謹賀新年 07.1 |
ミュシャ展 07.1 |
巴里憧憬ーエコール・ド・パリ 07.1 |
オルセー美術館展 07.1 |
マーオリ展 07.1 |
インドの細密画 07.1 |
中国の絵画「吉祥」 07.1 |
異邦人たちのパリ 07.2 |
シュルレアリスム展 07.3 |
レオナルド・ダヴィンチー天才の実像 07.3 |
シャガールーその愛のかけら 07.4 | 澁澤龍彦ー幻想美術館 07.4 |
ダリ展 07.4 |
ミュシャの夢 07.4 |
モネ展 07.4 |
ペルジーノ展 07.4 |
国立ロシア美術館展 07.4 |
モジリアニと妻ジャンヌの物語展 07.4 |
イタリア・ルネサンスの版画 07.5 |
目 次 ↑
イタリア・ルネサンスの版画 。出品作品は、チューリッヒ工科大学版画素描館のものが中心であるが、万代島美術館と西洋美術館からも出ていた。細かな版画の前に、暗い部屋の中、かなりの数の観客が、張り付くように観ておられるたのが印象的。 第1章 イタリアにおけるエングレーヴィングの誕生: お気に入りはマンテーニャ。なんといっても≪キリストの埋葬≫が素晴らしい。ポッライウオーロの《格闘する裸体の男性》も迫力があった。 第2章 ヴェネツィアの版画: デューラーの影響を受けたモンターニャやカンパニョーラなどのヴェネツィアの版画家。お気に入りはデューラーの≪大きな馬≫、カンパニョーラの≪洗礼者聖ヨハネ≫、ヤコーポ・デ・バルバリの≪ヴェネツィアの鳥瞰図≫。
第4章 新たな版画表現の追及: パルミジャニーノのエッチング・ドライポイント≪キリストの埋葬≫や≪恋人たち≫、ベッカフーミの木版≪金属の錬金術的属性についてー連作≫が出ており、ティツィアーノを原画とするブリットヤコルトの作品も沢山出ていた。 (2007.5a) ブログへ |
観にいってみると、予想とはまったく違った展覧会であることが分かった。 この展覧会の主役はジャンヌ・エビュテルヌであって、モジリアーニは脇役に過ぎない。彼女の家族との関り、少女時代、モジリアーニと知り合った1916年12月、彼女の画の進歩、ニースでの出産、そしてモジリアーニの病と死、最後に彼女の飛び降り自殺。これらが時代順に並んでいる会場を歩いていくと、ジャンヌが定めれれた運命に向かっていく止めようのない流れを、ひしひしと感じる。 ベチャクチャしゃべっていたオバサンたちも静かになり、二人の略歴を食い入るように読み出す。そしていつのまにか会場の雰囲気が違ってくる。しわぶき一つ聞こえない。いつか戦没画学生の無言館展で感じたあの雰囲気である。 ジャンヌを聖女のように描いたモジリアーニの画に混ざって、ジャンヌ自身の作品が沢山並んでいる。こんなコレクションがあったとはまったく知らなかった。お気に入りは《キモノの女性-母ウドクシの肖像》。 最後の「永遠の沈黙」の章は、今回の展覧会でなければ観られない迫真の作品群。ジャンヌの描いた《病床のモジリアーニT、U、V》、《眠るモジリアーニ》に続き、最後の4枚の水彩画が出てくる。 1枚目は、《レ・シャンソン誌のある室内》。この画には出征した兄「アンドレ」の写真と時計が見られ、ヴァニタス的な暗喩が感じられる 2枚目は、《モジリアーニとジャンヌ・エビュテルヌ、ニースにて》。これは母親と3人で戸外で食事をしている情景。テーブルには赤ワインはあるが、モジリアーニは喪服のような黒服、黒ネクタイ、そしてまったくの黒目。手を触れ合うジャンヌの顔や眼はモジリアーニとそっくりの描き方。そしてこのジャンヌを心配そうに、母親と黒猫が見つめている。テーブルの上のナイフが目立つのも不気味である。 3枚目は、《死》。戸口からは司祭のような黒い服装の男が入ってくる。入口や天窓の外は暗い「闇の世界」。扉の内側と床の上には血のような赤のカーペット。そしてジャンヌが1人ベットに横たわっている。彼女の隣には誰もいない。これが「現実の世界」。そして鏡がある。これに映っている情景は明るい室内だけ。これは空想の「光の世界」である。 4枚目は《自殺》。胸を刺したナイフがまだ右手に握られている。胸からは出血、髪も変色。血が飛び散っているのかもしれない。お腹が妊娠しているように膨らんでいる。両手や背中がチアノーゼに変わっており、彼女の最期が近いことを表している。 モジリアーニが死んで、ジャンヌが飛び降り自殺するまでの間は、とても画を描ける状態ではなかったとされている。そうするとこれは、モジリアーニが病院に運ばれ、翌日死亡するまでの間に描かれたのであろうか。展覧会の最後には、ジャンヌの遺髪が飾られていた。豊かで、輝くばかりの美しい髪であった。 (2007.4a) ブログへ |
本日が初日。東京都美術館で観てきた。とても内容が良く、お勧めの展覧会である。 初日のイベントとして国立ロシア美術館のウラミジール・グーゼフ館長の講演会があったので、聴講した。9世紀の宗教画すなわちイコンから、シャガール・カンジンスキー・マレーヴィッチのような20世紀美術に到るまでの滔々たる「ロシア美術史」の講義で、国立ロシア美術館の入れ込み方が伝わってきた。 展覧会は、1.古典主義、2.ロマン主義、3.リアリズム、4.転換期の4章に分けて展示されているが、有名画家の大作が揃っている。今回のベストはなんといってもアイヴァゾフスキーの《アイヤ岬の嵐》。この大作の前で足を止めて動かない観客が多かった。画像の《月夜》や《天地創造》も良かった。 もう一つ印象深かったのは、ニコライ・ボグダノフ=ベリスキーの《教室の入口》と再会したことである。学校に行けない貧しい少年が教室を覗いている作品。画家の少年期の記憶が重なっているとの説明があった。この画を2003年に小樽のペテルブルグ美術館で「国立ロシア美術館100年記念展」で観た時の強いショックがよみがえって来た。有名なレーピンの作品も沢山あった。 (2007.4a) ブログへ |
ペルジーノはラファエロの父「ジョヴァンニ・サンティ」から『レオナルドとならぶ神のごとき画家』と呼ばれ、事実ラファエロに深い影響を与えた画家である。またシスティーナ礼拝堂の壁画をボッチチェリ、ギルランダイオらとともに描いたことでも知られている。ペルジーノの評価は少なくともわが国ではいま一つであるが、イタリアでは最近その再評価が進んでいる。 1昨年、ペルージャの国立ウンブリア美術館を訪れる機会があった。その記事はホームページに書いたが、そこでペルジーノの作品に沢山お目にかかった。今回の展覧会の大部分は、この国立ウンブリア美術館から来ているものである。早速現地で買ってきたガイド・ブックを出してみたところ、そこの名品が揃って来日していることが分かった。 全体で45点と数が少ないので、のびのびと展示されており、丁寧な解説パネルがいくつも掲げられている。 T.ウンブリア派の絵画: ウンブリア派の絵画は、@明るい色彩、A親しみやすい優雅な人物、B建築モチーフの正確な線遠近法、Cシンメトリーやバランスを配慮したデザイン的な構図を特徴としている。 ペルジーノ以前のウンブリア派の画家のなかでは、ベネデット・ボンフィーリの4枚の天使像が印象的である。それぞれにキリストが磔刑に処せられるまでの釘・釘抜き・金槌・槍・葦・柱・鞭・衣などを持っている。天使の悲しそうな表情が心に残る。 1473年の工房の作であるが《ジョヴァンニ・アントニオ・ペトラツイ・ダ・リエーティの娘の潰瘍を治す聖ベルナディーノ》はピエロ・サンタゴスティーノ聖堂の多翼祭壇画の一部であるとの解説があった。これほどバランスのとれた画がこの時代に存在していたのは脅威である。ピエロ・デル・フランチェスカの影響があるような気もする。 U.1470年代スタイルの形成: 1450年ごろにペルージャに生まれたペルジーノは10代後半にペルージャからフィレンツェに移り、ベロッキオの工房で古典的絵画の勉強をしている。 今回のポスターになっている《聖母子と二天使、鞭打ち苦行者同心会の会員たち(慰めの聖母)》は堂々とした板絵で、この展覧会の白眉である。この画はペルジーノの真筆であることが証明されているとはっきり書かれていた。いかにも優しいマリアが、美しい色彩で描かれている。 《聖母子と天使、聖フランチェスコ、聖ナルディーノ、聖ベルナルディーノ、信心会の会員たち》は大きな油彩で、これも素晴らしい。 V.1480年代 大事業への抜擢: システィーナ礼拝堂の壁画制作は1480-82年ごろに、ペルジーノに委託されたものである。彼自身が描いた壁画のパネルが掲げられている。 W.1490年代からの最盛期: このころのペルジーノは、@物静かな高貴な人物像、A調和に満ちた田園風景、B小道具や背景を最小限に抑えたシンプルな構図、C正確な遠近法と描写力を特徴としている。フィレンツェの政情不安から、いったんペルージャに戻って仕事をした。 1496年から1500年にかけてペルージャのサンン・ピエトロ大修道院のために制作された多翼祭壇画の裾絵(プレデッラ)が3点出ていた。 《ピエタのキリスト》はペルージャの宮殿の祭壇画の頂画(チマーザ)として描かれたもので今回の出品作の中で重要なものである。祭壇画の中央パネルはナポレオン軍によって1797年にパリに運ばれ、その際ドメニコ・ガルビによって制作された模作がペルージャに残され、今回出品されているのである。中央パネルは1896年に教皇に返還されたが、ペルージャには戻されず、ヴァチカンに残ったとのこと。 X.1500-1523年 晩年: 彼は、ペルージャとフィレンツェの両地に工房を持ち、同じ主題で依頼されるがままに制作したので評価が下がったとのことである。確かに今回出品されているこの時代のものには力強さが感じられない。 サンタ・マリア・デイ・セルヴィ・ポルタ・ソーレ聖堂のために制作された祭壇画の裾絵3点、サンタゴスティーノ聖堂のための祭壇画の裾絵が12点出ていた。後者は、2004年に国立ウンブリア美術館でペルージア展が開かれた際に、あちこちに散在している画を集めて再構成しており、今回その再構成写真のパネルを観ることができた。 Y.ペルジーノ派とラファエロ、ピントリッキオ: ピントリッキオは早くからペルジーノと一緒に仕事をしていたようである。今回は2点出品されていた。 ラファエロは1498年ごろペルジーノに弟子入りをしており、その影響を受けている。今回出展されている《書物の聖母》は、赤外線写真でラファエロの下絵に基づいて、若かりし頃ペルジーノの工房でともに過ごした画家が描いたものと推定されている。 ジュッセッペ・チェーザリの《キリストの埋葬》が出ていたが、これは現在ボルゲーゼ美術館にあるラファエロの画の忠実な模写である。ラファエロの画はもともとペルージャのサン・フランチェスコ・アル・プラート聖堂内のバリオーニ礼拝堂のために描かれたものであったが、枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼの密使によって盗まれ、その代わりにこの模作がローマからペルージャに送られてきたとのことである。 (2007.4a) ブログへ |
この展覧会の章立ては、時代・画法・対象が入り乱れたものとなっているのでいささか困惑するが、一応この章立てに従って感想を書いてみる。 第1章 近代生活 第2章 印象 「階調」に関しては、西洋人として初めて白色のなかに微妙な色彩の階調を見出し、とりわけ雪という素材を描いた。有名な《カササギ》のほか、《ヴェトゥイユの教会》が良かった。「色彩」については、モネは黒色や暗色を極力排除し、絵具をパレット上で混ぜずに点描によって描いた。見たものが視覚のなかでその色を混合させるようにしたのである。 展示品の中ではワシントンの《アルジャントゥイユのモネの庭》とオルセーの《ジヴェルニーのモネの庭、アイリス》が良かった。
第3章 構図
第4章 連作
第5章 庭園
第6章 綜合
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大阪港のサントリー・ミュージアムで開かれているこの展覧会は、昨年上野で開かれたダリ展が巡回しているものでない。今回は、絵画だけでなく、オブジェや写真、さらには手稿などがたくさん展示されていて結構楽しめた。
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大作《ハーモニー》には驚く。ニューヨークでドイツ劇場を飾る三部作の一つとして制作されながら、そこには掲げられなかったという作品である。この画は左側に希望・平和・富裕、右に絶望・戦争。貧困を表す群像が描かれ、その背景には民族の連帯を象徴する女神が大きく手を広げている。《クォ・ヴァディス》という大きな作品もアメリカ時代のものである。
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澁澤龍彦(1928-1987)は、フランス文学の世界では、マルキ・ド・サドなどの翻訳者として有名であるが、彼は既存の美術史の枠にとらわれることなく、マニエリスムの時代から世紀末美術、象徴派、シュルレアリスム、さらに同時代の日本人アーティストまで、多くの美術家を紹介した。この展覧会では澁澤が紹介した美術家の作品を全国から集めて展示している。 この展覧会のもう一つの側面は、1960年代に澁澤の周囲に集まった文学や演劇、美術の先鋭たちのジャンルを超えた交流について詳しく紹介していることである。 この「没後20周年記念展覧会」は、上記の二つの側面を併せ持つユニークな企画である。 ■T−1 昭和の少年・・・澁澤龍彦自作の《デッサン》が出ている。本人はこれは「ウミネコの王」といっていたとのこと。細江英公の《澁澤龍彦(知人の肖像より)》の写真が良い。 ■T−2 戦後の体験・・・マン・レイの写真が2点。このうち《アンドレ・ブルトン》は、卓越したソラリゼーション技法によって顔の辺縁が強調されており、印象的である。もう一つの《ジャン・コクトーの肖像》も良い。 ■T−3 サド復活まで・・・マン・レイの《サド侯爵の架空の肖像》は実際にブロンズ像まで作ってしまうのだからお見事。ハンス・ベルメールのエッチングが3点。このうち《ソドムの百二十日》は女性が用を足しているところ。サドの《不運ゆえの過ち》からとられたダリの《アレゴリー》はチェーンに縛られた男の身体を這う沢山の蟻。細江英公の写真は、《薔薇刑》が2点と《由比ガ浜で矢川澄子とコイコイをする澁澤龍彦》である。こういったSMアートは好きになれない。 第U室:1960年代の活動 ■U−1 美術家との出会い・・・加藤光於、瀧口修造、野中ユリたちのエッチングや水彩が出品されている。 ■U−2 土方巽と暗黒舞踊・・・横尾忠則の《暗黒舞踏派提携記念公園「バラ色ダンス」》のシルクスクリーンはフォンテンブロー派の裸の姉妹が乳頭をつまんでいる画≪ガブリエル・デストレ》をとりこんだポスターである。細江英公のパネル《バラ色ダンス》では、女装の 土方巽と大野一雄が抱き合って踊っている。 ■U−3 さまざまな交友・・・谷川晃一、中村宏、池田満寿夫、宇野亞喜良、合田佐和子、横尾忠則、細江英公の作品が並んでいる。 第V室:もう一つの西洋美術史 ■V−1 マニエリスムの系譜・・・アルチンボルドの《ウェイター》、デューラーの黙示録木版画《4人の騎者》と《小羊の前の選ばれし者たち》、パルミジャニーノの《キリストの埋葬》、ピーテル・ブルーゲルの《二隻のガレー船と軍艦》、ジャック・カロの《聖アントワーヌの誘惑》などの傑作はいずれも見応えがある。 ジャックーファビアン・ゴーティエータゴティという作家のメゾティントは始めて見たが、《男性・背面》の構図の面白さにに驚いた。これは背面から見た正中断面の人体解剖図であるが、本当に良く描けている。現在のMRI画像に匹敵する。その脇に心臓の画が正面と背面、それぞれ外観と割面が描かれていたが、その正確さは脱帽ものである。 ピラネージのエッチングが2点、ゴヤのエッチングが3点出ていたが、いずれも面白かった。 ■V−2 19世紀の黒い幻想・・・ルドンの作品が4点出ていたが、油彩《ペガサスにのるミューズ》とパステル《聖セバスチャン》が素晴らしい。とくに後者の青が印象的だった。 ギュスターヴ・モローが4点出ていた。水彩《救済される聖セバスチャン》の他、お馴染みの《出現》、《ダヴィデ》、《ユピテルとセメレー》のエッチングも良かった。 クリンガーの《手袋》やビアスリーの《サロメ》もお馴染み。アンソールのエッチングが2点出ていた。 ■W−1 エルンストにはじまる・・・エルンストが9点、ダリが7点、デュシャン1点、ピカソ3点、クレー3点、イヴ・タンギー4点、マグリット4点など、シュルレアリスムのオンパレードである。 ■W−2 傍系シュルレアリストたち・・・デルヴォーの油彩《夜の通り》と《森》はさすがに迫力がある。 ハンス・ベルメール6点、バルチュス3点、レオノール・フィニ2点、マックス・ワルター・スワンベリ7点、ピエール・モリニエ6点が出ていた。 エッシャーの《婚姻の絆》は、リンゴの皮向きのような一筆書きの帯で男女の顔を描いた画。途中で帯が一回くぐっているのがミソのようだ。今年生誕300年を迎える数学者オイラーが見つけた一筆書きの図形の条件と関係がある? 第X室:日本のエロスと幻想 ■X−1 血と薔薇のころ・・・ボナ・ド・マンディアルグ、ロラン・とポール、奈良原一高、伊藤晴雨、佐伯俊男の作品が出ていたが、残念ながらあまりお馴染みのない作家たちである。 ■X−2 青木画廊とその後・・・藤野一友の《夜》は、人間の顔が手になっている。横尾龍彦、金子国義、高松潤一郎、川井昭一、城景都などが続く。 そのなかで四谷シモンの《未来と過去のイヴ8》は金髪の裸体人形、秋吉轡の《天使たちの島》はボスそっくりの画だった。 このなかに加山又造の裸婦のドローイング3点が入っていたのは不思議だった。この時代には、日本画家の裸婦スケッチは異常であると考えられていたのであろうか。 第Y室:旅・博物誌・ノスタルジア ■Y−1 ヨーロッパ旅行・・・初めての海外旅行が1970年というのはいかにも遅い感じがする。一緒に旅をした川田喜久治の写真が10点、ピラネージのエッチングが1点、細江英公の写真《サグラダ・ファミリア》が2点、そして堀内誠一の《フランスからの絵手紙》が出ていた。 ■Y−2 博物誌への愛・・・澁澤龍彦は貝殻などいろいろなものを蒐集している。このような博物にかかわるの作品が沢山出品されていた。有名作家のものとしては、加山又造の版画《玉虫》、《かみきり》、《鍬がた》、ダリのブロンズ《犀》があげられる。 ■Y−3 日本美術を見る目・・・伊藤若冲の《付喪神図》は、永らく使った茶道具が妖怪に変身するという変わった画。酒井抱一の《春七草》と《秋七草》はとくに幻想的とはいえないが・・・。葛飾北斎や河鍋暁斎の画ははいかにも風変わりな画である。 ■Y−4 ノスタルジア・・・ここに出品されているものは多彩である。お気に入りは、合田佐和子の《クリスタルの涙》、マン・レイの《カトリーヌ・ドヌーヴ》、ワイエスの《とうもろこしの茎と手押し車》。 第Z室:高丘親王の航海 ■Z−1 ひそやかな晩年・・・細江英公の写真《土方巽の葬儀写真》や篠山紀信写真《澁澤龍彦邸の時間と空間》によって、彼の晩年の様子を知ることができる。 ■Z−2 最後の旅・・・彼の最後の小説となった「高丘親王航海記」の自筆原稿と自筆地図が目をひく。 友人たちのレクイエムやオマージュが並んでおり、金色と白に輝く四谷シモンの《天使ー澁澤龍彦に捧ぐ》が展覧会の棹尾を飾っていた。 (2007.4a) ブログへ |
久し振りに宇都宮美術館に出かけた。前回はスーラ展、2002年8月のことである。今回も新幹線を使わずに行ったので往復6時間かかった。展覧会は女性に人気のあるシャガール。花冷えの中ではあるが、結構混んでいた。 第1章: 1887-1914 ヴィテブスク⇔パリ: 現在のベラルーシュのヴィテヴスクで120年前に生まれたユダヤ人画家。画を描くためにパリへ出て、モンマルトルに住み、いろいろな表現を学んだが、結局故郷を想った画にたどり着く。 ■《村の祭り》・・・初期の画は暗い。祭りといっても小さな棺を担ぎ、うなだれた人々の行進が画の中央に描かれている。行進の中には子供の姿もある。ピエロが倒れている。そうするとお祭りの日に亡くなった子供の葬列なのであろう。 ■《妹の顔》・・・これも暗い画である。机の上に乗っているものから見るとこれは食堂の粗末な机。羽根ペンで書き込んだ手帳をこちらに向けているが、何が書き込まれているのであろうか。 ■《ランプのある静物》・・・ランプと敷物の色彩が鮮やかである。ユダヤ教で安息日ごとに燈されているランプは、旧約聖書「創世記」の「神が光と闇を分けた」の光の象徴であり、ヴィテヴスクで信じられていた神秘主義的なユダヤ教の一派「ハシディズム」では光はアダム、闇はイヴとされていたという。 ■《静物》・・・キュビスムの影響がみられる。 ■《パイプを持つ男》・・・これもキュビスム的で、パイプはピストルのように見える、その裏面の静物はキュビスムそのものである。 ■《空飛ぶ牛》・・暗い闇を馬小屋に向かって飛んでかえってくる馬のお腹の中には逆立ちした子馬。明るい地上には横たわる女性。この女性も妊娠しているのだろうか。 第2章: 1914-1941 ヴィテブスク⇔パリ: ヴィテブスクに一時的に戻っていた際に、第一次大戦が勃発し、8年間ロシアを出られなくなった。その間、ベラと結婚、彼女ばかりを描いた。パリに戻った後は、ベラとパリの街を描くことが多かった。第二次大戦が始まり、ユダヤ人迫害が始まったため、アメリカに亡命した。この章には、家族を描いた画が沢山出品されている。 ■《世界の外へどこへでも》・・・頭が二つに切られ上部は赤く、下部は身体を含め青い肖像。これはシャガールが革命後校長となったヴィテヴスク美術学校で反目しあったマレーヴィッチの肖像である。この画には靴で何度も踏みつけた跡が残っている。シャガールは激しい。この問題のためにシャガールは再びパリに行くことになった。 ■《二重肖像》・・・フォーマルな花嫁と画家。名古屋市美術館蔵の人気作品。《二つの花束》・・・埼玉県立近代美術館の人気作品。《予言》・・・新婚のベラに、飛んできて花束を渡している鶏の頭の青年。鶏の頭は贖罪の象徴。 第3章: 1941-48 パリ⇔ニューヨーク: つらい運命を背負ったユダヤ人を沢山描いた。ベラが死に、しばらしく画を描くことができなかった。戦後、彼はパリに戻った。 ■《軽業師》・・赤いサーカスの舞台には、贖罪の象徴である鶏の頭を持つ緑と青の衣装をつけた人間が大きく描かれ、その腕にはダリの「柔らかな時計」がみられる。 ■《青い恋人たち》・・・ベラの死を告げるような陰鬱な色彩。このような青はホロコーストという犯罪を犯した世界に対する悲しみをも表しているようだ。三日月の黄色が半分脱落しているが、これは今回並んで展示されているエスキースでも同様であり、これがシャガールによって意図されたものであることが分かる。 第4章: 1948-85 サン=ポール=ヴァンス: 新しい恋人ヴァヴァと結婚し、力強い画を描いた。世界中を旅した後、南仏のサン=ポール=ヴァンスに定住し、97歳で亡くなるまで画を描いた。 ■《枝》・・・花束に囲まれて抱き合う二人。全体は青い色調だが、太陽や花の色が明るくなっている。 ■《聖書》・・・聖書のいろいろな場面が描かれたエッチング。非常に丁寧に描かれている。 ■《出エジプト記》・・・モーゼの物語を追った彩色エッチング。説得力のある版画である。 ■《ダフニスとクロエ》・・・美しい彩色リトグラフ。 ■《パリの空に花》・・・パリの空を飛ぶ二人と大きな花。北海道立近代美術館所蔵の名作。対角線で生と死の色彩が分かれている。 ■《騎士》・・淋しい青を主体とする騎士に僅かに太陽の光が当たる。大勢の群集がこれを見送っている。 ■《黄色と赤の花束》・・・青い背景の中の二人と花の黄色と赤のコントラストが著しい ■《サーカス》・・・有名なエッチング。 ■《そして頭上には》・・・空爆を描いたエッチング。見るも無残な版画の連作である。 ■《回想》・・・黄(ヴィテヴスクの幼年時代)、緑(花の時代)、青(暗いパリの時代)、赤(新婚時のヴィテヴスク時代)の4つに区分されたシャガールの人生の大団円である。 その他に、《トーラー》・・・羊皮紙にインクで書いたヘブライ語のモーゼ五書、《トーラーの装飾具》・・・銀製、中央に石板があり、その左右にケルビムが舞っている、《割礼器具》・・・メス、包皮牽引器、ワイングラス(鎮静のためにワインを与えるとのこと)なども展示されていた。シャガールのバックボーンであるハシディズムという異端ユダヤ教に関するものである。 (2007.4a) ブログへ |
レオナルドの《受胎告知》がフィレンツェから来た。イタリアでは日本に移送することに反対もあったという。また大層な保険金をかけてきたともいう。初日から入館者が並んでいるとの報道もあった。ちょっと警戒していたが、今日の日曜日は雨。「これは空いているのでは・・・」と、上野に出かけた。 着いてみると、やはり「待ち時間0」。うまくいった。金属探知機のゲートがあったが、どうもこれはフェイクらしい。飛行機と同じと思って、小銭入れと鍵束をゲートをくぐらない荷物のほうに入れると、係りの女性曰く「一つだけでもいいのですよ」。これはナンジャ。さらに荷物のほうもX線検査している様子はない。 第1会場は、東博の本館一階中央の部屋。波形の障壁の間を次第に下りて、《受胎告知》へと近づいていく仕組み。空いているので2段目に立ち止まってゆっくりと観ることができた。ここからだとガラスの反射はまったく感じない。この画は右側から観るように描かれているとのことで、ちょっと右側に寄って観る。単眼鏡を使って詳細に観る。ウィフィッツィ美術館でもこの画を観ているが、もちろんこれほど時間をかけて観ていない。したがって今回は沢山の発見があった。 満足して、今度は最前列で観る。ここは並んでいくが、それほどの待ち時間ではない。近くに来るとやはり「大きい」!さらに詳細な点に気づく。この最前列では、ガラスに光が反射するが、観にくいというほどではなかった。 レオナルドの《受胎告知》はこのように細部には非常に行き届いているが、全体としてはバランスの悪い画である。右手が長すぎることにしても、右下から観るように描かれているからだとの説が急にでてきているようであるが、本当だろうか。この時期のレオナルドまで神格化しないで、素直に見た方が良いと思う。 いろいろな画家の《受胎告知》を観てきたが、この画より数段巧い《受胎告知》が少なくない。 平成館の第2会場は、かなり混んでいた。いろいろな展示を限られたスペースに詰め込みすぎているので、なんとなく集中できない。平成館の半分しか使っていないが、これはやはり両側を使ったゆったりとした環境で見たかった。 その中で、記憶に残っているのは、スフォルファの騎馬像の大きさ、天文時計の美しさ、伝レオナルド・ダ・ヴィンチの《若いキリスト》のテラコッタ像などである。 この彫像について、もうすこし詳しい説明が欲しかった。 (2007.3a) ブログへ
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埼玉県立近代美術館、岡崎市美術博物館、山梨県立美術館、宮崎県立美術館、姫路市立美術館などの国内美術館が所蔵しているシュルレリアリズム絵画を集めて展示し、それぞれの巡回しようという企画。 地方にこれだけの作品、があるという事実に驚く。バブルの遺産なのだろう。
序章: ようこそシュルレアリスムの世界へ この章には、デュシャン、アルプ、マン・レイの作品が多い。マン・レイの《ガラスの涙》は強調された睫毛と涙が印象的。《アンドレ・ブルトン》はソラリゼーション技術を使って輪郭線を強調している ピカビア《イオ》は、彼の得意な「透明の絵画」で美しい。デ・キリコの 《イタリア広場》が2点出ていたが、諸橋近代美術館蔵の1914年の作品は静謐さを湛えている。宮崎県立美術館の1970年代の作品は自己コピー作品で、迫力がない。 第1章: 意識を超えて この章には、エルンスト、アンドレ・マッソン、イヴ・タンギー、ダリ、マン・レイの作品が多い。自己記述・オートマティズムの作品としてまとめているようだ。 好感度作品としては、エルンストの《風景》は、色彩の目立つデカルコマニー。アンドレ・マッソンの《ジェネシスI(起源)》も良い。 ダリの《ダンス(ロックンロールの七つの芸術)》は動く肢体が一つの画面にフリーズされている素晴らしい作品。 同じくダリの《反プロトン的聖母被昇天》は、レオナルド・ダ・ヴィンチの《岩窟の聖母》をもじった作品であるが、原爆投下の悲劇に触発され描かれたものである。 ガラが聖母にも天使にも変身している。諸橋近代美術館蔵のこの画を観られただけでもこの展覧会にきた甲斐があった。 第2章: 心の闇 ポール・デルヴォーの 《水のニンフ(セイレン) 1937》、《森 1948》、《海は近い 1965》、《立てる女 1954-56》、《女神 1954-56》、《乙女達の行進 1954-56》は、いずれも素晴らしいが、特に最後の三点は今まで観てきたデルヴォーと違い、明るく、伸びやかな作品でお気に入りである。いずれも姫路市立美術館蔵。マン・レイ《思考に対する物質の優位》は、複雑に手を加えた裸婦像で、エロスの優位性が感じられる。 ヴィクトル・ブローネルの《誕生の球体》は不思議な幻想作品。片目の視力を失った画家の眼球再生の願望とこれを妨げる悪魔のせめぎあいが眼球のなかに閉じ込められている。 第3章: 夢の遠近法 ルネ・マグリットの作品が中心である。 《ジョルジェット 1935》、 《人間嫌いたち 1942》、 《観光案内人 1947》、《現実の感覚 1963》、 《幕の宮殿 1964》、《宝石 1966−67》、 《白紙委任状 1966》 が出展されていたが、ポスターになっている《現実の感覚》がもっとも迫力があった。浮遊しているのは岩だけでなく、宇宙全体が根無し草のようなものだという感覚は共感できた。 レオノーラ・キャリントンには久し振りでお目にかかった。1997年にステーション・ギャラリーで開かれた「キャリントン展」で見て以来である。今回は《ベッド・ルーム》と《狩猟》である。いずれも女性らしい繊細な感覚の画であるが、個人的には前者のほうが良かった。 第4章: 無垢なるイメージを求めて クレーの《歩く女》は麻布という素材を生かした画で、心に響くものがあった。ミロの作品が沢山出ていた。いずれも良品であるが、絵巻物したてになっている《マキモノ》が面白かった。ロベルト・マッタの《吸引の芽》も好感の持てる画だった、 (付記1) 常設展の中に、「靉嘔の特集展示」があった。題して、「アーティスト・プロジェクト−靉嘔 AY-O:感覚のスペクトル」。渡米前の初期の作品、渡米後のエンバイラメント、有名なレインボー作品。さらにこれを発展させた触覚芸術やオブジェクトも楽しむことが出来た。 (付記2) 常設展の中には、「ルフィーノ・タマヨの版画展示」もあった。前後期合わせて20点ということで、今回は10点。メキシコの明るい光景が伝わってくる。とても柔らかな感覚な作品たちである。 (2007.3a) ブログへ
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国立新博物館には初めて中に入った。地下鉄からすぐに入れるところは良い。建物は黒川紀章の作品。波形の前面、三角形の入口、3階までの吹き抜け空間。国際フォーラムと同様にガラスで囲まれており、冬は良いが、夏は冷房費でパンクしそう。 閑話休題。これはこの美術館の開館記念展である。すべがポンピドー・センターからの借り物。情けないがこれが所蔵品皆無のThe National Art Center, Tokyo の現状であるから致しかたない。 展覧会のテーマは、各時代に「異邦人アーチスト」がパリの空気を吸いながら活躍したということであろうが、作品を観ているとそれぞれの作者の出自はほとんど気にならない。パリはそれほどに文化的国際都市なのか、あるいはアートというものはもともと国境を越えたものであるのか。おそらく両者とも正しいのだろう。 内容は4部に別れている。写真も沢山出ていたが、マンレイの《黒と白》のような有名作品以外はほとんどパス。 1.モンマルトルからモンパルナスへ: エコール・ド・パリの画家たちの作品。 ■フジタ《パリの私の部屋》・・・同名の作品が2点並んで出ていたが、いずれも衒いがない。きっちりと描かれた中に個性が出ている。 ■キスリング《若いポーランド娘》・・・眼の大きなお淑やかな黒髪の女性、バラの模様のある赤いショールがきれい。 ■ドンゲン《スペインのショール》・・・ケープの花模様が細かく、それでいて鮮やかな色で描かれている。情熱的なスペインの色。羽織っている女性も情熱的! ■シャガール《緑の自画像》・・・洋服と背景の黄緑色が素晴らしい。ビテブスクの草原の色か。一見ちょっと女性的なシャガール。 ■シャガール《戦争》・・・子供を抱きすくめている母親の髪が逆立ち、馬車に荷物を積んで逃げ出す老人、その間に仰向けに倒れている人間。戦火や銃は描かれておらず、戦争の犠牲となる無辜の民だけが描かれている。 ■シャガール《エッフェル塔の新郎新婦》・・・ポスターの画。大きな白い鶏に寄りかかる新婦ベラと新郎シャガール、背景には青いエッフェル塔、周囲には二人を祝福する天使たち。幸福そのものの画である。 ■ピカソ《坐せる裸婦》・・・軟らかなタッチの、ばら色時代の画。淋しそうな女性だが、こういうピカソが好きだ。 ■ジャコメッティ《テーブル》・・浮いている少女と、テーブルの上に切断された手、つま先立ったようなテーブルの脚・・何とも不思議でシュールな彫刻。ジャコメッティの作品ではめずらしいタイプ。 ■エルンスト《フランスの庭園》・・今まで観たエルンストの画は意味不明のシュールだったが、この画には人間がしっかりとえがかれており、意味が分かりそうな気がしないでもない。でも説明してくれといわれると困るが・・・。 ■モディリアーニ、スーチンなどにも良いものが多かった。
2.外から来た抽象美術: 第二次大戦後、アメリカ・ヨーロッパ・アジアから入ってきたアート。幾何学的表現主義からキネティック・アートへの流れ。アメリカの抽象的表現主義とは大分違う。 ■ヘセス=ラファエル・ソト《開かれた空間》・・吊り下げた細い針金を利用した面白い錯視アート。背景の画との交錯でこのような効果が得られるのである。とても良い体験だった。 ■ヴィクトーレ・ヴァザルリ《夢》・・・画面が沢山の正方形に分割されているが、その四角形が少しずつずれていて、光線の反射の具合が違ってみえる平面的だが錯視的なオプティカルアート。 ■カルロス・クルス・ティエス《フィジクロミー501》・・・。キネティシスムというのだそうだが、この部屋にはこんな感じの錯視的な画が並んでいて面白かった。観衆も一番多かったのではないか。 ■ドローネーの美しい色やカンディンスキーの音の響きはいつものように楽しめた。
3.パリにおける具象革命: ■マック《無秩序の威力》・・分かりそうで分からない内容の凹面状の大きな画。異次元の世界に連れてこられたような感じであるが、こんな穏やかな世界なら、訳が分からないなりに何とか暮らしていけそう。 ■アイスランド出身の画家エロの《モンマルトル》や《サンマルコの毛沢東》などはよく分かる。それなりに穏やかな具象画である。パリにおけるこのような具象への回帰は新鮮に感じられた。
4.マルチカルチャーの都: この群にはあまり訴えてくるものはなかった。ビデオ・アートが沢山出ていたが、これは時間のある人向き。もっともこれは自分がこのようなアートに慣れていないことの言い訳。 全体としていえば、20世紀美術の多面性を俯瞰する良い展覧会だった。個人的にはエコール・ドパリの作品と錯視的な作品がもっとも好感が持てた。写真やビデオ・アートはこれからの自分の課題である。 (2007.2a) ブログへ
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東山御物となっている南宋(13世紀)の《梅花双雀図》から中華民国元年(1912)の《牡丹図》までおめでたい画題の画が沢山陳列されていた。画題の勉強になる。
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ムガル王朝時代(15−19世紀)の細密画は有名である。今回50点を前期・後期に分けて陳列してあるが、わたしの観たのは後期である。主題はマハーバラタやラーマヤナといった神話、ヒンドゥー世界のシヴァ神やヴィシュヌ神、王・恋・動物・音楽などさまざまである。
お気に入りの画像を3枚アップする。
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マ-オリとは、アオテアロア(ニュージーランド)先住民である。アオテアロアとは「白く長い雲がたなびく地」という意味で、最初のこの地を発見した伝説上の航海者クペの妻がこの島々を指して呼んだとされ、「ニュージーランド」と並ぶ正式な国名となっている。 今回の展覧会は、昨年で開かれた東京国立博物館展がニュージーランド国立美術館テ・パパ・トンガレワとの交換展である。平成館の半分を占めている展覧会なのでかなり大規模なものだ。 会場に入ると大きなポウナム(グリーンストーン)があり、その上に手を置くようになっている。そして大きなワカ(カヌー)やパータカ(倉庫)の羽目板が陳列されている。これらの板には具象・抽象の模様が彫りこまれている。文字を持たないマオリ人にとっては彫刻が歴史を伝えているのであった。留金としては貝殻が使われているものが多く、海洋民族の文化であることが見てとれる。ペンダントや釣り針も美しい。 武器や楽器にも彫刻がついている。自分たちの顔の刺青も彫刻ととらえているようである。女性の刺青はさすがに口の周りだけであるが、男性のそれは顔面全体である。キューイの羽根だけで作った衣装はとてもきれいだった。彫刻の中に男性器をおおっぴらに出したものがあって驚いた。 (2007.1a) ブログへ |
オルセー展は何回も観ている。このホームページのサイト内検索をしてみると、96年1月に「モデルニテ パリの誕生」、99年9月に「19世紀の夢と現実」が出てきた。したがって今回の「19世紀 芸術家たちの楽園」は久し振りということになる。チラシには、この3展覧会は「オルセー美術館展3部作(トリロジー)」と書かれている。 今回の目玉は、ゴッホの《アルルのゴッホの寝室》やゴーギャンの《黄色いキリストのある自画像》などであるが、それ以外にも、素晴らしい作品が目白押しである。現地で観た作品もあるが、大分前なので再会も楽しい。大きく5群に分類されていたので、それに沿ってお気に入りの作品に一言コメントを付けることとする。
T.親密な時間: 画家の家族あるいは親しい人との関係で生まれた作品群。
上記の他にヴァロットンの《ボール》が良かった。サッカーボールではなく赤いボールに向かって走っている少女の後姿が明るい光の中に浮かび上がっている。モリゾ《ゆりかご》、モネ《アパルトマンの一隅》、ルドン《セーラー服のアリ・ルドン》など子供を描いた作品にはそれぞれに愛情のこもった画家の眼差しが感じられる。 U.特別な場所: 風景画のグループ。
マネの《ブローニュー港の月光》はちょっとおどろおどろしい。モネの《アルジャントゥイユの船着場》は木立の陰と木漏れ日の交錯が美しい。スーラの《ポール=タン=ベッサンの外港、満潮》はシニャックに勧められて描いたっもの。 写真では、スタイケンの《月光・池》と《谷への道、月光》は闇のなかにかすかに見える光、アヴィランドの《ニューヨーク、夜》は靄による遠近法、スティーグリッツの《希望の都市》は煙の効果、タールマンの《エッフェル塔に向かう4人の男》は影絵のような黒が良く表現されている。 V.はるか彼方へ: 旅の記録のグループ
ボナールの《水の戯れ、旅》はタピスリー風の画で船からは海の魔物や中国人は見え、その向こうに旅人が目指す町が見える。ゴッホの《アルルのゴッホの寝室》はあまりにも有名。元来松方コレクションにあったものだが、講和条約でフランスに留まることになってしまった悔しい画。展示されているセザンヌの《サント=ヴィクトワール山》はとても美しい。ゾラとの少年時代の思い出が込められているそうだ。ゴーガンの《黄色いキリストのある自画像》は鏡を見て描いているためキリストの向きが逆である。グロテスクな壷はゴーギャンと似ており、彼の顔はそちら側を向いている。タヒチに出発する前の心境の表れなのだろう。 イスラム風や中国風の陶器も出品されていたが、オルセーのどこに飾られているのだろうか。 W. 芸術家の世界: 画家の友人やモデルたち
ルノワールの描いた《バジールの肖像》が丁寧で好感が持てる。背景にモネの《雪景色》が見えるが、これはルノワールのモネに対する敬愛の表れ。 セザンヌの《ギュスターヴ・ジェフロワ》も背景を含めしっかりと描かれている。
今回の展覧会ではこの章が一番面白かった。ルドンの《キャリパンの眠り》はシェークスピアの「テンペスタ」の中の魔王の息子。デュヴォセルの《目の飛び出した骸骨》は浮世画のお化け絵と通じる恐怖画。ルネ・ピオの《ニンフの香り》はまるでマティスの作品。《モンパルナス墓地のセザール・フランクの墓標の習作》を描いたガストン・ルドンはオデュロン・ルドンの弟。
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1920年から30年代、第一次大戦後の好景気を背景に、フランスではさまざまな芸術が一斉に花開いた。世界中の若者たちにとって、この時代のフランスはあこがれの場所だったのである。日本からも無数の画家がパリに引き寄せられている。時代はまさにエコール・ド・パリの時代。この展覧会では全盛期のエコール・ド・パリを目のあたりにした日本人画家たちが、これをどのように受けとめ、どう身を処したか、また日本の美術界に何を持ち帰ったかといったことに視点を当てている。 T.魅惑のエコール・ド・パリ U.エコール・ド・パリの日本人画家群像 U-1 目指せエコール・ド・パリの頂点−藤田嗣冶とその追随者たち U-2 エコール・ド・パリの日本画家−テク二ク・オリアンクル!
U-3 芸術の都パリ−画家たちの聖地巡礼 U-4 美術思潮の伝道者−留学生が見たエコール・ド・パリ U-5 古城の静寂の中で−齋藤豊作の交友圏
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チェコ国立モラヴィア・ギャラリー、ブルーノ・チェコ国立プラハ工芸美術館の所蔵作品。パリの作品とモラヴィアの作品の対照。 1.女性: 入ってすぐの《西風とニンフ》は油彩で、3連の衝立。後はリトグラフのポスター。サラ・ベルナールの《ジスモンダ》に再会。《春夏秋冬のシリーズ》、《宝石のシリーズ:トパーズ・ルビー・エメラルド・アメジスト》、《朝昼夕夜のシリーズ》がお気に入り。 2.ベルエポック:《酒の広告》などなど・・・似たような版画でちょっと飽きる。パリで広告デザイナーとして成功していることがよく分かる。 3:ミュシャの装飾デザイン:これは大したものだ。厚い本になっており、誰でも利用できるようになっている。 4:祖国モラヴィア:1910年、50歳でチェコに帰る。第1次世界大戦、チェコ独立、ナチス占領という激動の時代。ポスターからパリの華やかさが消失し、田舎娘のような朴訥なポスターへと変貌を遂げる。《山上の垂訓のシリーズ》が良かった。
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