ムンク展 07.10 | フィラデルフィア美術館展 07.10 | 吉野石膏コレクション展 (三越) 07.10 | 木版画東西対決 07.11 |
宋元仏画 07.11 | ティツィアーノ DNP3 07.11 | アンカー展 07.12 | 田園賛歌 07.12 |
上海ー近代の美術(前期) 07.12 | SPACE FOR YOUR FUTURE 07.12 | 上海ー近代の美術(中期) 07.12 |
目 次 ↑
前期に続いて中期を見てきた。呉昌碩の書と画が他を圧している。彼は「最後の文人」と呼ばれ、篆刻→書→画と何でもこなした。日本人にファンが多っかたとのことである。以下は、室内にパネル展示されていた「絵画に見る吉祥」
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2007年12月18日のNHK「プロフェッシナルー仕事の流儀」で、金沢二十一世紀美術館から東京都現代美術館に引き抜かれたキュレーター長谷川祐子さんの話を聞いた。「アートは人に見られなければ意味がない」、「展覧会では個性豊かな作品ひとつひとつが共鳴しあって、観客に何かを語りかけ、観客の心に印象を残す」などの言葉があった。その実践の展覧会、「SPACE FOR YOUR FUTURE―アートとデザインの遺伝子を組み替える」を観にいってきた。 【3階】 ■エリサベッタ・ディマッジョ:手作業で薄紙を切り抜いた繊細な作品。これは過去の日本人の感覚に近い。 ■マイケル・リン: 花の画の部屋。三面が鉛筆、正面が彩色絵画とその周囲の鉛筆画。色彩と淡彩が一体になった部屋は落ち着く。 ■エルネスト・ネト《フィトヒュマノイド》:草色の人形椅子。試してみたが気持ちが良い。将来ならずとも現在でもただちに実用可。 ■SANAA《フラワーハウス》:庭木に囲まれた2分の1サイズの花びら型の個人住宅。部屋と庭が一体化しているのは、古来よりの日本邸宅の原則だったが・・・。 【1階】 ■オラファー・エリアソン《4連のサンクッカー・ランプ》:人間の顔が蒼く見えるような光源。こういった光源で将来は人間の精神が誘導されるかもしれない。 ■東泉一郎《MIRAI》:エスカレーターのアニメ。未来へ誘われていくような気になる。 ■石上純也《四角い風船》:アトリウムに1トンの四角いアルミ風船が浮かんでいる。ヘリウムを使用したもので、ふわふわ浮いている。今回の見世物。 ■バーバラ・フィッセル《変容の家U》:人や動物が動くにしたがって家が作られていくアニメーション。今回一番面白かった。 ■アピチャッポン・ウィーラセタクン《エメラルド》:ホテルの部屋に人間の魂が白い雪片のように浮いて漂う。アジア的な霊魂の世界。 ■蜷川実花《my room》:ぼやけた金魚と花の赤を浴びる。中の人間は精神的にハイになる。 【地下1階】 ■フセイン・チャラヤン《レーザードレス》:ドレス内から発せられたレーザー光がクリスタルを通り、ドレスが発光しているように見える。ビデオの《111コレクション》は、自動的に変化するドレスをスワロフスキーが作り、発表会で変化しすぎてヌードとなってしまうというコメディ。 ■トビアス・レーベルガー《母型81%》:不思議な家。中に住む人間もおかしくなっているだろう。 ■タナカノリユキ《100 ERIKAS》:江尻エリカの百枚の写真。新しい浮世絵か? (2007.12a) ブログへ 【付記】 ポップ道 @東京都現代美術館 常設展 1.ポップ百出 Multiplicity
of POP
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松涛美術館の主任学芸員「味岡義人」氏のギャラリー・トークが結構面白かった。 ■ アヘン戦争や太平天国の乱で疲弊した南京・蘇州・揚州から、英米仏の租界が形成され安全が保証されていた上海に、富裕層が移動した。 ■ 「海上派」というのは、そういった顧客を追って上海に来て創作活動を行った画家の総称ということ。「海上」とは「上海」をひっくり返しただけ。もちろんその活動は中華人民共和国成立で終る。 ■ この間の日中画家の相互訪問による交流や三井財閥の中国進出に伴う藝術愛好家の物語がある。 ■ 上海に集まった画や書の買い手は風雅の人士ではなく、分かりやすい作品であることが要求された。花鳥画でいえば、吉祥の画題、人物画でいえば誰でも知っている故事・詩文に題材をとったもの、山水画も昔の有名画家の款書が入っていれば良かったのである。 ■ 吉祥の内容は、植物や動物で決まっている。字の音通によるものも多い。 ■ 「子孫繁栄」や「多産」というのは墓を守っていく男子だけ。最近の一人っ子政策は田舎では深刻な問題を起こしている。 ■ 日本では罪は憎んで人は憎まずという考えがあり、死んでしまった人は仏になるが、中国では死んでも徹底的に憎まれる。 ■ 張善子はピカソの再来といわれた張大千の兄。庭に虎の子を飼っており、虎痴と呼ばれていた。それだけに《虎図》の緑は素晴らしい。 ■ 亀は妻を寝取られた男のことも意味するので要注意。 ■ 今回、お礼として中国人に時計を贈ろうという考えがあったが、これにも葬式というよくない意味があるので止めてもらった。 ■ 政治家の書が出ていたが、中国で政治家になる条件は、@見目がよいこと、A標準語を話すこと、B字が巧いこと、C判断力がよいこと。だから政治家は書が巧い。 ■ 台北の故宮美術館には蒋介石が大陸から持っていったものが多い。これを日本に持ってくると、中国から返還要求がでてくるので、日本の美術館には今回はじめて出展された。今回の作品が、その後に寄贈されたものだからである。米国やフランスでは中国からの返還要求を断る法律ができているので、何度の故宮美術展が開かれている。 (2007.12a) ブログへ |
「開館25周年記念展」である。ポスターから分かるように、山梨県立美術館のミレー《落穂拾い、夏》と埼玉近代美術館の《ジヴェルニーの積みわら、夕日》を核とした展覧会、いわば「積みわら」がキーワード。 第1章 豊穣の大地と敬虔な農民たち―ミレー《落ち穂拾い》とその周辺 いきなり出てきたのが和田英作の《落穂拾いの模写》。これは流石である。ミレーの《落穂拾い、夏》は何回か見ているはずだが、こんなに小さな画であるということを再認識した。レルミットの《収穫》は、広々とした麦畑で女たちが麦を刈り、男が束ねている。休憩用のお茶などもしっかり準備されている。 ジュリアン・デュプレの(1851-1910)《牧草の取り入れ》は空の青さが印象的であった。 第2章 近代都市パリを離れて−印象派・ポスト印象派の田園風景 ご当地モネのバラ色の《ジヴェルニーの積みわら、夕日》は圧倒的である。ピサロの作品が沢山出ていたが、《ポントワーズ、ライ麦とマチュランの丘》がよかった。曲線を使った構図が不思議な安定感を与える。シスレーの《森のはずれ、6月》はめずらしく森の木立の間から空が覗いているだけ。いつものように空の面積が多いほうが良い。ゴーガンの《水飼い場》は安定した構図で、とても良かった。ゴッホの画が2点出ていた。いずれも初期のもので働く《紡ぎ車を繰る女》と逆光の《窓辺の農夫》である。このようなゴッホがわが国にあることを初めて知った。セザンヌの《大きな松の木と赤い大地》は画面を大きな木が分割する浮世絵風。カリエールの《羊飼いと羊の群れ》は神秘的なタッチでひきつけるものがある。彫刻家マイヨールの《山羊飼いの娘》も良かったが、木版画《ウェルギリウスの農耕詩》には驚いた。 第3章 日本の原風景を求めて−近代絵画に見る田園風景 浅井忠の作品がいくつか出ていたが、その中では《農夫とカラス》が面白かった。本多錦吉郎の《景色》や久米桂一郎の《秋景》も好感が持てた。ベルギー印象派のクラウスに学んだ太田喜二郎の《田植》と《麦秋》が並んでいたが、素晴らしい点描である。岸田劉生の《麦二三寸》には小さく麗子が描き込まれていた。須田国太郎の《信楽》は圧倒的な迫力である。小磯良平の《麦刈り》が非常に良かった。パルテノンフリーズに出てくるギリシャ女性のような服装である。小野竹喬、土田麦僊、村上華岳らの日本画や、萬鉄五郎の洋画と日本画も楽しめた。 第4章 何処から、そして何処へ―ポスター、写真に見る田園風景 本章では19世紀に登場したポスター、写真という二つのメディア・アートを軸に、田園と農耕のイメージをめぐる展示がなされていた。最後に出ていた藤田洋三の《藁塚放浪記》、ロキテンシュタインの《積みわら》、ダリの《マルドロールの歌》、ベン・シャーンの《至福》が印象に残った。 (2007.12a) ブログへ |
スイスのアルベール・アンカー(Albert Anker 1831-1910)という画家の名前は初めて聞いた。しかしスイスでは国民的画家として有名だとのことである。彼は生涯にわたって子供を描きつづけた画家で、その対象の多くは生まれ故郷であるインス村の子供たち、とくに少女である。 あちこちに貼られているポスターの《少女と2匹の猫》がとてもかわいい。そこでこの展覧会の前売券を買っておいて、初日の午前中に二人の孫娘を連れて行くことにした。 《おじいさんと2人の孫》という画が出ていた。年齢はちょっと違うが、組み合わせはそっくり。 《髪を編む少女》という美しい作品があった。まるでフェルメールの画のように光のニュアンスが表現されている。ゴッホもこのようなアンカーの少し古いが丁寧に描かれ画を高く評価していたとのことである。 シャルダンのような静物画は静謐でとても巧い。また愛情溢れる画家の家族の画もとても良かった。死の床にある幼い息子に花束を持たせて描かれたた画は心を打つ。いろいろなゲームで遊んでいる子供たちの姿も印象的だった。 (2007.12a) ブログへ |
「ルーブル-DNPミュージアムラボ」の第3回展。第1回のジェリコー《竜輝兵》は見にいったが、第2回の《ギリシャ小彫刻タナグラ》はパス。今回はテイツィアーノの日本初公開作だけに見逃せない。例によって「イヤホーン付き携帯端末」を首にかける。そこには「ICタグチケット」も載せてある。確か前回のICタグチケットは「接触型」で、各ディスプレイの側の感知器(タッチパネル)に持っていって触れていたのだが、今回は「非接触型」の感知システムに進化しているらしい。「ICタグチケット」の他に、黒い布袋に包まれた円形の「センサー」のようなものも付いている。 「16世紀のヴェネツィアの中で」にいくつかの映像が流れている。ひとつはヴェネツィアの古地図、あとの二つはヴェネツィア派絵画の一部。この部屋に入ると、前述の非接触型感知システムが作動して、イヤホーンから説明が聞こえだす。そこまではいいのだが、この説明と壁に投射されている映像が無関係なので、イライラする。電気工学的には進歩しているが、人間工学的には明らかな失敗。 二番目の部屋は展示室。テイツィアーノの「うさぎの聖母」が待っている。中くらいのサイズの素晴らしい作品。ほとんど独占状態でかなりの時間観ることができた。聖母マリアは白兎を左手で押さえ、幼子イエスに視線を向けている。イエスは白兎を見つめ、幼子を抱くアレキサンドリアの聖カタリナの視線はマリアに向けられている。マリアの前の籠にはリンゴとブドウ、その足元にはイチゴとキリスト教の象徴が揃っている。ちょっと離れて画の左には羊飼い、そしてその後には大きな樹、遠くには教会の塔、さらに向こうには青みがかった山、そしてバックには夕焼けの空と奥行きが広がっている。うさぎや幼子を支える布の「白」、マリアのマントの「青」、衣服の「赤」、そして木や草の「緑」、山の「青」と空の「橙」など色彩豊かな典型的なヴェネツィア派絵画である。 シアターで、「ラボの中で」、すなわちこの画の洗浄修復に関するムゼー・ド・フランスにおける「科学分析調査の過程」を見ることができた。説明の音声は非接触型システムによって自然に始まる。@直接光、A紫外線(ニスの状態)、B赤外線(素描)、CX線(白・光のハイライトを描くミネラル質)の順序での調査だが、今回X線検査によりいろいろな変更が加えられていることが分かったとのことである。1.聖母の視線:羊→イエス、2.聖母の手:膝→兎、3.兎の数:複数→単数(画面右下隅にもう1羽いるようにみえるが、これはどうなどうなろうか)などである。また両端に欠損があるが、パルマ流のカテリナ様式で聖カタリナは半分しか描かれておらず、画の内容が枠の外まで広がっていっている、画の上下は釘か鋲のようなもので固定されていたなどということも分かったとのことである。 画の奥行きを実感できる部屋「作品の構成の中で」はとても良くできていた。画が奥行きごとのレイヤーとなっており、部屋の奥に入ると背景のレイヤー画像だけになり、そこで左右に動くとその画像も左右に動き、部屋の手前に戻ってくると、画の中景のレイヤーが背景のレイヤーに重なってくる。さらに手前に戻ると少し前のレイヤー、入口近くに立つと前景のレイヤーが重なって、もとの画として観られる。このように自分が画の中に入っていって、そこから戻ってくるという感覚を得られる。 「自然の中で」では、ヴェネツィア派絵画の説明のビデオパネルが置いてあったが、これは観客の待ち時間調整のためなのだろうか。内容的にはつまらない。 「テイツィアーノの人生の中で」では、この画家の生涯を一冊のデジタル・ブックとして見せていたが、これも面白かった。そのページの説明が終わると、光点が本の左下隅に出てくるので、ページをめくると次のページの説明が始まり、説明中の画に光が当たってくるシステムである。 「絵画の中で」は、《うさぎの聖母》の細部を部分拡大画像で使って詳細に説明する自動プレゼンテーションシスムがある。内容はとても良かった。兎は原罪を免れたイエスの象徴であるとのことである。終わったところで「指さし」マウスで部分拡大・照度変更・色彩分析が出きるようになっていたが、これは単なるオアソビ。 最後に「視線をめぐって」のシステムの前に来た。混んでいたのでここは最後にしたのである。自分の他に並んでいる方が年配の人だったので、「お先に」とお譲りした。このシステムは「画のどの部位をどの程度長くみているか」ということを2回チェックするもので、いろいろな学習後、画の見方がどの程度進歩したかを検証すること目的としている。自分の番に来てやってみるとどうもおかしい。前のオバアサンのデータがわたしの初回データとして登録されてしまったらしい。非接触システムの誤認である。係りの方お願いして新しいICシステムと交換してやってみると、正確に作動した。初回は顔全体が動いたためかヘンナ結果となっていたが、二回目は顔を動かさず視線だけ動かしたのでそれなりの結果が出た。学習効果は、画の見方ではなく、この視線チェックシステムへの慣れであった。 係りの人の話では、第1回展の接触型ICタグチケットは、感知器に一回触れるだけのもので、ON機構は良かったのだが、OFF機能に問題があった。そこで第2回展では、同じ接触型だが感知器に使用中は固定することとした。今回はフランス側の要望で非接触型にしてみたのだが・・。ということだった。いずれにしても実験中、発展中のシステムであるということを実感することができた。 第1回展のときと同じく、ICタグチケットの番号でネットから今回の自分の履歴や聞きのがした説明を聞きなおすことができた。第1回展の履歴も残っていた。 (2007.10a) ブログへ |
鎌倉時代に中国から渡来した仏画の展覧会。 入ってすぐに展示されているのは《菩薩半跏像》。リラックスした遊戯像で、瞑想にふける広隆寺や中宮寺の思惟像とはあきらかに違う。驚くべきことは、その胎内には五臓六腑が納められていたという。陳列されているものを見ると、布製の長い管状の腸、赤い模様のある心臓、肝臓あるいは肺と思われる白く大きな臓器、脾臓のかけらかなと思われる黒い布片などであった。 《釈迦三尊像》、《十王図》(元の陸仲淵筆)、《六道絵》は見慣れているので、なんとか判別できるが、図録に載っているような明るい高精度写真をもう少し沢山展示してもらうと良かった。 《十六羅漢図》がいくつも出ていたので、これを中心に見ることにした。解説によると、十六羅漢図には下記の3タイプがある。 @「禅月様」:禅月大師貫休が夢で感得した奇怪な風貌として描く。 A「張玄羅漢」(わが国では「李龍眠様」):奇怪さを誇張しない僧形で描く。 B「蔡山様」:インドや西域に実在する人物のように生々しく描く。 伝貫休筆の《十六羅漢図》と《羅漢図》はいずれも異常に長い眉などおどろおどろしい風貌の尊者であり、文字通り「禅月様」である。 987年「然請来の国宝《京都清涼寺の十六羅漢図》は北宋時代の古いものであるが、比較的穏やかな風貌の尊者であり、南宋の金大受筆の《十六羅漢図》、元代の趙?筆の《十六羅漢図屏風》、南北朝時代の良詮筆や今回修復成ったこの博物館の《十六羅漢図》はいずれも「張玄羅漢」である。 《東海庵の十六羅漢図》は元代のものであるが、首の皺、長い眉など変わった風貌の尊者が並んでいる。作者は不明であるが「蔡山様」の典型例である。またこのような仏画の由来に関する文書が沢山神奈川県に残っているようで、かなりの数が出陳されていた。 暗くて見にくいし、説明もイマイチで、ちょっと難しい展覧会だったが、この時代の中国画家の絵が結構のびのびとした個性豊なものであることだけは分かった。しかしこれらの画は寧波辺りから来たもので、中国美術史のなかにはほとんど登場していないということも不思議な気がする。 (2007.11a) ブログへ |
今回が初訪問の町田市立國際版画美術館。美しい公園の中にあり、とても良い雰囲気である。「開館20周年記念」という冠がついている。国内の多数の美術館から借用したものを含め、世界の木版画の歴史を振り返ることができた。リストが用意されていなかったので、お気に入りを下記に列挙する。
第1ラウンド モノトーン対決 第2ラウンド 多色刷り対決 第3ラウンド 木口木版対決 第4ラウンド 現代版画対決―新しい表現へ (追 加) 常設展: 年間を4期に分けて展示しているそうだが、質の高い作品ばかりで感心した。デューラーの《ネメシス(大運命神)》と《銅版受難伝》より8点、レンブラントの3点、ムンクの有名な《病める子》、マチスの《眠るオダリスク》、ルオーの《秋》、ピカソの大作の黒い《鳩》と第1回世界平和会議ポスターの派手な色彩の《ランプの下の静物》、マン・レイの《回転扉》の10点などが良かった。 (2007.11a) ブログへ |
これは山形美術館に寄託されている吉野石膏コレクションの展覧会である。いわゆるコーポレートコレクションで、他の展覧会に出品されたいくつかの作品は既に観ているが、このようにまとまった形で鑑賞するのは初めてである。12日間という短い展示期間なので、フィラデルフィア美術館展を見た後、上野‐神田‐三越前と移動して、この展覧会を見た。偶然であるが、二つの展覧会は似ている。こちらは「モネ、ルノワール、シャガールを中心に」という副題がついている。むこうは「ルノワール、モネ、ゴッホ、マティス、ピカソ・・・」となっていたが、これらは両者で展示されていた。ということで、二つの展覧会を比較しながら見ることとなった。 T.印象派以前 U.印象派とその後継者たち ■
モネ:7点と多い。お気に入りは、《睡蓮》、《サンジェルマンの森の中で》、《ヴェルノン教会の眺め》、《日傘をさす夫人の素描》。 ■
カサット:《マリー・ルイーズ・ヂュラン・リュエルの肖像》 V.20世紀の多彩な表現者たち
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アンリ・ルソー:《工場のある町》 W.エコール・ド・パリ 吉野石膏コレクションは全体に柔らかな作品が多く、一種の統一感があった。いかにも一人の日本人が選んで購入した作品群である。フィラデルフィア美術館展にはいくつかの名品が含まれていたが、それを除けば前者に追いつかない作品も少なくなかった。 (2007.10a) ブログへ |
ずいぶん昔のことになるが、滞米中クルマでフィラデルフィアに行ったことがある。有名な独立記念堂で『自由の鐘』をみてから、フィラデルフィア美術館に行った。 1.ルノワール《大きな欲女》・・・ルノワール「裸婦」最高傑作。日本初公開。 2.オキーフ《ピンクの地の上の2本のカラ・リリー》・・・アメリカン・トレジャー!建国の都が誇る、世界屈指のコレクション。 3.マチス《青いドレスの女》・・・ルノワール、マネ、モネ、ゴッホ、ピカソ・・・あの「バーンズ展」の感動がよみがえる。 4.ピカソ《自画像》・・・美のオールスター47作家、奇跡の饗宴! 以下章立てにしたがって感想を書く。 第1章 写実主義と近代市民生活: 第2章 印象派とポスト印象派ー光から造形へ: ピサロの《ラクロア島、ルーアン(霧の印象)》が良かった。白の点描がなんともいえない。その他2点のピサロが出ていたが平凡。
モネは5点出ていたが、《マヌポルト、エトルタ》、《アンティープの朝》、《ポプラ並木》などはモネ好きの日本人には受けそうである。 ゴッホの《オーギュスティーヌ・ルーラン夫人と乳児マルセル」では、マルセルのつぶらな瞳がかわいらしい。ルーラン夫人のほうは目をつむっているが、青で縁どられた緑と白の服装と背景の黄色の対比がよい。ゴーギャンの《聖なる山(パラヒ・テ・マラエ)》には、イースター島の偶像、垣根のドクロなど不思議な画である。 セザンヌの画が2点。そのうちの《セザンヌ夫人》は出色のでき。斜めを向いた顔、葡萄のつるや壁など屋外であることを示す背景など印象深かった。ロダンの彫刻が2点。ソローリャの《幼い両生類たち》の水辺の子供に当たる光の反射がまぶしかった。アンリ・ルソーの《陽気な道化たち》はまあまあ。 第3章 キュビスムとエコール・ド・パリ: 有名なピカソの彫刻《道化師》や油彩画《三人の道化師》を観られて良かった。後者は、ピカソ=ヴァイオリンを持つアルルカン、アポリネール=縦笛を持つピエロ、マックス・ジャコブ=アコーディオンを持つ修道士の取り合わせが面白い。平面的なキュビスムの傑作である。しかし、同じ画をMOMA展でも見ている。そのほかにキュビスムの作品がたくさん出ていたが、ちょっと飽きる。 第4章 シュルレアリスムと夢ー不可視の風景: お気に入りは、ミロの《月にほえる犬》、マグリットの《六大元素》・・・炎・裸婦・森・建物・雲・鈴というお得意のものたち。 第5章 アメリカ美術ー大衆と個のイメージ: サージェントの《リュクサンブール公園にて》、カサットの《母の抱擁》は優しい画である。シーラーの《ヨットとヨットレースについて》も面白かった。オキーフの《ピンクの地の上の上の2本のカラ・リリー》のピンクと緑がかった白が美しい。画家は、黄色のおしべに性的な意味をもたせることはなかったとのことである。ワイエスの《競売》はそこそこ。本場の美術館だけにもう少し静謐なワイエスを観たかった。 総括すると、この展覧会は西洋近代絵画の教科書である。いささか総花的であるということである。反面、肩の凝らない展覧会であるともいえる。 (2007.10a) ブログへ |
ムンクは何度も観ている。1.ムンク展 画家とモデルたち Edward Munch and his Models (伊勢丹美術館 1992年)、 2.ムンク展 愛と死 The Frieze of Life (出光美術館 1993年)、 3.ムンク展 EDWARD MUNCH (世田谷美術館 1997年)、 4.ティールスカ・ギャレリー ムンク室 (ストックホルム 2006年)、 5.ムンクからニューマンまで (ベルリン 新ナショナル・ギャラリー 2007年)。しかし今回も初日に観にいってしまった。それだけ惹かれるものがあるのだろう。 第1章 生命のフリーズ:装飾への道 第2章 人魚:アクセル・ハイベルグ邸の装飾 第3章 リンデ・フリーズ:マックス・リンデ邸の装飾 第4章 ラインハルト・フリーズ:ベルリン小劇場の装飾
第5章 オーラ:オスロ大学講堂の壁面
第6章 フレイア・フリーズ:フレイア・チョコレート工場の装飾
第7章 労働者フリーズ:オスロ市庁舎のための壁画プロジェクト このように今回の展覧会は、フリーズ装飾藝術家としてのムンクに焦点を当てており、そしてそれは成功していた。ムンクが自分の作品を飾って真ん中に置かれた椅子に座って得意そうにしている写真が出ていたが、昨年訪れたストックホルムのティールスカ・ギャレリーのムンク室も、フリーズとしてムンクの作品が飾られており、その真ん中のソファに自分自身座って、至福の時を過ごしたことを思い出した。 (2007.10a) ブログへ |