しく紹介していることである。

 この「没後20周年記念展覧会」は、上記の二つの側面を併せ持つユニークな企画である。


第T室:澁澤龍彦の出発

 ■T−1 昭和の少年・・・澁澤龍彦自作の《デッサン》が出ている。本人はこれは「ウミネコの王」といっていたとのこと。細江英公の《澁澤龍彦(知人の肖像より)》の写真が良い。

 ■T−2 戦後の体験・・・マン・レイの写真が2点。このうち《アンドレ・ブルトン》は、卓越したソラリゼーション技法によって顔の辺縁が強調されており、印象的である。もう一つの《ジャン・コクトーの肖像》も良い。

 ■T−3 サド復活まで・・・マン・レイの《サド侯爵の架空の肖像》は実際にブロンズ像まで作ってしまうのだからお見事。ハンス・ベルメールのエッチングが3点。このうち《ソドムの百二十日》は女性が用を足しているところ。サドの《不運ゆえの過ち》からとられたダリの《アレゴリー》はチェーンに縛られた男の身体を這う沢山の蟻。細江英公の写真は、《薔薇刑》が2点と《由比ガ浜で矢川澄子とコイコイをする澁澤龍彦》である。こういったSMアートは好きになれない。

第U室:1960年代の活動 

 ■U−1 美術家との出会い・・・加藤光於、瀧口修造、野中ユリたちのエッチングや水彩が出品されている。

 ■U−2 土方巽と暗黒舞踊・・・横尾忠則の《暗黒舞踏派提携記念公園「バラ色ダンス」》のシルクスクリーンはフォンテンブロー派の裸の姉妹が乳頭をつまんでいる画≪ガブリエル・デストレ》をとりこんだポスターである。細江英公のパネル《バラ色ダンス》では、女装の                  土方巽と大野一雄が抱き合って踊っている。

 ■U−3 さまざまな交友・・・谷川晃一、中村宏、池田満寿夫、宇野亞喜良、合田佐和子、横尾忠則、細江英公の作品が並んでいる。

第V室:もう一つの西洋美術史 

 ■V−1 マニエリスムの系譜・・・アルチンボルドの《ウェイター》、デューラーの黙示録木版画《4人の騎者》と《小羊の前の選ばれし者たち》、パルミジャニーノの《キリストの埋葬》、ピーテル・ブルーゲルの《二隻のガレー船と軍艦》、ジャック・カロの《聖アントワーヌの誘惑》などの傑作はいずれも見応えがある。

 ジャックーファビアン・ゴーティエータゴティという作家のメゾティントは始めて見たが、《男性・背面》の構図の面白さにに驚いた。これは背面から見た正中断面の人体解剖図であるが、本当に良く描けている。現在のMRI画像に匹敵する。その脇に心臓の画が正面と背面、それぞれ外観と割面が描かれていたが、その正確さは脱帽ものである。

 ピラネージのエッチングが2点、ゴヤのエッチングが3点出ていたが、いずれも面白かった。

 ■V−2 19世紀の黒い幻想・・・ルドンの作品が4点出ていたが、油彩《ペガサスにのるミューズ》とパステル《聖セバスチャン》が素晴らしい。とくに後者の青が印象的だった。

 ギュスターヴ・モローが4点出ていた。水彩《救済される聖セバスチャン》の他、お馴染みの《出現》、《ダヴィデ》、《ユピテルとセメレー》のエッチングも良かった。

 クリンガーの《手袋》やビアスリーの《サロメ》もお馴染み。アンソールのエッチングが2点出ていた。

 
第W室:シュルレアリスムの再発見

 ■W−1 エルンストにはじまる・・・エルンストが9点、ダリが7点、デュシャン1点、ピカソ3点、クレー3点、イヴ・タンギー4点、マグリット4点など、シュルレアリスムのオンパレードである。

 ■W−2 傍系シュルレアリストたち・・・デルヴォーの油彩《夜の通り》と《森》はさすがに迫力がある。

 ハンス・ベルメール6点、バルチュス3点、レオノール・フィニ2点、マックス・ワルター・スワンベリ7点、ピエール・モリニエ6点が出ていた。

 エッシャーの《婚姻の絆》は、リンゴの皮向きのような一筆書きの帯で男女の顔を描いた画。途中で帯が一回くぐっているのがミソのようだ。今年生誕300年を迎える数学者オイラーが見つけた一筆書きの図形の条件と関係がある?

 第X室:日本のエロスと幻想

 ■X−1 血と薔薇のころ・・・ボナ・ド・マンディアルグ、ロラン・とポール、奈良原一高、伊藤晴雨、佐伯俊男の作品が出ていたが、残念ながらあまりお馴染みのない作家たちである。

 ■X−2 青木画廊とその後・・・藤野一友の《夜》は、人間の顔が手になっている。横尾龍彦、金子国義、高松潤一郎、川井昭一、城景都などが続く。

 そのなかで四谷シモンの《未来と過去のイヴ8》は金髪の裸体人形、秋吉轡の《天使たちの島》はボスそっくりの画だった。

 このなかに加山又造の裸婦のドローイング3点が入っていたのは不思議だった。この時代には、日本画家の裸婦スケッチは異常であると考えられていたのであろうか。

 第Y室:旅・博物誌・ノスタルジア

 Y−1 ヨーロッパ旅行・・・初めての海外旅行が1970年というのはいかにも遅い感じがする。一緒に旅をした川田喜久治の写真が10点、ピラネージのエッチングが1点、細江英公の写真《サグラダ・ファミリア》が2点、そして堀内誠一の《フランスからの絵手紙》が出ていた。

 Y−2 博物誌への愛・・・澁澤龍彦は貝殻などいろいろなものを蒐集している。このような博物にかかわるの作品が沢山出品されていた。有名作家のものとしては、加山又造の版画《玉虫》、《かみきり》、《鍬がた》、ダリのブロンズ《犀》があげられる。

 Y−3 日本美術を見る目・・・伊藤若冲の《付喪神図》は、永らく使った茶道具が妖怪に変身するという変わった画。酒井抱一の《春七草》と《秋七草》はとくに幻想的とはいえないが・・・。葛飾北斎や河鍋暁斎の画ははいかにも風変わりな画である。

 Y−4 ノスタルジア・・・ここに出品されているものは多彩である。お気に入りは、合田佐和子の《クリスタルの涙》、マン・レイの《カトリーヌ・ドヌーヴ》、ワイエスの《とうもろこしの茎と手押し車》。

 第Z室:高丘親王の航海 

 ■Z−1 ひそやかな晩年・・・細江英公の写真《土方巽の葬儀写真》や篠山紀信写真《澁澤龍彦邸の時間と空間》によって、彼の晩年の様子を知ることができる。

 ■Z−2 最後の旅・・・彼の最後の小説となった「高丘親王航海記」の自筆原稿と自筆地図が目をひく。

 友人たちのレクイエムやオマージュが並んでおり、金色と白に輝く四谷シモンの《天使ー澁澤龍彦に捧ぐ》が展覧会の棹尾を飾っていた。

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シャガールーその愛のかけら:宇都宮美術館

 

 久し振りに宇都宮美術館に出かけた。前回はスーラ展、2002年8月のことである。今回も新幹線を使わずに行ったので往復6時間かかった。展覧会は女性に人気のあるシャガール。花冷えの中ではあるが、結構混んでいた。

 第1章: 1887-1914 ヴィテブスク⇔パリ: 現在のベラルーシュのヴィテヴスクで120年前に生まれたユダヤ人画家。画を描くためにパリへ出て、モンマルトルに住み、いろいろな表現を学んだが、結局故郷を想った画にたどり着く。

 ■《村の祭り》・・・初期の画は暗い。祭りといっても小さな棺を担ぎ、うなだれた人々の行進が画の中央に描かれている。行進の中には子供の姿もある。ピエロが倒れている。そうするとお祭りの日に亡くなった子供の葬列なのであろう。

 ■《妹の顔》・・・これも暗い画である。机の上に乗っているものから見るとこれは食堂の粗末な机。羽根ペンで書き込んだ手帳をこちらに向けているが、何が書き込まれているのであろうか。

 ■《ランプのある静物》・・・ランプと敷物の色彩が鮮やかである。ユダヤ教で安息日ごとに燈されているランプは、旧約聖書「創世記」の「神が光と闇を分けた」の光の象徴であり、ヴィテヴスクで信じられていた神秘主義的なユダヤ教の一派「ハシディズム」では光はアダム、闇はイヴとされていたという。

 ■《静物》・・・キュビスムの影響がみられる。

 ■《パイプを持つ男》・・・これもキュビスム的で、パイプはピストルのように見える、その裏面の静物はキュビスムそのものである。

 ■《空飛ぶ牛》・・暗い闇を馬小屋に向かって飛んでかえってくる馬のお腹の中には逆立ちした子馬。明るい地上には横たわる女性。この女性も妊娠しているのだろうか。

シャガール:世界の外へどこへでも 第2章: 1914-1941 ヴィテブスク⇔パリ: ヴィテブスクに一時的に戻っていた際に、第一次大戦が勃発し、8年間ロシアを出られなくなった。その間、ベラと結婚、彼女ばかりを描いた。パリに戻った後は、ベラとパリの街を描くことが多かった。第二次大戦が始まり、ユダヤ人迫害が始まったため、アメリカに亡命した。この章には、家族を描いた画が沢山出品されている。

 ■《世界の外へどこへでも》・・・頭が二つに切られ上部は赤く、下部は身体を含め青い肖像。これはシャガールが革命後校長となったヴィテヴスク美術学校で反目しあったマレーヴィッチの肖像である。この画には靴で何度も踏みつけた跡が残っている。シャガールは激しい。この問題のためにシャガールは再びパリに行くことになった。

 ■《二重肖像》・・・フォーマルな花嫁と画家。名古屋市美術館蔵の人気作品。《二つの花束》・・・埼玉県立近代美術館の人気作品。《予言》・・・新婚のベラに、飛んできて花束を渡している鶏の頭の青年。鶏の頭は贖罪の象徴。

 第3章: 1941-48 パリ⇔ニューヨーク: つらい運命を背負ったユダヤ人を沢山描いた。ベラが死に、しばらしく画を描くことができなかった。戦後、彼はパリに戻った。

シャガール:軽業師シャガール:青い恋人たち  ■《軽業師》・・赤いサーカスの舞台には、贖罪の象徴である鶏の頭を持つ緑と青の衣装をつけた人間が大きく描かれ、その腕にはダリの「柔らかな時計」がみられる。

 ■《青い恋人たち》・・・ベラの死を告げるような陰鬱な色彩。このような青はホロコーストという犯罪を犯した世界に対する悲しみをも表しているようだ。三日月の黄色が半分脱落しているが、これは今回並んで展示されているエスキースでも同様であり、これがシャガールによって意図されたものであることが分かる。

 第4章: 1948-85 サン=ポール=ヴァンス: 新しい恋人ヴァヴァと結婚し、力強い画を描いた。世界中を旅した後、南仏のサン=ポール=ヴァンスに定住し、97歳で亡くなるまで画を描いた。

 ■《》・・・花束に囲まれて抱き合う二人。全体は青い色調だが、太陽や花の色が明るくなっている。

 ■《聖書》・・・聖書のいろいろな場面が描かれたエッチング。非常に丁寧に描かれている。

 ■《出エジプト記》・・・モーゼの物語を追った彩色エッチング。説得力のある版画である。

 ■《ダフニスとクロエ》・・・美しい彩色リトグラフ。

 ■《パリの空に花》・・・パリの空を飛ぶ二人と大きな花。北海道立近代美術館所蔵の名作。対角線で生と死の色彩が分かれている。

 ■《騎士》・・淋しい青を主体とする騎士に僅かに太陽の光が当たる。大勢の群集がこれを見送っている。

 ■《黄色と赤の花束》・・・青い背景の中の二人と花の黄色と赤のコントラストが著しい

 ■《サーカス》・・・有名なエッチング。

 ■《そして頭上には》・・・空爆を描いたエッチング。見るも無残な版画の連作である。

 ■《回想》・・・黄(ヴィテヴスクの幼年時代)、緑(花の時代)、青(暗いパリの時代)、赤(新婚時のヴィテヴスク時代)の4つに区分されたシャガールの人生の大団円である。

 その他に、《トーラー》・・・羊皮紙にインクで書いたヘブライ語のモーゼ五書、《トーラーの装飾具》・・・銀製、中央に石板があり、その左右にケルビムが舞っている、《割礼器具》・・・メス、包皮牽引器、ワイングラス(鎮静のためにワインを与えるとのこと)なども展示されていた。シャガールのバックボーンであるハシディズムという異端ユダヤ教に関するものである。

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レオナルド・ダ・ヴィンチー天才の実像:東京国立博物館

 

 レオナルドの《受胎告知》がフィレンツェから来た。イタリアでは日本に移送することに反対もあったという。また大層な保険金をかけてきたともいう。初日から入館者が並んでいるとの報道もあった。ちょっと警戒していたが、今日の日曜日は雨。「これは空いているのでは・・・」と、上野に出かけた。

 着いてみると、やはり「待ち時間0」。うまくいった。金属探知機のゲートがあったが、どうもこれはフェイクらしい。飛行機と同じと思って、小銭入れと鍵束をゲートをくぐらない荷物のほうに入れると、係りの女性曰く「一つだけでもいいのですよ」。これはナンジャ。さらに荷物のほうもX線検査している様子はない。

レオナルド:受胎告知 第1会場は、東博の本館一階中央の部屋。波形の障壁の間を次第に下りて、《受胎告知》へと近づいていく仕組み。空いているので2段目に立ち止まってゆっくりと観ることができた。ここからだとガラスの反射はまったく感じない。この画は右側から観るように描かれているとのことで、ちょっと右側に寄って観る。単眼鏡を使って詳細に観る。ウィフィッツィ美術館でもこの画を観ているが、もちろんこれほど時間をかけて観ていない。したがって今回は沢山の発見があった。

 満足して、今度は最前列で観る。ここは並んでいくが、それほどの待ち時間ではない。近くに来るとやはり「大きい」!さらに詳細な点に気づく。この最前列では、ガラスに光が反射するが、観にくいというほどではなかった。

 レオナルドの《受胎告知》はこのように細部には非常に行き届いているが、全体としてはバランスの悪い画である。右手が長すぎることにしても、右下から観るように描かれているからだとの説が急にでてきているようであるが、本当だろうか。この時期のレオナルドまで神格化しないで、素直に見た方が良いと思う。 いろいろな画家の《受胎告知》を観てきたが、この画より数段巧い《受胎告知》が少なくない。

レオナルド:少年キリスト像 平成館の第2会場は、かなり混んでいた。いろいろな展示を限られたスペースに詰め込みすぎているので、なんとなく集中できない。平成館の半分しか使っていないが、これはやはり両側を使ったゆったりとした環境で見たかった。

 その中で、記憶に残っているのは、スフォルファの騎馬像の大きさ、天文時計の美しさ、伝レオナルド・ダ・ヴィンチの《若いキリスト》のテラコッタ像などである。 この彫像について、もうすこし詳しい説明が欲しかった。

(2007.3a) ブログへ

 


シュルレアリスム展:埼玉県立近代美術館

 

 埼玉県立近代美術館、岡崎市美術博物館、山梨県立美術館、宮崎県立美術館、姫路市立美術館などの国内美術館が所蔵しているシュルレリアリズム絵画を集めて展示し、それぞれの巡回しようという企画。 地方にこれだけの作品、があるという事実に驚く。バブルの遺産なのだろう。

序章: ようこそシュルレアリスムの世界へ

マン・レイの《ガラスの涙》この章には、デュシャン、アルプ、マン・レイの作品が多い。マン・レイの《ガラスの涙》は強調された睫毛と涙が印象的。《アンドレ・ブルトン》はソラリゼーション技術を使って輪郭線を強調している

ピカビア《イオ》は、彼の得意な「透明の絵画」で美しい。デ・キリコの 《イタリア広場》が2点出ていたが、諸橋近代美術館蔵の1914年の作品は静謐さを湛えている。宮崎県立美術館の1970年代の作品は自己コピー作品で、迫力がない。

第1章: 意識を超えて

この章には、エルンスト、アンドレ・マッソン、イヴ・タンギー、ダリ、マン・レイの作品が多い。自己記述・オートマティズムの作品としてまとめているようだ。 好感度作品としては、エルンストの《風景》は、色彩の目立つデカルコマニー。アンドレ・マッソンの《ジェネシスI(起源)》も良い。

ダリの《ダンス(ロックンロールの七つの芸術)》は動く肢体が一つの画面にフリーズされている素晴らしい作品。 同じくダリの《反プロトン的聖母被昇天》は、レオナルド・ダ・ヴィンチの《岩窟の聖母》をもじった作品であるが、原爆投下の悲劇に触発され描かれたものである。 ガラが聖母にも天使にも変身している。諸橋近代美術館蔵のこの画を観られただけでもこの展覧会にきた甲斐があった。

第2章: 心の闇

ヴィクトル・ブローネル《誕生の球体》ポール・デルヴォーの 《水のニンフ(セイレン) 1937》、《森 1948》、《海は近い 1965》、《立てる女 1954-56》、《女神 1954-56》、《乙女達の行進 1954-56》は、いずれも素晴らしいが、特に最後の三点は今まで観てきたデルヴォーと違い、明るく、伸びやかな作品でお気に入りである。いずれも姫路市立美術館蔵。マン・レイ《思考に対する物質の優位》は、複雑に手を加えた裸婦像で、エロスの優位性が感じられる。

ヴィクトル・ブローネルの《誕生の球体》は不思議な幻想作品。片目の視力を失った画家の眼球再生の願望とこれを妨げる悪魔のせめぎあいが眼球のなかに閉じ込められている。

第3章: 夢の遠近法

マグリット:現実の感覚ルネ・マグリットの作品が中心である。 《ジョルジェット 1935》、 《人間嫌いたち 1942》、 《観光案内人 1947》、《現実の感覚 1963》、 《幕の宮殿 1964》、《宝石 1966−67》、 《白紙委任状 1966》 が出展されていたが、ポスターになっている《現実の感覚》がもっとも迫力があった。浮遊しているのは岩だけでなく、宇宙全体が根無し草のようなものだという感覚は共感できた。

レオノーラ・キャリントンには久し振りでお目にかかった。1997年にステーション・ギャラリーで開かれた「キャリントン展」で見て以来である。今回は《ベッド・ルーム》と《狩猟》である。いずれも女性らしい繊細な感覚の画であるが、個人的には前者のほうが良かった。

第4章: 無垢なるイメージを求めて

クレーの《歩く女》は麻布という素材を生かした画で、心に響くものがあった。ミロの作品が沢山出ていた。いずれも良品であるが、絵巻物したてになっている《マキモノ》が面白かった。ロベルト・マッタの《吸引の芽》も好感の持てる画だった、

(付記1) 常設展の中に、「靉嘔の特集展示」があった。題して、「アーティスト・プロジェクト−靉嘔 AY-O:感覚のスペクトル」。渡米前の初期の作品、渡米後のエンバイラメント、有名なレインボー作品。さらにこれを発展させた触覚芸術やオブジェクトも楽しむことが出来た。

(付記2) 常設展の中には、「ルフィーノ・タマヨの版画展示」もあった。前後期合わせて20点ということで、今回は10点。メキシコの明るい光景が伝わってくる。とても柔らかな感覚な作品たちである。

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異邦人たちのパリ ポンピドー・センター所蔵作品展:国立新博物館

 

 国立新博物館には初めて中に入った。地下鉄からすぐに入れるところは良い。建物は黒川紀章の作品。波形の前面、三角形の入口、3階までの吹き抜け空間。国際フォーラムと同様にガラスで囲まれており、冬は良いが、夏は冷房費でパンクしそう。

 閑話休題。これはこの美術館の開館記念展である。すべがポンピドー・センターからの借り物。情けないがこれが所蔵品皆無のThe National Art Center, Tokyo の現状であるから致しかたない。

 展覧会のテーマは、各時代に「異邦人アーチスト」がパリの空気を吸いながら活躍したということであろうが、作品を観ているとそれぞれの作者の出自はほとんど気にならない。パリはそれほどに文化的国際都市なのか、あるいはアートというものはもともと国境を越えたものであるのか。おそらく両者とも正しいのだろう。

 内容は4部に別れている。写真も沢山出ていたが、マンレイの《黒と白》のような有名作品以外はほとんどパス。

1.モンマルトルからモンパルナスへ: エコール・ド・パリの画家たちの作品。

キスリング《若いポーランド娘》■フジタ《パリの私の部屋》・・・同名の作品が2点並んで出ていたが、いずれも衒いがない。きっちりと描かれた中に個性が出ている。

■キスリング《若いポーランド娘》・・・眼の大きなお淑やかな黒髪の女性、バラの模様のある赤いショールがきれい。

■ドンゲン《スペインのショール》・・・ケープの花模様が細かく、それでいて鮮やかな色で描かれている。情熱的なスペインの色。羽織っている女性も情熱的!

■シャガール《緑の自画像》・・・洋服と背景の黄緑色が素晴らしい。ビテブスクの草原の色か。一見ちょっと女性的なシャガール。

シャガールの《緑の自画像》シャガール:エッフェル塔の新郎新婦■シャガール《戦争》・・・子供を抱きすくめている母親の髪が逆立ち、馬車に荷物を積んで逃げ出す老人、その間に仰向けに倒れている人間。戦火や銃は描かれておらず、戦争の犠牲となる無辜の民だけが描かれている。

■シャガール《エッフェル塔の新郎新婦》・・・ポスターの画。大きな白い鶏に寄りかかる新婦ベラと新郎シャガール、背景には青いエッフェル塔、周囲には二人を祝福する天使たち。幸福そのものの画である。

■ピカソ《坐せる裸婦》・・・軟らかなタッチの、ばら色時代の画。淋しそうな女性だが、こういうピカソが好きだ。

■ジャコメッティ《テーブル》・・浮いている少女と、テーブルの上に切断された手、つま先立ったようなテーブルの脚・・何とも不思議でシュールな彫刻。ジャコメッティの作品ではめずらしいタイプ。

■エルンスト《フランスの庭園》・・今まで観たエルンストの画は意味不明のシュールだったが、この画には人間がしっかりとえがかれており、意味が分かりそうな気がしないでもない。でも説明してくれといわれると困るが・・・。

モディリアーニ、スーチンなどにも良いものが多かった。

 

2.外から来た抽象美術: 第二次大戦後、アメリカ・ヨーロッパ・アジアから入ってきたアート。幾何学的表現主義からキネティック・アートへの流れ。アメリカの抽象的表現主義とは大分違う。

■ヘセス=ラファエル・ソト《開かれた空間》・・吊り下げた細い針金を利用した面白い錯視アート。背景の画との交錯でこのような効果が得られるのである。とても良い体験だった。

■ヴィクトーレ・ヴァザルリ《夢》・・・画面が沢山の正方形に分割されているが、その四角形が少しずつずれていて、光線の反射の具合が違ってみえる平面的だが錯視的なオプティカルアート。

■カルロス・クルス・ティエス《フィジクロミー501》・・・。キネティシスムというのだそうだが、この部屋にはこんな感じの錯視的な画が並んでいて面白かった。観衆も一番多かったのではないか。

ドローネーの美しい色やカンディンスキーの音の響きはいつものように楽しめた。

 

3.パリにおける具象革命:

■マック《無秩序の威力》・・分かりそうで分からない内容の凹面状の大きな画。異次元の世界に連れてこられたような感じであるが、こんな穏やかな世界なら、訳が分からないなりに何とか暮らしていけそう。

■アイスランド出身の画家エロの《モンマルトル》や《サンマルコの毛沢東》などはよく分かる。それなりに穏やかな具象画である。パリにおけるこのような具象への回帰は新鮮に感じられた。

 

4.マルチカルチャーの都:

 この群にはあまり訴えてくるものはなかった。ビデオ・アートが沢山出ていたが、これは時間のある人向き。もっともこれは自分がこのようなアートに慣れていないことの言い訳。

全体としていえば、20世紀美術の多面性を俯瞰する良い展覧会だった。個人的にはエコール・ドパリの作品と錯視的な作品がもっとも好感が持てた。写真やビデオ・アートはこれからの自分の課題である。

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中国の絵画 新春特集陳列「吉祥」:東京国立博物館

 

 東山御物となっている南宋(13世紀)の《梅花双雀図》から中華民国元年(1912)の《牡丹図》までおめでたい画題の画が沢山陳列されていた。画題の勉強になる。

梅花双雀図
伝馬麟、南宋
足利将軍家にあった東山御物。重文。
崑崙松鶴図
呂健、明
鶴の白が美しい。若冲ばりの画。

五松図

李ぜん、清

秦の始皇帝の雨宿り。そこにあった5本の松を封じて五大夫とした。

鹿鶴図屏風
沈南頻、清
鹿・鶴・松・柏・桃・霊芝などお目出度いものの勢ぞろい。
霊鵲報喜図
李げつ、清
カササギは吉兆。
花卉図
趙之謙
石榴瓢箪仏手柑の4幅勢揃い。
馬猿猴図
筆者不明、明
馬上封侯とは出世のこと。重文。
水仙図巻
陳雀、清
水仙とは仙人のこと。
四君子図冊
蘇廷U、清
菊・竹・梅・蘭君子の高潔さ。

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インドの細密画:東京国立博物館

 

 ムガル王朝時代(15−19世紀)の細密画は有名である。今回50点を前期・後期に分けて陳列してあるが、わたしの観たのは後期である。主題はマハーバラタやラーマヤナといった神話、ヒンドゥー世界のシヴァ神やヴィシュヌ神、王・恋・動物・音楽などさまざまである。


 ムガル時代の細密画はイスラムのムガル絵画とヒンドゥーのラージプト絵画に大別され、地域によって5つに分類されているそうだ。 1)ムガル、2)地方ムガル、3)デカン、4)ラージャスターン、5)パハーリ。

 お気に入りの画像を3枚アップする。 

《岩山に坐す蛇使いの女》

 音楽を象徴するデカン派の絵。白檀の樹の下に孔雀の羽を付けた女が坐り、周りに蛇が集まっている。

《アシュバメーダの馬を止めるクリシュナ》

 1年自由に放した馬を犠牲とする。下半身を赤く塗った有翼の馬の手綱を顔の青いクリシュナが握っている。

《藩王ディアン・シン坐像》

 イギリスに滅ぼされたシーク教徒の宰相。

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マーオリ 楽園の神々:東京国立博物館

 

 マ-オリとは、アオテアロア(ニュージーランド)先住民である。アオテアロアとは「白く長い雲がたなびく地」という意味で、最初のこの地を発見した伝説上の航海者クペの妻がこの島々を指して呼んだとされ、「ニュージーランド」と並ぶ正式な国名となっている。

ヘイ・ツィキ(人間形ペンダント)今回の展覧会は、昨年で開かれた東京国立博物館展がニュージーランド国立美術館テ・パパ・トンガレワとの交換展である。平成館の半分を占めている展覧会なのでかなり大規模なものだ。

会場に入ると大きなポウナム(グリーンストーン)があり、その上に手を置くようになっている。そして大きなワカ(カヌー)やパータカ(倉庫)の羽目板が陳列されている。これらの板には具象・抽象の模様が彫りこまれている。文字を持たないマオリ人にとっては彫刻が歴史を伝えているのであった。留金としては貝殻が使われているものが多く、海洋民族の文化であることが見てとれる。ペンダントや釣り針も美しい。

武器や楽器にも彫刻がついている。自分たちの顔の刺青も彫刻ととらえているようである。女性の刺青はさすがに口の周りだけであるが、男性のそれは顔面全体である。キューイの羽根だけで作った衣装はとてもきれいだった。彫刻の中に男性器をおおっぴらに出したものがあって驚いた。

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オルセー美術館展ー19世紀 芸術家達の楽園:東京都美術館

 

ラコンブ:ベッドの木枠  オルセー展は何回も観ている。このホームページのサイト内検索をしてみると、96年1月に「モデルニテ パリの誕生」、99年9月に「19世紀の夢と現実」が出てきた。したがって今回の「19世紀 芸術家たちの楽園」は久し振りということになる。チラシには、この3展覧会は「オルセー美術館展3部作(トリロジー)」と書かれている。

 今回の目玉は、ゴッホの《アルルのゴッホの寝室》やゴーギャンの《黄色いキリストのある自画像》などであるが、それ以外にも、素晴らしい作品が目白押しである。現地で観た作品もあるが、大分前なので再会も楽しい。大きく5群に分類されていたので、それに沿ってお気に入りの作品に一言コメントを付けることとする。


  ベスト・オブ・ベストは、画ではダ・ヴォルぺードの《死せる子供》(ここをクリックした画像Xの上段中央)。絵画以外では、ラコンブの《ベッドの木枠》のうちの《死》(↑の画像の最下段)が印象的であった。

T.親密な時間: 画家の家族あるいは親しい人との関係で生まれた作品群。

ホイッスラー《画家の母の肖像》
ファンタン=ラトゥール《シャルロット・デュュピール》
 画家の母アンナ。この画が描かれた10年後に死亡。贋作画家の娘とその恋人の探偵が登場する映画の冒頭にも登場してくる有名な画。  義妹の肖像。強い性格の持ち主らしくはっきりとした顔立ち。青い衣装の質感が素晴らしい。帽子の花飾り・手に持った扇子など「西洋美人浮世絵」のようだ。

 上記の他にヴァロットンの《ボール》が良かった。サッカーボールではなく赤いボールに向かって走っている少女の後姿が明るい光の中に浮かび上がっている。モリゾ《ゆりかご》、モネ《アパルトマンの一隅》、ルドン《セーラー服のアリ・ルドン》など子供を描いた作品にはそれぞれに愛情のこもった画家の眼差しが感じられる。

U.特別な場所: 風景画のグループ。

シスレー《洪水と小舟》
マネ《ロシュフォールの逃亡》
レイセルベルヘ《舵を取る男》
 洪水といった天災とかけ離れた美しい色彩のバランス。画家は同じテーマで6枚の油彩を描いたという。  パリ・コミューンからの逃亡者。月明かりの銀波の中を沖の船に向かっていく心細そうな手漕ぎ舟。  ベルギー新印象派であるこの画家の点描は素晴らしい。2005年の「ベルギーの近代」展でも観た。北斎の絵を想起させる。

 マネの《ブローニュー港の月光》はちょっとおどろおどろしい。モネの《アルジャントゥイユの船着場》は木立の陰と木漏れ日の交錯が美しい。スーラの《ポール=タン=ベッサンの外港、満潮》はシニャックに勧められて描いたっもの。

 写真では、スタイケンの《月光・池》と《谷への道、月光》は闇のなかにかすかに見える光、アヴィランドの《ニューヨーク、夜》は靄による遠近法、スティーグリッツの《希望の都市》は煙の効果、タールマンの《エッフェル塔に向かう4人の男》は影絵のような黒が良く表現されている。

V.はるか彼方へ: 旅の記録のグループ

ベルナール《愛の森のマドレーヌ》
レベール、デック《花瓶》
 ベルナールの妹がポン=タヴェンを訪れた時に描いたもの。仏陀の涅槃図のように人物が大きく描かれている。樹木の垂直線と人物の水平線の交叉も面白い。  凄いトルコ・ブルーの釉に驚かされる。連続する花模様や大小の花瓶が合わさっている不思議な形は異国的である。

 ボナールの《水の戯れ、旅》はタピスリー風の画で船からは海の魔物や中国人は見え、その向こうに旅人が目指す町が見える。ゴッホの《アルルのゴッホの寝室》はあまりにも有名。元来松方コレクションにあったものだが、講和条約でフランスに留まることになってしまった悔しい画。展示されているセザンヌの《サント=ヴィクトワール山》はとても美しい。ゾラとの少年時代の思い出が込められているそうだ。ゴーガンの《黄色いキリストのある自画像》は鏡を見て描いているためキリストの向きが逆である。グロテスクな壷はゴーギャンと似ており、彼の顔はそちら側を向いている。タヒチに出発する前の心境の表れなのだろう。

 イスラム風や中国風の陶器も出品されていたが、オルセーのどこに飾られているのだろうか。

W. 芸術家の世界: 画家の友人やモデルたち

マネ《すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ》
ドガ《エドワール・マネの肖像》
 マネの「絶対的な黒」が画面を完全に支配している。すみれ色のブーケは形なしである。これは喪服。女性の喪服姿が一番美しいというのは洋の東西を問わない。  オルセー美術館のホームページにも載っている有名作品。北九州美術館所蔵の《マネ夫妻の肖像画》をめぐって二人が不仲になる前のもの。

 ルノワールの描いた《バジールの肖像》が丁寧で好感が持てる。背景にモネの《雪景色》が見えるが、これはルノワールのモネに対する敬愛の表れ。 セザンヌの《ギュスターヴ・ジェフロワ》も背景を含めしっかりと描かれている。

X. 幻想の世界へ: 非現実的・幻想的・神秘的な世界

ギュスターヴ・モロー 《ガラテア》
マチェック《予言者リブザ》
ダ・ヴォルペード《死せる子供》
スピリアールト《月光と灯火》
 巨人の顔と美人の顔の対比、会場の光に輝く美しい線描は絶品。  8世紀にボヘミアを統治した姫が月光の中で行った儀式。  白衣装の女性たちが死んだ子供の棺に従い、これに、花を持った子供たちが手をつないで従う行列。「20世紀イタリア美術展」にも名画あり。  「ベルギーの近代」展にも素晴らしい画があった。ムンク的。

 今回の展覧会ではこの章が一番面白かった。ルドンの《キャリパンの眠り》はシェークスピアの「テンペスタ」の中の魔王の息子。デュヴォセルの《目の飛び出した骸骨》は浮世画のお化け絵と通じる恐怖画。ルネ・ピオの《ニンフの香り》はまるでマティスの作品。《モンパルナス墓地のセザール・フランクの墓標の習作》を描いたガストン・ルドンはオデュロン・ルドンの弟。

ストリンドベリ《波VH》
ガラ《ベートーベンに捧げる思索のための神殿》
シーリー《ほたる》
スティーグリッツ《ジョージア・オキーフ》
 盛り上がる海、白く砕ける波濤、黒い海。劇作家らしい画。  奇想の建造物。本当にこれは地球上なのか。SFの世界に通じるアート。  光は小さいほど目立つ。そしてそこに立つ女性は美しく見える。  米国嫌いのフランスでも、このアメリカの感性を代表する二人は無視できない。

 

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巴里憧憬ーエコール・ド・パリと日本の画家たち:埼玉県立近代美術館

 

  1920年から30年代、第一次大戦後の好景気を背景に、フランスではさまざまな芸術が一斉に花開いた。世界中の若者たちにとって、この時代のフランスはあこがれの場所だったのである。日本からも無数の画家がパリに引き寄せられている。時代はまさにエコール・ド・パリの時代。この展覧会では全盛期のエコール・ド・パリを目のあたりにした日本人画家たちが、これをどのように受けとめ、どう身を処したか、また日本の美術界に何を持ち帰ったかといったことに視点を当てている。
幸い企画展、常設展の両者でギャラリートークを聴くことができた。以下、その内容を含め、感想を書くことにする。

T.魅惑のエコール・ド・パリ
モディリアニ:ルニア・チェフォフスカの肖像この企画展の出品目録では、まずユトリロ、キスリング、シャガール、モディリアーニ、ス−チン、ローランサン、パスキン、など、エコール・ド・パリの画家たちの作品が出展されていることになっている。
しかし実際にはこれらは最後から2番目に部屋に展示されていた。学芸員の説明によると、モディリアーニの《ルニア・チェフォフスカの肖像》を所蔵しているポーラ美術館と《若い農夫》を所蔵しているブリジストン美術館から、これらを借りるために「温度・湿度を調節できるガラス張りの陳列室にすること」という厳しい条件を飲まされたからであるとのことである。もちろんこれらは彼の完成期の作品たちである。
ユトリロでは色彩の時代への移行期の《旗で飾られたモンマルトルのサクレ=クール寺院》が素晴らしい。キスリングの《リタ・ヴァン・リアの肖像》は黒柳徹子のソックリさんである。しかし私には《背中を向けた裸婦》のほうが良かった。シャガールの《山羊を抱く男》は迫力があった。

U.エコール・ド・パリの日本人画家群像
最盛期には数百人にも及んだと伝えられているこの時代の日本人画家たちのさまざまな足跡、彼らの情熱と苦悩の軌跡が5つのグループに分けて紹介されている。

U-1 目指せエコール・ド・パリの頂点−藤田嗣冶とその追随者たち
エコール・ド・パリの日本人画家として最も知られているのは藤田嗣治で、彼の乳白色の裸婦が3点出展されている。
次に藤田の助けを受けて、パリで画家としての評価を得た画家の作品が並んでいるが、海老原喜之助の《ゲレンデ》は海老原ブルーの空と雪の白の対比が素晴らしく、日本的ともいえる平面的で装飾的な画である。これは私のお気に入り。彼はブリューゲルやアンリ・ルソーを研究し、ベルギー人と結婚した
高野(こうの)三三男の《仮装した薩摩婦人像》は大した画ではないが、彼らのスポンサーであったバロン・サツマの最初の婦人の像。このような画を描いてパリで生きていたのだろう。
坂東敏雄は藤田のお気に入りで、彼だけが藤田のアトリエへの出入りを許されたという。道理で《ヴァイオリンを持つ婦人像》では塗り重ねをしない藤田のマティエールが具現されている。彼らはエコール・ド・パリの画家といっても良い。

蕗谷紅児:石榴を持つ女U-2 エコール・ド・パリの日本画家−テク二ク・オリアンクル!
いままで知らなかったが、当時のパリには日本画を描いて生計をたてている日本人がいた。出島春光の《金魚》や《ノートルダム寺院》は素敵な画であるが、彼が死んだ時にはほとんど財産といえるものは残っていなかった。
金子光晴は、現在ではむしろ詩人として有名であるが、展示されている「フランドル日記」を読むと、パリでどん底の困窮生活を送った彼も日本画を描いてわずかな金を手にしながら旅を続けていたことが分かる。詩人として成功した後も、彼は生涯絵筆を離すことがなかったという。
蕗谷紅児は日本では流行の挿絵画家だったが、パリでも《石榴を持つ女》のように装飾的・平面的で岩彩とテンペラの両者を使った画を描いている。個人的には紙に描いた古城江観の墨絵《モンブラン》が気に入った。このような画家たちは、はたしてエコール・ド・パリの末席に居場所を見つけたといえるだろうか。

小野竹喬:セーヌ河岸U-3 芸術の都パリ−画家たちの聖地巡礼
この時代、パリを一時的に旅した画家も少なくない。今回《パリ》が出展されている三宅克己は、国内の画壇ですでに名声を獲得し、大家といってもいい存在であった。
背景に日本の屏風のある《裸婦》を描いた田中保や《映画館》を描いた清水登之はアメリカで画家として名声を博していた。いずれもパリに行ったからといって、大きく絵が変わったわけではない。
また小野竹喬土田麦僊結城素明らは日本画家でありながらパリの街に遊んでいる。画家たる者一度は「芸術の都パリ」を見ておかねばならぬという思いが当時の美術界に広がっていたのだと思われる。

U-4 美術思潮の伝道者−留学生が見たエコール・ド・パリ
佐伯祐三:ロシアの少女この時代に急増した美術留学生は、次々と新しい美術思潮を持ち帰り、日本の美術界に新局面を切り開いた。ブラマンクの影響を受けた里見勝蔵、《ゴッホの墓》を描いた前田寛治や、新古典主義時代のピカソに影響を受けた伊原宇三郎、ドランの影響を受けた児島善三郎、ブラマンクに「このアカデミズム」と罵られ、ユトリロに影響を受けた佐伯祐三らの登場で、日本の美術界はフランスの美術界と同時代的に展開するようになったと考えられる。
佐伯祐三はパリに戻り、悲惨な状態で客死する。出展されている《門と広告》は1925年にパリの街を歩いて描いた画であるが、《ロシアの少女》を描いた1928年には結核のため外へ出て画を描くことは不可能になっていた。
熊岡美彦の《ロシアの女》も同一モデルではないかといわれている。熊岡や坂田一男は藤田嗣治と反目していたという。一方荻須高徳はパリで成功をおさめていた。このようにパリの日本人に中に大きな格差が生じていたようである。

U-5 古城の静寂の中で−齋藤豊作の交友圏
岡鹿之助:積雪この時代フランスに滞在した日本人画家の中には、エコール・ド・パリの喧噪から遠く離れて、沈黙を守り続けた画家「齋藤豊作」がいる。彼は二科会の創立に参加し、華やかな色彩の点描画法で「二科会の花」と賞賛されていたたが、1920年に再渡仏したまま、二度と日本に帰ることはなかった。“半農半画人”と称していた斎藤は、パリから西南に200キロほど離れたサルト県ヴェヌヴェルの村の15-16世紀に建てられたという古城に居を定めた。制作は続けたものの作品はほとんど発表せず、日本の美術界とも、フランスの美術界とも疎遠になっていった。
しかし彼のまわりには版画家の長谷川潔や洋画家の岡鹿之助、さらには大原コレクションの基礎を築いた児島虎次郎、将来を嘱望されながらもパリで急逝した板倉鼎など、この時代にフランスに滞在した重要な画家が集まっている。これら異郷に暮らす日本の画家たちに、斎藤は物心両面からの支援を惜しまなかったとのことである。


齋藤豊作:雪景色この齋藤豊作は越谷市の出身で、埼玉県立近代美術館と浅からぬ関係がある。今回の常設展に素晴らしい作品が展示されていた。《フランス風景U》のようなやや長めの点描は、《夕映えの流》で成熟している。中央に川が流れ、上方には牛が遊んでいる細長い画で、印象派とも通う素晴らしい作品である。日本に持ってきたとき半分に折ったという形跡が残っているとのこと。《朝》が2点出ていたが、これはもともと同一作品であったのであるが、今回90年ぶりに並んで展示されている。裏に有島生馬のサインがある。この美術館が最近購入した《にわか雨》は彼の晩年の作である。彼の遺族から贈られた最晩年の《装飾画(蓮と鯉)》はモネの画の日本版のように美しい。
彼の家は裕福な味噌商人で、日本で有島生馬の媒酌で結婚した女性カミーユ・サランソンはフランスの鉱山王の相続人であった。そのため齋藤豊作はこの時代フランスで非常に豊な生活を送ることができた例外的な画家であったのである。

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アルフォンス・ミュシャ展ー憧れのパリと祖国モラヴィア:日本橋高島屋

 

 チェコ国立モラヴィア・ギャラリー、ブルーノ・チェコ国立プラハ工芸美術館の所蔵作品。パリの作品とモラヴィアの作品の対照。

ミュシャ:西風とニンフ ミュシャ:心清き者は幸いである ミュシャ:モラヴィア教師合唱団

1.女性: 入ってすぐの《西風とニンフ》は油彩で、3連の衝立。後はリトグラフのポスター。サラ・ベルナールの《ジスモンダ》に再会。《春夏秋冬のシリーズ》、《宝石のシリーズ:トパーズ・ルビー・エメラルド・アメジスト》、《朝昼夕夜のシリーズ》がお気に入り。

2.ベルエポック:《酒の広告》などなど・・・似たような版画でちょっと飽きる。パリで広告デザイナーとして成功していることがよく分かる。

3:ミュシャの装飾デザイン:これは大したものだ。厚い本になっており、誰でも利用できるようになっている。

:祖国モラヴィア:1910年、50歳でチェコに帰る。第1次世界大戦、チェコ独立、ナチス占領という激動の時代。ポスターからパリの華やかさが消失し、田舎娘のような朴訥なポスターへと変貌を遂げる。《山上の垂訓のシリーズ》が良かった。

 

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謹賀新年2007:美術散歩

 

 Hokusai: Ebi/Guimet

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