創造の広場 イタリア展 07.5 |
パルマ展 07.5 |
プラハ国立美術館展 07.5 |
モーリス・ユトリロ展 07.6 |
アンドリュー・ワイエス展 07.6 |
ロマネスク美術写真展 07.7 |
松岡美術館 07.7 |
キスリング展 07.7 |
トプカプ宮殿の至宝展 07.8 |
槐安居コレクション展(前期) 07.8 |
景徳鎮千年展 07.8 |
アルフレッド・ウォリス 07.8 |
秘蔵の名品アートコレクション 07.8 |
アジアへの憧憬 07.8 |
都市のフランス 自然のイギリス 07.8 |
槐安居コレクション展(後期) 07.8 |
ヴェネツィア絵画のきらめき 07.9 | インドの細密画(2) 07.8 | フェルメール 07.9 | モリゾー 07.9 |
シュルレアリスム 07.9 |
目 次 ↑
開催初日に観に行った。ちょうど開会式で館長の挨拶中。宇都宮美術館・豊田市美術館・横浜美術館の共同開催展とのこと。アンドレ・マッソン夫人が出席されていた。偶然そこへlysanderさんが現れたので、一緒にこの企画展と常設展をゆっくり観た。幸いどちらも空いていたので、われわれのおしゃべりもあまり迷惑にならなかったかとおもう。 この企画展は、第1章「シュルレアリスムの胎動」、第2章「シュルレアリスムが開くイメージ」、第3章「シュルレアリスム以後の様々なイメージ」となっているように、マグリット・デルヴォー・ダリ・ベルメール・ミロ・マッソン・マッタ・エルンスト・ドミンゲスなどの狭義のシュルレアリスムだけでなく、その前駆をなすデ・キリこの形而上絵画、アルプ・シュヴィッタース・マン=レイ・デュシャンなどダダ、さらに広告美術、アンフォルメル、抽象表現主義、戦後具象絵画、現代日本美術まで非常に幅広くとらえている。 中心となる第2章では、1)イメージが訪れる、2)反物語、3)風景、4)女と愛、5)物と命、6)神話と魔術、7)時空の彼方に、の7節に細分しているが、この分類によって鑑賞者の理解が助けられるといったものではなかった。そのため、一つ一つの作品の面白さを個別に楽しんでいくようになってしまった。 メモや記憶に残っているのは、そのごく一部。マッソンの小品《血の涙》は、2つの人物のようなイメージの間に小さな真赤な涙が描かれていた。個人蔵となっていたので、マッソン夫人が所蔵しておられるものではないかと勝手に考えた。オスカル・ドミンゲスのデカルトマニ-の《日曜日》という作品では、画面中央左の草のような緑のイメージが残像となっている。エルンストの《カルメン会》の黒いマントをかぶった修道僧、イヴ・タンギーの《失われた鏡》、エルンストの《子供のミネルヴァ》、ロベルト・マッタの《ハート・プレーヤー》、ダリの《ガラの測地学的肖像》、ダリの三部作《暁(ヘレナ・ルビンシュタインのための壁面装飾「幻想的風景」)》、《英雄的な昼(ヘレナ・ルビンシュタインのための壁面装飾「幻想的風景」) 》、《夕暮(ヘレナ・ルビンシュタインのための壁面装飾「幻想的風景」) 》などは印象的な作品で、lysanderさんとそれぞれの感想を語り合った。 絵はがきを買ってきたのはマッソンの《ナルキッソス》の一枚だけ。陸上の下半身と水面を覗き込んでいる上半身が表裏逆の姿としてイメージされている。神話のエコーと水仙の花も描かれている。 常設展では、ミロとデルボーの版画、シュールリアリスムと写真、カンジンスキー/ミュンターの作品の並列展示など前回と同じだったが、同行者がいると話が弾み、写真を撮ったりして楽しんだ。 (2007.9a) ブログへ |
「本邦初のモリゾ展」となっているが、1995年に伊勢丹美術館で開かれた「印象派の華 モリゾ・カサット・ゴンザレス展」の図録を見ると、今回の展示作品が少なからず載っている。 それはともかくモリゾは、フラゴナールの末裔、コローの弟子、マネのモデル、マネの弟ウジェーヌの妻、ジュリーの母、そして印象派展の優等生、マラルメやポール・ヴァレリーのサポートなど話題に事欠かない。 しかし肝要なことは女性が一人で外出することさえはばかれた時代に、女性画家として一家を成し、現代までその名を残していることである。 幸い、学芸員のギャラリー・トークに参加できたので、理解が進んだ。17歳の時にルーブルで模写した《ヴェロネーゼの磔刑》はうまい。学芸員が見せてくれたヴェロネーゼの画とそっくり。模写では下から見上げて描くため、その修正が必要であるが、その点立派に描けている。やはり画の才能に恵まれている。《モリクールのリラの木》は1874年の作品。姉のエドマの家族。丁寧に描かれた美しい作品である。手前の帽子と日傘はモリゾ自身のものであるとの説明である。 《淡いグレーの服を着た若い女性》や《スケート靴を履きなおす若い女性》は、少ないタッチで描かれており、未完成のように見えるが、モリゾはこのような画風になってきているのである。 《砂遊び》や《庭のウジェーヌ・マネと娘》などは、太い筆を使った荒々しいタッチの画である。《寓話》は娘ジュリーとメイドのパジー。自由ですばやいタッチで、全体の印象をとらえている。 《桜の木》にはいくつものヴァージョンがあるが、これは油彩の第1ヴァージョン。ルノワールの影響を受けているとの説明だった。《水浴》は女性画家にしては珍しいヌード。ルノワールの傍で描いたということであるが、肉体の官能性はまったくなく、モリゾ自身の個性とオリジナリティは失われていない。 1889年の《ブ^−ロニューの森の湖》は、画はその中央の大きな木によって左右に分断されている。これは浮世絵の影響であり、事実モリゾはカサットと一緒に浮世絵展にいっており、今回の展覧会にはそのカタログも出品されていた。この画のもう一つの特徴として、湖面に映る影の描写があげられる。これはその後モネに影響を与えただけでなく、抽象絵画のさきがけだったとも考えられるという。 《夢見るジュリー》は少女から女性に変身してゆく娘を眺めている。この画を描いた翌年モリゾは娘の風邪がうつって死亡した。その後、ジュリーの後見役となったマラルメの言葉によると、「彼女の早すぎた死は美術に大きな空白を残した」。 姉エドマがモリゾを描いた大きな油彩、モリゾがドガの助けを得て作った《ジュリーの胸像》、そしてジュリーの姿が描かれたモリゾのパレットなど家族愛あふれる作品がこの展覧会の質を高めていた。 (2007.9a) ブログへ |
アムステルダム国立美術館が改装中ということで来日した「ミルク・メード」はわたしの西洋美術開眼に大きな影響があったので思い入れがある。 展示は以下の6部門に分類されていた。 1.「黄金時代」の風俗画: 油彩画は台所・室内・行商・飲酒などと主題によって細分されているが、小品で暗い風俗画が多い。隠喩や寓意が含まれているものも少なくない。当時の状況がそうであったのだからいたし方ないが、なんとなく清潔感に欠ける画が多い。ヤン・ステーンのものが多かった。その他にメツー、テル・ボルフ、マースの作品が出ていた。次いで版画がたくさん出てくる。ヤーコブ・マーダムの《聖書と主題のある台所と市場》の連作では、一番奥に「エマオの晩餐」のような聖書の一場面の画が掛かっている。とてもうまい画であるが、これらを観るには単眼鏡が絶対に必要。 2.フェルメール《牛乳を注ぐ女》: なんといっても、これがこの展覧会のハイライト。その前は結構込み合っている。画面と観客の間に2メートル以上の間隔があり、それ以上近づけない仕組みになっている。持ってきた単眼鏡が役立ち、パンの光沢・ミルクの輝き。壁の釘・金属の容器に映る窓枠、足元のデルフトタイルなど各部分は見ることができた。遠近法の集合点、後で消されたとおもわれる地図や牛乳壷、机の形が矩形ではないことなどの説明もあった。この画は、フェルメールの中では《青いターバンの女》と1、2を争う作品であるが、わたしはミルク・メードのほうに軍配を挙げている。こちらのほうが先に刷り込まれたためかもしれない。 3.工芸品・楽器: ヨハネス・リュトマ2世の《聖杯》に目がいった。杯の脚に天使・獅子・牡牛・鷹といったマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネのアトリビュートが乗っていた。 古楽器が並べられたコーナーの奥の部屋は《牛乳を注ぐ女》がいたと思われる台所となっており、その手前の部屋はヴァージナルなど楽器が描きこまれた部屋のようなタイル床となっていた。古楽器は上野学園のコレクションとのことである。 4.版画と素描: レンブランド、ファン・オスターデ、ボルなどの有名画家の作品も含まれていたが、いずれも小品だった。 5.偉大なる17世紀の継承と模倣: 似たような作品を集めて、オランダ風俗画が連綿とつながっていく様が示されていた。全体としては「黄金の時代」の作品より明るくなり、またその分軽くなっているように思われた。 6.19世紀後半のリアリズム風俗画: ヨーゼフ・イスラエルスの《小さなお針子》や、マリスの《窓辺の少女》の愛らしさ、ウェイセンブルッフの《ハーグの画家の家の地階》の逆光、デル・ヴァーイの《アムステルダムの孤児院の少女》の美しさなど、この章にはお気に入りの作品が多かった。 (2007.9a) ブログへ (追記)フェルメール・オフ会: ミルクメイドは前より見やすくなっていた。細かい点を見直した。大勢の参加者。出席者多数+Tak2, toshi2, Nikki, KAN, mizdezign, merion, ruru,panda, Luo とら、はろるど、わん太夫、さちえ、きのこ、タッキー&ササキ、朱奈、一村雨、とんとん、ともすみと・・・。 (2007.11a) ブログへ |
ムガル王朝時代(15−19世紀)のインド細密画は有名である。今回は60点を前期・後期に分けて陳列してあるが、わたしの観たのは前期である。今年の1月にも展示されていたが、よく見るとなかなか味がある。写真はフラッシュがないので鮮明度が悪いが、実物を観るととても美しい。主題はマハーバラタやラーマヤナといった神話、ヒンドゥー世界のシヴァ神やヴィシュヌ神、王・恋・動物・音楽などさまざまである。
お気に入りの画像を10枚アップする。
(2007.8a) ブログへ |
ヴェネツィアの絵は明るくて、色彩豊かである。観ているものが幸せになる。初日のためか観客はちらほらだったが、そのうちきっと混んでくるだろう。 第1章 宗教・神話・寓意 ティツィアーノの《洗礼者聖ヨハネの首をもつサロメ》は有名な画。もちろんこの展覧会のポスターにもなっている。なんといってもサロメの顔が美しく、巻き毛もきれい。そして衣装の赤い色彩が際立っている。洗礼者聖ヨハネの首はティツィアーノの自画像という説があるそうだが、なるほどそのようにも見える。 ヴェロネーゼの《エッケ・ホモ》はこの巨匠の晩年の傑作とされているが、色使いと大胆な筆致が特徴的である。 ティントレットの《愛の始まりの寓意》やジョルダーノの《ギリシャの哲学者》も良かった。 ヨーゼフ・ハインツという画家は初めて知ったが、《アイソンを若返らせるメディア》は、まるでボスのようなおどろおどろしい画。《パリスの審判》はよくある神話がだが、都市景観画家のグアルディのものは珍しい。 ティエポロの《聖母子と聖フィリッポ・ネーリ》は小さな油彩小銅版であるが、きちんとした画で好感が持てる。ピエトロ・ロンギの画が沢山あったが、なかでは当時の田舎の情景を描いた《糸巻きをする女》などはよいとして、華やかなロココ的な生活の画はあまり好きになれない。 第2章 統領のヴェネツィア 第3章 都市の変貌 ガブリエル・ベッラ(1730-99)という画家の大きな風景画が10点揃って出ていた。カナレットやベロットにくらべれば荒削りだが、その分、素朴な画であるともいえる。そのなかで一番面白かったのは《教区司祭の入場、サンタ・マルゲリータ広場》で、謝肉祭最後の木曜日の広場の情景。大きな山車、人間ピラミッド、滑車ロープで花を司祭に届ける男などが見せ場。 このようにして、しばしの間「アドリア海の真珠」といわれる水の都ヴェネツィアの全盛期を楽しむことができた。 (2007.9a) ブログへ |
「18・19世紀絵画と挿絵本の世界」いう副題がついている。改装中の栃木県立美術館の代表的な西洋絵画と豊かな版画コレクションの紹介である。 1.フランス絵画 2.フランスの版画・挿絵本 一方、貴族社会を描いたヴァトーの雅宴画エッチング《滝》・《嫉妬深い者たち》・田園の遊楽》はいかにもロココ的な情景であり、ロマン派の代表者ドラクロアのリトグラフ《ハムレット》はきわめて動的な版画であった。
3.イギリスの絵画
4.イギリスの版画・挿絵本
(2007.8a) ブログへ |
久し振りで大倉集古館に行き、北魏の巨大な≪如来立像≫や平安時代「円派」の≪普賢菩薩騎象像≫に再会した。今回の「アジアへの憧憬」に展示物の中心は、いつものように中国のものであるが、それ以外の国の仏像・仏画がいくつか出ていることが目を惹いた。ただし、数が少なく、比較的新しいものが多いため、このような地域の仏教美術を俯瞰することは出来なかった。 1.タイ: アユタヤ朝は14−18世紀まで長期間続いたが、その中で今回出ていたのは、16−17世紀の ≪仏陀立像≫、≪仏陀坐像≫、≪宝冠仏立像≫と19世紀のラッタナコーシン朝の≪宝冠仏立像≫が2点、≪仏弟子坐像≫、≪釈迦牟尼立像≫。 この時代の仏像は、大量生産され、宝冠を被り身体中に装身具をつけた宝冠仏や台座に豊かな装飾を施した仏像など形式化と装飾化が進んだものであるといわれている。 2.ミャンマー: 19世紀のものではあるが、右側臥位の美しい≪横臥仏像≫があった。 3.ネパール: ヒンドゥー教の主神の一人の≪ヴィシュヌ立像≫で、やはり19世紀のものだった。 4.インド: 10−11世紀のパーラ朝の≪宝冠仏坐像≫、≪観世音菩薩立像≫など合計7点が出ており、勉強になった。形式的には、ヒンドゥー教へ接近しているものが少なくないと思われた。 5.朝鮮: 14世紀の高麗時代の≪阿弥陀如来三尊像≫と16世紀李朝の≪釈迦如来及諸聖衆像≫はとても美しかった。やはり日本の仏教に一番近い。 (2007.8a) ブログへ |
エコノミック・アニマル時代の日本企業は美術品を資産として買い込んでいたが、次第にこれを公開して入場料を稼ぐようになった。1991年に庭園美術館で開かれた「企業コレクションによる世界の名作展」を観た時には、このような企業の姿勢に疑問を抱いたことをホームページに書いている。 「アートは世界のこどもを救う」というキャッチフレーズの「企業の名品アートコレクション展」が最初に開かれたのは、1996年。ホテルオークラ開業35周年記念チャリティイベントだった。その展覧会には、特別出品として皇太后陛下の「仔兎」も出品されていたこともチャリティー展としての価値を高めていた。同様に、1997 年にBUNKAMURAで開かれた「コーポレート・アート・コレクション展」は長野オリンピックの組織委員会の主催となっていたので、その公共性ははっきりしていた。 さて今回の「第13回展覧会」の副題は1996年の「第1回展覧会」と同じく「チャリティーイベント アートは世界のこどもを救う」となっている。ただしいつのまにか「企業の名品」が「秘蔵の名品」に変わっている。これはバブルの崩壊と格差の増大に基づいて、個人所蔵家の重要性が増してきたからなのだろう。 今回の展覧会には、1.西洋絵画、2.日本画、3.洋画の3ジャンルから103点に及ぶ優品が出ていた。
(2007.8a) ブログへ |
4月にオープンしたばかりの横須賀美術館。前はすぐ海。沢山の船が行き来している。夏にピッタリの環境である。観音崎公園の山をくり抜いたように建てられている。 潮風による作品の劣化を防止するため、コンクリートの建物をすっぽりガラスで取り囲んでいる。コンクリートの壁には上面にも、側面にも円形の明り取りがあり、そこから海を行くヨットなども望める。 イギリスのアルフレッド・ウォリス(1855−1942)は、若い頃船乗りの生活をしていたが、その後港町セント・アイヴィスで船具商を営み、70歳になってから独学で画を描きはじめた。いわばグランマ・モーゼスの男性版である。 ボール紙や板の切れ端に油彩やペンキで描いたもので、この点でもグランマ・モーゼスに通う素朴画家である。テーマとしては、港・船・橋・灯台といった海に関わるものが多く、この美術館にピッタリの海の素朴画家である。大胆な俯瞰図や斜めの構図など、独学であるがゆえの新鮮さを感じられる画も少なくない。お気に入りのベストは、≪緑の野原の側を横切るブリガンティーン≫。緑の色調が何ともいえない。 この画家は、この港町を訪れたベン・ニコルソンやクリストファー・ウッドによって偶然に発見され、ケンブリッジ大学のイードによって収集され、現在も同大学のケトルズ・ヤードにもっとも沢山残っているという。ベン・ニコルソン展は以前に観たが、具象と抽象を往復しているものだった。この展覧会に出展されているベン・ニコルソンの画はすべて具象だった。これはアルフレッド・ウォリスの影響なのかもしれない。 (2007.8a) ブログへ |
「景徳鎮窯」は、北宋時代の景徳元年(1004年)の年号から名付けられたものであるが、青白磁の完成により有名になり、元時代には青花磁器、明時代には五彩磁器が作られるようになった。明清には宮廷の用を務める官窯となり「景徳鎮」の名前は世界的に有名になった。
(2007.8a) ブログへ |
元王子製紙社長 高島菊次郎氏寄贈の中国書画96点が、前後期に分けて東洋館第8室で展示されている。 今回が前期。 明代の絵画としては、孫克弘の≪寒山拾得図≫がはっきりとした輪郭と明るい朱色がなかなか良い。 左図の徐渭≪花卉雑画巻≫は墨線を捨てた墨面のみによる大胆な表現で、おもわず引き込まれる。 清代の絵画としては、趙之謙の≪花卉図≫4幅が見事だった。藤、サボテン、ソテツ、シュロのような植物が見られる。
(2007.8a) ブログへ 前期に引き続き明清の書画の勉強に行った。 鄭燮の《墨竹図屏》(四曲一隻)は、落ち着いた水墨画。字の配分も面白い。余白が巧く生かされている。前期に観た趙之謙の≪花卉図≫は後期にも別な4点がでていたが、今回も良かった。王キの《江山縦覧図巻》↓は豊かな山水画。ツ冰の《双家鴨図扇面》はとても美しい花鳥画。呉俊卿の《桃実図》も画と文章のバランスが良い。このような中国の絵画が江戸時代の花鳥画に大きな影響を与えていることがよく分かる。 文徴明は明の書家。台北の故宮美術館で見て以来、彼の字にはまっている。この展覧会には《楷書離騒九歌巻》↓が出ていた。とてもすっきりした書。内容はともかく、美術としては最高である。 (2007.8a) ブログへ |
トルコ、オスマン帝国のスルタン、ハレムの女性たちの超豪華な品々。2003年同じ東京都美術館で開かれた「トルコ三大文明展」でエメラルド入り短剣などを見た。その後、イスタンブールの「トプカプ宮殿宝物館」でこのエメラルド入り短剣に再見した。 今回は一番すごいのは、巨大エメラルドのついた「ターバン飾り」。ダイヤモンドも沢山ついており、本当に光り輝いている。エメラルドを良く見ると、深い緑の部分が明るい緑の部分のなかに流れ込んでいる。 もう一つは、左図の「金のゆりかご」。木製だが、全面が金で覆われ、約2000個の宝石が埋め込まれている。これはトルコ政府が、秋篠宮家の悠仁親王の誕生を祝して、特別に貸し出してくれた秘蔵品である。 展示は、T.世界帝国に君臨したスルタンたち、U.宮廷生活と優雅なハレムの世界、V.輝くオスマン王朝の栄華、W.スルタンたちが愛した東洋の美 に分類されている。 モンゴルの地に興り、次第に西進してアナトリアの地に定住したトルコ人は、兄弟殺戮を経て君臨した勇猛なスルタンのもとに当時の世界を制覇した。ハレムの女性たちは他民族出身で、王子の母になるべく競い合った。すなわち歴代のスルタンからは次第に荒ぶる蒙古の遺伝子が減っていったのである。会場には甘い薔薇の香りが漂っていた。これが実際のハレムの香なのか、化粧品会社のたくらみなのかは分からない。兵士たちもキリスト教徒を改宗させたものとのこと。こちらからもDNAの欧州化が進んだかもしれない。 スルタンたちが中国陶磁器を愛したのは、遠い蒙古時代からの中国に対する憧憬の現れであるという興味のある説明があった。そういえば、トルコ人は日本人びいきでもある。トルコがクリミア戦争で負けたロシアを日本が日露戦争で破ったためという説が有力だったが、遺伝子の響き合いという新説が登場してもおかしくない。EU加盟がなかなか果たせないのは、もちろん経済的あるいは宗教的な問題が大きいのだろうが、ひょっとするとこのような人種的な問題が底辺に横たわっているのかもしれない。 (2007.8a) ブログへ |
1991年に新宿にできた三越美術館の第1回展として開催された「生誕100年記念キスリング展」以来16年ぶり。その時と同じくジュネーブのプチ・バレ美術館からのものが中心である。しかし、 前回との重複が意外と少なく、前回に比べ説明が分かりやすかった。以下、展示の章立てに沿って感想を述べる。
(2007.7a) ブログへ |
この美術館は、以前には新橋にあった。(その時の記事) 2度ばかり観に行ったが、ビルの1階の美術館は、まるで倉庫のように、仏像・陶磁・画などが雑然と置いてあった。その時に買ってきた「館蔵 ヨーロッパ絵画図録」を取り出してみると、1992年7月12日購入となっているから、15年も経っていることになる。その後、創設者の松岡清次郎氏が1989年に95歳で亡くなられ、2000年に白金の私邸後に新しい美術館が建設されたとの話しは聞いていたが、なんとなく行きそびれていた。 今回、この新美術館を初訪問してみると、随分立派な建物に変身している。庭も、隣の自然教育園を借景しながら素晴らしい。1階には、古代オリエント美術、現代彫刻(ムーア、グレコ、ブールデル)、ガンダーラ・インド彫刻(お気に入りは、仏陀の一生の彫刻)の常設展。2階は1年に数回コレクションを入れ替えて企画展としているようで、今回はフランス印象派・新印象派(お気に入りは、ブーダン《海・水先案内人》、モネ《エトルタの波の印象》、ルノワールの3点、ピサロ、ギョマン、シニャック、マルタンの3点)の企画展となっていた。面白かったのは、ルノワールの《リュシアン・ドーデの肖像》が床の間仕立ての部屋に飾られていたことである。 その他に、ヴィクトリア朝イギリス絵画(お気に入りは、ミレイ《聖テレジアの少女時代》、リーダー《北ウェールズの穏やかな午後》、ジェームス・バーレル・スミス《キラーニィのトアの滝・アイルランド》、リッターデイル《少女像》)、ペルシャ陶器が展示されていた。 とにかく立派な建物になってよかった。展示されている作品たちも嬉しそうだった。 (2007.7a) ブログへ |
11世紀から12世紀にかけて生まれたロマネスク美術は、キリスト教の教えを広めるため、人里はなれた修道院や村の聖堂にまで展開されたもの。数年前にバルセロナの「カタルーニャ美術館」で《栄光の聖母》をはじめとするロマネスク美術に始めて接してとても感動した。カタルーニャ美術館の展示品は地方にあったものを大々的に移動したものであるが、通常は田舎にそのまま残っており、現地に行かなければ見ることができない。したがって今回の展覧会のように写真で紹介されるのはとてもありがたい。今回の写真を撮影された六田知弘氏に深謝。フランスとスペインの5つの宗教建築が紹介されていた。 1.サント・マドレーヌ修道院(フランス、ヴェズレー) 2.サン・マルタン教会(フランス、ノアン・ヴィック) 3.サン・マルタン・ド・フノヤール教会(フランス、モレ・ラス・イヤス) 4.ル・トロネ修道院(フランス、ル・トロネ) 5.サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院(スペイン、シロス) (2007.7a) ブログへ |
青山ユニマット美術館では、3‐4 階はシャガールなどエコール・ド・パリの常設展で、2階だけは企画展に使われている。 現在は、大好きな画家のワイエス展で、以前から行きたいと思っていたが今日ヤット行くことができた。 下の表のように全部で15点であるから規模は小さいが良い作品が集められていた。 ワイエスは静謐な写実絵画で現在のアメリカ画壇の最高峰にあると思う。 印象に残ったものについて簡単な感想を書く。
先日、天然ガス爆発のあった渋谷のスパはユニマットの系列のようであるが、その記事の載っている広報誌が美術館内に置いてあったので、一部もらってきた。この辺はちょっと気を遣ったほうが良いのではあるまいか。 (2007.6a) ブログへ |
ユトリロの展覧会は何回も観ている。今回はパスしようかとも思っていたが、実際に行ってみると非常に良かった。 お気に入りは、《コルシカの通り》、《モンマルトルのノルヴァン通り》、《スペイン王女の館》、《ムーラン・ド・ギャレット》、《古い修道院の教会》、《ムーランの大聖堂》、《クリスマスのもみの木》、《ヴォーの教会》などである。 作品が年代順に陳列されている。配布されたパンフレットには「ユトリロ年譜」が詳細に記されている。この年譜と作品のキャプションの制作年をくらべていけば、自然とユトリロの生涯が辿ることができる。 素晴らしいことは、ちょうど良い場所に説明のパネルがあり、これが要領の良い文章で分かりやすい。 12歳の時、母親ヴァラドンが、ムジスと結婚、ユトリロは祖母とともに生活。母親は画ばかり描いていてユトリロを省みなかった。そのためか、ユトリロはアル中となり、退学、職を転々とし、20歳時に入院。医師の勧めで画を描き出した 母親はユトリロより1歳年下のユッテルと親しくなり結婚。このころからユトリロは「白の時代」(1910−14年)から「色彩の時代」(1920−55)に移る。ユトリロの画が有名ななり、売れ出したが、ユッテルらはユトリロを鉄格子の部屋に閉じ込め、絵はがきをもとに画を描く貨幣製造機としてしまう。 51歳時、母親ヴァラドンはユッテルと離婚、ユトリロは銀行家の未亡人のリシューと結婚。2年後母親は死亡、妻はユトリロをやはり貨幣製造機としてしまっていたようである。 こういった悲惨なユトリロ物語がよく頭に入ってくると、ユトリロをエコール・ド・パリの画家としてしまうことが問題のように思われる。事実、エコールド・パリの画家はモンパルナスで活躍したのに、ユトリロは終生モンマルトルの画家であったのである。 (2006.6a) ブログへ |
プラハ国立美術館には、今年の3月に行ってきたばかりである。ブログやホームページには非常に短い記事を書いただけであるが、プラハ城の中にあって、古いが落ち着いた環境の美術館だった。今回は都会のビル地下美術館という雰囲気ではあるが、旅行中と違い、ゆっくりと観られた。 第1章 ブリューゲルの遺産
いきなりヤン・ブリューゲル(子)の《東方三博士の礼拝》。板絵の小品であるが、素晴らしい色合いが残っている。大切な作品らしく、ガラスで囲われている。隣のピーテル・ブリューゲル(子)の同名の画は、冬のフランドルに場所を移して描いているが、聖母子はなぜが画の右端にやっと見える程度である。 第2章 ルーベンスの世界ー神々の英雄 ディアナ、カリスト、ゼウス、ペレウス、テティス、バッカス、シレノス、ヴェヌス、ケレス、メレアグロス、アタランテなど神話画が沢山ある。説明が日本語なので分かりやすい。プラハでは内容が分からぬまま観ていったのではないかと思う。 ルーベンスが関わったと思われる《カエサルの凱旋》が2枚あった。これはマンテーニャの9枚の画の一部だが、堂々とした画である。 第3章 ルーベンスの世界ーキリスト教 第4章 肖像画 ルーベンスの工房および複製だが、《アンブロジーオ・スピノーラ侯》は堂々たる肖像画である。ヴァン・ダイクの《オラニエ公ウィレム二世の少年期の肖像》はわたしのお気に入り。ポストカードを買った。 第5章 花と静物 ポスターとなっているヤン・ブリューゲル(帰属)の《磁器の花瓶に生けた花》↓も良かったが、その隣にあったセーヘルスの《ガラスの花瓶に生けた花》のカラスの質感は絶品である。スネイデルスの《猿のいる静物》や《市場へ行く農夫》も面白かった。彼はプロの動物画家だ。サヴェレイの《鳥のいる風景》に描かれた鶏は伊藤若冲ばりである。クエリヌスらの《海の幸はネプトゥヌス》は海神の壷からドンドン魚が出てくる愉快な画。 第6章 日々の営み テニールスの《二人の農民》は小品の板絵ながらまとまった画。酒とたばこを戒めているのだろうか。ヨールダーンス工房の《道化師と猫》は飼い主に似てしまった猫? ロンバウツの《歯抜き屋》は気の毒な患者。ヴァルケンボルフの《炎上する都市》はなかなか巧い。 (2007.6a) ブログへ |
コレッジョ、パルミジャニーノ、アンニバーレ・カラッチを繋いだ重要な展覧会。画像はブログ参照。 まず「第1章 15世紀から16世紀のパルマ」 ここで目立つのはヴェネツィア派のチーマ・ダ・コネリアーノの《眠れるエンデュミオン》。ディアナが三日月となって眠れるエンデュミオンを自分のものにするため下りてくる。やはりヴェネツィアで仕事をしたクリストーフォロ・カセッリの「トウルーズの聖ルイ」もパルマに残っている。これは、聖人たちの縫い取りをつけた立派な法衣の聖人。教冠をかぶっており、王冠は地上に置かれている。宗教の優位性を表しているのだろう。しかし、この頃のパルマの絵画は、まだ『ヴェネツィア派』の影響下にあったようで、今回の展覧会ではプロローグに過ぎない。 次は「第2章 コレッジョとパルミジャニーノの季節」 『パルマ派』の創始者コレッジョの画が並んでいる。フレスコの《階段の聖母》は柔らかい線で優美に描かれており、キリストがかわいい。ウフィツィーの華である《幼児キリストを礼拝する聖母》に再会し、感激した。なにせコレッジョはわたしのお気に入り。彼の画の前では必ず足を止める。レオナルドのスフマート技法を思わせる優美な画が多い。ただ初来日の《キリスト哀悼》では、強い感情表現と陰影表現が目立ち、バロックへの移行が潜んでいるのではないかと感じた。茨の冠がマリアの足元に落ちている。
次にはなぜか「第6章 素描および版画」がくる。 赤色天然石のよるパルミジャニーノの素描は、自由なペンさばきで、繊細な情緒をたたえた一級品。《ヴィオラ・ダ・ブラッチョを持つアポロあるいはダヴィデ》、《本を手にした女性の肖像》、《ステッカータ聖堂の乙女像の習作》などは類まれなる美しさである。銅版画の《キリストの埋葬》も良かった。その他の作者の素描としては、ジローラモ・ベドリ・マッツォーラの《ヴィオラ・ダ・ガンバを奏でる音楽家と奏楽天使》、マロッソの《2列に並ぶ天使と聖人の習作》が心に残った。バルトロメオ・スケドーニの素描は非常に鮮明である。紙を下地処理してから描いたためらしい。3点出ていたが、その中では《洗礼者ヨハネの説教》がベストだった。 次は「第3章 ファルネーゼ家の公爵たち」で、肖像画が立ち並ぶ。 作者不明の《ファルネーゼ一族の小肖像画》はレベルの高い作品で、《教皇パウルス3世》、《初代公爵ピエル・ルイージ》、《第2代公爵オッダーヴィオ》、《オーストーリアのマルゲリータ》、《第三代公爵アレッサンドロ》という歴史の主人公たちの肖像が特に力を入れて描かれていることが一目で分かる。名品はジローラモ・ベドリ・マッツォーラの《アレッサンドロ・ファルネーゼを抱擁するパルマ》。スペインへの人質に出される年若いアレッサンドロの不安げな目付きが心を打つ。そしてそのスペインで、逆境にめげず頭角をあらわしていくアレッサンドロの自信に満ちた姿を見つけて、一安心する。 次が、「第4章 聖と俗の絵画−マニエーラの勝利」。 美しいフレスコ断片がいくつもある。ファルネーゼ家の宮殿を飾っていたものらしい。クレモナの画家ジローラモ・ベドリ・マッツォーラの描いた《玉座の聖母子と大天使ミカエル、聖ヴィンチェンツォ・フェレール》の大天使ミカエルは武装して龍を踏みつけ、天国の鍵と最後の審判のための天秤を持っている。ベルトーヤの《パリスの審判》では、パリス自身の姿はフレスコが崩れていて手だけしかみえないが、選ばれる女神ウェヌスは15頭身以上もあり、これぞマニエリスム。ラッタンツイォ・ガンバラの《アポロ》、チェザーレ・バリョーネの《トリトンに乗る若者》、《半身男性像》、《兵士》、《ダナエが描かれたルネッタ》なども良かった。 ジローラモ・ミロラの《サビニ族の女たちの略奪》では、赤ん坊を差し出しながらローマ軍とサビニの男たちの間に割って入っている姿は、女性の強さを表しており、迫力がある。ボローニャの画家バルトロメオ・バッセロッティの《ルクレティア》、クレモナの画家ヴィンチェッソ・カンピの《受胎告知》、ピエトロ・ファッチーニの二連画《ふたりの天使の花綱》もレベルの高い作品である。
次はいよいよ「第5章 バロックへ−カラッチ、スケドーニ、ランフランコ」。 カラッチ一族の作品が5点もでている。アンニバーレ・カラッチ、アゴスチーノ・カラッチ合作の優美な《聖母の戴冠》は、コレッジョのフレスコ画の模写であり、『パロマ派』ルネッサンス絵画の遺伝子が『ボローニャ派』バロック絵画へと受け継がれていく証拠となっている。アゴスティーヌ・カラッチの《聖母子と諸聖人》では、十字をきると龍を退散させることのできる聖マルガリータ、アンニバーレ・カラッチの《キリストとカナンの女》では、子供に与えるべきパンを犬に与えたことを咎めたキリストに慈悲を願った貧しい女性、ルドヴィーコ・カラッチの《カルヴァリオへの道行き》では、聖ヴェロニカの布など聖書の物語を楽しむことができる。
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東大の教養学部では、本年度からイタリア語を初修外国語に加えたが、それを記念して「創造の広場 イタリア展」を開催している。広場ForumすなわちPiazzaとはイタリア都市国家を特徴づけるものである。画像はブログ参照。 第1部: 古代の創造の広場では、東大ソンマ・ヴェスアーナ発掘調査団の成果が紹介されている。有名なヴェスビオス火山の噴火遺跡はポンペイ側は十分に調査が進んでいるが、反対側はその存在は分かっているが、いったん埋め戻されて海外の援助も得た国際的な調査が進んでいる。発掘中に見出された≪ディオニソス像≫が再現され、この展覧会では美しい石膏の複製が陳列されている。 第2部: ルネサンスの創造の広場では、おなじみレオナルドの資料が沢山陳列されている。研究者にとっては垂涎のものであろう。≪アトランティコ手稿≫や≪神聖比例論≫のファクシミリ版、≪大型投石器≫・≪スプーン型カタバルト≫・、≪大型カタバルト≫の再現模型、≪自画像≫・≪女性の横顔ー受胎告知の習作≫・≪坐っている人物のための衣装の習作ー受胎告知のための準備素描≫・・≪手と頭の習作ージネーヴラ・デ・ベンチの肖像の現在では切断されている部分の習作≫・≪象と想像上の戦いーアンギアーリの戦いの習作≫・≪二人の兵士の頭部ーアンギアーリの戦いの習作≫・≪兵士の頭部ーアンギアーリの戦いの習作≫・≪女性の頭部、蓬髪女≫↓・≪聖アンナと聖母子、聖ヨハネ≫・≪女性の頭部≫・≪聖アンナの習作≫・≪レダの頭部の習作≫の複製などである。 そして≪ウィトルウィウス的人体図≫の立体模型があり、人体部分が切り取られていて、自分の身体と比べることが出来るようになっていた。ダンテ、ペトラルカ、ボッカチオなどの資料も研究者にとっては見たいものだろう。 第3部: 現代の創造の広場には、「未来派」の資料が沢山でており、マリネッティーの未来派宣言が載っているフィガロ誌、城戸晃一のインスタレーション≪Identiata zero≫やパチパチ・爆発音楽器などが面白かった。 会場の中央では、毎日午後3時から、吉田喜重の≪美の美≫が放映されており、「イタリア・アシジの壁画T・U」を観ることができた。 (2007.5a) ブログへ |