海外美術散歩 06-2 (日本美術は別ページ)
陳 進 展 06.4 | ジャン・コクトー 展 06.4 | デュフィ展 06.4 | バルラッハ展 06.4 |
イサム・ノグチ展 06.4 | ポンペイの輝き 06.4 | ルオーとローランサン 06.5 | ホルスト・ヤンセン 06.5 |
アンドリュー・ワイエス06.5 | ルーブル美術館展(ギリシャ彫刻)06.6 | ジャコメッティ展06.6 | パウロU世美術館展06.7 |
クレー展06.7 | クローデル展06.7 | ペルシャ文明展06.8 | 微風展 06.8 |
マンダラ展 06.9 | ピカソとモジリアーニの時代(リール美術館) 06.9 | ウィーン美術アカデミー名品展 06.9 | ベルギー王立美術館展 06.9 |
ダリ展 06.9 | クリーヴランド美術館展 06.10 | 藤田嗣治の版画 06.10 | アンリ・ルソー 06.10 |
大エルミタージュ展 06.10 | スーパー・エッシャー展 06.11 | ヨーロッパ版画(クリンガー) 06.12 | シャガールとエコール・ド・パリコレクション 06.12 |
目 次 ↑
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エッシャーは不思議な画家だ。今回彼の全貌を見ることのできる展覧会に行く前に講演会を聴いた。講師は木島俊介氏、題は「MCエッシャーの絵画と錯視構造」。とてもレベルの高い講演会だったが、一生懸命にメモをとってこのサイトのレクチャー・ページにアップした。参加者はTak夫妻、Mizさん、シルフさん、merionさんと小生とら。 展覧会は今日が初日。夕方なのにとても混んでいる。若い人が多い。ダリ展と似た観客構成か?無料の携帯端末を貸し出してくれ、それに従って観て回る。昨日ルーヴルーDNPで借りたものと機能的には似ている。拡大画像で細部を観察することも出来る。混んでいるのはこのため観客の動きが遅くなっているためらしい。 第1章 身近なものと自画像 とても細かい木版画で若いときから優れた技術を持っていることが分かる。自画像が多い。1936年《図式化された音楽》が面白い。彼はバッハが好きだったという。音楽をどのように図式化したのかを示す動画があったが説明がないため良く分からなかった。 第2章 旅の風景 イタリア風景が多い。彼は平地の多いオランダの生まれであるが、イタリアで立体的な表現を学んだという。 《サンジミニヤーノ》・《カストロヴァルヴァ・アブルッツイ地方》・《夜のローマ》などいずれも美しい。 《カストロヴァルヴァ・アブルッツイ地方》は奥行きのある柔らかな構図と白黒のグラデーションがみごとである。実際には崖の上と下を同時にみることができないので想像上の景色ということである。
第3章 平面と立体の正則分割 これからが彼の本領である。随分沢山の展示があり、彼の努力が見てとれる。とくにエッシャーノートをみると、細い線、小さ字が書き込まれており、その努力と執念に驚嘆する。《昼と夜》、《円の極限Wー天国と地獄》は素晴らしい。 《昼と夜》では画面に二つの世界が共存している。左が昼、右が夜;白い鳥が昼から夜へ、黒い鳥が夜から昼へ;下の畑は次第に上の鳥に変容していく。 《円の極限Wー天国と地獄》では白い天使と黒い吸血コウモリ;二つのモチーフが互いに組み合わされ、無限に続いていく。辺縁に行くに連れて小さくなる。これは地平線の彼方に、そしてこの球体の裏側にまで続いていくように見える。
第4章 特異な視点、だまし絵 《球面鏡のある静物》、《三つの球体U》、《バルコニー》、《上昇と下降》、《でんぐりでんぐり》、《描く手》、《相対性》、《メビウスの輪》、《滝》、《蛇》などの有名作品が並ぶ。 トカゲが生まれ、変容し、循環し、そして増殖していく動画《爬虫類》はとくに面白かった。 講談社の《少年マガジン》にこんなに掲載されているとは知らなかった。ここで刷り込まれた若者がこの展覧会に駆けつけたのかもしれない。 最後に作成中のエッシャーのビデオがあったが、黙々と彫刻等刀を使い続けているエッシャーの姿に感銘をうけた。
(2006.11a) |
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Takさんとご一緒に鑑賞した。小人数で話ながら観るのもなかなか良い。有名画家の作品は少ないが、気に入った画を章ごとに列記する。 T 家庭の情景: お気に入りはルイ・ガレの《漁師の家族》・・・漁師は顔を上げて鋭い目で遠くを眺めている。これに対し妻と子は穏やかな眼差し。画家の労働者に対するシンパシーが伝わってくる。ベルギー王立美術館展で観た《藝術と自由》と共通する画家の社会に対する問題意識の発露のように思われる。 フランソワ・フラマンの《18世紀の女官たちに水浴》・・・ブーグローのような美しい女性たち。 マリー・ローランサンの《アルテミス》・・・自画像ということだが曲線をうまく取り入れた素晴らしい画面構成。
U 人と自然の共生: クロード・ロランの《リュコメデス王の宮殿に到達したオデュッセウス》・・・ロランらしい美しい画のはずだが、なんとなく汚れている。エルミタージュ美術館の作品保存状態が良くないのではないか。 クロード=ジョセフ・ヴェルネの《ティヴォリの滝》・・・釣竿や網を持った男たちの配置が巧みである。
ギョーム・ヴァン・デル・ヘキトの《ケニルワース城の廃墟》・・・イングランドの古城。遠くが霞んでおり、快適な遠近感。 ルードヴィッヒ・クナウスの《野原の少女》・・・ベルギー印象派の第一人者。ルノワールのような優しい眼差し。
ギュスターヴ・ドレの《山の谷間》・・・厳しい山の風景。こういう画が好きだ。大作でもある。 ゴーギャンの《果物を持つ女》・・・今回の目玉。ゴーギャンのいやらしさが少ないので、受け入れやすいだろう。 V 都市の肖像: アールト・ファン・デル・ネールの《夜の町》・・・「夜の画家」といわれるだけあって流石。明暗のコントラストの表現が巧みである。 ベルナルド・ベロットの《ゼーガッセからみたドレスデンの旧市場》・・・カナレットの甥。遺伝子が伝わっているのか巧い。 オスヴァルト・アヘンバッハの《ナポリの花火》もよかった。
マチスとアンリ・ルソーの同名の画《リュクサンブール公園》が並んでいるが、軍配は明らかに後者に。ルソーの画は東武美術館のエルミタージュ展にも出品されていた。小品ながらまとまっている。
しかし総じてみると、軽い展覧会。今まで観たエルミタージュ展の中では決して上位にはこない。 さてどうして「大」エルミタージュ美術館展というのか?係員に聞いてみた。これは、Great MuseumということであってGreat Exhibitionということではない!とのこと。この解釈には無理がある。展覧会には大小があるが、エルミタージュ美術館に大小はないからである。 英文タイトルは"Our Landscape: 400 Years of European Paintings of the State Hermitage Museum"という控えめなものである。事実この展覧会には有名画家の画は少ない。しかしこのタイトルは「いま甦る巨匠たち400年の記憶」との訳されている。この訳によると「大」はGreat Masters(巨匠)となる。この誇大なタイトルといい、ド派手なポスターといい、なんとなく商業主義にまみれた展覧会という気がする。 チラシをよく見ると、「大」という字がとりわけ大きく書いてある。さらによく見ると、特別協賛「大和ハウス工業」とこれまた少し大きな字で書かれている。となればこれは「冠」展覧会? ゴルフ・テニス・サッカーなどは後援企業の名前を「冠」につけたものが少なくない。もしそうであれば「大和エルミタージュ美術館展」としたほうがよっぽどスッキリする。 1階の最後に「大使の階段(ヨルダンの階段)」の大きな写真がメタリック・ペーパーに焼き付けらたものが貼られている。これを見ながら美術館の階段を2階へ登っていくのだが、何となく眩暈がしてくる。エッシャーの作品を観た時の気分にも似ているが、真の理由は不詳。 (2006.10a) |
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世田谷美術館で開館20周年記念展としてアンリ・ルソーを中心とした非常に質の高い展覧会が開かれている。 T ルソーの見た夢: アンリ・ルソーだけで22点でていた。お気に入りは《ラ・カルマニョール》・・・革命期の輪舞、《工場のある町》、《エデンの園のエヴァ》、《散歩》・・・公園のなかの洞窟が見えている、《花》・・・ミモザ・菊と青い花を描いたとても美しい画、《熱帯風景、オレンジの森の猿たち》・・・キンカジュー・ヒマラヤンモンキー、オレンジが印象的。 U 素朴派たちの夢: ルソー以外の素朴派も合計22点であるから豪勢である。庭師のボーシャンは植物が綿密に描かれており、《フィアンセを訪ねて》、《地上の楽園》、《聖アントワーヌの誘惑》、《楽園》が素晴らしい。荷担ぎ・道路工夫・大道芸人のボンボワは太って健康そうな女性を描いており、《活気のある風景》、《森の中の休憩》、《池の中の帽子》はいかにもほほえましい。家政婦セラフィーヌは《枝》一点のみであるがとても力強い。郵便配達夫ヴィヴァンは細かいレンガ模様の風景画、とくに《凱旋門》が良かった。 V ルソーに見る夢 近代日本1.洋画: ルソーは日本のアーティストへの影響大。藤田嗣治がパリについてすぐにピカソに会いに行ったところ、ルソーの《婦人像》があり、これを見て藤田が「画とはかくまで自由なものか」と感じて、すぐに自分の絵具箱をたたきつけたという。藤田嗣治の《ル・アーヴルの港》が出品されていたが、暗くて好きになれない。この藤田の周りに集まった多くの日本人画家がこの影響を受け、いわゆる「大正末期のルオー現象」を引き起こしたとのことである。岡鹿之助の《ブルターニュ》・《古港》・《信号台》、小出楢重の《子供立像》、川上澄生の《汽車が通る》、松本竣介の《立てる像》が良かった。 川上は1956年に出版した「我が詩篇」の中で、『我が師の名はアンリ・ルッソー、我が名は川上澄生、我はわが師父と遂に逢いたることなし、嗚呼』と嘆いている。 W ルソーに見る夢 近代日本2.日本画: その影響はその後の洋画家のみならず日本画家にも大きな影響に与えている。吉岡堅二の《楽苑》、稗田一穂の《そよ風》が良かった。とくに後者は完全なルオー風。 X ルソーに見る夢 近代日本3.写真: また写真家にまで影響を及ぼしている。高山正隆の《風景》や渡辺淳の《冬》はぼかしが入ってメルヘンチック、植田正治の《童暦》もとぼけた感じが良い。 Y 現代のルソー像:: さらに現代作家にも信じられないほどの影響を与えている。ここが一番面白かった。横尾忠則の《眠るジプシー》・《森の中の散歩》・《フットボール》はいずれもルソーの作品をもじったブラック・ユーモア、あい嘔の虹色のルソーもきれいだった。最後の青木世一の《ROUSSEAU-KIT「フットボールをする人」》はベニヤ板をくり抜いた面白い作品。とにかく笑わせてくれる。 (2006.10a) |
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この丸沼の美術鑑賞会については、ブログに書いた。小さな展示室に20点の藤田の銅版画が並んでいた。子供シリーズ10点、猫シリーズ10点である。藤田独特の繊細な線がはっきりと出ている。猫の毛なみの質感もパーフェクト。色も付いている。素晴らしい子供たち・猫たちのコレクションだった。 続いて、オーナーの須崎勝茂氏の挨拶、これを売った舟橋ギャラリーの橋場勝一氏の藤田嗣治に関する講演があったので、ここではそれについて記すこととする。 1.藤田嗣治に関して: 橋場氏は調べてこられたことを一生懸命に話され、好感が持てた。ただ内容的にはとくに新しいものではなかったのでここでは省略する。 2.藤田嗣治の版画について: これは銅版画(エッチング、アクアチント)で色もつけてある。藤田は原図を描いて、専門家にこれを渡して版画を作成してもらっていた。そういう意味では創作版画ではない。 3.猫シリーズについて: これは国内にあったもの。後年のものと違い、穏やかな猫である。擬人化したものと考えられている。1929年に東京三越で朝日新聞主催で開かれた展覧会に出品されたものである。西洋で猫が描かれることはそれほど多くない。藤田が猫を飼っていていつでもモデルにできたこともあるが、自分の独自性を発揮するために猫を描いた。 4.子供シリーズについて: 子供の目が猫の目に似ている。これも上述の展覧会に出品されたが、こちらは外国にあったもの。 5.このシリーズの市場価格について: 須崎氏が購入した時より3倍の価格になっている。これに対して須崎氏は「売ればナンボということだから」と笑い飛ばされた。 6.藤田嗣治の油彩の保存について: 薄い布を裏から胡粉を塗って前処理している。このためいたみやすい。持っていても修復を繰り返す必要がある。 7.藤田嗣治の展覧会について: 藤田の画にはニセモノが多い。藤田君代夫人が「これはニセモノ」ということが多いため今まで藤田の展覧会が開きにくかった。 (2006.10a) |
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クリーヴランド美術館が改装中のためのドサ周り。中国・日本・韓国というアジア・ツアー。ということであまり期待しないで出かけたが、意外に好作品が多かった。 暴風雨の中の美術館は閑散として、貸し切り状態。 日本語の説明と英語の説明がまったく違っているので驚いた。英文の説明が高尚で難解なので素人向きの説明にしてしまったようだが、努力してこの難文も和訳すべきであると思った。 1. 印象派: マネ、モネ、ルノワール、ドガ、モリゾ、ファンタン=ラトゥールなど印象派とその周辺の作家による女性肖像画。
2. 後期印象派: ゆったりしたソファーに坐って、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ2点を見渡すことができる。至福の世界。ボナール、ヴュイヤール、ドニなどナビ派、ルドンなどは別の部屋。
3. ロダン: 見慣れた作品が多い。《堕ちた天使》は良かった。羽を付けたまま仰向けに倒れている天使を抱擁するような裸婦。お互いの髪が融合していた。 4. 20世紀の前衛: ピカソ、ブラック、クプカら、マティス、エルンスト、マグリット
5. ドイツやオランダ、イギリスの光: シュミット=ロットルフ、ミュンターなどのドイツ表現主義の作家、幾何学的な抽象画で新しい造形を志向したオランダのモンドリアン、そしてイギリスのムーア、ニコルソンなど
鑑賞会参加者: ジュリアさん、花子さん、Yukoさん、すたさん、KANさん、みゆきさん、マルさん、りつさん、一村雨さん、とら (2006.9a) |
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ダリはシュールレアリスムの鬼才である。しかしはじめは普通の画を描いていた。 1999年新宿の三越美術館で開かれたダリ展で観ている。その時は米国フロリダにあるサルバドール・ダリ美術館からのものを中心にしたものであったが、今回はその他にスペインのフィゲラスからも来ている。 フロリダからのものの中では「世界教会会議」、「新人類の誕生を観察する地政学子供」、「ミレーの晩鐘の考古学的回顧」、「早春の日々」などを良く覚えている。 今回の図録を前回の図録と比較してみるとフロリダから来た37点のうち27点がまったく同じものであった。前回から7年経っているのだからこれらを初めてみた人も多いのでそれはそれで納得できる。 ただ納得できないのは画の和訳が大分違っていることである。前回と同じタイトルのものは27点中8例のみである。明らかな誤訳でなければ画のタイトルは最初のものに統一しておいて貰わないと困る。彼のタイトルの難解さの一つの理由はこのようなわが国の美術関係者のきわめて恣意的な翻訳であると知って驚いた。
結局、前回のほうに良い訳(赤字)が多かったのだから、ヘンナ話である。 今回はじめて観たものの中では、下記のものが良かった。
(2006.9a)
ダリの画はじっとよーく観ても難解です。でも丁寧にきちんと遠近法で描かれているので観ていても気持ちは悪くありません。
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ベルギーは北方ルネッサンスのフランドル絵画と近代ベルギー象徴派絵画との不連続な美術史を有している。
1.今回の展覧会の開催について: 幸福氏はベルギーに留学していたので、なんとかベルギー美術をわが国に紹介したいと考えていたが、国立西洋美術館として初めての大規模なベルギー美術展を開催することができた。 ベルギーすなわちフランドルは油絵の故郷であるが、同時に板絵の故郷でもある。このためベルギー王立美術館は板絵の修復に力を入れており、板絵は貸し出ししないことになっている。15世紀のフランドル絵画を借りたいと思ったが、結局了承が得られなかったのは残念である。そのためか「イカロスは貸しましょう」ということになった。 2.フランドルの古典絵画: 15世紀ではヤン・ファン・アイクが有名である。当時のフランドルはフランスのディジョン地方とともにブルゴーニュ公国と呼ばれていたが、その4人のデュークのうちの一人が彼の画を購入している。 16世紀半ばでは、ブリューゲルが農村の民俗を描く一方、イタリア留学から帰ったロマニスムの画家たちが貴族趣味の画を描くという対立する二つの流れがあった。 《イカロスの墜落》は、イカロスの姿が小さすぎる、イカロスの父親が描かれていないなど不可解なところがあり、ピーター・ブリューゲルの真筆とはいいきれないとのことである。これは板絵ではなく2枚のカンバスに描かれている。水平線に太陽が描かれているが、そうするとイカロスはずいぶんとゆっくり落ちてきたことになる。 西洋美術館の常設展から、その頃人気が出てきた父の画をコピーしていた長男の作品と次男のヤン・ブリューゲルの作品を参考展示している。 ルーベンスの画は大作が多く、今回は運べなかった。彼の《聖ベネディクトゥスの奇跡》は晩年の作で、隣にドラクロアの同名の作品が展示してある。 ルーベンスの肖像画は公式的なもの多いが、ヴァン・ダイクの肖像画には情感のこもったものがある。 ヨルダーンスは庶民的な画を描き、ルーベンスと対照的である。これはヨルダーンスが画の依頼主を別な層に求めたからであろう。《飲む王様》はゲームで紙の帽子を被ることになった男が酒を飲むところ。左には吐いている男、右にはお尻の始末をされる子供。卑俗な画となっている。 テニールスはウィーンからきたハプスブルグ家のウィルヘルム大公のイタリア絵画コレクションの画廊画を描いている。今回展示されているものにはティツィアーノ、ラファエロなど現在ウィーンの美術史美術館に所蔵されているイタリア名画が描き込まれている。 《花と果実》を描いたアブラハム・ブリューゲルはピーター・ブリューゲルの曾孫で、遺伝子が引き継がれていることが見てとれる。 3.素描画: 風景をテーマにしたものが多い。個人的にはパウル・ブリルの《森の中の池》や《城砦を頂く岩山の間を流れる急流》が気に入った。自宅に飾れるほどの小品。 4.近代絵画: 戦乱の18世紀には観るべき作品がない。19世紀になって独特なベルギー近代絵画が再生してきた。 ナヴェスの《砂漠のナガルとイシマエル》や《ヴィルデル夫人と息子の肖像》にはフランスの新古典主義の影響がある。 ヴァン・ブレーの《家族に囲まれ、庭で制作するルーベンス》ではナショナリズム的発想からルーベンスがロマン主義的に描き込まれ、アンリ・レイスの《フランス・フローリスのアトリエ》にはルーベンスの画が描きこまれている。 ルイ・ガレの《藝術と自由》はボロ服をまとったしっかりとした面構え青年バイオリン弾き。わたしのお気に入りである。拡大画像はブログに載せた。 ステヴァンスはマネと親交があった画家だが、彼の《アトリエ》にはブリューゲルの画が描きこまれている。ブラケレールの《窓辺の男》は明らかにフェルメールを意識している。 クノプフやアンソールは初期には通常の画を描いていたが、そのうちにそれぞれ独自の象徴主義絵画に転換していく。 アンソールの《燻製ニシンを奪い合う骸骨たち》は燻製ニシン(アランソール)をアンソールにかけて、彼の画をあれこれと批評する美術評論家を皮肉っている。 超現実主義の画としては、デルボーの《夜汽車》やマグリットの《光の帝国》が出展されており、特に後者はベルギー王立美術館を代表する作品の一つである。この画では昼の空と夜の家が同居している。 ジャン・デルヴィルの《トリスタンとイゾルデ》についてはブログに書いた。 サーデレールの《フランドルの冬》はブリューゲルの《雪の狩人》を意識している。1830年に独立したベルギーのアイデンテティイの発露であると考えられる。サーデレールとブリューゲルの関係については、2005年1月府中美術館で開かれた「ベルギー近代の美」鑑賞会で池上先生から聞いたことと一致している。 一方クラウスは外光派でフランス印象派の影響をもろに受けているが、右のように大変美しい画でお気に入りである。 (2006.9a) |
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ウィーン美術アカデミーとは、いわば オーストリア美術大學。美術アカデミー付属絵画館はウィーン最古の公共美術館で、そのコレクションはルネサンスから近現代に至る名品で構成され、ウィーン美術史美術館に次ぐ規模を誇っている。 このハプスブルク黄金時代のコレクションは、女帝マリア・テレジアに仕えたランベルク伯爵から遺贈された絵画が基礎となっている。 一番最初に展示されているヴァン・ダイクの《15才の自画像》は引き込まれるような小品。 ルーベンスの《アンギアーリの戦い》は未完のレオナルド・ダ・ヴィンチのパラフレーズ。以前からこの画の存在を知っていたが、実際にその前に立つと感慨ひとしお。両天才の時代を超えた合作である。ルーベンスの《三美神》も迫力があった。 レンブラントの《若い女性の肖像》は肌が美しすぎ、陰影の具合もいまひとつ。レンブラント・リサーチでは真作と判定されたというが、本当かな?ちなみにランベルク伯爵の集めた他のレンブラントはすべて真作ではないと判定されているという。 ムリーリョの《子供のサイコロ遊び》、グアルディの大型ベッドータ3点、ミヒャエル・ヴィッキーの夜景と噴火の画、ピーテル・ブールやデ・ヘームの静物画など質の高い画が多かった。 マルティン・ファン・メイテンスの描いた《女帝マリアテレジア》は貫禄そのもの。思わずたじろぐ。(2006.9a) このところデュフィやクレー等近代の軽快な絵画を観ていたので、久し振りに重厚な絵画をみた感じ。アカデミズムの絵画は丁寧に細密にたぶん相当の時間をかけて制作されたものなので、観るほうも丁寧に観ないと失礼と思う。右横の静物画にしてもそれぞれの質感がどうしてこんなに上手く表現できるのかと驚き感嘆。名前はあまり知られていないけれど、すごい画家は沢山居ることを実感。 また「番の孔雀」や「争う鶏のいる庭」というメルヒオール・ドンデクーテルの画があった。孔雀や鶏は最近若冲で散々観たが、洋画での表現はやはり厚みがある。鶏の体を押すときっと肉が詰まって弾力を感じるだろうという触感すら表されている。油絵の素晴らしさをフルに発揮できた絵画が沢山あり、とても楽しめた。必見の展覧会と思う。(2006.9t)
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ピカソとモジリアーニの時代(リール近代美術館):BUNKAMURA
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リール近代美術館所蔵のデュティール・コレクション。今日はその初日。Juliaさんと一緒に観た。 展示は4章に分かれている。第1章「ピカソ/キュビスムの世紀」はブラック5点・ピカソ8点・レジェ9点、そして彫刻のロランスの作品6点、合計29点が並んでいて見応えがある。とくにブラックの《家と木》などはセザンヌからキュビスムへの移行が良く分かる。比較的小品が多いので迫力はないが、コレクターの趣味が見てとれる。 第2章「モジリアーニ/芸術の都パリ」はこの展覧会の中心。油彩6点を含め全部で12点のモジリアーニ室が作られている。中央に椅子があり、ゆっくり坐って全体を見渡せる。《母と子》は大きな作品で、この部屋の白眉である。一言でいえば彼の聖母子像。緑の帽子、黒い服、白のスカート、茶色のブーツの子供は娘ジャンヌであろうか。この子の服装といい、母の黒いショールといい、この部屋の寒さを想像したりする。 《肌着を持って坐る裸婦》の肌の色が柔らかで、《男の横顔》の顔には横に木目色の太い帯が書き込まれており、まるで円刃刀で彫った木版画のように思われた。 第3章「ミロ/シュルレアリスムから抽象画へ」には、ミロ6点・マッソン・スタール・ポリアコフ・クレー・カンジンスキーなど有名作家の作品が並んでた。中でも、クレーの《夕暮れどきの人物》は気に入った。顔の一部だけに光が当たっている。窓からの夕陽であろうか。そちらの瞳孔は極端に収縮しているが、反対の左眼は全体が青色となっており、瞳孔が開いているようにも見える。この人物は明るい世界を見る目と暗い世界を見る目が違っているのである。 第4章「ビュッフェと素朴派/二極化する具象表現」というまとめ方は面白かった。《石打ち刑》のようなビュッフェの画は鋭く尖って強く訴える具象画であるが、好きになれない。これに対して、ボーシャンの画は純真な魂の表現のような素朴な具象画である。ボンボワの《ヒナゲシの花を持つ田舎の娘》は遠くの麦畑、近くの花畑を背に、明るい日差しの中、目を閉じているが、観ているこちらまで睡魔が伝わってくる。ランスコワの画が7点、アルチュール・ヴァン・エックの画が4点出ていた。お互いに知人のようであるが、今回初めてこの二人の画を観た。両者とも棘のない画である。 総じていえば、肩の力を抜いて気軽に観ることのできる気取らない展覧会だった。 (2006.9a) 付記: Bunkamura Galleryでは「万華鏡展」が開かれていた。入場無料なので、入ってみた。覗くと、そこはとても素晴らしいキラキラする宇宙。19世紀に外国で発明されたもので、最近リバイバルし、カレイドスコープ・ルネッサンスという時代に入っているとのことである。高いものは80万円以上、安いものは3000円程度。高価なものまで自分で手にとって見られるという粋な計らいである。
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空海の真言宗や最澄の天台宗では密教がその中心にあり、曼陀羅(マンダラ)は非常に重要な役割を果たしていたということである。空海と高野山展や最澄と天台の国宝展でも密教美術にお目にかかっている。その中に胎蔵・金剛界のマンダラが展示されていたと記憶している。大勢の仏たちがぎっしりと描きこまれているものの、退色が著しい。さらにこのような密教の今日的な意義がほとんど感じられない。ということでこれらの古いマンダラの前を通り過ぎていってしまっていた。 今回のマンダラ展には「チベット・ネパールの仏たち」という副題がついている。HPを見て驚いた。ネパール、モンゴル、ブータン、インド、チベットのマンダラは極彩色なのである。しかも現在も作成されているのである。今まで日本で観てきたあの古びたマンダラとは天と地ほども違う。そこで勉強のために見に行くことにした。 マンダラは、神々や仏たちと、その宮殿や世界の中心にそびえる須弥山が描かれた宇宙の縮図である。約1500年前にインドで誕生し、ネパール、チベット、中国、そして日本へも伝えられた。密教の修行僧が悟りを求めて修行する際の心の案内図として、あるいは弟子の入門儀式などに用いる道具として、チベットやネパールでは今も生き続けているのである。 展覧会は、マンダラに登場する仏たちの紹介から始まる。第1章「仏教のパンテオン −マンダラの仏たち−」である。 マンダラに住む仏たちの姿は5つのグループに分類されている。 (1) 仏: すでに悟りを得た釈迦如来、薬師如来、大日如来、阿弥陀如来、ヘールカ仏など。 (2) 菩薩: 悟りを開いて如来となるために修行に励む観音菩薩、文殊菩薩、観自在菩薩、弥勒菩薩など。 (3) 女神: 密教の隆盛につれ男神の妃として高い地位を占めるようになったターラー、般若波羅蜜多女、ヨーギニーなど。 (4) 護法神: 仏教の教えを守るために、教えに従わないものを威嚇しながら導く不動明王、大黒天など。 (5) 群小神: ヒンドゥー教を起源とする神々バイラヴァ(シヴァ神)など。 (6) 祖師: チベット仏教では師(ラマ)が重要視され、仏や神々と並んで信仰の対象となっている。 展示が分かりやすく配列されており、勉強になった。 第2章「仏たちの住む宮殿 −マンダラとは何か」 は今回の展覧会の中心である。
マンダラは、中心の仏をとりまいて整然と並ぶ仏たちと、彼らが住む宮殿のふたつの部分からなる聖なる空間だということが良く分かった。マンダラは、仏教が神秘的な傾向を強めた密教の考え方と結びついて生まれたものである。約1500年前にインドに生まれ、ネパール、チベット、中国へ伝えられ、平安時代に空海が日本にもたらした。 13世紀に入るとインドでは仏教が衰退したため、マンダラはほとんど残っていないが、ネパールやチベットには、衰退前にインドから伝わったマンダラが今も生き続けているのである。そこには寺院の壁を極彩色で飾るマンダラや、儀式に先立って描かれる砂絵マンダラなど、中国や日本に伝来したものとは色合いを異にしたマンダラがあり、独特の発達をとげた信仰や儀式とともに残っている。 円と正方形でできた幾何学的形態で、細密画を思わせる緻密な描写であること、そして仏たちがすべて中心を向く配置となっている。 素晴らしい極彩色。150人以上の仏たちが住み込んでいる。 仏教の宇宙論の基本となっているのは、地水火風の四大元素に支えられて世界の中心にそびえる須弥山という巨大な山である。この山を中心にして宇宙はひとつの生命体ととらえられているため、世界としてのマンダラはわれわれの身体そのものでもあると考えられている。 マンダラは、宇宙と自己を一体化するために瞑想する修行者の心のガイドブックであり、儀礼のツールとなっている。マンダラが、宗教や時代、地域を越えて普遍性を持つ図形として現在も注目されているる理由はここにあるのであろう。 最後に今回来日したチベット僧たちの砂絵マンダラの作成過程を見た。驚いたことにはマンダラが完成した後、祈祷し、すぐにこれを壊し、その砂を容器に入れて荒川に流してしまったのである。 仏教にしても日本は世界の最果ての地である。マンダラにしても日本の常識は世界の常識ではないことがよく分かった。ブログ@参照 そこで帰途、本屋に寄って、頼冨本宏著「密教とマンダラ」(NHKライブラリー)を購入して読んでいる。仏教、大乗仏教、中期密教、後期密教の流布の時代的な相違によって、現在の密教の地域的な相違が生じていることを理解した。(2006.9a) 付記: 常設展のなかに上村次敏の《サン・マルコ広場》など驚くべき作品があった。これについてはブログAで触れることにする。
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猛暑の中、鎌倉大谷記念美術館まで歩いた。途中御成小学校の立派な門を通り過ぎる。この美術館は大谷米一氏の邸宅を美術館に改造したものである。フォーブやエコール・ド・パリの名品を集めたオータニ・コレクションは以前はニューオータニ美術館で時々公開されており、ヴラマンク展を観たこともある。このようなアールデコ風の装飾もある立派な建物の中に掛けられて、これらの画は幸せだろう。 通りから玄関まで下の写真のように素晴らしい林の間をだらだら登と上っていく。玄関の脇には加藤唐九郎の陶板《白雲青松》が掛けてある。 今回は「微風展」という名称で爽やかな画が集められていた。 デュフィでは、机の上にヴァイオリンと楽譜が載っている《黄色いコンソール》とその机の実物の黄色、《ドーヴィルのレガッタのあと》、《ドーヴィルの波止場》の青、《ドーヴィルの競馬》、《ドーヴィル競馬場の騎手》の緑が印象的である。彼の色彩感覚は爽やかである。 マルケの《ヴェニスの朝》はいつもの灰色のような色調が吹っ切れた明るい青で、ヴァポレットなども良く描けている。昨年のヴェニス美術散歩のことを思い出した。 ルドンの《花瓶の花》、ユトリロの《サンノワの風車小屋》、キスリングの《コンポートの中のフルーツ》などもお気に入りであった。 (2006.8a) |
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文明の発祥地の一つメソポタミアの隣に位置する西アジア、イラン高原の文明。それを実証するる第一級のコレクションが今回イラン国立博物館などから来ている。 この地の歴史は複雑である。 先史時代に続き、前10世紀ごろエラム、前8世紀〜前550年はメディア、前550年〜前330年はアケメネス朝ペルシャ、続いてアレクサンドロス帝国、前312年〜前248年はセレウコス朝シリア、前248年〜後226年が遊牧民のパルティア、226年〜651年はササン朝ペルシャ、そしてその後はイスラム帝国といったところである。 ペルシャ人ははじめメディアの支配下にあったが、前550年にアケメネス朝ペルシャを建国した。そしてりディア・新バビロニア・エジプトを次々と征服、ダレイオス1世(前522〜前486)の時代には、東はインダス川から、西はエーゲ海、南はエジプトにいたる大帝国が出現し、全オリエントの統一が完成した。当時の王都はいうまでもなくペルセポリス。 今回の展示品は時代ごとに分類されている。まず「イラン最古の都市群」という章では、前5000年紀の大理石をくり抜いて作った素晴らしい鉢の他に、動物や幾何学模様のある彩文土器が多数出品されていた。とてもこの時代にこれだけのものが作られていたとは信じがたいことである。同様のものは2000年に開かれたメソポタミア文明展でも観た。文化は国の境界を越えて拡がるということは今も昔も変わらないのであろう。前1000年紀頃になると研磨土器、ことにイランに今もいるという「コブ牛」形でツルツルに磨いた土器が特徴的である。 次の「黄金の煌き」には、《黄金のマスク》、《黄金のライオン装飾杯》、《黄金のライオン装飾腕輪》など金製品が出てくる。銀製品、ルリスタン青銅器も多数出品されている。 紅玉髄・ビーズ・ラピスラズリなどの装身具。これはアフガニスタンからメソポタミアへの「ラピスラズリの道」から運んでこられたものらしい。円筒印章が沢山あった。これはメソポタミア展でもみた。有用なものの伝播は早い。 「ペルセポリスの栄光」ではペルセポリスから出土した遺品が並んでいる。巨大な文明の存在の証明である。《ライオン像の足》、《ホルス神の飾り板》などが印象的だった。アレキサンダー大王がほとんどすべてを破壊してしまったが、残っているところは世界遺産。当時のペルセポリスの地図が面白かった。ポスターの《有翼ライオンの黄金のリュトン》はアケメネス朝時代のものとのことである。これがやはり一番素晴らしい。《黄金の短剣》もアケメネス朝の装飾品である。 「シルクロードと正倉院への道」にはササン朝の器物もでていた。シルクロードを通って正倉院まで辿りついた文物の始点ということのようだ。コインが沢山でていた。単位はドラクマ。王様の肖像が彫られているため、どの時代であるかを特定できる。(2006.8a) |
「カミーユ・クローデル 世紀末パリに生きた天才女性彫刻展」:府中市美術館
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カミーユ・クローデルは、オーギュスト・ロダンの弟子であり、愛人であるという波乱に満ちた生涯が人々の心を魅了する。彼女の作品自体にはロダンからの影響も見られるが、独自の物語性や演劇性に満ち、完成度の高い作品が多い。今回初めて彼女の作品を通して観ることができ、いろいろと考えることが多かった。今回の展覧会はいくつかのテーマにわけて展示され、その間が薄いカーテンで仕切られた配置で分かりやすかった。 クローデルは1864年生まれであるが、早くから彫刻にめざめ、1876年にはアルフレッド・ブーシェに師事した。ブーシェがその年に作って彼女に贈った《読書するカミーユ》が今回出品されているが、本当に幼い12歳の美少女である。彼女が1879年に制作した《ビスマルク》をみると彼女自身の才能が見てとれる。1881年にパリに移住し、美術学校で本格的に彫刻を学んだ。1881年制作の《ダイアナ》も素晴らしい。 1883年〜1889年ロダンの弟子・愛人となったことはあまりにも有名である。この頃の彼女の作品は動的で愛情豊なものが多い。お気に入りは、《うずくまる女》、《かがんだ男》、《束を背負った若い娘》、《オーギュスト・ロダンの肖像》、《シャクタンタラー》などである。 1983年にロダンと別れ、ひとりでアトリエを構え制作を続けることとなった。このときの彼女の心情が《分別盛り》、《飛び去った神》、《嘆願する女》にいじらしいほど表されていて胸が打たれる。《幼い女城主》は失った胎児へのオマージュであろうか。その後経済的には非常に大変だったようだが、有名な《ワルツ》にはまだこのような心情が残っているような気がする。、《波》、《手紙を読む女》では彼女の気持ちは完全にロダンから離れ、《運命の女神》、《真理の女神》、《フルートを吹く女》では諦念の境地に達していたようにも見える。 しかしロダンとの別れ、これに伴う経済的な逆境は彼女の精神を次第に蝕んだ。父親からはサポートを受け、弟との親愛の情は続いていたが、母親や妹から完全に見捨てられていたことも追い討ちをかけたのかもしれない。 1913年父親が死去するや、その8日後に精神病院に強制収容され、1943年に死亡するまで30年間も精神病院内に隔離されていた。病名はいまでいう統合失調症とされている。 クローデルは才能豊な彫刻家であったが、極端に気位が高く、社会性が乏しかったことも女性芸術家として当時の美術界に適応していくための妨げになったようである。その後府中市美術館内で「カミーユ・クローデルとイタリアー伝統と革新」という題の講演会を聞いた。演者は千葉大学助教授の植村清雄氏である。非常に幅広いテーマであるが、その内容をここに紹介する。(2006.7 a) |
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クレーの展覧会は日本で何回も開かれている。各地の美術館等にもかなり所蔵されている。今回の展覧会のチラシによると『「ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン美術館、シュプレンゲル美術館、フォン・デア・ハイデン美術館から来たものを「中心に」に150点を展示』という触れ込みであったが、国内のものが60点もあった。一種の誇大広告である。 「芸術とは目に見えるものの再現ではなく、見えるようにすることである。」 大丸で開かれたクレー展で見たクレー自身の言葉である。すなわちクレーが何を見せようとしているのかということが理解できればよいのである。ちょうど学芸員のギャラリー・トークにぶつかった。彼女は一生懸命「クレーが何を見せたいのか」というラインに沿って説明していた。展覧会自体も5章に分類してあったが、難解な章立てである。 私はこれらとは少し違うアプローチでクレーの画をを鑑賞した。画の前に立つ。まずその画が「好きかどうか」を瞬時に決める。嫌いなら何も考えずに次の画に移る。好きなら「どうして好きなのか」を考える。なにか画からでてくる音楽的な響きが自分の固有振動数と合うのか、こんなデザインの洋服を着た女性が思い浮かぶのかetcである。クレー自身がどんな事をわれわれに伝えたかったのかもちょっとは考えるが、クレーにおもねって深くは考えない。軽いフットワークで次の画の前に立つといった具合である。 ドイツからのものとしてよかったのは下記。
日本国内のものでは下記(画像をクリックすると拡大)。
常設展では、江戸時代の作品をじっくり観てきた。最近、プライス展や尚蔵館展で少し目が肥えてきてからである。
(2006.7 a) |
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梅雨の中休み、水戸に出かけた。水戸駅の南口はすっかり近代化されている。東京と違って爽やか、約15分の散歩で美術館につく。 この展覧会は国内を巡回しない。ワルシャワにあるパウロU世美術館の所蔵品だが、ルネッサンス・バロック・ロココの巨匠の絵画展である。さぞ混雑していると思いきや中はガラガラ。なるほどチケットの本日の通し番号は00073番である。. 会場に入るといきなり出てくるのがナティエの「花の神フローラに扮する女性」。このロココの画は今回の目玉らしい。とびきりの美人。 次からはルネッサンスの巨匠たち。 ティツィアーノ「メディチ家の子ども」・・・・・顔は変だが、ドレスの模様が金色で浮かび上がってくる。じゃれている犬も可愛い。 アルブレヒト・デューラーの「聖アンナと聖母子」・・・・・あまり上手くない。工房の作品らしい。 ルーカス・クラーナハの「聖母子」・・・・・これは上手い。イエスの持つ葡萄が印象的。 ボルドーネの「ダフニスとクロエ」・・・・・牧歌的な風景の中で横たわる伸びやかなカップル。 ティントレットの「ウリヤの死を知らされるダヴィデ王」・・・・・ダビデ王が従軍中のウリヤの妻、パテシバの美しさに惹かれ床を共にし、パテシバが子供を宿した。ダビデは戦地の司令官に「ウリヤを最前線に出し彼を残して退却し、戦死させよ」という手紙を送った。この画は使者からウリヤの訃報が伝えられた劇的な瞬間。大作である。 ヴェロネーゼの「ダニエルに食事を運ぶ予言者ハバクク」・・・・・小品ながら物語が凝縮されている。 次はバロック。 アンニバーレ・カラッチの「聖母子」・・・・・イエスの巻き髪が素晴らしい。 ルーベンスの「毛皮のフールマン」・・・・・若い後妻の豊満な裸身像。彼女はルーベンスのビーナスらしい。 ヴァン・ダイクの「エジプトへの逃避途上の休息」・・・・・美しい聖母子と天使たちの乱舞。 ベラスケスの「自画像」・・・・・ラスメニーナスの表情に比べ厳しい顔つき。 レンブラントは2作出ていた。「襞襟を着けた女性の肖像」・・・・美しすぎて感情がない顔。本当にレンブラントの真作か??・、もう一つは「ひげのある男の肖像」・・・・・小品ながら男の内面まで表したすばらしい作品。 次は18世紀の作品たち。 ロココの派手な画のほかに、ゴヤの「水を運ぶ女性」が出ていた。・・・・・いかにもゴヤらしい作品。素晴らしい。 もったいないほどの展覧会だった。(2006.7a) |
アルベルト・ジャコメッティ‐矢内原伊作:神奈川県近代美術館 葉山
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静かな環境でジャコメッティ展を観た。今回の展覧会には油彩画が多数出品されている。灰色と茶色が主体の画であるが、細い線が何度も書き加えており、最後には顔も体も灰色になってしまうほどである。ジャコメッティーは「見える通りに」表すことを目標にしており、そのため悪戦苦闘していたようだ。カンバスの上で彫刻の作業を準備いたと思うほどである。 第1章:初期・キュビスム・シュールレアリスムを経て 北斎の模写、父親の作品に似た《山岳風景》、キュビスムの《カップル》、《キュビスム的コンポジション‐男》、《歩く女》は素晴らしい。ジャコメッティにこのような初期の作品があったことを初めて知った。《スタンバの居間にいるディエゴ》をみると彼の並々ならぬ画才がうかがえる。 第2章:モデルたち 妻アネット、弟ディエゴがモデルになった作品が多い。母アネッタ、父親、娼婦カロリータ、矢内原伊作のほかにストラビンスキーや彼の作品のコレクター、トンプソンなどもモデルになっている。 彼の彫刻が並んだ部屋の前では、黒のブロンズと白い壁に映る陰影の対照に思わずたじろぐ。部屋に入ることを一瞬ためらうくらいだ。 彼の彫像は正面から見ると細いが、横から見るとちゃんとした顔になっている。これは大発見。《ヴェニスの裸婦》も素晴らしい。 白い台上に4体の女性像が並んでいた。横から見ると素晴らしい配置、部屋から出る際には思わず振り向くほどだった。 第3章:ヤナイハラとともに 1955年、哲学者の矢内原伊作はジャコメッティーを訪ね、その後帰国の挨拶にいったときにモデルになることを頼まれ、その後長い付き合いが始まった。 石膏が2点展示されていたが、どれもリアリスムの極地!《横顔のヤナイハラ》という画もあり、彼が360度の角度からモデルを見つめていたことが分かる。 第4章:空間の構成と変容‐人物・静物・風景・アトリエ ここにセザンヌ《セザンヌ夫人》・ヴェラスケス《インノセント教皇》・デューラー《騎士・死者・悪魔》の精密な模写が出ていたが、その巧みさには舌を巻く。 《檻》や《鼻》という変わった作品も面白かった。 窓際に《台上の4つの小彫像》は一人ずつちょっと違った形の女性だが、明るい窓際に置かれており、正面からみると全体が逆光の中に一つにまとまっていた。彫像は庭の石楠花、松そして海を背景にした素晴らしい一幅の絵に入り込んでいた。 最後の部屋には矢内原コレクションが並んでいた。矢内原の友人の詩人宇佐美が所蔵していた小さな白い《裸婦像》も素晴らしかった(2006.6 a) ジャコメッティは 彫刻をする前にその人物の画を沢山描くのですが、その絵の顔はブロンズを感じさせるように黒くて細面で、もう既に彫刻のイメージです。画の顔がそのまま立体的な彫刻となっているのですが、彫刻が先で画を後から描いた様にさえ思えるのです。(2006.6t) (追 記)今日の「新日曜美術館」はジャコメッティであった。東大の小林康夫教授がゲストとして出演されており、jジャコメッティがなぜ針金のような彫刻を作ったのか、また彼の画が灰色で見えないほどはっきりしない人物像なのかという疑問に解答を出してくれていた。 彼が女友達が去っていく姿を見送りながら、あることに気づいた。見えるままに描くと像はダンダン小さくなっていく。これは彼女の本質の一つである。すなわち向こうへ去っていく本質であり、そのままでは最後にはあまりにも小さくなって表現できなくなる。一方、モノにはこちらへすなわち大きな姿のほうに戻ってくるいわば変わらない本質もあるはずである。彼はこのようなモノの本質を表現する際に、驚くことに、細長くなければ現実に似ないことに気づいたのである。 像は真正面から見られることを想定されているが、例えば彼の作品の「鼻」を正面からみると、鼻の先端はこちらに向って迫ってくるのに対し、顔の部分はダンダン向こうのほうへ遠ざかっていくように作られているというのである。このようにな意味で「見える通りに」表現しようとしていたのあるから、これはまさに不可能に対する挑戦であったといえよう。 油彩画については、小林教授は、彫刻のように奥行きで調節できないので、遠ざかる(死んでいく)本質はグレーで、こちらに近づいてくる(生きている)本質は黒で表現しているとの説明だった。 実は朝この放映を聞いた時にははっきりとは理解できなかったので、本屋で「芸術新潮」を買ってきた。その中の保坂健二朗氏の記事を熟読したが、これもよく理解できなかった。そこで「新日曜美術館」の夜の再放送をもう一度聞きなおし、小林氏の考え方についてやっと一応の理解に達したので記事とした次第である。 しかし「新日曜美術館」のなかには、木彫家の舟越桂氏も登場していた。舟越は、「ジャコメッティはモデルへの距離、例えば空間的に鼻よりも目が遠いということを強く意識している」とコメントしていた。こちらのほうの考えで行くと、正面から観ると耳のほうが鼻よりも奥にあるので左右の目の間の距離は左右の鼻翼の距離よりも相対的に短くなる、すなわち顔の幅が狭くなるということである。非常に分かりやすい。正面から観るとまるで幅のない細い顔であっても、その顔を横から見るとちゃんとした横顔になっているという事実はこれなら説明できる。(2006.7.2) |
ルーヴル美術館展‐古代ギリシャの芸術・神々の遺産:東京藝術大学大學美術館
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ローマンコピーが多いとはいえ、素晴らしい作品がルーヴルからやってきた。ルーヴルの展示室の改修に合わせて来日したものである。この改修工事にNTVがずいぶんとお金を出したらしい。下記は「お気に入り作品」の感想。説明していただいたギリシャ美術史専門家の中村るい先生から聴き取ったことに、自分のの第一印象を付け加えたものです。
#3:アザラのアレキサンドロス:銘があるので本人と分かる。鋭く意志の強い表情。 #5:アンティペを誘拐するテセウス(赤像アンフォラ):ストーリーが面白く、画が技巧的。 #7:アテナ:籠から蛇の形のエリクトニオスが出てくる不気味な像だが、バランスが良い。 #9:会計碑文:ギリシャ文字が美しい。 #10:アクロポリスの建設(赤像スキュフォス):巨人が大石を運んでいる姿が良く描けている。 #11:ミロのアンフォラ:装飾的で複雑な赤像。白く塗ったところもある。「巨人と神々の戦い」いわば「巨人・阪神戦」で阪神(とら)の勝利 #12:首飾りをつけたミネルヴァ:堂々たる彫像。衣服の襞も美しい。 #16:ヘルメス・エウリデケ・オルフェウス(浮彫):永久の別れを悲しむオルフェウスの目を閉じうつむいた顔と諦念を顔に浮かべながら見つめるオルフェウス。素晴らしい情感のこもった浮彫である。本日のベストの一つ! #19:母と娘(墓碑):死にゆく母親が娘に小鳥を渡している。出産死との関連がキャプションに書かれていたが、娘が大きすぎるのではないか。 #20:ライオン(葬礼記念碑):ダイナミック。あとで取り付けた足はいかにも不自然である。
第2章 古代ギリシャの生活 #38:ふくろう(赤像式オイノコエ):これはまさしく漫画。大分前にアテネに行った時にエーゲ海の島で家内に買ってきたお土産のふくろうに似ている。家内にあのブローチを見せて!といったら、探さないと分からないとのこと。 #42:ソシノスの墓碑:パルテノン・フリーズの神々の坐像を模して鋳造師ソシノスを彫っている。パルテノン神殿完成後、その技術が一般人にも応用されたと考えられる。 #69:赤像式鐘型クラテル:輪転がしで遊ぶ少年「ガニュメデス」とそれを狙うゼウス。ガニュメデスの手には、恋の贈物の雄鶏。シンプルで美しい画だが、話は好きになれない。
第3章 古代ギリシャの競技精神 #73:ナルキッソス:柔らかな表現の青年像。確かに下を向いているが、目は開いているかどうか分からない。
第4章 神々と宗教 #104:ボルゲーゼのアレス:大きく堂々としている。本日最大の出し物の一つ。アルルのヴィーナスと向かい合って配置されているが、もともとのペアでないため、何となく釣り合いが悪い。 #106:トカゲを殺すアポロン:龍を殺す強いアポロンがトカゲを殺すのをためらっている。パロディはこんな昔からある。
#123:ゲネトリクスのヴィーナス:頭は後から付けたものだが、薄物のドレパリーの流れが素晴らしい。シースルーである。「濡れる」と表現される豊麗様式とのことである。 #127:アルルのヴィーナス:本展覧会の出し物ナンバーワン。後から付けたものが多いが、角度によっては素晴らしい美しさである。昔はヴィーナスでなくアルテミスといわれたらしい。 #130:アフロディテ頭部(カウフマンの頭部):素晴らしい表情。Melting gazeというらしい、男はこの魅力に溶かされる。中村先生のコメントでは、右から見ると微笑んでいるが、左から見ると高貴な顔とのことである。そういわれればそうである。男はこれに騙される。 (2006.6 a) PS: 今回は大勢のグループツアー。終わってイタリアンレストランで乾杯。蒸し暑いのでビールがうまい。 参加者は池上先生、Takさん、Yukiさん、Nikkiさん、イッセーさん、ミズシーさん、スイトピーさん、KANさん、みゆきさん、Juliaさんと私の11人。会場にはToshi夫妻とチュミさん(らしき人)もみえていました。良いメンバーでした。 |
丸沼芸術の森に行ったいきさつはブログに書いたので、展覧会自体だけを見た順に書くこととする。 @ 《オルソンの家》、《オルソンの家の北側》、《冬の葬式》・・・家の水彩・習作が並んでいる。オルソン家の模型も出ていたが、ガッチリとした「バロック風の田舎家」で、画のほうはさらに堅固で、静寂そのものである。 A ワイエスといえば何といっても《クリスティーナの世界》・・・今回、その習作1948年が出品されており、満喫できた。後姿であるが、ほつれ髪や突っ張った手が印象的である。 B 《海からの風》の習作と水彩画・・・見えない風を見えるようにしているところにこの画家の卓抜さがある。 C 《オイルランプ》・・・本画はテンペラのようだが、ランプの習作とクリスティーナの弟《アルヴァロ》の習作がある。どちらも入魂の作品で惹きつけられる。 D 《アンナ・クリスティーナ》習作・・・クリスティーナは足が不自由で台所の椅子で過ごすことが多かったそうだが、この画はそのワンショット。窓とドアから差し込む光線はまるでレンブラント光線。 E 《オルソンの納屋の内部》《アルヴァロの馬》・・・迫力がある。これも窓からの光が、牛のお尻や乳房を照らしている。 F 《卵の計量器》・・・実物は見たことがないし、完成した画もないようなので、全体がどういう画になるか見当がつかないが、沢山の習作はそれぞれ力作である。 G 《幽霊》・・・これはチョット分かりにくかった。 丸沼芸術の森には、ワイエスが236点もあるという。今回は水彩・素描の27点だったが見応えがあった。あまり多いと通り過ぎるように見てしまうが、今回はこの一部屋だけなので、舐めるようににして見ることができた。(2006.5 a) (追 記)花子さん、Nikkiさん、cherryさんと一緒に丸沼芸術の森の研究会へいってきた。その様子はブログに、レクチャーの要旨はHPの別ページに書いた。(2006.5.27)
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ホルスト・ヤンセン(1929‐95年)はドイツの版画家・素描家である。日本におけるドイツ年の一環として展覧会が開かれたのである。はっきり云って、「グロテスクの美」への興味が優先している作家で、その銅版画はあまり好きになれなかった。画家自身の生活も、素行が悪く、多くの女性とつきあい、いつも浴びるように酒を飲んでいたとのことである。 ただ彩色画には結構好いものがあった。《アマリリス》、《カトリックカラー》、《レンブラント‐自画像》、《フリュス》、《歌麿による『小猿とご婦人』》などがそれにあたる。木版画にも好いものが多く、《スケーター》は綺麗だった。 ヤンセンは葛飾北斎を師と考えていたらしく、「北斎の散歩より」の銅版画シリーズが出展されていた。これもあまり感心しなかったが、これに関係してでていた北斎自身の作品を見ることができたのは予想外の収穫だった。カラーの北斎漫画8点あり、《蛙と昆虫》、《遠近法》、《冨士》《下総関屋の里 夕立》、《象をなでる》、《無礼講 体操》、《魚籃観世音》などの有名作品を楽しむことができた。最後の部屋の奥に成人限定の部屋があり、春画《つひの雛型》と《喜能会之故真通》が出ていて驚いた。 常設展には、登録美術品として丸沼芸術の森から借りているモネの《ルエルの眺め》とドラクロアの《聖ステパノの遺骸を抱え起こす弟子たち》が出ていた。前者はモネ17歳の作品で、ブーダンとであった年に描かれたもので、モネの油彩では最も早いものということであった。コローのような写実的な画だった。ドラクロアの画も小品であるが、質の高い作品だった。 (2006.5 a) |
松下電工汐留ミュージアムでは蓼科のマリー・ローランサン美術館と一緒にDancers in Parisという企画展を開かれていた。 ディアギレフが率いるロシア・バレー団は、1909年シャトル劇場で公演を行った「牧神の午後」のアクロバティックな踊りとエキゾチックな衣装で大評判を得ていた。ディアギレフは美術と踊りを総合的な舞台芸術としてとらえていたのである。 ルオーとローランサンは、このディアギレフとコラボレーションを行ったという共通点を持っている。ディアギレフは、ピカソ・マティス・ブラック・ミロ・キリコなども舞台美術に起用している。 ディアギレフは、1924年の「牝鹿」には、音楽はプーランク、台本はコクトー、背景画と衣装にローランサンを起用した。プログラムの表紙もローランサンで、これはこの展覧会に出展されていた。会場のビデオで「牝鹿」の踊りが紹介されていたが、淡いピンクを主体とした衣装を着て舞う女性たちは美しかった。 1929年の「放蕩息子」では、音楽はプロコフィエフ、美術はルオーに依頼している。このバレーの公演案内などの資料も出品されていた。ビデオも見られたが、非常にアクロバッティクな踊りであるのに驚いた。 ルオーとローランサンの画は何度も観ている。敗戦後、私がはじめて叔父に連れて行ってもらった展覧会は1951年の「マティス展」であるが、翌々年の1953年には父が上京して東京国立博物館の「ルオー展」に連れて行ってくれている。マティスやルオーを見るたびに今は亡き二人のことを思い出す。また久留米の石橋美術館をワザワザ訪れた時に、ローランサンの企画展が行われていてがっかりしたことも覚えている。 両者は、それぞれに特徴のある画家である。今回は踊り子に関連のある作品を中心に展示されていた。予想以上に楽しめた。(2006.5 a) (家内のコメント)ルオーの踊り子は黒で太く縁どられ優雅さはまったくない。筋肉マンの人形のようだ。その中でも印象に残ったのは、女曲芸師の画。顔が大き描かれていて色も表情も明るくよかった。ルオーの作品をこれだけまとめてみたのは初めてであった。 マリーローランサンの画は女性らしい夢のような世界だ。色彩が穏やかで、使われている色はピンク、青、黄色、緑、灰色くらい。瞳の描き方が独特、男性像も女性像も中性化、人間も動物も一体化しているようなまさに幻想的な世界。(2006.5t)
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これは2003年にナポリ国立考古学博物館で開かれた展覧会の世界巡回展である。既にベルギー、ドイツ、 カナダ、米国で多くの来場者を集めたとのことである。 西暦79年に噴火したヴェスヴィオ山周辺の遺跡、とくに比較的最近行われたモレージネ遺跡やテルツィーニョ遺跡の発掘調査の結果、この災害に見舞われた人々のドラマが再現できるようになってきたのである。この噴火による多くの死者の遺骸模りが会場のあちこちに配置されており、異様な光景となっている。 その中には、黄金の腕輪や指輪を身につけていたり、 銀製の食器を携えていたりする犠牲者がいたが、これらの人がどのようにこの災厄から逃れようとし、そして力尽きたのかを想像することができる。その遺品が数多く出展されているが、その精巧さ、豪華さに驚く。すばらしいヘビ形の黄金の腕輪もあった。人間の技術は2000年近く経ってもそれほど進歩していないのではないかと思えるほどである。 これに加えて、素晴らしい壁画が残っている。奇跡的に残ったフレスコ画だが、その美術的価値は非常に高い。三方が豪華な壁画に囲まれたモレージネの家の食堂を見ると、ローマ時代のほうが現在より遥かに豊かな住環境であったことが分かる。 この展覧会は美術展ではなく、歴史博物展である。美術展のように、会場でその雰囲気を味わい、お気に入りの作品を数点見つけるといった鑑賞の仕方ではものたりない。これらの世界遺産の価値にくらべ自分の理解が遥かに劣っていることを実感して、図録を買った。勉強はこれからである。後で同好の4人で食事をして盛り上がった。参加者は、Juliaさん、Nikkiさん、すたさんと私である。(2006.4 a) |
イサム・ノグチ展は以前いつ観たか忘れるくらい本当に久し振りだった。前に観た時にはチンプンカンプンだったので、最近しばしば開かれている彼の回顧展は敬遠していた。しかし、今日は急遽、横浜美術館に行くことになってしまった。そのいきさつはブログに書いた。 ところが、今回はあまり抵抗なく入っていける作品が結構あった。展覧会が顔、神話・民話、コミュニティーのために、太陽という4つのキーワードで分けて構成されていたことが良かったのかもしれない。 印象に残った作品は、《画商の妻》や《ツネコさん》のような具象的彫刻から宇宙人のマスクのような抽象顔貌、埴輪や鐘のような古代日本のイメージ、《レダ》や《クロヌス》のような神話の半具象作品、《ひまわり》、《母と子》、《接吻》のように比較的分かりやすい造形などである。子どもの遊び場や《ぼんぼり》のようなものもあり、社会に貢献したいという彼の思いが伝わってきた。ただ、《真夜中の太陽》のような「円環」はその中の空間を感じるのだといわれているが、正直なところ十分には実感できなかった。 モダンダンス《暗い牧場》のために彼が作った舞台セット、ならびにその上で踊る「マーサ・グラハム」らの映像があった。このような先駆的なアートが1946年という第2次大戦終結の翌年だったことに驚く。ちょうど下のホールから、ライブのクラリネットとピアノの音が会場に響いていて、このモダンアートを盛り上げていた。 良いビデオがあった。その中のノグチの顔と声は自信にあふれており、誰に対してもうらみの言葉一つなかった。国籍・民族を超えた根源的なものを求める彼のアイデンティティを理解することができた。 彼こそ本当の国際人であった。彼の生い立ちや経歴は複雑であるが、日本に対する思いは純粋そのものである。その意味で、広島の原爆死没者慰霊碑は彼に作らせてやりたかった。しかしその後、横浜の《こどもの園》、大阪万博、草月会館(天国)、土門拳記念(庭園)、そして昨年開園したモエレ沼公園などに思いいれの結晶が残されていることをもってノグチ自身は満足しているかもしれない。 (2006.4a) |
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20世紀初頭のドイツでは、内なる真実を激しい表現で凝視する表現主義の傾向が見られた。ドイツ表現主義の画家としては、最近日本でも回顧展があったモーターゾーン=ベッカー、ノルデ、キルヒナー、シュミット=ロットルフ、ヘッケル、オットー=ミューラー、マッケ、マルクなど大勢の名前が出てくるが、ドイツ表現主義の彫刻としてはバルラッハ、レームブルック、コルヴィッツなどごく少数である。 その一人のエルンスト・バルラッハの回顧展が日本で開かれている。「日本におけるドイツ年」の一環なのであろうが、このような機会はまたとない。ドイツ語を勉強した私にいわせればBarlachはバルラッハと書くのが普通であろう。末永照和監修の「20世紀の美術」にもバルラッハと書かれている。もちろんドイツ語の”ach”の発音は正確には日本語の「ッハ」とは異なっているが、日本語の永年の慣習を勝手に破られては困る。Bachをバッハではなく、バハとするのと同じである。 閑話休題、展覧会は時代毎に陳列してあるが、中央に彫刻、壁面にはその下絵や版画が並べられている。下絵を見ると、彼のデッサン力は相当である。ハンブルグ・ドレスデンの修行時代に描かれた《パンの笛を持つ童子》はその代表である。その後の《若きファウヌス》、《ユーゲントの表紙》を見てもそのことがいえる。 その後、製陶に関わっているが、《クレオパトラ》の左手に沿って蛇が上っていくさまは非常に技巧的である。 ロシア旅行によって、《ロシアの物乞い女》・《盲目の物乞い》など人間的な主題を獲得する。 第1次世界大戦の初期には、戦争によって高揚した作品を残しているが、すぐに反戦的な《使途》・《苦行者》などに転向している。その後、《ゆれ動く父なる神》・《つながれた魔女》・《再会》・《恵まれた人ー彷徨う人ー踊る人》・《読書する僧たち》・《闘う天使》などの「偉大な制作の時代」に移っていくが、一方でナチスによって退廃芸術の烙印を押され、マグデブルグ・ギュストロー・ハンブルグの戦没者記念碑は破壊されてしまう。しかしその習作や下絵が残っていたため、現在でもその大要を知ることができる。 彼の彫刻は比較的単純な造形でありながら、深い精神性を宿している。東洋的な心を十分に理解していたといわれ、一部の彫刻は仏像と共通するところもある。先週、岩手県立美術館で舟越保武のキリスト教彫刻を観てきたが、洋の東西がオーバーラップして感じられた。(2006.4a) |
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デュフィは好きな画家だ。主題が良い。海・競馬・音楽・花。何とも優しい色遣いである。 フォーヴの仲間であったと言うほうが不思議である。彼の水彩は油彩同様、あるいはそれ以上に穏やかである。こんな水彩ならば、自分でも描けるかなと思わせるところがニクイ。 この展覧会では、デュフィのファブリック・デザインが多数出品されている。彼にこのような才能ががあることを知ったのは恥ずかしながら今回が初めてである。澄んだ色合い、花・動物・オルフェなどのテキスタル・デザインは目を見張るばかりである。 幸運にも前日に大阪で仕事があったので、この12日間の展覧会の最終日に滑り込めた。この後は、いわき市立美術館(4.22‐6.4)、静岡アートギャリー(6.10‐7.23)、大丸ミュージアム東京(9.7−9.26)と巡回する。お見逃しなきように。(2006.4a) |
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ベル・エポック(良き時代)からレ・ザネ・フォル(狂乱の時代)への移行期に活躍したジャン・コクトーは、独特の耽美的な詩の世界を拠点にしながら、小説、バレエ、演劇、音楽、映画、そして美術へと広範な活動を展開したマルチ・アーティストである。彼の周りには、ピカソ、シャネル、サティ、モジリアニ、キスリングなどの時代の先駆者たちが集い、当時の社会現象や芸術の潮流を反映する作品を作った。 今回は、時計会社コルムのオーナーであるサヴァリン・ワンダーマンのコレクションから、255点が出展された。油彩、デッサン、彫刻、陶芸、タペストリー、ジュエリー、映像など多岐にわたるジャンルの作品で、その創造性の豊かさが分かる。彼の知人であった堀口大學の書籍資料も一見の価値がある。 彼の同性愛への倒錯や麻薬への耽溺などをちょっと忘れて作品だけを観るとなかなかのものである。なかでも素描作品は人体の美しさを巧みに捉え、線の芸術の奥深さという点では、ピカソに負けない。彼の素描作品の大半は男性像で、ラディケ、マレー、デボルド、キル、デルミットなど彼が愛した男たちが描かれている。 展覧会は下記のように分類されていた。 第1章 コクトーと友人たち: 自画像、モディリアーニやウォーホル、マン・レイなどによるコクトーの肖像、コクトーによる写真、コクトーの友人たち、堀口大學文庫 第2章 ヴィジュアル・ワークス: ドローイング、パステル、版画、本のイラスト、油彩、タペストリー、彫刻、陶器、宝飾: 《青いバラ(姉マルトのためのデッサン)》は美しい色合いだった。《恋人たち》のシリーズも大したものだ。タペストリー《チェリスト、レッスン》の迫力には圧倒された。 第3章 演劇・映画: 演劇「バラード」「オルフェ」「一角獣と貴婦人」ほか、映画「美女と野獣」「オルフェの遺言」(2006.4a) |
台湾の女性日本画家 生誕100年記念 陳進展(Chen Chin Exhibition):渋谷区立松涛美術館
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1895年以来、日本の植民地支配に置かれた台湾の美術は独自の展開を遂げてきている。陳進(前編、 後編)は台湾の女性画家で、東京に留学して女子美術学校を卒業、卒業後は鏑木清方や伊東深水に学んだ日本画家である。日本で帝展・文展に入選するなど活躍していた。 戦後の台湾では、国画(中国の伝統的な絵画)と東洋画(日本画・膠彩画)との対立の中に悩むことになるが、結婚後は家庭生活を主題として1998年に他界するまで台湾女性画家の頂点で活躍した。今回は生誕100年記念展覧会というが、92歳まで長寿を保ち、画を描き続けたこの画家にとっては比較的最近の作品といえるものも少なくない。 特に、女性像が優れている。洋服の微妙な模様、装飾品の立体感、ハンカチの刺繍、家具の螺鈿など女性ならではの細やかな視線が行き届いている。《合奏》、《悠閑》、《婦女図》、《祝》、《古楽》、《花嫁》、《観音菩薩》などは絶品である。蘭の花の画が多かったが、これを含め花の画は上手い。風景画もかなりあったが、こちらはマアマアというところだろうか。 いずれにせよ、このように国際的な女性によって日本画の伝統が外国で守られてきたことに敬意を表したい。お勧めの展覧会である(2006.4a) 一見、伊東深水の画の雰囲気だが、女性のファッション、持ち物、まわりの調度品が中国的。螺鈿のタンスや、椅子は螺鈿の描き方がリアルで貝殻の複雑な色合いがよく出ている。また女性の指輪や、首飾りは立体的で、画の上に宝石をのせているよう。多分そこだけ厚塗りしたのであろう。 主人の美術散歩に付き合っただけで、陳進という画家も知らなかったので、あまり期待はしていなかったが、非常によい展覧会であった。裕福で幸せな画家だったので、画にも暗いところがなく美しい幸せな絵ばかりで気持ちよかった。(2006.4t) |