海外美術散歩 05-1 (日本美術は別ページ)
謹賀新年 | デュシャン展 05.1 | ワット・チェット・チョット 05.2 | z象のアート 05.2 |
ワット・プラ・シン 05.2 | 踊るサテュロス 05.3 | ジョルジュ・ド・ラトゥール展 05.3 | ルーブル展 05.4 |
ベルリンの至宝展 05.4 | ゴッホ展 05.4 | ベルギー象徴派展 05.4 | クールベ美術館展 055 |
ファーブル美術館展 05.5 | 仏の来た道 05.5 | モジリアーニからマグリット 05.5 | ゲント美術館展05.6 |
サンタ・マリア。デル・ジリオ教会< 05.6 | べネチア・ドゥカーレ宮殿 05.6 | べネチア・アカデミア美術館 05.6 | サンマルコ寺院<05.6 |
ガラ・プラティディア霊廟 05.6 | サンビターレ教会05.6 | エステンセ城 05.6 | フェラーラ・カテドラル 05.6 |
ラファエロの生家 05.6 | ウルビーノ・ドウカーレ宮殿 05.6 | ウンブリア美術館 05.6 | 聖フランチェスコ教会 05.6 |
シエナ・ドゥオモ 05.6 | ウフィッツイ美術館 05.6 | ヴァザーリ回廊 05.6 | メディチ家礼拝堂 05.6 |
サンマルコ修道院 05.6 | パラティーナ美術館 05.6 | ヴァチカン美術館 05.7 | バルベリーニ美術館 05.7 |
ボルゲーゼ美術館 05.7 |
目 次 ↑
是非この美術館に行ってみたいと思って、日本でネット予約していった。15時から2時間という予約で、すこし早めに着いたので、何とか入れないかと思ったが、まったく可能性がないとのことであった。この美術館は予約のない人はまったく入れないので、予約しておいて良かった。 内容は超一流でラファエロの「降架」、「一角獣を抱く貴婦人」のほか、カラバッジョの有名作品が沢山あった。カラバッジョについては、なぜか日本人ファンが多いとのことであるが、私も嫌いではない。下記に代表作品の画像を貼り付けた。(2005.7a) 素晴らしい彫刻を沢山観た。写真のボルゲーゼ夫人は乗っているかカウチのマットがやわらかくしわも本物そっくりの感触が感じられる素晴らしい作品だ。また、G.L.ベルリーニ作の秀品がいくつかあり、「プロトンとプロセルピナ」は女性の腿に食い込むプロトンの指、女性の涙まで出ていて、身体、表情、筋肉、と神業としかいえないような出来栄えには声も出ないほどであった。 今まで絵画ばかりに眼をやってきたが、ここでG.Lベルリーニの彫刻を観て、彫刻にも興味が湧いてきた。G.L..ベルリーニは天才以上だ。(2005.7t)
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朝早く美術館で並ぶ。日本人のガイドが団体用の列の最後にタクシーで乗り付けてくれた。団体は8:30−9:00には入れれば入れるが、入れなければ9:00からの個人の列の最後に付くのだという。 さすがに神の国だけあって、予約はないし、団体にしても早起きか否かで「審判」されるのである。 まず絵画館(ダヴィンチ:聖ヒエロニムス、ラファエロ:キリストの変容)、つぎにピオ・クレメンティーノ博物館(ラオコーン)、ラファエロの間(アテネの学堂)、システィーナ礼拝堂(ミケランジェロ:最後の審判、天井画)、サンピエトロ寺院(ミケランジェロ:ピエタ)など修学旅行よろしく駆け回った。 ベルニーニの柱廊に囲まれたサンピエトロ広場は広く、素晴らしい。コンクラーベの後のためか、まだ椅子が沢山置いてあった。(2005.7a) 絵画館では沢山の彫刻があった。おかしかったのは、男性の像に(子供の像にも)みなイチジクの葉が付いていることだ。返ってジャマで美術的に変に感じたが、法王さまのいらっしゃるヴァチカンだからしょうがないのであろう。 宮殿では、有名なラファエロの「アテネの学堂」にお目にかかれたが、やはり実際に見ると感激。後で気がついたのだが、「ペテロの解放」を見逃したのが残念。システィーナ礼拝堂はものすごく混んでいた。礼拝堂なだけに、「静かに」といろいろな言語で盛んにアナウンスが流れる。写真や画面では何度となく観ている壁画、天井画だが実際にその場所に来て見ると天井は凄く高いしよく一人でこれだけの画を描き上げたかと思うと本当にミケランジェロは天才と思った。 サンピエトロ寺院では、教科書で見たミケランジェロのピエタの彫刻をガラス越しに観ることができた。両側に小さい祭壇のある部屋があり、その一つの入り口を通ると、「Are you prayer?」と係りの人に言われ、主人が「Yes]というと中に入れた。熱心に祈る方々の中で、私たちはキリスト教徒ではないが、十字を切るしぐさをし、ひざまついて祈る形をとった。何か心が清められる感じがして、これからの旅の無事や健康、幸せを祈願した。(2005.7t)
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有名なピッティ宮殿の中の「パラティーナ美術館」に入った。ここはウフィッツイ美術館と違い、3段に展示されており、一番上の画のキャプションはほとんど見えない。これもカタログを買わせる作戦か? しかし有名なラファエロの「大公の聖母」、「小椅子の聖母」、「ドーニ夫妻の肖像」、「身重の女」、「ラ・ヴェラータ」などは見逃さないような配慮がされていた。 宮殿であるだけに天井画など装飾が美しかった。(20056a) フィレンツェに、ウフィツィ美術館のほかに、このような素晴らしい美術館があることを知らなかった。主人の勧めで行くことになったのだが、本当に素晴らしい絵画が沢山あった。時間にゆとりがあったのでここでは焦ることなくゆっくり鑑賞した。私の好きなムリリョーの「聖母子」を思いがけなく観られて感激!マリアとイエスの表情が実にいい。(2005.6t)
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どうしてもフラアンジェリコの受胎告知が観たいという意見に従ってサンマルコ修道院に行った。有名な「受胎告知」はやはり只者ではない。しかし沢山ある僧坊の中に丁寧なフレスコ画が描かれているのに驚いた。厳しい修行の慰めになったことは間違いないであろう。やはり行ってよかった。百聞は一見にしかずである。(20056a) 受胎告知の画はいろいろな画家が描いているが、私はフラ・アンジェリコのものが一番好きである。階段を上がるとその画はある。マリアの清らかさが出ていて、大天使にも慎み深さ、マリアを敬う姿がいい。また羽の模様もきれいだ。心が洗われるような画でとうとうこの画の前に立てたことをつくづく感謝したくなった。(2005.6t)
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フェレンツェでは20年以上そこに住んでいるという日本人女性に案内してもらった。このかたは美術の専門家なのだが、好みがはっきりしていて、ミケランジェロに陶酔している人であった。このメディチ家礼拝堂の中にある新聖具室はミケランジェロが設計したものであり、ジュリアーノとロレンツォ2世の墓の周りには、「昼」、「夜」、「曙」、[黄昏」が配置されている。 くだんのガイドさんは、この部屋でミケランジェロの凄さについて、20分以上にわたってとうとうと講演をされた。聞いている者は、皆唖然としていた。でもミケランジェロが天才であるということに反対できるものは誰もいなかった。(2005.6a) この部屋は穴倉のようなチョット低いところにあるため、35度近い暑い日にはひどく暑く感じられた。礼拝堂の別室には、クリスタルの素敵な装飾のある入れ物が並んでおり、中にはメディチ家の人たちの指とか脚などの小さい骨が納まっているのにはびっくりした。(2005.6t)
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今回の旅行の特徴の一つは、ヴァザーリ回廊の予約が取れていることである。めったにこの回廊には入れないらしく、くだんの日本人ガイドも興奮状態であった。ベッキオ橋の2階はウフィイツイ宮殿とピッティ宮殿をつなぐ渡り廊下になっていて、メディチ家の人の緊急避難路となっていたものである。バザーリ回廊の中は、肖像画でいっぱいである。ヴィジェ・ルブラン、ドラクロア、アングル、モランディなど有名画家のものも少なくなく、なんとシャガールのものもあった。
バザーリ回廊の小窓から見るとはるか下に一般人の通行階があり、はるかかなたまでアルノ川が見渡せ、ドゥオモも眺めることができた。 このような優越感は古くはメディチ家の人も味わったのであろうし、今回の日本人ガイドもそのことを実感しているようであった。 シャガールも自分の画を入れたかったのは同じような神経であろうが、その画たるや上にニワトリがあり、その下に本人とガラが伸びをしているような例の画で、完全に回廊の雰囲気からは浮いていた。 回廊の出口は、ピッティ宮殿のボーボリ庭園北側の「ブオタレンティの洞窟」のところであった。これも古く16世紀に、ヴァザーリによって作られた植木仕立て場を改装したものであるというから驚く。(2005.6a)
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ウフィッツイ美術館は予約のあるなしで並ぶところも違う。最近イタリアの消防法が変わって。一度に600人以上入場させないということになったので、この世界的美術館の前には長蛇の列ができる。 幸い私たちは予約が取れたので無事観ることができた。この美術館の絵画にはおなじみのものが多いので、さらりと観て周った。そんなに広い美術館ではないが、このような周り方では見逃しが多い。 そこで分厚いカタログを買うことになってしまった。カタログには、薄・中・厚いの三種類があったが、買ったのは一番厚いものである。なんと1.8Kgもある。今回のイタリア美術旅行では、この手の本が13冊にもなってしまった。(2005.6a) 何年越しの憧れのこの美術館に入った時は、「とうとう来ましたよ」という感じで興奮気味!入る部屋部屋に有名な画がどんどん眼に入り「あっ!これも、あっ!あれも」と焦点が定まらないくらい。 次のヴァザーリー回廊の予約時間があるので時間に限りがあり焦ってしまう。どれくらい広い美術館か分からないので一部屋で鑑賞する時間の配分がとれず、思いは残しながらもどんどん進む。周ってみるとそれほど広いものではなかったが、見落としすることなく周れたと思う。ボッティチェリの「受胎告知」は大天使とマリアの動きが感じられるものであったし、ミケランジェロの「聖家族」は思っていたほどではなく、また知らない画家にも素晴らしい画を描く人が沢山いることを実感した。有名になるかどうかは本当に紙一重なのだろう。(2005.6t)
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アッシジは34℃の猛暑。それにも関わらず黒い修道衣に身を包んだ若い日本男性が案内してくれた。とても穏やかな話し方であり、美術知識も豊かで感心した。ここは美術館というより聖地である。当たり前のことであるが、このような修道士の方と話してみると、そのことが実感される。 1997年9月26日に起こった大地震のため丸天井が破壊されたことは悲劇的な事件だった。今ではそのうち半分が修復されていたが、まだ半分はそのままだった。 有名なシモーネ・マルティーニの「聖キアラ」やジオットの「小鳥への説教」には感動した。 中庭には、日本の彫刻家「安田侃」の白い作品が置かれており驚いた。イタリアと日本も近くなったものである。 聖キアーラ教会の方は、立派な建物だけを見てきた。(2005.6a) 聖フランチェスコの生涯は劇的だ。鳩や、狼とも会話が通じたという聖フランチェスコについての解説を聞いていると、心が清らかになるような気がした。日本からの修道僧、名前は谷崎しんいちろうさんと言うそうで覚えやすい。その方のなんとも言えない静かな解説がとても良かった。(2005.6t)
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昨晩はペルージャに泊まった。Nakata選手がアパートが見つかるまで滞在していたというホテルである。崖の上のホテルで、そこから銀座通りならぬヴァンヌッチ通りが始まっている。これを北の方にダラダラ下りしていくと、「11月4日広場」に着く。そのすぐ手前の左側にブリオーリ宮殿があり、その3階に国立ウンブリア美術館があった。どの国でもそうであるが、国立の機関はサービスが悪い。この美術館も入り口が分かりにくい。ショップの場所も分からず、後でもう一度来てガイドブックを買った。 しかし中身は素晴らしい。名品が目白押しで、下に沢山の画を貼り付けてしまった。ここは今回のイタリア美術散歩の中ではAクラスであることは間違いない。(2005.6a) ここで印象的であったのはピエロ・デラ・フランチェスカの画。大きい祭壇画なのだが、マリアや聖人の頭の上の光輪がまるで鏡のようで、下の頭のてっぺんが写っているのだ。いろいろ光輪は見てきたがこういう描き方は初めてで印象に残った。 ところで聖母子像はいままでに何枚も観てきたがイエスをマリアの左の膝にのせていたり、左の腕で抱えている画が圧倒的に多い。なぜなのかしらとふと思った。 しかし、このピエロ・デラ・フランチェスカの聖母子はマリアの右膝にイエスがのっていた。(2000.6t) (追 記)ウンブリア美術館から東京に名品がやってきた。ブログ、HPに感想を書いた。(2007.4)
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ウルビーノの宮殿の美術品は素晴らしい。 フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの書斎は素晴らしい木組みであり、そのうえに肖像画がかかっている。しかしその半分は米国の美術館に持ち去られたという。案内の若いガイドがいかにもクヤシソウに説明した。 ラファエロの2点はいずれも名品である。「ラ・ムッタ」はとても上品であるし、「アレキサンドリアの聖カタリナ」も見事である。 「理想都市」は一目で分かるユニークな画である。ガイドはこの画が4年前に日本に行っていたことを良く覚えていて、その間とても淋しかったとのことであった。この画には人物らしき姿がほとんど描かれていないので、観ていると不安な気持ちになるとの説明であった。 これに対して、私がこれは「中世のデ・キリコじゃないですか」というと、ガイド2人が両方とも賛成してくれた。一見陽気なイタリア人の中に、このような不安遺伝子が引き継がれているのであろうか。(2005.6a) |
昨日は山上の天国、サンマリノ共和国に泊まり、午前中観光して、ウルビーノに移動した。ウルビーノは「二つの丘」トイワレ、モンテフェルトロ家が支配していたところであるが、イタリアルネサンスの聖地でもある。 まずラファエロ・サンティの生家に立ち寄った。意外に大きな邸宅である。父親のジョバンニ・サンティも画家であって、ずいぶん上手な画が残っている。彼の受胎告知等を観ると一流の画家であったことが分かる。庭に父親と息子が絵具を溶くのに使った石皿があったので写真に撮ってきた。 ラファエロ・サンチィの画でこの生家に残っているものは少ないが、聖母子のフレスコが残っている。これは初め父親ジョバンニの作品と思われており、女性はラファエロの母親、幼子はラファエロであると考えられていたのであるが、最近の研究によりラファエロの作品であると判明したものである。(2005.6a) ラファエロの父も画家であったことを初めて知った。やはり、画を描く才能は遺伝子がものをいうのだろう。親子で画家という人は結構多い。ラファエロは37歳という若さで亡くなったのだが、残した絵画は膨大で、この生家も名声も永遠に残るであろう。自画像を見ると黒いベレー帽をかぶり、ちょっと小生意気な青年であるが天才の一人である。なんと言っても後世の人達に心休まる気分にさせてくれる画を残してくれたのだから功績は大である。 絵画界のモーツアルトと、私は思う。(2005.6t)
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エステンセ城は堀に囲まれた日本のお城のような味気のないレンガの要塞であり、敵襲に備え跳ね橋があったり、強固な牢獄があったりして、あまり好感の持てない建物である。 しかしさすがにお城だけに、いくつかの部屋には素晴らしいフレスコの天井画がかかれており、床に大きな鏡が置いてあるため、楽に観ることが出来るようになっている。これらは16世紀後半に、フェラーレ派の画家、特にフィリッピ一族(父親:カミーロ、息子:セサーレとセバスチアーノ)が中心になって描いたものだそうである。このうちセバチアーノは「イル・バスティアーノ」とも呼ばれる有名画家ということであった。 オレンジの樹のある空中庭園があった。お城の女性たちはこの空中庭園の周りの小さな穴から、お堀の外の様子を眺めていたのだそうである。これも一種の牢獄である。いずれにしても中世のお城は好きになれない。(2005.6a) イタリアの教会や宮殿は天井画が多く、首を上に向けて眺めることが多い。ここではとてつもなく大きい鏡を斜めに置いて天井画が楽に見られるようになっている。これはきっと最近のアイディアであろう。 牢獄は窓のない厚い石壁に囲まれた部屋で、このようなところに閉じ込められたら気が狂ってしまうと思う。説明を聞いていても胸が苦しくなった。きっと私は閉所恐怖症なのだろう。王様の息子が知らずに異母姉妹と恋に陥りここに投獄されたこともあるそうだ。数日投獄された後、殺されたとのこと・・・なんとも嘆かわしい。(2005.6t)
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サンマルコから水上バス(ヴァポレット)で、お目当てのアカデミア美術館へ。途中ペギー・グッゲンハイム美術館を見かけたが、今回は時間がなくて立ち寄れない。 アカデミアで降りると、目の前に美術館。実は、日本からネットで予約していったのだが、実際にはガラガラで、予約時間前なのにすぐに入れた。しゃくだったのは、予約なしの入場料がネット予約入場料に比べはるかに安かったことである。これだからイタリア人は油断がならない。 しかしさすがヴェネチア派の本拠地。ジョバンニ・ベッリーニ、カルパッチョ、ジョルジョーネ、ティツィアーノ、ベロネーゼ、ティントレット、カナレットなど15世紀から18世紀までの有名画家の名品がずらりと並んでいる。異端審問裁判にかけられたヴェロネーゼの問題作「レヴィの饗宴」の迫力には圧倒された。 有名なジョルジョーネの「嵐」では稲妻の輝きが眼に飛び込んできた。いままで画集で見ていたものとは異なる画のように感じられる稲妻で、人物はむしろ目立たない存在のような気がした。これと並んで展示されていたジョルジョーネの「老女」のリアルさにはチョットたじろぐものがあった。 英文の図録を購入し、木造のアカデミア橋で記念撮影して、再び水上バスにのってホテルに帰った。期待に違わぬ立派な美術館だった(2005.6a) 結構暑い日であったが、北にあるヴェニスではクーラーがないのが普通らしい。 大事な美術を収納しているこの美術館もクーラーはなく、窓が大きく放たれ、自然風を入れている。 ずっとこういう状態できたのでありから大丈夫なのであろうが、これで古い板画など痛まないのかしらと余計な心配してしまう。 エアコンで照明も落として、湿度を保たせるための水や、湿度計、地震計など厳重に神経質に備えている美術館が日本では多いので、このような大らかな状況にびっくりしてしまったのだ。(2005.6t)
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ゴンドラに乗って、カンツォーネを楽しんだ後、ドゥカーレ宮殿に入った。白とピンクの大理石で作られた総督の館で、9世紀建立であるが、14世紀・15世紀に改築されている。中庭には「巨人の階段」があり、また宮殿内には「金の階段」などもあった。金の階段はわれわれも登れるようになっており、贅沢な雰囲気を味わった。 中にある総督の居室や執務室は、ベロネーゼやティントレットの大きな画で飾られ邸て圧倒される。2階の大評議室のティントレットの「天国」は世界最大の油彩画といわれており、無数の人物が描きこまれている。歴代総督の肖像画も沢山あったが、ゆっくりと見ている暇はなかった。また2001年に日本に来たティエポロの「ヴェネティアに富を捧げるネプトゥヌス」もあった。 「ため息橋」を通って牢獄も見学した。宮殿と牢獄は本当に天国と地獄で、ここを通った囚人のため息が今でも聞こえそうであった。(2005.6a)
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久しぶりにアソビを目的とした旅。11日間。できるだけ多くの美術品を観る計画である。快晴に恵まれたが、猛暑にはチョット参った。 まず水の都ベネチアからスタート。前日、成田ーミラノ経由で入ったため、水上タクシーでホテルについたのは夜遅くなった。 それでも何とか早起きしてホテルの周囲を散歩して見ると、素晴らしい建物の教会がいくつもある。ホテルのすぐ前には純白の「サン・モイゼ教会」があり、チョット歩くと有名な「サンタ・マリア・デルジリオ教会」がある。これは10世紀の建築、17世紀の大規模改築ということであるが、ベネティアン・バロック様式の教会である。ファザードには、海戦の模様と当時のローマやパドヴァの地図が描かれていた。 早朝ということで内部は観られなかったが、ティントレットの画があるとのことであった。(2005.6a)
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フィリップス・コレクション: 森アーツセンターギャラリー
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有名なルノワールの「舟遊びの昼食」を初めとする名品がワシントンからやってきている。古くはエル・グレコ、新しくはココシュカに至る60点であるが、精選された内容であるため展覧会の価値としては超一流である。 朝一番に入ったので、悠々と観ることができた。AMEXで1人のチケットを購入(¥1500)すると、1枚招待券が無料でもらえるという仕組みがあるのを発見。ただちに実行。チョット得をした気になった。 ここでドラクロアの「パガニーニの肖像」と遭遇した。小品であるが、非常に貴重な画である。図録の説明が不十分なので、ここで説明させていただく。パガニーニは天才的なヴァイオリニスト・作曲家で、彼の曲の演奏には超絶的な技巧を必要とすることは良く知られている。それは彼が「マルファン症候群」という遺伝的な病気の持ち主であったことと関係している。マルファン症候群の人は非常に背が高く、指が蜘蛛のように長い。 このドラクロアの画を観ると、そのことがよく分かる。ヴァイオリンやその弓がまるで子供用のもののように小さい。これは彼が人並みはずれた背の高い人物であったからである。そして何よりも指が非常に長い。パガニーニの曲の演奏に超絶的技巧を必要とするのは、普通の人はこんなに指が長くないからである。 ピアニスト・作曲家のラフマニノフも「マルファン症候群」である。そのため親指から小指までの幅(ストレッチ)が長く、普通の人に比べ、ピアノ演奏上有利である。ラフマニノフがパガニーニの主題による狂詩曲を作っていることもこのことに関係があるかもしれない。(2005.7a) |
ゲント美術館展: 世田谷美術館
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ゲントはファン・アイク兄弟の祭壇画があるところで有名である。そこから来た近代美術ということになっているが、新古典主義・ロマン主義・自然主義・写実主義・印象主義・新印象主義・象徴主義・表現主義・シュールレアリスムと何から何まで揃っている。こんな良い展覧会なのに、初日の午前中、それも入梅ということで、ガラスキ状態。私たちの前に観ている人はわずか2人!
印象深かったのは、フランソワ=ジョセフ・ナベの「ミラノの聖女ベロニカ」(目がこちらをじっと見つめている)、レオン・フレデリックの「告別の食事」(象徴主義の前段階か?)、ヴェルハスの「お絵かき上手」(髪の毛の一本一本が見える可愛い絵)、テオドール・ルソーの「石切り場」(塗り残しらしいところはセザンヌを予告?)、モンティニの「庭師」(水が撒かれているところのの表現がうまい)、ステバンスの「マグダラのマリア」(美人とドクロ:ジョルジュ・ド・ラトゥールのものに負けない)、クノプフの「茶色の瞳と一輪の青い花」、アンソールのエッチング(実に細かくて、また面白い。彼を見直したと思っていたが、帰宅して調べると、1997年「ヨーロッパの象徴派展」で観ていたものであった)、マグリットの「パースペクティブU、マネのバルコニー」(有名なマネの画の人物が、全員木の人形になっている)、エミール・クラウスの「晴れた日」やアドリアン=ジョセフ・ヘイマンスの「荒地に沈む太陽」(印象派)、レオン・デ・スメットの「室内」(点描)などである。(2005.6a) (付記)「村井正誠」生誕100年展 2階の常設展場で開催されていたので、ついでに観てきた。わが国の抽象アートのパイオニアということであるが、いままでまったく知らなかった。絵画のほかに、ユニークなオブジェがあって面白かった。札幌でも彫刻家の「本郷 新」生誕100年展が開催されているが、偶然ではあろうが、優れたアーティストが同じ年に生まれていたのである。(2005.6a) |
美術館の「春」コレクションーモジリアーニからマグリットまで: 大阪市立近代美術館(仮称)
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大阪で用事があったので、ちょっと早めに東京を発って、大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室を訪れた。旧出水美術館大阪のあった場所らしく、ガソリンスタンドの横の小さなところから入っていく。不思議な美術館である。 1.日曜日なのに11時開館というのはなんとも解せない。その代わり夜は7時までということであるが・・・。 2.大阪市という地方公共団体がどうしてこれだけのコレクションを蒐集できたのか。 3.中之島に建てるという建物のメドはまったく立っていないのはどういうわけか。 コレクションは大したものである。あちらこちらに貸し出されているようで、以前にお目にかかったものも少なくない。チラシにも「あの名画に再び合える」というキャッチフレーズが載っている。マグリットの「レディ・メイドの花嫁」はボッチチェリの春のフローラが黒い紳士の背中に入っている。モジリアーニの「髪をほどいた横たわる裸婦」はあちこちの画集に載っている有名作品。キスリングの「オランダ娘」は三越美術館(もうつぶれた)の開館記念の「キスリング展」カタログの表紙の画といった具合である。 でも初めてだと思うものも少なくないし、そのレベルは高い。ボナールの屏風絵(散歩)、ヴァラドンの「自画像」、藤田の「アッシジ風景」、ボーシャンの「果物棚」、ダリの「幽霊と幻影」、ピカビアの「黄あげは」、、フォートリエの「永遠の幸福」、ジャコメッティの「鼻」、パスキンの「サロメ、ボッチオーニの「街路の力」は忘れられない作品である。 面白かったのは、パスキンの版画「サンドリオン」である。カボチャの馬車やガラスの靴など5枚のシンデレラ版画は絶品である。 新しい地下街で食事した後、御堂筋をちょっと歩いて大丸の美術フロアを覗いてみた。なんとエミール・ガレの作品がたくさんあり、ルネ・ラリックの店もあった。どうも大阪人は東京人に比べお金持ちが多いらしい。そのくせこれだけのコレクションを抱えながら、自前の美術館が作れない。私的にはリッチだが、公的にはプアーな文化でなければよいのだが。(2005.5a)
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仏の来た道:EXPO2005
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仕事で名古屋に3日間滞在することになった。すでに名古屋の知人から入場券が送られてきている。天気も上々、早速に出かけた。地理不案内なので、リニモの駅までタクシー(\5000)で乗りつけ、長蛇の列に付くこと20分ぐらいで、乗れたから私としては文句は言えない。 待っている間にカナダのパビリオンに毎日通っているオッタワ来たオジサンと話してみた。彼は地下鉄から降りてくる人間の半分しか乗れないリニモの体制を酷評していた。私は1日だけであるが、毎日となると文句もいいたくなるのであろう。 入場券を持っていたので、また並んでチケットを買う必要が無かった。そこでマンモス・ラボへの入場整理券の列に並んだ。10時半ごろだったため列は短かったが、それでも入場は12時40分ということであった。 ちょうどその日の毎日新聞朝刊に「仏の来た道1日で」という記事が載っていたので、これに従ってパビリオンを覗くことにした。人気展示館は大勢の行列であるが、こちらは楽々と観て周れる。 11:30になったので、早めに昼食をと思い、スリランカのカレーショップに入った。決して安くはないが、味は上等であった。 そうこうしているうちに、12時半になったので、あわててマンモスを見に行った。ここは整理券を持っているのに長蛇の列、しかも入るやソニーの宣伝が延々とあり、やっとマンモスということになった。ここは動く歩道なので、ゆっくりとは見れない。マイナス12度の環境におかれたマンモスの頭にはふさふさとした黄褐色の毛があり、立派な牙が堂々としていた。その他に耳らしい物もあったが、詳細は不明である。
マンモスを見てから別な館に移動しようとするととても遠い。やっとアジアの続きの部分にたどり着いて、仏の道を何とか極めた?が、あまりの暑さにこれで中止して、直接タクシー(\7000)で帰る羽目になってしまった。(2005.5a)
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有名な南フランスのモンペリエ・ファーブル美術館の修復工事のためその所蔵作品がまとまって日本に紹介されるという絶好の好機である。しかし「魅惑の・・・」という感性のない題は誰がつけたのであろうか。 カバネル、バジール、ブールドンなどモンペリエ出身の作品が多いが、プッサン、ダビッド、ドラクロア、ミレー、クールベなどの画も展示されている。 ブリュイアスBruyesのクールベ・コレクション、とくに「出会い、こんにちクールベさん」が観られることは昨日の「クールベ美術館展」に引き続いてのことであり、本当に幸運であるとしかいえない。朝早くでかけたので、「こんにちはクールベさん」の前の椅子も独り占めであった。 好感度作品は、画像に入れたものの他に、ヴーエの「賢明の寓意」、作者不詳ノ「ケパロスとプロクリスのいる風景」、ヴァンローの「善きサマリア人」、アンドレ・ヴァンサンの「ベリサリウス」、ダヴィットの「アルフォンス・フロアの肖像」、ファーブルの「アベルの死」、ファーブルの「ナルキッソスの死」、ドラクロアの「室内のアルジェの女性たち」、ベルタンの「ラヴェルニア山頂から眺めたアペニン山脈」、アルピニーノ「エリソン城の廃墟」、クチュールの「アルフレッド・ブリュイアスの肖像」、バジールの「横たわる裸婦」・「牡丹と黒人の女性」・「身づくろい」、デブータンの「乳母車」、ラファエル・コランの「花瓶のアイリス」、マティスの「黒いナイフのある静物」、ロジェの「通称ロールの道」など多数であった。(2005.5a)
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クールベ美術館展-故郷オルナンのクールベ: 三鷹市美術ギャラリー
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写実主義(レアリスム)の旗手であるクールベの生まれ故郷オルナンのクールベ美術館に展覧会。こんな片田舎までは、とても行けないので、本当にありがたい展覧会である。 右図の「雪に覆われた水源の洞窟」の雪の白は絶品である。写真ではとても再現できない。 好感度油彩としては、この他に、オルナン近くの断崖、オルナン郊外の風景、日没、滝、フレーム川の滝、オルナンの製紙場、トルーヴィルの黒い岩があり、ペーパーワークとしては、石割人夫、傷ついた人、牝牛の番をする娘に施しをするオルナンのお嬢さんたち、聖職者会議からの帰り道、追い詰められた鹿などが面白かった。 クールベには崇拝者が多く、共同作業の画があることを初めて知った。 またこのクールベ美術館を創立した画家ロベール・フェルニエの「クールベへのオマージュ」には「こんにちはクールベさん」が書き込まれている。ちょうど損保ジャパン東郷青児美術館にモンペリエ・ファーブル美術館から「こんにちはクールベさん」が来ている。明日はこれを観にいくぞ!!!(2005.5a)
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ベルギー象徴派展: Bunkamura
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世紀末のベルギーに現れた象徴派絵画はなぜか私の心を惹きつける。静かな
神秘と幻想の世界に共感できるからであろう。 好感度作品としては、 1.クノップフ:ブリュージュの思い出ーペギン会修道院の入口(蓮の薄緑が美しい)・蒼い翼(眠りの神ヒュプノスの素晴らしい青)・妖精の女王(男を誘うアクレイジアのヴェールから透ける裸体) 2.ロップス:娼婦政治家(有名なエロ、グロ、ナンセンス)・女友達(大胆な春画的写実) 3.デルヴィル:栄華を司る天使(青は美しい)・死せるオルフェウス(青一色の幻想) 4.フレデリック:祝福を与える人(美しい画)・聖三位一体(三幅対) 5.トーロップ:二人の女(流れる髪)・・・この画は1997年に、ヨーロッパ象徴派展でも観ていた。 6.メルリ:野バラ(金色の美しい画) 7.アンソール:オステンドの海水浴場(彼にもこんな面白い画があったのか) このような象徴派絵画は独りよがりのものだという考え方もあるが、多様性のナンデモありの現代にはマッチしているのではないか。(2005.4a)
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ゴッホ展: 東京国立近代美術館
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ゴッホは特別である。 特に日本人には特別な存在である。 私自身もそうである。今回もほとんど観た作品であるにもかかわらず、観にいく。そして感動する。 ゴッホの画は厚塗りであり、光が当たると、輝いてくる画が多い。現在の技術では、カタログや画集で絶対に再現できない。 アムステルダムのゴッホ美術館に行った時は、「ジャポニズム展」だったので、浮世絵の模写はすべて出品されていたが、なぜか「黄色い家」は出ていなかった。そいうわけで「黄色い家」には初めてお目にかかる。遠くに見える汽車がアルルとパリ、ゴッホとゴーギャンをつないでいるのであろう。 その他にも初めて見た画はそれなりに印象深く、前に見た画にも再会の喜びがあった。(2005.4a) 平日の午前に行ったのに「この混み方は何?」というほどの人、人、人。私くらいの年齢のおばさん、おじさんが圧倒的に多い。 ゴッホ展はこの10年間に5、6展あって、私はみな観に行ったと思う。アムステルダムのゴッホ美術館とクレラーミューラー美術館にも行った。今回の中にも、前に確かに見た画が何点かあったが、何回見ても楽しい。 昔、クレラーミューラー美術館で主人は「糸杉と星の見える道」の前で、私は「アルルの跳ね橋」の前で記念写真を撮ったことがあるが(写真を撮っても良かったのだ)、今回の展覧会で、前者の絵に再会し、それを主人が観ている姿を見て何となく胸が熱くなった。(2005.4t)
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ベルリンの至宝展: 東京国立博物館
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英・仏・独それぞれに素晴らしい博物館を持っている。大英博物館・ルーブル美術館、そして今回のベルリン博物館島である。このベルリンのコレクションは、プロイセン王国の躍進とともに爆発的に増加したものであった。 第2次世界大戦で建物は破壊されたが、疎開してあったコレクションは無事だったという。この博物館島は東ドイツに属していたため、その復興がままならなかったのであるが、ベルリンの壁の崩壊後、その再建が進行している。 今回は、「聖なるもの」というテーマに沿って、多数の美術品が出展された。1.先史時代、2.エジプト美術、3.古代西アジア美術、4.ギリシャ・ローマ美術、5.イスラム美術、6.コイン・コレクション、7.ビザンチン美術、8.中世ヨーロッパ彫刻、9.ヨーロッパ古典絵画、10.ヨーロッパ近代美術に分類されており、それぞれに「至宝」と呼べるものが数多く入っていた。 古典絵画では、ボッチィチェリ、ロット、ラファエロ、レンブラント、プッサン、ヴーエ、ブーシェ、ルブランの傑作が並び、近代美術では、フリ−ドリッヒ、ベックリン、クリンガー、メンツェル、リーバーマン、マネの質の高い作品が揃っていた。ボッチィチェリのヴィーナスのベルリンとウフィツイとの比較は面白い題材であると思う。「美術コメント」の中に和辻哲郎の意見を紹介した。 しかしこのような絵画よりも、古代の美術品には眼を見張るものが多く、人類は本当に進歩しているのかどうかという疑念も浮かんでくるほどであった。(2005.4a) 結構大きな彫刻から、10cmほどの彫刻までいろいろある。大きなものでは「牡羊」、小さなものでは「ホルスを抱くイシス女神」(鮮やかなブルーのガラスでできたのも)が私は気に入った。よく広告に出ていた「ティイ王妃像頭部」は20cmくらいと意外に小さい。頭がライオンや鳥、犬で体が人間の像も多く面白い。 絵画では、やたらとヴィーナスとアモルのものが目に付いた。シンケルの「岩場に建つゴシックの大聖堂」の光の表現が素晴らしいものであった。大聖堂の後ろに太陽があって、逆光になっているのだが、本当にまぶしいような光を感じる。絵葉書やカタログの写真になるとその光の具合がうまく出ていなくがっかり。(2005.4t) |
ルーブル美術館展: 横浜美術館
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5月なみの風薫る日本晴れ、ゴッホ展に行こうかと家を出て、地下鉄に乗ったが、ホームで横浜美術館でルーブル展をやっているのに気づき、方向転換して、横浜に出かけた。急がぬ旅なので、京浜東北線で桜木町まで、歩いて行った。駅前でティケットを買ったが、「入場は40分待ち」との看板があったので、途中でサンドイッチを買って、行列に並び、サンドイッチを食べながら待っていた。 入るといきなりアングルの泉が出迎える。向井潤吉記念館にこの模写があったのを思い出す。今回の展覧会はフランス革命・ナポレオン帝政・二月革命に至る激動の時期の19世紀フランス絵画が中心である。副題は「新古典主義からロマン主義へ」となっている。 好感度作品は、ダヴィッドノ「マラーの死」、ドラクロアの「母虎と遊ぶ子虎」・「怒りのメディア」、アングルの「スフィンクスの謎を解くオィディプス」・「泉」・「トルコ風呂」、シャセリオーの「海から上がるヴィーナス」、ジェリコーの「白馬の頭部」・「大洪水の風景」、グロの「アルコレ橋上のボナパルト将軍」、ジェラールの「聖別式の衣装を着けた皇帝ナポレオン1世」、テオドール・ルソーの「森の落日」、ミレーの「積み藁を束ねる農夫たち」であった。 駅前から、レトロ調の観光バス「あかいくつ」に乗り、元町まで行って、石川町から帰ってきた。のんびりとした好い1日であった(2005.4a)
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ジョルジョ・ド・ラトゥール展: 国立西洋美術館
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ジョルジュ・ラ・トゥール展がついにやってきた。1997年にグラン・パレでやっていたのにニアミスで見逃した。この時にはルーブルのラ・トゥールはすべてお出ましだった。それから今日までどんなに待ったことか。 今まで観たのは、サンフランシスコ美術館展にきた「老人」と「老女」、ルーブル展に来た「槍を持つ聖トマス」、それから今回も観られる富士美術館の「煙草を吸う男」、西洋美術館の「聖トマス」、バッキンガムの「手紙を読む聖ヒエロニムス」の6点だけであったのに、本日1日だけで総数23点に増加した。 順光、逆光、そして透光が人間性を深くえぐる絵画。30年戦争の悲惨な時代に、滅び行く「ロレーヌ公国」で描かれたこのような明暗の際立つ絵画が、その後の華やかなフランス文化の中で無視されていたのは当然かもしれない。20世紀という戦争の時代が、これを再発見したのであろう。 わが国では最初で、おそらく最後のジョルジュ・ド・ラトゥール展。まさに至福の展覧会である。もう何もいうことがない(2005.3a) |
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踊るサテュロス特別展: 国立博物館 表慶館
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これは1998年、シチリア沖で漁船の網に掛かり、2000年以上経って発見された古代ギリシャ彫刻である。アテネから輸送中に船もろとも沈んだと推定されている。 少年のような無垢な顔つき、高みを見上げる大きな眼、波打つ髪、飛び上がる肢体など、酩酊したサテュロスの躍動感がじかに伝わってくる。 作者はプラクシテレスともいわれているが、どうして分かるのだろう。 感心したのは、ビデオで紹介された発見者の話である。網にかかった彫像をそのままにして、写真を撮って専門家に連絡したということである。ギリシャ・ローマのDNAが綿々と伝わっているのであろう。さすがである。(2005.3a) |
礼拝堂の壁画: ワット・プラ・シン
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チェンマイ市内のワット・プラ・シンを見に行った。市内最大の寺院で、14世紀に開基されたものである。 礼拝堂の内部は壁画を埋め尽くされている。内部では暗くてよく見えなかったが、写真を見るとすばらしい人物が多数描かれている。 是非クリックして拡大像をみてください。これは14世紀北部タイの伝統芸術を代表するものとして学術的にも高く評価されている。(2005.2a) |
エレファント・アート: メーサー・エレファント・キャンプ
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仕事の間を縫って郊外のメーサー・エレファント・キャンプを訪れた。象がいろいろな芸をするので驚いた。ぼーる蹴り(サッカーでゴールキーパーもいる)、ダンス、ハーモニカ、お絵かき・・・・・。しかもそれが成功すると、「キューン」という声をあげ、鼻を振り回し、脚を上げたりして得意がる。本当にキュートだった。 画はギネス・ブックに登録されたものが、入り口にあったが、実際に描いているところを見ると本当に驚く。女性的な花模様や現代アートまでいろいろである。 最後に象の背中に乗って周囲の山を1周した。忘れがたい思い出となった。タイでは象を大切にし、現役を引退しても死ぬまで養老院で手厚く面倒を見るという。わが国の高齢者よりも幸せかもしれない。 (2005.2a)
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天上の神々の浮彫: ワット・チェット・チョット
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タイの古都チェンマイに行ってきました。ちょうど「フラーワー・フェスティバル」があったため、観光客でにぎわっていた。 仕事の間を縫って郊外のワット・チェット・チョットを見に行ってきた。基壇の上にひときわ高い仏塔を中心に7つの尖塔が立っているのが特徴なのだそうです。 16世紀に、インドの寺院をモデルに造られたもので、基壇にさまざまな姿の天上の神々が彫りこまれている。すべて柔和な表情をしており、大変優美である。(2005.2a) |
マルセル・デュシャンと20世紀美術: 横浜美術館
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「国芳・暁斎展」も今日が最終日、万難を排して東京駅に行った。大体二人を比較するのは・・・と思っていたが、画題の似たものをうまく配置していて、素晴らしいハーモニーをかもし出していた。 頑張って東海道線・みなとみらい線を乗り継いで横浜美術館に廻った。「マルセル・デュシャンと20世紀美術」を観るためであるが、日曜なのにガラガラに空いている。 こちらではチェックシートを作成して、デュシャンの作品と彼に向き合ったアーティストの作品を比較させようとしてしていたが、残念ながら作品の配置がまずくて、チェックシートに取り組むエネルギーがなくなってしまった。 有名な「泉」は男子用の小便器を利用したレデイメイド作品である。写真家マン・レイの「マルセル・デュシャン、星形の剃髪」と題する作品が提示されている。表の顔と頭の裏の顔であるというペアであれば、あまりにも貧しい発想である。 「階段を降りる裸体」は、デュシャンの代表作である。これに対して久保田成子の「デュシャンピアナ:階段を降りる裸体」というビデオが提示されていた。久保田の作品はわれわれのためにデュシャンを十分消化してくれているようでありがたかった。 「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス、東京ヴァージョン)」は、以前に駒場で見たことがあるがやはり分かりにくい。「花嫁」という作品と、「裸にされた花嫁」がペアになっているようであるが・・・。 帰りは「みなとみらい駅」から乗ったが、寝ている間に渋谷に着いてしまった。これはちょっと勉強が必要だと考えて、紀伊国屋書店に寄ってタッシェンのDuchampを買った。(2005.1.23a) 現代美術に少しずつ慣れてきてはいるものの、今回のデュシャンの作品は私にはほとんど美術とは言えないものであった。何を象徴しているのか、意味しているのかさっぱり分からず観ていて気分が悪くなる。多分デュシャン自身もただイメージとインスピレーションだけで作ったのであろう。題もこじつけで分かりにくい。でも芸術家として世界的に有名になったのであるから、観る人が観れば天才なのかもしれない。デュシャンは現代美術家といっても前世紀の人、この分では21世紀にはどんな美術が出てくるのであろうか?(2005.1.23t)
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