海外美術散歩 07-2 (日本美術は別ページ)

 

槐安居コレクション展(後期) 07.8
ヴェネツィア絵画のきらめき 07.9 インドの細密画(2) 07.8 フェルメール 07.9 モリゾー 07.9
シュルレアリスム 07.9      

目 次 ↑


シュルレアリスムと美術 イメージとリアリティーをめぐって:横浜美術館

 

 開催初日に観に行った。ちょうど開会式で館長の挨拶中。宇都宮美術館・豊田市美術館・横浜美術館の共同開催展とのこと。アンドレ・マッソン夫人が出席されていた。偶然そこへlysanderさんが現れたので、一緒にこの企画展と常設展をゆっくり観た。幸いどちらも空いていたので、われわれのおしゃべりもあまり迷惑にならなかったかとおもう。

マグリット:大家族 この企画展は、第1章「シュルレアリスムの胎動」、第2章「シュルレアリスムが開くイメージ」、第3章「シュルレアリスム以後の様々なイメージ」となっているように、マグリット・デルヴォー・ダリ・ベルメール・ミロ・マッソン・マッタ・エルンスト・ドミンゲスなどの狭義のシュルレアリスムだけでなく、その前駆をなすデ・キリこの形而上絵画、アルプ・シュヴィッタース・マン=レイ・デュシャンなどダダ、さらに広告美術、アンフォルメル、抽象表現主義、戦後具象絵画、現代日本美術まで非常に幅広くとらえている。

 中心となる第2章では、1)イメージが訪れる、2)反物語、3)風景、4)女と愛、5)物と命、6)神話と魔術、7)時空の彼方に、の7節に細分しているが、この分類によって鑑賞者の理解が助けられるといったものではなかった。そのため、一つ一つの作品の面白さを個別に楽しんでいくようになってしまった。

 メモや記憶に残っているのは、そのごく一部。マッソンの小品《血の涙》は、2つの人物のようなイメージの間に小さな真赤な涙が描かれていた。個人蔵となっていたので、マッソン夫人が所蔵しておられるものではないかと勝手に考えた。オスカル・ドミンゲスのデカルトマニ-の《日曜日》という作品では、画面中央左の草のような緑のイメージが残像となっている。エルンストの《カルメン会》の黒いマントをかぶった修道僧、イヴ・タンギーの《失われた鏡》、エルンストの《子供のミネルヴァ》、ロベルト・マッタの《ハート・プレーヤー》、ダリの《ガラの測地学的肖像》、ダリの三部作《暁(ヘレナ・ルビンシュタインのための壁面装飾「幻想的風景」)》、《英雄的な昼(ヘレナ・ルビンシュタインのための壁面装飾「幻想的風景」) 》、《夕暮(ヘレナ・ルビンシュタインのための壁面装飾「幻想的風景」) 》などは印象的な作品で、lysanderさんとそれぞれの感想を語り合った。

 絵はがきを買ってきたのはマッソンの《ナルキッソス》の一枚だけ。陸上の下半身と水面を覗き込んでいる上半身が表裏逆の姿としてイメージされている。神話のエコーと水仙の花も描かれている。

 常設展では、ミロとデルボーの版画、シュールリアリスムと写真、カンジンスキー/ミュンターの作品の並列展示など前回と同じだったが、同行者がいると話が弾み、写真を撮ったりして楽しんだ。

(2007.9a) ブログ


ベルト・モリゾ展:損保ジャパン東郷青児美術館

 

 「本邦初のモリゾ展」となっているが、1995年に伊勢丹美術館で開かれた「印象派の華 モリゾ・カサット・ゴンザレス展」の図録を見ると、今回の展示作品が少なからず載っている。

 それはともかくモリゾは、フラゴナールの末裔、コローの弟子、マネのモデル、マネの弟ウジェーヌの妻、ジュリーの母、そして印象派展の優等生、マラルメやポール・ヴァレリーのサポートなど話題に事欠かない。

 しかし肝要なことは女性が一人で外出することさえはばかれた時代に、女性画家として一家を成し、現代までその名を残していることである。

 幸い、学芸員のギャラリー・トークに参加できたので、理解が進んだ。17歳の時にルーブルで模写した《ヴェロネーゼの磔刑》はうまい。学芸員が見せてくれたヴェロネーゼの画とそっくり。模写では下から見上げて描くため、その修正が必要であるが、その点立派に描けている。やはり画の才能に恵まれている。《モリクールのリラの木》は1874年の作品。姉のエドマの家族。丁寧に描かれた美しい作品である。手前の帽子と日傘はモリゾ自身のものであるとの説明である。

 《淡いグレーの服を着た若い女性》や《スケート靴を履きなおす若い女性》は、少ないタッチで描かれており、未完成のように見えるが、モリゾはこのような画風になってきているのである。

 《砂遊び》や《庭のウジェーヌ・マネと娘》などは、太い筆を使った荒々しいタッチの画である。《寓話》は娘ジュリーとメイドのパジー。自由ですばやいタッチで、全体の印象をとらえている。

 《桜の木》にはいくつものヴァージョンがあるが、これは油彩の第1ヴァージョン。ルノワールの影響を受けているとの説明だった。《水浴》は女性画家にしては珍しいヌード。ルノワールの傍で描いたということであるが、肉体の官能性はまったくなく、モリゾ自身の個性とオリジナリティは失われていない。

モリゾ:夢見るジュリー 1889年の《ブ^−ロニューの森の湖》は、画はその中央の大きな木によって左右に分断されている。これは浮世絵の影響であり、事実モリゾはカサットと一緒に浮世絵展にいっており、今回の展覧会にはそのカタログも出品されていた。この画のもう一つの特徴として、湖面に映る影の描写があげられる。これはその後モネに影響を与えただけでなく、抽象絵画のさきがけだったとも考えられるという。

 《夢見るジュリー》は少女から女性に変身してゆく娘を眺めている。この画を描いた翌年モリゾは娘の風邪がうつって死亡した。その後、ジュリーの後見役となったマラルメの言葉によると、「彼女の早すぎた死は美術に大きな空白を残した」。

 姉エドマがモリゾを描いた大きな油彩、モリゾがドガの助けを得て作った《ジュリーの胸像》、そしてジュリーの姿が描かれたモリゾのパレットなど家族愛あふれる作品がこの展覧会の質を高めていた。

(2007.9a) ブログ


フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗展:東京国立新美術館

 

 アムステルダム国立美術館が改装中ということで来日した「ミルク・メード」はわたしの西洋美術開眼に大きな影響があったので思い入れがある。 展示は以下の6部門に分類されていた。

 1.「黄金時代」の風俗画: 油彩画は台所・室内・行商・飲酒などと主題によって細分されているが、小品で暗い風俗画が多い。隠喩や寓意が含まれているものも少なくない。当時の状況がそうであったのだからいたし方ないが、なんとなく清潔感に欠ける画が多い。ヤン・ステーンのものが多かった。その他にメツー、テル・ボルフ、マースの作品が出ていた。次いで版画がたくさん出てくる。ヤーコブ・マーダムの《聖書と主題のある台所と市場》の連作では、一番奥に「エマオの晩餐」のような聖書の一場面の画が掛かっている。とてもうまい画であるが、これらを観るには単眼鏡が絶対に必要。

フェルメール:牛乳を注ぐ女 2.フェルメール《牛乳を注ぐ女》: なんといっても、これがこの展覧会のハイライト。その前は結構込み合っている。画面と観客の間に2メートル以上の間隔があり、それ以上近づけない仕組みになっている。持ってきた単眼鏡が役立ち、パンの光沢・ミルクの輝き。壁の釘・金属の容器に映る窓枠、足元のデルフトタイルなど各部分は見ることができた。遠近法の集合点、後で消されたとおもわれる地図や牛乳壷、机の形が矩形ではないことなどの説明もあった。この画は、フェルメールの中では《青いターバンの女》と1、2を争う作品であるが、わたしはミルク・メードのほうに軍配を挙げている。こちらのほうが先に刷り込まれたためかもしれない。

 3.工芸品・楽器: ヨハネス・リュトマ2世の《聖杯》に目がいった。杯の脚に天使・獅子・牡牛・鷹といったマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネのアトリビュートが乗っていた。 古楽器が並べられたコーナーの奥の部屋は《牛乳を注ぐ女》がいたと思われる台所となっており、その手前の部屋はヴァージナルなど楽器が描きこまれた部屋のようなタイル床となっていた。古楽器は上野学園のコレクションとのことである。

 4.版画と素描: レンブランド、ファン・オスターデ、ボルなどの有名画家の作品も含まれていたが、いずれも小品だった。

 5.偉大なる17世紀の継承と模倣: 似たような作品を集めて、オランダ風俗画が連綿とつながっていく様が示されていた。全体としては「黄金の時代」の作品より明るくなり、またその分軽くなっているように思われた。

 6.19世紀後半のリアリズム風俗画: ヨーゼフ・イスラエルスの《小さなお針子》や、マリスの《窓辺の少女》の愛らしさ、ウェイセンブルッフの《ハーグの画家の家の地階》の逆光、デル・ヴァーイの《アムステルダムの孤児院の少女》の美しさなど、この章にはお気に入りの作品が多かった。

(2007.9a) ブログ

(追記)フェルメール・オフ会: ミルクメイドは前より見やすくなっていた。細かい点を見直した。大勢の参加者。出席者多数+Tak2, toshi2, Nikki, KAN, mizdezign, merion, ruru,panda, Luo とら、はろるど、わん太夫、さちえ、きのこ、タッキー&ササキ、朱奈、一村雨、とんとん、ともすみと・・・。

(2007.11a) ブログ


インドの細密画(2):東京国立博物館

 

 ムガル王朝時代(15−19世紀)のインド細密画は有名である。今回は60点を前期・後期に分けて陳列してあるが、わたしの観たのは前期である。今年の1月にも展示されていたが、よく見るとなかなか味がある。写真はフラッシュがないので鮮明度が悪いが、実物を観るととても美しい。主題はマハーバラタやラーマヤナといった神話、ヒンドゥー世界のシヴァ神やヴィシュヌ神、王・恋・動物・音楽などさまざまである。


 ムガル時代の細密画はイスラムのムガル絵画とヒンドゥーのラージプト絵画に大別され、次の地域によって5つに分類されているそうだ。 1)ムガル、2)地方ムガル、3)デカン、4)ラージャスターン、5)パハーリ。

 お気に入りの画像を10枚アップする。 

話し合うユディシュトラとビーシュマ(ラズムナーマ)》

 「ラズム・ナーマ」は、古代インドの2大神話叙事詩の1つ「マハーバラータ」のペルシャ語訳。 ムガル王朝第3代皇帝アクバルが16世紀後半に翻訳させた。

(1601年 ムガル派 ファトゥー)

花を持って坐すムガル貴族

 肖像画の伝統は、ムガル派の絵画から始まった。 男性は、白い上着を身につけ、腰に金地に模様入りの帯を巻いている。遠近法を無視した構図、対象に配された木、簡略化された背景などの特徴。

(17世紀末〜18世紀初 地方ムガル派)

塔の上で音楽に興じる人(ケダーラ・ラーギニー》

 音楽を絵画化して表現するラーガマーラ絵画。画題は、苦行する若者、有名で高潔な王族の訪問者を魅了する場面など。 楽人と貴人が向かい合う。貴人の乗ってきた船が蓮池に浮かび、船頭が居眠りをしている。

(18世紀末 ムルシダバード派)

騎馬人物像

 単調な暗青色を背景に騎馬人物を描く。画面上端に白い帯で空を描く。 裏側に人物名はなく、ラングーラージという馬名が記されている。、馬が当時の貴族たちにとって重要であったことを示している。

(1760年頃 メーワール派 ウダイプール)

シヴァとパールヴァティーの結婚》

 中央の天蓋付きの玉座の下に、四臂のシヴァとパールヴァティーが坐る。シヴァの額には三日月。2人の後ろに払子をもって立つのは、パールヴァティーの父ヒマヴァット。周りには多面のブラフマーほか大勢。

(1820年頃 カーングラ派)

 

蓮の上に坐すクリシュナ

 クリシュナは右手にフルートを持つ。彼のフルートは、牛飼い女や牛たちを魅了する。ピカネール派の絵画では本図のように、蓮の上にクリシュナ、ヤムナー河のほとりに牛を配し背景に緑色の山を描く図像構成が多い。

(18世紀前半 ビカネール派)

球投げをする二人の女性

 二人の女性はともに透けて見えるほど薄い上着を着て、サリーに身を包んでいる。女性たちの姿が際立つように、背景のほとんどが追う黄緑色の地面で、地平線は高い位置に描かれている。女性の手はメヘンディーという染料で赤く塗られるが、現在でもこの習慣が残っている。

(18世紀末 ビカネール派あるいはマールワー派 ジョドプール)

白馬をひくヴィシュヌ(カルキ・アヴァターラ)》

 カルキとは、ヒンドゥー神ヴィシュヌの化身の1つ。悪世の未来に生まれたカルキは、悪を滅ぼし、正義を確立し、純粋な時代を迎える。カルキは白馬とともに表され、手に刀を持つ。

(18世紀後半 ブンディ派あるいはウニアラ派)

白斑のある青い馬に乗る女

 単純な黄緑色の丘を背景とするのは、ピカネールでは通常の手法だが、灰色のソロ兄渦を巻いてうかぶダイナミックな雲は、本図に特徴的な描き方。青に白斑模様の毛並みの馬は、インド各地の細密画ではしばしば描かれる。

(18世紀後半 ビカネール派)

王の前に座るヴァスデーヴァとヤショーダー

 画面の右では、青い肌のクリシュナと兄のバララーマがそれぞれ若い娘と向かいあう。左では、クリシュナの父母が王の前に坐っている。「バーガヴァータ・プラーナ」は、ヒンドゥー教の聖典で10世紀頃に成立した。

(1830年頃 カーングラ派)

(2007.8a) ブログ


ヴェネツィア絵画のきらめき: BUNKAMURA

 

ティツィアーノ:洗礼者聖ヨハネの首をもつサロメ ヴェネツィアの絵は明るくて、色彩豊かである。観ているものが幸せになる。初日のためか観客はちらほらだったが、そのうちきっと混んでくるだろう。

第1章 宗教・神話・寓意
 まずベッリーニの《聖母子と洗礼者聖ヨハネ》から始まる。背景に幕のある変わった構図だが、最近修復されたそうで、美しい色彩が戻ってきている。

 ティツィアーノの《洗礼者聖ヨハネの首をもつサロメ》は有名な画。もちろんこの展覧会のポスターにもなっている。なんといってもサロメの顔が美しく、巻き毛もきれい。そして衣装の赤い色彩が際立っている。洗礼者聖ヨハネの首はティツィアーノの自画像という説があるそうだが、なるほどそのようにも見える。

 ヴェロネーゼの《エッケ・ホモ》はこの巨匠の晩年の傑作とされているが、色使いと大胆な筆致が特徴的である。 ティントレットの《愛の始まりの寓意》やジョルダーノの《ギリシャの哲学者》も良かった。

 ヨーゼフ・ハインツという画家は初めて知ったが、《アイソンを若返らせるメディア》は、まるでボスのようなおどろおどろしい画。《パリスの審判》はよくある神話がだが、都市景観画家のグアルディのものは珍しい。

 ティエポロの《聖母子と聖フィリッポ・ネーリ》は小さな油彩小銅版であるが、きちんとした画で好感が持てる。ピエトロ・ロンギの画が沢山あったが、なかでは当時の田舎の情景を描いた《糸巻きをする女》などはよいとして、華やかなロココ的な生活の画はあまり好きになれない。

第2章 統領のヴェネツィア
 統領(ドージェ)の大きな肖像画は、豊かな緋色や黄金色で表されており、コルノと呼ばれる低い烏帽子のような帽子を被っている。ティエポロの《統領マルコ・コルナーロの肖像》では、コルノの上に学位の象徴であるイタチの毛皮を被っている。グアルディの《プチントーロの出航》は、ドージェ専用のガレー船「プチントーロ」が描かれ、海洋支配を記念して毎年行われている「海との結婚」の祭典の様子が描かれている。

第3章 都市の変貌
 ティツィアーノの《ジャンバッティスタ・ラムージオの肖像》という板画が良かった。ロレンツォ・ロットの《犬を連れた男の肖像》はちょっと暗いが、十字架(信仰)・花(貞節)・犬(忠誠)などの象徴に守られた印象深い画だった。
 ヴェドゥータ(都市景観画)に素晴らしいものが多かった。カナレットの《サン・ジョルジョ・マッジョーレ島と税関》や《パーリア橋からの眺め、埠頭とパラツィオ・ドッカーレ》がベストで、思わず見とれてしまう。甥のベロットの《サンマルコ広場》や《サン・マルコ広場とプチントーロ》もなかなか良い。

 ガブリエル・ベッラ(1730-99)という画家の大きな風景画が10点揃って出ていた。カナレットやベロットにくらべれば荒削りだが、その分、素朴な画であるともいえる。そのなかで一番面白かったのは《教区司祭の入場、サンタ・マルゲリータ広場》で、謝肉祭最後の木曜日の広場の情景。大きな山車、人間ピラミッド、滑車ロープで花を司祭に届ける男などが見せ場。 このようにして、しばしの間「アドリア海の真珠」といわれる水の都ヴェネツィアの全盛期を楽しむことができた。

(2007.9a) ブログ


都市のフランス 自然のイギリス: 千葉市美術館

 

 「18・19世紀絵画と挿絵本の世界」いう副題がついている。改装中の栃木県立美術館の代表的な西洋絵画と豊かな版画コレクションの紹介である。

1.フランス絵画
 バルビゾン派の動物画家トロワイヨンの《水をわたる牛(帰途)》とサロン派カバネルの《狩の女神ディアナ》が良かった。 モネの《サンタドレス》もあったが、バブル期以降の公立美術館でこのような高価な作品を揃えていくのは至難の業だろう。そういう意味で、版画や挿絵本に収集の軸足を移しているのは正解だといえよう。

2.フランスの版画・挿絵本
ドレ:受胎告知 1559年にジャック・カロが生まれたナンシーは当事ロレーヌ公国の首都だったが、1960年代に30年戦争によるフランス軍の侵攻を受けている。これをテーマにした《戦争の惨禍(小)》は6点組で、神奈川県立近代美術館鎌倉別館で観た18点組みとは違い1枚にまとまっているが、初めてみる人には小さすぎるかもしれない。

一方、貴族社会を描いたヴァトーの雅宴画エッチング《滝》・《嫉妬深い者たち》・田園の遊楽》はいかにもロココ的な情景であり、ロマン派の代表者ドラクロアのリトグラフ《ハムレット》はきわめて動的な版画であった。


挿絵画家グランヴィルの木口木版の作品がたくさん出展されていた。擬人的な動物画《当世変身譚》やシュールな《もうひとつの世界》・《星々》などをエンジョイすることができた。


 社会・風俗の風刺を特徴とした新聞「シャリヴァリ」に載ったドーミエのリトグラフ《チュイルリー宮殿のパリっ子》・《流言蜚語》・《代議士図鑑》・《離婚権を求める女たち》・《万国博覧会》などは、今見てもとても面白い。ガヴァルニも「シャヴァルニ」にリトグラフを載せているが、こちらはもっぱらパリの女性を主人公にした風俗風刺画だった。


  小口木版の帝王と呼ばれるギュスターヴ・ドレの優れた作品を満喫した。《さまよえるユダヤ人》・《ダンテ・アリギエーリ『地獄編』》・《セルバンテス『ドンキホーテ』》・《ミルトン『失楽園』》・《ラ・フォンテーヌ『寓話』》・《テニソン『エレイン』など》・《ジェロルド『ロンドン巡礼』》などである。大きな聖書が2冊あり、第1巻の《旧約》は閉じてあったが、第2巻の《新約》はちょうど受胎告知の図のページが開かれていた。粗末な部屋に坐っているマリアに近寄ってくる大天使ガブリエルが白で表現されており、いかにも神々しい。これが今回のベストだった。


  ファンタン=ラトゥールの《ジュリアン『ベルリオーズの生涯』》や《ダンス》、ミュシャのリトグラフ《主の祈り》、ボナールの楽譜の挿絵《パパ・ママン》やドニの《トンプソン『詩集』》の挿絵まで楽しむことができた。

3.イギリスの絵画
コンスタブル:デダムの谷   本展のポスターになっているコンスタブルの《デダムの谷》はどこかで見たことのあるきがする作品である。図録によると、同一テーマの作品が他に2点あるとのこと。1点はスコットランド国立美術館、もう一点はV&A美術館。これら3点はいずれもクロード・ロランの《ハガルと天使》(ロンドン。ナショナルギャラリー蔵)にヒントをえたものだとのことである。


  ターナーの油彩《風景―タンバリンを持つ女》と水彩《メリック修道院、スウェイル渓谷》も良かった。前者のもとになったエッチング「研鑽の書」の《タンバリンを持つ女》も出品されていた。

4.イギリスの版画・挿絵本
 17世紀のヴェンツェル・ホラーは、三十年戦争によってプラハからドイツに亡命して、イギリスに渡ったが、清教徒革命によりアントウェルペンに移った時代に翻弄された画家。それぞれの四季にふさわしいモチーフが配された女性の半身像の《四季》や《蛾・蝶・昆虫》は非凡である。


 18世紀の風刺画家ホガースの6枚連作《娼婦一代記》は、田舎からロンドンに出てきた若い女性モルの転落の物語で、大変な人気を博したという。この作品の海賊版が8種類も出たことに怒ったホガースが請願して著作権法ができた。ちなみに、この「ホガース法」の著作権有効期限は14年だったとのこと。


 18世紀後半に木口木版法を確立したビューイックの《四足獣概説》と《英国鳥類誌》が出展されていた。この方法は凸版であるため、従来の銅版画などの凹版と違い、同じ凸版の文字と一緒に印刷しやすいため繁用されたのである


 ブレイクの《夜想》・《墓》、ジョン・マーチンの《失楽園》の挿絵は幻想的な画像である。とくに後者は、メゾティントを使っているため、黒と白とのコントラストがはっきりとしている。


 ターナーの風景版画が沢山出ていた。恐ろしくも美しいという矛盾をはらんだピクチャレスクな景観である。コンスタブルの《イングランドの風景》も劇的な風景のメゾティントだった。


 グリーナウェイの《子豚の絵本》やクレインの《クイーン・サマーあるいは百合と薔薇の騎馬試合》の色刷り絵本もとても美しかった。


 ラファエル前派のミレイ・ハント・ロセッティの有名な《テニソン『詩集』》を見ることができた。バーン・ジョーンズの《フラワー・ブック》はとても美しい色彩だった。ベン・ニコルソンの父親のウィリアム・ニコルソンの版画も黒枠で囲まれた力強いもので面白かった。

(2007.8a) ブログ


アジアへの憧憬: 大倉集古館

 

李朝:釈迦如来及諸聖衆像 久し振りで大倉集古館に行き、北魏の巨大な≪如来立像≫や平安時代「円派」の≪普賢菩薩騎象像≫に再会した。今回の「アジアへの憧憬」に展示物の中心は、いつものように中国のものであるが、それ以外の国の仏像・仏画がいくつか出ていることが目を惹いた。ただし、数が少なく、比較的新しいものが多いため、このような地域の仏教美術を俯瞰することは出来なかった。

1.タイ: アユタヤ朝は14−18世紀まで長期間続いたが、その中で今回出ていたのは、16−17世紀の ≪仏陀立像≫、≪仏陀坐像≫、≪宝冠仏立像≫と19世紀のラッタナコーシン朝の≪宝冠仏立像≫が2点、≪仏弟子坐像≫、≪釈迦牟尼立像≫。 この時代の仏像は、大量生産され、宝冠を被り身体中に装身具をつけた宝冠仏や台座に豊かな装飾を施した仏像など形式化と装飾化が進んだものであるといわれている。

2.ミャンマー: 19世紀のものではあるが、右側臥位の美しい≪横臥仏像≫があった。

3.ネパール: ヒンドゥー教の主神の一人の≪ヴィシュヌ立像≫で、やはり19世紀のものだった。

4.インド: 10−11世紀のパーラ朝の≪宝冠仏坐像≫、≪観世音菩薩立像≫など合計7点が出ており、勉強になった。形式的には、ヒンドゥー教へ接近しているものが少なくないと思われた。

5.朝鮮: 14世紀の高麗時代の≪阿弥陀如来三尊像≫と16世紀李朝の≪釈迦如来及諸聖衆像≫はとても美しかった。やはり日本の仏教に一番近い。

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秘蔵の名品アートコレクション展: ホテルオークラ東京

 

 エコノミック・アニマル時代の日本企業は美術品を資産として買い込んでいたが、次第にこれを公開して入場料を稼ぐようになった。1991年に庭園美術館で開かれた「企業コレクションによる世界の名作展」を観た時には、このような企業の姿勢に疑問を抱いたことをホームページに書いている。 「アートは世界のこどもを救う」というキャッチフレーズの「企業の名品アートコレクション展」が最初に開かれたのは、1996年。ホテルオークラ開業35周年記念チャリティイベントだった。その展覧会には、特別出品として皇太后陛下の「仔兎」も出品されていたこともチャリティー展としての価値を高めていた。同様に、1997 年にBUNKAMURAで開かれた「コーポレート・アート・コレクション展」は長野オリンピックの組織委員会の主催となっていたので、その公共性ははっきりしていた。ピサロ:座る農婦とひざまずく農婦

 さて今回の「第13回展覧会」の副題は1996年の「第1回展覧会」と同じく「チャリティーイベント アートは世界のこどもを救う」となっている。ただしいつのまにか「企業の名品」が「秘蔵の名品」に変わっている。これはバブルの崩壊と格差の増大に基づいて、個人所蔵家の重要性が増してきたからなのだろう。

 今回の展覧会には、1.西洋絵画、2.日本画、3.洋画の3ジャンルから103点に及ぶ優品が出ていた。

 
1.西洋絵画
コロー 夜明け 草原にて 道を行く二人、ひとりの赤い帽子が銀白色の画のアクセント。
テオドール・ルソー 海辺の広場

この画家らしい細長い画。牧場の牛と働く人びと、向こうにピンクの雲。夕方の情景か。

ピサロ 座る農婦とひざまずく農婦 頭に被った赤い模様のスカーフが美しい点描画。中央の道を辿ると、畑には積み藁が見える。
モネ 日本風太鼓橋 全体がぼけているが、かえって抽象絵画的な面白さがある。画家の視力に問題が発生したころの作品だろう。
ルノワール タンホイザー 頭に星を頂く女性はエリザベートかヴェーヌスか。解説はこちら
ロワゾー サン・ジュアンの断崖

迫力のある印象派絵画。

マルケ ベニス 淡青色の海の色が観るものの心をやわらげる。
デュフィ 美しい夏 タペストリーのためのプラン。太陽がふりそそぎ、日光・雨・虹など自然の恵みを享受している。左右に幕があるので、演劇藝術なのだろう。
クレー 暑い季節の庭 不思議な詩情と旋律を感じる。あまり暑い気はしなかった。外は酷暑だが、会場が涼しいホテルのためか。
藤田嗣治 猫を抱く子供 銀白色の素晴らしいタッチ。戦前の清らかな画。
  猫の教室 擬人化した猫。戦後の画には色調は戻っているが、戦前の素直さが失われている。
シャガール 逆さ世界のバイオリン弾き

花瓶や建物が逆立ちしたシュールな世界だが、ちっとも異様に感じない。美しい赤が基調。

  緑の太陽 馬の背中に立つサーカスの女。スカートの緑色が緑の太陽と響き合い、黄色の背景から浮き立って見える。
キスリング

水玉の服の少女

独特な透徹なマチエールの顔。薄青色の背景で人物を浮き上がらせているが、服装の水玉模様を邪魔しない程度にサポートしているようだ。
  サナリー風景 手前にはチューリップ、中景には緑の木や花をつけた樹、そして遠景には海という素晴らしい構成の各要素が素晴らしい色彩で競い合っている。
  水車小屋のある風景 巧みな線描、美しい色彩、遠近感と三拍子揃っている。
マグリット 世紀の伝説 巨大な石の椅子の上に小さな木の椅子が乗っている。
ワイエス 三人の狩人 一人の狩人と猟犬しか見えない。暗い空が暗示的である
   
2.日本画
上村松園 鼓の音 まさしく名品。鼓を打つ手が凛として美しい。
鏑木清方 雨月物語 女蛇の執念を描いた「巻四、蛇性の婬」の8枚もの。雨やどり、出会い、婚約、黄金の太刀、もののけ、泊瀬の寺、吉野、蛇身と進んでいく。それぞれ素晴らしい出来の画だが、十分な理解はできなかった。解説はこちら
奥村土牛 吉野懐古 美しい桜を描いたこれぞ日本画。
中村岳陵 潜鱗 すっきりとした鯉の二曲一双の屏風。
中島清之 古画 伝統的なモチーフの画の前に立つ近代的な女性。両者の対照が面白い。
秋野不矩 紅衣 美しいインド人女性。迫力がある。
東山魁夷 フレデリク城を望む 緑を基調としたコペンハーゲンの風景。
  晴れゆく朝霧 白黒を基調とした静穏な山の風景。得意の霧の描写は素晴らしい。
 
3.洋 画
熊谷守一 百日草 デザインの妙。≪猫≫も良かった。
安井曽太郎 白樺と焼岳 上高地で描いた画。白樺の白、焼岳の紫、噴煙の灰色が懐かしい。
北川民治 女医

ピカソとメキシコの両者の影響のある土臭い画。

佐伯祐三 パレットを持つ自画像 パリに着いたばかりの佐伯の高揚した姿。その後、ブラマンクにこき下ろされたアカデミック絵画だが、なかなか良い。彼のブラマンク風の作品がいくつか出ていたが、そちらは暗くて好きになれない。
荻須高徳 リオン風景 遠近法が心地よい。
小磯良平 集い スペイン人7人の集団肖像画。楽器や踊り子などが描かれている。フラメンコの踊り子や楽師たちの休息の情景らしい。
海老原喜之助 雪原 馬や鳥が描かれているが、見所は空や雪のエビハラ・ブルーである。
森清治郎 ガルタンプの流れ 堂々たるフランスの景色。

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アルフレッド・ウォリス−海に生きた画家: 横須賀美術館

 

 4月にオープンしたばかりの横須賀美術館。前はすぐ海。沢山の船が行き来している。夏にピッタリの環境である。観音崎公園の山をくり抜いたように建てられている。 潮風による作品の劣化を防止するため、コンクリートの建物をすっぽりガラスで取り囲んでいる。コンクリートの壁には上面にも、側面にも円形の明り取りがあり、そこから海を行くヨットなども望める。

ウォリス:緑の野原の側を横切るブリガンティーン イギリスのアルフレッド・ウォリス(1855−1942)は、若い頃船乗りの生活をしていたが、その後港町セント・アイヴィスで船具商を営み、70歳になってから独学で画を描きはじめた。いわばグランマ・モーゼスの男性版である。 ボール紙や板の切れ端に油彩やペンキで描いたもので、この点でもグランマ・モーゼスに通う素朴画家である。テーマとしては、港・船・橋・灯台といった海に関わるものが多く、この美術館にピッタリの海の素朴画家である。大胆な俯瞰図や斜めの構図など、独学であるがゆえの新鮮さを感じられる画も少なくない。お気に入りのベストは、≪緑の野原の側を横切るブリガンティーン≫。緑の色調が何ともいえない。

 この画家は、この港町を訪れたベン・ニコルソンやクリストファー・ウッドによって偶然に発見され、ケンブリッジ大学のイードによって収集され、現在も同大学のケトルズ・ヤードにもっとも沢山残っているという。ベン・ニコルソン展は以前に観たが、具象と抽象を往復しているものだった。この展覧会に出展されているベン・ニコルソンの画はすべて具象だった。これはアルフレッド・ウォリスの影響なのかもしれない。

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景徳鎮千年展: 松涛美術館

 

 「景徳鎮窯」は、北宋時代の景徳元年(1004年)の年号から名付けられたものであるが、青白磁の完成により有名になり、元時代には青花磁器、明時代には五彩磁器が作られるようになった。明清には宮廷の用を務める官窯となり「景徳鎮」の名前は世界的に有名になった。


 今回の展覧会の第1部は、「磁都 景徳鎮歴代官窯の器」。このような長い歴史に沿って、バランスよく優品が展示されている。大部分は台北の鴻禧美術館から、一部は上海美術館から貸し出されたものである。


 第2部は、「7501−毛沢東の器」。これは本邦初公開で、この展覧会としてはこちらがメインである。1975年、毛沢東が高齢になり食事は遅くなったことと、食堂が遠くなったこともあって、温かさを保てる専用の食器や文房具を景徳鎮で作ることになった。これは「7501工程」と呼ばれ、完成品以外は捨てるように指示されていたが、実際には密かに保存されていた。これが上海の実業家「張曙陽」氏のコレクションとなり、今回われわれの眼に触れるようになっているのである。 これらには梅・桃・芙蓉・菊が淡いピンクで描かれ、その他は枝と竹ぐらいで、余白がきわめて広い。

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槐安居コレクション展(前期): 東京国立博物館

 

 元王子製紙社長 高島菊次郎氏寄贈の中国書画96点が、前後期に分けて東洋館第8室で展示されている。 今回が前期。

徐渭≪花卉雑画巻≫ 明代の絵画としては、孫克弘の≪寒山拾得図≫がはっきりとした輪郭と明るい朱色がなかなか良い。 左図の徐渭≪花卉雑画巻≫は墨線を捨てた墨面のみによる大胆な表現で、おもわず引き込まれる。

  清代の絵画としては、趙之謙の≪花卉図≫4幅が見事だった。藤、サボテン、ソテツ、シュロのような植物が見られる。


 書は宋・元・明・清、各時代の楷書・行書・草書の素晴らしい作品が沢山並んでいた。

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槐安居コレクション展(後期): 東京国立博物館

前期に引き続き明清の書画の勉強に行った。

ツ冰:双家鴨図扇面鄭燮の《墨竹図屏》(四曲一隻)は、落ち着いた水墨画。字の配分も面白い。余白が巧く生かされている。前期に観た趙之謙の≪花卉図≫は後期にも別な4点がでていたが、今回も良かった。王キの《江山縦覧図巻》↓は豊かな山水画。ツ冰の《双家鴨図扇面》はとても美しい花鳥画。呉俊卿の《桃実図》も画と文章のバランスが良い。このような中国の絵画が江戸時代の花鳥画に大きな影響を与えていることがよく分かる。

文徴明は明の書家。台北の故宮美術館で見て以来、彼の字にはまっている。この展覧会には《楷書離騒九歌巻》↓が出ていた。とてもすっきりした書。内容はともかく、美術としては最高である。

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トプカプ宮殿の至宝展: 東京都立美術館

 

 トルコ、オスマン帝国のスルタン、ハレムの女性たちの超豪華な品々。2003年同じ東京都美術館で開かれた「トルコ三大文明展」でエメラルド入り短剣などを見た。その後、イスタンブールの「トプカプ宮殿宝物館」でこのエメラルド入り短剣に再見した。

 今回は一番すごいのは、巨大エメラルドのついた「ターバン飾り」。ダイヤモンドも沢山ついており、本当に光り輝いている。エメラルドを良く見ると、深い緑の部分が明るい緑の部分のなかに流れ込んでいる。 もう一つは、左図の「金のゆりかご」。木製だが、全面が金で覆われ、約2000個の宝石が埋め込まれている。これはトルコ政府が、秋篠宮家の悠仁親王の誕生を祝して、特別に貸し出してくれた秘蔵品である。

 展示は、T.世界帝国に君臨したスルタンたち、U.宮廷生活と優雅なハレムの世界、V.輝くオスマン王朝の栄華、W.スルタンたちが愛した東洋の美 に分類されている。

 モンゴルの地に興り、次第に西進してアナトリアの地に定住したトルコ人は、兄弟殺戮を経て君臨した勇猛なスルタンのもとに当時の世界を制覇した。ハレムの女性たちは他民族出身で、王子の母になるべく競い合った。すなわち歴代のスルタンからは次第に荒ぶる蒙古の遺伝子が減っていったのである。会場には甘い薔薇の香りが漂っていた。これが実際のハレムの香なのか、化粧品会社のたくらみなのかは分からない。兵士たちもキリスト教徒を改宗させたものとのこと。こちらからもDNAの欧州化が進んだかもしれない。

 スルタンたちが中国陶磁器を愛したのは、遠い蒙古時代からの中国に対する憧憬の現れであるという興味のある説明があった。そういえば、トルコ人は日本人びいきでもある。トルコがクリミア戦争で負けたロシアを日本が日露戦争で破ったためという説が有力だったが、遺伝子の響き合いという新説が登場してもおかしくない。EU加盟がなかなか果たせないのは、もちろん経済的あるいは宗教的な問題が大きいのだろうが、ひょっとするとこのような人種的な問題が底辺に横たわっているのかもしれない。

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キスリング展 モンパルナス-その青春と哀愁: そごう美術館

 

  1991年に新宿にできた三越美術館の第1回展として開催された「生誕100年記念キスリング展」以来16年ぶり。その時と同じくジュネーブのプチ・バレ美術館からのものが中心である。しかし、 前回との重複が意外と少なく、前回に比べ説明が分かりやすかった。以下、展示の章立てに沿って感想を述べる。

キスリング:赤いセーターと青いスカーフを纏ったモンパルナスのキキ

T.1891-1915

パリへ、そして戦後

ポーランド生まれのユダヤ人であるキスリングは1910年にパリに移住、第一次世界大戦の際には外人部隊に加わってフランスのために戦って傷ついている。
  果物と水差しのある静物 ポーランド時代の作品。セザンヌ調の静物画。印象派的な風景画のキャンバスの裏に描かれており、いろいろな技法を試している。
 

プロヴァンスの風景

キュビスムの影響が感じられる画がこれを含め何点か展示されていた。パリで洗濯船に居をかまえていたキスリングは、キュビストからの影響をある程度受けざるをえなかったようである。

U.1915-25

モンパルナスの寵児として

 戦後、しばらくはスペインで制作している。パリに戻り、共和国衛生隊司令官の娘で、画学生であったルネ・グロと知り合い結婚。その後、キスリングのアトリエは芸術家の集合場所として有名になった。
  サン=トロペでの昼寝 キスリングとフランス人の妻ルネのゆったりとした昼のひと時。素晴らしい光と色彩が目を奪う。フォーヴのような感じさえする。
  サン=トロペ風景(1917) 素晴らしい色彩が何段にも重ねられ、最上段は太陽の赤である。まるで虹を水平にしたような画である。
  プロヴァンスの庭師 アンリ・ルソーのような素朴な画である。しかし色彩、とくに緑は鮮やかである。こういった田舎の風景も何点かあった。
  赤い長椅子に横たわる裸婦 この画は今回はじめて見た。ティツィアーノの《ウルビーノのヴィーナス》やマネの《オリンピア》とほぼ同じ構図。手前に果物が描かれていたが、説明によると「迎える母性」あるいは「過ぎ行く時」の図像ではないかとのこと。
  パイプを加えたシャルル・ラポポール まるでセザンヌの自画像のような禿と髭の男。リトワニア生れのユダヤ人で、ジャーナリストで社会主義者。
  北イタリア、オルタ風景 家並のなかに、遠くのオルタ湖の水面を望む構図の風景画。
  乳しぼり 田舎を描いたルノワール的な柔かい作品。
  赤いセーターと青いスカーフを纏ったモンパルナスのキキ

今回のポスターとなっている。モンパルナスの女王と呼ばれたモデル、アリス・エルネスティーヌ。セーターとスカーフの色が鮮やか。柱に映る影が上手く描かれている。

   オランダ娘(1922)  大阪市立近代美術館建設準備室のお馴染みの画。三越美術館の展覧会カタログの表紙になっていた。大阪の美術館はいつになってもできないので、相変わらずの旅暮らし。

 V.1925-40

南フランスとパリを往き来して

  1925年サナリーに別荘、1933年レジョン・ドヌール勲章、1938年反ナチ活動で死刑宣告、1939年召集、1941年ポルトガルを経て米国に渡る。
   オランダ娘(1928)  フェルメールの《青いターバンの娘》と類似の構図、レンブラント様の色調の強いコントラストは、彼の尊敬する両画家へのオマージュ。
   イヴ  ヌード、背景の緑色が美しい。
  タス医師の子供たち、ルイとズーシャ 友人の医師の子供たちを描いた自然な画。キスリングは子供の画を沢山描いている。
  スウェーデンの女、イングリッド 同じ画を2枚描いた。こちらは初めのもの。気にいらなくてサロン・デ・チュイリーから引き上げた。2枚目の画は、今もルージュ家にあるという。比べてみてみたい。こちらも結構に美人で、持っている赤い花のコントラストも素晴らしいのだが・・・。
  女優エディット・メラの肖像 とがった鼻と顎、純白なドレスに包まれた華奢な体つき。3年後に亡くなることが予知されているようにも見える。
  女優アルレッティの裸像 10頭身のヌード、揺れるカーテンの光沢が艶めかしい。
  マルセイユ 絵葉書のような細密画。

W.1941-53

アメリカへ そして帰国

1946年 帰国、1950年 レオン・ドヌール勲章オフィシェ章
  ミモザの花束 素晴らしい黄色。いう言葉もない。
  赤毛の裸婦 アメリカから持ち帰った唯一の作品で、官能的な裸体。枕頭台上の果物には図像学的な意味がある。
  ミリアムの肖像

モーゼの姉で、紅海渡渉のさいにはタンバリンを叩いて鼓舞したが、モーゼの妻がイスラエル人でなくエチオピア人であることを非難したことを、神に咎められ、隔離されるような皮膚病に罹患させられた。この画の粗末な服装と裸足は彼女の反省と服従を示している。

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フランス印象派・新印象派展: 松岡美術館

 

 この美術館は、以前には新橋にあった。(その時の記事) 2度ばかり観に行ったが、ビルの1階の美術館は、まるで倉庫のように、仏像・陶磁・画などが雑然と置いてあった。その時に買ってきた「館蔵 ヨーロッパ絵画図録」を取り出してみると、1992年7月12日購入となっているから、15年も経っていることになる。その後、創設者の松岡清次郎氏が1989年に95歳で亡くなられ、2000年に白金の私邸後に新しい美術館が建設されたとの話しは聞いていたが、なんとなく行きそびれていた。

 今回、この新美術館を初訪問してみると、随分立派な建物に変身している。庭も、隣の自然教育園を借景しながら素晴らしい。1階には、古代オリエント美術現代彫刻(ムーア、グレコ、ブールデル)、ガンダーラ・インド彫刻(お気に入りは、仏陀の一生の彫刻)の常設展。2階は1年に数回コレクションを入れ替えて企画展としているようで、今回はフランス印象派・新印象派(お気に入りは、ブーダン《海・水先案内人》、モネ《エトルタの波の印象》、ルノワールの3点、ピサロ、ギョマン、シニャック、マルタンの3点)の企画展となっていた。面白かったのは、ルノワールの《リュシアン・ドーデの肖像》が床の間仕立ての部屋に飾られていたことである。

 その他に、ヴィクトリア朝イギリス絵画(お気に入りは、ミレイ《聖テレジアの少女時代》、リーダー《北ウェールズの穏やかな午後》、ジェームス・バーレル・スミス《キラーニィのトアの滝・アイルランド》、リッターデイル《少女像》)、ペルシャ陶器が展示されていた。 とにかく立派な建物になってよかった。展示されている作品たちも嬉しそうだった。

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祈りの中世 ロマネスク美術写真展: 国立西洋美術館

 

サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院:トマスの不信 11世紀から12世紀にかけて生まれたロマネスク美術は、キリスト教の教えを広めるため、人里はなれた修道院や村の聖堂にまで展開されたもの。数年前にバルセロナの「カタルーニャ美術館」で《栄光の聖母》をはじめとするロマネスク美術に始めて接してとても感動した。カタルーニャ美術館の展示品は地方にあったものを大々的に移動したものであるが、通常は田舎にそのまま残っており、現地に行かなければ見ることができない。したがって今回の展覧会のように写真で紹介されるのはとてもありがたい。今回の写真を撮影された六田知弘氏に深謝。フランスとスペインの5つの宗教建築が紹介されていた。

1.サント・マドレーヌ修道院(フランス、ヴェズレー)
 「ダ・ヴィンチ コード」にも出てきた「マグダラのマリアの聖遺物」を納めた場所として有名である。玄関前のテュンパヌム彫刻や聖堂内の柱頭彫刻の《ガニュメデスの誘拐)、《黄金の牛》は迫力満点。いずれも12世紀前半のもの。

2.サン・マルタン教会(フランス、ノアン・ヴィック)
 小聖堂だが、とても素晴らしい図像がある。お気に入りは《最後の晩餐》、《ユダの裏切り》。人物の眼が大きく開かれ、身体は丸みをおびており、全体に動きのある画面で、躍動感がある。これらも12世紀前半のもの。

3.サン・マルタン・ド・フノヤール教会(フランス、モレ・ラス・イヤス)
 これも小聖堂で、図像の鮮やかな彩色と見開いた眼が印象的である。全体として稚拙な感じはするが、ルネサンス期以降の取り澄ました姿とは異なり、かえってフォービズムなどの近現代アートに通じるものがある。お気に入りは《有翼の四福音書記者に囲まれた栄光のキリスト》、《降誕》、《受胎告知》。これらは12世紀初頭のもの。

4.ル・トロネ修道院(フランス、ル・トロネ)
 ここは11世紀に造られた一切の装飾を省いた非常に禁欲的な修道院。建築学的にはル・コルビュジェにインスピレーションを与えたことで知られている。会場には、美しい写真が展示されていた。

5.サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院(スペイン、シロス)
 回廊の柱頭に刻まれた彫刻が素晴らしい。お気に入りは、チケットの《トマスの不信》↑と《ライオン》。

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アンドリュー・ワイエス展: 青山ユニマット美術館

 

ワイエス:スコール 青山ユニマット美術館では、3‐4 階はシャガールなどエコール・ド・パリの常設展で、2階だけは企画展に使われている。

現在は、大好きな画家のワイエス展で、以前から行きたいと思っていたが今日ヤット行くことができた。

下の表のように全部で15点であるから規模は小さいが良い作品が集められていた。

ワイエスは静謐な写実絵画で現在のアメリカ画壇の最高峰にあると思う。

 印象に残ったものについて簡単な感想を書く。
オープン・ハウス 1979 テンペラ 田舎の貸し馬屋。静謐な景色だが、5匹の馬がアクセントとなっている。貸し馬屋の娘が、ワイエスに羽目板の数が違っているといったという。
よどみ 1968 水彩  
入江 1940 インク すばらしい細かなタッチの描写である。
ノックスの農家 1897 水彩  
イントルーダーのデッサン 鉛筆  
四羽のカラス 1948 テンペラ 樹木と雪の単純な背景に黒いカラスが一直線に向こうに飛んでいく。静かな中にダイナミックさが感じられる。
うろつく犬 1975 水彩 雪野原のなか、近景に毛むくじゃらの大型犬がのっそり歩いている。こんな景色もあって不思議ではない。
貯水槽 1988 水彩 これも雪景色。クエーカー教徒の村。細長い集会場や丸い貯水槽が描かれている。これもどこかで見たような風景。
スコール 1986 テンペラ メーン州の自宅。窓にスコールが迫ってくる。室内にはレーンコートと双眼鏡、扉の向こうには外の物干竿のようなものが見える。劇的な印象のする絵である。
ビューティー・レスト 1991 水彩  
リング・ボルト 1965 水彩 コンクリートに埋め込まれた太いリングつきのボルト。力強い画。
ぼろ袋 1896 水彩 外階段の上にちょんと坐っている犬。その側に赤や青のぼろ布。その向こうには椅子。典型的なアメリカの田舎家。
入江 1966 水彩 舟が描かれている。水の流れとはちょっと離れている?
木にかかる大鎌 1958  水彩 高い木に引っかかった鎌。これも劇的な雰囲気。
初氷 1968 水彩 手前の湖に薄氷が出来つつある。とても技巧的である。

 先日、天然ガス爆発のあった渋谷のスパはユニマットの系列のようであるが、その記事の載っている広報誌が美術館内に置いてあったので、一部もらってきた。この辺はちょっと気を遣ったほうが良いのではあるまいか。

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モーリス・ユトリロ展−モンマルトルの詩情: 三鷹市美術ギャラリー

 

ユトリロ:モンマルトルのノルヴァン通 ユトリロの展覧会は何回も観ている。今回はパスしようかとも思っていたが、実際に行ってみると非常に良かった。

 お気に入りは、《コルシカの通り》、《モンマルトルのノルヴァン通り》、《スペイン王女の館》、《ムーラン・ド・ギャレット》、《古い修道院の教会》、《ムーランの大聖堂》、《クリスマスのもみの木》、《ヴォーの教会》などである。

 作品が年代順に陳列されている。配布されたパンフレットには「ユトリロ年譜」が詳細に記されている。この年譜と作品のキャプションの制作年をくらべていけば、自然とユトリロの生涯が辿ることができる。

 素晴らしいことは、ちょうど良い場所に説明のパネルがあり、これが要領の良い文章で分かりやすい。

 12歳の時、母親ヴァラドンが、ムジスと結婚、ユトリロは祖母とともに生活。母親は画ばかり描いていてユトリロを省みなかった。そのためか、ユトリロはアル中となり、退学、職を転々とし、20歳時に入院。医師の勧めで画を描き出した

 母親はユトリロより1歳年下のユッテルと親しくなり結婚。このころからユトリロは「白の時代」(1910−14年)から「色彩の時代」(1920−55)に移る。ユトリロの画が有名ななり、売れ出したが、ユッテルらはユトリロを鉄格子の部屋に閉じ込め、絵はがきをもとに画を描く貨幣製造機としてしまう。

 51歳時、母親ヴァラドンはユッテルと離婚、ユトリロは銀行家の未亡人のリシューと結婚。2年後母親は死亡、妻はユトリロをやはり貨幣製造機としてしまっていたようである。

 こういった悲惨なユトリロ物語がよく頭に入ってくると、ユトリロをエコール・ド・パリの画家としてしまうことが問題のように思われる。事実、エコールド・パリの画家はモンパルナスで活躍したのに、ユトリロは終生モンマルトルの画家であったのである。

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プラハ国立美術館展: Bunkamura

 

 プラハ国立美術館には、今年の3月に行ってきたばかりである。ブログホームページには非常に短い記事を書いただけであるが、プラハ城の中にあって、古いが落ち着いた環境の美術館だった。今回は都会のビル地下美術館という雰囲気ではあるが、旅行中と違い、ゆっくりと観られた。

ピーテル・ブリューゲル(子):緑のフランドルの村第1章 ブリューゲルの遺産  いきなりヤン・ブリューゲル(子)の《東方三博士の礼拝》。板絵の小品であるが、素晴らしい色合いが残っている。大切な作品らしく、ガラスで囲われている。隣のピーテル・ブリューゲル(子)の同名の画は、冬のフランドルに場所を移して描いているが、聖母子はなぜが画の右端にやっと見える程度である。
 ピーテル・ヘイセルスの作品と思われる銅画の《鳥罠のある冬景色》と《夏景色》は非常に細かなところまで描かれている。このような画は諺などの暗喩がこめられているいるようである。ピーテル・ブリューゲル(子)の《緑のフランドルの村》では大きな鍋から粥を食べている村民の周りに、5組の夫婦。それぞれに物語があるのだろう。
ピーテル・ブリューゲル(子)の《水源》・《小川》・《川》・《河口》の4連作はプラハで見たことを覚えている。これも人生の若さから老いまでの流れを水の流れに例えているのである。
 ヘイスブレヒト・レイテンスの《きこりのいる冬景色》↓やテニールスの《巡礼者のいる山の風景》はいずれも大きなキャンバスに描かれた画。作者不明の《バベルの塔》があった。ニムロド王の周りにいろいろな人種の人が集まっており、この後の混乱を予告。

第2章 ルーベンスの世界ー神々の英雄  ディアナ、カリスト、ゼウス、ペレウス、テティス、バッカス、シレノス、ヴェヌス、ケレス、メレアグロス、アタランテなど神話画が沢山ある。説明が日本語なので分かりやすい。プラハでは内容が分からぬまま観ていったのではないかと思う。 ルーベンスが関わったと思われる《カエサルの凱旋》が2枚あった。これはマンテーニャの9枚の画の一部だが、堂々とした画である。

ルーベンス:聖アウグスティヌス第3章 ルーベンスの世界ーキリスト教
 ルーベンスの淡彩《マリアの訪問》は妊娠しているエリザベートを見舞っているところ。これはルーベンスの真作のようで、ガッチリとガラスで囲まれている。ルーベンスの工房作だが、《キリスト哀悼》ではマリアがキリストの額の棘を抜いている。ルーベンスの大作《聖アウグスティヌス》は今回のベストの一つ。少年キリストが貝殻で海水を汲み出しているところ。聖人がこれをみて三位一体の奥深さを認識したとのこと。ヴィルマンの《天使に支えられるキリスト》は断食の後とはいえ頼りなげなキリストが二人の天使の手の上に乗っている。ブックホルストの《我に触るなかれ》では明暗が著明。ヨールダーンスの《両手を合わせる年老いた男もしくは使徒》は習作とはいえ、素晴らしい。

第4章 肖像画 ルーベンスの工房および複製だが、《アンブロジーオ・スピノーラ侯ヴァン・ダイク:オラニエ公ウィレム二世の少年期の肖像》は堂々たる肖像画である。ヴァン・ダイクの《オラニエ公ウィレム二世の少年期の肖像》はわたしのお気に入り。ポストカードを買った。

第5章 花と静物  ポスターとなっているヤン・ブリューゲル(帰属)の《磁器の花瓶に生けた花》↓も良かったが、その隣にあったセーヘルスの《ガラスの花瓶に生けた花》のカラスの質感は絶品である。スネイデルスの《猿のいる静物》や《市場へ行く農夫》も面白かった。彼はプロの動物画家だ。サヴェレイの《鳥のいる風景》に描かれた鶏は伊藤若冲ばりである。クエリヌスらの《海の幸はネプトゥヌス》は海神の壷からドンドン魚が出てくる愉快な画。

第6章 日々の営み テニールスの《二人の農民》は小品の板絵ながらまとまった画。酒とたばこを戒めているのだろうか。ヨールダーンス工房の《道化師と猫》は飼い主に似てしまった猫? ロンバウツの《歯抜き屋》は気の毒な患者。ヴァルケンボルフの《炎上する都市》はなかなか巧い。    

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パルマ展: 国立西洋美術館

 

 コレッジョパルミジャニーノアンニバーレ・カラッチを繋いだ重要な展覧会。画像はブログ参照。

 まず「第1章 15世紀から16世紀のパルマ

 ここで目立つのはヴェネツィア派のチーマ・ダ・コネリアーノの《眠れるエンデュミオン》。ディアナが三日月となって眠れるエンデュミオンを自分のものにするため下りてくる。やはりヴェネツィアで仕事をしたクリストーフォロ・カセッリの「トウルーズの聖ルイ」もパルマに残っている。これは、聖人たちの縫い取りをつけた立派な法衣の聖人。教冠をかぶっており、王冠は地上に置かれている。宗教の優位性を表しているのだろう。しかし、この頃のパルマの絵画は、まだ『ヴェネツィア派』の影響下にあったようで、今回の展覧会ではプロローグに過ぎない。

 次は「第2章 コレッジョとパルミジャニーノの季節

コレッジョ:階段の聖母 『パルマ派』の創始者コレッジョの画が並んでいる。フレスコの《階段の聖母》は柔らかい線で優美に描かれており、キリストがかわいい。ウフィツィーの華である《幼児キリストを礼拝する聖母》に再会し、感激した。なにせコレッジョはわたしのお気に入り。彼の画の前では必ず足を止める。レオナルドのスフマート技法を思わせる優美な画が多い。ただ初来日の《キリスト哀悼》では、強い感情表現と陰影表現が目立ち、バロックへの移行が潜んでいるのではないかと感じた。茨の冠がマリアの足元に落ちている。


パルミジャニーノ:聖カタリナの結婚 パルミジャニーノの画の特徴は人物の伸びきった長さにある。パルミジャニーノ自身の《聖カタリナの結婚》では、このことはあまり目立たないが、1522年ごろの作品である《聖チェチリア》は背が高く、後にベルナディーノ・カンピが模写したパルミジャニーノの《聖カタリナと聖母たち》では、顔まで長くなっている。今回の展覧会ポスターとなっているジョルジョ・ガンディニ・グラーノの1529年の作品、《聖母子、幼い洗礼者ヨハネ、聖エリサベツ、マグダラのマリア》でもマリアは面長である。しかし1938年ごろのパルミジャニーノ作品《ルクレティア》では、顔面の紅潮、つややかな肌、胸に刺さった装飾付きナイフ、髪飾りの真珠、金色の肩章などが鮮やかに描かれ、強い光と影のコントラストともにバロックへの移行が感じ取られる。

 次にはなぜか「第6章 素描および版画」がくる。

 赤色天然石のよるパルミジャニーノの素描は、自由なペンさばきで、繊細な情緒をたたえた一級品。《ヴィオラ・ダ・ブラッチョを持つアポロあるいはダヴィデ》、《本を手にした女性の肖像》、《ステッカータ聖堂の乙女像の習作》などは類まれなる美しさである。銅版画の《キリストの埋葬》も良かった。その他の作者の素描としては、ジローラモ・ベドリ・マッツォーラの《ヴィオラ・ダ・ガンバを奏でる音楽家と奏楽天使》、マロッソの《2列に並ぶ天使と聖人の習作》が心に残った。バルトロメオ・スケドーニの素描は非常に鮮明である。紙を下地処理してから描いたためらしい。3点出ていたが、その中では《洗礼者ヨハネの説教》がベストだった。

 次は「第3章 ファルネーゼ家の公爵たち」で、肖像画が立ち並ぶ。

 作者不明の《ファルネーゼ一族の小肖像画》はレベルの高い作品で、《教皇パウルス3世》、《初代公爵ピエル・ルイージ》、《第2代公爵オッダーヴィオ》、《オーストーリアのマルゲリータ》、《第三代公爵アレッサンドロ》という歴史の主人公たちの肖像が特に力を入れて描かれていることが一目で分かる。名品はジローラモ・ベドリ・マッツォーラの《アレッサンドロ・ファルネーゼを抱擁するパルマ》。スペインへの人質に出される年若いアレッサンドロの不安げな目付きが心を打つ。そしてそのスペインで、逆境にめげず頭角をあらわしていくアレッサンドロの自信に満ちた姿を見つけて、一安心する。

 次が、「第4章 聖と俗の絵画−マニエーラの勝利」。

 美しいフレスコ断片がいくつもある。ファルネーゼ家の宮殿を飾っていたものらしい。クレモナの画家ジローラモ・ベドリ・マッツォーラの描いた《玉座の聖母子と大天使ミカエル、聖ヴィンチェンツォ・フェレール》の大天使ミカエルは武装して龍を踏みつけ、天国の鍵と最後の審判のための天秤を持っている。ベルトーヤの《パリスの審判》では、パリス自身の姿はフレスコが崩れていて手だけしかみえないが、選ばれる女神ウェヌスは15頭身以上もあり、これぞマニエリスム。ラッタンツイォ・ガンバラの《アポロ》、チェザーレ・バリョーネの《トリトンに乗る若者》、《半身男性像》、《兵士》、《ダナエが描かれたルネッタ》なども良かった。

 ジローラモ・ミロラの《サビニ族の女たちの略奪》では、赤ん坊を差し出しながらローマ軍とサビニの男たちの間に割って入っている姿は、女性の強さを表しており、迫力がある。ボローニャの画家バルトロメオ・バッセロッティの《ルクレティア》、クレモナの画家ヴィンチェッソ・カンピの《受胎告知》、ピエトロ・ファッチーニの二連画《ふたりの天使の花綱》もレベルの高い作品である。 


 「マニエリスム=マンネリズム」という差別的表現があるが、これはミスノマーなのではなかろうか。ミケランジェロもマニエリスムの中に入っている。パルミジャニーノ、ポントルモ、アッローリなどはひとつの手法(マニエーラ)にとらわれたと非難され、エル・グレコはこの非難から免れていることも理解できない。人間を人間らしく描くようになったルネサンス絵画から、人間の内面にまで迫るようになったバロック絵画の間に、両者の特徴を包含する絵画が存在し、それがこの時代のものであるといいきった方が理解しやすいと思う。その意味で「マニエリスム」という用語はこの際放棄し、ポスト・ルネサンスあるいはプレ・バロックといった言葉を使うほうが良いと思う。

 次はいよいよ「第5章 バロックへ−カラッチ、スケドーニ、ランフランコ」。

カラッチ:聖母の戴冠 カラッチ一族の作品が5点もでている。アンニバーレ・カラッチアゴスチーノ・カラッチ合作の優美な《聖母の戴冠》は、コレッジョのフレスコ画の模写であり、『パロマ派』ルネッサンス絵画の遺伝子が『ボローニャ派』バロック絵画へと受け継がれていく証拠となっている。アゴスティーヌ・カラッチの《聖母子と諸聖人》では、十字をきると龍を退散させることのできる聖マルガリータ、アンニバーレ・カラッチの《キリストとカナンの女》では、子供に与えるべきパンを犬に与えたことを咎めたキリストに慈悲を願った貧しい女性、ルドヴィーコ・カラッチの《カルヴァリオへの道行き》では、聖ヴェロニカの布など聖書の物語を楽しむことができる。


 特筆すべきはバルトロメオ・スケドーニの5点。その中では《キリストの墓の前のマリアたち》が最高。あふれる光と影や人体・衣装の直線的表現などが画面にアクセントを加えているが、全体としてはなんとも静穏で美しい。《聖ペテロ》と《聖パウロ》も聖人の内面に迫る素晴らしい表現で、表現力に富んでいる。彼は性格的にはカラヴァッジョに近かったというが、画風としてはカラッチとカラヴァッジョの中間に位置するのではあるまいか。


 シスト・バダロッキオの《瀕死のクロリンダに洗礼を授けるタンクレーディ》は第一次十字軍の際の悲劇、《守護天使》は人間の魂の象徴である子供を悪魔から守る大天使ミカエルの物語画。最後には、ジョヴァンニ・ランフランコの《聖ルカと天使》の大きな牛、国立西洋美術館が所蔵するグエルチーノの豪快な《ゴリアテの首を持つダヴィデ》まで登場した。

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創造の広場 イタリア展: 東京大学 駒場博物館

 

 東大の教養学部では、本年度からイタリア語を初修外国語に加えたが、それを記念して「創造の広場 イタリア展」を開催している。広場ForumすなわちPiazzaとはイタリア都市国家を特徴づけるものである。画像はブログ参照。

 第1部: 古代の創造の広場では、東大ソンマ・ヴェスアーナ発掘調査団の成果が紹介されている。有名なヴェスビオス火山の噴火遺跡はポンペイ側は十分に調査が進んでいるが、反対側はその存在は分かっているが、いったん埋め戻されて海外の援助も得た国際的な調査が進んでいる。発掘中に見出された≪ディオニソス像≫が再現され、この展覧会では美しい石膏の複製が陳列されている。

 第2部: ルネサンスの創造の広場では、おなじみレオナルドの資料が沢山陳列されている。研究者にとっては垂涎のものであろう。≪アトランティコ手稿≫や≪神聖比例論≫のファクシミリ版、≪大型投石器≫・≪スプーン型カタバルト≫・、≪大型カタバルト≫の再現模型、≪自画像≫・≪女性の横顔ー受胎告知の習作≫・≪坐っている人物のための衣装の習作ー受胎告知のための準備素描≫・・≪手と頭の習作ージネーヴラ・デ・ベンチの肖像の現在では切断されている部分の習作≫・≪象と想像上の戦いーアンギアーリの戦いの習作≫・≪二人の兵士の頭部ーアンギアーリの戦いの習作≫・≪兵士の頭部ーアンギアーリの戦いの習作≫・≪女性の頭部、蓬髪女≫↓・≪聖アンナと聖母子、聖ヨハネ≫・≪女性の頭部≫・≪聖アンナの習作≫・≪レダの頭部の習作≫の複製などである。

 そして≪ウィトルウィウス的人体図≫の立体模型があり、人体部分が切り取られていて、自分の身体と比べることが出来るようになっていた。ダンテ、ペトラルカ、ボッカチオなどの資料も研究者にとっては見たいものだろう。

 第3部: 現代の創造の広場には、「未来派」の資料が沢山でており、マリネッティーの未来派宣言が載っているフィガロ誌、城戸晃一のインスタレーション≪Identiata zero≫やパチパチ・爆発音楽器などが面白かった。

 会場の中央では、毎日午後3時から、吉田喜重の≪美の美≫が放映されており、「イタリア・アシジの壁画T・U」を観ることができた。

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